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踊らされる音楽家たち ――第十二管弦楽団・澪漂爆重

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   Ⅰ.躍らされる音楽家たち ――第十二管弦楽団・澪漂爆重

 独立学園都市トランキライザー。その西区画にある複雑怪奇な建造物の集合体、九龍城砦。その中層にある【澪漂第六管弦楽団】のオフィスの電話が鳴ったのは、昼時が過ぎて団員たちが各々の仕事に戻り始めた時だった。
 「――ん? 千重……団長からか?」
 第六管弦楽団団長【エターナルコンダクター(悠久の指揮者)】澪漂二重は、固定電話のディスプレイに出た番号を見てそんな呟きを漏らした。そんな彼の呟きに、側の机で書類を広げていたパートナーの【アルカディアフレンド(理想郷の大親友)】澪漂一重が、
 「またお仕事? この前一週間出張したばっかりじゃん」
と嫌そうな顔をした。二重は小さく笑いながら受話器を取り上げ、通話ボタンを押す。
 「はい、私です」
 『やほやほ、二重クン。千重団長だよ?』
 受話器を耳に当てなくても聞こえるほどの音量で、【澪漂交響楽団】の大団長、【コンダクターオリジン(指揮者根源)】澪漂千重の声が二重の耳を打った。思わず受話器を耳から遠ざけながら、二重は送話口に怒鳴り返す。
 「もう少し小さな声で喋ってください。その大声なら、電話なぞ使わなくても聞こえそうなものですがな」
 『もうー、二重クンは、どうしてそういう減らず口しか利けないんだろうね? キャハハハ!』
 「私も忙しいんです。用件はなんですか?」
 受話器の向こうで『キャハハハ』と笑っていた千重は、二重のその言葉に『ああ、そうだった』と、そこで一旦言葉を切った。
 『お仕事の連絡だよ、二重クン。最近民族紛争が起こってる、北米の東海岸地域、知ってるよね?』
 「民族紛争と言うよりは、西欧系企業とアフリカ系企業の抗争のようなものだと認識していましたが、それが?」
 『それだって、旧世紀の人種差別が根底にあるんだから似たようなものでしょう? で、その近辺の地域を九龍の系列企業が狙ってるらしくてね。なんでも立地がいいとかなんとか……で、一丁殲滅しちゃおうと』
 二重はそれを聴いて大きなため息を吐いた。
 「なるほど……分かりました。明日にでも向かいましょう。殲滅するのは企業だけでいいのですか?」
 『労働力まで根絶やしにしちゃったら本末転倒だからね。なるべく一般人には被害を出さないようにってことだそうだよ。それと――』
 千重は少し口調を悪戯っぽいものに変えて続けた。
 『これは私の個人的な要求なんだけど、【アンタッチャブルサイズ(不可触民の鎌】クンは空いてるかな?』
 「光路ですか? 奴はいつでも暇だと思いますが」
 オフィスの一角から、「おい、何か言ったか!」と【アンタッチャブルサイズ】三島広光路の声が聞こえた気がしたが無視する。
 『一重チャンの代わりに、今回は彼を連れてってほしいんだ。彼の方がこういう局面は得意だと思うからね』
 「はあ……別に構いませんが」
 『じゃ、そういうことで。あ、後さあ、もう一人呼んでおいたから。ま、この面子なら分かるよねー』
 「は? まさか……」
 『じゃねー』
 何かを言おうとした二重を一方的に無視して、千重は電話を切ってしまった。二重はかなり嫌そうな顔をして、その受話器を見つめている。
 「どうしたの?」
 そんな彼の様子に一重が疑問を投げかけると、二重は眉を寄せた表情を彼女に向けた。
 「……奴が来る」
 「え?」
 「光路、今度の仕事はお前も一緒に来いということだ」
 不意に言葉を振られた光路は「あ?」と二重を見た。
 「二重、それって……?」
 「奴も来るようだから、心の準備だけはしておけよ」
 「奴って……あ」
 一重と光路が思い浮かべた人物は、どうやら一致したらしい。二人の微妙な表情を見て、二重はようやくその人物の名前を口にした。
 「ああ……【マイケルポップ(弾ける大天使)】の澪漂爆重(はぜえ)だ」

