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見極める音楽家たち ――第六管弦楽団・ルリヤ=ルルーシェ

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   Ⅳ. 見極める音楽家たち ――第六管弦楽団・ルリヤ=ルルーシェ

 世界に数あるドームシティの多くは、中核となる企業を中心として大きな都市が展開されているものが多い。その例に漏れず、東欧に位置するこのドームシティも中心部の殆どがオフィス街となっていた。
 時刻はまだ夜中とは言いがたい時間帯だが、周囲の殆どが企業の所有するビルという条件もあって人の気配はまったくない。
 ただ一つ、隣接するビルの屋上から【ブリランテムーン(眼鏡の輝き)】ルリヤ=ルルーシェが眺めているビルには、ところどころ明かりの点いている窓が見られた。どうやら遅くまで勤務している社員がいるらしい。
 「――ふむ、皆さん。持ち場に着きましたか?」
 ルリヤは耳に掛けている通信端末に向かってそう呟いた。やや間を置いて、彼女の仲間達からそれぞれ返答がある。それを確認して、ルリヤはずれた眼鏡の位置を直しながら手短に指示を飛ばした。
 「それでは予定通り……フレミング様と杏藤姉妹は入り口付近で職員の脱出を防いでください。カールとフランチェスカは社長室へ、その後階を下りながら時間までは好きに暴れて結構です。蟻塚様と三角様は工作の方をよろしくお願いします」
 ルリヤはそこで一息吐いて、真剣な面持ちで目の前の――今回殲滅対象となるビルを見据えた。しかしその表情もすぐに悪戯めいたものへと崩れ、
 「うふふ、一回言ってみたかったんですよね。それでは――」
 彼女の上司が口にする決め台詞を、高らかに宣言した。

 「――澪漂を、開演いたします」


                     ♪

 ルリヤ=ルルーシェは独立学園都市トランキライザーに所属する生徒の一人である。
 広大な敷地を持つ――およそ旧東京丸ごと――学園都市は、中央と東西南北の大きく五つの区画に分かれており、それぞれを優秀な生徒達が管理するシステムを取っている。
 ルリヤはその中でも西区画を管理する【エターナルコンダクター(悠久の指揮者)】澪漂二重の所有するリンク、【澪漂管弦楽団】に所属する見習い団員の一人だった。
 そんな彼女が団長たる二重に呼び出されたのは、三日ほど前のことである。
 「団長、お呼びでしょうか?」
 西区画の中心部にある複雑怪奇な建造物の集合体、九龍城砦。その最上部に位置する二重の自室を訪れると、彼はいつもより一層不機嫌な顔をして机に向かっていた。その姿を見て、ルリヤは何か問題でも起こしただろうかと不安に思ってしまう。
 しかし、二重は入ってきたルリヤの方を見ることもなく、
 「ルリヤ、明後日から一日か二日……空いているな?」
と言ったのだった。
 「あ、はい……お仕事ですか?」
 「んん、別に仕事と言う訳ではないのだが……」
 二重はそう言い淀んで、机に置いてあった封筒を一つ、ルリヤの方へと突き出した。
 「篭森と狗頭から依頼があってな。東欧の警備系企業で、【ダイナソアオーガン】にちょっかいを掛けてくる奴らがいるらしい……言わば同業者への妨害工作ということらしいが、奴らも迷惑しているようでな」
 「つまり、【ダイナソアオーガン】が表立って動くのは世間的に都合が悪いから、別角度の我々がその役割を担う、と?」
 【ダイナソアオーガン】は東区画を管理する【ドラグーンランス(竜騎槍)】狗頭宿彌のリンクである。【イノセントカルバリア(純白髑髏)】篭森珠月はその社長で、二重の友人だった。
二重は「ああ」と頷いて、手元の書類を引き出しに仕舞った。軽く伸びをして、そこで初めてルリヤの方を見る。
 「本当ならば正式な依頼でもない。私が受ける義理もないのだが……まあ東に恩を売ると考えれば悪くない」
 「篭森様なら仮に恩を売っても、散々満喫された後でクーリングオフされそうですが……」
 ルリヤがそう呟くと二重も「フン」と苦笑した。そこは本人も分かっていることらしい。
 「まあ篭森はともかく、狗頭はそれなりの見返りを用意するだろう。それで、本来ならば私が出るべきところなのだが……」
 「あら、ご都合が悪いのですか?」
 「私以下、一重と光路、それに遡羅も明日から一週間ほど仕事が入っていてな。悪いが、そっちはお前達に任せたいのだが」
 ルリヤは意外そうに目を見開いた。しかし、彼女の様子に構うことなく彼は続ける。
 「現場の指揮はお前が執れ。空いている奴も全員連れて行って構わん。企業殲滅ならば、私達よりも小回りの利くお前達の方が得意だろうしな――そろそろお前も、戦闘指揮の一つや二つ、経験しておいた方が良かろう?」
 そう言って、挑戦的な目で自分を見据えた二重に、ルリヤは小さく微笑んで会釈した。
 「はい、畏まりました」

