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朧寺緋葬架&篭森珠月

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kagomori

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First contact 朧寺緋葬架&篭森珠月

 狙撃手なんてしていると、高い場所が好きになる。
 逆に地上、それもオープンテラスとか開けた広場とか窓辺の席なんて大嫌いになる。たまにそれは乙女としてどうなのかと思う。
 高いところに上るのは、昔から煙か馬鹿か偉い人。高い所にいると、たまに虚しい気持ちに襲われる。人類の文明なんて意味がないような、世界と隔絶したような、自分が消えていく気持ち。昔いたという予言者や救世主だって、高いところにいるから悟ったりしちゃったに違いない。人間は空に焦がれるが、高い場所なんてただ遠いだけだ。
 結論として高いところは良くない。
「――――――……そんな戯言を考えたくなるくらいいい空ですわ」
 ゆっくりと空を雲が流れていく。朧寺緋葬架は目を細めた。コンクリートうちっぱなしの床に寝っ転がって空を見上げる。掃除はしっかりされているが、それでも少しは埃っぽい。その下では四十物谷調査事務所のメンバーが騒いでいるはずだが、ここまではその喧騒も届かない。
 今日は悲鳴も怒声も爆音も聞こえない。穏やかな天気だ。緋葬架は目を閉じた。もとより片方の目は眼帯で覆い隠されているが、両目を閉じると薄闇が訪れる。ゆったりと眠りの中に沈んでいく。緋葬架は昔のことを思い出していた。


**


 黄道暦。
 世界大戦の後、国家が崩壊し企業が世界を統治するようなって世界は大きく変わったらしい。生まれる前のことなんて実感があるはずがないが、民族や性別、文化による差別が激減しそれにとって対面や外交による紛争も変化、利益主義への以降により戦争ビジネスも大きく変化した。結果として、合理的でも利益的でもない殺し合いはなりを潜め、代わりに個々人の利益を生み出す力が重視され、弱肉強食の時代が幕を開ける。
 個人的には大規模戦争が激減したのは、単に土地の汚染が酷くなり戦争で土地を手に入れることの利が減ったのと、大規模兵器が使用不可能な事態が多発する一方で人体改造や異能者の研究が発展したため文字通り人と人がぶつかりあう戦争形態が一般的になり反戦気分が盛り上がったのが原因ではないかと思っているが事実は分からない。
 だが、傭兵や武器商、暗殺の仕事がなくなったわけではない。戦争は細分化し、日常に溶け込んで確実に存在し続けている。


 ライフルが重い。
「…………いい天気ですわ」
 放置されたビルの屋上で、予科三年目の朧寺緋葬架は空を見上げた。片手荷物ライフルと服の中に仕込んだ小銃の重さで生を感じる。武器を携帯するのはここ、世界最大級の学園都市トランキ学園ではごく普通のことだ。だが、予科生でここまで武器をうまく扱えるのは少数派だと緋葬架は自負している。当然、100人に一人しか進学できないという本科にだって、六年待たずとび級で入学する気だ。
「世は事もなし」
 そういってごろりと転がった緋葬架の耳に奇妙な喧騒が届いた。複数の人間の足音と怒涛が聞こえる。断続的に聞こえるのは悲鳴と銃声。緋葬架は眉をひそめた。
「強盗? 喧嘩?」
 かつての日本国東京の廃墟の上に、かつての住人をそのままに作られた巨大学園は、中心部の学園中枢をのぞき、いまだにスラム街や未開発地域をあちこちに残している。そこでは当然、生きるために犯罪が後を絶たない。また、学園内とて安全ではない。世界中からあらゆる方面のプロの卵が集う学園だ。その中には、傭兵や異能者のエリートだっている。そうでなくても、未熟な人間が武器をもってうろうろしているのだ。学校側にばれればただではすまないが、それでも暴力沙汰を起こす生徒は一定数存在する。
「騒がしいこと」
 緋葬架は屋上の端に向かって移動すると、様子を見ようと下を覗き込んだ。その瞬間、絶妙なタイミングで一人の少女が屋上に向かって飛び上がってきた。
「ひっ!?」
 視界に入るまで少女の気配を察知できなかった桜夜楽は、完全に反応できなかった。
「うわっ!?」
 同じく視界に入るまで緋葬架を認識できなかったらしい少女は目を見張ってぎりぎりのところで回避しようとした。だが、避けきれない。いい音を立てて額と額がぶつかった。
「――――――!!」
 額は人体の急所の一つである。緋葬架は声もなく悶絶した。一瞬、意識が遠のきかかるが意地でこらえる。相手のほうは一瞬よろめいたものの、根性で屋上に這い上がりふらふらと走り出す。
「ご、ごめん。ごめんね。後で必ずお詫びをするから」「ちょ、待ちなさいな」
 咄嗟に桜夜楽は相手の服を掴んで引きとめた。額にダメージを追っている相手は、案外あっさりと引きとめられる。
「ごめん。今、急いでいる。非礼は詫びる」
 赤くなった額を押さえながら、少女は振り向いた。肩より短く切りそろえられた黒髪が揺れる。屋上に外からよじ登ってきたとは思えないひらひらした服が気になった。よくみると足元はヒールだ。よじ登ったか飛び移ったかは知らないが、この靴で三次元移動をするとは相当なものだ。胸もとできらりと校章が光った。本科生だ。年齢は緋葬架より幾分か上だろう。
