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お茶とお茶菓子

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お茶とお茶菓子

 天気が悪い。雨が降っているわけではないが、朝から日光を拝んでいない。天気予報によると雨こそ降らないものの一日中この曇り空が続くらしい。雲で薄められた光がぼんやりとノースヤードの街を照らし出している。序列269位【クルワルティワーシプ(残酷礼賛)】不死原夏羽(しなずはら かばね)は、そんな空を見上げて小さく舌打ちした。普段は相棒の序列270位【ヴァイスワーシプ(悪徳礼賛)】不死川陽狩(しなずかわ ひかり)とともに地下にいる夏羽だが、常に住所を変え続けなくてはならないという都合のせいで、たまにこうして地上に居を構えたり、ホテルやウィークリーマンションに滞在することもある。今もそうだ。昨日からノースヤードの安ホテルに泊まっている。ダイニングと寝室が二つあるシンプルな作りだが、暮らすには問題ない。むしろ普段暮らしている環境を考えるとかなりいい環境だ。やろうと思えば豪邸に住むことも可能なのだが、不経済なので絶対にしない。興味もない。
「帰ったぞ」
 人の気配はするのに返事はない。どうやら陽狩は自分の部屋として割り当てたほうの部屋にひっこんでいるようだ。何も知らない相手は、夏羽と陽狩は常に一緒にいると思われているようだが、実際はそうでもない。ばらばらに行動することも多い。
「いないのか? 返事くらいしろよ」
 いつもの癖で、帰ってきた途端に家の中を点検する。留守中に敵が潜んでいるかもしれないし、危険な荷物が届いているかもしれない。乱暴に陽狩の部屋の扉を開けて、夏羽は凍りついた。
「夏羽、他人の部屋の扉を開けるときは一言声をかけなさい」
 予想通り、陽狩は帰っていた。備えつけのソファの上に悠々と座っている。そこまではいつも通りの光景だ。だが、今日はその膝の上に半裸の女がいた。
「あら、間が悪いこと」
 香水の香りがする。女は恥ずかしがる様子もなく、楽しげにこちらを見ている。一瞬で玄人の女性と分かるスタイルだ。自然と顔が引きつるのを夏羽は感じた。
「……お前、何してるんだ?」
「これから楽しいことをしようとしてるんですよ。見て分かりませんか?」
 笑って陽狩は女性の腰に手を伸ばした。女性は嫌がるそぶりもなく笑う。
「やだ、恥ずかしいわ」
「そう言わないで、美しい貴女を見せびらかさせてくださいよ」
 まるで夏羽のことなどみえていないかのように、陽狩は女性の首筋に唇を寄せる。目が合うと、陽狩はふっと笑った。
「どうしました? 夏羽。見ていたいんですが、ああ、それより」
 形のよい唇が楽しげに歪む。陽狩がこういうような笑顔を浮かべるときはろくなことがない。反射的に夏羽は警戒する。
「貴方もまざりますか?」
「死ね」




「……………………なるほど。それでイライラしたので通行人数人を辻斬った後、ここに来たと」
 紅茶の湯気がゆっくりと立ち上る。風が吹くと湯気が揺れ、代わりに何処からともなく花の香りが漂ってくる。立派な英国式庭園――ただし主人に似て多少風変わりだが――の一角に完璧なお茶会の席が整えられていて、そこに四人の人間がいる。少し離れた場所には、赤っぽい煉瓦造りの屋敷。屋敷の屋根の上では風見鶏が風に泳ぎ、壁はつる草が覆われている。
「それで……どうしてここに来るんだ?」
 屋敷の女主人である序列24位【イノセントカルバニア(純白髑髏)】篭森珠月(かごもり みづき)は、紅茶の湯気ごしにため息をついてみせた。しかし、それが演技であることを夏羽は知っている。珠月の分かりやすい表情の多くはわざとそう見せている表情だ。相手が喋りやすいよう、疲れないよう、表情を取りつくろう。それは優しさではなく、社交と呼ばれる。夏羽のもっとも苦手なものの一つだ。上流階級や著名人の家で育つとみんなこういう風になるのだろうか。
 ムカつくが、やりやすい。夏羽は心の中で毒づく。篭森珠月という人物は、慎重なのに気まぐれで、合理的に見えて刹那的。一見すると組むには不向きな人間に見える。だが、こちらが与えたのに相当する利益をきちんと返してくる人物だ。だからきっと、彼女と人脈をつなぐ人物たちは、裏に何かがあるのを知りながらも彼女との付き合いを絶たないのだろう。
「お前に会いに来たわけじゃないぞ、篭森」
「まあ、おねえさまと私のお茶会に乱入しておいてなんて言い草」
