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美食礼賛 前編

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tranquilizer

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美食礼賛


 学園都市トランキライザー
 すべての国家が戦争の末崩壊し、企業や様々な裏組織が世界の表と裏を支配する時代が幕を開けてからはや数十年。かつての暗黒時代に比べれば、世界も安定してきたように見える。
 表の世界を治めるのは、ゾアックソサエティ(黄道十二宮協会)と呼ばれる十二の大企業とその他、無数の企業組織。
 裏の世界を治めるのは、九つの組織と呼ばれる様々な目的のために集結した九の組織とそれに連なる大小様々な団体。
 その十二企業の一つが、かつて日本と呼ばれた土地に作った巨大学園都市。それがトランキライザーである。十二の企業のうちでも一、二位を争うほど次世代の教育に力を注いでいるところのおひざ元ということで、世界中から数多くの若者や子供がこの学園に集まってきている。だが、そんな場所でも闇はある。
 まだ開発されていないスラム街。現地の住人が住むさびれた街。学園すら放置するしかなかった旧日本の地下街。そして、街の隙間に潜むエアーポケット。
 同じ学園に住む仲間すら、味方ではない。隙を見せれば、必ず食い殺される。
 弱いものを淘汰し、強いものだけが生き残る。ここはそういう都市だ。そうでなければ、次世代を担う人材など育つわけがないのだから。




「ぐぁっ――――」
「やっぱ弱いな、インダストリアリストは」
「分かっているなら、やめておけばいいでしょう? ああ、時間の無駄だ」
 腹を蹴られて、序列203位【デンジャラステディベア(超危険な熊さん)】毎熊匠(まいくま たくみ)は地面に手をついた。護身用のナイフはかなり離れた場所に転がっている。
 ずきずき痛む傷を押さえて、彼は飼っている熊のモンブランを連れてこなかったことを悔やんだ。油断した。ブラックシープ商会本社は東区でも比較的治安のよい場所にある。だから、平気な気がしたのだ。自分が暴力に弱いということは分かっていたはずなのに。
「ひ、陽狩」
「はい? 何ですか?」
 顔をあげる。校内でも有名な殺人鬼が二人、特に面白くもなさそうにこちらを見下ろしていた。
 序列269位【クルアルティワーシプ(残酷礼賛)】不死原夏羽(しなずはら かばね)
 序列270位【ヴァイスワーシプ(悪徳礼賛)】不死川陽狩(しなずかわ ひかり)
 校内でも有名な殺人鬼のうち二人で、特にソルジャーやグラップラーなど戦闘能力に秀でたものを殺すことに快感を覚える快楽殺人者である。
 序列こそ匠のほうが上であるが、匠はブルーローズという世界的に有名な洋菓子ブランドを立ち上げたことで現在の地位を得た、企業家である。戦闘能力という点においては二人に遠く及ばない。
 普段なら、戦闘を好むこの二人の標的になることなどないはずだった。しかし運悪く、二人が暇な時に通りかかってしまったのがいけなかった。夏羽と陽狩は殺人者だ。気が向けば、誰であってもなぶり殺す。
「……なんで……お前たちが、東、に」
「北に飽きましたので。といっても私は、今日はもう帰る予定だったんですけど」
 その言葉を裏付けるように、珍しく陽狩は狩りに加わってこない。匠をいたぶっているのは夏羽のほうだけだ。気だるそうに壁にもたれて、陽狩は息を吐いた。
「夏羽、そんな小物をいたぶっても仕方ないでしょう? さっさと終わらせてください」
「お前はしないのか?」
「インダストリアリストにもミスティックにも興味はありません。よほど暇ならともかく、今日はもういいです」
「そういいながら、なんで俺の背中をじっと見てるんだ?」
「貴方には自意識過剰という言葉をお贈りしましょう」
「いらねえよ。というか、さっきから殺気を感じるんだが……何する気だ?」
「いやですね。そんな恥ずかしいことを私の口から言わせるおつもりですか?」
「お前……俺のほうを殺す気だっただろ!?」
「まだ殺しませんよ――――――まだ」
「本当にイラっとくるな、お前は」
 殺人鬼同士が奇妙なかけあいをしている間に、匠は周囲を見渡す。逃げなければ殺される。だが、逃げ切る自信もない。助けを求めようとするが、すでに闇が立ち込める時間帯、オフィス街の人影はまばらだ。それに下手に助けを求めれば、相手を危険にさらしてしまう。
「ちっ、つまらねえな」
 苛立ちを滲ませて、夏羽は匠の右手を踏みつけた。激痛が走り、指からあり得ない音がする。
「ぐあああああああああああああああああああああ!!」
「今のは骨が折れましたね」
「折るつもりでやったんだよ。いちいちうるせえな、陽狩」
 脂汗を滲ませて、匠は地面をのたうちまわった。それを見ながら、夏羽はナイフを抜く。全長三十センチはあるはものがきらりと光った。
「まあ、面白くもねえし、適当なところでやめて置くか」
 ナイフがふりあげられる。その時、

