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   中央区――ライジングサン・ストリートにて マッタリーン・マターリスの場合

 中央区の目抜き通りともいえるこのライジングサン・ストリートを、一台のトラックが疾走している。通行人や一般車両をすり抜けるように走り去るトラックの運転席には、一人の青年の姿があった。
 序列三十六位、【ロードオブゴッドスピード(神速道路)】のマッタリーン・マターリスは、こみ上げてきたあくびをかみ殺しながら一人ごちた。
 「あぁーあ……世間はバレンタインデーだっつーのに、俺は何をしてるんスかねぇ……?」
 マッタリーンは八つ当たり気味に、アクセルを踏みつけた。周りの自動車が急加速したトラックを避けるように大きく揺れる。しかしそんなことには目もくれず、彼は自らの仕事をこなすためにさらにトラックを加速させた。【ロードオブゴッドスピード】のエイリアスは伊達ではない。
 「ま、皆が幸せだからこそ、俺が儲かるってもんなんスけど……お?」
 フロントガラスの向こうに見知った顔を見つけ、マッタリーンはまたしても突然にブレーキを踏んだ。追走していた車のブレーキベルトが悲鳴を上げるが、彼はやはり気にせず、パワーウインドウを降ろして知人に声を掛ける。
 「千貫君にアルマ君じゃないスか。二人が一緒にいるなんて珍しいッスねぇ?」
 並走しながら車の窓から声を掛けてきた人物に、二人は揃って振り仰いだ。
 序列二百十一位、【ノンストップオーバーランナー(停止を知らない暴走者)】千貫・信と、序列二百二十二位、【リーヴルノーブル(誇り高き野兎)】アルマ・アベル。両者とも学園屈指の運びやである。今二人は、巨大な白い袋を背負って大通りを走っていた。
 「あ、マッタリーンさん。お久しぶりです! マッタリーンさんもお仕事ですか?」
 「ふん。相変わらずのんびりしてるじゃないかお前が全てに配達するころには俺は家に帰って愛しのペチュニア嬢とラブラブするのだどうだうらやましいかうらやましいだろうっ!」
 走りながらもペコリと小さくお辞儀をするアルマと、一方的に利己的な言葉を畳み掛ける信。両者は対象的だが、それでもこの二人は結構仲がいいと言われている。マッタリーンは苦笑しながら、アルマの問いに答えた。もちろん信の言葉は全て無視である。
 「ええ、あっちこっちのファンクラブから大量のチョコを任されちゃったんスよ。これから北のザンスキングダムに配達に行くところッス」
 「へぇ、大変ですね。僕達はブラックシープ商会の商品を個人向けに配達してるんですけど……ハールーンさんが出てしまっているので、千貫さんもそのお手伝いです」
 ちなみにこの会話は互いに軽く時速二百キロ近い状態で走りながら交わされている。マッタリーンは視線を完全に二人に向けているのだが、的確にハンドルを回して周りの車をうまくかわしている。アルマと信も通行人や車をめいめい避けたり飛び越えたりしていた。
 「ザンスキングダムということは瞑獄嬢か確かに彼女は可愛いしかし俺のペチュニア嬢の方がずぅっっっっと! 可愛いぞっ」
 「千貫さん、そんなこと言ってると、ファンクラブの人に命狙われちゃいますよ?」
 実際には時速二百キロ近くで走り去る彼らの会話など聞き取れる者はいないのだが、アルマはあくまで真面目な表情で言った。
 「はははアルマ俺の速度を侮っているな確かに瞑獄嬢のファンには危険思想を持ち合わせた輩も多いがしかしそんな奴らの誰よりも俺は確実に速いぃっと、それでは俺達は西に行くのでこれにて失礼させてもらう何よりも速い俺をつかまえることができたならまた会おうっ!」
 マシンガンのように紡がれる言葉の途中で、信は不意に体を横にしてスピードを殺し出した。曲がるべき角はまだ数百メートル先なのだが、とてつもないスピードで走る彼は急な方向転換ができないのだ。
 「あ、それじゃあマッタリーンさんも頑張ってくださいね。では、また」
 すぐに曲がる体勢に入った信を追う様に、アルマも速度を落とした。後方に流れ去る二人に、マッタリーンは窓から顔を出して声を掛けた。
 「そっちも頑張ってくださいッス!」
 マッタリーンの声が聞こえたのかどうか、アルマと信も片手を挙げて示した。バックミラーでそれを確認すると、マッタリーンも再びアクセルを踏み込んで加速を始める。