「失礼と思ってるなら、せめて止まりなさいな」
 一瞬ためらったが、危険な感じはしなかったので緋葬架は引きとめることにした。失礼な態度もさることながら、予科生にしてすでに傭兵業を始めている自分が視界に入るまで気付かなかったという機動力が気になった。おそらく、あわただしい気配に下をのぞき込まなければ、すぐ近くまで接近されていただろう。
「止まるとなお失礼なことになるから……ごめん、また今後」
 そんな緋葬架の心の内など知ってか知らずか、その本科生はひどくあわただしい様子で緋葬架の手を振り払った。焦っているのが分かるが、何に焦っているのかは分からない。なんとなく嫌な予感がした。
「意味が分かりませんわ!」
「いや、あのね」
 相手の声は屋上の縁をえぐり取ったマシンガンの音にかき消された。舌うちして、隣のビルに飛び移ろうとした相手の前で、隣の屋上の入り口が開いてバラバラと武器を持った人影が飛び出してくる。先頭にいるのは妙に気取ったスーツの男だ。
「おや、何だか人数が増えているね」
 外見に合った気位の高そうな声で、男は言った。本科生の少女は顔をしかめる。
「…………誰ですの?」
 こそりと緋葬架は少女に尋ねた。少女はなんとも言えない顔で苦笑する。
「うーん、父親の古い知人で現在絶賛私のストーカー中の変質者かな?」
「まあ、それはお気の毒に」
「嫌になるよね」
 この会話、普通の音量でかわされている。当然、相手にも聞こえている。かすかに相手の顔が引きつったのが分かった。だが、すぐに何事もなかったような顔に戻る。
「お友達と合流したのかな?」
 外見だけは紳士的な笑みを浮かべて、彼は尋ねた。本科生の少女の眉間のしわが深くなる。
「勘違いするな。ただの通行人だ。お前たちが見境ないからわざわざ人気のないところまで移動してきたっていうのに……」
「そうか。それは残念だね。けれど、君には良かったんじゃないかい?」
 数十はある銃口が一斉に少女と緋葬架に向く。
「死出の旅路の道連れができたよ?」
「――――嫌なやつだね。でもおバカさん」
 少女は笑った。慌てて周囲を囲む男たちはまわりに目をやる。よく見ると、小さな筒状のものが床一面に散らばっている。それを確認した瞬間、見計らったかのようにそれらが爆発した。白い煙があがり、一瞬で視界が埋め尽くされる。
「ただの煙幕だ! 撃て!!」
 銃声が響く。緋葬架は咄嗟に身をかがめてそれを避けようとした。だが、その前に細い腕が緋葬架の腕を引いて走り出す。煙幕でまったく視界が効かないというのに、それを感じさせない動きだった。まるで、すべての銃弾がどこからきているかを把握しているような人外の動きで、少女は緋葬架の腕を引いて包囲網を突破する。
「ごめん、走って」
 そのまま勢いをつけて敵がいる方のビルへ飛び移る。だが、攻撃はしない。相手をすれ違い、さらに隣のビルへ飛び移る。そして、一瞬敵が自分たちを見失いかけた隙をついて、非常階段とビルの側面を足場にして、一気に地上まで飛び降りた。十階分の高さはあったはずだが、なぜか足を踏みはずすこともなく地上に至る。
「な――――なんで!?」
 頭が身体の動きについていかない。ほとんど振りまわされるように緋葬架は走る。戦場ならともかく、慣れない市街地での乱闘と銃撃に緋葬架は戸惑うが、とにかく今は足を動かすしかない。
 背後で銃声がし火花が散る。だが、少女は振り返って背後を確認したりはしない。まるで目的地など分かり切っているかのように走る。走る。ひた走る。
「貴女――何者ですの?」
「ごめんなさい。巻き込んだ」
 人形のような少女趣味の服をなびかせて、少女はどろりとした血色の瞳を伏せた。
「追われているの。この世にはね、私に生きていてほしい人間より死んでほしい人間のほうが多いみたいで」
「よほど嫌われていますのね」
 徐々に銃声が遠ざかる。少女はほんの少しだけ速度を緩めた。
「本当にね。困ったものだね」
 苦笑を浮かべる顔は、年相応に可愛らしくみえた。



 追手を巻いたところで、緋葬架と少女は手近な廃墟に逃げ込んだ。緋葬架は学園中心部に逃げ込むことを提案したのだが、少女が首を横に振ったのだ。いわく、人の多いところに逃げると無駄な巻き添えを出す危険性があるという。
「あの人は、私を殺した後のことなんて考えてないの。そういうのは本当に厄介。保身を考えない人間は何をするかなんてだいたい想像できる。でも貴女は中央に逃げたほうがいい。貴女だけならそこまで熱心には追ってこないだろうし。見られたから殺しちゃえくらいの気分でしょう。向こうは」
 ひどく冷めた声で、淡々と少女は言った。物慣れた様子に、緋葬架は呆れにも似た感覚を覚える。
「貴女……どれだけ熱烈なアプローチを受けているんですの?」
「私じゃなくてね……うん。私の身内にアプローチしたんだけど、見事に撃沈でね。で、矛先変えてこっちに来ちゃったわけ。困るよねぇ、そういうの。私は無関係だっていうのに」
 少女は小さく笑った。その笑みがひどく疲れたものだったので、緋葬架は少しだけ心配になる。
「随分消耗していらっしゃるようですけど、大丈夫ですの?」
