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「のんびり船旅を終えて、例の遠縁のところに着く頃にはほどよく一連の事件にほとぼりが冷めているでしょう」
「一か月も船旅なんて聞いてないわ」
「良いではありませんか。海原のドレスに揺られてゆったりと過ごすのも、良い経験です」
 三人は港にいた。港からは大きな客船が出発の準備に追われている。第一次非核戦争後、人間の移動手段としての船の需要減ったが、それでもゆったり旅をしたい人間というものは一定数存在する。いまだ海の多くで汚染が残っているというのに、それでも旅をしようというのだから人間はたくましい。
「金銭的なものはすでに口座名義が写りました。家と物品は船に後から追い付きます」
「家ごと引っ越ししなくて、売り払っても良かったのに」
「本当に?」
 織子は黙った。この二人にはなんでも見透かされてしまう。
「はいはい。分かってる。ありがとう。父と過ごした大切な家よ。ばらして運んで組み立て直すわ」
「少しは素直になったな」
「おかげ様で」
 織子は肩をすくめてみせた。
「もうすぐ時間だ」
 荷物を抱えた客が急いで桟橋に向かって歩いていく。それを見て、織子も旅行鞄を持ちあげた。
「本当になんてお礼をいえばいいのか……ありがとう。いつかあなたたちが困ることがあったら、何でも言って。全力で手伝うから」
「あはは、ありがとう御座います」「余計なこと考えずにさっさと幸せになれ」
 ジェイルは笑って、雫はそっぽを向く。これもすっかりなじんだ光景だ。
 胸が痛い。糸がほどけていく感触がする。
「本当に……ありがとう。忘れないわ」
 乗船を促すアナウンスが織子をせかす。この船に乗って、織子は遠縁の親戚のところへいく。きっと二人にはもう会えない。漠然とそう思う。自由になった織子に、二人は合いたがらないだろう。
「また、会いましょう!」
 それでも、姿が見えなくなるまで織子は手を振り続けた。


**


 一月後。船は予定通りにアメリカ大陸のある企業都市に到着した。重い鞄を引きずって船を降りると、待ち構えていた品のいいおばさんが走り寄ってくる。
「織子ちゃんね?」
「はい、はじめまして」
 佳代子と名乗った女性は嬉しそうに織子の手を握ってぶんぶんと振った。
「話は聞いたわ。本当に大変だったのね」
「ええ。でも、すごく親切な人が助けてくれたんです。黒雫さんとジェイル・クロムウェルさんと言って、なんとあのトランキ学園の生徒なんです」
「まあ」
 トランキ学園という単語に、佳代子は目を輝かせた。世界最高峰のエリート養成機関の名前は伊達じゃない。
「どんな方たちだったの? 道すがらきかせて頂戴」
「えーとですね。黒雫さんは見た目は人のよさそうな普通の人なんですけど、五重人格ですごく能力が面白くて」
 歩きながら織子は話す。自分が経験したことを。
「で、本当は優しい人なんです。ジェイル・クロムウェルさんは」
 ふいに織子の声が止まった。胃がぎゅっと縮こまるような感覚がする。何かがいけない。何かがおかしい。本能が警鐘を鳴らすが、何か分からない。
「あら、どうしたの?」
「いえ……クロムウェルさんは…………とても綺麗な人です。明るい髪の……」
 綺麗な人だったことは思い出せる。けれど、彼はどんな顔をしていただろうか。何をしたかは覚えている。けれど、彼は何を言っていただろうか。いや、そもそもいたのか。行動を起こしたからにはいたはずだ。でも、どの位置にいただろう。いや、いて当たり前だ。
「とても……優しくて優美な……」
 思い出せない。おかしい。おかしい? 何がおかしいのだろう。これではいけない。何がいけないのか。何かを忘れたような。彼と大事な約束をした気がするのに、思い出せない。思い出せない? そんなものない?
「素敵で…………」「織子ちゃん、どうしたの!?」
 驚いた顔で佳代子がハンカチを織子の顔に押し当てた。それでやっと織子は自分が泣いていたことに気付いた。だが、なぜ泣いていたのか分からない。高ぶった感情が急速に冷めていく。
「ごめんなさいね。怖いことを思い出させて」
「いえ……違う。違うんです。ただ」
 織子は自分の手を見下ろした。今、自分が何を考えようとしていたのか思い出せない。感じた違和感すら気を抜くと消えてしまう。けれど、
「ごめんなさい。私、何か大事なことを忘れてしまったような気がして……」
「色々あったんだもの。仕方ないわ」
 慰めるように、佳代子は織子の背中を叩いた。そして、宥めながら歩き出す。
「はやく家にいらっしゃい。きっと落ち着くわ。血のつながった身内同士ですもの」
「ありがとう御座います。でも……」
 奇妙な喪失感を感じながら、織子は顔を覆った。
「忘れたことはきっと、絶対に忘れたらいけないことだったはずなんです。どうして忘れてしまったんでしょう」
「大丈夫よ」
 いたわるように骨ばった手が背中を撫でる。
「きっと大丈夫。忘れても泣きたくなるほど大事なことなんだもの。平気よ。忘れてもなくなったわけじゃないわ。またいつか巡りめぐって貴女の前に現れる。本当に大事なものというのはそういうものよ。人もものもすべては繋がりあって未来へ進んでいくのだから」
 歩く二人の先にはほっそりした道が続いている。
「さあ、家に行きましょう。私たちはわたしたちの先へ進まないといけないのだもの。大丈夫。いつか思い出せるわ。思い出せなくても、壊れたわけじゃない。いつかまた繋がる日もくるでしょう」