   東区画――虞骸館にて 篭森・珠月の場合

 「何をしているのですか?」
 古風な外壁に蔦が蔓延り、上空を旋回するカラスが不気味さを際立たせている虞骸館。その昼食時が近づいてそのキッチンに現れた序列二百五位、【マジックボックス(驚異的空間)】のミヒャエル・バッハは、家主である序列二十四位、【イノセントカルバリア(純白髑髏)】の篭森・珠月の様子を見て目を見開いた。
 当の珠月は、竈に掛けた大きな鍋を、これまた大きな杓文字でぐるぐるとかき混ぜている。ゴスロリ調の服装と相まって、まるで魔女が妖しい薬を作っているようだ。
 「見て分からない? チョコを作ってるんだよ」
 言われてみれば、キッチンには独特の甘ったるい匂いが充満している。
 「あぁ……ジャパニーズの女性はバレンタインデーに、大切な人にチョコをあげるという風習があるんでしたね。ということはそのチョコはこの私に?」
 「死にたいの?」
 背中越しに投げられた言葉に、自然ミヒャエルの背筋が伸びた。
 「いえ、冗談です……別にチョコはいりません……」
 「これはジェイルにあげる分だよ」
 続けられた言葉に、ミヒャエルはぽかんと口を開けて固まってしまった。
 序列百二位、【ワンダフルポエマー(凍れる詩人)】ジェイル・クロムウェルは、ミヒャエルの友人であり、そして何より珠月が最も苦手としている青年である。ジェイルアレルギーというくらいに彼のことを嫌っている珠月が、チョコを作っている。その事実はミヒャエルを混乱させた。
 「それは……どういう風の吹き回しですかな? あ、あれですか。イヤよイヤよも好き内……」
 「死にたいの?」
 再び投げかけられた言葉。今度はさっきよりも冷たい感情を含んでいた。
 「私がチョコあげるって言ったら、きっとあいつ喜んで飛びついてくるでしょ? 逆に言えばこんなチャンス無駄にするわけにはいかないよ」
 「あぁ……」
 なるほど、とミヒャエルは頷いた。大方毒物でも混ぜ込んでジェイルを殺害しようという魂胆なのだろう。友人としては止めるべきなのだろうが、生憎ミヒャエルはジェイルの危険すぎる恋心を知っているので止めることができない。あるいは、珠月に殺されるのであればジェイルにとっても幸せだろうと、面倒ごとが嫌いなミヒャエルは無責任にそう思った。
 「ひひひひひ……覚悟しておけ、ジェイルぅ……」
 「篭森殿、それは本当に魔女っぽいから止めたほうがいいと思いますが……ぐわっ」
 背中越しに投げつけられたボウルが眉間を直撃し、ミヒャエルはキッチンの床に倒れ臥した。