「初めはもっといたんだ。あれでも減らしたんだよ? 私は接近戦苦手だっていうのに、あの人数はないよ。かといってここで下手に助けを呼ぶと、後で面倒だし恥になる」
「恥とか言ってる場合じゃ」「私じゃない」
 困ったような顔で少女は微笑んだ。髪飾りについたリボンがへたりと垂れる。見れば見るほどお人形のような服だ。こんな恰好で戦闘なんて、緋葬架からすれば狂気の沙汰だ。
「仲間や血縁者の恥になる。私が恥をかくだけならともかく、そんなことで身内の仕事の邪魔になるのは本意じゃない」
 スライド式の携帯電話を閉じて、少女は小さく呟いた。
「では、あの人数をいつもお一人で?」
「普段は流石に一人ではないよ。助けを呼ぶ。けど、今回は色々あるんだよ。勢力図とか因縁とか。出来うる限り内々で処理しないと。仕方がないよ。自爆テロみたいなものだと思ってあきらめるしかない」
 気だるそうに少女は言った。言葉だけを聞くと人生そのものを諦めてしまいそうだが、もしそういうタイプならとっくに死んでいる気がするので多分違う。
「貴女はいったいどういう人生を送ってきたのです?」
 とりあえず、普通の人間ではないことは分かった。緋葬架はしげしげと相手を観察する。よくみるとかなり身なりがいい。本科生、それも学年が低い生徒は授業料の支払いのためふらふらになっていて身なりなど構っていられないものも少なくない。だが、彼女はかなり質の良い服を着ている。それに細かい仕草から育ちの良さが滲んでいる。
「さて、それはこちらも不思議だけどね。可愛いらしいお嬢さん。貴方もかなり強いでしょ? でも、可愛いんだからもっと笑ったほうがいいよ。無表情なのもお人形さんみたいで可愛いけど、きっと笑ったほうが可愛い」
 不思議なことを言って少女はかすかに笑った。確かに緋葬架はクールと言われる。狙撃手をしている緋葬架にとって感情のブレはそのまま銃撃の精度に繋がってしまう。故に緋葬架はあまり表情を変えない。いつでも冷静沈着で、どんなときにもクールな顔を崩さない。それが緋葬架の理想とする悪党像だ。
「貴女ほどの不思議ではありませんわ」
 見透かされた感じがしてなんとなく嫌なものを覚えながら緋葬架は言った。彼女は苦笑する。
「仕方ないよ。人間は生まれも育ちも選べない。それでも生きる覚悟を決めたら、しぶとく頑張らないと」
「あら、純日系には『武士道とは死ぬことみつけたり』と言わんばかりの古風な方々も多いですわよ?」
「私、日系の英人だもん。雑草根性が取り柄だから」
 自分で自分のことを雑草呼ばわりする人間を、緋葬架は兄以外で初めて見た。
「……ならせめてもっと動きやすい格好を心掛けるべきですわ」
 時代錯誤ともいえる華美なドレスを見やって緋葬架はため息をついた。だが、彼女は首を横に振る。
「それ無理。嫌いな服着るのなんて御免だし、だいたいこの服装には張ったりと脅しの意味がある。こんなひらひら服で厚底やヒールの女に負けたら、だいたいの人間は心まで挫かれて再挑戦なんかしなくなるから。うまくやれば戦わずに勝てるし、万一負けても虚勢をうまく張れば有利に負けられる」
「ネガティブなのかポジティブなのかよく分からないお人ですのね」
「普通だよ。ただこの世の頂点っていうのを一度見ちゃうとさ、人間負け犬根性が染みつくっていうだけ」
「自分で自分を雑草とか負け犬とか、淑女としてどうかと思いますわ」
 口調や態度とはかけ離れた低い自己評価に緋葬架は驚く。本当に話すほどに人物像がぼやける人だ。
「さて、そろそろ行かないと追いつかれちゃうな。貴女はもうちょっとゆっくりしてから中央に戻るといいよ」
 会話の切れ目を狙って少女は立ち上がった。ふと、緋葬架は気付く。
「そういえば、私は朧寺緋葬架と申しますの。貴女は?」
 赤い瞳が緋葬架を映した。考えるように少女はゆっくりと瞬きをした。
「――――珠月」
 簡潔に名乗る。緋葬架は頷いた。姓を聞くような真似はしない。名前というものは一種の記号で識別番号だ。それがIDと一致するかなど普段の生活ではどうでもいいし、そもそもこの学園の生徒IDは本人の申告に基づいて作られるため、それが本名とは限らない。少なくない生徒が偽名を使ったり、入学を機に改名したりしているはずだ。だから、この学園では名乗った名前こそがすべてなのだ。
「珠月様ですわね」
「珠月でいい。みんな好き勝手呼ぶ」
 かすかに珠月は微笑んだ。笑うと幼い感じになる。つられて緋葬架も笑みを浮かべる。一瞬だけゆったりとした空気が流れた。だが、それはすぐに破られる。
「伏せて!!」
 咄嗟に緋葬架が身体をかがめるのと、ついさっきまで上半身があった付近を銃弾が通過するのはほぼ同時だった。撃ち手の性格の悪さを現すように、その銃弾は心臓ではなく肺を狙っていた。苦しみを長引かせる撃ち方だ。
 珠月は逃げない。厳しい顔で廃墟の奥を睨む。
「上に三人。窓に一人、下に五人。外にもいるか。狙撃手がいるなら迂闊には出られないな」
 ぼそりと呟く。緋葬架が意味を問い返そうとした瞬間、彼女は力強く床を蹴って一瞬で身体を反転させた。そして後ろを向くと同時にスカートの下のフォルダーから抜いた拳銃を連射する。破壊音とともに窓が割れて人が転がり落ちた。後にはそれが使っていたらしいロープだけが残る。
「あら、一撃」
