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恋の噂と嘘新聞

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恋の噂と嘘新聞


「珍しいね。篭森ちゃんが遅刻なんて」
「ですねぇ。刺客にでも襲われたんでしょうか」
 ピンクのカスミ草の花の柔らかな香りが風に乗って運ばれてくる。まるでこの中は時間が狂っているとても言うかのように、狂い咲く花々。その奥に黒い壁の不思議な雰囲気を持つ建物がある。
 イーストヤード、レストラン《ル・クルーゼ》。常に客でにぎわうこの店も、定休日の今日はひっそりと静まり返っている。その店の庭先にテーブルを出して、3人の少女が座っている。
 初めに発言した少女は、序列249位【アルヴィース(賢きもの)】冷泉神無(れいぜい かんな)。世界的に見ても指折りの鑑定士で、修復師でもある。西に水葉庵という骨董屋を構えていてそこにいる。それに答えたのは、序列225位【ラヴレス(愛を注ぐもの)】空多川契(あくたがわ けい)。いつもはアンダーヤードという非合法区域で危ない仕事をしているが、時折思い出したように仲の良い友人たちを訪ねてくる。
「ま、彼女なら多少のことがあっても平気でしょ」
 心配そうな二人に、序列189位【スコーレ(暇人の学問)】矯邑繍(ためむら しゅう)はのんびりと答えた。彼女も世界的に有名な学者であり、学会の誘いやら論文の締切やらといつも忙しい。しかし、何事も無理をしないという信条を持つ繍はけして無理に仕事を消化しようとしない。無理と思えば、あるいは面倒くさいと思えば容赦なく仕事を断って、友人とのお茶会を選ぶ。だから、今日も彼女はここにいる。
 そこに、お茶会主催である序列226位【ドクターグルメ(美食治療)】村崎ゆき子(むらさき ゆきこ)が、ワゴンをもって店の中から現れた。後ろでは、鳥のような人のような奇妙な生き物“ぴよちゃん”が、ゆき子を手伝っている。普段ならもう一人、序列24位【イノセントカルバニア(純白髑髏)】篭森珠月(かごもり みづき)も手伝っているのだが、今日は姿が見当たらない。
「まだ篭森ちゃん来ないの?」
「あのですね、篭森先輩は急用ができて欠席だそうです」
「急用? 篭森ちゃんに?」
 神無は目を瞬かせた。
 お世辞にも仕事熱心と言えない珠月が急用ということは、よほどのことがあったのだろうか。だが、ゆき子の返事は予想の斜め上をいくものだった。
「はい。今日こそ、ライカナール新聞社の二三頼さんの息の根を止めるとか」
「今度は何をしたんだ、奴は」
 ライカナール新聞社は、校外的には独自ルートで仕入れた情報を広く公開する有名な新聞会社である。ゴシップ記事をメインとした学内向け新聞と、ニュース記事をメインとした学外向け新聞で有名だ。特に校内においては嘘と真実を織り交ぜた独特の新聞を出す、嘘新聞の会社としての印象が強い。中でも序列130位【ライカナール(虚偽ばかりの赤新聞)】二三四頼は、世界的に有名なトップランカー陣のゴシップや、ゴシップともいえない嘘をよく新聞に掲載し、ネタとされた本人に追い回されている。今でも生きていられるのは、新聞社全体の戦闘能力の高さと保身術、そしてほんの少しだけ害より利益のほうを多くもたらすという性質故である。毎日のように様々な生徒とトラブルを起こしており、ある一定以上の知名度のある生徒はほぼ例外なくライカナール新聞社に煮え湯を飲まされた経験があるはずだ。
「今日の新聞、みなさんは見られましたか?」
 全員が首を横に振った。その前に、ゆき子は新聞を差し出す。
「本日の特集は、トップランカー100人の恋の噂です。私たちも全員載ってますよ」
 光の速さで、契はゆき子の手から新聞を引っ手繰った。そしてそれを見てばたりと机に倒れ込む。繍は手を伸ばすと横から新聞を取り上げた。
「うわぁ……篭森ちゃんとジェイルが載ってるよ。へえ、篭森ちゃん、宿彌さんとか沙鳥さんとこの藤司朗さんとも噂あるのか……あ、でも宿彌さんの方はそれはそれで、《神風》の夕凪さんとか部下の桜夜楽さんとの噂もあるっぽい。こっちは本当っぽいな。契ちゃんは――神城纏さんか」
 神城纏は、契とまともに会話する数少ない人物の一人である。しかし、当然のことだが彼氏でもなにでもない。