**


「そ。見送ってきたの。解決おめでとう。報告なんかいらないから、私の家に入ってくるな。ついでに死ね。出来るだけはやく苦しんで死ね」
「そのような強い言霊ばかり、呟くものではありませんよ? 月の姫君」
「お前が言葉で死んでくれるなら、私は呪われてもいいよ。もう死んでくれ」
「ふふ、私のためなら呪われてもいいなんて……なんて情熱的なのでしょう」
「お前……本当に都合のいい言葉しか聞かないな!!」
 篭森珠月は腹立ち紛れにハーブティの入った硝子のカップをジェイルの目の前の床に叩きつけた。硝子の破片が飛び散り、熱い紅茶が絨毯に染みを作る。ジェイルは一歩退いてそれを避けた。
「おや。硝子が可哀想なことになってしまいましたよ?」
「大量生産品よ。それに硝子は割れるものだ」
 噛みつくような目で珠月はジェイルをにらんだ。今日は怒っている。普段無表情な顔が、この時ばかりは激しい感情をあらわにする。
 壊れた硝子のカップを珠月は靴で踏みつけた。音を立てて硝子はさらに細かく分かれる。
「――――――何の用なのよ?」
「いえ。月の姫の声が聞きたくなったので」
「私はできることなら貴方の声なんて、二度と聞きたくなかったよ」
 ジェイルが踏み出した瞬間、珠月は立ちあがって距離を取る。ただ椅子の横に立っただけ。まだ逃げない。けれど、いつでも逃走や迎撃に入れる姿勢だと、分かる人には分かる。
「貴女は旅人が見つけた灯火。船を誘う人魚の歌声。詩人が焦がれる月の都。寝台で子どもを魅了すお伽噺。僕は貴女を追わずにはいられないのです」
「嘘ばかり」
 珠月の瞳に暗い色が宿る。どろりと赤い血色の瞳がジェイルを睨みつける。常人ならば戦慄するその視線に、ジェイルは笑みを返した。
「ああ、やはり美しい。人の業そのもののような血と肉と腸の赤色。僕はこの色が、世界を彩る星より多い色の中で一番好きですよ」
「赤い瞳がお好みなら、大好きな後輩と見つめ合っていたら? 赤色の目なんて、今時珍しくもないでしょう? それにお父様はもっと綺麗な色よ」
 視線を遮るように珠月は軽く自分の目の前に手を掲げた。ジェイルは残念そうな顔をする。
「あいにくですが、同性の後輩と見つめ合う趣味はありません。それに違うんですよ。実りの赤、紅玉の紅、高貴のくれなゐ、炎のアカ、沈む夕暮れ、鳩血色、錆、溶鉱炉、そして血肉。すべて違う『赤色』です」
 ジェイルは一歩近づく。そして珠月が距離をはかろうとした瞬間、踏み込んで腕を掴む。合気道の要領で振りほどこうとするのを力の方向をずらして回避し、逃走経路を断つため壁に押し付けて抑える。少し力を込め過ぎたのか、壁に急に落ち付けられて圧迫された肺から洩れた空気がか細い悲鳴になった。気にせず、しっかりと捕まえて顔を覗き込む。血色の瞳が、苛立ちと不安と恐怖と込めてしっかりとジェイルを見つめている。
 ジェイルだけを見つめている。
「この赤が――僕は一番好きなんです」
 うっとりとジェイルは囁いた。
 手足の拘束は珠月に対して何のアドバンテージにもならない。珠月はミスティック――現代の魔術師で、しかも能力は物体操作だ。手足を押さえても周囲にあるものを手足よりもすばやく確実に操作して攻撃してくる。だが、それで攻撃されることがないことをジェイルは知っている。
 珠月はジェイルを殺せない。なぜなら、ジェイルを殺せばそれはジェイルに対する恐怖感――つまりは自分の弱さを認めてしまうことになるからだ。しかも、珠月はジェイルの情報をほとんどもっていない。殺した場合に何を敵に回すか分からない相手を不用意に傷つけるほど、珠月は愚かではない。
「――――触るな。汚らわしい」