 あえて手は出さずに緋葬架はそれを見送った。どたばた逃げているのを見たときは戦闘系ではないのかと疑ったが、今の一撃でその疑念は晴れる。間違いなく、彼女はプロだ。
「――――下がっていてね。流れ弾に注意」
「お手伝いしましょうか? 邪魔にはならないと思いますわよ?」
 ジャケットの下のフォルダーに格納された拳銃と肩のライフルを視線で示して、緋葬架は尋ねる。だが、珠月は首を横に振った。
「一人でしないといけないこともあるの」
 端的に言うと、少女は空になった弾倉を入れ替える。入れの時も一発は残しておくことを忘れない。その勢いのまま、非常階段に狙いを定める。だが、下りてきた相手はそれを察して柱の影に隠れた。珠月も周囲の遮蔽物の間に逃げ込む。絵にかいたような銃撃戦スタイルだ。
 けれど、このままでは負ける。
 緋葬架は冷静に思った。そして、背負ったままだったライフル銃を確認する。典型的な銃撃戦では、数が多い方が有利。そして珠月は大した銃器をもっていそうもないし、そもそも銃撃の腕はプロレベルではあるものの一流とまではいかない。勝つ要素がない。
「所詮はお嬢さんですわ」
 緋葬架は上着のポケットに手を滑らせた。衛生携帯電話が入っている。学園の治安維持機構や各区画の自衛組織に連絡するのが手っとりばやい。もう少し様子を見て、相手の気がすんだら連絡しよう。物陰に隠れながら緋葬架は思った。だが、戦場に視線を戻すとすでに様子は一変していた。
 銃声の合間に風を切るような音がする。視線を巡らすと視界のすみで何かがきらりと光った。それがワイヤーソーと呼ばれる人体を切断する凶悪な武器であると気付くのに少し時間がかかる。
 糸を指ではじくのは珠月だ。
「せまい所は、私の得意な戦場だよ」
 音を立てて糸が生き物のように動く。達人技では説明しきれない動きに、緋葬架は意外な顔を浮かべて見せた。
「あらあら、異能者でしたのね」
 多少意外ではあるが予想外というほどではない。この学園には特殊な能力を持つ生徒が多数存在する。超能力者なのかミスティックなのかまでは、緋葬架の知識では判別できない。ただ現象から物体操作系の能力であることは読みとれる。本当は違うのかもしれないが、少なくとも現在のところはものを動かすという物体操作の能力が発現している。
「ふうん。サイキックだとしたら、かなり精度の高い使い手ですわね。ミスティックなら特殊能力でも付随しているのでしょうか。随分とよく動くこと」
 細い糸が銃撃を続ける男たちに絡みついた。そのまま五体がバラバラに引き裂かれるのを予想して、緋葬架は眉間にしわを寄せる。だが、食い込んだ糸はある程度のところで動きを止めた。一瞬、珠月が手加減したのかと思ったが珠月の表情を見てすぐにそうではないと気付く。
「はは、君が糸使いなことくらい知っているよ。ちゃんと防御はしてきた。糸ごときでは切断できないようにね」
 聞き覚えのある声が反響して響く。緋葬架は焦った。事態は中々好転しない。やはり通報しようと携帯に手を伸ばす。が、
「――――馬鹿なの?」
 心底不思議そうな声が響いた。相手の鬱陶しい笑いが止まる。
「何?」
「糸による攻撃は糸の種類を使い分けて人体や物体を切り裂くものだと思われがちだけど、ワイヤーソーならともかくそれ以外の操糸術は、本来人体の確実な捕縛を目的としているもの。死にはしなくても指一本動かせなく巻いておけば、戦線離脱させたも当然。後で撃って殺せばいい」
 淡々と珠月は言った。そして銃を持ち直す。
「まあ、おかげで糸を全部使ってしまったけどね」
 そして物陰から飛び出した。銃声はしない。このフロアの敵手はすべて拘束されている。ただひとり、遅れてきた男をのぞいて。
 銃声が響く。珠月の服の一部が持って行かれた。少量の血が飛び散るが、珠月は関知しない。走りながら横に銃を向けて撃つ。窓の外で銃を構えていた男とその援護役と思しき男が撃ち抜かれた。代わりに珠月の髪もひと房中に舞う。転がるように走って柱の影に逃げ込む。その柱に銃弾が当たってコンクリートと塗料が飛び散った。
「馬鹿はお前だ。相手がこのフロアにいる五人だけだと思っていたのか?」
 バラバラと足音がして人が駆けあがってくる気配がする。伏兵がいたのだ。緋葬架はライフルではなく拳銃を構えた。連射するならこちらのほうがいい。だが、
「下がっていて」
 短く珠月は叫んだ。同時に銃を構えて飛び出す。一足飛びに初めに飛び込んできた男に肉薄すると、下からの蹴りで銃を蹴飛ばす。銃身の向きが変わって標準がそれたと見るや、横から回し蹴りをくらわす。相手は銃を捨てて腕でそれをガードした。それを予期したように、相手の腕を踏み台に珠月は上に飛ぶ。飛びながら、自分の首に巻いていた黒いリボンをほどいて相手の首にひっかけ、それをそのまま天井の配管にひっかけて飛ぶ。つるべの原理で、珠月の身体が勢いをつけて下がると、相手の首が締め上がった。斜めからの絞殺は一瞬で動脈が締まる。数回痙攣して男は動かなくなった。
 洋服というものは人間が動き回ることを想定して作られている。そのためある程度の重さには耐えられるようにできているものだ。だからこそ、いさというときは防壁にも武器にもなる。シーツを結んだロープでも人間の体重を支えることができるように。
