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素敵な午後の過ごし方

 来客を告げる涼やかなベルの音がなり響く。現在のところ、この館、虞骸館の唯一の生きた人間の使用人であるミヒャエル・バッハは気が進まないままにインターフォンを使って対応した。
 一見すると何百年も前からこの場所に変わらずにあるように見える館だが、ここにできたのはほんの数年前だし、内部は最新式だ。電気は勿論のこと、インターネットも最新の設備が整っているし、防犯システムは下手な企業より立派だ。場合によっては企業の本部を攻め落とすより、この館を攻め落とすほうが難しいのかもしれない。
「今日は。ご無沙汰しております。ピーター・レインで御座います。本日は、篭森珠月様の御所望の品をお届けに参りました」
 カメラの向こうで、来客は深々と頭を下げた。家主の御所望の品という言葉にミヒャエルはなんとも言えない嫌なものを覚える。御所望の品というだけで中身を言わないことから、それが間違っても他人に聞かれたくない物体なのだろうことが予想できる。
「分かった。少し、待て」
 そっけなくミヒャエルは言った。ピーターはこの館によく来る人物で、ほとんど通いの使用人と言ってもいい人間のうちの一人だ。そして、ミヒャエルが寒い台詞を吐く友人の次に屋敷に招きいれたくない人間でもある。だが、家主が入ることを許可しているのだから仕方がない。救いなのは、彼が入れるのが庭と一階の誰でも入れる客間や応接室、遊戯室などに限られているのに対し、ミヒャエルは二階の廊下と一部客室までは入る許可をもらっていることだ。つまり、家主は彼よりはミヒャエルを信用しているということになる。これでもし、信用度があの男より低いといしたら、流石に身の振り方を検討しなくてはならないだろう。
 インターフォンを切ると、磨き上げられた床の上をミヒャエルはすべるように歩いて玄関へと向かった。建築家である彼の目からするとこの屋敷の作りはわざとやっているとしか思えないほどに無茶苦茶だ。基本はヴィクトリア様式なのに、扉や窓枠はアールヌーボー式の曲線を多用する装飾になっているし、サンルームはどこかスパニッシュスタイルを思わせる。各部屋もコンセプトによってまったく違う作りになっていて統一感がない。風見鶏とそれが突き刺さる塔のようになっている最上階の部屋はゴシック式だ。そこに時代も国も作り手もバラバラな家具が合わさって、まるでファンタジーの世界に誘いこまれたかのような錯覚を起こす。そこが好きでこの屋敷に居ついているのだが、同時にこの屋敷の設計をした人間はいったいどういう頭の作りをしていたのかと不思議な気持ちになる。
 やっとのことでエントランス前にたどり着くと、ミヒャエルは重い木の扉を押し上げた。そこは二階までの吹き抜けのエントランスになっている。今の時間、つりさげられたシャンデリアに明かりは灯っていない。代わりにミヒャエルの正面、玄関の丁度上に設けられた飾り硝子の窓から差し込む日光が、静かにエントランスと玄関を照らしている。
 襲撃者への警戒と来客への威圧のためか、この屋敷の玄関は独特の作りをしている。まずは玄関扉。扉の上に半円の飾りがある。透かし彫りのようにも見えるそれは、花のような綺麗な幾何学模様をしたステンドグラスだ。ステンドグラスといってもよく見ないと分からないほどの薄い色で、それが日の加減によって様々な色に見える。その下に両開きの玄関扉がある。こちらは木製で、上半分は透かし彫りのような飾りの入った木枠がはまり、その透かしの間を埋めるようにすりガラスがはまっている。
