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序章 これは訓練ではない

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序章 これは訓練ではない

 ゾアックソサエティ・ライザーインダストリー
 元日系企業が寄り集まってできたこの巨大企業が、かつての世界大戦の前、日本と呼ばれた国があった場所に立てた学校がある。
 その名を学園都市・トランキライザーという。六年間の予科――ただし飛び級可能――と十年間の本科からなり、予科から本科に進学できるのは全体の1%程度。その1%さえ卒業までにたやすく命を落とす、強いものだけが生き残る修羅場である。
 その超エリート学校の中でも、特に次世代のリーダーとなるに相応しい序列300位以内の超成績優秀者のことを『上位ランカー』あるいは単に『ランカー』と呼ぶ。ランカーは学生の身分でありながら、あらゆる分野において世界を舞台に活躍している。




「避難訓練をしようと思うんだ」
 学園都市・トランキライザーのイーストエリア。ダイナソアオーガン会長室にて、二人の人物が向かい合っていた。一人は落ち着いた様子の少年で椅子に座っている。もう一人は彼と机を挟んで反対側、行儀悪く会長用の机に半分腰をかけて振り向くような姿勢で、少年と向き合っている少女。
「…………何だって?」
「だからね、避難訓練をしようと思うんだ」
 部下である序列24位【イノセントカルバニア(純白髑髏)】篭森珠月(かごもり みづき)の謎の一言に、総合警備保障会社〈ダイナソアオーガン〉会長、序列9位狗刀宿彌(くとう すくね)はかすかに眉を動かした。
「……防災月間でも始めたの?」
「今度ね、東区のあるビルが老朽化で解体されるんだって。それ使って避難訓練しようと思って。勿論、希望者でかつ仕事がないやつ限定だけど」
「必要ないんじゃないかな?」
 宿彌は読みかけの報告書の束を机の上に置いた。珠月が勝手に自分の机を椅子にしているのでとても邪魔だ。
「スカラーじゃあるまいし、今更なんで避難訓練が必要なんだい?」
 ダイナソアオーガンは警備保障の会社である。それだけ聞くと傭兵派遣事業や戦闘請負などの武装リンクに比べておとなしそうなイメージを持つが、実際のところそうでもない。警備とはそうやって集められた傭兵を迎撃するような仕事も含むため、場合によっては傭兵部隊以上の戦闘能力や頭脳が求められるのだ。そのような会社――しかも学園最高峰のリンクの一つ――であるため、当然ながら社員はきっちりと訓練を受けている。
「いやいや。メンタル面を鍛えておくにこしたことはないよ。パニックになると人間の行動力って落ちるからね。連戦連勝のメンバーを作るのに、メンタルの訓練も必要でしょ? それにせっかくの機会だから面白そうだし」
 何か引っかかる言い草だった。宿彌はゆっくりと瞬きをして、眼鏡越しに珠月を見やる。
「……何企んでる?」
「避難訓練」
「具体的に」
「想定は、順次爆破されるビルからの脱出訓練ってことで。うちの面子以外にも希望者を募っておいてさ、邪魔し合ってもよし、協力してもよし、無視してもよしってことで」
「それ、訓練じゃなくて新手のサバイバルゲームだよね?」
「ばれたか」
 むしろばれないわけがない。宿彌は小さく息を吐いた。
 篭森珠月はそこそこに有能な人物だが、他の多くのランカーと違い過度に突出しているわけでも組織を背負っているわけでもないせいか、大変掴みどころがない。その半面、楽しいことが大好きで何にでも首を突っ込むくせがある。だから、彼女が何かをしたがる時は結構な確率でろくなことがない。
「……僕は、金は出さない」
「おい、いつ私が金の無心をした。他人の評価を下げるような発言はやめてよ」
「君の評価はすでにカオスじゃないか」
「さりげなく失礼だね」
 珠月は上位ランカーからすれば、ずば抜けた能力があるわけでも、特に高度な能力を持つわけでもない、スキル面からすると地味な存在だ。だが、人格やセンスという意味では上位ランカーの中でも特に目立つ存在である。主にあまりよくない意味で。
「とにかく、やるなら勝手にやってくれ」
「ビルの所有者とは話つけてあるよ。どうせ解体予定だっていうから、解体費用を払うことで片は付いた。もろもろの許可も下りてる」
「手回しがはやいことで」
「宿彌もやらない? ただし、二桁ランカーと戦闘能力に秀でた三桁には、ハンデありね。一番の特技の使用禁止か重し。私の場合はミスティック能力禁止にしようかと思ってる」
