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 学園都市の上空を、奇妙な物体が移動している。
 大きく翼を広げた姿は鳥のようだが、しかしそれは決して鳥などではなかった。
 まず、鳥にしては大きさが巨大すぎる。人ほどもある大きさのそれは、両肩に複数の火器を備え付けていた。
 学園都市の巨大なビル群よりもさらに高い位置を飛行していたそれに気づく者など、地上には一人としていなかったが、仮にそれを近くで見た者がいるとするなら――それが翼を持った人の姿であると気づいただろう。
 人の体に不釣合いな大きな翼――その翼は白銀に輝く機械で出来ている。体は生身だが、下半身もまた翼と同じような金属製であり、鳥の足を模した力強い造形を持っていた。
 流線的なデザインのヘルメットの下では、猛禽類のような鋭い瞳がぎらぎらと得物を探るように、眼下に広がる学園都市を見下ろしていた。
 不意に歪な機械音がして、ヘルメットに備え付けられたインカムが女性の声をそれに伝える。
 『――禽重(とりえ)、首尾はどう?』
 自らが所属する第七管弦楽団団長の声に、彼――【ステルスガルーダ(不可視の鳥神)】の澪漂・禽重は「けけけ」と下品な笑いを以って答えた。
 「いや、芳しくねぇな。奴さん、中々隠れるのが上手いと見えるぜぇ」
 『真面目に探しなさい。あんな目立つ奴らそうそういないわよ。裏重(りえ)の聞き込みでも、どこかに身を潜めているわけじゃなさそうだし、絶対に見つけられるところにいる』
 不真面目な言葉を放つ禽重に、七重は若干の苛立ちを篭めた声をぶつけた。
 「おぉ怖。団長、もうちょっとおしとやかにしてねぇと、副団長にまた『ツンデレ』だのってからかわれちまうぜぇ? けけけけけ……お」
 眼下を歩く人々の顔が見えるようズームアップしていた視界に、いかにも目立つ風体をした四人組の姿が入り、禽重は笑いを止めた。
 「けけけ、どうやら見つけちまったようだぜぇ? 団長たちのいるところから四時の方角――南区画の通りを進行中だ」
 『ふん、やっと出てきたか。禽重』
 「わぁかってるぜぇ? 襲撃、だろ?」
 早くも降下体勢に入ろうとしている禽重に、七重が含めるように言う。
 『分かってると思うけど、一般市民に被害を出すんじゃないわよ? 賠償額は全額、あんたのポケットマネーから払ってもらうからね?』
 「けけけ、ってこたぁ、懐の許す範囲内なら虐殺も可ってことか」
 それだけ言うと、禽重は背中のジェットエンジンに点火して、初速からマッハの域にまで加速した。七重がインカムの向こうで何かを言ったような気がしたが、禽重はすでに聞いてはいない。
 「けけけ――逃がさないぜぇ、ひよこちゃんどもがぁ! 澪漂の幕を、開けてやるぜぇ!」

