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ねこ日和

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kagomori

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ねこびより

 学園都市トランキライザー、ウエストヤード。
 バザールからほど近いビルの間。西区は建物が密集した地域が多いが、この周辺も例にもれず建物同士が密接している。比較的治安がよい商業地域なので、道がそこそこ綺麗なことが救いだ。
 そこを歩いていた不死川陽狩は、ふとある看板を見つけて足を止めた。水紋と葉っぱの透かし彫りの看板とすりガラスの扉。ドアの横に置かれた看板には、『骨董商 水葉庵』と書かれている。少し考えて、その店が校内でもっとも有名な骨董商&鑑定士の店だと思いだす。直接の面識はないが、彼女の友人の幾人かとは知人だ。話には聞いている。
「骨董屋で修復師といいながら、実際は骨董以外の品――――オーパーツすら扱っていると聞きますが……」
 分かりにくい位置にあるため、あえて来ようとは思わなかった。だが、興味がないわけではない。幸い、時間は有り余っている。
 開いているのか閉まっているのか分からない店の扉を開くと、上部に取り付けられたベルが涼やかな音をたてた。一見するとあまりにも無防備だ。だが、陽狩の感覚はあちこちにつけられた防犯カメラや強盗避けのシステムの存在を感知する。ただの変な店ではない。
 中に入ると視界を遮るように棚が並んでいる。店の奥はまったく見えない。まるで迷宮だ。配置された棚が邪魔で、大人数が踏み込もうとしたり銃撃戦を仕掛けようとしてもうまくいかないようになっている。
 慎重に足を踏み入れると背後で重たい音を立てて扉がしまった。防音が施されているのか、扉が閉まった瞬間、室内は無音になる。
「……ごめんください」
 かたりと小さな音がした。人間が立てるには小さな音だ。音が下からしたので、陽狩は視線を足元に向ける。すると棚の間から毛むくじゃらの生き物が現れた。一瞬犬でもいるのかと思ったが、良く見るとまったく形状が違う。足が短く胴が長いそれは、陽狩が見たことのない形状をしていた。一瞬身構えるが、その生き物は陽狩を見上げただけで踵を返した。そして、棚の間の曲がり角で止まる。陽狩が一歩踏み出すと、その生き物も少し前に出る。その動きで、それが案内役なのだと気付いた陽狩はゆっくりと歩き出した。陽狩の歩幅に合わせてその生き物も前進する。
 店内は狭く見えて奥に広い作りになっているようだった。ぐねぐねと棚のあいだの曲がりくねった通路を進むこと少し、陽狩はやっと店の奥らしき場所へとたどり着いた。