                   ♪

 戦闘の気配は速やかにルリヤにも届いていた。
 大型のバイクに跨った鉄仮面の少女が、正面玄関を突破して対象ビルの内部へと突入する様が見える。鉄仮面の少女は【ダンタリオン(333の仮面)】フランチェスカ=ヘスケスだ。ついでに言うならば、両脇に二メートルほどの大剣を携えた大型バイクは、変形機構を有するサイボーグ――【マインドギア(物言う歯車)】カール=エミリアンである。
 警備員の数名を撥ね飛ばしながら、二人は真っ直ぐエントランスの奥にある階段へと向かった。エレベーターは使わない。TAOの行使によって身体能力を高められるフランチェスカと、機械の身体を持つカールならば階段を使った方が早いという判断だ。
 階段に横付けする形になったカールの背中から飛び降りると同時に走り出したフランチェスカを追うように、カールも「トランスフォーム!」の掛け声と共に人型形体へと変形して、階段を一足飛びで登る。
 「……無事、進入に成功です」
 「このまま最上階の社長室を目指すぜ!」
 通信端末越しに聞こえた二人の言葉に、ルリヤは満足げに頷いた。
 視線を再びビルの前へと戻すと、フランチェスカとカールの突入によって慌しくなった正面玄関に悠々とした歩調で近づく三人分の人影が見えた。
 「あの二人の首尾は順調のようですな。では、私達も働きましょうか、波音、花音?」
 「「わかった」」
 一つは上等のスーツに身を包んだ金髪オールバックの長身の男。【ロウオブワン・ツー・スリー(三本の矢)】アルフレッド=フレミングである。そして彼の両脇に左右対称に並んでいるのは、中華風のシャツを着た双子の少女。【フラッグインゲー(ト音記号)】杏藤波音と【フラッグインエフ(ヘ音記号)】杏藤花音。三人とも、手に無骨な拳銃を携えていた。
 そうこうしている間にも、数名の社員と思しき人々がエントランスから転がり出てきたが、彼らは皆三人の手にした銃から発射された弾丸に急所を抉られ絶命する。
 それを確認してルリヤは視線を再びビルの窓へと移した。
 「さて、それでは私も少し働きましょうか」
 ルリヤの両の眼球は、人工的に作られた機械の眼球である。特に右の目は遠距離狙撃用の長距離レーザーを放つことができるようになっており、ズーム機能や夜間の暗視機能、サーモスタット機能などを擁する、小さいながらも強力な兵器だった。
 ルリヤは社長室のある階の廊下をズームで確認する。既に自分達の襲撃を察知しているのか、今まで暗かった全ての部屋や廊下に電灯が点けられ、慌しく走り回る社員や警備員の姿が良く確認できた。
 「うふふ、無用心ですよ。夜間に電気を点けるなんて、まるで狙撃してくれといわんばかりじゃありませんか」
 そう呟くと、ルリヤは廊下を走る警備員の集団に狙いを付けて、狙撃用レーザーを放った。間には窓ガラスがあったが、そもそも眼鏡を掛けたままで攻撃することを想定したレーザーはあらかじめ屈折率などを計算しているため障害にはならない。
 一気に数名の急所を打ち抜いたところで、生き残った警備員たちはとっさに床に伏せ、ルリヤの死角へと入ってしまった。ルリヤは「ふむ」とため息を吐く。
 「【ダイナソアオーガン】ほどではないとは言え……やはり警備会社ですね。反応は中々に良いようです」
 そう呟いて、ルリヤは中指で眼鏡を持ち上げた。その顔には心なしか笑みが浮かんでいる。
 「まああの階にはじきにカールとフランチェスカがたどり着くでしょうし……問題はないでしょう。些か力任せになってしまうきらいがありますが。うふふ、やはり団長のようにスマートにはいきませんね」

