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推理小説にお砂糖一杯 1

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推理小説(ミステリ)にお砂糖一杯 

 レストラン〈ル・クルーゼ〉は定休日だった。
 常日頃からあの世めいた雰囲気を醸し出している店内からは、客の気配も店員の気配も感じられない。代わりに、店外にある小振りの庭には、楽しげにはしゃぐ女性達の声が満ちている。
「えっと、これがガトーショコラで、こっちがイチジクのタルト・紅茶のプリン。モンブランと、レアチーズケーキもあるよ」
 オープンテラスとして誂えられた真っ白なテーブルの上には、色とりどりのケーキが並んでいる。〈ル・クルーゼ〉のものではなく、洋菓子店〈ブルーローズ〉特製のものだ。
 それぞれのケーキの説明をしながら、序列189位【スコーレ(暇人の学問)】矯邑繍(ためむら しゅう)は、まずは功労者のゆき子ちゃんからどうぞ、と、隣に座る少女にケーキを差し出した。
 〈ル・クルーゼ〉の主であり、この場にいる女性陣の中では後輩である、序列226位【ドクターグルメ(美食治療)】村崎ゆき子(むらさき ゆきこ)は、矯邑の言葉に首を振り、逆に彼女に向かって皿を押し返す。オフということでシェフの服装ではなく、紺色のワンピースを着ている。
「いえ、先輩が一番に選ぶべきじゃないですか。先輩へのお礼の品なんですから」
 このケーキは、先日矯邑が、成り行きとはいえ殺人鬼コンビから救った、序列203位【デンジャラステディベア(超危険な熊さん)】毎熊匠(まいくま たくみ)からのお礼の品である。彼が勤める〈ブルーローズ〉のケーキは、学園のみならず世界的に見ても有名だ。そんな女性垂涎の代物が、取り合いにならず譲り合いになるのは、偏にこの場にいる彼女達が、予科生時代からの仲良しグループに属しているからに他ならない。
 序列24位【イノセントカルバニア(純白髑髏)】篭森珠月(かごもり みづき)は、友人と後輩による遠慮の押し付けあいを止めさせるために、二人を制して言い放った。
「とりあえず、当事者なんだから。繍ちゃん先に選んじゃいなよ。で、次がゆき子ちゃんで。あとはじゃんけんでもすればいいじゃん」
「おねえちゃんは蠍っぽいのが残ってれば、それでいいよー」
 基準のよく解らないことを宣言しながら、序列225位【ラヴレス(愛を注ぐもの)】空多川契(あくたがわ けい)は、序列249位【アルヴィース(賢きもの)】冷泉神無(れいぜい かんな)に習って拳を前に突き出した。
「じゃあ残りの三人でじゃんけんね、最初はグー、じゃんけん……」
 冷泉の声を聞きながら、矯邑はモンブランを手に取った。鮮やかな黄色をしたケーキは、可愛らしいクマの形をしている。おそらく、毎熊が飼っているクマの“モンブラン”をイメージして作られているのだろう。矯邑がケーキを選んだのを確認して、漸く村崎もガトーショコラを手元に引き寄せた。
 どうやら一抜けしたらしい冷泉が、にこやかに紅茶のプリンを手にする。ややあって、勝負がついたのか篭森がケーキをのぞき込み、躊躇した後、イチジクのタルトが載った皿を空多川に差し出した。自身はレアチーズケーキの方を食べるようだ。
 一旦席を離れた村崎が、温かなティーカップと紅茶を人数分用意して戻ってきたことで、恒例のお茶会が始まる。予科生時代の名残である彼女達のお茶会は、所属が別れた今となっては定期的なものではなくなってしまったが、こうして暇を見つけては変わらず続けられている。
 噴水から流れ落ち、庭を横切っている小川に、きらきらと陽光が反射している。狂い咲く金木犀の花がそよ風に乗って、辺りを華やかに染め上げていた。