 玄関扉から中にはいると2.5畳ほど白と黒の大理石がチェス板のように敷き詰められたスペースがあり、その先にまた木枠とすりガラスの門がある。こちらには扉はなく、ただ文字通り『門』の文字のような形に硝子のはまった木枠がはまっていて、外と中を隔てている。おそらく、この2.5畳程度の空間から内こそが本当の屋敷の空間だと主張しているのだろう。その証拠に、玄関扉とその門のようなもの間の空間には、傘立てやベンチが置かれ、外から入ってきた人間がここで雫を拭いたり、泥を落としたり、できるようになっている。それでも、装飾に手は抜いていない。玄関扉の装飾は大したものだし、内側の門のようなものも年月を経た硝子独特の曇りがなんともいえない重みを生み出している。この屋敷が作られたのはごく最近のはずだから、ひょっとするとどこかに立っていた屋敷を移築したか、あるいは古い屋敷に使われていた素材を建築材料にしたのだろう。
 そこを過ぎると二階まで吹き抜けになった空間が来客を出迎える。エントランスの両脇には壁を伝うように手すりの装飾が美しい階段が作られていて、それは拭きぬけの回廊へと接続されている。丁度、泥を落した客がエントランスに足を踏み入れるとその両脇からまっすぐに階段が始まっている。階段は吹き抜けの空間の行き止まりで踊り場に当たり、90度折れ曲がって再び始めると、客の正面上にある吹き抜けの回廊の両端にと繋がっている。階段の合流点に当たる部分は繊細なデザインの透かし彫りのような手摺があり、演説をするバルコニーのように見える。回廊が吹き抜けになっている部分はここだけで、回廊はそのまま二階の客室や家主の書斎へ続く廊下になっているが、ミヒャエルはそこに客が入るのは数える程度しか見たことがない。来客自体は多いが、深部に入れる人間はごく少数だ。
「おっと」
 階段の踊り場にかけられた絵画が曲がっているのに気付いて、ミヒャエルはすぐに階段を駆け上がって直した。どうせ喜んで迎える相手ではないのだ。せいぜい待たせてやろうという悪意が湧きあがる。
 傾いていたのはつい最近掛け替えたばかりの絵だった。どこか暗い感じのする風景画だが、見る人が見ればそれが複製画だと分かる。玄関という場所は乱闘が起こる可能性がもっとも高いところであるが故、家主は本当に大事なものはけしてここには置かない。
 焦れたように扉が叩かれた。ミヒャエルは無視する。
 外の門はボタン一つで開くが、玄関扉は人間が開けないといけない作りになっている。内からも外からも鍵を使わないと開かない鍵も取りつけられており、来客のたびに玄関まで出迎えなくてはいけない。
 回廊の真下は、ミヒャエルがたった今出てきた両開きの重厚なドアだ。この向こうがまた廊下になっていて、一階の客間や食堂、遊戯室などの各部屋に続いている。敵が押し入ってきた時に敵の侵入を抑え、また敵の頭上を制するための作りだ。ついでに歓迎しない客が来る時は、客をこの回廊の上に立って出迎えることで自分の不機嫌さを示すこともできるのだと家主は言っていたが、どこまで本気かは分からない。
 また扉が叩かれた。嫌がらせも限界だ。ミヒャエルは苦々しい顔を隠そうともせずに扉を開けた。ミヒャエルを見ると、彼は慇懃に頭を下げた。
「御機嫌よう。我らが魔女殿の御機嫌はいかがで御座いますでしょうか?」
「来客中だ。よって帰れ」
 取り付く島もなくミヒャエルは言った。普通の客には絶対にしない態度だが、利益によって家主である女性に従属するという意味で同じ立場であるこの男相手なら問題はない。
「本日は何方がいらしていらっしゃるのですか? 黒羊の方々か、四十物谷調査事務所の方々か、それとも不死のお二人のどちらかで御座いましょうか? 商談であるならば、私は待たせていただいたほうがよろしう御座いますね」
 あくまでも帰る気はない台詞だった。ミヒャエルが扉を締めようとすると、彼は足を扉の隙間に入れてそれを阻止する。
「貴様は押し売りか!」
「主である方の客を家に入れないなんて、貴方のほうが問題で御座いましょう?」
「家主ではあるが、絶対的な主ではないわ! それに貴様のような輩は客とは呼ばん。貴様はせいぜい下僕だろうが!」
「下僕…………」
 普通なら激昂してもおかしくない言葉に、なぜか男は嬉しそうな顔をした。ミヒャエルは疲労感に似たなにかを覚える。
「いい……響きで御座いますね。下僕……わたくしの憧れる地位です」
「やはり帰れ」