                    ♪

 「何事だ!?」
 今現在襲撃を受けているその警備会社の社長は、部屋の隅に座っていた黒服の男を睨んでそう叫んだ。
 対する男の方は、涼しい顔でその声に答える。
 「何事って……今報告があったばかりでしょう。襲撃されているんですよ」
 「そんなことは分かっている! 一体何者だ!?」
 「部下が確認したところ、どうやら相手は子どもばかりのようです。しかし、社長殿がちょっかいを掛けている、トランキライザーの【ダイナソアオーガン】の者とは違うようですなあ……」
 黒服の男はあくまでも冷静だ。それが、社長の焦りを助長する。まるで男の焦るべき分まで社長が請け負っているようだ。
 「今にも二人、こちらに向かっているようです。社長殿も、一応逃げる準備をされておいたほうがよろしいかと思いますが?」
 「き、貴様はどうするんだ!?」
 社長の言葉に、男は心底不思議そうな顔をして答えた。
 「どうするって……もちろん戦いに行かせていただきますよ。私は一応、あなたに雇われた用心棒なんですからね」

 黒服の男は社長室から出ると、慎重な足取りで廊下を進んでいく。
 「おやおや、随分静かですね。これはどういうことでしょうか……?」
 そして突き当たりの角を曲がったところで、男の目は数メートル先の床に倒れた警備員達の姿を発見し、
 「ふむ、これは――」
 大きく身を翻して、後ろに跳び退った。
 半秒ほどの後に、さっきまで彼が立っていたところを白銀の閃光が通り抜ける。
 「――なるほど、レーザーによる狙撃ですか。明かりを点けたのは失敗でしたかね? しかし、ここの社員や警備員達は暗闇で活動ができるほど手練れている訳ではないですし」
 とりあえずレーザーの飛んできた方向と角度から狙撃手のおおよその位置を把握し、壁の影に隠れる。
 と、隠れている彼の耳に、廊下の向こうから話し声が聞こえてきた。
 「むう……少し疲れましたね」
 「階段で行こうって言ったのはお前なんだから、文句言うなよ」
 幼さの残るその声に、彼はその声の主が襲撃者だと判断する。
 「おやおや……どう戦いましょうかね……?」

                    ♪

 「ふむ、かわしましたか……」
 ルリヤは驚いて思わず声を上げていた。もちろん視線は――射線は、男が隠れた物影からは外さないが。
 先ほどから、一旦は隠れたもののどうにかして移動しようとする警備員達を一人残らず打ち抜いていたルリヤだったが、ここにきて新手の男が自分のレーザーをかわしたことに、驚きを隠せない様子だった。
 と、そこで通信端末からカールの声が聞こえてきた。
 『予定通り、最上階に到達したぜ? これから社長室を攻める』
 「ええ、お願いします。それと、突き当りの壁の影に、一人男が隠れているので気をつけてくださいね。私のレーザーを回避したところを見ると、かなりの使い手ですから」
 端末の向こうでカールが「ヒュウ」と口笛を吹いた音が聞こえる。
 『お前のレーザーをかわすなんて、そりゃ相当の使い手だな』
 「ええ、せいぜい気をつけてくださいね?」
 『ああ。お前も、間違って俺達を打ち抜くなよ?』
 「馬鹿にしているんですか? そんなことを言っていると、本当に打ち抜きますよ――っ!?」
 カールの軽口にルリヤが冗談を交えて言い返したとき、彼女のズームアップされた視界に、小さな筒状の物が転がるのが見えた。
 「しま……っ!」
 次の瞬間、その筒から放たれた閃光が、ルリヤの視界を真白に染め上げた。