   南区画――ロックンロールロックスターにて 経世・逆襄の場合

ロックハウス兼フランチャイズとして名の売れたロックンロールロックスターのとあるスタジオ。序列六位、【キングオブインサニティ(狂気の王)】経世・逆襄は一人でステレオアンプなどの調整を行っていた。
 と、逆襄が黙々と作業をしているスタジオのドアが開いて、一人の人物がおずおずと入ってくる。
 「逆襄、ちょっといいかな?」
 序列七位、【インフィニティアイズ(無限の瞳)】の恋城・静香は、入り口に背を向けて作業している逆襄にそう声を掛けた。逆襄は振り返ることもなく、声だけで客人が誰だかを把握し答えた。
 「あぁ、静香か。別にかまへんよ? ちょっと待っててな、もうちょっとでこっちが終わるから……」
 「逆襄が機械の調整してるなんて珍しいじゃない。いつもならみのりちゃんがやってるでしょ?」
 「みのりの奴、今日は朝から出かけとるんや。まぁいつもしっかり働いてくれとるから一日くらいおらへんでも問題ないんやけど……今日はライブもあるからちょっと忙しくてな」
 他愛ない会話を交わしている間も、静香の様子はどこか落ち着きがない。背中に隠すように持った小さな箱をしきりに気にしているようだ。
 「ふぃー……さてと、これで大丈夫やろ。んで? 俺に何か用か?」
 そうこうしているうちに作業を終えた逆襄は静香を手で招き寄せる。自分はスタジオに備え付けられたカウンターに入ると、手近な椅子に腰を降ろした静香の前にグラスを置いた。
 「ま、今は開店前なんでな。ミネラルウォーターくらいしか出せへんけど」
 「ん、ありがとう」
 出された水を一口飲んで、静香は小さなため息を吐いた。そして、意を決したように顔を上げる。
 「あのさ、逆襄……これ、受け取ってもらえるかな?」
 「ん? なんや……あぁ、今日はバレンタインデーか」
 差し出された箱を受け取って、逆襄はさわやかな笑顔を浮かべた。
 「ありがとな。ありがたく食べさせてもらうわ」
 静香はその笑顔に、気づかれない程度に頬を赤くした。小さく咳払いして、言葉を続ける。
 「それとさ、逆襄。もし……よかったら……」
 「あら、ようやく見つけましたわ! まったく、ちょっと目を離した隙にいなくなってしまうなんて、悪い子ですね」
 何か大事なことを告げようとしていた静香の言葉をかき消すように、勢い良くスタジオのドアが開け放たれた。入ってきたのはヒラヒラとした衣装に身を包んだ十代前半と見える少女。しかし実年齢はゆうに七十歳を越える、学園の教師の一人。
 ことあるごとに逆襄を手篭めにしようとしている【インストルメンツヘル(地獄器具)】の善紅峰・ヘル・リーンスタットである。腕にはその身長と同じくらいの大きさの箱が抱えられていた。可愛らしいラッピングが施されたその箱から、なにやら不穏なオーラが立ち昇っているのは気のせいではあるまい。
 「げっ、ヘル!」
 「ヘル先生…………」
 天敵の登場に逆襄は青ざめ、そして静香はあからさまに落胆の表情を見せた。
 「もう、ここまでコレを運んでくるのは大変でしたわ。でも、全ては愛すべき逆襄のため! あなたのためならばどんな重荷でも背負ってはせ参じますわ」
 「あー……一応聴いとくが……その箱何や?」
 よたよたと箱を運んでくるヘルから逃げるように、逆襄はじりじりと下がった。しかし周囲を囲まれたカウンターの中では逃げ場はない。
 「決まっているではないですか! あなたに食べていただく、チョコレートです!」
 「アホか! どこをどう間違ったらそんなデカイ箱になんねん!」
 「私の愛の大きさがこのくらい大きいということですわ」
 冷や汗を流している逆襄を尻目に、静香はそっと席を立った。
 「それじゃ、またね、逆襄。仕事が入ってるのを思い出したから、私はもう帰るわね?」
 「な!? ちょっと待ってくれや! お前便利屋やろ! せめて俺を助けてからにしてくれ!」
 逆襄の悲痛な叫びを黙殺して、静香はスタジオを後にした。閉めたドアに軽く寄りかかって、静香は小さな声で呟いた。
 「……馬鹿」
 静香がロックンロールロックスターのビルから出ると時を同じくして、ビル中に逆襄の絶叫が響き渡ったという。