 全身の力を込めて、ミヒャエルは扉を閉めようとした。だが、可愛らしいといっても差し支えない顔に似合わず、相手は武闘派生徒。同じく力を込めて扉が閉まるのを阻止する。しばらく無言の押し問答の末、あきらめたのはミヒャエルの方だった。手を離すとピーターは頑丈な扉を押し開いてチェッカー模様の床を革靴で踏みしめた。
「待機部屋にいましょうか?」
 古い洋館らしく、玄関扉をくぐってすぐ隣に小さな扉があり、そこは来客の従者のための待機部屋になっている。反対側にも扉があるが、そこは物置だ。たまに間違えて開けた客が倒れてきた箒の攻撃を喰らっている。
「ああ。本日の来客は、空多川さんと緋葬架さんだ。私がお伺いを立ててくるから、お前はここで待」
 振り返った先にピーターはいなかった。
 慌てて視線を巡らせると、ばたんと回廊の下の一階へ続く扉が閉まるところだった。ミヒャエルは青ざめながら、客の名前を出すべきではなかったとその時に気付いた。だが、もう遅い。
「ま、待て! この変質者!!」
 大慌てで追うも、戦闘系の生徒に追いつける道理などない。息を切らせながら家主と来客がいるサンルームに着いた時には、色々と厄介な光景が広がっていた。
「まったく、どうしようもない変態が」
「はい、その通りで御座います」
 部屋のすみに転がったピーターをげしげしと踏みつけながら、篭森珠月はぶつぶつと文句を言っている。それを見守る来客はどこかあきらめが混じった視線をピーターに向けている。
 ピーター・レインのエイリアスは【ミスターM(変態という名の紳士)】。そのエイリアスが指し示す通りに、彼は痛めつけられることに至上の喜びを感じる性癖がある。中でも好みの女性に好みの方法で罵られ踏みつけられることが至福の時らしく、ミヒャエルの家主である珠月との間に、踏みつける代わりに珠月が頼んだ仕事をこなすという嫌な契約を結んでいる。ちなみに、彼女の友人である朧寺緋葬架と空多川契もかなり好みらしく、隙あらば踏んでもらおうとしている変質者である。
 一通り蹴りとばして気が済んだのは、珠月は足を下ろした。フリルやリボンを多用したゴシック趣味の服がゆらゆらと揺れる。ピーターは嬉しそうな顔のまま身体を起こした。
「流石は珠月様! 良い蹴りです。この内臓をえぐるような衝撃、氷のような冷徹な視線――――たまりません」
 変質者の台詞に、珠月は冷ややかな視線で答えた。背後で契がケーキ用のフォークを握る。投げつける気満々なのが気になったが、ピーターは気にしていない。そして誰も止めない。
「ですが、ガーターベルトでストッキングを止めているのは素晴らしいので御座いますが、下着がドロワーズなのはよろしくありません! 黒い総レースの下着を……できれば、緋葬架様のようにTバックにガーターぐあっ」
 最後まで言い終わる前に契が投げつけたナイフがピーターに突き刺さり、珠月の靴底でピーターの鳩尾に沈んだ。ばたりとピーターは倒れたが、次の瞬間には起きあがる。珠月は盛大に舌打ちしたが、ピーターには通じない。
「痛い……ですが、ぞくぞくします」
「本当……ダメージ与えられないってストレスたまるな」
 ピーターのミスティックは、自分のダメージを溜めこんで他人に背負わせる能力である。よってだいたいのダメージは受けた瞬間に彼の肉体からは消え失せる。なぜか傷みだけは誰かに背負わせるまで続くらしいが、傷みを快楽と感じる彼にはどうでもいいことだ。
「ちょっと聞きたいのだけど……珠月のおねえちゃんの下着なんていつのぞいたの?」
 不機嫌そうに二本目のフォークを構えながら、契は尋ねた。緋葬架も頷きながらピーターを注視している。ピーターは胸を張って答えた。
「つい先ほど、蹴りとばされた時に見えました。伝統的な下着だとは思いますが、やはり露出が少ないのは男の夢を削ぎます。純白のレースという点だけは評価できまごふっ」
 静かにピーターの脳天に珠月は足を振り下ろした。三度、ピーターは床に転がるがすぐに起きあがる。声をかけることもできず、ミヒャエルは部屋の入り口で凍りついた。
「…………まあ、見てしまったものは仕方ないね」
