BIBLIOMANIAX

推理小説にお砂糖一杯 3

最終更新:

tranquilizer

- view
メンバー限定 登録/ログイン
 部屋を離れ廊下に出てからずっと、冷泉は壁や板張りの床を手で触り探っていた。時折耳を当て、確かめるようにこんこんとノックする。反響する音を確認しながら、彼女はずんずんと進む。冷泉の行動の意味は解らないながらも、矯邑は辺りを見回しながら着いていく。誰か現れたらどう言い訳をするかと不安に思わなくもなかったが、事前に集めた情報では、最初に客間まで案内をしてくれた少女以外の使用人は居ないとなっていた。戦闘経験の無さそうな少女一人なら、発見され咎められてもどうにかなるだろうと高をくくり、代わりに矯邑は言いそびれていたささやかな礼を口にする。
「さっきはありがとう。私一人なら騙されるところだった」
 矯邑からかけられた言葉に、冷泉は床を撫でていた手を止め、ああと恥ずかしそうに目を伏せた。
「ううん。私だって、あれが『西陣織』だってあらかじめ言われてなければ、解らなかったかもしれないし」
 冷泉の謙遜にそんなはずないだろと軽く返しながら、矯邑はふむと考え込んだ。
「その『西陣織』って、結局なに?」
 矯邑の質問に、冷泉は彼女にも解らないことはあるのかと、ほんのり驚いた。知識人の矯邑だが、至らない分野もあったらしい。興味がなかったのか、もしくは必要ない知識だと忘れてしまったのか。矯邑の性格ならおそらく前者だろうなと見当をつけて、冷泉は簡単に説明する。
「『西陣織』はね、ここがまだ日本って呼ばれてた頃、京都っていう都市の一部で作られていた先染めの織物なんだ。今回の品は着物だけど、有名なのは金襴や帯の方かな。『染めの着物に織の帯、織の着物に染めの帯』って言ってね。正装の時は、これも京都の有名な技法である『友禅』を使った着物に『西陣』の帯。趣味で着るならその逆で、『西陣』の着物に『友禅』の帯、なんて装いの覚え方があったくらいなのよ」
 黄道暦となった今でも、和装は一定の人気を誇っている。この学園の生徒にも、〈神風〉やその他の純日系を含め愛用者は多い。詳しい用語の意味は解らないが、矯邑は何となくこんな感じの品物だろうと想像し納得した。
「今回の着物は、『西陣』のお召し縮緬。それも手織りのものね。柄は矢絣……花京院さんにお嫁入りでもさせるつもりだったのかしら?」
 矢絣柄の着物は、射られた矢は一方通行で戻ってこないということから、結婚の際に持たされることが多かった。矢に重ねて、出戻りがないようにと縁起を担いでいるのだ。メールに添付された数枚の写真からでも、そこまで推察し判断できる友人に、矯邑はまたしても感心した。冷泉は、喋りながらも探るように床の隙間を爪で探っている。矯邑から見れば、ただ板が並んでいるだけの何の変哲もない廊下だ。
「『西陣織』の着物って、高いの?」
「んー……まあ、当時は一般人の手が届かないほど高級って訳でもなかったみたいだけど、今となっては、ね。職人の手作業で織られ染められた絹製の着物なんて、考えられないほどの贅沢になっちゃったのよ。私達が着てる服は、ほとんどが人工的に作られた繊維で、それらしく整えてあるだけのものでしょう? 現存するあの時代の着物は、博物館に所蔵されるか金持ちが個人的に貯め込むか……どっちにしろ結局は〈神風〉に流れるんだろうけどね」
「そんな貴重なものが、タダで手に入るかも、なのか」
 矯邑は改めて空多川のミスティック能力に感心する。運命を絡め取り繋ぎ合わせ、思い通りに動かしていく。現代の魔術が持つ人智を越えた可能性に、矯邑はスカラーとして改めて好奇心を刺激された。