「いらっしゃいませ」

 壁一面に取り付けられた引き出しと、重厚な木製の作業机。その間に背もたれが大きな肘掛椅子に座った少女がいた。髪につけた小さな髪飾りが動く度にきらきらと光る。どこかアジア調なデザインの服が妙に似合っている。一目で東洋系と分かる顔立ちだ。
「…………冷泉神無?」
「はい」
 記憶から掘り起こした名前を呼ぶと、少女はにこりと微笑んだ。
 天才【アルヴィース(賢きもの)】冷泉神無
 学園を代表する骨董商であり、修復師であり、鑑定士であり、完全無所属でまっとうな商売をしつつトップランカーに名を連ねる希少な存在である。異能があるわけでもなく、コネがあるわけでもなく、特殊な家の出身でもなく、犯罪に手を染めたわけでもない、至極まっとうな生徒だ。陽狩には中々縁がないタイプの人間である。
 陽狩が黙って観察していると、神無のほうも陽狩を見つめてきた。何故か視線が顔に集中している気がする。
「…………そういう貴方は不死コンビの片割れ、不死川さん。はじめまして、以後よろしく」
 陽狩が黙り続けていると神無のほうが口を開いた。学園でも指折りの殺人鬼を目の前にしているとは思えない軽い口調だった。敬意が払われていない軽さではなく、気負いがないという意味での軽さだ。
 神無に戦闘系の生徒と戦えるほどの戦闘能力はないはずだ。しかし、彼女は怯えるでも警戒するでもなく、平然と椅子に座っている。その肝の据わり方に陽狩は感心した。しかも堂々としていて嫌味ではない。
「そうですね。よろしくしてもいいかもしれません」
 にやりと陽狩は笑った。にこりと神無は笑う。
「それは良かった」
 そしてじっと陽狩を見つめる。警戒する視線ではなく、何かを鑑賞するような視線だ。陽狩はかすかに顔をしかめて見せた。
「私の顔に何かついていますか?」
「んー、美形だなと思って。目の保養。戒さんも美形だけど、あっちは線が細いわんこ系美少年。不死川さんは細身の猫系美青年」
 予想の斜め上をいく返事が返ってきて、陽狩は口元を釣り上げた。それは面白いものを見つけた時の彼特有の表情だったのだが、神無はそんなことは知らない。
「私の顔が好みですか?」
「うん、美形は人類の財産だよ。ところで、本日は何をおもとめで?」
 あっけらかんと答えて、神無は唐突に話題を変えた。陽狩は面白くなさそうな顔をする。
「私の顔が好みなら口説いて差し上げるのに」
「あはは、美形は鑑賞物だから口説かなくていいよ。本日のお勧め品は、昨日港に届いたばかりの香炉の数々。大陸のほうで買い付けたんだ。今なら香木も種類が揃っているよ」
 ほらと近くの棚を指差して神無は言った。振り返ると頑丈そうな棚に細やかな細工の香炉がずらっと並んでいる。陽狩は肩をすくめた。
「私は香炉に用事がありそうに見えますか?」
「全然」
 神無は言い切った。そして椅子に座り直す。椅子の背もたれがぎしりと音をたてた。
「それで、本当は何の用? 繍ちゃんも篭森ちゃんもこっちにはいないよ?」
 神無の友人であり陽狩の知人でもある少女の名前を上げて、神無は小首をかしげて見せた。どうやら、噂を聞いているのはお互い様らしい。
「――――用はありません。通りすがりに気が向いたから入って、気が向いたら貴女を殺してみようかなくらいに思ってました」
「おやおや。気は向きそう?」
 焦った様子もなく神無は答えた。いまだに席から立ち上がろうとはしない。その剛胆さは友人である篭森珠月に通じるものがあるが、あちらが計算に基づいた傲慢さを滲ませているのに対し、こちらはどこまでも自然体だ。それ故に、肝の据わり方に苛立ちよりも好感を覚える。これは、生かしておいたほうが楽しいタイプの人間だ。
「なにか……面白い商品はありませんか?」
 神無の質問に答える代りに、陽狩は質問を返した。それだけで意図は伝わったらしい。神無は少しだけほっとしたように頷いた。
「面白いものね。学術的に面白いものは色々あるけど――あなたが面白いならこういうものかな。知人からもらったんだけど」
 壁の引き出しの一つを開けて、神無は銀色の袋を取り出した。一見すると入浴剤かなにかが入っていそうに見えるが、パッケージには何も書かれていない。
「またたび」
「私を何だと思っているんですか?」
「ん? まあネコ科っぽい生き物とは思うけど」
 神無はじっと陽狩の頭の上を見つめた。そこに空想の猫耳を描いているのだと気付いて、陽狩は怒るよりさきに呆れた。周囲には色々な意味でいないタイプの人間だ。本当に良い根性をしている。
「……生きたまま解体したら泣き叫びますかね?」
「生きたまま解体されたら、死んじゃうよ?」
 ずれた返事が返ってきた。わざとだ。睨みつけるが効果はない。神無は銀色の小袋を作業机の上に置くと、陽狩に向かって押し出した。
「超強力またたび。まくと猫がどんどん寄ってくるらしいんだけど、うちにはネズミ科の生き物がいるからねぇ。良かったら、譲るよ」
「ネズミ?」
 骨董屋に鼠がいるのは問題ではないだろうか。陽狩は眉を寄せた。その表情に気づいて、神無は視線を床に落とす。
「げっ歯類。今、あなたの足元にいるカピバラ」
 陽狩は視線を足元にやった。道案内をしていた毛むくじゃらの生き物がいる。どうやら、これは世界最大のげっ歯類、カピバラであったらしい。
「いや、私は猫に興味ないので」
「まくと猫がいっぱい来るんだよ? 何に振りかけてもまっしぐら」
 袋を手に持って、神無は差し出した。その目に悪戯っ子のような光が宿っているのを見て、陽狩は神無の言葉を心の中で反芻する。そして、閃いた。すぐに手を伸ばして袋を受け取る。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 何かが通じ合った。