 夏羽の言葉に反応したのは珠月の右となりに座った序列96位【ナハトイェーガ―(夜の狩人)】朧寺緋葬架(おぼろでら ひそか)だ。珠月をおねえさまと慕う緋葬架は、夏羽の存在が邪魔で仕方がないらしい。
「……………………緋葬架、私は初めからいるんだけど。私とおねえさまのお茶会で悪かったね。本当に」
 珠月の左隣から遠慮がちな声が上がる。お茶会の最後の参加者、序列251位【フェアリーリング(妖精の仕掛けた罠)】大豆生田桜夜楽はちびちびとお茶を飲んでいる。
「あら、ごめんあそばせ。おねえさまに心奪われるあまり他のことが見えなくなっておりましたわ」
「それってどうなの!? 友達として!」
 ぐったりと桜夜楽は机に崩れ落ちた。お茶会らしいだらだらとした空気が流れる。夏羽にとっては慣れない空気だが、不思議と不快ではない。おそらく参加者の全員が戦闘要員であり、うっかり殺してしまう恐れがないのが原因の一部だろう。戦ってみたい気もするが、戦えばただでは済まないレベルの相手なのでそう簡単に手を出すわけにもいかない。言い換えれば自制がききやすい相手だとでもいえる。
「お茶をもっといかが?」
 返事をする前に目の前のカップに並々とダージリンが継がれる。夏羽は無言でそれを見つめた。紅茶に映った自分が自分を見つめている。
「…………俺は四十物谷を探しに来たんだが」
「家の中のどっかにいるって言ってるじゃん。夏羽が来る十五分前まではそこの席にいたんだけど、今は家の中。なんかさぁ、この前、匿名で変な荷物が来たって言ったら嬉々として調べに行っちゃったよ……と、さっきも説明したはずだけど?」
「聞いた。匿名で鞭が送られてきたんだろう? いくら俺でも、嬉々として拷問用具を調べてる男になんて関わりたくねえよ」
「そうなんだよね。あれは『この鞭で私をぶったたいてください』というメッセージじゃないかと思うんだけど、匿名じゃ誰をぶんなぐればいいのか――――分かったら、息の根が止まるまで叩いてやってもいいのに」「きゃ~!! おねえさま、格好いいですわ!?」「どこが!?」
 立派な殺人予告である。
 夏羽は殺人鬼なのだが、それでもたまにこの学園の倫理観を問う瞬間がある。
「ああ、害虫は元から断つ派なんだ」
「怖えよ。なんでこんな女の周りに人が集まるんだ……?」
「それはどこかの誰かと違って、近くにいる人間を切り殺したりしないからだと思うよ。それに私は誰にとっても利用価値があるんだ。誰かと違って」
「喧嘩を売ってるのか? そうなんだな?」
「そんなことして私に何の利益があるの? 私のお茶会は、私が縁をつないでおきたい相手と過ごすための大事な時間だ。それに私は貴方を入れた。貴方は私の客だよ」
「そうは思えないが」
「客でないならお茶は出さない。話も聞いてやらないし、知恵も貸さない。私は貴方の疑問に答えただけだよ。そもそも、あの話から夏羽は何を言いたいの?」
 優雅な仕草で小皿にケーキやサンドイッチを取りわけて、珠月は夏羽の前に置いた。食べろという意思表示らしい。
「毒とか入ってないよな?」「入れてほしいなら、すぐにでも」「いらねえよ」
 手づかみでサンドイッチを口に詰め込む。イギリス流のキュウリをはさんだサンドイッチだ。適度に塩が聞いていて、やや硬めのパンとよく合う。あまり食事に関心のない夏羽にもそれが上質な素材を使った出来のいいものだと分かる。夏羽はサンドイッチを飲み下して、珠月を見る。
「陽狩のやつ、どうにかならないか?」
「どうにかって、どうしたいのよ?」
「そもそもどうにかしたいなら、ドアを開けて半裸の女性がいた時点で何かアクションを起こすべきだったんじゃないの?」
 口にスコーンを放り込んで、桜夜楽は言った。
「よりにもよって、一番面白い反応しちゃだめだよ」
「そうですわね。私でしたら、まず部屋に入った時点でその女性を撃ち殺しますわね」
「流石にそれは駄目だよ」
 あまりにもあれな緋葬架の言葉に、珠月が苦々しい声を出す。
「プライベートでの殺人は、ポイント下がるよ?」
「問題はそこか!?」
 だが、論点がずれている。夏羽は何か割り切れないものを感じた。
「だって、もし私が家に帰っていておねえさまが半裸の殿方に迫られていましたら、素早くその相手を抹殺し、おねえさまに迷惑のかからないように死体を処分しますわ」
「緋葬架……もしその相手が私の恋人だったらどうするつもりだ?」
「あらあら。それくらいのことで死んでしまうような殿方、おねえさまに相応しくありませんわ。死んだほうがましです」
