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First contact 戦原緋月&星谷遠

 道にうつぶせで人間が横たわっている。手は前に伸ばし、どうみても行き倒れだ。
 それ自体はスラム街などでは珍しいことではない。純粋なる疲労や空腹の行き倒れは勿論、行き場のない老人や家を亡くした人間、病人が道の端で横になっていることは珍しくない。たまにそこに薬物中毒者や強盗被害者も混じる。中には行き倒れのふりをして声をかけてきた人間から金をすり取るような悪質なものすらある。
 だが、学園内の比較的人通りのある場所にそいつは倒れていた。思わず凝視するが、夢でも幻でもなくそれはそこにいる。
「…………」
 戦原緋月。今年で14になる。
 現在のところ世界の頂点であり世界の覇者といってもいい十二の企業、黄道十二企業の一角ライザーインダストリーが次世代教育のために作りだした教育機関、巨大学園都市トランキライザーで生活している。数百万の生徒を抱えるこの学園は、弱肉強食の時代に相応しく、世界をあらゆる意味で変える人材が集っている。中には学生ながらも世界を相手取るつわものもおり、そういう人間の動向を探り、場合によっては殺害するのが緋月の仕事だった。そのために彼はわざわざ入学試験を受けて学園に潜入していたのだ。
 そう、すべては過去形。
 先日、色々と思い出したくもない人生の転機を終えたばかりで現在のところはただの学生ということになっている。暗殺業務は廃業し、所属していた組織との縁も綺麗さっぱり消えた。色々な意味で思い出したくもない。ある要人の暗殺を命じられたが、接触してみた相手は噂とはまったく違うただの変人で、それに油断していたら逆にこちらの身分を裏で探られた上に、その調査の過程で自分がその要人暗殺の罪をかぶされて切り捨てられるところだったことが発覚し、暗殺しようとした人物から警告を飢えた上にその人に身代金と交渉人を出してもらって組織から身請けしてもらうという、とんでもない事態など。組織と仲間に裏切られたことも、嫌な仕事のことも、身請けしてくれた相手のこともだ。可能なら全部忘れたい。
 自由にしてもらった件にしても、感謝はしているが正直な話途方にくれてもいる。身請けした以上、なんらかの命令をされるもの、最低でも手ごまとしてこき使われることを覚悟していたのだが、何を考えているのかたまに雑用を押し付ける以外は、「好きにしていい」の一点張り。今まで何かを好きにしたことがないのでどうすればいいのか分からないと懇願しても、「それくらい自分で考えろ。私の手を煩わせるな」と怒られるのだから、どうすればいいか分からない。今日も今日とて途方にくれていたところ買い物を命じられ、途方にくれていることを報告はしたのだが、「趣味でも作れば? 犬猫を飼うとか」と謎のアドバイスだけが返ってきた。
「……というか、犬を飼いたいのは自分じゃないか」
 ぼそりと緋月は呟いて、そこでやっと初めの思考に戻ってきた。時間に換算すると数秒も経っていないが、緋月の中ではそれなりに時間が立ったように感じる。
 そして問題だ。目の前に人間が落ちている。それも恥ずかしげもなく道のど真ん中に。
 無視するのは簡単だ。数日前の自分ならそうしていただろう。けれど、今は違う。違う自分になったとするのならば、ここは今までの生活習慣を変えてみるのもいいのかもしれない。それがきっと好きにするということなのだから。
「…………」
 飛びかかってくる危険性を考え、周囲に怪しい人間がいないのを確認してから荷物を道のわきに置く。両手がふさがっていると危険と判断してのことだ。次に周囲の高い建物などに人がいないか確認する。もともと視力はいい。特にスコープの類がないかよく確認して、何もないことを確認してから一歩近づく。頭のほうは避け、一番咄嗟の攻撃がしにくい脇腹の方向からゆっくりと近づく。接近すると、かすかに呼吸をしているのが分かった。呼吸音は正常で、ひとまず病人やけが人ではないと判断する。