                    ♪

 「……っ! 避けろ!」
 とっさに危機を感知した嶽満の声に、他の三人は機敏に反応して横跳びにその場を離れた。
 一瞬の後に閃光が当たりを包み、爆音とともに舗装された道路の一部が吹き飛ぶ。
 思わず辺りを伺おうとして頭を上げた花火の頭を唐嶽がとっさに掴んで引き戻すと、そのすぐ上を複数の弾丸が尾を引いて飛び去った。
 「ここは拙者に任せて走れ!」
 短く叫んだ嶽満の言葉に、唐嶽は花火の手を引いて一目散に走り出した。鉋木も一拍遅れてそれに続く。
 「悪いな、嶽満! ここは任せた!」
 背中で唐嶽の言葉を受け、嶽満は油断なく前方を睨みつける。
 嶽満の十数メートル先、軽く首を曲げて見上げるほどの中空で、禽重が忌々しげな表情で嶽満を睨みつけている。
 「なかなかいい反応じゃあねぇか……日本刀だから、【アンチカッティングブレイド】の嶽満か。けっ、つまらねぇなぁ」
 幸い今の襲撃に巻き込まれた一般市民や生徒はいなかったようだ。土ぼこりの舞い上がる中それを確認した禽重は、言葉通りとてもつまらなそうな声を上げた。
 「ふん、伊達にエイリアスは持っておらん。貴公、澪漂の者だな?」
 「あぁ、【ステルスガルーダ】の澪漂・禽重だ。ざぁんねんだったなぁ、嶽夜。上手いこと隠れてたようだが、俺の目はごまかせねぇぜぇ?」
 肩に構えた機関銃の照準を嶽満に合わせ、禽重は「けけけ」と笑う。余裕ぶった禽重に対して、嶽満も腰に差した日本刀の柄に右手を添えた。
 「ピーチクパーチクと喧しい鳥だ。貴公こそ、後悔するなよ? 拙者の――この【アンチカッティングブレイド】の存在に、とくと感じ入るがよい」
 不敵に笑う嶽満に、少なからず神経を逆撫でされた禽重は、問答無用で機関銃の弾丸を嶽満の身体に撃ち込んだ。
 しかし、その銃弾がたどり着く時にはすでに嶽満の姿はそこにはない。
 「………っ!?」
 とっさの判断で身体を回転させるように回避動作を取った禽重の鼻先を、一瞬風が通ったような気がした。
 視線をそちらに向けるころには、いつの間にか背後に回っていた嶽満がやはり柄に手を掛けた姿勢でこちらを睨んでいる。――わずかに「チン」と鍔鳴りの音がした。
 「ははぁ、居合いってぇ奴か。なるほど、こいつぁなかなか――楽しそうだぜぇ?」

                  ♪

 「っあの馬鹿鳥! 勝手なことしやがって! あとでぶっ殺してやる!」
 中央区のおしゃれなオープンカフェ。そのテラス席で、七重は怒鳴り声とともに手にしたつ神端末を床にたたきつけた。物騒な言葉に周囲の客が何事かとこちらを見ているが、七重は気にしない。
 「……禽重を使っている時点で、こうなることは予想できていなんじゃないですかぁ?」
 七重の背後からおずおずとした声がかけられる。思わずそちらを睨んでしまった七重だが、そこにあるのは誰もいない虚空だった。
 「……分かってるわよ、裏重。ただ、団長の指示に素直に従わないあいつにムカついただけ」
 背後から声をかけてきた【リバーシブルソウル(裏表のある性根)】の澪漂・裏重に、七重は少なからず怒りを削がれ、そんな言葉を漏らした。
 暗殺者である裏重は滅多に人前に姿を現さない。常に他者の死角に潜み、背中合わせに会話をする。それは七重に限ったことではなく――どういう理屈か、おそらくこのカフェにいる誰もが彼女の姿を捉えることはできていないだろう。暗殺者としては最高レベル――澪漂の中でも彼女を越える暗殺者は【四天王】の一人である檻重(おりえ)か、数年前に死亡している刺重(しえ)しかいないだろう。
 「それより……早く行かないと、また見失ってしまいますよぅ……」
 「そうね。ここで逃げられたらこの数日の苦労が水の泡だわ。……まったく、禽重の奴は後先考えないんだから」
 七重が二重の元を訪れてから既に四日が経過していた。その間八方手を尽くして調査していたのだが、なかなか標的の嶽夜一味を見つけることができなかった。できれば、ここでケリを付けておきたいところである。
 座っていたテーブルを離れて歩き出した七重だったが、不意に思い出したように――手にした杖でテーブルに突っ伏すように居眠りをしていた青年の頭を叩いた。
 「こら、腐重(ふえ)! ぼけっと寝てんじゃないの! 仕事よ、仕事!」
 かなりの勢いを乗せて振るわれた杖に頭部を強打され、しかし【ディープエッチング(堕落腐食技法)】澪漂・腐重はゆっくりと顔を上げた。
 「……痛い」
 「何寝てるのよ。緊張感がないわよ!?」
 きつい言葉を浴びせかける七重に、腐重は困ったように言った。
 「だって、団長の買い物に付き合わされてもうへとへとだよ。折角学園都市に来たからって言って、珍しいブランド物買いあさってさ。そんなの仕事終わってからにすればいいじゃんか」
 「副団長の苦労がよく分かったよ」と腐重は愚痴をこぼす。
 「うるさいな、禽重がなかなか奴らを見つけてくれなかったから暇だったのよ。暇つぶしは終わり。あんたこそ、寝るなら仕事が終わってからにしなさい」
 「……私があっちこっち諜報活動している間、そんなことしてたんですかぁ? ……ずるいですねぇ……」
 裏重の控えめな文句を黙殺して、七重はさっさと歩き出した。腐重と裏重もしぶしぶながらそれに続く。
 どうにも緊張感がない第七管弦楽団の面々は、しかし今はプロらしい引き締まった表情で、オープンカフェのテラスを後にした。