 怯えの混ざった瞳をうっとりとジェイルは眺めた。自分を見ている。いつでも見てくれる、大嫌いな自分自身と真逆の人間。
「怯えないでください。もう貴女が怖がるようなことはしませんよ」
「うるさい。つまらない感傷に人を巻き込むな」
 珠月は吐き捨てるように言った。ジェイルは苦笑する。
「お見通しですか。流石は月の姫。すべての罪を見通すという閻魔の業鏡はこういうものでしょうか。互いにお見通しなんて、相性がいいと思うんですが」「私、自分の中身見られるのが一番嫌い」
 ジェイルが最後まで言い切る前に、珠月はぴしゃりと言い放った。怯えていようが、逃げられなかろうが口は条件反射的に動く。ジェイルは感心した。
「ふざけないで。織子を送ってきたんでしょ? 忘れられるのが寂しいからって私に絡まないで。迷惑」
「だって寂しいんですよ」
 珠月の髪をひと房掴んでジェイルは答えた。指先でとらえた黒髪はさらさらしているのに乾燥してはおらず傷んでいない。きっと時間と金がかかっている髪なのだろう。磨き上げられたものより天然を尊ぶ人間が多いが、ジェイルからすれば努力もせずに初めからあるものがなぜ一生懸命作りあげたものに勝るのか分からない。
「人間の人生というものは、運命の女神が紡ぐ糸です。糸は一本では何もできません。他の意図と絡まりあって一枚の布を織り上げるんです。でも、僕が関わる糸はいつもすぐに切れてしまう。寂しいんです。構ってくださったっていいじゃありませんか」
「大事なことを忘れているよ」
 身をよじって、珠月はジェイルの腕を振り払おうとする。
「糸と糸が絡み合っても、それだけじゃ布にはならない。糸が互いにうまく織り合うことができて初めて布になるんだ。ただ繋がったり、一方がもう一方に絡みつくだけじゃ、ただの毛玉、ただの縛め。何も生み出せはしないよ。手を離して。私は貴方なんか嫌い」
「すり抜けていくくらいなら、いっそ身動きが出来ないほどからみついてしまえばいいのに」
 珠月の髪を指に搦めて、ジェイルは呟いた。直後、かすかな金属音がして目の前に銃口が突きつけられる。並みの戦闘者ではとても対応できないほどすばやい動きだった。だが、肝心の引き金は引かない。
「――――お前は夢でも蜃気楼でもない」
「ええ。貴女にとっては。月の姫。その他大勢の御方にとっては、背景に蠢くその他の人々に埋没して、ただの影か亡霊にしか感じられないでしょうが」
「そうだね。貴方は亡霊だ」
 引き金を引く寸前まで力を込めた指がかすかに震える。少しでも加減を間違えれば、鉛玉がジェイルの頭部を襲うだろう。だが、二人とも顔色一つ変えない。万一そういう展開になってもジェイルは防ぐだろうことを互いに知っているからだ。
「忘れられるということは消えるわけじゃない。記憶の底に沈みながらも絶えず影響を与え続け、思い出せない故にその影響力は永遠に解消されない。物理的にいたという事実は消えないのに、記録からは消えてしまう。それがどんなひずみを与えるか、お前は気づこうともしないんだ。ああ、お前は亡霊だよ。消えているくせに、いないくせに、永遠に何かを縛りつける」
 声も表情も淡々としている。だが、その裏に渦巻く感情は隠れていない。殺気混じりの追い詰められたような気配に、ジェイルは苦笑する。
「考えすぎですよ。月の姫」
「ただの真実だよ。世界が縁だというのは認めるよ。けれど、縁は繋がり合うばかりじゃない。断ち切りあって、絡み合って、縛り合うのも縁だ。お前は勘違いしている。お前はすでに十分に世界と繋がっているよ。どんな形であれ」
 うっすらとジェイルは微笑んだ。
「ああ、だから僕は貴女が好きですよ。真実を見通すくせに、現実は直視したがらないところとか」
「お互い様じゃないか。本当、死ねばいいのに」