   西区画――九龍城砦にて 澪漂・二重の場合

 「なんだこれは……?」
 オフィスに届けられた大量のラッピングされた箱を前に、序列八位、【エターナルコンダクター(悠久の指揮者)】澪漂・二重はうんざりしたような声を上げた。
 「えーっと、こっちの山が二重さんにで、こっちが一重さんにッスね。どっちもお二人のファンクラブの方からッスよ」
 ダンボールが幾つも積み上げられた山を示して、マッタリーンはそう説明した。その中の全てがチョコレートだとすればそれはかなりぞっとしない話である。
 「それじゃ、ここに印鑑かサインお願いしますッス」
 箱の山を前に棒立ち状態の二重を尻目に、序列三十一位、【ファンタズマゴリアバディ(幻想具現化)】の望月・遡羅は伝票にサインする。
 「ありがとうございましたッスー」
 「ご苦労様です。頑張ってくださいね」
 ヒラヒラと片手を振ってマッタリーンを見送る遡羅を、二重はいつになく恨みがましい目でにらみつけた。
 「なぜ受け取りを拒否しなかった?」
 「えー? だってファンの子達可哀想じゃないですか。せっかく二重さんたちを思ってチョコを送ってくれたのに」
 言いながら遡羅はごそごそとダンボールを空けて、中を検分し始める。
 「あ、すごい。これブルーローズの限定品ですよ? うわぁ……これ高いのに、熱狂的なファンがいたものです」
 「……もういい。勝手に処分してくれ」
 箱の中身に嬌声を上げる遡羅を無視して、二重は机に戻ると書類に目を通し始めた。
 しかし、数分もしないうちに二重の前に大量の手紙がドサドサと音を立てて降ってくる。
 「……これは?」
 「ファンレターですよ。チョコ食べないんだったら、せめてこれくらいは目を通してあげてください」
 こころなしか苛立っているような遡羅の様子に、二重はしぶしぶながら封を開けて中身を読み始めた。しかし。
 「…………何だこの頭の悪い文章は。読む気が失せた。焼却処分しておいてくれ」
 夢見る乙女の文章に眩暈を覚えた二重はその手紙をそのまま破り捨てようとする。と、横合いから伸びてきた腕がその手紙を奪い取った。
 「何ナニ? うわ、『貴方のことを思うと夜も眠れません』だって! 乙女だねー、焼けちゃうなぁ」
 「……一重」
 二重の手から手紙を奪い取ったのは、序列二十二位、【アルカディアフレンド(理想郷の大親友)】澪漂・一重だった。
 「ダメだよ二重。ただでさえ顔怖いんだから、少ない支持者を大切にしないとさ」
 「なんだろうな……君にそう言われるととても凹むんだが」
 本当に渋い顔をする二重に、一重は「あはは」と笑いかける。
 「それじゃあそんな二重が元気が出るように、私からもチョコをあげましょう!」
 一重はそう言うと、後ろに回していた片手を二重の方に差し出した。その手には、単純だが可愛らしいラッピングが施された箱が乗っている。
 「一応手作りですからね。あと、他の人にあげてるのとは違う二重専用のチョコだよ」
 二重は黙ってその箱を受け取ると、リボンと包装紙を丁寧に解いて蓋を開けた。中に入っている小さなトリュフチョコを一つ取り上げると、口に放り込む。
 「……うまい」
 「でしょでしょ? お礼期待してるからね」
 常にはない二重の素直な反応に、一重はいたずらっぽく笑った。二重もそれに微笑み返しながら感謝の言葉を述べる。
 「……ありがとう」
 そんな二人の様子を、遡羅はニヤニヤ笑いながら見ていた。


