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 全力で駆け抜けるときも足音は立てない。かすかな物音すら生死を大きく分ける。
 廃棄された建物の中を黒雫は疾走していた。そこは本当に廃棄された建物だった。天井のパネルはほとんどが崩れ、壁や柱のコンクリートも朽ちている。気をつけなければ足場すら危うい。
おそらく区画中もっとも経済的に活気があると思われる南区でも、繁華街やビジネス街から離れた場所にはこういうところがある。元はビジネス用のビルだったのだろう。内階段とエレベーターの間に、階の表示とともに会社名らしきものが書いてある。
かすかな気配に身を引いた瞬間、つい先ほどまでいた場所を銃弾の嵐が薙いだ。一瞬でも頭を引っ込めるのが遅れていたら、脳漿をぶちまけて絶命していただろう。舌うちをしてフロアに転がり込む。
第一陣のロケットランチャーの直撃をかろうじて避けた直後に現れた新手は、おそろしく慎重だった。間合いに入ろうとせず、遠くからの攻撃のみに徹している。

「……ジェイル先輩がいれば話は早かったのですが」

 射撃の名人であるジェイルを思い出して、雫は呟いた。

 剣や槍などの武器は達人となれば武器を自分の手足として使えるし、銃などの最新武器に慣れた相手にとって接近武器の攻撃はそう簡単にさばけるものではない。しかも比較的手入れが楽で、初期費用以外の金があまりかからない。だが、それらの武器は遠距離戦に向かず、しかも一度に一つの攻撃しかできない弱点がある。一対一の決闘や短時間で片がつく戦闘ならともかく、団体戦や距離をおいてのゲリラ戦などで有利なのは銃火器だ。気功が使えるグラップラーや能力に則した武器を使うサイキッカーやミスティックなら事情は異なってくるが、あいにくと雫の能力は武器の攻撃と連動させられるようなものではない。

「武器が当たらないときは接近戦に持ち込まないといけないんですが……弾幕で近づけないんですよね。こういうときは地味に弾切れを待つか、わきから回り込むか。先輩ならどうするでしょうかね」
『心の目で見ますね』
 脳内のジェイルが返事をした。あまりにも役に立たない答えが自分の脳みそから返ってきて、雫は静かにテンションを下げる。だが、よく考えると本人に聞いても同じ返事が返ってきそうだ。リアルに想像できる。
「………………面倒くさい」
 階段の上から飛び降り、着地と同時に左右に向かって投げナイフを投げる。それは階段を降りた位置の左右に待ち構えていた男たちの肩に突き刺さった。怪我のため重みに耐えられなくなった自動小銃が床に落ちて弾を吐きだす。最低限の動きで雫はそれを避けた。
 頭の奥がざわつく気がする。意識的に雫はそれを強く抑える。押さえないと出てきてしまうから。出てきてしまったら、きっととても面倒くさいことになる。
 あちこちに出来た擦り傷や切り傷の傷みが集中力を奪う。頭の中で複数の声が反響する。
 目眩がして、雫は一瞬よろめいた。その足元に卵程度の大きさの物体がころころと転がってくる。
「…………大サービスだ」
 呟いた雫のすぐ近くで、手榴弾が爆発した。
 
 
 **
 
 
「やったか……?」
「油断するな。ここのガキどもは、見かけはガキや若造でも中身は化け物だぞ。別働隊とも連絡がつかない。確認したら一端引き上げる。神立織子の確保は上の指示待ちだ」
 確実にターゲットの至近距離で手榴弾が爆発したのを見て、兵士たちは肩の力をわずかに抜いた。いくら化け物並みの戦闘者とはいえ、至近距離からの爆破に耐えられるはずがない。最低でも戦闘が難しくなるほどの手傷は負っているはずだ。
「でも、これでまだ一人でしょう?」
「数が減れば向こうのリスクに気づくだろう。引き渡し交渉が」
 唐突に体長である男の声が途切れた。ふりむいた兵士たちはあり得ないものを見る。
 床がごっそりと消失していた。それこそ初めからなかったかのように。そこに立っていた隊長の姿は当然ない。やや遅れて何かが落下した音が下の方でした。
 爆破の音も切断の音も聞こえなかった。何の痕跡もなく床は消えていた。その事実が男たちの思考をまっ白に塗り替える。だが、流石に立ち直りは早かった。すばやく周囲に銃を向け、警戒態勢にはいる。
「気をつけろ! 転送系能力のサイキックかミスティックの攻撃だ!」