                    ♪

 澪漂・二重は、九龍城砦の中にある食堂で昼食を摂っていた。テーブルの対面には一重の姿もある。
 「…………」
 「…………」
 七重が来てから四日、二人はどういうわけか殺伐とした雰囲気にあった。中央区から帰ってきてからというもの、一重はずっと塞ぎこんでおり、二重が声を掛けても曖昧な返事しか返ってこない。
 「…………ごちそうさま」
 「あぁ…………」
 先に食事を終えた一重が食器を持って立ち上がる。二重はそれに生返事を返した。テーブルに並んだ皿の中には料理がほとんど手付かずで残っていた。
 「…………一重」
 食堂を後にしようとしていた一重の背中に、不意に二重が声をかけた。
 「何?」
 無理に笑顔を作っているという風で、一重が振り返る。
 「七重からはまだ連絡は来ていないか? あいつのことだ。そろそろ仕事も終わるころだろう」
 「……まだ、来てないね」
 「…………そうか」
 二重の呟きを聴いて、一重は緩慢な動作で今度こそ食堂から出て行った。
 「…………ふん」
 そんな彼女の姿を見届けて、二重は皿から揚げパンを取り上げると、小さくちぎって口に放り込んだ。と、二重が皿に戻した揚げパンの大きな欠片を、横から伸びてきた手が取り上げる。
 「波音か……」
 「元気ないですね?」
 「一重と喧嘩?」
 その揚げパンを二つにちぎって、波音は隣に立っている彼女そっくりの少女――波音の双子の妹である【フラッグインエフ(ヘ音記号)】杏藤・花音(かのん)にその一方を渡した。二人の少女から無表情な問いを投げかけられ、二重はため息を以って答えた。
 「喧嘩というほどのことではないよ。ただ……最近一重の奴、何か隠し事をしているようでな」
 「隠し事をされるようなこと、したんじゃないのですか?」
 「ですか?」
 もぐもぐと揚げパンを咀嚼しながら、二人は口々に勝手なことを言った。二重はテーブルに載った汁ソバの入ったどんぶりを二人の方に押しやりながら答える。
 「ふん……覚えがないな。少なくとも自覚はしていない」
 「この前言ってた、副団長の……」
 言いかけて、波音は無表情のまま口を押さえた。一応「しまった」という風な雰囲気をかもし出しているが、わざとらしすぎる。
 「一重の?」
 「…………波音」
 二重に押し殺した声で名前を呼ばれ、波音は二重に差し出されたどんぶりを抱えたまま、そそくさと食堂を後にした。逃げるように立ち去った姉の姿に、花音は不思議そうな顔をした。もっともそれは眉毛を五ミリほど持ち上げるという微細な表情の変化だったが。
 「ねぇ、二重。一重の、何を企んでるの?」
 「お前には言わん。お前は波音より口が軽すぎる」
 二重はそれだけ言うと、餃子の乗った皿を花音に押し付けた。花音はわずかに不満そうな顔をしたが――片眉をさらに五ミリ持ち上げるということで――、餃子の皿を持ったまま、姉の後を追うように食堂から出て行った。
 二重はテーブルに残った少ない食器の中から、ジャスミン茶の入った湯飲みを持ち上げると一口すすった。懐から煙草の箱を出し、一本咥えて火を点ける。
 「少し、一重に心配を掛けさせすぎているかな……。私も全く、能が無い」
 二重は自虐的にそう呟くと、まだ長い煙草を灰皿に押し付けて、残った杏仁豆腐の皿にスプーンを突き立てた。