**


 不死原夏羽は、久々に陽狩がない時間を楽しんでいた。仕事も今はない。つまりは何をやるも自由。残念ながら、法華堂戒に喧嘩を売ろうとしたら彼は外回りで席をはずしていたが、それはまあいい。得物は他にもいるし、空は晴れ渡っている。きっと今日は良いことがあるだろう。他人にとっては悪いことかもしれないが。
 そんなことを考えながら歩いていた夏羽は、不意に気配を感じて飛びのいた。だが、少し遅かった。粉状の物体が頭から振りかかる。
「毒か!?」
 慌てて口と鼻を押さえ、粉末の侵入を防ぐ。同時に転がるように距離を取って振り向いた。その視界に入り去るスーツの後ろ姿が見える。
 確認するまでもない。相棒の不死川陽狩が全力で走り去るところだった。地面には粉が入っていたらしい切り裂かれた袋が転がっている。
「…………何だ?」
 夏羽は首を傾げた。陽狩がムカつく悪戯を仕掛けてくるのは珍しいことではない。喧嘩を売ってくるのはもっと珍しくない。だが、逃げていくのは珍しい。
 腕に着いた粉を夏羽は少しだけなめとった。ポピュラーな毒やクスリなら舌先で判別できる。だが、それは何だかよく分からなかった。木の粉末のような気もするが、確信はもてない。とりあえず、害があるものではなさそうだということが、夏羽をますます混乱させる。
「何が……」
 呟きは猫の鳴き声にかき消された。視線をむけると一匹の虎猫が足元に擦り寄ってきたところだった。毛がジーンズにつく。ついでにスニーカーの上から肉球で足を踏まれた。
 夏羽は猫が嫌いではない。だが、べつに好きでもない。懐かれる理由もなければ、懐かれたこともない。奇妙に思いながらも夏羽は虎猫を追い払おうとして――――別の方向からまた別の猫がじゃれついてきた。その猫を追い払おうとした指に、また別の猫がじゃれつく。驚いて手を引っ込めると、猫に当たった。
「はっ?」
 周囲を見渡す。いつの間にか、大量の猫が夏羽を取り囲んでいた。咄嗟に逃げようとした瞬間、頭に重たくて暖かいものが跳びついてきたのを皮切りに、次々とふかふかしたものがのしかかってきた。
「ぎ、ぎゃあああああああああ!?」
 半年ぶりくらいに、夏羽は絶叫した。