「――――。――――!」
 ふと何かが聞こえた。初めはどこかから通行人の話声が聞こえてくるのかと思ったが、すぐに違うと気づく。声は建物の中からしている。がらんとした空間を抜け、響き合うそれ。
 詩
「――――――逃げろ!!」
 彼らの反応は間違っていなかった。資料で彼ら全員がターゲットの少女とその少女を保護している人間の素性を把握していた。当然、そのうち片方、魔術師派遣を生業とするリンクに所属している少年の素性も知っている。
 黒雫。学園でも珍しい五重人格者。
 職業、詩人。
オヤスミ、良い子。悪夢の始まり
 ざわりと空気が揺らめいた。まるでホラー映画のように建物の中から光が消えていく。
夢にまどろむ可愛い子。夢の中で夢からは出られず
 聞こえるのは詩。歌。ウタ――――
 窓から飛び出そうとした男の身体が見えない何かに弾かれる。兵士たちは絶望的な表情で暗く塗りつぶされていく空間を見つめた。
夜に取り残されて、怖い夢に溺れ
 逃げられない。逃げられるわけがない。悪夢からは逃げられない。思ってしまった。そう思ってしまったことが自分を縛っているとは気付かずに。
ベッドの下、闇の中、逃げられないコワイモノが潜んでいる
 ずるりと何かを引きずるような音がした。気付くと仲間の姿は消えている。大声で叫ぶと暗闇の中から同じような悲鳴に似た叫びが返ってきた。必死になって手を伸ばす。しかし、いくら走っても手を伸ばしても見つからない。こんな狭い建物なのに。
無限の螺旋迷宮は暗雲となって脳天揺らし、滴り落ちる悲鳴が胸の奥堕ち込んで
 ずるりずるりと何かが這ってくる。
必死になって目をそらしてもそれは見えない。
暗い暗い闇の底、忘れた罪が黄泉返る。深い深い夜の其処、気付かぬ業が蘇る
 ふと目を下に向けると、目があった。
「…………え?」
 今までに自分が殺した人間が、溶け合って崩れてまざり合って自分の足を掴んでいた。
 
 
   **
 
 
 絶叫が聞こえて織子は足を止めた。ジェイルは額に手をやる。
「……どうやら、時の乙女の訪れには遅れを取ってしまったようです。彼女はご立腹だ。きっと頭の痛い慰謝料が待っていますね」
「どういう意味……?」
 目の前には廃屋としか言いようがない建物群がある。中には人の気配があるものも少なくないが、その一番真ん中にあるオフィスビル跡らしきものはすごい。相当放置されていた気配がする。
 そして残念なことに悲鳴はそこから聞こえた。
「黒雫殿たちは――――キレると見境ないですから。七夕の姫君、これから煉獄を垣間見る程度に怖いものを見る『かも』しれませんが、僕から離れないように」
「雫さんは……無事?」
「それだけは保証します。相手となられた愚者殿の生死は保障致しかねますが」
 背筋が冷たくなった。織子は思わず口元を押さえる。篭森家では血しぶきは見ても死体はほとんど見なかった。ジェイルが頭を撃ち抜いた死体もほとんど目をそらしていた上に、あまりにも周囲が平然としているためあまり意識しないですんだ。
 けれど今、目の前にあるのは廃屋だ。気をそらすものも遮るものもない。
「本当は貴女の凪の水面のように澄んだ心を揺れ動かすのは本意ではないのですが、一人きりにはできませんので」
 申し訳なさそうにジェイルは言った。織子は慌てて首を振る。
「そんな……恩も義理もない私のためにこんなにしていただいているのに」
「『袖ふれあうも多生の縁』というのでしょう? 貴女方は。どうぞ、気を病むことのないように。一度手の中に保護した小鳥は、きちんと空に返すまで保護し続ける。それが責任というものでしょう」
「そんなことでは厄介事ばかり背負い込むわ」
「厄介事を背負いこめるのは、強者の特権ですよ。だから、次の世界の流れを生まんとする学園の我らが同胞は躍起ごとが大好きです。今週だけでどれだけ大きなトラブルがあったことか。戦場で現地民をかばって他の軍事会社とトラブルを起こしたやら、強盗狩りをして遊んでいて危険な文書手に入れたやら、銀行証券巻き込んで巨額詐欺事件起こしたやら、貴方のトラブルなんてかすむようなものばかりです」
「なんて血の気が多い……」
 詳しくは聞きたくもないが、それが学生の悪戯ですむレベルの事件でないことは簡単に予想できる。織子は顔を曇らせたが、ジェイルは笑う。
「でしょう? ですから、気に病む必要なんてないんですよ」