「あー、やっぱり美味しいわ。流石〈ブルーローズ〉、紅茶の風味が口いっぱいに広がって、舌触りもさらっとしてて。これならあと2個くらい食べられそう」
 流石に箸で食べるのは困難だったのか、冷泉は漆塗りの赤いスプーンで優雅に、ふるふると震えるプリンをすくっては口に運んでいる。スプーンの端には、爪の先ほどの大きさをしている金色の鈴がつけられており、動かす度に心地よい音を立てていた。これも、箸と同じく彼女の自前らしい。
「助けて正解だったな、見捨てないでよかった。このモンブランも、すっごい栗と芋の味する。やっぱ甘いものはいいね」
 毎熊本人が聞けば、そんな理由で助けられたのかと軽く落ち込みそうな発言であるが、矯邑に一切の悪気はない。純粋に、思ったことを言っているだけである。
 矯邑に続くように、空多川も、こちらは多少悪気を込めて暴言を吐く。
「イチジク美味しいよイチジク。幸せー。珠月のおねえちゃん、譲ってくれてありがとうね。うん、図体がでかいだけのクマバチも、利用価値はあるってことか」
「どういたしまして……あのさ、それだと白花が女王蜂になるんだけど。まあ、白花のために身を粉にして働いてるって点では的を射てる、のか?」
 篭森は、僅かながら眉を顰めて小首を傾げた。普段あまり表情を露わにしない彼女にとっては、珍しい仕草である。気が置けない友人との会話だからこそ見せる態度なのだろう。この場に序列102位【ワンダフルポエマー(凍れる詩人)】ジェイル・クロムウェルが居ないことが救いである。彼が存在していたならば間違いなく、篭森は原稿用紙50枚に渡る賛美と感動の言葉を贈られていただろう。
 女王蜂と言うよりは、蜜のある花の方? と未だに思案する篭森に、紅茶のお代わりを注いでいた村崎が問いかけた。
「あの、毎熊さんは、雪城さんがお好きなんですか?」
 毎熊が、序列299位【スカーレットフラワー(罪ある赤い花)】雪城白花のことを好いているのは、〈ブルーローズ〉常連にとっては半ば公然の事実である。何度もアタックしては雪城の天然により玉砕しているため、片思いのままではあるが、周囲の人間にとってはこれほど解りやすく恋心を表面に出している男も少ないと感じるほど、毎熊は彼女のことを愛していた。
「好きだろうね。でも、それがどうかした?」
 篭森は一瞬、村崎が毎熊のことを恋愛的な意味で気にかけているのかと不安になる。もしそうだとすれば、村崎もまた報われない片思い確定だ。
 だが、村崎の返答は篭森の想像の斜め上を行っていた。
「いえ、私てっきり、毎熊さんは空多川先輩といい感じなのかと思ってたので」
「「え゙」」
 冷泉と矯邑の口から、濁った音が飛び出す。ありえない。矯邑は即座に反論した。
「や、何で? だって前のアレが初対面だろ? めっちゃ仲悪かったって話したじゃん」
「逆に初対面で先輩方が仰るだけ言えてたって、お話を聞く限りでは凄く仲や相性がいいのかな、と思ったんです」
 困ったように苦笑しながら、村崎は続ける。
「これから先、そうなる可能性も…って感じてたの、私だけだったんですね」
 冷泉は村崎のトンデモ発言に驚きつつ、空多川の方を伺う。空多川は一言も発さず、目を丸くしたまま固まっていた。契ちゃーん、と目の前で手を振ってみるが、反応がない。驚愕のあまり思考回路が一時的に麻痺しているのだろう。
 彼女の発言に、篭森は思わず頭を抱えた。この天然はどこかで覚えがある、そう、まさに雪城のそれと酷似しているのだ。自分に対する純粋な恋愛感情にはとことん疎いのに、他人の感情に関しては斜め上で反応し、しかも完全な善意で応援する。雪城の前に空多川と毎熊を並べて、口論……と言う名の一方的な罵倒をさせても、同じことを言うだろう。『クマバチなんて可愛いあだ名で呼ぶほど、お二人は仲がいいんですね。お付き合いしてるんですか?』と。