「なりたい訳じゃないけど、研究対象としては興味あるよな。今度論文漁って―――」
「あったよ」
 知識の世界に没頭しかけた矯邑を、冷泉の声が引き戻す。何がと聞き返す矯邑の目の前で、冷泉は床板の一部を爪でずらした。よく見れば、そこには木目に紛れさせるようにして、複数の小さな板が重なり合った部分があった。細工箱みたいなものよ、と冷泉は爪で空けた細い隙間に、周囲の板を少しずつずらしてはめ込んでいく。鮮やかな手つきで移動させられた板は、やがて綺麗に整理され再び床に収まった。途端、するすると何かが動くような音が響く。
「この位置だと、まあここよね」
 立ち上がり、冷泉は隣の部屋を開ける。四畳半ほどの小さな部屋の中、彼女は迷うことなく押し入れに向かい、閉じられていた襖をからりと開けた。
「うわ……なんだこれ」
 開け放たれた押し入れに底はなかった。下段の床部分が丸々無くなっている。深い穴をよく覗けば、梯子のようなものが側面に付いていた。先程冷泉が動かしていた板がスイッチだったのだろう。普段は単なる押し入れだが、有事の際の脱出経路として使われるか、今回のように大事なものを隠しておくために使われるか。どちらにせよ、仕組みを知っていなければ、なかなか発見されない隠し通路である。
「よく見つけられたね、こんなからくり」
「掘り出し物を探して古い屋敷とかを調査してると、たまにこんな仕掛けに出会うこともあるのよ」
 それは盗掘の類ではなく、きちんと許可を取っての調査だろうなと念を押したくなるのをぐっと堪え、矯邑は目的を果たすべく梯子に手を掛けた。

 地下は整理が行き届いており、埃っぽさを感じさせなかった。最近使われた形跡があると言うことは、ここが当たりなのだろう。人が一人通れるかどうかくらいの狭い通路を手探りで進んでいくと、開けた場所に出る。八畳ほどのスペースには、様々な武器や、一見何に使うのか解らない道具類、櫃、そして。
「これ、か」
 彼女達が探し求めていた着物が、あった。
 博物館か美術館の展示品のように、ガラス張りのケースの中で広げられている着物は、大きな蝶のようにも見える。眺めているだけで嘆息してしまうほどに鮮やかな藍色。言葉を無くして立ち尽くす矯邑に、冷泉があの男の気持ちも分かるわと漏らした。
「畳んで仕舞っておくなんて勿体なくて出来ないわね。ここで一人眺めて悦ってたんでしょう。まあ、あの人が見ることはもう二度とないだろうけど」
 つかつかとケースに歩み寄り、冷泉はざっと全体を見渡した。最低限の警備システムは作動している。袖口から幾本もの細い金具を取り出して、彼女は眼鏡をかけ直し作業に入った。
「えっと、私手伝えることある?」
 かちゃかちゃと鳴り出した金属音に、はっと覚醒した矯邑が問いかける。
「んー、大丈夫。繍ちゃんはぼーっとしてていいよ、すぐ終わらせるから」
 解ってはいたが、罠や警備システムの解除となると、一通りは予科時代に学んだとはいえ、専門家ではない彼女は役に立てない。申し訳なく思いながら、矯邑はその辺りに敷いてあった筵に腰を下ろし、鮮やかに工具を操る冷泉の指先を追うことに専念し始めた。元来不器用なところのある彼女には、冷泉の繊細な所行が奇跡のように感じられる。柔らかな腕の動きに何となく夢見心地になりかけた頃、ごとりと大きな物が外れる音がした。
「終わったよー」
 ぷるぷると首を振って、着物のあった位置に視線を移す。ガラスケースは細かいパーツごとに見事分解されていた。
「さ、回収して帰ろう。契ちゃんが落ち着くまで待たなきゃいけないかもしれないけどね」
