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冷泉神無&法華堂戒

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First contact 冷泉神無&法華堂戒


 雨が降っていた。すりガラス越しでも外が薄暗いのが分かる。客足もすっかり途絶え、肌寒い。今日はさっさと店じまいをしようかと、冷泉神無は心の中で考えた。
 ライザー学園の本科に上がった神無が、ウエストヤードのバザール近くにひっそりと店を構えたのはもう二カ月も前のことだ。しかし、当然のことながら客は多くない。無理に店に客を呼ばずとも、売り出し中の鑑定士で修復人である神無にはいくらでも仕事はある。扱うのが骨董という関係で、自分が向かわなければならないことも多い――骨董の消耗が激しくて迂闊に動かせないとか、そもそもでかすぎて簡単に移動できないとか、湿度や温度の関係で持ち運びしないほうがいいとか、古いものには色々事情があるのだ。
「とはいえ、誰も来ないというのも寂しいね」
 ぽつりと神無は呟いた。本科二年目。そこそこ友人はいるが、いずれも今は上へ向かって階段を駆け上がっている真っ最中。そう簡単には遊びにくることもできない。たまたま客が来ず、鑑定の仕事も修復の仕事もないという時間はすることがない。
 売り物の椅子に座ると足元にふかふかしたものが触った。店で飼っている遺伝子改造されたカピバラのポンチョとピローピロだ。二匹は商品に座っている店主を咎めるように頭突きしてくる。仕方なく、神無は立ちあがった。
「もう少しくらいいいじゃん。商品傷つけたわけじゃないし」
 文句を言いながらも店の奥の店主席に戻ろうとする神無の前に、カピバラが立ちはだかる。やや色が濃いのはポンチョだ。もっともその違いは神無にしか分からないが。
「どうした?」
 ポンチョもピローピロも声帯をいじってはいないので、人間の言葉は喋れない。代わりに何か訴えるように入り口のほうを見た。神無は小首をかしげる。
「誰かいるの?」
 当然だが返事はない。神無はため息をつくと出入り口のほうへ足を向けた。頑丈な扉の上部に取り付けられた硝子窓には何もうつっていない。それでも一応は扉を開けてみる。もし誰もいなかったら、早々に看板を中にいれて店じまいをする予定だった。
 だが、予想外なことに人がいた。扉の上部に取り付けられた鈴のやかましい音色に、その人物は迷惑そうに振り向いた。
「おや」
 そこにいたのは、どことなく他人を寄せ付けない空気をまとった少年だった。神無よりいくぶんか年下だろう。線が細く、中性的な顔立ちをしている。薄暗いところでなら女の子と間違えてしまったかもしれない。
暗い色の髪を雨水が滴り落ちる。本人はびしょぬれなのに、いったいどうやったのか、目の前においてある包みはほとんど雨に濡れていない。包みより先に気にするものがあるだろうと、神無は心の中でため息をついた。
「…………お客さん?」
 そんなわけないだろうと思いながらも、一応聞いてみる。案の定、相手は首を横に振った。しずくが髪を滴る。
「勝手に軒先を借りてすまない。雨が止んだらすぐに出ていく」
「あのね、別に出ていけとは言ってないでしょうが」
 季節は梅雨。日本独特の長い雨が続く時期だ。暦の上ではかぎりなく夏に近いというのに、連日の雨は地表の温かさを容赦なく奪っていく。一度は夏服に衣替えした連中も、最近ではまた長袖に逆戻りだ。
 びしょぬれの少年と止みそうにない空を交互に見て、神無は小さくため息をついた。そして思いきり店の扉を開ける。少年は不思議そうな顔をした。
「――入って。タオルくらい貸してあげる」
「気を使わなくていい」
「店じまいなのよ。そこにいられると迷惑だよ」
 本当はまだ定時ではないのだが、そう言って神無は店の看板を中に引き込んだ。それを見て納得したのか、少年は立ちあがる。
「入れて貰えるなら、先に荷物を乾かしても構わないか?」