                   ♪

 北アメリカのビジネス街。本来ならば会社員が往来しているはずの大通りには、今は全く人影がない。それもそうだろう。立ち並ぶビル群の壁には真新しい銃弾の痕、道路の舗装も爆薬か何かで吹き飛んだ痕跡がいたるところに見られる。
 「企業の私兵団も力を付けてきたものだな。こうなると、私達本職も危機感を覚えてくる」
 「Ho! それは問題ないさ、二重。君以上の軍師なんて、そこらの私兵団には絶対いないからね。Shuk Chik」
 そんな人気のない広い道を歩きながら、二重は自嘲気味に笑った。隣を歩いていた光路がそれに答える。
 「そうだな。俺達インチャオも、企業お抱えの私兵団みたいなところもあるが……最近は小規模企業でも力を付けてきてる。近々、ウチを追い抜くところも出てくるんじゃねえか?」
 「Aow! かの【九龍公司】直属の傭兵組織【インチャオハンバン】を越える企業だって? そんな物が出てくるなら是非見てみたいものだけどね。Po!」
 肩に担いだ槍の穂先で壁の弾痕をなぞるように示しながら、光路は二重に問いかける。
 「なあ、これってどう思うよ?」
 「ふむ、なかなか高級品を使っているようだな。弾痕の大きさから見て、歩兵用のハンドマシンガンだろう」
 「それでここまでの破壊を行えるってこたぁ……相手はなかなかの良い装備と見ていいだろうな」
 「まあ問題あるまい。どんな良い物を持っていようが、私達の敵ではないさ」
 「ふへへ、違いねえ」
 「Aow! ……二人とも、どうして俺を無視するんだい?」
 そこでようやく二人は、背後をついてきていた一人の男を振り返った。
 足を止めた二人に従って同じく歩を止めた青年は、全身をブランド物の黒スーツで固め、揃いの中折れ帽を被っている。腕には澪漂のエンブレムを象った腕章を付けている。ウェーブの掛かった艶やかな黒髪が背中で揺れた。
 ただ一つ、奇妙なことがあるとすれば、彼が二人に対して背中を向けているということだろうか。
 「……全く、千重団長の嫌がらせとしか思えんな。まさか爆重と組むことになるとは……」
 「確かにな。何でまた、ムーンウォークでやたら目立つ奴と一緒に行動しなくちゃならねえんだよ」
 第十二管弦楽団所属の団員、【マイケルポップ】の澪漂爆重。クレヤボヤンス(透過視)によって背後の視界を確保しながら、常にムーンウォークで移動するという変人である。
 そして、何より彼は二重と光路の友人でもあった。
 「Po! つれないねえ、二人とも。あと、一つ訂正しておくなら……Cha、元々この仕事は俺の任務だったんだよ。Shuk Chik、一人で行くのもつまらないから、君達を呼んでもらったのさ」
 「そんなことだろうとは思ったが……」
 「俺も暇じゃねえんだよ」
 「ダウトだ」
 そんな会話を交わしながら、三人はオフィス街の外れにある、目的のビルへと向かった。二重はその手に愛用の大鋏【ドッペルフーガ(二重迷走)】を、光路は愛槍【黄天衝】を、そして爆重は両手に自動小銃を携えて。

                    ♪

 二重と爆重の出会いは、二重が本科に進学した頃のことである。元々光路と友人であった爆重は、それまでも時々学園都市を訪れていた。その関係で、二重とも徐々に親しくなっていたのだが、当初は友好的だった二重が彼のことを苦手だと思うようになった決定的な事件があった。
 三年前、突然爆重が言った。
 「俺達三人で、ダンスユニットを組もう! Ho!」
 半ば無理やり参加させられる形でそのダンスユニット「グラスホッパーズ」に入った二重と光路は、南区画での路上ライブによってトラウマに近い羞恥心を植えつけられた。