                    ♪

 断続的に響いた銃声に、アルフレッドはその身を大きく右に回転させ、降り注ぐ弾幕をかわした。側にいた杏藤姉妹も同様に物影へと隠れてその攻撃をやり過ごす。
 「やはり守る戦いは向こうの専門ですな」
 「どうする、アルフレッド?」
 「どうする?」
 手近な立ち木や車止めなどを障壁にして撃ち合いを続けるが、半身を乗り出した銃撃ではいささか命中率に欠ける。そうこうしているうちにも、連射が利くハンドマシンガンが三人の隠れている障害物に次々と穴を開けていた。突破されるのも時間の問題、アルフレッドは「うむ……」と唸ると、反対側の二人に声をかけた。
 「花音、能力を使ってあの銃弾を止めてください。それと波音、レールガン準備」
 手短なアルフレッドの指示に、二人は彼の言わんとするところを悟って小さく頷いた。
 波音は懐から乾電池に繋がったコイルを取り出す。小学生が工作で作るようなちゃちな作りのそれに、彼女はすぼめた口から息を吹きかけた。
 「……準備完了」
 波音がそう呟くと、銃弾を装填するために弾幕が薄れた一瞬の隙を突いて、花音が物影から飛び出す。それでもまだ数名の警備員が持つマシンガンからは銃弾が吐かれていたのだが、花音は走りながら自分に向かって飛んでくる銃弾に軽く吐息を吹きかけた。
 「……なっ!?」
 警備員達から驚きの声が漏れる。花音に向かっていた銃弾が、空中で殆ど静止した状態にまで速度を落としたためだ。
 花音のミスティック能力――大気中のエーテルを資源に魔法のような奇跡を起こす意能力――は、【アゴーギグ(乳母車から霊柩車まで)】。息を吹きかけることで、その物体が持つ運動エネルギーに干渉し、その速度を自在に操る能力である。
 花音の能力によって殆ど止まった状態にまで速度を落とした銃弾に、続いて隠れていた場所から飛び出した波音が、手にした回路を――正確には先端のコイルを向けた。
 瞬間。
 爆音と共に、驚きに弾幕を止めてしまった警備員達が吹き飛ぶ。否、彼らだけではなく、エントランスの窓ガラスや柱なども含めて、正面玄関にあった殆どの物が吹き飛んだ。
 花音の能力が速度に干渉する能力ならば、波音の能力【デュナーミク(揺り籠から墓場まで)】は、物体の持つ威力――厳密には運動エネルギーと位置エネルギー以外のエネルギー全般に作用する能力である。普段ならば銃弾の威力などを上げることで攻勢を高めたりする戦術に使う能力だが、物理学の得意なアルフレッドの助言によってその使い方に幅を持たせている、応用力の高い能力だ。
 今の現象も、一言で言うならば、コイルに発生した磁力を能力によって高め、その反発力で銃弾を弾き返したと言うだけのこと。即席のレールガンを作ったわけである。
 音速を遥かに超えた銃弾の直撃によってビルの正面玄関はほぼ使用不能にまで破壊され、同時に弾幕もパタリと途絶えた。アルフレッドは小さく息を吐いて、誰に言うでもなく呟く。
 「多少派手になってしまいましたが……私達の役目は逃亡の阻止でしたからな。出口を塞ぐという手段でも別に構わんでしょう」
 「私達ばっかり働いて、ずるい」
 「アルフレッドは何にもしてない」
安堵のため息を吐いたアルフレッドに、歩み寄ってきた波音と花音が口々に文句を言った。常の無表情のまま口を尖らせた二人に、アルフレッドは困ったように笑った。
 「仕方ないでしょう? 私はこの後一仕事残っていますし。精神力を残しておきたかったんですよ」
 アルフレッドは労うように二人の頭を軽く撫でると、ビルの上を見上げて呟く。
 「さて、後は上に行った二人と――工作班のお二人がしっかり働いてくれれば万事頂上ですな」