「あんたねえ……どんだけ大切なものが入ってるのよ?」
 あきれたように神無は呟いた。そしてびしょぬれの少年から荷物を受け取ると、カピバラの背中にのせる。
「ポンチョ、奥に運んで。ピローピロ、タオル取ってきて」
 現れた巨大げっ歯類に少年はぎょっとした顔をした。客のこういう反応は珍しいものではないので神無は無視する。
「さ、入って」
 少年を促したところでやっと、神無は彼が武器を背負っているのに気づいた。



 雨はやむ気配はない。神無が渡したタオルを頭からかぶってストーブの前に座った彼は、一息ついたのか小さな声で名前を名乗った。聞き覚えがあるようなないような微妙な名前だ。
「ほっけどうかい」
「そうだ」
「法華堂、戒ねえ……御実家は寺か何か?」
「多分……違うはず」
 自信なさそうに戒は答えた。なぜか神無とは一定距離以上近づこうとしない。視線を床に落とし、落ち着きなく周囲を警戒している。
「でも、法華も戒も仏教関連の言葉じゃないの?」「そうなのか」
 興味なさそうに戒は答えた。愛想がない子だな、と神無は思う。
「お友達に名前を突っ込まれたことないの?」
「呼ぶ奴自体がほとんどいない」
 寂しい返事が返ってきた。戒は神無と視線を合わせようとはせず、手に持った三又の槍をいじっている。それに血肉を斬ったとき独特の傷みがあるのに気づいて、神無はかすかに表情を変えた。それに気づいたのか、戒は少しだけ視線を神無に向ける。
「――お前は骨董商か?」
 だが飛んできた言葉は予想外のものだった。神無は答える。
「見ての通り。骨董商で、鑑定士で、修復屋だよ」「ワーカー……」「その通り」
 再び沈黙。戒は手の中の武器を確かめるように指を滑らせる。今のご時世、武器を携帯する人間など珍しくない。むしろ一切持たない人間のほうが少数派だろう。カオスそのもののようなこの学園都市では、最先端の銃やブランド物の刃物以外にも骨董としかいえないような古い銃火器や物語に登場するような珍しい武器を使用するものもごく普通にその辺にいる。だが、それを差し引いても彼の武器は珍しい。
「――トライデント。先が三又に割れた特徴的な槍系の武器。凶悪そうな外見に反して扱いが難しく、素人が使っても簡単には致命傷を与えられない。むしろ象徴的な武器として神話などに登場する。その起源は農具とも漁業に使う銛の一種とも言われる。大きさはバラバラで腕ほどの長さから、人間の身長以上のものまである。玄人になると分かれた三つの穂先で相手をひっかけたり、武器をからめ捕ったり、攻防一体型の戦闘スタイルを取る」
 ぴくりと戒が反応した。それに合わせて、いままさに冷泉が口にした通りの特徴を持つ武器が電灯の光を反射してきらりと光る。人を殺したことのある武器の光だ。
「あなたは傭兵?」
 神無の問いかけに戒は首を振った。
「じゃあ、工作員か暗殺者」「違う」「違うのかぁ。どこかで聞いた名前だから、有名人だと思ったんだけど」
 じゃあ何かなと神無は首をかしげて見せる。相手にかすかにまとわりつく、殺人者独特の気配はできるだけ無視することにする。
「法華堂か……どっかで聞いたことがある気がするんだけど。誰が言ってたんだろ? 桔梗さんじゃないし……ブラックシープの誰かかな?」
 気をつけないと分からないほどかすかに戒が顔を上げた。当たったと神無は確信する。
「ブラックシープ黒羊くろひつじ……んー、そういえばエドワードさんがまたどっかから人間拾って……いや、違うか」
 おぼろげな記憶を一つひとつ言葉に変換しながら掘り起こしていく。つい最近、とんでもないところでそんな感じの名前を聞いた気がするのだ。
「――――エドワード・ブラックシープが殺人鬼を連れて帰った、とか」
 次の瞬間、神無の視界は反転した。マイセン陶磁器の並んでいた棚が視界から消え失せ、代わりに工房で一つずつ手作りされた硝子の電灯が見える。自分が店主席の大きな机の上に押し倒されたのだと気づくのに、少しの時間を要した。思いきりぶつけた後頭部が痛い。そして首筋には、近距離で使うには大きすぎる白刃がある。やや遅れて、濡れたタオルがふわりと床に着地した。