 おそろしく冷静な声で珠月は言った。その平坦な声と無表情の裏に潜む怒りを感じとって、ミヒャエルは震えあがる。だが、ピーターは嬉しそうだ。それを見て、珠月は表情を険しくする。
「けれど、今後私の下着について意見したり、他人に触れまわったら――生まれてきたことを後悔させてやらないといけなくなる」
「…………あー、ごほん。珠月様。なぜ貴女様の下着についての話題を出したわたくしめと貴女様のお命を狙い、お友達まで手にかけようとした刺客への報復レベルが同じなので御座いましょうか?」
「私の機嫌の問題だ」
 珠月は言い切った。あまりにも大人げない理由を堂々と言われて、ミヒャエルもピーターも反論できずに固まる。
「…………申し訳御座いませんでした」
「後、なぜ緋葬架の下着を知っている?」
「あら、そういえばそうで御座いますわね」
 隙あらば熱湯の入ったポットを投げようとしていた緋葬架は、珠月の怒りが落ち着いたのを見てポットを下ろした。契はフォークを握ったままだが、投擲の姿勢は解く。
「それは、以前踏みつけていただいた時に見たからで御座いますよ」
「緋葬架……見える可能性があるような服を着る時に、そういう下着はやめなさい」
 珠月は嘆くように頭を振った。だが、緋葬架は頬を膨らませる。
「別にその変態に見せるための下着ではありませんわ。おしゃれです」
「それはそうなのだろうけど……」
「あ、でも珠月おねえさまならいくらでも見てくれて構いませんのですよ。今日は黒レースなのですけど」「見せるな! …………何を着ていても緋葬架は可愛いから見せなくていい」
 今にもスカートを脱ぎそうな緋葬架を見て、慌てて珠月は止めた。床に転がっているピーターと扉の手前でフリーズしているミヒャエルのことはすでに視界の外にあるらしい。
「むー、おねえちゃんも篭森のおねえちゃんになら下着見せられるのですよ。おねえちゃんは今日はガーターに網タイツで、緋色の」「対抗するな。服を捲るな」
 裾をぎりぎりまでまくりあげて惜しげもなく美脚を披露しようとした契の腕を掴んで、珠月は裾を下ろさせた。契はどこか不満そうな顔をする。
「おねえちゃんはセクシー路線を目指しているのですよ。下着はつけてるほうがエロいくらいで初めて意味があるのですよ」
 すらりとした足をのばしながら、契は言った。確かにそれほどメリハリのある体つきをしていれば、どんなものを身につけても見劣りしないだろう。珠月は肩をすくめる。
「目指したいなら止めはしないよ」
「なら私はおねえさま好みの下着に変更しますわ。ドロワーズとガーターベルトですわね」
 緋葬架も嬉々として口をはさむ。珠月は疲れたような顔で振り返った。
「別にドロワーズとガーターに格別のこだわりがあるわけじゃないし、短いスカートのときはドロワーズなんかはかないって……」
「あら、クラシカルでお似合いですのに。では、やはりコルセットと絹の下着を?」
「絹は嫌いじゃないけど、繻子のほうが……って、そろそろ下着トークやめない?」
「確かにこの変態に下着を見せる必要はありませんわね」
「ミヒャエルもいるから」
 珠月は親指で背後を指差した。気付かれていたことにミヒャエルはびくりと震えるが、おとがめの言葉は飛んで来なかった。
「視線と意識を遥か彼方に彷徨わせていて気の毒だ」
「おねえさまは、下僕どもの中でもミヒャエルには優しいんですのね」
「下僕ではなく、部下と取引相手と使用人だ。あと、現在唯一の居候兼住み込み使用人をあまり惨い扱いしてやるな」
 自分の諸々の言動はすべて棚にあげて珠月は言った。気付いていて無視して会話を進めていたあたり、一番性質が悪いのは珠月に違いない。
 ピーターはまだ床に這い蹲ってうめいていたが、しつこく立ちあがる。
「わ、わたくしならどんだけ惨い目に遭わされてもっ!!」「黙っていろ、変質者」
 珠月はピーターの頭を踏みつけて強制鎮圧した。ピーターは幸せそうに床に倒れたまま動かなくなる。色々な意味で見たくない光景だ。魂が抜けかかったまま、ミヒャエルは後であの辺の床を消毒しておこうと心に決めた。絨毯を敷いてあるから、クリーニングに出したほうがいいかもしれない。