 篭森の嫌な予想を打ち消すかのように、不意に覚醒した空多川が声を張り上げた。
「わ、私よりも、冷ちゃんと法華堂戒の方が上手く行きそうだって!!」
 余程動揺しているのか、普段の一人称と二人称である『おねえちゃん』が無くなっている。だが、そんなことも気にせず、一同は今度は冷泉の方を見た。古物商〈水葉庵〉を営む冷泉と、ブラックシープ商会に勤める、序列158位【レッドラム(赤い羊)】法華堂戒(ほっけどう かい)は仕事柄会うことも多く、仲も割と良好である。篭森と矯邑も、それならあり得るかもしれないと納得したように頷いた。急に自分が話題の中心になったことで、冷泉は内心焦りつつ空多川の言葉を否定する。
「えーっと。私と戒さんは、仕事が同じ系統だから接触が多いだけで、そういう関係にはならないって。大体戒さんはエドワードさん一筋でしょうが」
 聞きようによっては危ない発言である。だが、事実なので誰も否定はしない。法華堂はある意味、一人の男に身も心も捧げている。解ってはいるが、空多川はなおも食い下がった。
「……可能性的には、私とあのクマバチよりはあるでしょうが」
「可能性だけなら、篭森先輩とジェ……」
 笑顔で地雷を踏みかける村崎の目の前で大きく手を振って牽制し、矯邑は深々と息を吐いた。そして、何とか落ち着いた一同を見渡し、彼女的な本題に入る。
「あー、とりあえず。この話はまた今度にしよ。実は、みんなに頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと?」
 鸚鵡返しに聞く冷泉に、うんと頷いて、矯邑は身を乗り出す。
「今日、私玉九朗さん連れてきてないじゃん」
 彼女の肩に普段鞄のように掛けられている、人語を解する二足歩行の着物猫、にゃんにゃん玉九朗の姿は、言われてみれば見あたらない。貰った鰹節を囓らせて、家で留守番させているのだと言いつつ、矯邑は内緒話をするかのように彼女達と顔をつきあわせる。
「実は、そろそろ玉九朗さんの誕生日なんだよ。だからぱーっとお祝いしたいんだけど、プレゼントは何がいいだろう」

 厳密に言えば、玉九朗は自身の生まれた日を覚えていない。だから、矯邑が彼と始めて会った日を誕生日としている。そのお祝いも、毎年の恒例になりつつあった。
「去年はうちでパーティしたんですよね。今年は料理だけ持ち込んで、矯邑先輩の家でしますか?」
「うん、毎年借りるわけにはいかないから、今年は家でやるよ。去年のプレゼントは何だっけ」
「確か篭森ちゃんが、鰹一本釣りしたんじゃなかった? 私達もお相伴に与ったけど、新鮮で美味しかったよね」
「釣ってはいない。伊座波に船出して貰って、アーサーを沈めてひっぱり上げただけ」
「おねえちゃん世間ではそれを一本釣りって言うと思うよ。それにしても、プレゼントどうする? 今年は食べ物以外かな」
 様々なプレゼント名が飛び交うが、なかなか意見はまとまらない。やがて、冷泉がぽんと手を叩いて、空多川に一つの提案を持ちかけた。
「契ちゃんのミスティック能力って、今日は未だ使える?」
 話を振られて、空多川は携帯を取りだし何かを確認してから頷いた。
「大丈夫っぽい。使ったかと思ったけど、ぎりぎり昨日だった。どうかした?」
「プレゼント、こうやってても決まらないなら、いっそ任せてみたらと思ってね」
 冷泉の意図を把握したのか、村崎がああと手を合わせる。
「そっか、先輩の能力で『玉九朗さんのプレゼントが手に入る』とか『いいプレゼントが見つかる』とか言えば、自動的に最適なのが解りますよね」
 そういうことか、と村崎の解説に納得しながら、矯邑は空多川に向き直り、重ねて彼女に頼み込んだ。
「頼っちゃうけど構わない? お願いします」
「いいけど、確率だから叶わないこともあるし、出来なかったらごめんね」