 緋葬架は小さく口笛を吹いた。予想に反して中々の奮闘ぶりだ。手慣れているともいえる。だが、それでも勝利には少し手札が足りない。緋葬架は口元を釣り上げた。これだけできるならまだ手札はあるはずだ。彼女は最後にどんな札を用意しているのだろう。考えて口元が緩む。
「これが本科生……」
 血が騒いだ。緋葬架の戦闘スタイル――遠くから一撃ずつ確実に仕留め、近くにあっては機関銃で撃破するような――とはまったく違う、小回りを最大限に利用し逃げ回りながらじわじわと削っていくような搦め手の戦闘スタイル。一見すると貧弱でせこいが、能力の低さや物理的な不利を機転と技で補っているともいえる。
「―――間に合ったか」
 唐突に珠月は呟いた。その声で緋葬架は思考の海から引き上げられる。
 鉄錆の臭いがする。くすりと珠月が笑う気配がした。
「確かに私は馬鹿だけど、真の馬鹿の称号はあなたにお返しするよ」
 敵に向かって珠月は微笑んだ。同時に、銃声がした。階段の下から。
「私が異能者だってこと、忘れたの?」
 珠月は顔をあげた。どろりとした血色の目に暗い光がともっている。
「私がどれだけ正確に物体操作をできたとしても、それを感知されては意味がない。だから、貴方達の包囲網の外に『武器』を出すことにした。忘れたの? 私のエイリアスが何かということを。まったく考えが及びもしなかったの? なぜ私が自分のエイリアスの元にもなっている武器を使っていないのか。ねえ?」
 白いシャツが自身の血で赤く染まっている。髪飾りも服もぼろぼろでみじめというしかない。けれども彼女は笑う。傲慢に高潔に。まるでここが自分の玉座でもあるかのような顔で。
 支配者はどんなときでも嘲笑う。小説で読んだ一節が緋葬架の脳裏に蘇った。王者はいかなるときでも周囲に人目がある。だから彼らは常に演じ、己を含めた周囲を欺き続けなくてはならない。自分が完全無欠の勇者であるかのように。だから、彼らは嘲笑う。
「――――死にたいの?」
 銃声が響き渡った。遅れて何かが飛びこんでくる。初めは人だと思った。それが黒い燕尾のコートを着ていてシルクハットをかぶっていたからだ。だが、すぐに違うと知る。それには目がなかった。髪も皮膚も肉もない。それは白骨だった。白骨が執事然とした服を着て武器を持っている。
「ど、髑髏?」
 緋葬架の中を目まぐるしく思考が駆け巡る。この学園でそんなものを武器とする人間は少数派だ。その中でエイリアスを有し、さらに物体操作の優れた能力を持つ異能といえばただ一人しかいない。
「イノセント……カルバニア…………!?」
 この世には、人類3KYOと呼ばれる人がいる。単独で世界と戦うことすら可能とされる三人の人外魔境としかいいようのないずば抜けた能力を持つ人間である。彼らをそれぞれ、人類最強、人類最狂、人類最凶と呼ぶ。
 その中の一人、“人類最狂”こと篭森壬無月には溺愛する一人の愛娘がいる。その名前は【イノセントカルバニア(純白髑髏)】篭森珠月。まだまだ無名に近い新人だが、トランキ学園の生徒の一人であり、“人類最強”の男の妹である望月遡羅と合わせて注目される生徒である。
 唖然とする珠月の横で白骨と人間の銃撃戦が始まる。勿論珠月も観戦しているだけではない。立て続けに銃を撃ち、弾が切れたと見るや刃物を抜いて切り込んだ。銃声と悲鳴と怒声が飛び交い、あっという間にその場は修羅場に突入する。
「あれが……篭森の娘?」
 数回打ちあった後、珠月のナイフが折れる。普通なら慌てて距離を置くか、それを捨てて別の刃物を取り出す場面だ。だが、珠月はさらに踏み込んで折れたナイフを相手の二の腕を狙って突き刺す。それが突き刺さったと見るや否や、軽く跳躍して体重をかけて押し込む。その勢いのまますれ違うように倒れて、背後からの攻撃をぎりぎりのところでかわす。完全に地面に膝をつくが、そのまま埃まみれの地面を転がって距離を置く。
「あれが本当に無二の鬼才の娘?」
 混戦状態では敵と距離を置くことは難しい。床に倒れた珠月に刃物が振り下ろされる。珠月は躊躇うことなく、右腕を左腕でかばった。振り下ろされた刃物を左腕で受ける。肉が裂けて血が噴き出す。だが洋物のナイフはそもそも切るのには適していない。ナイフは骨で止まる。その隙を逃さず、袖から出てきたナイフを握って、珠月は相手の腹部をついた。絶叫して男は倒れる。逆に刃物を抜きもせずに珠月は跳び起きた。歯を食いしばって、絶対に武器は手放さない。
「……戦闘の礼儀すらなっていない不意打ちに、泥だらけの白兵戦。戦争ではよく歩兵の間で起こることですがこれは――――少なくとも芸術的では御座いませんわね」
 緋葬架は肩をすくめた。
 よく、美しい戦闘スタイルは芸術品と称される。無駄のない最短の動き、わざと技が連続した舞いのような動き、武器同士のぶつかり合う音すら実力者同士のものは音楽のように聞こえる。どんなものでも突き通せば芸術なのだ。そう、人殺しさえも。けれど、彼女にはそれがない。あるのは絶対に敗北しないという意志だけだ。
 片腕が使いものにならなくなっても珠月は助けを求めてこない。あるいは緋葬架の存在すら忘れているのかもしれない。
 珠月が動く度に少なくない血が飛び散る。左腕はもう動いていない。露出した肌は自分と相手の血で赤黒く汚れ、服にも汚れがこびりついている。あれはもう着られないだろう。