                  ♪

 ビルの内部と外部で衝突が起こっていた頃、ビルの周囲でコソコソと動いている二つの人影があった。
 ビルの外壁にもたれかかるように座っていたサングラスの男――【グレゴールザムザ(蟲になった男)】蟻塚赤光は、目の前でチョークを使って地面に長い線を引いている少女――【デカラビア(心を砕く星)】三角二角に声をかけた。
 「二角ちゃん、まだ終わらないのかい?」
 「自分は働かなくていい『女王蟻』の蟻塚さんと違って、私は地道な準備が必要なんですよーだ」
 悪戯っぽくそう言う二角に、赤光は穏やかな表情で肩を竦めてみせる。
 「まるで僕が怠け者みたいじゃないか。それに女王蟻だって、何もしてないわけじゃないんだよ?」
 「分かってるよ。って言うか話しかけないでったら。線が曲がっちゃうでしょ?」
 にべもない二角に、再び赤光が肩を竦めたとき、
 「ん? おや、もう終わったのかい?」
何かに気付いたのか、彼は自分の足元を見下ろしてそう声を掛けた。
 よく見れば、赤光の周囲には米粒ほどの白い物がうろうろと動いている。彼は足元によってきたそれを片手に乗せ、顔の高さにまで持ち上げた。
 「ご苦労様――さて、これで僕の分の仕事はおしまいっと。二角ちゃん、僕は本格的にお休みしてていいかなぁ?」
 赤光の手に乗っているのは、小さな白蟻だった。生物の因子を体に取り込むことで特殊な体質を得る、トランスジェニック――赤光は蜜蜂と蟻の因子によって、それらの昆虫をフェロモンによって操ることのできる能力を持っていた。
 厳密には白蟻は蟻の仲間ではないのだが、「便利そうだから」という理由で取り入れた因子が――例えばこういった局面で、役に立っている。
 二角は不機嫌そうにちらりと赤光の方を一瞥すると、
 「勝手にすればぁ? っていうか、さっきの通信の会話からすると、カール達苦戦してるみたいだし、手伝いに行ってあげた方がいいんじゃない?」
 「――ごもっとも」
 赤光は苦笑して、ポケットから取り出した瓶を地面に置いた。周囲をうろついていた白蟻達がその中に戻り始めたのを確認すると、赤光はビルの裏手へと歩いていった。その周囲へと、どこに隠れていたのか、沢山の蜜蜂が群れになって集まっていく。
 その後姿を確認して、二角は地面に線を書く作業に没頭し始めた。既に長く続いた線は、隣のビルの側面へとその軌跡を延ばして、さらに折り返し地面へと戻っている。
 「何か今日の仕事、地味だなぁ……ルリヤの奴ぅ、もうちょっと先輩を立ててくれてもいいじゃんね」
 そんな文句を呟きながらも、二角は黙々と地面に線を引き続けていた。