   北区画――不夜城にて マリア・レティシアの場合

 「世間はバレンタインデーだッテノニ、何だって私ハ勤勉実直に仕事ナンカしているンデショウねぇ……? ハァ、働きたくネー……」
 「それもこれも会長が仕事を溜め込んでいるからでしょう? 自業自得です!」
 「それを手伝わされている私たちの身にもなってもらいたいものだな」
 「アハハ、カイチョー! ファンクラブからチョコが山ほど届いてるよ! って食べてる暇なんてなさそうだからアサちゃんが貰っちゃうね!」
 「チョコ食ってる暇があるんだったらお前もこっちを手伝え!」
 不夜城の一室――ニュクスのオフィスは浮かれた街の雰囲気など欠片も感じさせないほどに殺伐としていた。その主な原因を作っているのが、一際沢山の書類を積み上げた机に座っている、序列十二位、【グレイトフルナイト(偉大なる夜)】時夜・夜厳である。
 「ダッテ、仕方ないデショウ? 友人を大事にスル私としてハ、例えソレガ下賎な麻雀の誘いだとシテモ断るに断れナイごふぁ」
 グダグダと言い訳を垂れる夜厳の口を、分厚い本の角で頭部を殴打するという手段で物理的に閉じたのは、序列二十位、【ミスティムーン(濃霧の月)】異牙・霧戒、夜厳の部下である。
 「よくもまぁそういった言い訳が次から次へと……分かりました。今日中に仕事が終わらなかった場合は、ホワイトデーに私に最高級のイベリコ豚の生ハムを買ってきてくれると、そういうことですね?」
 「エ? な、何でそういうコトになるノデスカ……?」
 「そうなんですよね?」
 ギロリ、と黄金色の瞳に見据えられて、夜厳は激しく首を上下に振った。
 「ハイ、分かりマシタ。今日中に仕事ガ終わらなカッタ場合は、最高級ノ生ハムを用意サセテいただきマス……」
 ちなみに時刻は午後七時。夜厳の机に乗っているのは、およそ四日分の書類である。元々色白の夜厳の顔がいつもより青白いのは、おそらく見間違いではない。
 夜厳が一際大きなため息を吐いたとき、オフィスのドアが開いて二人の人物が甘ったるい匂いとともに入ってきた。
 「はいはい、皆さんお疲れ様です♪ チョコレートケーキを焼いたので、少し休憩してはいかがですか☆」
 「くふふ、ケーキを焼くのは久しぶりだったけど、中々上手く焼けてよかった。くふふふ」
 不夜城のメイド長である序列百十三位、【クラップユアハンド(貴方は私へ拍手喝采)】のリリコ・レジェロと、料理長である序列二百九十位、【デビルシェフ(悪魔的調理人)】のマリア・レティシアだ。二人とも、大きな褐色のケーキが乗ったトレーを持っている。
 そんな二人を見て、オフィスにいた全員が複雑な表情を浮かべた。
 リリコは万能型な人間である。それゆえにメイドとしての仕事以外にも、例えば芸術や調理に関しても高いスキルを発揮する。つまり、彼女が作ったケーキということはかなり美味しいはずだ。
 マリアは天才的な料理人である。しかし、時として人間をも食材にしてしまうことがあるという悪癖を持っており、彼女の作る料理は美味しいがそれがイコール安全なものだとは限らない。
 「あ、あはは。じゃあ、休憩にしましょうか」
 「そうだな、もう三時間ほど働き通しだし。……私はリリコのケーキをもらおうか」
 「あ、じゃあアサちゃん、マリアの作ったやつ食べてみる!」
 「知的好奇心が旺盛なのはいいがな……辞めといたほうがいいぞ」
 引きつった笑いを浮かべながら席を立つニュクスの面々。ただ一人、夜厳を除いて。
 「カイチョー? 食べないの?」
 「ハハハ、私は遠慮シテおきマスヨ。皆で『全部』食べちゃってクダサイ」
 腹黒い笑みを浮かべながら、夜厳はヒラヒラと手を振った。しかし、その襟首を霧戒にしっかりと掴まれるとその腹黒い笑みが一転、焦燥に満ちたものに変わる。
 「異牙さ、何のツモリデスカ?」
 「会長も働き通しでおなかが減っている頃だと思います。私達は取り分が少なくなってしまい残念ですが、リリコの作ったケーキを頂きますので……会長はおなか一杯、マリアのケーキを食べてくださいね」
 「エ、チョ、それはズルイんじゃあアリマセンカ?」
 「くふふ、遠慮しなくても、沢山焼いてあるからおなか一杯食べさせてあげるよ? くふふ、くふふ」
 「ナ、ナンテ余計なことヲ……グエ、異牙さ、アンマリ引っ張らナイデ、首絞まってル、絞まってルカラ……」
 「ふふふ、愛の鞭という名のバレンタインデープレゼントですよ」
 嫌々言う夜厳を半ば以上引きずるようにして、霧戒はオフィスを出て行った。その後ろにマリアが続く。
 「あはは♪ 会長は照れ屋ですね♪ さ、皆さんも、お茶にしましょう☆」
 残されたメンバーに、リリコは何事もなかったかのように微笑んだ。ドアの向こうからは、遠ざかる夜厳の叫びと、マリアの不気味な笑い声が聞こえてくる。
 「くふふ、大丈夫。食べられないものは入れてないからね。くふふふふふふ」
 「アンタの場合、物理的に食べラレテモ生理的に無理なコトだってあるデショウ……グエエェ、止メテ異牙さ、力入れナイデェ…………」