「おかしな人」
 痛いのか泣きそうな顔で珠月は刃をふるう。すでにそのナイフも刃こぼれし、とても使いやすいとはいえない形状になっている。それでも只管に命を屠る姿は、ひどく狂気的だ。普通ならもうあきらめている。
 また小説の一節を思い出した。誰が言ったかは忘れたが、人間が生き方を決めるということは死に方を決めることだという。仕事中に死にたいなら仕事を見つけなくてはいけないし、愛する人に身取ってもらいたいなら愛する人を探さなくてはいけない。だから、理想の死にざまというのは理想の生き方そのものなのだ。
 戯言にすぎない言葉だが、緋葬架は嫌いではなかった。それを聞いたとき、緋葬架は純粋に見苦しくない死にざまを選ぼうと思った。這いずって泣き叫んで暴れて死ぬなんて御免だ。それくらいなら自分で幕を引くくらい潔さがいいと。でも、きっと彼女は違う。大者らしい称えられるような死など受け入れない。這いずって泣き叫んで最後まであがいて醜く惨たらしく死ぬに違いない。なんとなく緋葬架は思った。
 とうとう相手はあの男だけになっていた。銃弾が切れたのか自分の銃を投げ捨てて、相手も格闘用のナイフを抜く。ほぼ無傷の相手に対して珠月は満身創痍に近い。緋葬架はジャケットの内側に手を突っ込んだ。そこにはまだフル弾倉の拳銃がおさまっている。
「駄目だよ」
 小さな声がした。慌てて顔をあげる。珠月はこちらに背を向けていて表情は分からない。
「大丈夫だから」
 消え入りそうな声がもう一度した。大丈夫な人間の声ではないが、緋葬架は気付かなかったふりをする。そっと拳銃から手を離すと、珠月は笑った気がした。それが合図だったかのように両者は同時に踏み出す。
 ナイフによる攻撃の基本は刺突だ。和製のものならばナイフでも斬撃に対応しているものは比較的多く存在するが、いわゆるタガーの主な役目は突き刺すことによる攻撃だ。刺すことのみに特化したナイフも少なくない。
 間合いを一メートル程度にまで一気に詰め、互いに相手の急所を狙う。突きという攻撃の特殊性は受け流すということが非常に難しいことだ。受け流すにも受け止めるにもあまりにも的が小さいのだ。だから、基本的に避けるしかない。
 腕の長さの分、珠月が不利になる。それを補うために珠月は懐に飛び込もうと狙うが、相手はたくみにそれをかわす。互いに攻撃を防ぐには身体ごと移動するするしかなく、それだけに下手な長物より体力の消耗は激しい。
 ぐらりと珠月の身体が傾いた。床一面の血糊に足を取られて体勢が崩れる。
「っ――――」
 咄嗟に緋葬架は一度しまった拳銃に手を伸ばす。だが、間に合わない。倒れかけた珠月の胸にナイフが突き刺さった。勝負あった。誰もが確信した。だが、
「――――――!!」
 言葉にならない絶叫が上がった。胸にナイフの切っ先が突き刺さった瞬間、珠月は声をあげた。悲鳴ではない。言葉にならない何かを叫んで、彼女はその体勢から身体をひねって刃から逃れた。切り裂かれた胸から新たな鮮血が吹き出す。だが、ぎりぎりで致命傷ではない。驚愕に相手の目が見開く。入れ違いに、珠月の突きだしたナイフが相手の腹部に突き刺さった。
「何で……」
 ごほりと地の混じった泡が相手の口からこぼれた。
「何故だ? 死んだ……あれで勝負はついたはずなのに」
 ぐらりとその身体が前のめりに倒れ込む。それが床に音を立てて倒れたのを確認して、珠月も膝をついた。こぼれた鮮血が腕を足を伝い、床にも血が広がっていく。
「うるさい……お前なんかとは、覚悟が違うんだ」
 傷みに歯を食いしばりながら、珠月は顔をあげた。顔も血が飛び散っていて、涙でぬれた目じりはぐちゃぐちゃになっている。美的とはほど遠い顔で、珠月は吐き捨てる。
「私は生きないといけないんだ! お前のような相手に負けるものか」
「訳がわからない」
 血だまりに沈んだまま、愚痴るように相手は呟いた。
「まいったな。君は確かに彼の娘だ。訳わからない。おかしいだろ。普通、ああなったら諦めるだろう。心臓刺されておしまいだろう。あの男もそうだ。どうしてお前たちはやすやすと常識を越えていくんだ」
「お前の常識など知ったことか」
 珠月は断言した。そのままゆっくりと後ろに倒れる。
「心臓を刺されたとしてもそれくらいで私は諦められない。言ったでしょ? 覚悟が違う」
「こっちだって、死ぬ気でやってるんだ。君には分からずともな、“最狂”の娘」
 血を吐きだしながらもぶつぶつと相手は呟く。どこか嬉しそうな口調に、緋葬架は奇妙なものを覚えた。だが、珠月は気にせず死にそうな顔で死にぞこないと会話している。
「だから、だよ。死ぬ覚悟なんて誰でもできる。だって人間いつかは死ぬんだから。だから、いないといけないのは生きる覚悟だ。痛いよ。痛くて泣きそうだし、息をするのも苦しい。生きているのは痛い苦しい。それでも生きて生きて生き抜く覚悟が貴方にはない」
「君にはあるのかい……?」
 珠月は答えなかった。ただ、苦しげに胸を抑える。
「……一つだけいい?」
「恨みごとくらい聞くよ?」「貴方、お父さんのこと好きだったでしょう?」
 今度は相手が黙った。沈黙の幕が下りる。生きているものがほとんどいない空間には何の音もしない。
「君はさ」
 ややあって、ぼそりと彼は呟いた。