「…………おい」
 少し離れた場所から声をかける。
「大丈夫か?」
 返答はない。足の先で脇腹をつつくと、唸り声のようなものが返ってきた。触った身体は柔らかく普通に生きているように見えた。しげしげと観察すると、垢もなく泥で汚れているが服もきちんと着ている。よくいる行き倒れには見えない。
「おい、こんなところで寝るな」
 結論として、緋月は道端で寝ている迷惑な人と判断した。容赦なく足で転がすと、相手の顔が見えた。人語にならないうめき声をあげて、そいつは目を開ける。同じ年くらいの少年だ。
「…………俺、死んだのか?」
「このままここにいると交通事故か強盗で死ぬ可能性は高い」
 寝ぼけている相手に冷静に緋月は教えてやった。そして、放っておいても平気と判断し、踵を返――そうとした。その足を倒れたままの男が掴む。
「……危ない真似はよせ」
 足を掴むなんて、相手によっては腕を切り落とされかねない危険で失礼な行為だ。緋月は眉をひそめて振り返る。そこで相手と目が合った。この学園では多数をしめる東洋系の顔立ちだ。髪や目の色が明るいのは欧米系の血が入っているのかもしれない。どことなくイヌ科の生き物を思わせる毛色だ。
「何か、用か?」
「助け……てくれ」
 とぎれとぎれの言葉に、緋月はかすかに緊張した。ただの変なやつというのは自分の読み間違いで、この相手は何か危機的な状況にあるのかもしれない。だとしたら、助けるのが筋だろう。緋月は判断する。自分も不本意とはいえ死ななければいけない状況から助けられた身だ。自分が助かって、他の人は助けないというのは不公平だ。
「追われているのか?」
 周囲を警戒しながら尋ねる。一応、相手に対する警戒も解かない。この学園の生徒は、緋月のターゲットだった相手も含め有名人や要人の親族、跡継ぎ、仲間などが多い。そういった理由から襲撃や誘拐に会う生徒は、多くはないが決して稀有ではない。彼もその類なのかもしれない。色々な可能性が脳内を駆け巡り、緋月は緊張した。だが、
「…………腹が減った」
 色々とあり得ない言葉が返ってきた。
 緋月は初めに自分の耳を疑う。
「はあ?」
「腹が減った」
 行き倒れという立場だけ考えるとおかしくない言葉だが、総合的にみるとこの場で述べるには相応しくない言葉だ。緋月はこめかみに手をやった。
「ちょっと待て。なんでお前はここで倒れているんだ?」
「課題……」
 ずりずりと何かのホラー映画のように這って、少年は足に絡みついてくる。数日前なら容赦なく踏みつけるか切り捨てるかしたところだが、現在の微妙な立場を考えると暴力行為は早々できない。
 緋月が迷っている間に、少年は片足に取り付く。
「課題が全然できなくて、飲食忘れてやってて……さっき提出して、倒れた」
「…………………………食堂にいけ」
 この学園において予科生と呼ばれる入学六年目までの生徒は、授業料や入学金の支払い義務がない。それどころか寮も食事も無償提供される。代わりに出される課題や試験を次々にこなさなければ本科には進めない。本科進学できるもの自体、全体の一パーセントとされる。そしてはれて本科にいって初めて、授業料が発生するのだ。
「三食は学園から提供されるはずだ。行って来い」
「この時間じゃ……やってない。あと、味が単一」
 時計を見る。確かに中途半端な時間ではある。食堂はきまった時間しか食事を提供してくれないので、今すぐに行っても食事は出ないだろう。
「買い食いでもして待てばいいだろう。通行人を巻き込むな」
「……食材の匂いがする」
 言われて、道のすみに置いた荷物を思い出す。中には米を初め色々な食材が詰まっている。すべて頼まれて買い出しに出たものだ。
「…………これは届け先が決まっているものだ」「目の前に飢えてる人間がいるのに、お前鬼だ……」
 理不尽この上ない。緋月は顔を引きつらせた。
 どうしよう。