 またしても袖口から、今度は大きめの風呂敷を取り出して、冷泉はてきぱきと着物を包み始める。了解、と背を伸ばし矯邑は立ち上がった。瞬間、しゃあっと風切り音がして、その、彼女が丁度座っていた位置に何かが突き刺さる。
「え?」
 振り返り、矯邑はまじまじと筵を見つめた。藺草の緑の中に、朱色の矢羽が生えている。それがボウガンの矢だと悟るのと、冷泉が彼女を突き飛ばしたのは瞬きの差だった。壁にぶつかる衝撃で、凍り付いた頭の中に危険信号が鳴り始める。
「繍ちゃん逃げてっ!」
 大声で叫び冷泉は、手近にあった釘抜きを、自分たちが入ってきた方の入り口へと投げつける。金属同士が擦れ合う音が響き、釘抜きは弾き返された。続けて、冷泉に向かい幾本もの矢が飛んでくる。ぎりぎりのところで交わし損ね、彼女のスカートは大きく引き裂かれた。鈍く痛む肩を押さえながら、ちかちかする目を必死に開き、矯邑は襲撃者を確認する。地味な葡萄茶の着物を翻し姿を現したのは、単なる使用人と思っていた、少女だった。
 彼女達を案内していたときの愛想の良さそうな笑顔を捨て去り、機械的な無表情で少女は両腕を突き出す。その先端にあるはずの手首は外れ、ボウガンの射出口となっていた。
「サイボーグ!?」
 前情報になかった事実に、矯邑は思わず声をあげる。ぴくりと、少女の照準が冷泉から矯邑に移った。慌てて傍にあった櫃の影に隠れるが、逃さないと言わんばかりに遮蔽物ごと打ち抜く勢いで矢が発射される。ぶちぶちぶちと櫃を突き破って矢が飛び出し、矯邑の体を掠めていく。
 矯邑を救うため、冷泉は一か八かの賭けに出る。彼女一人なら逃げることもできたが、戦闘経験の乏しい矯邑をこの場に放置していけば、蜂の巣になることは間違いない。そんな光景を見るのは御免だ。
 冷泉は射出リズムがずれる時を見計らい、少女の背後に回り込んだ。彼女の予想した通り、矢は六本で一セットになっていたようだ。六本の矢が打ち出され、新たな六本が装填されるまでには、微妙なタイムラグがある。その隙を逃さず、彼女は少女の両腕を捻りあげ射出口を地面に向ける。これで、矯邑に矢が放たれることはない。僅かな安堵が緩みを作る。
「もう大丈夫! 今の内に早く通路へ…………っ!!」
 冷泉の声に物陰から出てくる矯邑。無防備なその腹に向かって、葡萄茶色の塊が飛び込んでくる。え、と冷泉は手元に目を移す。彼女が握りしめていたのは、少女の腕部分だけだった。サイボーグ、なのだ。接続部分を外してしまえば、拘束からも簡単に抜け出せる。機械仕掛けの特性に思い至り、ざあっと冷泉の全身から血の気が引く。悲鳴を上げる間もなかった。

 矯邑は、世界をスローモーションのようにゆっくりと感じていた。迫ってくる少女がコマ送りで見える。帯に包まれていた腹部から、ぎらぎらと斧のような刃が飛び出ていた。もうあの着物は使い物にならないだろう、勿体ない。変な心配が矯邑の頭を過ぎる。不思議と、死んでしまうのだとは感じなかった。痛みも不安も、どこかに置き忘れてしまったのだろうか。彼女の唇は動き、一人の名前を形作る。
「た、ま」
 少女の瞳が大きく見開かれた。戦闘に入ってから初めて浮かべられた表情は、驚愕のそれだった。刃は、矯邑の体どころか服一枚も切り裂いていない。獣の爪が、襲いかかる鈍い輝きを粉々に砕き散らしていた。矯邑の目前に突然現れた闖入者は、小柄な肉体をくるりと空中で一回転させ、その勢いで両腕のない少女を蹴り倒す。矯邑は他人事のように、まるで映画の中に居るみたいだと微笑んだ。
「御怪我はありませんか? 繍殿」
「無いよ、玉九朗さん。とりあえずは無事みたい」
「それは良かった」