「生き抜く覚悟とやらをして、いいことはあったかい?」「まったく」
 珠月は即答した。互いに明後日の方向をむいて倒れたまま動かないので、互いの姿は見えていないはずだが、緋葬架から見える二人はどちらも薄く張りついた笑みを浮かべていた。緋葬架はゆっくりと立ち上がると、二人に歩み寄る。
「…………保健部への通報は必要で? 珠月さん」
「うん。手間をかけるねぇ」
 目を閉じて、珠月は頷いた。今度こそ、緋葬架は携帯電話のアドレスから学校の保健部――という名の救急医療センター――のアドレスを呼びだして、すぐに来てくれるように通報する。電話に出た女性は場所と状況を確認するとすぐに救援をよこす旨を伝えた。
「すぐに来るそうですわ」
 通話を終えると電話をしまって、緋葬架は珠月に言った。珠月は薄く笑う。
「うん、ありがとう。腕を動かすのもだるいんだ」
 今にも眠りこんでしまいそうな声で珠月は言った。今寝たらあきらかに意識不明になるというのに、えらく余裕のある態度だ。緋葬架は内心呆れる。
「本当に意地っ張りでがむしゃらな御方ですのね。けれどご存知? 一般的に潔く散る花は称えられても、意地汚くしがみつく雑草は嫌われるものですのよ?」
「知ってるよ。けど草の何が悪い? 泥水啜って汚泥の中を這いずり回ってそれでも生きて何かをしようとするような根性がないような奴に、草やら屑やらを笑う資格はないし、それでも生きないといけない人のことなど分かるまい。死は最後の苦痛だ。生きる苦痛に比べれば傷みは少ない」
 珠月は目を開けた。どろりとした血色の瞳が覗き込む緋葬架をさかさまに映している。
「生き抜くのは何より難しい」
「死ぬのも案外難しいですわよ。あら、あちらの御方、死んだのかしら?」
 静かになった敵を見やって緋葬架は小首を傾げた。だが、珠月は首を横に振る。
「ぎりぎり死なないように気をつけたつもりだから、多分まだ平気」
「あらまぁ、殺されかけておいてお優しいこと。それともあれですの? 知り合いは殺せないタイプの御方で?」
「まさか」
 珠月は笑った。張りついたような笑みではなく、苦笑の滲む笑みだった。
「殺したりなんてしない。まだまだ利用価値のある人間だ。死ぬ覚悟があるっていうなら、一度考え直して生きてもらわないと。生きて、私が生きるための土台になってもらわないといけない。知ってる? 雑草って何の上にでも生えるんだよ? 敗者は敗者らしく、餌になってもらわないと」
 さらりととんでもない支配者発言が聞こえた。緋葬架は聞き間違いかと相手を凝視する。だが、珠月は微笑んでいる。
「一度負けたことを楔にいくらでも鎖をつないでやる。殺したりなんてしない。こいつを確保しておけばいくらでも脅迫の材料はできる。徹底的に役に立ってもらうよ」
「容赦のないこと」
 緋葬架は呟いた。緋葬架には縁のない世界の話だ。緋葬架の仕事は頼まれた人間を始末すること。それによってどう政局を動かすかは緋葬架の預かり知らぬ話だ。だが、珠月にとってはその政局を動かすことのほうが仕事なのだと分かる。
「生き抜く覚悟は泥水をすする覚悟だ。どんなにみじめでも地面に這い蹲っても上を見る覚悟だ。敵も味方もまとめて生贄にして、自分の土台にする覚悟だ。そして最後は自分も誰かの餌にされて死ぬ覚悟だ。死ぬよりよほど恐ろしい。それでも何かを成し遂げたいのなら、生き抜かなくては何もできない」
 珠月は何もない空間に向かって血まみれの手を伸ばした。すでにその血は誰のものともつかない。
「心臓刺されようが、首を絞められようが、頭ぶち抜かれようが少しでも生きる望みがあるなら、手足が少しでも動くなら足掻く。それこそが人という貪欲な生き物に相応しい生き方だとは思わない?」
 呟く姿は汚れに塗れてひどく惨めで、それでも高いプライドだけは透けて見える。抑圧され、屈折し、卑屈で、それでもまだ諦めずに這いずってでも上に行こうとする浅ましさ。
「――――格好いい」
 ぽつりと感想が唇からこぼれた。珠月は虚をつかれた顔をする。しきりに瞬きをする姿はとても可愛らしく見えた。
「貴女、とっても格好いいですわ。その手段を選ばない芯の強さが格好いい」
「え…………はあ、どうも」
 膝をつくと緋葬架は珠月を覗き込んだ。珠月が緊張するのが分かる。今なら確かに、高確率で緋葬架は珠月を殺せてしまう。
「珠月様」「は、はい?」
 顔を引きつらせながら珠月は答えた。距離を取ろうとするのを、緋葬架は両肩を押さえてとどめる。
「私を手元に置く気は御座いませんか? 私、貴女から学びたいことが色々御座いますの」
「駄目」
 珠月は即答した。それから、しまったという顔をする。
「私は心が弱い人間でね」
 いいわけのように珠月は言った。
「基本的に私のために死ぬことが至上の喜びとか私のそばにいることで、何らかのそれこそ命に変えてもいい喜びを得られるようなそういう連中以外は身辺に置きたくないんだ。私のそばにいるというのは死ぬリスクを自ら引き上げるということだからね。貴女は何だかよく分からないけど私を好いていてくれるのだろうと思う。けれど、貴女にはもっと別に命をかけるものがあると思うんだ。だから、ダメ」
「決めつけないでくださいませ」
「見れば分かるよ」
 珠月は首を横に振った。