「契ちゃん……契ちゃんと纏さんと七尾ちゃんと蠍(仮)で四角関係が展開してることになってるよ。いいの?」「いいわけないのですよ……あんまりの事に怒る気さえ……」「あ、冷ちゃんと戒さんで載ってるよ」
 われ関せずとお茶を飲んでいた神無は、繍の一言に飲みかけのお茶を吐きだした。慌てて新聞をのぞき込み、間違いないのを確認すると点を仰ぐ。仕事の関係で付き合いのあるブラックシープ商会の序列158位【レッドラム(赤い羊)】法華堂戒の名前がそこにはあった。
「うわぁ……マジで? 戒さんはエドワードさん一筋だっていうのに……ないない」
 戒はある意味、自分の上司であり恩人であるエドワード・ブラックシープに身も心もおそらくは命や魂すら捧げている。
「えー、でも戒さんとエドワードさん(男同士)で載ってるほうが嫌じゃない?」
 少なくともエドワード本人は嫌であろうことは間違いない。上司であるエドワードを過剰なまでに敬愛し傾倒している戒のほうも、恋愛関係の噂まで許容するかは微妙なところだ。
「私はピヨちゃんと載ってました。種族を越えた愛ってことで。矯邑先輩は玉九朗さんと載ってますよ。間違ってはいませんね」
 ゆき子は笑った。
 ゆき子と繍の名前の横には、それぞれのペットで同居人で仕事仲間である生き物の名前が載っている。種族を越えた恋人というわけではないが、かけがえのない家族という意味では間違いではない。
「しかし……これは怒るわ。今度こそ、殺されちゃうかも」
「ですねぇ。篭森先輩はジェイルさんと書かれたことに激怒してましたし、緋葬架さんも『なっ、載せるなら私と珠月おねえさまを載せるべきですわ!』って怒っていましたし」
「それおかしいよ」
 珠月に百合趣味はない。現状は、一方的に珠月にべったりな緋葬架と後輩を可愛がる先輩の図式であり、今後も関係は発展する可能性はすくないだろう。
「ちなみに桜夜楽さんのほうは、実兄の守希生さんと禁断の兄妹愛として掲載されていました。そちらのことも怒ってましたよ。『あんなヘタレに私がなびくか!!』って」
「いちいち怒りのポイントがずれてるね」
 本来怒るべきところはそこではない。
「あ、エドワードさんとメリーさんが載ってる。この辺は順当かな。あとは白花さんと毎熊さん。あの辺のカップルの恋は実ってほしいですよね」
「おいおい。南王周辺の恋模様がすごい修羅場になってるぞ」
 二桁近い人間が絡む複雑な関係図が展開している記事を見て、繍は苦笑を浮かべた。
「これはいつ刺されてもおかしくないな。本当なら」
「いい薬なのですよ。あの超絶鈍感男はもっと痛い目を見るべきなのです」
 契のコメントは容赦がない。繍は苦笑を深めた。確かに南王は女性にもてる。そしてもてていることに気づかず、結果的に修羅場を招く。自業自得といえないこともない。
「確かにたまに絶望的な気持ちになるほど、男女の心の機微に疎いけどね」
「あれだから、自称婚約者や自称彼女が周囲に大量発生したり、掲示板でみんなから罵られたりするのですよ。もっと自重すべき」
「その理屈でいくと北王も刺されないといけないよ。男と女両方に」
 現在の区画王の特徴は非常にもてることと、同じくらい恋心に疎いことである。その中でも南王の逆襄は誰にでもフレンドリーなので、性質が悪い。そして現北王の夜厳は、無数の信奉者にほとんど包囲されている。
「男は外に出ると七人の敵がいるっていうけど、やつらの場合はその七人は全員恋する乙女か漢だね」
「そう。そしてそこに本物の敵が数百人加わる」
「敵ばっかりじゃないですか」
 軽口を叩いて、四人は再び新聞に視線を落とす。
「あ、西区の望月遡羅さんと三島光広路さんも載ってますね。仲の良い同僚ですから、ひょっとするとあるかもしれませんね。おや、メインヤードの沙鳥さんは逆ハーレム疑惑か。確かに見た感じはそうだけど」
「おいおい。ドブネズミの王様――蔡麻勇太郎(さいま ゆうたろう)さんと、中枢の大福屋一茶(だいふくや いっさ)さんが載ってるぞ。確か、一茶さんって北王に恋してるんじゃなかったっけ?」
「その夜厳さんは、ニュクスの異牙霧戒、ザンスキングダムの瞑獄鞍螺、フィフィスエレメンツの白銀氷華とクロエ・騎士守、西の刺青師の左衛門三郎桔梗、ヒュプノスの女性陣ほぼ全員との豪華な面子と噂があることになってるよ。頭痛がする」
「ラッセル・フォートランと仕事仲間のユリアさんが載ってるね。これは納得」