「あのね緋葬架、戦闘能力だけが人間のすべてじゃないんだよ?」
「お前ら、俺の話を聞く気があるのか?」
「ごめんごめん。それで、夏羽はどうしたのかな?」
 ゆっくりと紅茶のカップを混ぜながら、珠月はほほ笑む。底の見えない笑みが陽狩に似ている気がして、夏羽は不機嫌になった。こういう笑みを浮かべる人間は、高確率で良い性格はしていない。
「…………陽狩の弱点とか知らないか?」
「直球な話題来たね」
 珠月は小首を傾げた。可愛らしい仕草なのに表情がないせいでどことなく怖い。
「陽狩はプライド高いから、苦手なものがあってもひたすら隠すか、あるいは死ぬほど努力してこっそり克服しちゃうタイプだね。四六時中一緒にいる夏羽が知らないことを、私たちが知るわけない。何より、夏羽はだまし討ちは苦手でしょ?」
「単刀直入に毒でも盛ってみては?」
「お前は単刀直入の意味を取り違えている」
 そんなことありませんわよ、と緋葬架は言ったが棒読みに聞こえた。
「そんなことを宗谷に聞きに来たの? 確かに宗谷は調査会社の所長だけど、スナッチや乱のところのほうがそういう情報なら正確なんじゃないかな」
「…………伝手がない。仕事関係は接触すると速攻で向こうにばれるしな」
「お友達やお知り合いを頼ればよろしいのではなくて?」
 沈黙が落ちた。ゆっくりと桜夜楽と緋葬架の顔がこわばっていく。
「……まさか、友達が宗谷さんだけとか? それはないよね……あはは」
「違う」
 桜夜楽はほっとした顔をした。
「それはそうだよね。まさかそんな」「四十物谷は、『まだ死んでいない知人』だ。ついでにお前らもそうだ」
 再びの沈黙。
「なんだその憐れむような視線は?」
「一人もいませんの?」「必要ないからな」
 何か言いたげな女性陣の視線が突き刺さる。落ち着かなくて、夏羽はティカップの端を指ではじいた。
「………………可哀想」
「憐れむな!」
「私の胸で泣いてもいいよ?」
 そっと桜夜楽は両手を広げた。夏羽の機嫌は急降下する。
「いらねえよ」
「む。女の子が胸を貸すって言ってるんだよ? 男にとってはまたとない大チャンスだっていうのに、それを断るの!?」
「このあるのかないのか分からない大平原にどんな魅力を感じろと?」
 三度の沈黙が落ちた。だが、今回の沈黙は若干空気が冷たい。よく見ると、広げていた両手を下ろして桜夜楽は小刻みに震えている。
「大豆生田?」
「――の――っ――ん!」
 がたんと音を立てて桜夜楽は立ちあがった。驚いて夏羽は身構える。珠月だけはおっとりと紅茶をすすりながらこちらを眺めている。
「何だよ?」
「こ、この――――夏羽のおっぱい星人!!」
 周囲に響き渡る大声で叫ぶと、桜夜楽は脱兎のごとく逃げ出した。あっという間にその姿は消える。あっけにとられて夏羽はそれを見送った。
「って、おい! 謎の叫びを残して去るな!!」
「……最低ですわ。女の子の胸を貶すなんて。女の子の胸には大きさに関係なく、殿方の愛と夢と希望が詰まっているというのに。それに桜夜楽は、そこそこはありますわ」
「意味が分からねえよ。それと篭森落ち着きすぎだ」
 ゆっくりと瞬きをして、珠月はカップをソーサーに戻した。興味なそうに珠月は夏羽を見やる。
「確かに、デリカシーの足りない発言ではあったね。でもまあ、安心していい。桜夜楽は意外と神経の太い子だ。本心で傷ついたわけじゃないよ。もっとも今後はああいう発言は慎むことを推奨するけれどね」
「…………俺はてっきりお前のほうが怒るかと思ったんだが」
 椅子に座りなおしながら、夏羽は言った。珠月は小首をかしげる。
「私が怒る必要はないよ。私は気が長い方だし、桜夜楽は自分で怒れる子だ。代わりに他の人間が怒る必要なんてないね」
 まるで何かを見透かすような口調だ。夏羽は不可解なものを覚える。
「どういう意味だ?」
「具体的にいうと、今頃桜夜楽は一直線にライカナール新聞社に飛び込んで、事のあらましを嬉々として記者たちに伝えているだろうということだよ――――今から行っても追いつけないよ」
 立ち上がりかけた夏羽を見て、珠月は口の端を釣り上げた。余裕がムカつく。
「分かってたなら言えよ!」
「考えれば分かることじゃないか。貴方はもうちょっと、殺人以外のことにも頭を割くべきなんじゃないかな。そうでないと、陽狩にずっと足元すくわれっぱなしだよ」
「まあ、第三者的には掬われてるほうが見ていて面白いですけれどもね」
 一周して話が元に戻ってきた。脱線するくせに最後は元に戻ってくる。話術が巧みな証拠だ。どうでもいいことをついつい長々と話してしまう。