「それ、訓練になるのかい?」
 訓練とは非常時に落ち着いて行動できるよう、非常事態をシュミレーションすることが大事である。そんなハンデは普通いらない。
「だって使ったらすぐに脱出できちゃうし。緋葬架の場合は、手足に各二キロの重しをつけることになってる」
「重いね」
 序列96位【ナハトイェーガ―(夜の狩人)】朧寺緋葬架(おぼろでら ひそか)は、四十物谷調査事務所所属の狙撃手である。流石に銃火器なしでの参加は嫌だったようだ。
「うちでは、私と翔が参加ね。後、四十物谷調査事務所の揺蘭李が参加したいって。他の区画にも声かけようか迷ってる」
「どうしてうちのランカーたちは、そんなに暇なんだろうね」
 序列30位【グラビスフィアジョッキー(重力圏騎手)】万里小路翔(までのこうじ しょう)
 序列233位【ドリームタイム(神様の夢見る時間)】御神本揺蘭李(みかもと ゆらり)
 イーストヤードを代表する人物たちの一部である。
「まあ、仕事に差し支えないなら、いいんじゃない?」
「宿彌はやらないの?」
 珠月の残念そうな声に、宿彌は首を横に振った。
「必要ない」
「必要なくても面白いんだよ。ちぇっ、大勢のほうが楽しいのに。神風の子でも誘ってみるか」
「無視されるか、攻撃されると思うよ」
 リンク〈神風〉はイーストヤードに本部を置く、純日系の集団である。純日系以外を差別する差別集団であり、それ故、日系イギリス人である宿彌や珠月とは仲良くなりようがない。
「んー、じゃあ他の区画の子たちを……」
「それ、もう避難訓練とかじゃなくて軍事演習だよね?」
「うちの三隊長は参加しないよ? 法華堂もマルセラさんもお仕事だし、サイボーク連中もでないし、四十物谷もいないし……」
「奴らが出たら、解体作業終了の前にビルが崩れるよ」
 いずれも破壊力では定評があるランカーである。
「あと、上位ランカー以外の三桁が何人か出る予定。死んでも自己責任ということで」
「うん、やっぱり避難訓練じゃなくて軍事演習だね」
「実際そういう状況に置かれたら、味方を押しのけでも逃げる人もいるし、敵と手を組まないといけない場面もあるでしょ? それを想定した避難訓練だよ」
 あくまでも珠月は避難訓練だと言い張る。だが本来、訓練というものは命がけで行うものではない。
「今からでもかまない? 小遣い稼ぎくらいにはなるよ。内部にカメラ設置して、観戦と誰が優勝するか賭博もさせる予定だから。優勝者には賞金でるけど、それも賭博の参加料で回収する予定だから、損はしない。ちなみに、スナッチとブラックシープ商会が協賛してるんだけど」
「訳のわからない行事で、小金を稼ぐのはやめてくれといつも言ってるだろう!? なんで君はそんなにふまじめなんだい?」
 大リンクのナンバー2(一応)とは思えない発言に、宿彌は天を仰いだ。
「楽しいことはみんなでしないと。それにほら」
 珠月は宿彌に顔を寄せた。耳元に唇を近づけて、囁く。
「この前の麻薬といい、上位ランカーへの不満が溜まってるでしょ? ここらで格の違いを見せておくのと、苦労してる姿を見せるのも必要じゃない? ランカーの戦闘風景なんて見学できないし、それ以上に苦戦してるランカーなんて見てて溜飲が下がるでしょ?」
「……君は」
 宿彌はやれやれと肩をすくめて見せた。
「本当に、真面目なのかふまじめなのか分からないね」
「どちらでも同じことよ。私にとっては。多分、貴方が思うより、私は刹那的で享楽的だと思うね。宿彌には分からない感覚かもしれないけど」
「だろうね。まったく理解できないよ」
 宿彌は首を振った。
「理解しなくていいよ。許してくれれば、ね。いい考えでしょ? ガス抜きになるし、楽しいし、訓練にもなる」
「死人出ない?」
「日常茶飯事だよ」
「それもそうか」
 さりげなく怖いことを言って、二人のランカーはそれぞれ明後日の方向を向いた。
「ちなみに、使用する物件は十二階立ての元オフィスビル。家具とかそのまま。しかもブービートラップと、学園が生徒の訓練用に使ってる軍事ロボ、それから遠隔操作系のミスティックによる攻撃がランダムに行われます。籤でいくつかのグループに分かれて、最上階付近からスタート。鍵も空いてるところと空いてないところがあったり、凝った作りに……」「訓練とか演習通り越して趣味だね。もういい好きにすればいいよ。有給も取ってるみたいだし。ただし、怪我しないでくれよ? 次の日仕事なんだから」
「了解、了解」
 楽しそうに珠月は言った。
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