 心底安堵しきったように呟きながら、乱入者―――玉九朗は、倒れ込む機械の体に連続猫パンチを繰り出す。少女の首から下は、みるみるうちにスクラップと化していった。これ以上は破壊できないというところまで砕き終えると、玉九朗はくるりと矯邑の方に向き直り、悲しげに髭を揺らしてみせた。
「吾輩の居ないところで繍殿に何かあったら、一生猫まんまが咽に通らなくなります。あまり危険なことはしないでいただきたい」
 ごめんねと謝る矯邑の腰から、ふうっと力が抜ける。とすんと床に尻をつき、玉九朗の頭を撫でる彼女に、冷泉が駆け寄った。互いに外傷は殆どない。冷泉のスカートに深いスリットは入ったものの、足に傷は負わずに済んだ。緊張の糸が切れたことで、涙混じりの微妙な笑いが起きる。もうこの部屋は、戦場ではないのだ。
「でも玉九朗さん、どうしてここが?」
 きゅうっと玉九朗を後ろから抱きかかえもふりつつ、矯邑が問う。玉九朗はきょとんとした顔で彼女を見上げ、与り知らぬ所でしたかと逆に聞き返した。
「篭森殿から承っていたのです。繍殿が吾輩を置いてどこかへ行くようであれば、気取られぬように影から守れ、と」
「篭森ちゃんの差し金か」
 篭森の配慮に、二人は感謝する。彼女の命令がなければ、今頃彼女達は血の海に沈んでいたかもしれないのだ。玉九朗を抱きしめる腕に力を込めながら、矯邑は後頭部の猫っ毛に顔を埋める。温かなお日様の匂いが鼻孔を擽った。玉九朗はぱたぱたと機嫌良く尻尾を揺らしながら、その愛撫を受け入れる。
「繍殿。ところで何故繍殿はこの様なところに? お仕事ですか?」
 屋敷を訪れたそもそもの目的を尋ねられ、そういえばと矯邑は声をあげる。ああっと冷泉も着物の存在を思い出し、慌てて立ち上がり安否を確認し始めた。
「き、着物着物っ!! 大丈夫!? 無事!?」
「えーっとえっと……無事っ!! ちょっと一部裂けてるけど、許容範囲!」
「着物? 繍殿は着物が欲しかったのですか?」
「何でもない! 玉九朗さん何でもないから目え瞑ってて!!」
 二人と一人の喧噪を、砕け散った眼球の奥で少女が無機質に映し出していた。

 数日後の夕刻、矯邑の家に一同は会していた。庭に広げられたビニールシートの上には、ごちそうの詰まった御重が広げられている。だし巻き卵を取り分けながら、村崎が原材料の入手にまつわるエピソードを話し、篭森と空多川が興味深そうに頷く。四方に置かれた和紙製のライトが淡い薄紅色の光を放ち、料理を照らしていた。
「できたよ~。本日の主役の登場です」
 着替えを手伝っていた冷泉が、縁側から降りつつ声を掛ける。三人は箸を動かしていた手を止め、友人の姿を探す。
「主役は玉九朗さんでしょ、私は違うじゃん」
 恥ずかしそうに頬を掻きながら、矯邑が奥から顔を覗かせた。タートルネックのノースリーブワンピースが、夜風に揺れる。黒と藍を基調としたデザインのその服は、裾がアシンメトリーになっており、足を進める度に美しいフォルムを描いた。よく見れば、斜めに入った藍の部分は、見覚えのある矢絣模様をしている。誰からともなく溜息が落ちた。
「すご…おねえちゃん、似合ってるよ! 綺麗綺麗!!」
「これ先輩が仕立てたんですか!? 既製品かと思いました!」
「スカートの裏地も着物製か、贅沢だね。で、玉九朗は?」
 篭森の言葉に、ひょこりと玉九朗も縁側に出てくる。片手には矢絣模様の座布団が抱えられていた。
「……『西陣織』の座布団とか、猫のくせに生意気だな、お前」
 早速ビニールシートの上に敷いて座り心地を確かめる玉九朗に、篭森がちょっかいをかけだす。敏感な髭をみよみよと弄ばれ、玉九朗はくちゃっと顔を歪めて抵抗した。篭森の行動を咎めながら、矯邑と冷泉も腰を下ろす。早速村崎が、三人分の料理を皿に取り手渡した。