                    ♪

 「何だぁ!?」
 「……くっ!」
 突然の轟音と閃光に、カールとフランチェスカは思わず顔を覆っていた。鎮圧用の閃光弾を使われた、ということはすぐに分かったが、不意打ちだったために一瞬防御動作が遅れる。
 とは言っても、カールはすぐに視界をスモークモードに切り替えていたし、フランチェスカにしても鉄仮面に覆われた視界はさほどダメージを負っていないようだった。
 「――ルリヤ、大丈夫か?」
 『ええ……ただ、右目の機構が今のでショートしてしまいました。申し訳ありませんが、援護は期待しないでください』
 「ああ、分かった」
 「……任せて、ください」
 短い答えだったが、予科程時代からの友人同士ならではの、確かな信頼感が篭められていた。
 フランチェスカは黙って拳を固め、カールもバックパックに取り付けられた二本の大剣を両手に構えた。その二人の正面、閃光が治まった突き当たりの角から、黒の中華服に身を包んだ青年が姿を現した。
 「初めまして、私はここの社長に雇われた用心棒で、名を楊将悠(ようしょうゆう)と申します」
 慇懃な様子で名乗った男――将悠に、フランチェスカが僅かに反応した。
 「……【サーミリオンキャッスル(万尺長城卿)】、ですか?」
 フランチェスカの口にしたエイリアスに、カールは首を傾げた。
 「知らない名だな」
 「カールは知らなくても無理はないですよ……傭兵業やグラップラーの間で知られた名ですからね……」
 警戒心を露わにしたフランチェスカの様子に、将悠はさわやかな笑みを浮かべた。
 「これは光栄です。私の名如きが知れ渡っているとは……それで、貴方達は何者なのですか?」
 「私は……我々は、澪漂第六管弦楽団の団員です。私は【ダンタリオン】のフランチェスカ」
 「そして俺は、【マインドギア】のカールだ」
 二人の名乗りに将悠は「ほう」と興味深げな息を漏らした。
 「澪漂の人間が『澪漂』を名乗らないとは異なこと……いや、確か第六管弦楽団は団長と副団長以下、あの学園都市の生徒だとか……なるほどなるほど」
 得心がいったと頷く将悠。まったくの自然体なのだが、なぜか打ち込む隙が見当たらない。カールは傍らのフランチェスカを伺ったが、鉄仮面に隠された顔からは何の感情も読み取れなかった。
 「……カール」
 「あん?」
 不意に声をかけられたカールは頓狂な声を上げた。
 「ここは私が食い止めます。カールは、対象を狙ってください」
 いつもならおずおずと告げられるフランチェスカの言葉に、普段にはない力が篭っていたことに気付いたカールは、黙って頷いた。
 そこからの二人の行動は迅速。
 フランチェスカは姿勢を低くした状態から一足飛びに将悠へと飛びかかった。
 同時にカールは壁を蹴ってフランチェスカの頭上を飛び越える形で――さらに将悠の頭上をも飛び越えにかかる。
 「――っ」
 将悠は予備動作なしに振り上げた右足を、カールの胴体へと叩き込もうとする。それをカールはすんでのところで、片手の剣を壁に突き立てることで体勢を変えてかわした。
 そのまま振り下ろされた右足が今度はフランチェスカを狙う。フランチェスカもまた、身体を一回転させてそれをかわし、その遠心力を篭めた拳を将悠の身体に叩き込んだ。
 しかし、
 「……むう」
 常人ならば肉体を突き破られてもおかしくないほどの、TAOを篭めたフランチェスカの拳を、将悠は受け切ってみせた。のけぞることもふらつくこともなく、最初に立ち止まった場所から彼の足は全く動いていない。
 将悠の背後に着地したカールは一瞬立ち止まったが、
 「……カール!」
フランチェスカの短い叫びに、すぐさま走り出した。
 「ちょっと待ってろよ、フランチェスカ!」
 その姿が角の向こうに消えたのを見届けて、フランチェスカはほぼ零距離の相手を見上げた。
 「……意外ですね、追わないのですか?」
 「もう雇い主には逃げていただいていますからねぇ……それに、貴方達を二人とも開いてにするのは骨が折れそうですから」
 言うや否や、二人は拳をぶつけ合いながら大きく距離を取った。その衝撃にフランチェスカは首を傾げる。
 ――内気功で守勢を高めていると言っても……このレベルは有得ないですよ。まるで鉄板を殴ったような……単純に考えて、ミスティックでしょうか?
 腰を低く落として身構えるフランチェスカに対して、将悠は両腕を下げた自然な立ち姿である。どうやら積極的に攻撃を仕掛けてくるつもりはないらしい。
 「……はっ!」
 再びフランチェスカが距離を詰め、右腕を鋭く突き出した。将悠はそれをかわすでもなく、薄く微笑んで受け止める。
 が、
 「……ほう」
 フランチェスカの拳は打撃ではなく、そのまま彼の左肩を掴んで、その身体を自分の方へと引き寄せた。抗うことなく将悠の身体がフランチェスカの方へと倒れこむ。
 引き寄せた将悠の頭頂部目掛けて、フランチェスカは鉄仮面を被った顔面を大きく引き――
 「はぁっ!」
 思い切りたたきつけた。
 金属がぶつかるような歪な音と共に、将悠の体が大きく後ろにのけぞる――しかし。
 「……ふむふむ、なるほど。中々に痛烈な一撃ですね」
 「……む」
 衝撃で後ろにのけぞった、ただそれだけの結果。フランチェスカは一つの確信を持って呟く。
 「やはり……ミスティックですか。強化系……体の一部を鋼鉄の強度に変化させる、とでもいったところですか」
 本来ならばフランチェスカの頭突きは、鉄板にすら仮面の型を残すことができるほどの破壊力を有する。生身の人間ならば、良くて頚椎断裂、普通なら頭部がねじ切れてもおかしくない。
 それを涼しい顔で受けきった将悠は、ただのTAO使いではなく、何らかの身体強化系のミスティック能力者だと、フランチェスカは判断したのである。
 「おや、随分と聡いですねぇ……詳しいことは当然秘匿事項ですが……確かにその通りですよ」
 「……今まで戦った相手にも、時折その手の使い手がいましたから……」
 そうと分かれば、フランチェスカも不用意に特攻をかけるわけにはいかなくなる。相手にこちらからの攻勢が通用しない以上、別のアプローチを打たねばならない。
 しかし、フランチェスカは三度将悠との距離を詰めた。
 今度は一撃に集約するのではなく、断続的に繰り出す連撃。
 「まだ分からないんですか? 私には打撃は通用しませんよ」
 嘲るようにそう言った将悠に、フランチェスカは一つ、ブラフをかけた。