 どうすればいいのかまったく分からない。分からないが、このまま放置して逃げると自分の人生にどんな影響を当たるかわからない。さりとて殺害などしようものならたちどころに身請け人の彼女に見抜かれてしまう。きっとひどく怒られるに決まっている。
 八方ふさがりに緋月は肩を落とした。暗殺業務や戦闘行為で予想外の事態が発生したん場合、とりあえず自分で判断をして余裕があれば上の判断を仰ぐものだ。だが、今ここで身元引受でもある彼女に連絡したとてろくな返答は返ってこないだろう。むしろ、訳のわからない用事で電話をするなと怒られるに違いない。
 どうしよう。
 本気で緋月は悩んだ。そして、ため息をともに決意した。
 片手で荷物をもって、もう片方の手で相手を肩に担ぎあげる。そもそもが戦闘要員なので生身の人間としてはかなりの体力があるし、気功も使える。だが、相手は重かった。筋肉量が多い人間の特徴だ。細いくせにやたらと重い。
「…………参った」
 だが、ここで投げ出すのも筋が通らない気がする。手を出したからにはどうにかすべきだろう。緋月はずりずりと相手の靴先を引きずりながら歩き出した。



 トランキライザー予科生女子寮前。
 待ち合わせ時間に遅れて現れた緋月を見て、彼女はとても複雑な顔をした。平凡とは言わないが、特に優れて美しいわけでもない顔をかすかにしかめる。顔立ちは普通でもその血の色をした瞳だけは奇妙に美しいと、緋月はいつも思う。
「……買い物ありがとう。お金足りた?」
「ああ、おつりは」「いらない。駄賃にどうぞ。で、それどうするの?」
 紅茶の茶葉の産地が指定したものと同じかを丹念に調べながら、彼女は尋ねた。無関心を装っているが、かすかに眉間にしわがよっている。心配されているのだと気付いて、緋月は複雑な気分になる。自分を殺したがった人間をそばに置く心理はいまだによく分からない。
「…………どうすればいいと思う?」
「そんな途方に暮れた顔しないでよ。私だって知らないよ。そもそも、その子はIDとか持ってないの?」
 言われて気づく。課題とか言っていた以上、彼はここの生徒であるはずだ。
 なぜか運ばれながら爆睡している少年の服を探ると、普通に生徒IDが出てきた。寮の前にもある末端で読みとらせるが、ロックがかかっていて分からない。キャッシュ機能も搭載されているのだから当たり前といえば当たり前だ。
「……まあ、IDあるってことは寮に入れても大丈夫なんじゃないの?」
 彼女はあっさり問題を丸投げした。緋月は苦い顔をする。
「…………部屋に入れていいのものか」
「いいじゃない。貴方のとこの寮もうちと同じでしょ? 寮っていっても寝室別の部屋だしミニキッチンついてるし問題ない。おかゆでも食べさせてからリリースすればいいんじゃないの?」
 野性動物保護みたいな言い分だった。それに、と彼女は続ける。
「犬欲しがってたじゃん」
「犬じゃないし、そもそも欲しがってません。記憶をねつ造しないでください」
「そうだっけ?」
 どこまで本気か分からない顔で、彼女は頭を傾けた。
「ま、乗りかかった船だし、悪人と判明しない限り面倒みてやるんだね。相談くらいは乗るよ」「あ」
 会話に飽きたのか適当なことを言って彼女は背を向けた。その背に向かって手を伸ばしかかるが、緋月は意識的にそれを抑えた。
 声をかけて何をいえばいいのか分からない。どうせ命令してほしいといっても、してほしいときに彼女は命令なんてしてこない。自分で考えるのは酷く疲れるから本当はやめたいのだが。
「…………肩に食い込む」
 人間一匹は案外重たい。
 二重の意味で重たい足取りで緋月はすぐ近くの自分の寮に向かった。



 寮に入るには色々と問題がある。まずは寮監、そしてルームメイト。だが、なぜか今日に限ってどちらの姿も見えず、緋月はあっさりと部屋に戻れてしまった。不可抗力による保護の放棄をひそかに期待していた緋月はがっかりする。だが、がっかりばかりしてもいられない。
 ベッドを貸そうかと思ったが、少年が薄汚れているのでとりあえず靴と上着を引っ剥がしてシーツにくるむと寝室の床にころがした。なんとなく死体処理っぽいがそこは仕方ない。上着は洗濯機に放り込み、靴は靴箱に隠す。一応身体検査をしてみたが、武器も怪我も病気も発見できなかった。しいていうなら、あんなところで行き倒れているあたり頭が病気だ。