「うーん、なんか玉九朗さんへのプレゼントのはずが、私へのプレゼントになったような……」
 筑前煮を箸で摘みながら、矯邑は独りごちる。その言葉を、玉九朗がにこやかに座布団を手で撫でながら否定した。
「いえ、吾輩はずっと、昼寝の際に使える座布団が欲しかったのです。だから、これで本当に幸せです。それに……」
 続く言葉を口にするべきかどうか、玉九朗は迷う。躊躇いがちな態度に業を煮やしたのか、篭森が玉九朗の尻尾を軽く掴んで、冗談交じりに脅しをかけた。
「言いたいことがあるなら、最後まで言う。でないと尻尾握りつぶすよ?」
「篭森ちゃん!」
 細くしなやかだが有言実行間違いなしの篭森の指から急いで尻尾を引き抜き、玉九朗は矯邑の後ろに隠れる。恥ずかしいが、彼女の言葉も尤もだと思い直し、玉九朗は篭森を制している矯邑に視線を合わせた。初めて彼女と会った日のことも、名前をつけられた日のことも、雨の日も晴れの日も、幸せな時間は一度たりとも忘れたことがない。意を決して、玉九朗は矯邑に笑いかけた。
「繍殿、よくお似合いです。繍殿が幸せなら吾輩も幸せ。そういうことです」
 健気な玉九朗の台詞に、矯邑は目を丸くして驚き、そして反射的に彼を抱きしめていた。温かい生き物特有の温もりが伝わる。私もだよ玉九朗さん、と返す声は毛の中でくぐもっていたが、きちんと届いた。
 幸せオーラを放つ二人に、篭森はもふもふにゃんこ羨ましい、空多川は最初に玉九朗さん見つけたのは私だったはず、冷泉はこの空気どうしよう、村崎はピヨちゃんピーちゃんもそう思ってくれてるのかな、の視線を送る。様々な思惑が入り乱れる中、聞き覚えのある典型的ヒーロー物テーマソングが鳴り響いた。
「篭森先輩の携帯ですか?」
「うん。準備できたみたい」
 メールを確認し短い返事を送ると、何の準備かと疑問符を浮かべる友人達を見渡し、篭森は南の空を指さした。
「一同注目……3・2・1……」
 過ぎ去る夕焼けの残りが僅かに紫を滲ませる夜空に、大輪の花が咲いた。
 遅れて、大きな破裂音が響く。鮮やかな花火が打ち上がっては宝石のように煌めき、散ったかと思えば次の色が世界を染める。素人目にも解るほどの、素晴らしい芸術品が広がり続けていた。
「鈴木深紅作『ハッピーバースデイ玉九朗』」
 篭森の言葉に、矯邑は混乱する。
「え? え? これ玉九朗さんの誕生日祝いの花火なのか?」
「そう。私の個人的なプレゼントだよ。って言っても、私は依頼しただけだから、礼は鈴木深紅に言ってあげて。打ち上げ終わったら顔出しに来るみたいだから」
 花火の光に照らされる篭森の顔は、常日頃と同じ無表情だが、仄かに赤く染まっている。降り注ぐ光の色か、それとも照れか。矯邑は後者だといいなと思い、感謝の気持ちを伝える。
「ありがとう、本当に嬉しい。玉九朗さんの為にここまでしてくれて、幸せだよ」
「どういたしまして。友達だから当然でしょ、喜んでくれたならそれで良い」
「じゃあ鈴木さんにお出しする分のお皿も、用意しないといけませんね」
「うーん、次は花火柄の浴衣生地とか欲しくなってきた。どこかにないかなー」
「たーまやー、かぎやー。……頼めば、蠍型の花火とかも作ってくれる……?」
 様々な感想が入り交じる中、矯邑は思い返す。篭森を除く三人との出会いは、とある推理小説に関連した物だった。あの日から数年の時が流れたが、今も友情は続いている。五人でいられるのは予科生のうちだけだと思っていたのに、気がつけば本科に上り進路や所属が別れた今となっても、こうして誰かのために集まり騒いでいる。