**


 空が広がっている。近頃のシティはどこもドーム型で自由に風を感じることなどできない。けれど、この学園は別だ。見渡すとどこまでも広がる世界が見える。勿論、世界のすべてが見えるわけではないが、そういう気分にさせてはくれる。
 煙草を吸うわけでも、星に見とれるわけでも、杯を交わすわけでもなく、黒雫は夜空の下にした。足元の朽ちかけたコンクリートの建物はいまは使われていない。遠くからにぎやかな楽器の音や酒精を出す店に出入りする男女の歓声が聞こえてくるが、今この瞬間、この空間だけはひどく静かで世界と隔絶されている。
 それでも空だけは同じように広がっている。
「お、いたいた。本当にいた。何してるのよ? 携帯繋がらないから、わざわざサイキックの知人に探してもらわないといけなかったわよ?」
 無駄ににぎやかな気配に、雫は振り向いた。錆ついた非常階段を軽快な足取りで登ってきた少女がにこりと笑う。
「……峨家下先輩」
「はいはい、峨家下神楽さんですよっと」
 ふざけた口調で現れたのは、雫の保証人でありかつて所属していたリンクの上司だった峨家下神楽だった。いつもどおり全時代の学校制服に似た服装で長い髪を編んでいる。黙って座っていればクールな外見をしているのに、口調と動きがすべてを台無しにしている。
「何か用ですか?」
「いやぁん、可愛い後輩が落ち込んでるんじゃないかと思って現れてあげた先輩につれないお言葉」
 目元を押さえて、神楽は嘆いてみせた。だが、雫は騙す気がないその嘘泣きを無視する。
「恩着せがましい言い方ですね」
「そしてツンデレ。だが、そこがいい」
 クールな文学少女ぶりが台無しな台詞を吐いて、神楽はやれやれと首を横に振った。
「久しぶりに誰かと一緒にいたみたいだから、『また僕の多重人格のせいで誰かを傷つけたんじゃ~』とか『離れてよかったんだ』とか考えて青春の悩みに浸ってるんじゃないかと思って、おねえさんが励ましにきたわけなのよ」「帰ってください」
 脳が言葉の意味を飲み込む前に、脊髄反射で雫は答えた。あきらかに馬鹿にしているとしか思えない。だが、神楽は帰るどころかとことこと近付いてきて、雫の首に背後から腕をまわした。身体が密着する。
「自分のせいなんて思っちゃだめよぉ? 多重人格っていうのは脳の障害だし、雫の場合は対内のオド領域との関係もあるし、あなた自身にはどうしようもない不可抗力だわ。でも、そのおかげで最強キャラ並みな能力持てるんだから、むしろラッキーくらいに思わないと」
「ほしくなかったですけどね。断ち切るだけの能力なんて」
 首に絡んだ腕に力がこもった。驚いた雫の後頭部に神楽の頭突き攻撃がさく裂する。
「自分を卑下しない! 断ち切るだけだとして、それの何が悪いっていうのよ」
「人間は繋がって大きな輪を描いていくものなのでしょう? 糸が整然と絡み合って一枚の布を作るように」
 再び頭突き攻撃が雫の後頭部を襲った。女性に背後から抱きつかれているというおいしい状況にも関わらず、痛みだけが雫を襲う。
「……何なんですか?」
「縮れ織りって知ってる? 超マイナー伝統工芸の布の織り方。あと編み物にどれくらいの種類編み方があるか知ってる?」
「知りません」
 意図するところが分からないながらも雫は答えた。にたりと神楽は笑う。
「あんた本当に馬鹿ね。理路整然と互いに絡み合うだけが布の織り方だと思ってるの? 世の中には互いにからめ合う編み物って方法もあるし、縮れ織りなんかは使い道のない短い糸くずを寄り合わせて布に仕立てる方法よ? 一方通行だろうと短かろうと噛み合ってなかろうと、二本以上糸があれば紐なり布なりは出来るの。できちゃうもんなのよ。それにさぁ、考えてもみなさい。断ち切るという行為がもしできなかったら、その織物は永久に完成しないのよ?」
 雫から離れると、神楽はばしばしと雫の背中を叩いた。
「元気出しなさい。傷つけたり断ちきったりするのも立派な仕事。それ含めて全部が、あんたの生きた軌跡になるのよ。安心していいわよ。ちゃあんとあんたの紡いだ糸は未来へ繋がっていくから。保障してやる」
「…………上から目線のアドバイスどうも」
「まー、素直じゃないわね、この子は」
 男の子同士がじゃれてやるように雫の首に手をまわして、神楽は空を指差した。
「ほら、空が広いよ」
 つられて雫も暗い空を見上げる。
「世は事もなし。心配しなくても、生きている限り道は続くし、勝手に糸は絡んで布になる。人生なんてそんなものよ。みんな繋がってるの。だって、同じ空の下だもの」


Tie《英》
意味
1.結びつける。くくる。あるいは結ぶもの。紐。
2.結び目。飾り結び。
3.[通例 ~s] つながり、きずな、縁
4.縛りつける。重荷、足手まとい、束縛、拘束。
5.同点、引き分け
……

《おわり》