「で……では、絹の靴下を! 靴下を贈らせてください。そしてそれをはいてわたくしめを力いっぱい踏みつけてっ!!」
 珠月は革靴でピーターを蹴りとばした。
「息の根を止めてやろうか、変質者」
「まあ、踏むうんぬんはともかく絹の靴下なんて素敵ですわ。おねえさまのお洋服にも似合いそうですわね」
「そう? 光沢がある素材はあまり身につけないんだけどね。綿や化学繊維のほうが機能面では優れていることも多いし」
「でも私、下着を保温性と洗濯面でのみ選ぶ女性は、卵子から女をやり直すべきだと思いますわ。女性に生まれたからにはその曲線美を生かさなくては」
「そこまで遡らなくても……」
 背後ではわりとぎりぎりな会話が続いているが、ミヒャエルは聞こえないことにした。聞こえないことにしないと命が危ない。そしてやめると言った割には一向に話題が変わる気配はない。
「そういえば、エンジェルエッグが出してるシャンプーが髪がサラサラになるって人気らしいねぇ。無駄な油分を落した後も必要な油分は残すっていうのが課題だと、以前エイミーが言っていたけれど」
「ああ、パックも出ましたねぇ。新しいの」
「あれは聞きますが、美しくなるためにやっている姿が美しくなくて……」
「美容の裏側なんてそんなものよ。私もスキンケアの時間は誰にも会いたくない」
 別の意味で聞きたくない内容に話題がチェンジして、ミヒャエルは変な汗が流れるのを感じた。美というのは案外人工的なものだ。それなりの金をかければ、大概の人間はある程度までは綺麗になれる。だが、そんな美の裏側など誰も知りたくない。
「あれ? どこに行くの? 給仕してくれないの?」
 こっそり退出しようとしたミヒャエルを珠月が呼びとめた。会話に熱中しているように見えても、きちんと周囲の様子は把握できているらしい。
「え……その……お掃除が……」
「? 二階の廊下の掃除なら午前中に終わってたでしょ? 一階の掃除は、今日はピーターの仕事だよ?」
 見ると何度か踏みつけられて満足したのか、ピーターは立ちあがって散らばった荷物を持ちあげると上着を抜いて仕事の準備に入っている。ピーターの本業は厄介事請負のはずだが、なぜかこの家の家事手伝いだけは別料金でやっている。こういう定期契約を結んでいる出入りの業者が色々と仕事をしてくれるため、ミヒャエルのような兼業使用人でも屋敷の維持に何の問題もないのだが――――
「…………皿洗いを」
「食器洗濯機が洗ってると思うよ。あと、晩餐は私が作るから」
「………………普段できないところの掃除を」
「一階は今度業者を入れるし、二階は以上は触られたくないものも多いからしなくていいよ。それにそう汚れるものでもないでしょ」
「……………………では、庭園の掃除を」
「うちの庭園って毒草だらけだから、手入れ面倒でしょ? 専門家がやるよ?」
「いえ、私もマルチな建築家として名をはせているもの。庭園の設計をすることもあります。毒草の扱いくらい心得ています。それに噴水の調子や屋根の状態も見ておきたいです」
「?? えらく今日は働き者だね」
 不思議そうに珠月は首を傾げた。こういう女子トークの間にいる男の居心地の悪さとやるせなさをまったく分かっていない。
「まあ、やりたいなら止めないけど。噴水と水路をいじってくれるのは歓迎だしね。ケイが喜ぶ。まあ、庭はわりと危険だからガウェインと行きなさい。あの子は毒草をかぎわける。なにか気になったら、こちらに確認して」
 ケイは珠月の飼っているペンギン、カヴェインはコヨーテである。珠月の家は人間の使用人より忠実な獣の数のほうが多い。
 許可が下りたことにほっとしながらミヒャエルは頷いた。
「かしこまりました。お任せください」
 いつの間にやら身に着いた優雅なお辞儀をすると、ミヒャエルは扉を閉じた。防音効果の高い作りになっているこの屋敷では、ドアを閉じれば会話はまず聞こえなくなる。心底ほっとして、ミヒャエルは大きく息を吐いた。そこに掃除用具をもったピーターが通りかかる。