「そうだねぇ。てっとりばやく鬱憤を晴らすなら、同じことをし返せばいいんじゃないかな? 手配してあげようか?」
「お前は一体どういう伝手を持っているんだ!? 余計なことするな!」
「綺麗なおねえさんは嫌い?」
「好きとか嫌いとかそういう問題じゃねえ! 何で俺がそんなことしなきゃいけねえんだよ!? 俺はあいつを殺したいんだ! 嫌がらせをしたいわけじゃねえんだよ!」
「幼い反応だなぁ」
 ゆっくりと珠月は瞬きした。その反応の意味が分からず、夏羽は目を瞬かせた。次の瞬間、いつのまに立ちあがったのかすぐ目の前に珠月がいた。
「!?」
 距離を置くどころか立ち上がる隙さえ与えない。野性の獣のようなしなやかな動きだ。
首筋にやけに白い手が触れて、本能的に命の危機を感じる。この白い手は沢山の命を顔色一つ変えずに葬ってきた手だ。だが、予想に反してその手は夏羽の皮膚を傷つけることも気管を絞めあげることもせず、上へと流れる。そのまま椅子に夏羽の身体を押し付けるようにして、珠月は夏羽の膝の上に片膝をついて乗りあげた。無理やり後ろに下がろうしても、首筋から頭の後ろへ回った手が邪魔をする。
「逃げないでよ」
「――――っ」
 絡みつくような忍び笑いが耳朶をくすぐる。身動きが出来ない。相手は年下の女性のはずなのに、最小限の力で完全に動きを封じられている。夏羽はぞっとした。今更ながら思い出す。気まぐれな変人のふりをしているこの少女が、単独で企業と渡り合うことができると太鼓判を押されている学園のトップランカーなのだと今更ながら思い出す。
 夏羽は必至で頭を動かした。この状況をひっくり返す方法を探ると同時に、この短時間で自分が相手を怒らせるような行為をしたかどうかを考える。だが、どちらも思いつかない。
「――――篭森、何のつもりだ?」
 あいている方の手が肩に乗せられ、それからゆっくりと首筋から頬へと動く。女性特有のきめの細かい綺麗な肌と柔らかい身体の感触がするが、そんなことに構っている余裕はない。膝の上に猛獣でも乗っているような気分だ。白い両手が背中に流され、胸に相手の体重がかかる。その時、
「おかしいな、もうちょっと焦ると思ったんだけど」
 淡々とした声がした。社交でない時の珠月の声だ。密着していた身体が離れ、白い手が夏羽の頬をはさむように添えられ、血色の瞳が不思議そうに夏羽の顔を覗き込む。気がつくとべったり身体が密着していて、顔はキスできそうなくらい近くにある。
ふと視線をそらすと、安全装置がかかった状態の拳銃を手の中でぐるぐると回している緋葬架と目が合う。殺気を感じた。
「…………何なんだ?」
 よく気配を探ると、緋葬架からの殺気以外には敵意も殺意も感じられない。珠月は実に興味深そうにべたべたと夏羽の顔や首筋を触っている。ぶっちゃけ、膝に乗られているのでかなり重い。しかも密着されているので暑苦しい。珠月が動く度にかすかに薔薇の香りがする。香水でもつけているのだろうか。
「お前……何がしたいんだ? っていうか重いぞ。人間の女の重さじゃないぞ!?」
「それはそうだよ。女の子は上着やスカートの中に秘密の道具をいっぱい仕込んでるものだからね」「暗器か!? お前、どんだけ大量の武器を仕込んでいやがる!?」「拷問用具を仕込んでないだけ性質がいいよ」
 額をくっつけて珠月は猫のように夏羽に甘えてみせた。だが、そうとみせているだけだ。夏羽は眉を寄せた。それに気づいて珠月は笑う。
「ふむ……夏羽、女慣れしてる? それとも私には興味がないのかな? 余裕だね」
 真っ赤な目が面白そうに歪む。黒い髪と白い肌、そして血色の目。何をしているわけでもないのに、なぜか寒気がする。人によってはこれがいいのかもしれないが、夏羽にはよく分からない感覚だ。
「こういうのもお前流の社交術なのか?」
「ふふ、まさか。そっち方面の訓練は受けてないよ。必要とも思えないしね。それにしても本当に余裕。絶世の美女とまではいかないけど、そこそこ可愛らしい女の子がべったり抱きついてあげてるんだから、もっと焦るか喜ぶものだよ」
「命の危険しか感じねえよ! だいたい俺は女が嫌いなんだよ。うるさいし、すぐに泣くし、体力ないし、派手で鬱陶しい。何人か付き合ったことはあるが、三日持たなかった」「別れちゃった?」「殺した」
 珠月はなぜかそこで大笑いした。
「自制心が足りないよ。それに女の子は、にぎやかで、守ってあげたくて、柔らかくて、華やかなものなんだよ」
「ものは言い様だな」