 にこりとジェイルは笑った。そこで気を使われたのだと気付いて、織子は反省した。巻き込んだのは自分だ。今更後悔したところで、誰も幸せにはならない。
「……ありがとうございます」
「お礼を言われる覚えはありませんよ。さてと、思ったより愉快な自体になってますね」
 一歩建物の中に足を踏み入れる。途端に、文字通り世界が変わった。
「え?」
 急に夜になったのかと思った。午後の日差しが消え失せ、奇妙な闇が支配する。暗いくせになにも見えないわけではない。光源らしきものはないくせに半端に薄暗い。まるでホラー映画のようだ。
そして、音が聞こえる。建物中のあちこちから。叫び声。悲鳴を上げて逃げ惑う複数の声。銃声。笑い声。打撲音。
「く、黒雫さんは……無事なの?」
 こんな異様な空間で人間が無事なわけがない。それでも不安に耐えきれず、織子は声を上げた。ジェイルは振り向いて、期待していたけれど予想外の台詞を吐いた。
「太陽が東から昇るのと同じくらいの確率で無事です」
 そして織子から目を離して上を見上げる。織子もつられて上を見た。その先には階段がある。そこから音が聞こえる。
 何かを引きずる音だ。
「――――――っ!?」
「怖いものではありませんよ」
 やけに自信ありげにジェイルは言った。直後、それが階段の上に現れる。
「…………黒雫さん?」
 うつむいた姿は知人のそれに見えた。束ねていた髪がほどけて顔にかぶさっている。スタイリングという単語からはほど遠い、ぼさぼさ頭だ。どういう暴れ方をしたのか細かいほこりがいっぱいついている。服も薄汚れていて、あちこちに切り裂かれたり銃でかすったような跡がある。あの染みは血だろうか。大きくはないがかなりの数の不自然な染みがある。
「黒雫さん」
 もう一度呼ぶと彼は顔を上げた。織子は息をのむ。
 彼の瞳は真っ赤に染まっていた。充血などではない。瞳の色そのものが赤い。珠月のようなどろりと深い血色ではなく、かといって炎でもない奇妙な赤。
 ああ、坩堝だ。
 麻痺したような頭のすみで織子は思った。坩堝に似ている。いつだったか、工場見学で見た巨大な溶鉱炉。そこで溶かされまざり合う無数の金属。その原始の混沌にも世界の終りにも似たアカイ色。溶けて融けて混ざり合ってそれでも消えはしない。何かの色。
 となりでジェイルが微笑んだ。そして、呼ぶ。
「こんにちは、”紅”」
「…………よお」
 それは喋った。
何度も聞いた知人の声ではあるのだが、その声はまるで叫び疲れたかのように割れて裏返っていた。
それが一歩前に出たことで、それが持っていたものが分かる。それは――気絶した人間だった。織子は悲鳴を必死でこらえる。本能が叫んでいた。ここで騒いで注目を集めては危険だ。だが、身体は悲鳴を上げようとする。織子は自分の手で口を塞いで、ジェイルの背後に逃げ込んだ。
「相変わらず、この世の終わりか始まりのような見事な赤ですね。燃え盛る炎でもなく、実る果実でもなく、永遠を示す紅玉でもなく、人の業たる血肉でもなく、貴きくれなゐでもなく、朽ちる錆でもない――――煮溶かされ混ざり合う混じりもののアカイロ。なんて美しい」
「手前は相変わらずムカつく野郎だな。宿主も、手前なんかの何が良いんだか」
「高貴は高貴と引かれ合うのでしょうね」
「寒い野郎だ」
 平気な顔でジェイルは嘯いた。織子はその後ろに隠れる。
「……雫さんよね?」
「貴女も実は見たことがあるはずですよ。ご紹介します。黒雫殿たちの一人で、紅さんです。平時は人格交代してもまったく分かりませんが、戦闘時にはどうやら能力の発動の関係らしいのですが、このように肉体変化を起こすんです。もっとも本当に細胞が変化しているのか、変化しているようにみえているだけなのかまでは分かりませんが」
「べに?」
「彼の人格は、それぞれ色を冠した名前を持っています」
 織子はもう一度それを見た。いつもどこかぼんやりしていて素直じゃない瞳は、今は真っ赤に染まっている。
「普段話している時も結構人格交代自体はしているんですが……」
「そ、そうなの?」
「みなさん、気付かないんですよね」
 うんうんとジェイルは頷いて見せる。言外に自分はもちろん気付いていると言っているが、本当のところはどうだか分からない。だが、彼ならあるいは気付いていたとしてもおかしくはない。