   地下区画――デスインランドにて 空多川・契の場合

 「可愛い可愛い私の蠍。あぁ、愛してる。あなたに受け取ってもらいたい。このチョコに乗せて、私の溢れ返るこの愛を。あぁ……蠍、サソリ、可愛いよ、蠍」
 地下区画のカイザーストリートにある、ファンタジーな造りの建物に、非合法興行組織【デスインランド】のオフィスはある。
 序列二百二十五位、【ラヴレス(愛を注ぐ者)】空多川・契は、机に載せた箱を愛おしそうに見つめていた。包装紙から、その箱の中身が学園でもトップクラスの洋菓子店、【ブルーローズ】のものであるということが分かるが、巻かれたリボンは蠍を象った模様の入ったものである。
 空多川・契は【黄道十二宮協会】の中で【天蠍宮】に位置する【ロートシルトエンタープライズ】に狂的なまでの愛を注いでいる、というのは、彼女に近しい位置にいる者ならだれでも知っている事実である。故に机に置かれた箱も、彼女が愛して止まない『蠍』に捧げる贈り物である、ということは分かるが、しかし彼女はそれを送るようなこともせず、今日一日中この箱に向かって愛の言葉を紡ぎ続けていた。まるで、小さな箱に彼女の想いを詰め込むように。
 「チチチ、おや、ミス・アクタガワ? 貴女まだこんな箱に愛を語っていたんですか?」
 「あー……相変わらず痛い奴だなー」
 「蠍、サソリ、私の蠍。あなたのためなら死ねる。むしろ、たぎるほどの憎しみを以って殺してください」と呟いていた契のそばを、デスインランドの取締役である序列二百九十一位、【ベルベットアンダーグラウンド(純益の地下世界)】ディッチーマウス・ザ・オルセンと、彼の側近である序列六十四位、【ウィドウメーカー(未亡人製造機)】グーフィス・ルースが通りかかった。
 上司二人が話しかけてきたというのに、契は相変わらずぶつぶつと不気味な愛を語り続けている。そんな彼女の様子に、ディッチーマウスは小さくため息を吐いた。
 「ハァ、しかもコレ、【ブルーローズ】のですよね? 全くユーはもったいないことをする。食べないならミーが貰ってしまいますよ……って痛ぇ!?」
 箱に巻きつけられたリボンを解こうとしたディッチーマウスの手を、契のナイフが目にも留まらないほどの速さで切りつけていた。幸い大きな手袋をしていたので皮膚一枚を切り裂かれただけですんだが。
 「手前ぇ、このクソアマ! 痛いじゃねぇか何しやがる、全くユーは乱暴者ですねぇ」
 「ディッチー、怒ってる途中で気づいてキャラ戻すなよ。萎えるじゃねーか」
 「何を言うんですか、グーフィー。大体ユーが止めるべきところだったんじゃないんですか?」
 自身は戦闘能力を全くと言っていいほど持っていないディッチーマウスは、怒りの矛先を戦闘要員であるグーフィスに向ける。しかしグーフィスはどこ吹く風とあくびをした。
 「きょーみねー……」
 「あぁもう……バレンタインデーなんて嫌いですよ。ミーやミスター・ナイトメアは爆弾入りのチョコを送りつけられて散々だったって言うのに……」
 ぎゃあぎゃあと言い争いを続ける二人を完全に無視して、契は大事そうに箱を抱えると席を離れた。
 「あぁ、可愛い蠍、愛しいサソリ……デブ鼠が煩いから私は静かなところに行きます。あなたへの愛を誰にも邪魔されずに届けたい……あぁ、デブ鼠、蠍に刺されて死ねばいいのに」
 「何か言いましたかミス・アクタガワ!?」
 ディッチーマウスが被っていたシルクハットが転がり落ちるほどの勢いで振り返ったときには、すでに契はドアを閉めるところだった。