「ふふふ、ともかく分かった。楽しくないのね」
 にやにや笑って珠月はやっと夏羽の膝の上から退いた。こちらをすごくにらんでいる緋葬架が気になる。
「この……おねえさまに冗談とはいえ迫ってもらえてその無反応……なんて憎たらしいんでしょう!」
「……お前は一体何を見てそんな反応ができるんだ?」
「おねえさまは抱きつき癖があるのですわ。いい気にならないことですわね」
「一体俺がいつ、どこで、いい気になっている!?」
「殿方というのは速攻で調子に乗る生き物ですもの」
 素晴らしく偏見と独断に満ちた意見だった。夏羽は深いため息をつく。やはり、女というものは理解できない思考回路を持っている。それともこいつらが理解できない領域にいるだけの話なのだろうか。夏羽が悩んでいる間に、珠月はさっさと自分の席に戻る。
「まあ、冷静に考えれば知人と絡む半裸の女性を見ても普通に退出できたんだから、女性の裸に耐性があるか女性に興味がないかどっちかだよね。抱きついたらどんな反応をするかわくわくしていたのに」
「その無表情でわくわくしてたのか!? というか、もし俺がその気になったらどうするつもりだったんだ!?」
「それはないと分かってたから問題ない」
 かなり酷いことを言われた気がする。夏羽は懐のナイフに手をかけたが、抜く寸前でやめる。ここは相手のホームグランドだ。暴れるだけ、無駄だろう。
「俺はお前に殺されるんじゃねえかと思ったぞ」「おかしいな、殺気は出してなかったはずなんだけど」
 のんびりとずれたことを言って、珠月は紅茶をすすった。一連の謎の行動がいつもの気まぐれと思いつきだったと知って、夏羽は頭が痛くなる。
「……こういうことはクロムウェルの馬鹿にしてやれ」「死にたいの?」
 ぞっとするほど冷たい声がした。今度こそ生命の危機を感じて、夏羽は凍りつく。
「…………悪い」
「まあ、悪ふざけが過ぎたね。こちらこそ、悪かった。それと髪の毛トリートメントしたほうがいいよ。毛先が傷んでる」「激しく余計なお世話だ」
 冷たい空気は一瞬だけで、珠月はすぐに元通りの弛緩した気だるげともいえる口調に戻る。
「そういえば夏羽は陽狩と一緒にいなくていいの?」
「お前は俺たちを何だと思ってるんだ? 一人で活動することもあるぞ」
 珠月と緋葬架は意外そうな顔をした。
「それは一日平均何時間くらい?」
「……4,5時間?」
「夫婦でももうちょっと離れてると思うな」
 珠月の呟きを夏羽は聞かないことにした。
「で、何でもいいからあいつを困らせる方法を教えろ」
「怒らせるなら得意分野だけど」
 日も傾きつつある暗い空を見上げて、珠月は立ちあがった。黒い衣がふわりと風になびく。何かを思案するような表情で屋敷を背に立つその姿は、冗談で迫ってきた時よりよほど色香がある。
「とりあえず、晩御飯を食べて泊まっていきなさい。深紅には今日は爆弾はおやすみするよう電話しておくから」
「出来れば永遠に爆弾便は廃止するように言ってくれ」
「あはっ、無理だよ」




 翌朝、ノースヤードのアパートメントに戻ると不機嫌な顔の陽狩が延々と珈琲を挽いていた。おそらく珈琲豆はすでに粉々に粉砕されていてあれで珈琲を入れればおそろしく濃い物体が出来ることは間違いないないのだが、陽狩はまだ挽き続けている。
「…………ただいま」
 ぴたりと珈琲挽きの音が止まった。今時珍しい手動の珈琲豆挽きを机の上において、ゆっくりと陽狩は振り返る。
「おや、生きていたんですか」
「何だよ、その言い草は。生きていて残念だったな」
「昨日出かけたまま夜になっても帰らないので、てっきりどこかでとうとう死んだものかと思っていましたよ」「お前は俺を何だと思ってるんだ」
 手に持った紙袋を机の上に置くと、陽狩はかすかに首をかしげて見せた。紙袋に対する説明を求めていることには気づくが、無視することにする。
「お前が女連れ込んでるから気を使ってやったんじゃねえかよ」
「私が女性を連れ込むのは珍しいことではないでしょう……ああ、三人で遊ぼうと言ったのがダメでしたか」「お前、もう死んでくれよ」「嫌です」
 夏羽は頭を抱えた。それを見つめる陽狩の機嫌はじょじょに良くなってくる。
「……女は?」
「とっくに帰しましたよ。悪かったですね。馬鹿が馬鹿なりに気を使うとはまったくもって思いもよりませんでした。それで、昨晩はホテルにでもいたんですか?」
「虞骸館にいた」
 陽狩の動きが止まった。予想外のものでも見たかのように、まじまじと夏羽を見つめる。