「おや、扉に向かってため息とは随分お疲れで御座いますね。本職に影響が出そうならば、もう少し人手を増やしていただけるよう珠月様にお願いしてはいかがで御座いますか? ああ見えても案外とお優しいお方で御座いますから、言えば通いのものを増やしてくださるでしょう。ひょっとすると、住み込みの使用人や居候を増やしてくださるかも」
「お前が住み込むくらいなら増えなくていい」
 ぴしゃりとミヒャエルは言い切った。ピーターは肩をすくめてみせる。
「わたくしめと珠月様は厳密な利益関係以外の何ものでも御座いませんから、心配せずとも珠月様がわたくしを邸内に住まわせることはないでしょう。わたくしと致しましては、あの方が朝夕に踏みつけてくれるなら、それこそすべての依頼主を裏切って珠月様にお仕えする覚悟なのですが」
「それがキモいから倦厭されているんだ、馬鹿者め」
 しかし代わりになるものもいないため、雑用に使う。そこに珠月の複雑な心のうちと人間関係が見えてくる。
「キモいなどとは……わたくしは踏みつけられる以上のことは望んでおりません。あの寒い詩人と一緒にしないでいただきたい」
「気持ち悪さはさほど変わらんだろうが。そういうのを五十歩百歩、目くそ鼻くそを笑うと言うんだ」
「五十歩と百歩では確実に倍の違いが御座いますし、一般的な感覚として鼻くそよりは目くそがましと存じますが」
「あげ足取るな。慣用句だ」
 どうしてこの学園にはこういう訳のわからない性格や性癖の主が多いのだろう。ミヒャエルは遠い目をした。そういう彼は自分が建築につられて労働を対価に妙齢の女性の家に住み込んでいる建築馬鹿だという自覚はない。
 ミヒャエルはもう一度ため息をついた。
「おやおや。確かに女性同士の会話というものは我々男性を圧倒するものが御座いますが、考えても見てください。より美しくあろうと、金や時間に糸目をかけず自分を磨く姿を。そうやって磨き上げている美しさが目の前にある美だと考えれば、そのような価値ある美に見下されるなんて何て素敵なことだろうと、こう胸やもっと他のところにこみ上げてくるなにかが御座いませんか?」
「とりあえず、お前に対する不快感はこみ上げてきた」
「それは大変困ったことで御座いますね」
 物置から掃除機を取りだしながら、ピーターは軽く首をすくめた。掃除のためには掃除用のロボットもいるが、それでも手が届かない場所や繊細な家具のある周辺は人間が掃除するほうが確実で安全だ。会話をしながらも二人は歩き回る。
「あれだけ魅力的な女性が3人もいるのを見てなにも感じないなんて、男としてどこかおかしいのでは御座いませんか、とわたくしめは推測するのですが」
「…………とりあえず、お前の好みが気が強い女尊男卑な美女だということは理解した」
 美女や美少女に踏みつけられるのが好きなのと、女帝タイプの人間が好きなのは前から知っていたが、具体的な好みが分かってくると――一層うんざりした気分になる。
「違います。美貌もあるに越したことは御座いませんが、知的で能力値が高く、自分の魅力を引き出す術を知っていて、堂々としている支配者タイプの女性が好みなのです。ついでにクラシカルなドレスも大好物なので、珠月様が好みです。欲をいえば髪は長いほうが好みですし、珠月様は少し自虐的な面があるのがアレですが、それでも一番いい蹴りをしてくださいます。緋葬架様は顔だけみるならばもっとも好みなのですが、やや細すぎるのが気になるところで、契様は身体のラインはもっとも魅力的で艶やかな髪と陶磁器の肌が」「聞きたくない。黙れ」
 どこまでも続きそうな女性談義、しかも最悪な内容のトークを止めるべく、ミヒャエルはピーターの言葉を遮った。ピーターは残念そうな顔をする。
「要するに、自分よりはるかに優れた魅力的な女性に虐げられることに快楽を感じると言いたかったので御座いますよ」
「黙れ、変質者。もういい、庭園に行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