 空多川のミスティック能力【デスストーカー(忍び寄る運命)】は、彼女が口に出すか文字に書いた予言を、強制的に実現させる能力だ。ただしこれには様々な条件があり、そのうちの一つが、叶う可能性である。確率は10分の1。それでも、同じような願いを繰り返すことで、どれが当たるかは解らないが、確率を上げることは出来る。
 空多川は暫くきょろきょろと辺りを見回していたが、やがて机とは反対の方向に身体を向けると、わざとらしいまでに大げさに柏手を打ち、よく通る声で運命を予言し始めた。
「『繍のおねえちゃんが玉九朗さんへのプレゼントを見つけられますように』・『繍のおねえちゃんが玉九朗さんへのプレゼントの情報を入手できますように』・『冷泉のおねえちゃんが……』」
 主語を変えながら、全員分の運命を予言し、空多川は小さく息を吐いた。この場にいる五人分×『現物』と『情報』の二つの願い。確率だけで言えば、どれか一つは当たるはずである。
 余談ではあるが、彼女が行った柏手などには、何ら条件としての意味はない。現に、戦闘中などの予断を許さぬ状況であれば、自ら確認できるだけの小さな呟きを、短く命令形で口にするだけである。この動作は、彼女がミスティック能力の名にも重ね合わせている、『最も蠍めいた蠍』に対する愛情と敬意の表れだ。祈る方向は、彼女が『蠍がいる』と本能で感じた方向らしい。このある種滑稽な仕草の理由を過去に聞いた一同は、どこか遠い目で、空多川だから仕方がないと納得した経験を持っている。
「叶うまで時間かかってるのかな? クッキー一袋残ってるんだけど、お茶会終わるまで食べながら待ってみる?」
 矯邑の言葉に、しばし虚空を見つめていた彼女達は、我に返ってテーブルを再度囲む。すっかり冷めてしまった紅茶を村崎が下げて、代わりに温かなミルクを運んできた。このクッキーもまた〈ブルーローズ〉特製だが、持ち込んだのは篭森だ。篭森が毎熊と矯邑の出会いを知ったのは、このお茶会の始まる直前だった。
「それにしても繍ちゃん。今回のことで不死コンビに睨まれてるんじゃない? 今日は仕方ないとしても、なるべく玉九朗は傍に置いときなよ」
 紅茶のリキュールをミルクに注ぎつつ、窘めるように発された篭森の忠告に、矯邑は苦笑する。彼女が戦いの世界に属していないスカラーだからといっても、油断は禁物だ。殺人鬼が気分次第でターゲットを変える可能性もある。上位ランカーの中でも、特にトップクラス中のトップクラスである篭森を友人に持っているとはいえ、彼女の庇護下にないときに襲われでもしたら一溜まりもない。どうしたもんかね、と悩ましく目を伏せてみせる矯邑に、空多川がにこやかに切り出した。
「襲われそうになったときのお守りなら、今度渡せると思うから、おねえちゃんは安心していいよ」
 非常に底意地の悪そうな厭らしい笑みを浮かべて、空多川は疑問符を浮かべる一同を見渡した。右手のスプーンでラム入りミルクをかき回しながら、左手で携帯を弄る。
「ふふ、最近……っていうか昨日だけど、ちょっとしたお願い事をされてね。弓納持のお嬢さん、知ってる?」
「おい」
 序列2001位、弓納持有華(ゆみなもち ゆか)。ブラックシープ商会で広告部門を担当している彼女には、ある意味最強の属性があった。それを知っている篭森が、思わず低い声で制する。けれど空多川は、篭森の突っ込みをあえて無視する。
「弓納持? なんか、あんまりよくない意味で聞き覚えある気がする名前なんだけど。昔騒動起こしてなかったっけ、教師二人を巻き込んでどうとか聞いた気が……」
 記憶の糸を手繰りだした矯邑から空多川に視線を移して、村崎は問いかける。
「私は弓納持さんという方は知らないんですけれど、先輩の言うお守りって、その方に関係あるんですか?」
「うん。だってお守りって、要するに弓納持のお嬢さんが今書いてる同人誌のことだから」