**


 よく知られていることだが、四十物谷宗谷には道に落ちているものを拾ってくる癖がある。それが粗大ゴミくらいならいい。手先が器用な彼は、拾ってきた家具をリメイクしてかなりセンスの良い部屋を作る。問題は、動物や人間を拾うくせがあることだ。彼の事務所の所員の何割かは、そうやって拾って来られた人間だ。
 彼が何故ものを拾うのか。それは四十物谷宗谷という人物が人間の縁や業というものを信じているからだ。
 そんな彼は、今日もまた気になるものを見つけていた。
「――――――妖怪?」
 ビルの間の細い道に、色とりどりの毛皮がある。それはもこもこと動いていて、しかもにゃーにゃーと泣いている。数回瞬きをして、宗谷はそれが猫の塊であると理解した。数十匹はいる猫が押し合いへしあい一か所に集まっている。
「猫のおしくらまんじゅう……ってことはないよね。なんだ、これ?」
 猫玉と呼ばれるものがある。涼しい季節に陽のあたるところに集まった猫たちが団子状に絡み合っている光景だ。だが、猫玉は間違っても数メートルにはならない。
「何が出るかな? 何が出るかな?」
 ためしに猫を数匹引きはがしてみるが、はがすさきから猫は猫玉の中に戻っていく。無限ループだ。宗谷は早々に猫をはがすのを諦めた。かわりに周囲を見渡す。道に入る手前のところに小さな商店がある。宗谷は持ち上げていた猫を下ろすと、その商店に向かった。花を扱う店だ。
「ごめんください」
 声をかけると、人のよさそうな店主は振り向き、振り向きざま凍りついた。トップランカーを見慣れていないのだろう。宗谷は外見に特徴があるので、見ればそれとすぐにわかる。店主の顔は引きつったまま笑みを作った。
「い、いらっしゃいませ」
「ちょっとお願いがあるんだけど」
 視線を巡らして、宗谷は入り口のわきにある水道とそこに繋がれたホースに視線を止めた。
「水をまきたいんだけど、ちょっとホースと水道貸してくれない?」
「は?」
 店主はぽかんと口をあけた。そして、慌てて口を閉じる。
「ほ、ホースですか? ええ、いくらでも」
「悪いね」
 そう言って、宗谷はバケツからカスミ草を一輪抜き取って少なくない量の金をカウンターに置いた。慌てる店主に微笑む。
「これ買うよ。釣りはとっておいて」
 そして、本来の目的であるホースへと向かう。幸い、十分な長さはあるようだった。それを確認して、宗谷は水道を全開にひねった。勢いよく水が飛び出す。通行人が迷惑そうに水を避ける。宗谷はずりずりとホースを引きずると路地に戻った。そして、ためらいなく猫の塊に水をぶっかける。
 なんとも表記しにくい叫び声が上がった。ずぶぬれの猫がちりじりになって逃げていく。どこからか聞こえてくるのは猫に驚いた通行人の悲鳴だろうか。
 そして、濡れて泥まみれになった路上には水を頭からかぶった不死原夏羽が残された。
「…………」
「…………やあ」
 夏羽と宗谷はしばし見つめ合った。互いに何が起こったのか分からず、回答を求めるように相手の顔を見つめる。だが、すぐに回答が得られないことに気づいて夏羽は立ち上がり、宗谷は小走りで店に戻ると蛇口を閉めた。そして、ホースを片づけるとすばやく戻ってくる。カスミ草は握りしめたままで、それがまた意味不明感を強めている。
 再びの沈黙。先に口を開いたのは宗谷だった。
「…………何してるの?」
 一番的確な言葉だが、こういう場合往々にして相手にもそれが分からないことがある。案の定、夏羽はぼつりと呟いた。
「俺は散歩をしていたはずだ。十五分前までは」
「その十五分間が問題だと思うんだけど」
 三度の沈黙。すっかり猫の姿はなくなっている。戻ってくる気配もない。それに気づいて、夏羽は顔をしかめた。
「とりあえず、助かった」
「良く分からないけど、どういたしまして。ところで、君って猫好きだったっけ?」
 宗谷は首を傾げた。夏羽は嫌そうな顔をする。
「あほか。好きじゃねえし、好きだったとしてもあそこまで集めねえよ」
「じゃあ何で切り殺さないんだい?」
 心底不思議そうに残虐なことを宗谷は言った。宗谷は人畜無害の平凡そうな顔つきをしているくせに、やることはかなりえぐい。それを知っている夏羽は嫌そうな顔をする。
「作戦のうちの気がしねえか?」
「何の?」
「陽狩の仕業なんだよ。あいつが切りかかりもせず、謎の粉を俺に振りかけただけで立ち去るなんてただ事じゃない。きっと何かを企んで」「ああ、そういえば」
 宗谷は天を仰いだ。奇妙に爽やかに空を見上げる。
「この辺はドナルドの巡回ルートに近いからねぇ。猫の断末魔って結構響くし、切り殺してたら今頃」「やっぱりかぁああああああああ!!」
 夏羽は頭を抱えて絶叫した。苦笑いでそれを見つめながら、宗谷は続ける。
「けど、君が気功なしで起きあがれないほどの量の猫が君にのしかかってたわけで――僕が通りかからなかったら、遠くないうちに窒息してたね。うん。流石は陽狩君。性質が悪い」
「ダブルバインドかよ」
 宗谷は水びだしの道から、その『粉』を探そうとしたが、激しい水圧のせいですっかり粉は洗い流されてしまっていた。すぐに諦める。
「猫が集まったということは、何らかの猫が好む成分を凝縮したものだね。人体に被害はないと思うけど、どこから仕入れたものやら。ルートはいくらでもあるとはいえ、わざわざ買ってくる性格とは思えないんだけどな」
「そんなことはどうでもいい」
 勢いよく夏羽は立ちあがった。
「ぶっ殺してくる」
 そして全力で走り去る。宗谷は手を振ってそれを見送った。
「………………ぶっ殺すかぁ。その台詞、もう千回くらい聞いた気がするんだけどなぁ」