 「今にして思えば、貴様を殺してでも逃げるべきだったな」
 「Aow! それは酷すぎじゃないかい?」
 「でもお前もまんざらでもなさそうだったよな? あれでファンクラブの会員も増えたって聴くし」
 「黙れ【無能】が」
 そんな思い出話に花を咲かせながら、三人はオフィス街の中でも頭一つ抜きん出た高層ビルの前に立っていた。
 玄関口の前には数名の警備員の死体。いずれも首や胸部に致命傷を負って倒れている。
 「俺にも少しは働かせてくれてもいいじゃないか。Shuk Chik」
 「入り口で銃撃戦になったら目立つだろうが。安心しろ、中に入ったら好きなだけ暴れさせてやる」
 大鋏を血振りするようにクルクルと回しながら、二重は防弾ガラス張りのエントランスを見据えた。
 「中に入ったら、私と光路で一般社員を殲滅する。貴様は先に最上階に向かって、会長を始めとした重役組を殺して来い」
 「Po! 了解だよ」
 「じゃあ一丁、行って来ますか」
 光路がそう言うと、【黄天衝】の穂先近くから半透明の大鎌が現れる。【黄天衝】は持ち主の気功――TAOを燃料に三種類の武器を展開することのできる兵器だ。光路は高度に練られたTAOの刃で、目の前の防弾ガラスを叩き切って中に進入した。それに続いて二重と爆重もビルの中に入る。
 驚いた表情をした受付嬢や警備員の額に、次々と風穴が空く。逆手に持った拳銃を肩越しに連射する爆重の攻撃は、狙いを一切外すことなく、ロビーにいた人間を瞬く間に殲滅した。
 二重と光路の二人はそのまま左右の廊下へ、爆重はロビーの奥にあるエレベーターへと向かった。もちろん、監視カメラや防犯装置などを破壊する露払いも忘れていない。
 「二重よ! 何であいつを上に行かせたんだ? 一対多なら、あいつの方がお前より得意だと思うぜ?」
 逃げようとする者、あるいは向かってくる者を容赦なく殺戮しながら、光路が二重に叫ぶ。同じく流れるような動作で周囲の人間を薙ぎ倒しながら、二重が答えた。
 「一応は奴の仕事なのだろう? 少しは立ててやらんとな。それに……」
 素早く一階の人間を殺し尽くして、二人は背中合わせにロビーの中央へと戻った。取り逃がした者がいないか入念に周囲を見回しながら、二重は言葉の続きを口にする。
 「たまには貴様と共闘というのも、面白い」
 「ふへ、光栄ですね」

                    ♪

 エレベーターで最上階へと到達した爆重はやはり後ろ向きのまま廊下へと踏み出し奪取―そしてその動きを止めた。
 「Aow! これは……Cha、どういうことだろうね?」
 廊下には所狭しと人間の死体が転がっていた。黒服を着たボディガードのような出で立ちの人間も混ざっているが、大部分は社員証を付けている。男も女も、中年も若年も、皆例外なくその体を鋭利な刃物で切り裂かれて死んでいた。
 言わずもがな、爆重たちより先んじてこのビルに侵入した者がいるということである。
 「Ho! なるほど、九龍以外にも、この辺りの利権を狙っている奴がいるってことだろうね。Shuk Chuk」
 とりあえず殲滅対象となる会長の死体くらいは確認しておかなければ、と爆重は床に転がった死体を避けながらムーンウォークで移動し、一つのドアの前に立った。
 後ろに回した手でドアを開けると、部屋の中央で死体の山に座り込んで煙草を吸っていた青年と目が合った。否、目が合ったと感じたのは爆重だけで、青年の方には後ろ向きの奇妙な男が入ってきたようにしか見えなかっただろう。
 「……何者ですか?」
 青年は尻に敷いた死体の後頭部で煙草を揉み消すと、傍らに置いてあった波状の刃を持つ片手剣――フランベルジュを手に取った。カジュアルなスーツを着崩しているが、どうみても社員ではないだろう。その目は油断なく爆重の方を睨みつけている。
 「Aow! 俺は澪漂爆重。澪漂の第十二管弦楽団に所属する団員さ。Po!」
 「澪漂……なるほど、ではこの企業を殲滅に来た、という訳ですね?」
 「まあそんなところだね。Shuk Chik、でももうその必要もなさそうだ」
 「随分と淡白ですね」
 警戒心というよりも殺意をむき出しにした青年に対して、爆重はどこか冷めた様子だ。
 「君、Ho! 【ヴァイスワーシプ(悪徳礼賛)】だろう? 学園都市でも有名な殺人鬼らしいじゃないか。Cha、光路に話を聴いてたから、すぐに分かったよ」
 「ほう、よくご存知ですね。確かに、私は【ヴァイスワーシプ】の不死川陽狩(しなずかわひかり)ですよ」
 【ヴァイスワーシプ】の不死川陽狩――学園都市トランキライザーにおいて、相方の【クルアルティワーシプ(残虐礼賛)】の不死原夏羽(しなずはらかばね)と共に、最も有名な殺人鬼に数えられる男である。積極的に強者との戦闘を楽しむ反面、相手が苦しむ姿を見ることを至上の楽しみとする悪どい面もある。
 「そんな特徴的な武器を持っている人、Po! 他にいないだろうからね」
 「では、これから私がしようと思っていることも当然――分かっているのでしょう?」
 そう言って、陽狩はゆっくりと立ち上がった。
 「Cha、俺としては面倒なことは避けて、さっさと帰りたいんだけどね。Aow!」
 「澪漂のくせに、戦いを忌避するとは……変わった人だ」
 「そういう訳じゃあ……Ho! ないさ。ただ、依頼内容は二つの企業の殲滅。Cha、すでに君がその役を終えてくれている以上、もうここには用はないよ。Shuk Chik」
 あくまで冷めた様子の爆重に、陽狩はそれでも殺意をむき出しにしてフランベルジュを突きつけた。
 「まあ、そう言わずに――折角ですから、殺し合いを楽しみましょうよ!」