「――――」
 神無を見下ろす一対の目は冷たい。神無の台詞を聞くと同時にタオルを跳ねとばして武器を突きつけた戒は、何も言わずに神無を見下ろした。わずかに躊躇するような色があるのはなぜだろうか。
「…………ごめん、何か機嫌を損ねた?」
「嬉しくない情報が出回っているようだな」
 冷たい声が返ってきた。死の気配を感じる。少なくない人数を似たような方法で排除してきたのだろう。だが、それほど怖くはない。この学校で生きていれば、警告も合わせればこんな目に合うことなど日常茶飯事だ。
「珍しくもないよ。この学校で人殺しなんて」
「殺人者と殺人鬼は違う。知らないわけじゃないだろう?」
「まあね。殺人鬼の殺人は、殺人者のようなはっきりとした意志や理由がない。呼吸をするように、ちょっと散歩に出るかのように、それくらいの気分で殺すらしいよ。えらい学者さんたちが言うには。実際、そうなの?」
 返事はない。いつでも殺せる体勢で、殺人鬼である可能性の高い少年は動きを止めている。かすかに手が揺れているのが怖い。
「……ねえ?」「お前は」
 独り言のように戒は言った。一瞬、それが自分へむけての問いかけだと気づくのに時間がかかった。神無は目を瞬かせる。
「お前は何で武器を持った人間を店に入れようと思ったんだ? こんなに弱いのに」
「ワーカーなんだから仕方ないじゃない……って違う。店先にずぶぬれの人間がいたなら、誰だってタオルの一枚くらい貸してやるでしょ」
「こんな時代、この学園でも?」
 神無は黙った。
 国家という体勢が崩れたのは、神無が生まれるよりはるかに昔の話だ。国がなくなったことで、少なくとも建前上はまかり通っていた人間の平等とか福祉社会とかそういう概念は見事に崩壊した。世界を支配する企業というシステムそのものが利益の追求という性質を帯びているのだから仕方ない。弱者を無条件に保護する義務も余裕も誰もない。保護することがあったとしても、それは何らかの形で自分に利益が帰ってくる場合だけだ。世界は弱肉強食で、弱いものが淘汰されるのが当たり前。その代わりに、壁を乗り越える強ささえあればどんな人間でも世界の上部に食い込める。そんな世界で親切は強者の特権だ。強くなければ、親切をした瞬間に裏切られて自分の居場所を奪われてしまうから。
「でもさぁ」
 目の前には刃。それを意図的に無視して、神無は言った。
「それって寂しいじゃん」
「寂しい?」
「戒さんが殺人鬼なのかどうなのか、私はよく知らないよ? でもまあ、袖触れ合うも多生の縁というか、たまたま会ってそれが平気そうな人だと思ったから店に入れた。それじゃあ、ダメなのかな?」
 返事はなかった。ただ、ためらうように刃が揺れる。
「それに思うんだ」
「何を……?」
「美形ってだけで、世の中色々なことが許されると思う!」
「は!?」
「だからね」
 力強くこぶしを握り、神無は断言した。
「戒さんは美少年だから、それくらいの欠点許されると思うんだ!!」「おかしいだろう!」
 沈黙が落ちた。喉元から刃が離れる。同時に戒の姿も視界から消えた。机の上に押し倒されていた上半身を起こした神無は、なぜかがっくりと床にへたり込んでいる戒を発見する。
「どうしたの?」
「…………顔」
「顔がどうしたの?」
「お前は…………顔で人間を判断するのか……?」
 この世の終わりのような落ち込みように、神無は首をかしげる。
 戒は美形……だと神無は思った。線が細くて全体的に細いのに、筋肉はしっかりと付いている。色は男にしては白く、髪や目もやや色素が薄い。後天的に手を加えたものではなく、生まれつきだろう。なかなかの美少年だ。
「顔は大事。人間の看板みたいなものなんだから!」
「…………どうしてこの学校の連中は……色々なモノがずれているんだ。エドワードの奴も初めに顔に注目しやがったし……違うだろう。そういうのは違うだろう。ここの生徒はまともな恐怖心すら不足しているのか……?」