**


 乾いたベルの音がしたので、神無は読んでいた紙の本を机に置いた。この店によく来る人間は数人いるが、そのどれでもないことは予想ができている。
「こんにちは」
 端正な顔で残虐な笑みを浮かべた陽狩に、神無はにこりと微笑み返した。
「その顔だとちゃんと猫は集まったみたいね」
「おかげさまで。四十物谷に邪魔されたので、思ったよりつまらない結果に終わりましたけど。今頃、街中探しまわってるでしょうね」
 何をとは言わない。それでも伝わる。
「ここにいるとは思わないよね」
 けろりとした顔で片棒を担いだはずの神無は答えた。完全に他人事だ。
 棚の間をすり抜けて、陽狩は広いスペースに出る。足元をカピバラが通り過ぎた。気付かなかったが、店主席の後ろの引き出し壁と反対側、通路や棚群とこの場を仕切るように置かれた棚の前に木製の椅子が置かれている。木製とはいえクッションが仕込んであり座り心地は悪くなさそうだ。背もたれと足には凝った掘りモノがなされている。
 だが陽狩は、その椅子の存在は無視して店主の机にもたれた。
「他に面白いものは?」
「たかっても何も出ないよ。あれはサービス」
「代金払いましょうか?」
「そもそも変なものなんて、普段は置いてないしね。先週なら猫耳とか兎耳とか置いてあったんだけど。知人からもらって。あ、猫耳似合いそうだね」
 神無はじっと陽狩を見つめた。あまりにも無遠慮に見つめられて、陽狩は苦笑いを浮かべる。
「付けてあげてもいいですが、代金は高いですよ?」
「おや、客と商人が入れ替わってしまったね」
 神無は軽快に笑った。
「でも見たいかも。絶対、似合う」
「褒めていると思っておきますよ」
 陽狩はゆっくりと机を回って、椅子に座ったままの神無の前に立った。そっと手を伸ばす。だが、指先が神無の髪に触れる直前で動きを止める。
「――――何をしている? 不死川陽狩」
「いやですね。友人同士のコミュニケーションの邪魔をしないでください」
 漂う殺気に笑顔で答えて、陽狩は振り返った。いつの間に入ってきたのか、ほんの一メートルほど後ろに一人の少年が立っていた。服に着いた羊のチャームが揺れる。
「いらっしゃい、戒さん」
 室内に漂う緊迫した空気などものともせず、神無は新たな登場人物に挨拶をした。戒と呼ばれた少年はかすかに表情を変えてそれに答える。珍しいものを見て、陽狩はかすかに眉を跳ねあげた。
「ふうん、案外と誰にでも餌づけされるんですね。流石は羊。低能だ」
「エドワードを侮辱するな」
 静かな声で戒は答えた。挑発するように陽狩は笑う。
「あなたの忠義を侮辱しただけですよ」
「いい度胸だ。それより、冷泉から離れろ」「嫌です」
 室内にぴりぴりした空気が漂う。神無はため息をついて机を叩いた。
「室内は乱闘禁止。そこの棚一つでいくらすると思ってるの?」
「分かってる。しない」
 不穏な目つきで陽狩をにらんだまま、戒は答えた。その反応に、陽狩は驚いたような顔をした。そして、すぐに笑みを深める。彼の笑顔にろくなことがないことを知識として知っている戒と神無は身構える。
「……神無さん?」
 陽狩はにっこりと笑った。いつの間にか呼び方が名字から名前に変わっている。神無は目を瞬かせた。
「何?」