 載っている面子には、ほぼ公然のカップルや噂があるだけの二人から、これはないだろうというような組み合わせまで多種多様だ。嘘新聞だけあって半分以上は嘘だが、中には本当あるいは本当かもしれない組み合わせもある。
 怒るのも忘れて、四人は新聞にかじりつく。
「……本当に命知らずな。性別を超えたカップルの欄に、不死原夏羽と不死川陽狩があるよ。あ、メインヤードの霞さんと東華さんも……これはないわ。っていうか、命がないわ」
「澪漂の二重さん周辺も混沌としてるね。あの人が一重さん以外を視界に入れるわけがないのに」
 ネタとしか思えないが、ネタにしては命のかかっている記事を見て、神無と繍は顔を見合わせた。
「今日はマンハント・デーだろうね。そうか。それで朝から、方々で騒がしかったのか」
 ライカナール新聞社の嘘新聞とそこに載せられた被害者の、壮絶な追いかけっこあるいはマンハンティングはある種、この学校の風物詩に近いものがある。しかし、ここまで大規模な嘘記事とそれに伴うハンティングは年に数回もない。
「うー、おねえちゃんも参戦してこようかな?」
「マンハント? やめときなって。どうせ立場上殺せないんだから。殺したらどこからどんな嫌な情報や評判の悪い噂が噴き出すか分からないし、下手に騒ぐと逆に本当だと信じられちゃっていいことないよ?」
「分かってるよ。だから、ぼこる」
 この学園においてぼこるとは、死なない程度に殴りつける――つまりは命が助かるなら何をしてもいいというような意味になる。神無と繍は顔を引きつらせた。
「まあ……ほどほどにね」
「それにきっと、もう誰かが実行してると思いますよ」
 誰に初めにつかまるかによって、生死が分かれる可能性がある。よく考えると、それでも嘘を描き続ける頼はかなりの勇者なのかもしれない。
「……緋葬架ちゃんたちなら、なんだかんだで冷静だから平気だけど」「夏羽みたいな直情径行に当たったら、本当に死んじゃうかもね」「唯一の武器の舌先三寸が効かないもんね」「あらあら。ぴよちゃん、喪服ってどこにしまってあったかしら」
 めいめい勝手な意見を口にする。よく聞くとゆき子が一番酷いことを言っている気がするが、一番悪意はない。それだけに性質が悪い。
「しっかし……これ、読者の何割くらいが信じるのかな?」
「さてね。でも、何割が信じようとあんまり関係ないよ。木を隠すには森の中。これだけ噂が載っていれば、どの噂にしても深くは印象に残らない。それに少しくらいは変なうわさがあったほうが、本当に隠しておきたいことを隠せるよ」
 人間の脳みそというものは仕入れた情報の大部分を普段使わない領域に押し込むか、そもそも知覚しない。大量の情報を提示されると都合のよい情報だけを受け取ろうとする。それは構造上の限界のようなものだ。だからこそ、木を隠すなら森の中。常に嘘と本当の噂が周りにある人間の実態というものは、見えにくくなる。
「……それは知ってるよ。うん、知ってる」
 カップに残った紅茶を一気に飲み干して、神無は叫んだ。
「でも許せる噂とそうじゃない噂があるんだ!」「ま、堂々としてるしかないと思いますよ。こういうのはジタバタするほどに深みにはまりますよ。『やった証拠』『ある証拠』っていうのは提示が簡単でも、『やっていない証拠』『ない証拠』っていうのは揃えるのが凄く難しいからね」
 諦めたように呟いて、契はブラウンシュガーのチーズケーキを口に入れると、美味しそうに目を細めた。
「情報は足りなければ警戒され、あり過ぎると混乱させる。自分の情報はきちんと管理ないと駄目なのですよ」
「契ちゃんや篭森ちゃんと違って、私たちは一瞬の隙が命取りになるような世界に生きてないから」
 ため息とともに繍は抗議する。契はにんまりと笑った。
「さて、どうかな。どうなのかな。繍ちゃんだって気を抜くと研究や論文を横からさらわれちゃうし、冷ちゃんは盗掘や泥棒の濡れ衣を着せられたり陥れられるかもしれないし、ゆき子ちゃんはお店乗っ取られたりイカサマの汚名をかぶせられるかもしれないよ。こんなゴシップ一つでも、対処法を間違うと困ったことになる」
「それは平気だよ。今回は」
 驚愕から完全に立ち直った神無はにこりと笑った。黒い髪がさらさらと風に揺れる。
「つまらない記事でも時に毒となって象でも倒す。書き手のほうもそれを知っているから、決定的にダメージを与える情報――何が何でもライカナールを撃破して、情報漏洩を防ごうとするような相手が出てくる可能性が高い情報は流さない。トップランカーは名誉を傷つけられることはあると思うけど、それは切り傷で毒じゃない」