「手前が異常なんだよ、ジェイル・クロムウェル。それともそういう能力でもあるのか?」
「まさか。誰しもが貴方のように便利な能力を複数持っている訳ではありません。貴方は言うならば神話の最高神――――えーと、日本では『最強キャラ』っていうんでしたか? 漆黒の夜の王まではいきませんが、インチキなほど強力な異能ではありませんか。それに比べれば僕なんてほんの端役です。分かるのは勘ですよ」
「第六感っていうのは、経験と知識から割り出される意識にならない膨大な計算の集合体なんだがな。自慢か? まあ、いい」
 煮溶かされた金属の色をした目を細めて、それは笑った。明確に嫌な予感したと同時に、それが跳躍する。
「久々に出てきたのに雑魚ばっかりで退屈してたんだ。ちょっとつきあえよ」
 咄嗟に動きを止めた織子の身体がふわりと持ちあがる。黒雫――今は紅らしい――が跳躍するする瞬間、ジェイルも織子を抱えて後ろに跳んでいた。
「嫌です」
 ジェイルは満面の笑みで断った。そしてわざと体制を崩して、追撃にさらに跳んだ紅の拳を靴底で受け止める。靴のくせに金属がぶつかり合うような音がした。
「はっ、靴底とつま先に金属――手前は仏蘭西紳士か!?」
 フランスにはかつて、紳士が街頭で喧嘩をする時のために編み出した土足による蹴りを基本とする格闘術がある。
「武器と防具を常備するのは、一般常識ですよ」
「暗器を隠し持つのが常識? 世の中随分面白おかしくなったもんだよな!」
「面白いことが多いのは良いことですね。世界というのは不思議が詰まったビックリ箱ですから」
 織子の見えないところで何かがぶつかり合うような音がする。さらに大きく跳んで壁ぎりぎりまで下がると、ジェイルは織子をほとんど放り投げるように下ろした。
「そこを絶対に動かないでください」
 そして今度は前に踏みだす。そこでジェイルの銃と紅の短剣が激しくぶつかり合った。同じ金属だが、撃つための武器と切るための武器では当然後者が有利になる。ジェイルの銃に傷がついた。銃は繊細な武器だ。少しの傷でも後で故障の原因になる。ジェイルは軽く手を振って紅の短剣を弾くと銃を捨てた。捨てる前に弾を抜くことだけは忘れない。代わりに出てきたのはナイフだ。王子的な外見からはレイピアなどの細い剣こそ相応しいようにみえるが、ジェイルが取りだしたのはバゼラート――中世生まれの軍用ナイフだった。殺傷ではなく作業用に使われことが多いナイフだ。
 再び刃物が激突する。今度はどちらも退かない。
「はっ、はは、いつもみたいに能力で逃げないのか?」
「乱暴ですね。ですが、頼もしいですよ。狂戦士というものはこうでなくては」
 二度三度、目で追うにも難しい速さで刃物がぶつかり合う。それを見つめながら、織子は気付かぬうちに止めていた息を吐きだした。二人ともおそろしく速い。そして鋭い。だが、
「ジェイルさん、あれだけ動けるなら珠月さんのとび蹴りも避けられたんじゃ……」
 わざと避けなかったというあまり考えたくない可能性が浮上して、織子は遠い目をした。その間も激しい打ち合いは続く。
筋力は紅が上。速さもおそらく紅が上回っている。スタミナはどうか分からないが、見た感じジェイルよりも紅が有利そうだ。だが、ジェイルの攻撃は鋭い。間隙をたくみについて反撃してくるため、うかつに責められない。隙だらけに見えて踏みこむと食いつかれる。攻撃スタイルには性格が出る。
 打ち合った刃物がそのまま流れるように絡み合い、またぶつかる。力が拮抗しているもの同士の格闘は、わざと技が絡み合ってまるで舞っているようにみえる。
「ふふ、そろそろ止めませんか? アポロンの馬車もすでに西の空に移って久しい……こんなことをしていては、黄昏の乙女が夕焼けのドレスをまとって街へと舞い降りるのも、時間の問題です」
「その前に決着が着くといいな」
「やれやれ」
 後ろの跳び退りながら相手を蹴りつけるという難易度の高い技を繰り出しながら、ジェイルは大げさに肩をすくめた。その目がすっと細められる。
「――――黒雫君」
 ずしりと、ずしりと何かが重たくなった。織子はびくりと肩を震わせる。何が起こったわけでもない。ただジェイルは目を細めただけだ。
「黒雫君、そろそろ良いでしょう? この乱暴者を引っ込めてください。今すぐに」
「なっ」
 反発するように紅は声を発する。だが、ジェイルはそれを見ない。
「黒雫君」