                   ♪

 腐重は一人で中央区画から東区画に掛かる住宅地近くを走っていた。七重と裏重の姿は周囲にはない――裏重の場合は近くにいてもその姿を捉えることはできないから、ひょっとしたら近くにいるのかもしれないが。
 三人が固まって動くよりも、それぞれが分かれて動いた方が迎撃しやすいだろうという七重の判断である。嶽夜の一味がいつまでも固まって移動を続けるという保障もないので、ある意味正しい選択である。ただし、相手が固まって逃走していた場合、こちらは一人で敵の足止めをしなければならないというデメリットがある。
 「まいったなぁ……接敵するにしても、一人か二人くらいじゃないと僕でも勝ち目は薄いし……」
 「…………腐重さぁん」
 不意に、背後から裏重が声を掛けてきた。
 「うわぁ! びっくりしたぁ……。何だい、裏重。君もこっちに来ていたのかい?」
 「えぇ……敵の数が多かった場合、腐重さんだけでは厳しいでしょう……? サポートしますぅ」
 裏重の答えに、腐重は薄い笑いを浮かべた。
 「裏重がいれば、不意打ちには最適だね……。団長なら一人でも大丈夫だろうし」
 「えぇ……後は敵を見つければ…………あらぁ?」
 裏重が声を上げ、腐重が通りの向こうを見ると、数十メートル先の路地から二人分の人影が現れたのが見えた。
 「あれは…………!」
 「嶽夜・鉋木さんと、珠夜・花火さんですねぇ……ビンゴですぅ」
 次の路地に消えようとしている二人に、腐重は全速で接近した。姿は見えないが、裏重もおそらくそれに続いているだろう。
 「…………っ! 花火、逃げな!」
 「は、はいっ!」
 彼らの襲撃にいち早く反応した鉋木が、手を取って走っていた花火を路地の奥へと押しやる。同時に、袖を振って腐重に攻撃を仕掛けた。
 鉋木の袖から細いが頑丈な鎖につながれた大振りなナイフが飛び出し、腐重に向かって飛ぶ。適当に投げたように見えて、その切っ先はしっかりと腐重の首筋を狙っていた。
 「ふぅん……暗器使いか」
 しかし、腐重はそれを革の手袋で覆った素手で受け止める。
 「な!?」
 鉋木は絶句した。腐重が捕らえたナイフが、一瞬にしてボロボロに腐食して崩れ落ちたからである。
 「へぇ……腐術(ふじゅつ)かい? 珍しいねぇ……」
 鉋木は、その技を――否、才能を知っている。同じ十三家に並ぶ、亡浄の分家である一名の持つ、その技術を。
 「やっぱり十三家の一翼、嶽夜……やっぱり知ってるか」
 「どういうことだぃ……? アンタ、澪漂なんだろ? 何で亡浄の分家である腐浄(ふじょう)の技――【腐浄流腐術】が使えるんだぃ?」
 亡浄は美術技法をモチーフにした戦闘技術を確立している集団である。その中でも特に名前が知られているのが、分家である腐浄の操る、【腐浄流腐術】だった。
 油断無くこちらを睨みつける鉋木の視線を、腐重は自然体で受け流している。
 「僕は澪漂・腐重――エイリアスは【ディープエッチング】だ。そして……成り損ないの【腐術師】だよ」
 「成り損ない……?」
 理解できないという顔をする鉋木。彼女に対して、腐重は手袋に包まれた両手を突きつけるように構える。武器は持っていない。しかし、相手が【腐術師】であると分かっている以上、素手だからといって油断できるものではなかった。
何せ腐術――どういう理屈か、触れた金属をことごとく腐食し破壊してしまう技術の使い手に、刃物による攻勢は一切通用しない。
 「死に行く相手に、無駄な説明は必要ないさ。君は黙って、僕に殺されてくれればそれでいい」
 「はっ……言うじゃないさ。いいだろう。妾は嶽夜・鉋木。【C.Y.O.】の鉋木だよ」
 鉋木はそう名乗りを上げ、両腕をだらりと下げる。緩い袖口から、鎖に繋がれた暗器がじゃらじゃらと垂れ下がった。
 そのまま袖を翻すように、数本のナイフを腐重に向かって投げ飛ばす。腐重はそれらの全てを両手で受け止めた――瞬く間もなく、ナイフは一本残らず赤茶色に腐食してへし折られた。
 「……痛っ!」
 一拍の間を置いて、腐重の右肩に長い針が一本突き刺さる。それもすぐに腐食し、崩れるように抜け落ちたが、その傷跡からは赤い血が流れ出した。
 鉋木はナイフを投げつけた一瞬後に、緩んだ裾に隠れた右足――そのふくらはぎに隠されていた長い針を、足を蹴り上げる勢いで腐重に向けていた。
 腐重は右腕の負傷具合を確かめるように、二、三度右肩を回す。どうやら神経や筋はやられていないらしい。それを確認すると――腐重は楽しそうに笑った。
 「いいね……なかなか楽しい人だ。――裏重はもう行っちゃったかな? ま、このくらいの相手なら、僕一人で十分だよ」
 そして、次の交錯が――