 何か悩みのスパイラルに入ってしまったらしい戒はぶつぶつと何かを呟き続ける。鬱な殺人鬼という極めてまれな物体に、神無は興味深そうな視線を向けた。
「ごめん、怖がってほしかったの?」「違う」
 きっぱりと返事が返ってきた。神無からすれば、美形というだけで殺人鬼という強烈な問題点を無視してもらえるのだからお得だと思うのだが、戒としてはそうもいかないらしい。
「……受け入れられるのに慣れていない」
「だって、ここはトランキライザーだよ?」
 神無は笑って壁にあるレバーに手を伸ばした。レバーを引くと機械が作動し、明かりとり用の窓が開く。
「自分と自分の周りに害をなさないなら、この学園の人間は基本的にどんな相手でも受け入れる。例外はあるけどね」
 ぱっと日光が差し込み、舞台のように薄暗い店内を照らし出す。いつの間にか雨は止んでいた。まぶしい光に、戒は目を細める。
「長生きできそうにない人間の集団だ」
「そうでもないよ。異常も異物も飲み込んで、地獄の掃き溜めでなお笑う。それがこの学園だもの。貴方の殺人鬼という異端の称号すら、この学園では服についてるタグくらいの意味しかないと思うよ。安心していい。ここの生徒は貴方を拒まない」
「知ったようなことを言う」
「分かるよ。私はこれでもライザー学院の本科生なんだよ。それに」
 笑って神無は干された戒の荷物を指差した。布製のカバンの中に、紙製の封筒に入った書類とデータディスクのようなものが見える。
「あれ、エドワードのでしょ? 黒い羊のワンポイントはエドワードの印だもん。他人の持ち物を自分より優先させられる人間なら、殺人鬼だとしてもその人関連で余計なことはしないでしょう」
「信用し過ぎだ」
 戒は片手でトライデントを突き出した。それは神無の頭のぴったり三センチ前で止まる。近すぎてうまく視点が合わない。神無は目を瞬かせた。
「もしお前が俺にとって不利な情報を振りまきそうなタイプなら、殺すつもりだった」
「過激だね」
「疑わしきは滅しておけ、というのは基本だろう?」
「じゃあ大丈夫。私は疑わしくないよ」「どこの世界に自分は疑わしい人間だと宣言する疑わしい人間がいる?」「私の友達はいつも、自分は悪人で行動の裏には下心があるって言ってるよ?」「何だそのツンデレは」「本科生で人類最狂の娘なんだけど……伝えておくね」「やめろ」
 再びの沈黙、ややあってため息とともに戒は武器を下ろした。
「疑わしくないって分かってくれた?」
「ちょっと黙れ。エドワードにプライベートでの殺人は禁じられてる。心を落ち着けてお前を見逃そうと思うから、少し黙ってくれ」
 三度の沈黙が満ちた。床を歩き回るカピバラの足音がやけに大きく響く。
 ドスドスドスドス(足音)フー(鼻息)ドンドン(棚にぶつかった)―――――
「…………この家は静けさを味わうことすらできないのか」
「私以外の人間がいる光景が珍しくて興奮してるみたい。ごめんね。なんせげっ歯類のすることだから」
 人間を殺すには空気がいる。まれにそれがなくとも殺せるプロや存在そのものが空気を代用しているような奴もいるが、戒はそのタイプではない。毒気を抜かれて、今度こそ床に膝をつく。
「…………もういい。雨も上がったし、帰る」
「そっか」
 干してあった荷物を手早くまとめると、神無は戒に差し出した。視線を合わせずに、戒はそれを受け取る。
「また来てね。店にいたら、お茶の一杯くらい出すよ」
「また……?」
「うん、何度でも来て」
 驚いた顔で戒は振り返った。視線がかち合う。神無はにっこり笑うと、親指を立てたこぶしを突き出した。
「美少年って目の保養だよね!! 何度でも見たいな!」
「二度と来るか」
 しかしその後、彼は何か高いものが壊れる度にここに派遣されることになり、その後数年にわたってこの店に通い続けることになる。


おわり
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