 「……本当に、通用しないんですか?」

 「……どういう意味ですか?」
 「そういう意味です」
 僅かに言いよどんだ将悠に、フランチェスカは拳を引くことなく畳み掛ける。
 「もし本当に通用しないのならば……なぜ私の拳を一発置きに捌くんですか?」
 確かに、将悠は先ほどから連続で放たれるフランチェスカの拳を交互に捌いたり避けたりしていた。フランチェスカの指摘に将悠は苦々しい顔をして、僅かに半身を引いて身構えた。
 「まったく……目ざとい方だ」
 「……それほどでも、ありませんよ――っ!」
 拳を捌かれたことでできた一瞬の隙を突いて、将悠の伸ばした五指がフランチェスカの胴を狙う。フランチェスカは大きく身体を捻って、その一撃をかわした。
 僅かに接触したシャツの一部が割け、わき腹に浅い傷が付く。
 「――カール!」
 「な……っ!?」
 フランチェスカはその突き出された腕を片腕で挟んで捕らえ、さらに将悠の胸に二度目の頭突きを叩き込んだ。
 金属質の音が響き、鉄仮面に覆われたフランチェスカの頭部が大きく後ろに弾かれる。しかし、彼女を弾き返したのは強化された将悠の身体ではなく――
 「ぐ……っ、が……!」
 背後から大剣を将悠の胸――丁度フランチェスカが頭突きを入れた反対側から突き入れたカールだった。
 「……やはり、一度に強化できるのは一箇所だけだったようですね……ふう」
 大剣を引き抜かれ、床に崩れ落ちた将悠の身体を見下ろしながら、フランチェスカは&のため息を吐いた。
 「な……なぜ……?」
 「最初に頭突きを入れたとき……最初は強化されていた左肩が元に戻りましたから……何となく、そう予想を立てた……だけですよ」
 鉄仮面の額に付いた刀傷を指先でなぞりながら、フランチェスカは倒れた将悠にはもう興味を失ったように踵を返した。
 階段へと向かいながら、フランチェスカはカールに問いかける。
 「……それで、社長はどうしたんですか?」
 「ああ、逃げられちまったよ。でも大丈夫みたいだぜ? 蟻塚がそっちに回ったみたいだしな」
 「……そうですか」
 一仕事終えた安堵に、フランチェスカは小さく笑った。その頭を、カールが小さく撫でる。照れくさいのかうざったかったのか、フランチェスカはカールのわき腹に突きを入れた。