   おまけその一 ジェイル・クロムウェルの場合
 「おかしい。何故死なない?」
 篭森・珠月はバレンタインデーから数日後、自分の後ろを尾行している気配に疑問を覚えてそう呟いた。彼女を追けているのは、もちろん【ワンダフルポエマー】のジェイル・クロムウェルである。
 「確かにあいつは私から嬉々としてチョコを受け取ったはずだよ。なのに何で死んでないんだろう……薬の調合を間違ったかな、いや、私に限ってそんなことは……」
 「やあ、真珠の月の姫。この前はこのような罪深き僕のために手作りのチョコを下さってありがとうございました。ぜひお礼をしたいと思っていたのですが……狂おしき貴女への思いはなぜこんなにも月日が過ぎるのを遅くするのでしょうか、僕には月が満ち欠けする時間さえも耐えられません」
 「っだあぁ! うざい、死ね! っていうか、いつの間に私の前に回った!?」
 いつの間にか目の前に立って、畳み掛けるように寒い台詞を浴びせかけてくるジェイルから、珠月は一気に数メートル離れながら怒鳴った。肩で息をしながら、それでも精一杯の勇気を出して尋ねる。
 「と、ところで……そのチョコは? もう食べたの?」
 「あぁ……それがですね。折角頂いたのにこんなことを言うのは大変申し訳ないのですが、まだ食べていないのですよ」
 「…………何だって?」
 「チョコというのは甘く優しく、まるで恋する乙女のように人のぬくもりによって溶かされてしまいます。たとえどれだけ美しい形を象ろうとも、溶け去ってしまえば残るのは只の茶色い雫のみ……あるいはそれは刹那的で美しいのかもしれません。あの黄昏に貴女の髪に舞い降りた幸の精霊のようにね。しかし僕にはとても貴女の愛の形を失わせることはできなかったのです」
 ジェイルの言葉に、珠月の顔面からみるみるうちに血の気が引いていった。
 「えぇ、しかし安心してください真珠の月の姫。貴女の愛の形は決して失われることのないよう、額に入れて大切に飾っていますよ。見ようによっては残酷な形に見えるかもしれませんが……美しい花を凍てつかせてその美を保つように、貴女の愛は永遠に僕を喜ばせるでしょう。どうです真珠の月の姫、これからご一緒にお茶などいかがですか? 刻限も丁度アフタヌーンティーに相応しい。貴女と過ごすお茶会は、英国女王とのお茶会にも並ぶほど楽しい時間でしょうね……おや、真珠の月の姫、どちらへ?」
 ジェイルが芝居がかった振る舞いで長々と語っている間に、珠月は全速力で駆け出していた。
 「くそぅ、負けない。負けないぞ! 私は【エグザイルカルバリア(追放髑髏)】の娘なんだ!」
 必死に走り去る珠月の目には、気のせいか涙が浮かんでいたという。


   おまけその二 望月・遡羅の場合

 「何だこれ?」
 「チョコレートです。皆さんに食べていただこうと思って作ったんですよ」
 序列十六位、【アンタッチャブルサイズ(不可触民の鎌)】三島広・光路の言葉に、遡羅は憮然として答えた。
 「へぇ、遡羅ちゃん料理もできるのか。いいねぇ、出来る女だねぇ」
 からかうように笑う光路を睨みつけるようにして、遡羅は続ける。
 「心配しなくても、ちゃんと義理チョコですからね……あ、そうだ」
 ふと、思い出したように遡羅は言った。
 「そのチョコ、一時間以内に食べてくださいね」
 「は? 一時間? 賞味期限にしちゃ短すぎるんじゃねぇか? …………まさか」
 遡羅のミスティック能力【ウルティアニマ(究極魂)】は、彼女が絵に描いた物を具現化させる能力である。彼女が紙に描いたものなら、原則何でも具現化させることができるが、その現出時間は彼女が描いた絵を所持していた時間に左右される。
 「いいじゃないですか。何もあげないよりマシだと思ってくださいね? あと、ちゃんと食べられる紙とインクを使ってますから、食べても害はありません」
 「そういう問題じゃないだろ!?」
 「ではどういう問題なのですか?」
 反論を許さない調子で告げられた言葉に、光路は思わず黙ってしまった。先輩の威厳は欠片もない。と、彼の目が遡羅の抱えているスケッチブックに向けられた。光路の視線に気づいた遡羅は、ちょいとスケッチブックを掲げて言う。
 「あぁ、これですか? これから美散さんのところに置きに行ってこようと思って。いい作品ができたので、画廊に飾ってもらうんです」
 そう言いながらペラペラとスケッチブックを捲って、とあるページに描かれた絵を光路に見せる。そこに描かれた物を見た光路は、思わず固まってしまった。
 「あんな団長さんの笑顔なんて、滅多に見られないですからね。つい創作意欲を刺激されてしまいました」
 そのページには、満面に笑顔を浮かべた二重の姿が描かれていた。