 夜空を彩る花束に目を細めながら、こてんと玉九朗は小さな頭を矯邑の膝に乗せた。矯邑も、彼の頭にそっと手を乗せる。花火の音が木霊して、声をかき消す。
「誕生日おめでとう玉九朗さん、これからも宜しくね」
 もちろんだと言わんばかりに、尻尾が機嫌良くぴいんと立ち上がった。





 空多川は不機嫌さを隠そうともせず、ぎりりと爪を噛みかけて動きを止めた。指先は黒の手袋に包まれている。その事実が更に不快感を煽り、彼女を苛立たせた。湯気を放つティーカップには触れようともしない。
「あの男、死んだらしいよ。頸椎の所をボウガンで一撃、表沙汰にはされてないけどね。契ちゃん達が帰った直後くらいじゃない」
 空多川の態度も気にとめず、篭森はティーカップに注がれた紅茶を揺らし、表面が波打つ様を眺める。二人を挟むテーブルには、幾枚かの書類が広げられていた。
「〈神風〉は身内の恥は身内で処分する主義だ。あいつは村崎ちゃんの事以外にも、色々やらかしてたんだろうね。十中八九、契ちゃんの方に手が伸びることはないよ」
 書類には、矯邑と冷泉が相対した少女の写真も載っていた。印刷された顔の真下には、監察役:○○と少女の名前らしきものが記されている。だが、空多川は全く興味がないのか、紙を手に取ることすらしなかった。
「…………あの、糞ネズミ」
 地を這うような空多川の声に、篭森はまたかと内心苦笑する。今日の空多川の服装は、蠍の刺青を見せるために胸元を露出した、普段の赤と黒のものではない。全身黒のビロードで出来た、顔以外の肌を見せない修道女のような詰め襟の服。彼女がこのような禁欲的な格好をしているのは、上司からのきついお仕置きを受けている時だけだ。
「私的なことに組織の名前を使って怒られでもした?」
 図星だったらしく、篭森の発言に空多川は躰を跳ねさせ、ふにゃりと涙ぐんで見せた。感情に身を任せて友人をおざなりにしたせいで、ボディガードという目的を果たすことが出来ず落ち込んでいたところにこれである。まさに泣きっ面に蜂だ。
「今月のお給料は六割引……しかも残業代も抜きって言われた……」
 自業自得とはいえ、ぐずぐずと椅子の上で膝を抱えて拗ね出す空多川に憐憫の情が湧き、篭森は仕方なさげに声を掛けた。
「ね、これ見て」
 足下に置いてあったアタッシュケースを持ち上げ、テーブルの上で開ける。中には彼女の仕事用書類が詰め込まれていた。これがどうかしたのかと問いかける空多川に、篭森は心中で暖めていた計画を持ちかける。
「新しい企画なんだ。いろんな罠が仕掛けてあるビルからの脱出。参加者はゴールまで辿り着ければ報酬が出る、視聴者はどの参加者が一番にゴールするか賭ける。私は新しい警備用ロボのお披露目ができるし、契ちゃんは思う存分暴れられるからストレスを発散できる。どう? 参加してみない?」
「え、何それ! 面白そう!! おねえちゃんやるやる」
 思いがけない誘いに、一にも二にも無く空多川は乗った。給料を減らされたといっても、それほど金に困っているわけではない。純粋に興味本位での参加表明だ。機嫌を良くした空多川に満足し、篭森は企画の説明を続ける。ふんふんと書類に目を通しながら話を聞いていた空多川は、レポートの一部分に目を留め小首を傾げた。
「おねえちゃん。この企画、名称は未だ決まってないんだ?」
 本来ならば企画名があるべき箇所には、(仮)の文字しかない。空多川に尋ねられ、篭森は何でもいいんじゃないと適当に答える。
「リアル脱出ゲームとか、時限爆弾ビルとか。もういっそシンプルに―――」

「避難訓練とか」


end
目安箱バナー