「毒になることもありますけど」
 おっとりと微笑んで、ゆき子は紅茶のおかわりを注ぐ。
「うまく付き合っているうちはそんなことは早々ないと思いますよ。それに――そうなったらなったで、全面戦争やって負ける気はないでしょう。先輩方は」
「ゆき子ちゃんは負けるの?」
「うちは文科系ですからねぇ」
 冷たくなってしまったナイフを熱湯で温めてから、ゆき子は新たにケーキを切り分ける。そこにそっと手が添えられ、さりげなくナイフを奪い取る。否、手ではない。羽だ。
「私の目が黒いうちは大丈夫です。お嬢様」
 立派な鶏冠を持つ鶏に似た人間のような生き物――この店の従業員、ぴよちゃんは、おそらく男前な笑みを浮かべた。しかし、鳥の表情を見るスキルのない三人にはよく分からなかった。ゆき子だけはにっこりとほほ笑む。
「そうですよね。その通りです」
「っていうか、みんなのアイドルである沙鳥さん、ユリアさん、直さん、クララさん、ゆき子ちゃんあたりのゴシップ記事なんて書いたら、親衛隊やファンクラブの地獄の制裁――むしろ報復戦争が待ち構えているんじゃないかな?」
 沙鳥以下、いずれも校内で『嫁にしたい/彼女にしたランカーランキング』で常に上位にランクインする女性陣である。その親衛隊やファンクラブは公式非公式に限らず、並々でない戦闘力と財力と人力を保持している。構成員が次世代のエリートであるトランキライザー学生なのだから、無理もない。
「…………バランスとるのだけはうまいよね。本当に」
 誰も否定はしなかった。その時、胡弓の音が静かな庭に鳴り響いた。音源を探して顔を巡らせる三人に、神無は懐から黒地に紫色で牡丹が書かれたデザインの携帯電話を取り出す。
「篭森ちゃんからメールだ。もうちょっとで来るって」
「もう捕まえたんだ。流石に早いね」
「流石は二桁」
 問題はそこではない。誰も頼の心配はしていないことが問題だ。あるいは、本能が考えるのを拒否したのかもしれない。だが、神無はあえて空気を読まずに嫌なフォローを続ける。
「来るなら血の臭いは消してこいって、メール打っておくか」
「いくら篭森ちゃんでも、その辺は心得てるでしょ。それに流血の惨事にはなってないと思うし」
 繍の心配に神無は楽観的に答える。契も頷いた。
「ああ。流血を伴わない怪我のほうが、案外治りが遅いですからねぇ。むー」
 嫌な肯定だった。空気が確実に二三度冷える。
「…………篭森ちゃん、ジェイル絡むと普段の冷静さも無感動さも吹き飛ぶから心配だな」「まあ、緋葬架ちゃんもいるし……って駄目だ。奴じゃ抑止力にならん」「ま、そこら辺は自業自得、御愁傷様なのですよ」「もしそうなったら香典は弾みましょうね」
 誰がどの台詞を言ったかは御想像にお任せします。
 やがて来るであろう友人とその友人がもたらす続報を待って、四人は優雅にお茶をすする。
「さてと。死んでないなら次は、頼に制裁を初めに加えた相手の記事が載るはずだけど、誰が載るか賭けない?」
 赤いローズヒップティを飲み干して、神無は笑った。繍はあきれたような顔をし、契は身を乗り出し、ゆき子は笑う。
「あきれた。また賭けをやるの?」
「おねえちゃんは参加するのですよ。えーと、じゃあ、夏羽のトノサマバッタに賭けます」
「私は篭森先輩にします」「じゃあ私は……大穴で逆上。他の人も参加するかメールで聞いてみようか」
 四人は楽しげにメールを打ち始めた。他人の悪意や殺意さえも楽しむのがトランキライザー流だ。流れる遊びはまた次の事件へと繋がっていく。それが分かっていて、楽しげに生徒たちは情報や物品をやり取りする。
「これがきっかけでカップルが成立したらいいのにね」
 神無は笑った。残り三人も笑う。
「そんなにうまくいけばいいんですけどね。うにー、世の中甘くないのですよ」
「世界平和のためには、成立しちゃいけないカップルもいるしねぇ」
「ま、できたらできたで楽しくなるんだけどね。ん、風が出てきたね」
 風に吹かれたピンクのカスミ草の花びらが空を舞った。
 カスミ草の花言葉は『切なる思い』。だが、誰もそのことには気づかない。強い風が花を揺らして、勢いよく散らせた。

おわり
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