 さらりと告げられた単語に、篭森と冷泉が反応する。篭森は机に突っ伏して妙な声を上げ、冷泉は心当たりがあったのか、知人の名を口にした。
「え、それって。前に迷さんが酷い目にあったっていう、アレ?」
 ブラックシープ商会と交流の深い冷泉は、弓納持の名前にも若干覚えがあった。腐女子という最強最悪の属性を持つ彼女が、ブラックシープ商会で密かに巻き起こしている問題行動も、被害者達の愚痴で聞き及んでいる。腐女子とは、男性同士の恋愛を妄想し、創作する女性のことを指す。中でも弓納持は、身近にいる現実の男性同士を妄想の対象にしている。彼女に萌えられた被害者は、その脳内や作品内で、それこそ表に出せば一生白い目で見られるレベルの扱いを受けているのだから、一悶着も二悶着もあって当然だ。
「ああ、それはアレでしょ。ハル迷成人指定エロ同人誌の方。既刊分は全冊持ってるけど、そっちじゃなくて今お嬢さんが書いてる方。確か―――」
 堂々と爆弾発言をしながら携帯の画面をスクロールさせ、空多川は弓納持から送られたメールの文面を淡々と読み上げる。
「『ありがとう空多川ちゃん これで今月の新刊は夏羽×陽狩で三冊は出せるわかっこ萌え 殺人鬼二人の深夜二時を越えた夜の吐息の殺し合いかっこはあと 陽狩襲い受けかと思いきや夏羽の執着攻めとか萌えすぎてご飯がおひつで三杯は進みますかっこときめき 空多川ちゃんでも読めるように控えめ十八禁レベルにしておくねかっこでもエロエロですはあと 飛行機という密室空間の中で囁くように吐息を絡め合い口付けだなんて大胆というか寧ろ自分の所有物だと見せつけたいのかと小一時間……』」
「もういい! もういいから!!」
 聞くに堪えないメール内容に、篭森は耳を手で塞ぎながら頭をぶんぶんと振り出す。うわあ、と言いたげに渋い表情をする冷泉もまた、軽く空多川から顔を背けていた。村崎と矯邑は、そもそもの意味がよく解ってはいないのか、顔を見合わせて不思議そうにしている。二人には理解できなかったかもしれないが、弓納持のメールは、前述の殺人鬼コンビ、序列269位【クルワルティワーシプ(残酷礼賛)】不死原夏羽(しなずはら かばね)と序列270位【ヴァイスワーシプ(悪徳礼賛)】不死川陽狩(しなずかわ ひかり)の二人を題材にした危険な妄想で溢れかえっていた。
「それ、契ちゃんが何かしたの?」
 矯邑の疑問に、空多川は自分と弓納持の関係を語り出す。
「うん、多分、これおねえちゃんの“ストーカー行為”が上手く行ったんだと思う。弓納持のお嬢さんからお願いされてね。ネタがないから萌えをくれって言われて、頑張ってみた」
 空多川の能力は、条件自体は若干厳しいものの、リスクは少なく便利である。そのため、時折こうしてツテを辿って依頼を持ち込む者も居るのだ。弓納持の場合は、空多川の保証人である峨家下からの紹介だった。謝礼は叶えられた願いの内容によって変わるが、今回は現金ではなく、弓納持が過去に発行し、また現在書こうとしている同人誌が代金になっている。空多川に言わせれば、所持していると何かと脅しに使えそうだから、ということらしい。
「何をやらせたんだ何を」
 矯邑の呟きに、空多川は可能性のあるものを挙げていく。
「どれかなあ。弓納持のお嬢さんのメールによると、不死コンビが飛行機内でいちゃいちゃしてキスしてたってことだから、『弓納持のお嬢さんがいいネタに遭遇する』か『弓納持のお嬢さんが生でBLを目にする』か『不死コンビのどっちかにホモ疑惑が立つ』か『不死コンビのどっちかがBLネタにされる』か『不死コンビの…………』」
「前者はともかく、何で後半はあいつら限定なの!」
 テーブルを叩かんばかりの篭森の叫びに、空多川は当然と言いたげに胸を張った。
「だって、あの羽虫ども、繍のおねえちゃんに喧嘩売ったんだもん」