 ひたすら、『黒雫』に話しかける。
「死にたいんですか?」
 笑顔なのに、背筋が寒くなった。
 ジェイルの表情はよく分からない。そこにいることは分かるのに、気を抜くとそのことを忘れてしまいそうになる。頭がくらくらして、織子はジェイルから目をそらした。
こじ開けられる気がする。中身を暴かれる気がする。織子は知らず知らずのうちに呼吸を止めた。そして苦しくなって意識的に大きく息を吸う。
「黒雫君、死にたいんですか? 先輩である僕に、悲しみながら殺されて、沢山の人がその死を嘆いて、みんなが貴方のお葬式に来て、貴方の思い出を語って、惜しまれながら五体満足でお墓に入りたいんですか? そういうとても人間らしい、人間にしかできない安らかな最期を迎えたいんですか? 違うでしょう? これくらいの地獄では貴方は死なない。こんな煉獄ですらないぬるい最後は相応しくない。だから、出てきてください。貴方の破滅の道はまだまだ続くのですから」
 笑顔のまま、流れるようにジェイルは語った。言葉だけを聞くならば、絶望。闇しかない未来への予言。だが、実に楽しそうに彼は騙る。
「そういう未来こそ、貴方の望みでしょう?」
「――――――ホント、えげつねえ性格してるよな、手前は」
 紅はジェイルを睨みつけた。ジェイルは笑う。いつもの王子的な微笑みではなく、ふくみを持たせた顔で。
「とんでもない。僕は黒雫君を理解しているだけです。彼の望みも未来も理解して、受け入れることにした。それだけです。それが彼の望みならば、彼にはとびきりの破滅の道を突き進んでいただきたいものです。彼は大事な後輩。深い縁のある人間ですから、その望みの花が花開くことを祈るのみです」
「マジで死ねよ。本当に、嫌な奴だ」
 ぐらりと紅の身体が揺らいだ。ゆっくりと瞬きをすると目の色が消える。同時に明かりが戻った。不自然な闇が消え、代わりに午後の日差しが降り注ぐ。
「雫さん?」
開かれた目はやや茶色の入った黒い目――平均的な日系人の瞳だ。
「おかえりなさい。黒雫君」
「すみません。ジェイル先輩」
 数回瞬きを繰り返して、ゆっくりと彼は口を開いた。手に持っていた短剣を腰のフォルダーに仕舞う。それですっかり元通りになったようにみえた。
「あの…………」
「すみません。怖い思いをさせましたね。先輩が来たらすぐに止めるつもりだったんですが、奴が勝手をしました」
 淡々と雫は言った。いつも通りそっけなく、人を寄せ付けない口調だ。戸惑う織子に、ジェイルが軽く説明する。
「紅は戦闘狂なんです。戦闘中に出てくると本当に見境がなくて――あまり押さえつけてもアレですしねぇ。おや、良かった。皆さん、死んでいませんね」
 階段で昏倒している男に近付いて、ジェイルはにこりと笑った。しかし、織子はびくりと震える。
「死んでは……ないの?」
「紅の能力は、あるはずのないものを具現化するものでしたか。とにかく、何が出てくるかはよく分からないので運が良ければ死にません」
 適当な返事が返ってきた。ジェイルは丹念に倒れている男を調べて、頷く。
「気絶しているだけですね。怖いものでも見たんでしょうか」
「し、縛ったりしないと暴れるかも」
「いえ。しばらくおきそうにないので放置でいいでしょう。大きな怪我もしていないようですし。よく手加減しました。黒雫殿たち」
 呼び方が複数形に戻っている。だが、雫はそこには突っ込まず淡々と答えた。
「すみません。いきなり手榴弾を投げつけられて、ついかっとなってしまって」
「君は暴走癖があるから、気をつけなくてはいけませんよ? 制御のできない能力は能力ではなく欠点です。制御しきてない能力でもトップランカーという偉業は評価しますが」
「申し訳ありません」
 淡々と雫は謝罪した。それを隣で聞いていた織子は俯く。
「ごめんなさい。私のせいで」
「僕が好んで首を突っ込んだことです。貴方のためではないので、気にしないでください」
 淡々とした返事が返ってきた。もとの黒雫だ。織子はほっとする。
「じゃあ……ありがとう」
「貴方のためではありませんから」
 そっけない返事が返ってきた。それを微笑ましいものでも見るような目で見つめて、ジェイルは微笑む。
「では少し時間を食いましたが、行きましょうか」
 どこに? という織子の視線にジェイルは笑みで答えた。
「この学園で唯一に近い、誰でも使える安全な要塞にですよ」