 陶磁器のカバーが掛けられて、見事に洋館の景観になじんでいるコンセントに埃がたまっていないかチェックしているピーターは振り向きもせずに答えた。ミヒャエルは鼻を鳴らすと、屋敷の裏庭へと消えた。




 庭園というのは意外と毒の宝庫である。例えば鈴蘭は可憐な外見に反して毒があり、切り花を入れた水を飲むだけで死に至ることもある。トリカブトやトロロアオイ、時キタリスも毒草だが、見た目はただの草だし花が綺麗なので誤って口に入れる事故がまれに起きる。毒ニンジンや内部に青酸系の毒を持つ梅の仲間も庭園ではよく見るし、木々に生えるキノコの多くは有毒だ。球根も毒があるものが少なくない。
「…………はあ」
 イギリス風庭園として作りかけて結局ゴシック趣味が勝ってしまったらしいこの屋敷の庭園は、色々な意味で一筋縄ではいかない。わずかな石畳の道以外は不思議な植物で覆われて見通しが悪く、そのあちこちに不気味な彫像が潜んでいる。中には本物そっくりの動物の石像もあり、本物と思って近付くとビックリする。ところどころにある凝った造りの街灯は夜になると人間の気配で明かりがつくようになる。
「いつに間に増えたんだろう……」
 堂々とトリカブトが群生している一角を見つけて、ミヒャエルはため息をついた。庭に立ちこめる邪悪な気配がそうさせるのか、やたらとこの庭は毒草の発生率が高い。動物が多いのによく事故が起こらないものだ。
 ふと横を見ると、モルモットが雑草を食べていた。そのうちの一匹が毒草を口にしようとしたところ、近くにいた兎が無言でモルモットの頭を踏みつけた。踏みつけられたモルモットは別の草を食べ始める。
「………………」
 庭園に毒草以外の雑草が生えない理由がよく分かった。この屋敷は人間の使用人あまりがいない代わりに、動物の使用人兼居候で溢れている。きっとあの兎やモルモットも大部分はどこかの研究所出身で、それなりの知能を持っているのだろう。少なくとも有毒性の植物を食べない程度の。
「………………低地はあのひとたちに任せておけるな。枝を整えるのと、庭園内の設備の点検をしよう」
 色々と見なかったことにして、ミヒャエルは踵を返した。石畳のど真ん中で寝ていた黒ネコを蹴りとばしそうになるが、何とか避けて噴水へ向かう。噴水はまめに様子を見ないと水が悪くなる。
 石造りの噴水は旧欧米の古い邸宅に良くある作りのどこか古代都市を思わせる建築だ。そこから吐き出される水は同じく石で作られた水路を流れて庭を横断し、排水路に消える。途中には何箇所か石の小さな橋がかけられていて、それを作ったのはミヒャエルだ。珠月が「ペンギンが泳げるくらいの広さで庭の雰囲気に合う水の流れるものを作って。噴水でも滝でもいいけど、庭を水路が横断する形になることが条件」と非常にアバウトな発注をしてきたのだ。値段を口にしない当たり、彼女の収入がおそろしい。公式な収入もたいしたものだが、非公式な収入があるのも間違いない。
 その水路をペンギンが泳いでいる。
「…………」
 ミヒャエルの記憶違いでなければ、あのペンギンも珠月の従者、つまりは使用人仲間ということになるのだが、奴だけが優雅に水泳をしている意味が分からない。名もないモルモットすら働いているのに理不尽なものを感じる。
「………………ケイ。水路の調子はどうだ?」
 たいして期待も込めずに尋ねるとペンギンは一瞬こちらを見て岸に上がった。そして、数回羽ばたくと再び水に飛び込んだ。水滴がミヒャエルまで飛んできた。
「…………良好、と」
 どうやら屋敷にいたくない日に限って本格的に仕事がないらしい。伸び過ぎたトリカブトでも刈ろうかと、ミヒャエルはちらりと視線を群生に向ける。しかし、場合によってはわざと放置している可能性もあるため迂闊にひっこ抜けない。引っこ抜きたければ、許可が必要でそのためにはあの空間に戻らないといけない。
「自分の仕事も今はないしな……」
 本職である建築家としての仕事は、この前大きな仕事を終えたばかりで今日はお休みの日だ。いっそのこと許可をもらって外に出てもいい。ミヒャエルは使用人ではあるが居候でもあるため、仕事をしたくないと言えばわりとあっさりと家主は許可してくれる。