                   ♪

 各階の社員を殲滅しながら順調に階段を上っていた二重と光路だったが、中層辺りに来たところでその歩を止めた。
 「……何だ?」
 「他の階とは雰囲気が違うな……」
 階数表示は二十六階。その階層より上から、一切の生命の気配がなかったのである。二人が同時に思い至ったのは、自分達以外にこのビルに侵入した者がいるという可能性である。
 「光路」
 「応」
 視線だけで打ち合わせ、二人は同時に階段の途中にあるドアを蹴破って廊下に飛び出した。
 目の前に広がるのは無数に転がる死体の山。そしてその山の中央で、今まさに最後の一人を殺していた青年の姿が目に入ってきた。
 「……貴様は!」
 「不死原?」
「あ? おお!? 澪漂に三島広じゃねえか。こんなところで会うなんて意外だな」
 二重や光路のそれとは一線を隔するほどに残虐な手口で社員を虐殺していたのは、丁度爆重と邂逅していた陽狩の相方、不死原夏羽だった。
 「何でお前がここにいるんだ?」
 「……ちっ、九龍の他にも、この企業を狙っていた奴がいたということか」
 驚きの言葉を口にする光路の隣で、二重は冷静に状況を分析していた。そんな二人に対して、夏羽は手にしたナイフを血振りして向き直った。
 「ああ、とある企業の要人に依頼を受けてな。今頃陽狩の奴が、最上階の役員どもを蹴散らしてるころだろうぜ?」
 顔見知りに会ったことで気の抜けた声をかける夏羽に、二重は面倒臭そうな顔をした。
 「なるほどな、それで? 貴様は私達と戦うのか?」
 「あ? 何でだよ。こっちの仕事はあらかた終わったし、こいつら殺してたのだってただのついでだ。お前らだって、対象が死んでりゃ別にかまわないんだろ? 殺し合う理由なんてねえよ。お前ら二人相手に俺一人で戦っても勝てる気はしねえしな」
 確かに、二重達にしてみれば自分達が手を下さない内に事態が片付いているならばその方が楽ではあった。ただ、と二重は不敵に笑う。
 「悪いが、こっちの連れも最上階に向かっていてな。おそらく今頃は、不死川の奴と戦闘になっているだろう」
 「何?」
 「まあ、だからと言って」と、二重は手にしていた大鋏を腰のホルスターに仕舞いなおす。
 「貴様は上から、私達は下から。このビルにいた人間を殺してきたのだ。そして、今こうしてここで出会ったということは、だ。私達にしても、もうこのビルには用はない」
 「おい、いいのかよ? 戦わなくて」
 意外にも戦闘を回避した二重に、光路が驚いたような表情で尋ねる。
 「ああ、構わん。奴の言う通り、依頼主にとっては対象が殲滅できればそれでいいのだ。ならば、ここで無駄な戦闘をする必要もあるまい?」
 「まあ学園で出会ったなら、話は別かもしれないがな」と、二重はそれだけ言って、踵を返した。学園都市で殺人行為を働く夏羽は、区画を管理する二重の立場からすれば捕らえなければならない相手であるが、今の二重は澪漂として動いている。無駄足を踏んで次の行動に支障が出るのは避けたいという判断だった。
 光路はやや躊躇したようだったが、すぐに構えていた槍を下ろすと、二重に続いて階段へと向かった。このビルから立ち去るために。そして夏羽も、自分達以外に生きている者がいなくなったビルにはもう興味をなくしたとばかりに、彼らに続いて階段へと消えていく。