 絶対に許さないよ? と動作だけは可愛らしく口元に指を当てながら、唇をとがらせる。実際は矯邑が毎熊を助けるために乱入した形になるので、殺人という行為の是非を無視するならば、これは明らかに逆恨みである。しかし、空多川にとってそんなことは関係ない。友人に刃向かうものはすべて虫螻であり芥である。叩けるだけ叩いて潰すのは当然という思考だ。
「おねえちゃん。もし今度あいつらに喧嘩売られたら、おねえちゃんが弓納持のお嬢さん特製の同人誌を、学園中にばらまくか校内ラジオジャックして音読してやるから覚悟しとけって言っといて」
 それは弓納持にも大きな打撃を与えるのではないか、と思うところもあったが、矯邑は仕方なさげに受け流した。蠍への狂信的な愛の文句といい、暴走する空多川を止めるのは困難であり不可能だ。ならば、気にせずに適当にあしらっておけばいい。その内に口は止まる、怨恨や情念は凝り固まったまま保持されるが。
「ふ、ふ。うふふふふふ。いいなあ、当人達が手も足も出ない状況での音読会。あのニイニイゼミとカミキリムシがあんなことやそんなことしてる、お子様には聞かせられないあれやこれやの様を、一言一句間違えずにしっかり感情込めて朗読してやるのですよ」
 愉悦の世界に入り込んだ空多川を、篭森もまたジト目で眺めながら、投げやりに相づちを打つ。
「それ、鈴木深紅と古屋敷迷も混ぜてあげたら? 恨みがましくノッリノリで参加してくれるだろうから……うん、鈴木深紅、か。それもいいな」
 篭森は何か思いついたように、一人で納得し始める。序列229位【ビューティフルボマー(世にも美しい爆弾魔)】鈴木深紅(すずき しんく)は世界的な爆弾魔であり、序列366位の古屋敷迷(ふるやしき まよい)はブラックシープ商会製造部門の責任者である。二人は以前はた迷惑な理由で、不死コンビの夏羽の方に殺されかかったことがあった。そのことを未だに恨んでいる彼らにとって、空多川の嫌がらせは非常にありがたい鬱憤晴らしの場になるだろう。特に、腐女子を心底嫌っている古屋敷にとっては、弓納持と夏羽の二人を同時に痛めつけることの出来る良い機会である。最悪、不死コンビが決してたどり着けない爆弾まみれの一室で、ラジオジャックによるBL小説朗読会が開かれるかもしれない。
「怨念系トリオを作らせるな!」
「頼むから戒さんは巻き込まないであげてよ……あの人顔には出さないけど、結構胃にキてるんだから」
 矯邑の突っ込みと冷泉の懇願を、どうしていいか解らずに伺っていた村崎が、あれっと何かに気がつき辺りを見渡した。
「先輩、誰かメールか何か来てません? 着信音っぽいのが聞こえるんですけれど」
「これ、プラズモンの(自称)テーマソング……?」
「あ、私だ」
 機械的な音楽を流し続ける携帯を、懐から取り出したのは篭森だった。どうやら仕事用のメールが来たようである。表情が、友人達との会話用のものから、業務的なものへと変わっていた。
 篭森は少しの間、考えるように画面を見つめていたが、おもむろに携帯を机上に放りだして、笑った。獲物を目の前にした、肉食獣の舌なめずりにも似ている笑顔。
「アタリは私だったみたいだよ」
 小さなメール画面には、〈神風〉の末端構成員からの依頼が表示されていた。

 見惚れんばかりに美しいその着物は、元を正せば序列148位【イマジネイトフラワー(幻想花華)】花京院鈴華(かきょういん すずか)に贈られるはずのものだった。旧時代、未だこの土地が日本という名だった頃、古都で作られていた『西陣織』と呼ばれる着物。長い時を経た伝統の服は、残念なことに彼女の普段着としての使命を全うすることなく、〈神風〉の雑魚に投げ捨てんばかりに下賜されることになる。
 原因はただ一つ。
「前の所有者が、本人も気付いてなかったけど、純日系じゃなかったから、なんだと」
 矯邑の説明を聞いていた村崎が、ほうと呆れたように溜息を吐いた。勿体ないと言いたげな態度に、冷泉も賛同する。