「――――『らんらんるー』」

 声がした。その瞬間、発砲でもされたかのように陽狩と夏羽が飛びのく。聞こえたのは、校内でも有名なファーストフード店のリンクが使う挨拶の言葉だ。だが、声はその言葉を普段よく言っている道化の男のものではない。すんだアルトの女性のものだ。
 ゆっくりと人影が路地に入ってくる。それはリュックサックのようなものを背負った、細身の女性だった。パンツスーツのような服を着ている。
「…………誰だ?」
「矯邑! 何の真似ですか!?」
 どうやら、陽狩のほうだけが面識がある相手らしい。特に強そうにも見えない女性は、飄々とした様子で修羅場になっている部屋に入ってくる。
 匠は知らなかったが、彼女は序列189位【スコーレ(暇人の学問)】矯邑繍(ためむら しゅう)
 学園を代表する学者の一人で、一応は経済学を専攻しているが、文系の学問全般に秀でた天才でもある。だが、戦闘能力はない。
「別に深い意味はないんだけど、とりあえず、止めようと思って」
「へえ。僕はてっきり、喧嘩を売られているんだと思いましたよ。というか、それ以外ないですよね?」
「らんらんるーは、いらっしゃいませとかこんにちはとかこんばんわとかそういう感じの挨拶すべての代わりになる、万能挨拶言語だよ。多分」
 音を立てて、彼女の背中からカバンが飛び降りた。否、カバンではない。カバンにみえたのは、彼女の肩からぶら下がっていた猫のような生き物だった。ような、というのはその猫が着物を着て二足歩行で歩いていたからだ。顔や手足はどう見ても猫だが、あきらかにただの猫ではない。遺伝子操作された生物兵器か、新手のトランスジェニックの類だろうかと匠は推測する。
「学者に興味はありません。ですが、こちらを不愉快な気分にさせるなら許しませんよ」
「俺たちはその挨拶が嫌いなんだよ」
 陽狩と夏羽は同時に、繍に武器を向ける。繍は動かない。
「私は別にいいんだけどね。世界では見えないどこかで、いつも誰かが死んでいくんだから。でも、流石に目の前でやられると困る。放っておくのは人道的じゃないし、そもそも彼は戦士じゃないんじゃない? 弱い者いじめは格好悪いよ」
 弱い者認定された匠はひそかに傷ついた。
 殺人鬼コンビは面白くもなさそうに武器をもちなおす。
「遺言はそれだけですか?」
「遺言? 勘違いしてもらうと困る。なんで私が『らんらんるー』なんて言ったと思う?」
 二人の表情が苦々しいものに変わった。
「……まさか、貴方は」
「さて、来るかな。来ないかな」
 おっとりと繍は言う。
「――――今すぐにお前を殺して、それから逃げるっていう手もあるんだぜ」
「つまらない脅しは逆効果です」
 ゆっくりと身構えた二人の前に、小さな影が飛び出す。つい先ほど、繍の背中から飛び降りた二足歩行の猫だ。
「私を殺すには、まず玉九朗さんを倒さなきゃいけないよ。そりゃあ、二人がかりなら玉九朗さんくらい倒せるとは思うけど、倒すまでにかかる時間を考えれば――――事足りる。どうする? こないと判断して、インダストリアリストとスカラー二人を狩るか、ここは退いて大事を取るか」
「この女っ!!」
 激昂して跳びかかろうとした夏羽の腕を、隣から伸びた陽狩の手が掴んだ。
「やめなさい、夏羽」
「邪魔するな、殺すぞ」
「今日はもう十分殺したでしょう? リスクを冒してまで殺すほどの価値のある獲物ではありません。あなたが続けるというなら、私は先に帰りますよ」
「でも、この女」「それに彼女は、デスインランドの空多川の関係者です。殺したあとのリスクがただでさえ大きい。これから生きて殺す獲物の量と質を考えれば、ここで雑魚を数匹逃したとしても問題はないでしょう?」
 ふんと夏羽は鼻を鳴らした。そして手を押さえて座り込んでいる匠の胸倉を掴んで持ち上げる。
「命拾いしたな。言っておくが、殺人未遂で起訴しても無駄だ。やったら、速攻で殺しにいく。お前も、お前の友人たちもだ」