   おまけその三 姫宮・沁と姫宮・成実の場合

 「バレンタインー、バレンタインー♪」
 「ララララブラブ、バレンタインデー♪」
 学園都市の中枢にある【ライザーインダストリー】直属のビル。そのちょっとした道路ほどもある廊下を、二人の少女が歌いながら歩いている。
 【ドミニオントリック(支配権奇術)】姫宮・沁と、【ドミニオンロジック(支配権論理)】姫宮・成実の悪戯姉妹である。沁は小脇に継ぎ接ぎだらけの兎の縫いぐるみを抱え、成実の方は物騒にもパステルカラーのチェーンソーを引きずっていた。
 二人は歌いながらずんずんと廊下を進み、とあるドアの前でその足を止めた。沁が目で合図をすると、成実はニヤニヤ笑いながら頷き、手にしたチェーンソーのエンジンロープに手を掛け。

 ドルン、ドルドルドルドルルルルルルrrrrrrr…………!!

 思い切り引っ張った。
 「「トリックオアトリートおぉぉぉ!!」」
 二人は同時にそう叫ぶ。沁は拳を突き上げ、成実はそれに答えるように目の前のドアに運転中のチェーンソーを叩きつけた。
 シンプルだが美しいデザインの扉が無残に引き裂けぶっ飛ぶ。部屋の中で仕事をしていた人物はそれに驚いて顔を上げた。
 学園の教師の一人である【パラダイムフィクサー(模範的調停)】世都母・比良坂の目線が、二人の視線とかち合った。姉妹はニヤリと笑うと、再び
 「「トリックオアトリート!!」」
 と叫ぶ。
 「あー……ハロウィンには半年以上早いと思うが……?」
 「比良―、チョコ寄越せー」
 「そうだそうだ、チョコ寄越せー」
 二人の言葉にようやく全てを理解し、比良坂は指で眉間を押さえた。二人は「チョコ寄越せーチョコ寄越せー」と言いながら部屋の中を暴れまわる。同時に振り回されるチェーンソーで比良坂の部屋の調度品の数々が残らず粉みじんになっていく。
 「分かった、分かったからとりあえず大人しくしてくれ。成実はチェーンソーを止める! 全く、どうやって持ち込んだんだ。ウチのSPは能無しなのか?」
 比良坂が両手を打ち鳴らしてそう言うと、以外にも二人はすぐに大人しくなった。比良坂の前に椅子を持ってきてちょこんと座った二人に、比良坂は諭すように言う。
 「よし、分かった。すぐに最上級のチョコを用意しよう。だからすぐにこの部屋を出て仕事に戻ってくれるか?」
 「分かったー」
 「分かったよアミーゴ!」
 二人の暴君は口々にそう言うと、あっという間に部屋から出て行った。その後ろ姿を見送って、比良坂はため息を吐く。
 「まったく……まるで台風だな。流石は台風王国日本の申し子……いや、笑えないなこれは」
 とりあえず、と彼は奇跡的に無事だった電話を取り上げるとチョコレートの手配と、部屋の掃除を申し付けた。受話器を置いて再度部屋を見回す。と、二人が座っていた椅子の上に小さな――指輪でも入っているのではないかというほどに小さな箱が置いてあるのに気が付いた。その下には一枚の便箋が置いてある。
 箱を取り上げて、便箋を捲る。そこに書かれていた文章を見て、比良坂は思わず苦笑してしまった。

 ――いつもお疲れ! チョコ食べて元気出せ!
                               沁ちゃん&成ちゃんより