 ルームメイトに説明しにくいので、寝室の扉はきっちり閉めて存在を隠す。そして、緋月は共有のミニキッチンに立った。
「………………」
 食材は何故かある。珠月が買い物の袋から色々抜いて押し付けてきたからだ。
 訓練の一環として緋月は一通りの料理を作ることができる。相手に薬物を摂取させるには、飲料か料理に混ぜるのが手っとりばやく、注射のように痕が残らないからだ。だが、病人や弱っている人間に料理を作る方法など知らない。そんな相手ならわざわざ料理に薬物を混ぜる必要などないからだ。
「……そういえば、長時間ものを食べていない人間相手にはすぐに食事を与えてはいけないんだった。確か重湯やパン粥を薄めたものや果実を搾ったものから始めるとか習ったな」
 料理の知識ではなく、兵士としての治療訓練の知識からあいまいな記憶を呼び起こして緋月は呟いた。そして、確かめように頷く。
「塩の強いものを与えるのもよくなさそうだ。となると出汁をしっかり取れば……あー、でもアレルギーがあったら困るのだろうか」
 ぶつぶつ言いながら、手にした卵はパックに戻す。卵は小麦やそばと並んでアレルギーを持つ人が多い物質だ。
「シンプルに……ネギなら入れても平気だろうか」
 勉強と自分の今後以外で頭を悩ませるのは随分と久しい気がする。傍から見たら不審だろう仕草で、頭をひねりながら緋月は調理を勧める。
 まずは昆布とかつおで出汁をとり、水洗いした米をたっぷりのだし汁で炊く。途中で味を調えつつ、おかゆらしきものを作っていく。だが、おかゆではない。
「…………俺は何を作っているんだ?」
 途中で本人も粥ではないことに気づいた。気付いたが、どうしたらいいのか分からない。これで誰かに助けを求めるのは間抜けだし、そもそも求められる相手がいない。
「………………」
 緋月はちょっと落ち込んだ。目の前の土鍋の中では、おかゆなのかおじやなのか自分でも分からなくなってきた何かが、ぐつぐつと煮えている。そろそろ火が通ってきただろう。
 その時、背後で音もなく扉が開いた。だが、出てくる人影は見えない。なんとなく予想しながら振り向くと、妖怪のように男が這い出てくるところだった。
「起きたか? あと、まともに歩け」
「……いいにおいがする」
 その前に『ここはどこだ』とか『お前は誰だ』とか色々聞くことがある気がしたが、面倒くさくなったので緋月は考えないことにした。
「飯……」「ほら」
 とりあえず何だかよく分からない米を炊いたものをうつわに入れて差し出す。相手が床の上にいるため、ほとんど動物に餌をやるような姿勢だ。礼をいって受け取ると、そいつはうつわを傾けて米を喉に流しこんだ。
「…………」
 中々衝撃的な食事風景だった。反射的に緋月はうつわを受け取ってもう一杯入れて渡す。わんこそばのようにおかゆもどきは一瞬で消えた。そこで緋月は正気に戻る。
「まて、急に沢山食べると毒だ。もうやめろ。もう駄目だ」
「美味い!!」
 緋月の言葉を完全無視して、キラキラとした顔で少年はうつわをつきだした。
「お前、すっごい料理うまいんだな。食堂の飯より美味いよ!」
 学校側が無償で提供する給食は、ごくごく一般的な味である。けしてまずいものではない。
「…………そうか」
 生まれて初めて仕事以外で褒められて、緋月は反応に困った。とりあえず、うつわをつきだされたので前と同じようにかがんで受け取る。
「……そろそろ立て。せめて座れ」
 少年は台所の床に座った。半分くらいしか通じていない。キラキラした目で見られて、緋月はとても落ち着かない気分になった。そして、視線に負けてもう一杯うつわに持って渡す。すでに鍋の中はほとんど残っていない。
「本当美味い! ありがとな。身も知らない俺にこんなもの食わせてくれて」
「…………ああ、気にするな」