                     ♪

 「~~~♪」
 赤光はビルの裏手にある通用口の壁にもたれかかっていた。暢気に口笛を吹いているその視線は、最上階から直通しているエレベーターの階数表示へと向いている。
 やがて、小さなベル音と共にドアが開き、中から小太りの中年男が転がり出てきたところで、赤光はゆっくりと背を預けていた壁から離れ、その行く手に立ちふさがる。男――殲滅対象となる社長は、突然現れた赤光に驚いて一歩後ろに下がった。
 「やあ――何か、甘い物でも持ってませんか?」
 一見友好的だが、サングラスに隠れた目だけは笑っていない。そんな赤光は冗談じみた言葉と共に社長へと近づいていく。赤光が近づくたびに、社長もそれだけ開け放たれたエレベーターの中へとじりじりと下がっていった。
 「な、何者だ……!」
 「月並みな台詞だねぇ……一応名乗っておくと、僕は蟻塚赤光。貴方がちょっかいをかけていた、【ダイナソアオーガン】の会長と社長が僕の上司の友人でしてね。それでちょっと殲滅させていただきましたよ」
 穏やかな笑みと共に紡がれる言葉は非常に腹黒い。気付けば、通用口のコンクリート打ちっぱなしの空間には、小さな羽音が反響していた。
 「そういうわけで、僕は貴方を逃がすことができない……残念だけど」
 エレベーターの壁に背をつけてへたり込んだ社長に向けて、赤光は伸ばした手の指をピストルの形にして突きつける。エレベーターから漏れる光が赤光の顔に不気味な陰影を作った。
 「それでは、さようなら」
 瞬間、小さく反響していた羽音が一際大きくなり、無数の蜜蜂が社長に一斉に襲い掛かった。
 絶叫が響き、数秒の後には全身を蜜蜂に覆われた社長の身体は、数度痙攣すると動かなくなった。
 それを確認して、赤光は通信端末に報告を入れる。
 「こっちは完了だよ、ルリヤちゃん。それじゃあ、後始末をつけようか」

                   ♪

 「そうですか……はい、了解です。フランチェスカとカールも脱出したようですし、それでは最後の仕上げといきましょう」
 すでに隣接したビルから降りていたルリヤは赤光の報告に頷くと、両脇に控えていたアルフレッドと二角を見た。背後には杏藤姉妹とカール、フランチェスカの姿もある。
 ルリヤの視線に二角は微笑み、自分が踏んでいる白線に意識を集中した。
 ほどなく白線の内側に、虹色の光彩が僅かに立ち昇る。
 二角のミスティック能力、【ヘキサグラムジャンキー(悪戯好きの死兆星)】は、彼女が触れている芒星五角形の内側に存在する人間の方向感覚を狂わせる能力である。彼女が描いていた芒星五角形はビルをその内側に取り込むように展開されており、能力を発動することでビルの中に残っていた人間たちは瞬く間に方向感覚を狂わされてしまう。
 「……オッケー」
 二角がそう呟くと、今度はアルフレッドが中指、人差し指、親指がそれぞれ垂直に伸ばされた左手――その人差し指をビルのエントランスへと向ける。
 アルフレッドはエレキネシスを応用したサイキッカーであり、その左人差し指が指差した先に同心円状の磁界を発生させることができる。
 急激に磁力を帯びた空間が、周囲の金属を引き寄せ始めた。散らばった金属片だけでなく、ビルを支える柱――その中に仕込まれた鉄骨をも、その磁力は捻じ曲げる。
 【ヘキサグラムジャンキー】に惑わされた社員達が右往左往するのが見えるが、支えを失った柱は大きな軋みを上げて亀裂を広げる。赤光の操る白蟻が内部を食い荒らして回った柱は既に強度を殆ど失っており――
 「ふう……なんとかまとまりましたね。やはり私には荷が重いです」
 「何を言いますか、ルリヤ。十分な作戦でしたよ」
 「うんうん、ちょっと私の出番が少なかったけどねー」
 「……とりあえず、疲れました」
 「ああ、こりゃしばらくはサボっても誰も文句は言わねえよな」
 「団長が怒るよ」
 「一重もね」
 そんな思い思いの言葉を口にしている前で、警備会社のビルは上から巨大な手で押しつぶしたように、真下へと崩れ落ちていった。
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