 この手の人間は一度駄目だと決めると梃子でも動かない。緋葬架は頬を膨らませた。
「部下にしないなら殺しますって脅すかもしれませんわよ?」
「そうなったら、私は貴女を殺す」
 珠月はまた即答した。緋葬架はびくりと震える。
「私を殺すかもしれない人間を部下にはできないし、私に刃を向ける人間は私の周りのためにも処理し尽くさないといけない。だからやめて。私は貴女と殺し合いたくない」
「どうやってもこの状況では貴女のほうが死にますわ」
「だとしても」
 緋葬架はため息をついた。お人形さんのような可愛らしい格好をしているのに、中身はお嬢様どころか大将軍だ。男前すぎる。そこで、はっと緋葬架は閃いた。昔聞いた噂が頭をよぎる。
「では、妹にしてください」「頭大丈夫?」
 本気で心配された。緋葬架は一瞬凹むがすぐに復活する。
「おねえさまと呼ばせてくださいな。二人で買い物に行ったり、一緒に料理したり、着せ替えしたりしましょう。それなら危なくないですわよ」
「妹……着せ替え」
 ちょっと心が揺らいだのが見えた。このアプローチはいけると緋葬架は確信する。
「私、これでも焼き菓子は上手ですのよ? 一緒にクッキーを作りましょう。それから、ひらひらした服も今までは動きにくいと思っていたのですが、案外と慣れればそうでないのかもしれませんわね。着てみたいですわ。見立ててくださいまし」
 ぴくりと珠月が反応した。緋葬架は心の中でガッツポーズをとる。
 イノセントカルバニアは、子供っぽくて可愛いもの好き。
 誰も信用しない噂を信用する日が来るとは思っていなかったが、本当だったようだ。もうひと押しと緋葬架は続ける。
「編み物やお人形作りもいいですわね。お人形とお揃いの服を私着てみたいですわ」
「お揃い……いや、でも……」
「私は髪が長いですし、髪の梳かし合いっことかパジャマパーティもしましょう。一緒に午後のお茶を飲んだり、夕飯をご一緒したりしますの。ねえ、おねえさま」
 可愛子ぶって小さく笑って見せる。正直、笑顔に自信はないが珠月は怯んだ。駄目押しとばかりに緋葬架は小首をかしげて見せた。
「笑ったほうが可愛らしいのでしょう? おねえさまと一緒なら笑える気がしますの」
「う…………」
 珠月は視線を泳がせた。そして、緋葬架がいるのとは違う方向に、ことんと首を傾ける。
「……………………仕方ないなぁ。そこまで言うなら好きにしたら?」
 視線を合わせずに珠月は答えた。何とも言えない高揚感が、緋葬架の胸に満ちる。
「か」
「か?」
 不審そうに珠月が首を元に戻す。眉間にしわが寄っている。
「か、可愛らしいですわ、おねえさま!!」「!?」
 万感の思いを込めて緋葬架は珠月に抱きついた。抱きつかれた珠月は胸の傷が悪化して入院期間が延びた。


**


 髪をすいている手がある。
 目は覚めたが起きるのが勿体なくて、緋葬架は目を閉じたまま寝たふりを決め込んだ。小さく含み笑いが聞こえる。
「こんなところで寝ていたの? 緋葬架。気分がいいのは分かるけど、直射日光はお肌の大敵だよ? お昼寝がしたいのなら寝台のうえがいいと思うな」
 目を開けると、夢の中の時より狭くなった視界の中で頭のすぐ上に夢でもみた顔が座っていた。夢よりは数年分年を取っているが、もともと年齢不詳の顔で背もあまり伸びていないであまり変わらない。彼女が差している日傘のおかげで、緋葬架の顔は日陰になっている。視界が狭いのは、片方の目を覆う眼帯のせいだ。出会ったときはまだ、緋葬架の両目は生身だった。今は片方の眼窩に本物よりはるかに遠くが見える義眼が詰まっている。
「おねえさま!」
 飛び起きてぎゅっと抱きつくと苦笑とともに頭を撫でられる。これが男なら間違いなくよくて足蹴、悪くて八つ裂きにされる。親しくない女でも窓から突き落とされるくらいはあるかもしれない。そもそも並みの相手では抱きつくことすらできそうもないが。
 数年間の関係性でそれなりの信頼は築けている証拠だ。緋葬架は頬が緩む。
「緋葬架……そろそろ離れて」
 やんわりと珠月は緋葬架を引きはがした。力を入れているようには見えないのに、あっさりと緋葬架の手はほどかれる。
「駄目ですの?」
 ぎゅっと服の端を掴んで涙目で見上げると、たちまち珠月は困り切った表情で押し黙った。本当に身内に甘い人だと緋葬架は思う。そういう弱さが可愛らしく、それと裏腹のしたたかさが格好いいのだが。
「そういう可愛らしいところを緋葬架はお慕い申し上げておりますわ。優しくて可愛らしいおねえさま!!」
 抱きつこうとした緋葬架を、珠月は反射的に身体を横にずらして避けた。そして、避けてしまってから取り繕うような笑みを浮かべる。
「中に入ろう。お茶を入れるよ。こんないい陽気に外にいたなら喉が渇いているでしょ?」
 ふわりと珠月は立ち上がった。緋葬架もほほを膨らませながら立ち上がる。
「私はおねえさまの入れたミルクティが飲みたいですわ」
「宗谷に手土産に持ってきたお菓子があるよ。茶葉はここに常備してあるものしかないけど、ミルクくらいはあるでしょう。さあ、行こう」
 二人の少女は本物の姉妹のような柔らかな笑みを浮かべて、屋上の扉をくぐった。


おわり
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