「へえ。この私が珍しく帰って来ない馬鹿の心配をしてやっていた間、貴方はよりにもよってイノセントカルバニアと楽しい時間を過ごしていたんですか」
「嫌な言い方するな。篭森に絡まれたり、朧寺に狙撃されかけたり、四十物谷と切り合いになったり、バッハに悲鳴あげられたりしてただけだ」
「なるほど。ラブコメ展開だったわけですね」
「どういう解釈したらそうなるんだよ!? そういう展開だったのはお前の方だろ!?」
「甘い空気は鬱陶しいので嫌いです」
 陽狩のあまりにも自己中心的な言いざまに、夏羽はため息をついた。そして紙袋から中身を取り出す。
「食うか? 篭森がハーブティとクッキーをくれた。俺はお茶にするけど、飲むか?」
「いりません」
 再び機嫌が悪くなってきた陽狩は珈琲を入れ始めた。夏羽も電気ポットに十分お湯が残っていることを確認して、ハーブティを入れる。独特の風味が鼻をくすぐった。一緒に渡されたクッキーのリボンをほどき、一枚を口に――――入れようとしたところで、横からクッキーを取られた。
「何するんだよ!?」
「嫌がらせです」
 そう言って陽狩は横取りしたクッキーを口に放り込んだ。さくさくと美味しそうな音がする。肩をすくめて夏羽はハーブティを口に含んだ。そして、自分もクッキーを食べる。紅茶の葉が練り込んであって香りが良い。陽狩は無言で無駄に濃い珈琲と一緒にクッキーを食べている。
「…………なあ、陽狩」
「なんですか?」
「そのクッキーなんだが…………美味いか?」
 陽狩は食べかけのクッキーに視線を落とした。その手が震えてぼとりとクッキーが陽狩の手から落ちる。
「何か入って――」「お前でも毒薬は効くんだな。なんとなく耐性があると思ってたぜ」
 震える手を押さえて、陽狩は夏羽を睨みつけた。
「一般的な毒薬なら耐性くらいありますよ! これは……夏羽、貴方はカルバニアから知恵を借りましたね!?」
「篭森いわく、具合が悪くなるだけのお薬らしいぜ」
 ぐらりと陽狩の身体が揺れて、その場に片膝をつく。夏羽は感心したようにクッキーの袋を見つめた。
「でも、貴方も同じものを食べたはずです」
「お前はお茶を飲まなかった」
 独特の芳香を漂わせるカップを揺らして、夏羽は呟いた。
「これが解毒剤なんだと。お茶と一緒にクッキーを食べた奴は平気。違う飲み物の奴だけが気分が悪くなる。篭森が言った。陽狩は暗殺を常に警戒しているから自分で入れた飲み物以外は基本的に口にしない。一緒にお菓子を食べれば、必ず自分の分のお茶は自分で入れようとするはずだ。ったく、マジで敵にはしたくねえ女だよな」
 にやにやと夏羽は笑った。
「喧嘩以外でお前を出しぬくっていうのは、案外といい気分だな」
「他人の入れ知恵のくせに、勝ち誇って馬鹿みたいですね」
「それもそうだな」
 夏羽はカップに入ったお茶を陽狩の鼻先に突き出した。
「飲まないと滅茶苦茶苦しくなるらしいぜ。ほしいか?」
 揺れる薄い色の液体を陽狩は無表情で見つめた。そして、口元を釣り上げる。
「本当に馬鹿ですね」
 次の瞬間、毒がまわっているとは思えないスピードで陽狩はお茶を引っ手繰った。お茶の一部が床にこぼれるが、そんなことは気にせず一気に喉に流し込む。
「っ、手前!」「相手の手の届く場所に、渡したくないものをおかない。基本です」
 勝ち誇ったように陽狩は笑った。夏羽は舌打ちする。
「くそ、もうちょっと長引かせるつもりだったのに」
「ふふ、今なら殺せたというのに、本当に馬鹿です」
「殺す気ならもっと強いやつ盛ってるよ。お前を毒殺してどうするんだよ、毒殺して。自分で殺さねえと意味ないだろうが」
「実は以前、毒草を食事に混入したことがあったりなかったり。貴方が好き嫌いをしたのでうまくいきませんでしたが」
「初耳だぞ、この野郎。もう一回クッキーを口に突っ込んでやろうか?」
 二人の殺人鬼は見つめあった。見えない火花が飛び散る。一瞬だけ部屋に殺気が満ちた。陽狩が仕掛けてくるかと夏羽は身構えたが、何も起きない。何かを押し殺すかのようにゆっくりと呼吸をして、陽狩は顔をあげた。そこには笑みが浮かんでいた。
「まあ、お互い様ということで今日はやめておきましょう。御蔭さまで本調子じゃない」
「俺は構わないんだぜ」
 陽狩は答えずに、備え付けの冷蔵庫に向かって歩き出した。まだ足元が少しふらついている。本調子でないのは本当らしい。一体どういう種類の薬が入っていたのだろう。今更ながら、気になって夏羽はクッキーの包みに視線を落とした。そして視線を上げると、炭酸飲料の缶を両手に持っている陽狩と目があう。
「お茶が嫌いになりそうですよ」