                  ♪

 珠夜・花火は薄暗い通路を歩いていた。腐重の襲撃から逃げる際、とっさに脇にあった古びた地下通路へと飛び込んでしまった花火だったが――そこが旧東京の負の遺産、学園都市の上部ですら手をこまねいている無法地帯、いわゆるアンダーヤードだとは気が付かなかった。
 狭い通路の両脇には、薄着汚い襤褸切れを纏った物乞いたちがこちらをじっと見つめている。幼い身なりの花火に手を出してこないのは、彼らが低きを這う者としての本能で、彼女を危険な者として見ているからだろうか。
 「なんか……淀んでいる場所ですね。外の空気とは、百八十度違う空気です」
 花火はそんな地下の風景に軽く眉を顰めた。
 しばらく歩くと、脇を汚水が流れる水路に併設された、比較的広い道に出た。ぽつぽつと並ぶ街灯が、心もとない明かりで周囲を薄く照らしている。
 花火はそんな通路を見つめて――不意に手にした鞠を通路の奥へと放り投げた。鞠はぽん、ぽんとしばらく転がっていたが――突然むき出しの地面から現れた虎バサミに挟まれてその動きを止めた。
 間髪を入れず、天井から降り注ぐナイフで鞠がずたずたに引き裂かれ――通路の奥から飛んできたボウガンの矢が、花火の横を通り過ぎていった。
 「――っ」
 突然花火は通路の先へと身体を躍らせる。飛び跳ねるように通路を移動する花火――どうやらたった今鞠を襲ったようなブービートラップのある場所を予測して、それを回避しながら移動しているようだ。
 走りながら、花火は着物の袂から細長い筒のようなものを取り出した。筒からは数センチの長さの紐――導火線が出ている。指先で軽くその導火線の先を擦ると、まるで手品のように火が点いた。
 花火は振り返りもせず、背後に向かってその筒を放り投げた。
 瞬間、爆音がして爆風が花火の髪の毛や着物を揺らす。
 安全な場所に着地して、そこで初めて花火は背後を振り返った。倒れた人影を見ると――それは襤褸切れを纏った浮浪者の姿である。否――それは襲撃者の姿ではない。浮浪者ごとき素人に不意打ちを許すほど、花火はプロの使い手としては甘くなかった。
 花火はどこにいるとも知れない敵の姿を探るように、通路の周囲を見回した。
 「……なるほど、さすがは【リミットレスマイン】ですねぇ……。生半な不意打ちじゃあ歯が立ちませんかぁ…………」
 不意に背後から声を掛けられ、花火は本能的にそちらを振り向いた。
 「あは……これは私も、本気を出さなければならないかもしれませんねぇ………」
 しかし背後には誰の姿もなく、そしてまた振り返った後ろから再び声が聞こえる。
 「このやり口と、死角にこそこそと隠れるその性質……澪漂ということを考えれば、【リバーシブルソウル】の裏重さん、ですか」
 「あはは……よくご存知ですねぇ。私としてはあまり知られていてほしくない名前なんですが……」
 おどおどとした口調ながらも、明らかに嘲りの色を滲ませた裏重の声にはさしたる反応を見せず、花火は袂からさらに数本分の爆薬を取り出して指の間に挟んだ。
 「いえいえ。ただ聴いたことがあっただけですよ――物影に隠れて相手を暗殺する、せこい手を使う澪漂、裏重さんのことをねっ!」
 短く叫ぶように、花火は手にした爆薬を放射状に放り投げる。いつの間にか火が点けられていたそれらは、花火から数メートルの地点でほぼ同時に爆発した。火薬の量や爆発のタイミングが完璧に計算されたそれらは、熱風を運びこそすれ、彼女を傷つけることは決してない。
 爆風が治まった通路には、裏重が仕掛けたと思しき数々のブービートラップが転がっている。
 「…………」
 しかし、当の裏重の姿はどこにもなかった。
 それを確認すると、花火はゆっくりと一歩を踏み出した。片足を地面につけ、もう一方の足が地面を離れる瞬間。