                    ♪

 一方、最上階で交戦中の爆重と陽狩はそうはいかないようだった。夏羽は一人で二人を相手にするのは分が悪いと判断し手を引いたが、陽狩は爆重のことを、一対一なら少なくとも負けはないと判断したらしく、執拗に攻撃を繰り出している。
 「Po! 全く、随分と戦うのが好きなんだね……Cha、俺はそろそろ、こんなところはお暇したいんだけどな。Ho!」
 「まあそう言わず、もっと楽しみましょう、よ!」
 言葉と同時に振るわれたフランベルジュの刃を、逆手に持った銃のグリップで受け止める。すぐさま弾き返し、返す刀で、空いた陽狩の胴に発砲するが、
 「Aow! また防がれた。銃弾の無駄だね、Shuk Chik」
 陽狩の判断は当たっていた。接近戦主体の陽狩に対して、遠距離主体の爆重は分が悪い。状況は拮抗――否、若干陽狩の方が押している。
 しかし、不利な状況にあっても爆重は相手に背を向けるスタイルを崩さない。爆重の売りは、「相手に正面を取られたことがない」という、ある種通常の感覚からすればズレたものであった。
 と、左手に持っていた銃が陽狩の攻撃を受けて弾き飛ばされた。斜め上に振り抜いたフランベルジュを手の中で回転させ、逆手に持ち変えると、そのまま爆重の頚部を狙う陽狩。
 「Po!」
 だが、攻撃態勢の中で生まれた一瞬の隙を突いて、爆重は陽狩の腹部に踵から入る蹴りを入れて距離を稼ぐ。
 「くくく、中々面白いですね」
 「Ho! やむなし。趣味じゃあないけど、接近戦に持ち込むしかなさそうだね」
 いつの間にか爆重の方も、陽狩のテンションに流されている。元々が戦闘を専門とする組織の一員であり、決して戦闘行為を忌避している訳ではない爆重にとって、陽狩はテンションを上げざるを得ない相手であったということだろう。
 お互いほぼ同時に体勢を立て直し、そして互いに一足飛びで接近戦の間合いに入った。陽狩のフランベルジュが爆重の肩を狙い、爆重の裏拳が陽狩の側頭部を捉えようとしたところで。

 ビルが爆音と共に大きく揺れた。


                   ♪

 「……っ! 避けろ!」
 くだらない雑談に花を咲かせながら階段を降りていた途中――十階前後に差し掛かったところで、二重は不意に短く叫び、そしてすぐ後ろを付いてきていた光路を階段の踊り場へと蹴落として、自らもそこに転がるように飛び降りた。
 二重は受身を取ったが、不意打ち気味に蹴り落とされた光路はみっともなく後頭部を壁に打ち付けたらしい。
 「いってえ! 二重、何しやがる……」
 光路が文句を言うか否かの刹那、爆音と共にたった今まで二人が立っていたすぐ横の壁が粉々に砕け、飛び散った。
 「な、なあ!?」
 光路が驚いてそちらを見ると、壁には大きな穴が空いている。まるで、砲弾か何かで攻撃をしたような。
 さらに後ろを付いてきていた夏羽は、二重の言葉にとっさに後ろに飛び退っていたらしく、階段の影から同じく突然壁に空いた穴を見つめていた。
 「澪漂! こりゃ一体何だ!?」
 「ちっ……どうやらこの企業の敵対組織が攻撃をしかけてきたらしいな」
 考えてみれば、今までこのビルが無事で、しかもついさっきまで通常の営業をしていたことが驚きである。どうやら向こうも、相当切羽詰ってきたということだろう。
 「私兵団同士の代替戦争から、プレイヤーを叩く本格的な抗争になったということだろうな。正直想定外だが」
 「とりあえず、さっさとここから出るぜ!」
 急いで身を起こし、二重と光路は一段飛ばしに階段を駆け下りる。夏羽もそれに続いた。走りながら、夏羽が二重に声をかける。
 「ウチの阿呆もそうだが……お前らの連れはいいのか? 放っといても」
 「ふん、どうせなら死んでくれた方がせいせいするのだが……問題はあるまい。こんなことで死ぬような奴じゃない」
 「は、同感だぜ。陽狩の奴も、こんなことでくたばるような奴じゃあないしな」