 けれど、それでもあの空間に戻らないといけないことには変わりない。
「どうかなさいましたか? 怖い表情をしていらっしゃいますよ?」
 振り返るといつの間に現れたのかピーターがいた。ミヒャエルは眉をしかめる。
「何をしている?」
「わたくしの仕事は一階の部屋の掃除と庭園の管理ですよ。掃除機はかけ終わって、必要なクリーニングは業者に頼んだのでちょっと枝落としでもしようかと思ったのですが、思ったより伸びていなかったのでとりあえず、植物の状態を見ようかと。終わったら戻って床磨きをいたします。その頃には洗濯機も止まっているでしょうから、テーブルクロスの類も干せますしねぇ」
 本物の清掃業者並みの手際でピーターは家事をしているらしい。こいつの本職は厄介事請負のはずだがとミヒャエルは内心首をかしげる。それを表情から読みとったのか、ピーターは丁寧にお辞儀をしてみせた。
「証拠隠滅のために屋敷中クリーニングというような事態もあるので御座いますよ。わたくしのような仕事では。とくにフリーだと人手が少ないため、何でもできるようにならないとやっていられないで御座いますでしょう?」
「そんな事情は知らん……」
 こういうものを見ると、この変態的な性癖にも関わらず依頼が絶えない理由が分かる。そこではたと気付いた。
「お前は……すべての依頼主に踏みつけて罵倒してもらう報酬で雇われているのか!?」
「ミヒャエル様……頭は大丈夫で御座いますか?」
 この世でもっとも頭の心配をされたくない人間の一人に頭の心配をされた。ミヒャエルはひそかに落ち込む。それには構わず、ピーターは大きくため息をついた。
「ミヒャエル様……それでは生活が立ちゆきません。きちんと相場の金額の金銭をいただいて、依頼をこなさせていただいております」
「そ、それはそうだな……うん……」
 学園の成績ランキングには収入という項目もある。営利主義の今の時代、力が強いものよりも沢山稼ぐ人間のほうが偉い。そんな謎の報酬で雇われる関係があるわけがない。いや、あることにはあるわけだが――――
「すまん。少し混乱していた」
「まあ、そのお金でそういう商売をしていらっしゃる婦人に踏みつけていただいているのですから、間違いとは言い切れませんが」「やはり死ね」
 速攻でミヒャエルは前言を撤回した。
「わたくしから言わせていただきますと、貴方は若いのに枯れすぎで御座いますよ。うら若い貴婦人が楽しげにおしゃべりをしている空間から逃げ出すあたりなど、正気を疑います」
「下着について会話してる女のいる空間から逃げたいのは、普通の心理状況だ」
 どちらかというと、ピーターが普通ではない。
「変態め」
「何をおっしゃいますか。女性の目にうつる艶やかさを愛で、その柔らかさと優しさに癒され、強さと美しさにひれ伏すほうが健全な紳士というもので御座いましょう」
「健全でない思考が混ざってるぞ。この変質者」
 とりあえず、もろもろのもやもやはすべて目の前の変質者にぶつけることにして、ミヒャエルは拳を握った。




 庭先が騒がしい。音声が聞こえてくるわけではないが、なんとなく動物が落ち着かない様子で動き回っているのがサンルームからでも――むしろ、サンルームからだからこそ分かる。
「おねえさま、変態が何がしているのではありませんの?」
「喧嘩かなぁ。あの二人、見るからに気が合わないもの。ミヒャエルは真面目だから」
 おっとりとした口調で返事をすると、珠月は優雅にお茶をすすった。事態の解決に協力する姿勢はまったく見られない。
「うにゅー、ぼこるならおねえちゃんも協力するのですよ」
「悦ぶだけだ。無視しなさい。それより、もっとケーキはいかが?」
「わー、ブラウンシュガーのチーズケーキなのです!? 幸せ……」
「緋葬架はおねえさまといるだけで幸せですわ」
「あー、はいはい。それにしてもさわがしい男どもだ」
 庭とサンルーム。男女に分かれて虞骸館の午後は更けていった。

おわれ