 ぶつぶつ言いながら、陽狩は片方を投げてよこした。片手で夏羽はそれを受け止める。
「新製品です。いつまでも嫌なお茶なんて飲んでないで、それでも飲んだらいかがですか」
「サンキュー」
 陽狩が缶ジュースなんて珍しい。そう思いながら、夏羽はプルタブに指をかけた。ふと目を上げると酷く冷めた目をした陽狩がいた。悪寒が走る。
「死ねばいいのに」
 陽狩はぼそりとつぶやいた。




「え? 陽狩が来たの?」
「昨日の夜にな。昨夜は雨だったというのに、ご苦労なことだ」
 イーストヤードの一角、住宅地からもオフィス街からもやや離れた場所に、世界的に有名な花火のブランド《彩花》の本店兼、そこのボスである花火職人にして爆弾魔の序列229位【ビューティフルボマー(世にも美しい爆弾魔)】鈴木深紅(すずき しんく)の自宅はある。周囲は火災と爆破の衝撃に耐えられる強度を持った高い壁で囲われていて、門のすぐ内側に花火店、奥に工房と自宅がある。花火店と工房と自宅はまたそれぞれ壁で区切られている。花火店以外は日本家屋のくせにあちこちに扉が後付けて作られており、主人以外の人間はあまり歩き回ることができない作りになっている。
 そんな屋敷の一角、新しいイ草の香りがする畳の部屋で篭森珠月と朧寺緋葬架は寝転がっていた。この部屋は主人である鈴木深紅の部屋だ。そして部屋の主はというと、寝転がった珠月とそれに沿い寝してごろごろと甘えている緋葬架という百合ちっくな光景には目もくれず、文机に向かってなにやら筆を走らせている。新しい作品の構想を練っているようだ。
「それで陽狩は何をしにきたの?」
 緋葬架の頭を撫でて髪を手ぐしですきながら、珠月は尋ねた。ゴロゴロと転がるとイ草のよい香りがさらに広がる。振り向きもせずに深紅は答える。
「夏羽を探しに来たらしいな。俺が殺したんじゃないかと勘ぐられた」
「それで居場所を教えてあげたの?」
 深紅は昨夜の夏羽の居場所を、珠月からの連絡で知っている。珠月の質問に、深紅は鼻で笑った。
「教えてやるほど親切だと思うか?」「いいえ、ちっとも」「教えて差し上げる義理なんて御座いませんものね」
 意地の悪い笑みに軽やかな笑い声が重なる。嫌な奴ばかりだった。
「その後、戒のところに現れたらしいな。おかげで寝不足だと戒が嘆いていたぞ」
「あらあら。ずっと探してたなら可哀想なことしちゃったかな」
 小さくあくびをして、珠月は起きあがる。日本家屋独特の美しい天井や細やかな欄間に変わり、水墨画のようなタッチで描かれたふすまが目に入る。床の間には格言らしきものが書かれた掛け軸が下がっているが、達筆過ぎて読めない。その前の壺には花が活けてある。爆弾魔の部屋とは思えない風雅な部屋だ。
 珠月が起きあがったのに合わせて、残念そうに緋葬架も上体を起こす。
「日本風の部屋もいいな。増築しようかな」
「止めとけ。全体の調和が崩れるだけだ」
 羨ましそうに書院作りの床の間を見つめる珠月に、深紅はやっと振り向いた。盗難の危機を感じたともいう。
「まあ、それでしたら私が日本風の家を建てますから、そこを別宅になさるとよろしいですわ! いえ、いっそのことそちらの方を本宅に……」「いや、流石にそれはいいよ」
 本気でやりかねない空気を察し、珠月はやんわりと釘をさす。緋葬架は残念そうな顔をした。深紅は頭痛をこらえるように、こめかみに手をやる。
「そもそもお前らはここで何をしてるんだ? 仕事しろ、社長」
「ああ、そうなんだよね。面倒くさいな」
「働きたくないなら、働く必要なんてありませんわ。おねえさま。もし働きたくないと決めたなら、いつでもおっしゃってくださいね。私が一生面倒見まわすわ」「ありがとう。でもヒモはちょっと嫌だから、気持ちだけ受け取っておく」
 緋葬架の頭に手を置いて、珠月は遠い目をした。深紅は筆を置くと代わりに漆塗りの入れ物から煙管を取り出す。
「……朧寺、お前本当に篭森好きだな」
「勿論ですわ。おねえさまに比べたら、大企業の幹部になることにも、起業して自分の企業都市を作り上げることにも、棚の上の埃ほどの価値も感じません!」
「そうか……幸せな奴だな」
 はしゃぐ緋葬架と対象的に、珠月と深紅は遠くを見つめた。
「で、お前はどんな可哀想なことをしたんだ」
 話題がだいぶ前までさかのぼる。珠月はすぐに直前の会話を思い出して、答えた。
「夏羽が陽狩をぎゃふんと言わせてやりたいっていうから、毒薬入りのお菓子渡しちゃったの。一晩気をもんだ末に毒を盛られちゃ、流石に気の毒だったかなと」