 手を離す。崩れ落ちる匠には目もくれず、二人は路地の奥の暗がりへと消え去った。代わりに、繍が近付いてくる。
「大丈夫? 運が悪かったね」
「悪い……迷惑ついでに、病院……」
 脳内物質の作用なのか、初めほどは痛くない。それでも額には脂汗が浮いている。
「手が使えないと仕事にならないんだ。だから、すぐに病院に」「でも複雑骨折してるみたいなんだけど……仕事、休んだほうがよくない?」
 心配そうに繍は匠を覗き込んだ。
「休んだら、ブルーローズが潰れる! 天然白花といい加減篭森に任せておいたら、潰れる!!」
「篭森ちゃんの知り合いだったんだ」
 意外そうに繍はつぶやいた。
「そういえば……らんらんるーは?」
「あれはったり。メインヤードのあの人が、イーストヤードの繁華街までくるわけないじゃん。騙されてくれてよかった。というか、だまされてる可能性が高くても、万一でも遭遇したくなかったのか。スナッチの情報は確かだね」
「よく分からないが、不死コンビはドナルドが苦手なのか?」
「異常なほどにね。それより、行こうか」
 病院に連れて行ってくれるのだろうか。繍の手を借りて匠は立ち上がった。落とした荷物は二足歩行の猫が拾ってくれた。
「あ、改めて。私は矯邑繍。学者です。こっちは同居人のにゃんにゃん玉九朗」
「よろしぅ頼むぞ」
 猫が喋った。この学園では取り立てて珍しいことではないが、心臓には悪い。
「……ブルーローズ副店長の毎熊匠だ」
「ああ、テディベアの……今日は熊は?」
「うっかり同行させていなかったところをやられた。そっちは【スコーレ】か?」
「うん、【スコーレ(暇人の学問)】矯邑。ところで今、お金ある?」
「治療費か?」
 金ならそこそこはある。それに学生のIDカードにはクレジットカード機能も付随されている。
「ううん。フレンチのコースを食べる金ある? 五万くらいの」
「は?」
 匠は聞き返した。真面目な顔で、繍は答える。
「その手、最低でも数カ月はかかると思うんだよ。完治まで。でも、それを一時間で治す方法がある。序列226位【ドクターグルメ(美食治療)】の村崎って知ってる? 今から彼女の店に夕飯を食べに行く予定があって――――ブルーローズが潰れると困るから、そこで例のコースを食べられるように手配してあげてもいい」
 序列226位【ドクターグルメ(美食治療)】村崎ゆき子(むらさき ゆきこ)
 イーストヤードで仏蘭西料理店〈ル・クルーゼ〉を営むシェフである。ミスティックでもあり、その能力とは彼女の力がこもった料理を食べさせることで、食べた人間の異常(怪我や病気)を治すというものである。店で出る料理の大部分は普通の料理だが、その特殊なコース料理食べたさに世界中から人間がやってくる。しかも一日四組限定。当然ながら、匠はその料理を食べたことがない。それどころが、超人気店なので普通の料理すら食べたことがない。
「ゆきちゃんは本当は一日7食作れる。でも、急患のために予約は日に4食だけにしているから、頼めば食べさせてもらえると思うけど?」
「……いいのか?」
 あまりにもありがたい申し出に、匠はいぶかしげな顔をした。親切にされる理由が分からない。が、すぐにそれは分かった。
「ゆきちゃんはね、ブルーローズのガトーショコラとイチジクのタルトが大好きなんだ」
「分かった。お前にもその村崎さんにもVIP用の招待券(ただ券)を贈ろう」
 匠はため息をついた。その足元でばたばたと体長50センチはある猫が動く。
「吾輩の分はないのか?」
「…………ブラックシープ商会に頼んで、魚でも届ける」
「鰹節!」
「………………分かった。鰹節な」
 感謝の気持ちが大幅に減退した匠であった。
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