                   ♪

 爆重と陽狩、両者の攻撃は、寸前のところでその動きを止めていた。
 「……タイムアップですね」
 「Aow! どうやら敵対企業が実力行使に出てきたと見えるね」
 そして、両者共に武器を引いた。戯れのような殺し合いを終え、逃走に移る。
 「引き分けといったところでしょうか?」
 「Cha、そうだね。決着は次の機会ということで」
 そんな会話を交わす間にも、立て続けの爆音と共にビルが振動する。半ば飛び降りるように階段を駆け下りる陽狩に、後ろ向きのままという驚異的な芸当でぴったりと突いてくる爆重。
 「二重たちは無事に逃げられたかな? Ho! まあ彼らなら心配はないだろうけど」
 「おや、澪漂も来ていたのですか。こちらの相方も、こんなことで死んでいなければいいですが……まあ、大丈夫でしょう。ゴキブリ並みの生命力と悪運の持ち主ですから」
 逃走の最中、そんな言葉を銘々に呟く二人。その確信の出所こそ違え――爆重は信頼から、陽狩は殺意から――もしかしたらこの二人、似たもの同士なのかもしれなかった。

 そして次の日、北米東部における企業間の抗争は、両企業の名が抹消されるという形で終結を迎えた。


                    ♪

 「ふうん? で、その爆重さんって人は陽狩のことが随分気に入ったようなんだね」
 数日後、学園都市東区画にある洋館「虞骸館」の庭で、二重はテーブルを挟んで一人の少女と話していた。相手は【イノセントカルバリア(純白髑髏)】の篭森珠月。二重の予科程時代からの友人である。
 テーブルの上には高級なティーカップに入った紅茶、そして数々のお菓子類。二人のほかには庭に人の姿はなく、お茶会というよりは、日常的な友人同士の会合といった雰囲気が流れていた。あるいは、二重を知る者ならば、彼がこんな場面に身を置くことが珍しいと思うかもしれないが。
 「ああ……近いうちにまた奴に会いに来ると言っていた。二度と来るなと言ってやったが」
 「あはは、まあ、外から来た人が問題起こすと困るからね」
 楽しげに笑う珠月に対して、二重は本当にうんざりとした表情でカップを傾ける。
 「全くだ。この前の七重にしてもそうだが……少しはこの学園で生活している私の身になって考えてもらいたいものだ」
 「でも、意外といえば意外だよね。二重って澪漂の人達からは嫌われてるんじゃなかったっけ?」
 イレギュラーな存在として澪漂に名を連ねた二重は内外に敵が多い。友人としてそのことをよく聞き知っていた珠月にとって、彼をとりまく澪漂の面々の存在は少々意外だった。
 「全く理解者がいないという訳ではないからな。七重や二十重あたりはメンバーの中でも年長組で大らかだし……まあそれ以上に私のことを嫌っている奴が多いのも事実だが」
 「というか、あんたが敵を作るのが上手すぎるんだよ。もう少し優しくなったら?」
 「……一重以外に優しくする理由が見当たらない」
 二重はそんなことを言ってクッキーを口に放り込む。
 「ふうん……じゃあ、私にも優しくしてくれないの? 私、結構あんたのこと好きなんだけどな」
 「…………」
 「あ、照れてる照れてる」
 「黙れ、【無能】が」
 あるいは、二重のこんなツンデレなところがファンクラブの子たちにとってはたまらないのかもしれないな、と珠月はそんなことを思うのであった。

 こうして、澪漂爆重が二重達を巻き込んだ騒動は、日常の中に埋没していく。その後一週間もしないうちに学園都市を訪れた爆重を、二重が過激な歓迎でもてなしたことは、また別の話。
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