「一晩心配した相手から毒を盛られたら、私なら静かにぶちキレますわね」
「それはまずいかもしれないな。昨夜の陽狩だが」
思いだしたように深紅は言った。手慣れた様子で煙管に火を入れる。
「商品を買っていった」
 この場合の商品とは、店で売っている花火のことではない。深紅のもう一つの仕事――爆弾魔として制作した高性能の爆弾のことだ。
「あいつが爆弾? 珍しいね」
「仕事に使うんだろう。依頼人が殺害方法を指定してくることもあるからな」
 興味なさそうに深紅は言った。彼は仕事での殺人に関しては本当に無頓着だ。
「それ、どういう形状の物体?」
「形状か。外見だけ言うなら、缶入り炭酸飲料の形をしている。飲もうとプルタブを開けると爆発する設計だ。スイッチが入ってから爆破まで二秒あるから、手榴弾としても使えるな。小部屋一つくらいなら吹っ飛ぶ」「ああ――――喧嘩にならないといいね。武器が多い状態での喧嘩は危険だ」
 どうでも良さそうに深紅は言った。実際どうでもいいのだろう。対する珠月も、火種を渡したというのに飄々としている。風が吹いて、どこからか獅子脅しの音が聞こえた。
「喧嘩して爆弾を使うに一万WC」
「じゃあ、私は毒だけで片がつくに5千WC」
「ちょっと自信ないんだな」「うん」
「ではでは、私はどっちも使うに1万WC賭けますわ」
 嬉々として3人は賭け表を作り始めた。人命を欠片も気にしないのが、この学校の生徒である。しかもうち二人は武器を与えてしまった罪悪感のかけらすらない。
 楽しげに遊び始めた3人の耳にかすかな鈴の音が届いた。深紅が顔を上げる。
「来客だな。こちらに来るということは、プライベートな客か」
「彼女さんなら帰ろうか?」
「彼女がいたらお前らをここでごろ寝させたりしねえよ。スカートめくれてる。足を仕舞え。武器見えてるぞ。くつろぎ過ぎだ!」
「小姑がいますわ」
「お前ら……そんなんだから、見てくれは悪くないのに『嫁にしたいランカーランキング』毎回番外なんだぞ」
「まあ、失礼な。おねえさまが欄外なのは、おねえさまが賢すぎて美しすぎるからですわ!」「それはないから黙りなさいね、緋葬架」
 そう言いながらも珠月も緋葬架もきちんと座りなおす。どちらも礼儀は心得ているのだ。すぐに深紅の花火の弟子の一人に案内されて、一人の少年が現れる。
「どうも毎度世話になってます。って、何でお前らがいるんだ?」
 現れたのは緋葬架の同僚の少年だった。序列365位【サンクタム(聖域)】正月聖。桜夜楽と同じ四十物谷調査事務所の調査員である。
「今日は有給ですわ」「もうちょっとしたら会社行かないと……はあ」
「ため息をつきたいのは宿彌だと思うぜ。真面目に会社いけよ」
「最小限の力でノルマをクリアしてるだけなのに。仕事でクレームきたことないし、きちんと仕事増やしてるのに」
「そうじゃなかったら、解雇されてるぞ。と、深紅。例の報告書。問題なし」
「そうか」
 短く答えて深紅は封筒を受け取った。珠月と緋葬架はあえて興味を示さない。互いの仕事には口をはさまないのが、現代社会でうまくやっていく最善の方法だ。
「そういえば、聞いたか? 今朝がた、ノースヤードのウィークリーマンションで爆発があったらしいぞ。死者は見つかってないし、事故か事件かはまだ分かってねえらしいけど」
 聖以外の全員が顔を見合わせた。嫌な予感がする。
「あー……それってさ、2LDKのあんまり身元がはっきりしない人を泊めてたとこ?」
「なんだ、もう知ってたのか。流石に耳が速いな」
「………………やっちゃった」「次からはもう売らないことにしよう」
「どうかしたのか?」
「なんでもない。それより、お茶にしよう。篭森が豆大福をもってきてる」
 深紅はなにもなかったことにした。聖は首をかしげながらも流す。流されやすいのは聖の特製だ。彼は割と流れるままに生きている。
「お前ら、いつもお茶飲んでるよな」
「美味しいお茶とお菓子には幸せの魔法がかかっているのですわよ」
「まあ、時々は具合が悪くなったり爆発したりする魔法がかかってるけどね」
「そうなのか……奥が深いな」
 鳥の声がして、聖は庭を見た。昨日の曇り空と雨などすっかり忘れたかのように空は晴れ渡っていた。木漏れ日が庭に複雑な模様を描いている。
「しょうがつ、早く来い」「正月だ。ま・さ・つ・き!」「漢字は変わらん」
 雲一つない快晴の下、今度こそ平和なお茶会が始まった。


おわり
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