「私の顔が好みなんですよね? なら、近くでじっくり見てくれてかまいませんよ? 耳も付けて差し上げましょうか?」
 すばやく手を伸ばすと、陽狩は神無を抱き上げた。どちらかというと小柄な部類にはいる神無はあっさりと椅子から持ちあがる。椅子から抱きあげられた神無は、驚いた猫のような悲鳴を上げてじたばたと暴れた。その耳元に、陽狩は口を寄せる。
「暴れると落ちますよ?」「下ろせ」
 どすのきいた声で言われて、陽狩は肩をすくめると神無を一応下ろした。だが、腰に手を回して逃げることは阻止する。しかも神無を床に下ろしたことで自由になった左手を神無の顎に添えて、自分の方を向かせる。
「はい、下ろしました」
「…………殴っていい?」
「ただのスキンシップです。怒らない、おこらない」
 にこりと陽狩は微笑んだ。直後、陽狩が飛びのく。陽狩の身体があったところを高速で武器が薙いだ。器用なことに、直撃していたとしても陽狩だけを切り裂いていたであろう軌道だ。
「何をするんですか、神無さんに当たったらどうするんですか?」
「当てるか」
 神無を抱えて避けた陽狩は、心配そうな顔をして見せた。戒の顔はこわばっている。
「面白半分で知人に手を出すな」
「面白半分ではありません。全力で面白がっています」「なお悪い」
 神無の蹴りが叩きこまれた。陽狩は腕を上げてそれを受ける。
「危ないですね」
「危ないのはお前の思考回路だよ! 何考えてるの!?」
 まっとうなことを叫んで、神無は陽狩と距離を置いた。
「…………ちょっと楽しそうかなと思ったので、楽しそうなことを実行してみようかと」
 何をとは言わない。言わなくても悪意は伝わる。
「夏羽さんだけで十分じゃん!」
「こんな面白そうなネタ、放っておけません。法華堂が黒羊以外の他人を気にかけるなんて滅多にないのに」
「勘違いだって。戒さんはお友達。友達を心配してくれてるの」
 陽狩は戒を見た。戒は陽狩をにらんだ。
「…………御気の毒に」
「気の毒なのはあんたの脳。セクハラ禁止」
 神無は陽狩から距離を取った。
「美形の無駄遣い……むしろ天の与えた宝の不法投棄……」
「有効活用です」
「…………」
 戒は無言で封筒を机の上に置いた。神無はすぐにそれが月末にブラックシープ商会から届く書類だと分かった。そして、用はすんだとばかりに歩きだし、そのまま陽狩の腕を捕まえる。いきなり引っ張られた陽狩は、バランスを崩しかけて踏みとどまった。
「何するんですか?」
「冷泉の仕事の邪魔をするな。俺は変える。お前も帰るだろう? 話し合いも必要そうだ」
「あはは、男の嫉妬は見苦しいですよ? 羨ましいですか? 羨ましいんでしょう?」
 心底嬉しそうに陽狩は笑った。戒の機嫌が悪くなるほど、陽狩の機嫌は良くなっていく。
「知人に付きまとわせるには、お前は危険すぎる」
「お互い様です」
 ずりずりと陽狩を引きずって戒は棚の間に消えた。しばらくして扉が閉じる音が聞こえる。さらに少しして遠くから金属音と悲鳴のようなものが聞こえた。
 それを見送って、神無は頭を抱えた。
「――――変なフラグが立った」



 ちなみにその頃、そんな奇怪な展開が起きているとは知らず、夏羽は学園中を走り回っていた。



終わり
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