 今まで付き合いがなかったタイプの人間に、変な汗をかきながら緋月は首を横に振った。妙に落ち着かない。
「もっと食べていいか?」
「もうない」
 緋月は適度な量だけ調理したちょっと前の自分を心の中でたたえた。だが、それを聞いた少年はしゅんと項垂れる。犬が落ち込むような仕草に、なぜかこちらが悪者のような気がした。だが、すぐに少年はまた顔をあげる。
「俺、星谷遠。空の星に山谷の谷で、遠い近いの遠。お前は?」
「あー……戦原だ。戦原緋月」
 勢いに押されるように緋月は挨拶した。遠はにこりと笑う。
「そっかよろしくな、緋月」
 後ろに下がる暇もなく、遠は緋月の手を握るとぶんぶんと縦に振った。緋月は目を瞬かせる。
「……お前は…………もっと警戒心をもったほうがいい」
「え? 平気へいき」
 天真爛漫に遠は笑った。
「美味いもの作れるやつに悪いやつはいない。お前も愛想ないけど、騒ぎ方とか知らないだけで根はいい奴だよな」
「いい奴?」
「ああ、本当にいい奴。俺が保障してやるよ」
 咄嗟に緋月は握られた手を振りはらった。遠はきょとんとした顔をする。
「俺は……違う」
「? おーい、緋月?」
「俺は人殺しだ」
 呟いて、緋月は座り込んだ。遠は目を丸くする。
 黄道暦現在においても殺人は犯罪だ。民間軍事会社など一部の殺人許可書を取得している会社ならともかく、そうでない人間が殺人を犯せば当然それは裁かれる。緋月は自嘲の笑みを浮かべた。
「気持ちが悪い。俺に障るな。俺はそんないい人間じゃない」
「へえ、人殺しなんだ」
 遠は口を開いた。まったく変わらない声色に、緋月は怪訝そうに顔をゆがめる。
「お前は……」
「でも関係ない。人殺しでも俺にとって緋月はいい奴だ。俺の勘は外れたことないから大丈夫だぜ」
 楽しそうに、嬉しそうに、心の底から遠は笑う。見慣れない表情に緋月はただ戸惑う。そしてかすかに笑った。
「人生楽しそうだな」
「おう、緋月も人生楽しむもんだぜ。あー、腹減った」
 今食べたばかりの人間の言葉とは思えないものを聞いた。緋月はかすかな頭痛を覚える。
「いや……だからな、長時間食べてない人間は……」
「あ、卵ある。卵ご飯食べたい」
「聞けよ」
 緋月のルームメイトが部屋に戻った時、そこには嬉々として大飯を食らう見知らぬ少年と見たことのない顔で頭を抱える緋月がいたという。それを見た彼は、静かに扉をしめて何も見なかったことにした。



「アニマルセラピーというわけではないけれどね、動物を飼う――自分が面倒見てやらないといけない相手ができるというのは生物を大きく成長させるものなんだよ。まあ、成長出来なかった場合、面倒見てもらう相手のほうが不幸になるわけだけど」
 数日後、新しくオープンしたカフェのすみでアイスティをかき混ぜながら彼女は言った。
「そういう意味では、良かったんじゃないの? 生き生きとしている」
「……頭痛薬がしばらく手放せませんでした」
「そういうこともある」
 あっさりと言って、彼女はストローを加えた。目が細くなって笑っているのが分かる。
「だって……放置すると肉とか栄養の偏ったものしか食べないだ。気を抜くと行き倒れてるし……ああ、もう訳が分からない。人の部屋にはずかずか入りこんでくるし、怒ったラ今度はひとを自分の部屋に連れていくし」
「縄張りに入れてもらえるなんて、懐かれてるのね」
 にこにこと彼女は笑っている。なぜ彼女が上機嫌なのか分からない。緋月は小さく息を吐きだした。この世は不思議なことで満ちている。
「楽しんでいるだろう……?」
「分かる?」
 悪びれた様子もなく、彼女は答えた。
「まあ、そのうち慣れるわ。緋月、お友達は大切にね」
「…………はあ」
 緋月はあいまいに頷いた。
「…………友達ってなんだ?」
「他人よ」
 にこにこと笑いながら彼女は言った。
「自分を映す良い鏡、それが他人。自分に足りないものを気づかせてくれるもの。足りないものを補ってくれるもの」
「そういうものか?」
「そういうものよ」
 その後、緋月と遠は長い付き合いをすることになる。


 おわり