「〈神風〉っていうか、あの人のそういうところ、ちょっとわかんないよね」
 旧時代に制作された着物といえば、古物商の冷泉からしてみれば、喉から手が出るほどに興味のある代物だ。それを、純日系でない人間が所持していたというだけで、あっさり拒否してしまえる花京院の考えは、理解しがたい。
「話によればだけど、凄かったらしいな。無視とかそういうのじゃなくて、もう着物自体が目に入ってなかったんだと。差し出されてるのに、『霞は着られませんわ』って言い放ったんだってさ」
「日本人以外の臭いでも嗅ぎ取ったのか」
 怒りを通り越して、篭森は感動すら覚える。花京院から見れば、このお茶会もまた、宙に食器が浮いている光景として映るのだろう。
「おねえちゃんは、可愛ければそういうナチュラルどSも大好きだよ。だがそれがいいと言うべきか、そこに痺れる憧れるゥと言うべきか」
 空多川の言葉を無視して、一同は矯邑の話の続きを待った。矯邑は、自身も学生の身でありながら、ライザーインダストリーの最末端構成員として、生徒達の動向を探る抜き打ち検査を行っている。そのため通常の学生では知り得ない情報、この場合は、〈神風〉という純日系以外には排他的なリンクの騒動も、自然と耳に入ってくるのだ。
「で、そんなケチのついた服は持ってるだけで恥になるからって、〈神風〉中をたらい回しにされて、最後には誰も話題にすら出さなくなって行方不明。受け取ってもらえなかったとはいえ、花京院鈴華サマが着用されるはずだった代物を捨てるなんて、大それたことは出来なかったそうだ」
 それがこれか、と篭森は改めて携帯に転送されてきた依頼メールを見た。画面には、深い海原のような藍色をした着物と、〈神風〉に所属する下位ランカーの名が記されていた。依頼内容本文によれば、花京院鈴華から賜った着物だとされているが、現実はこれである。体のいいゴミ箱代わりにされたと見るのが正しいだろう。
「でも、これ先輩……と言うか、〈ダイナソアオーガン〉に来た警備依頼じゃないですか。私達に情報漏洩しちゃっていいんですか?」
 咎めるような村崎の疑問に、篭森はいいのいいのと依頼主を小馬鹿にするような態度で返した。そもそも篭森は、この着物を玉九朗へのプレゼントにすればいいという意図を持って、依頼メールを公開している。暗に、非合法な手段を持ってしてでも奪えと宣言しているのだが、村崎は気付いていない。
「大体、うちでもこんな依頼は受けない。直接頼み込むんじゃなくてメールで済ませた上に、通信傍受の対策は何も無しの情報筒抜け状態。おまけに欲しいのは人員じゃなくて警備ロボときてる。大方僥倖だって勘違いしてはしゃいで、頭のネジが二三本抜けたんじゃないの」
 依頼者に対してとは思えないほど辛辣な発言だが、誰も同情はしない。相応の敬意と用心のない輩には、気を遣う必要もないからだ。
「警備ロボが欲しいなら、何も篭森ちゃんの所に頼まなくても、ブラックシープ商会とかで普通に売ってるのにねえ」
 箔でもつけたかったのかしら、と冷泉もさらりと酷いことを言う。
「まあいいよ。とりあえず、私はこのメールは受け取らなかったことにする」
「じゃあ、私がそのメールを職権乱用して勝手に奪ったことにする」
「後は脅して奪って口封じして?」
「解らないように加工すればおしまい、かな」
「でしたら、早速パーティ用のメニューを考えないといけませんね」
 不穏な会話を締めくくるかのように、村崎がことさら明るい声で、何の料理がいいか聞き始めた。村崎はフランス料理を専門としているが、和食を作らせても上手い。篭森もまた、お菓子に和洋中なんでもござれの料理上手である。二人を中心に、話題はきな臭いものから美味しそうなものへと変わっていった。
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