 地面が音を立てて爆ぜ、反動で花火の身体を前へと押し出した。

 続けざまに足を下ろす先が次々と弾けとび、花火の身体をさらに加速させる。瞬く間に距離を離された裏重は、一瞬遅れてその姿を追おうとした。
 裏重が仕掛けたトラップではない。誤って自分が踏むなどという危険性は全くないが――こんな狭い通路で爆薬を使うほど裏重は愚かではなかった。花火の後ろを追う形になった裏重だったが――
 「その辺りの地面は、後一秒で爆発します」
 とっさに身体を捻るようにして足を横に置いたが、そのすぐ隣の地面が爆発して裏重は大きく体勢を崩される。それに追い討ちをかけるように、
 「その辺りは、後二秒で爆発しますよ?」
 「……っ!?」
 転がるように回避した先の地面が爆発し、裏重はそれに半ば巻き込まれる形で冷たい地面へと叩きつけられた。
 「み、ミスティック能力ですかぁ…………!」
 息が詰まりながらもそう呟いた裏重の前に小さな石が転がってきた。
 「その小石は、後一秒で爆発します――」
 「く、あは、あははははははははははは!」
 裏重は哄笑とともに、両腕の力だけで自分の身体を後ろへと飛ばす。一拍遅れて小石がまるで爆弾のように爆発し、細かい破片が裏重の頬を掠った。
 花火の前の姿を現した裏重は、その外見らしい無邪気な笑みを以って花火を睨みつける。
 「あはははは! 楽しい方ですねぇ☆ 私が誰かに自分の姿を見せるのは、一年と三ヶ月十日ぶりですよぅ♪」
 そこに立っている裏重は、さっきまでのおどおどした雰囲気とは正反対の楽しそうな、姦しい言葉を漏らした。そのエイリアス【リバーシブルソウル】の所以ともなっている、彼女のもう一つの人格が顕わとなっている。
 澪漂・裏重は他者の前に滅多に姿を現さない。しかしそれは、彼女が他者に自らの姿を見られることを嫌っているということではなかった。暗殺行為という、彼女にとっての楽しみのため、彼女は普段、【虐殺者】としての姿を隠している。
 「私は美味しい物は最後にとっておくタイプなんですよぅ☆ すぐには殺してあげません♪ さぁ、私にあなたの断末魔を、聞かせてくださいねぇ☆」