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First contact 篭森珠月&ジェイル・クロムウェル


 倫敦シティ。
 旧イギリスの首都。現在も世界最高峰の都市のひとつであるその場所を、十数年後に【イノセントカルバニア(純白髑髏)】と呼ばれることになる少女、篭森珠月は両親と歩いていた。
 雪がちらついている。ロンドンの冬は昼が短い。まもなく、街は夕闇に溶けてしまうだろう。ちらりと珠月は隣を歩く父を見上げた。視線に気づいて、父親の壬無月は珠月に笑みを向ける。父親も母親も、子どもがいるとは思えないほど若い。外見はせいぜい二十代だ。この格好良くて賢い両親は、珠月の自慢だった。
「珠月」
 柔らかな美声で、父は珠月の名前を呼ぶ。
「少しだけ人に会う用事がある。ちょっとだけ、このあたりで待っていてくれないか?」
 広い公園の片隅で、父は言った。母を見上げると、母もうなづく。
「すぐに戻るわ。寒いのに可哀想だけど」
「わかった。待ってる」
 とくに大変なお願いでもない。珠月は快諾すると、公園の池のほとりのベンチに座った。池といってもかなり広い。今のシーズンはいないが、夏ならばボートの客がたくさんいただろう。
 風が冷たい。ケープのついたコートの裏側まではその寒さも来ないが、頬が冷たい。珠月は自分の手を両側のほほに当てた。少しましになる。その時、
「こんにちは」
 綺麗な英国語が聞こえた。上流階級独特の、なまりが一切ない綺麗な英国語だ。ゆっくりと振り返って、珠月は驚いた。いつの間にかすぐ近くに同じ年くらいの少年が立ってきた。
 本当に黄金の色に近い金色の髪と冴えわたる空のような青い瞳。コーカソイドの見本のような美しい容姿に、珠月は思わず目を見張った。まるで童話の王子様のような容貌だ。白い肌にはシミ一つない。ただ、手だけは少し荒れていて、彼もまた珠月と同じく訓練を積んだ者であると分かった。
 油断はできない。ゆっくりと間合いを計りながら、珠月は振り向く。
「こんばんは」
 自分の英語もなまりはあまりないはずだ。対抗するようにわざと上品な発音をする。少年はにこりと無邪気に笑った。
「まっ白な雪の精が空から舞い降りる夕暮れ、凍りついた雪の女王の鏡のような水面の前に小さな貴婦人がいらっしゃったので、何事かと思い声を掛けさせていただきました」
 妙な言い回しに珠月は面食らった。しかし、ここでそれを言うのは失礼に当たる。よいところの令嬢のような上品さで、珠月は答えた。
「紛らわしかったのなら申し訳ありません。両親との待ち合わせをしているのです」
「このような、冬の女神の舞台で?」
 芝居がかったしぐさでジェイルは肩をすくめて見せた。
「よろしければご両親が戻られるまで、霧の街の黄昏の時をともに過ごしてはくださいませんか? あ、僕はジェイルと申します。ジェイル・クロムウェル」
「……珠月。ミヅキ・カゴモリ」
「日系人ですね」
「是」
「素敵ですね。数千年の彼方より、われわれの思いと文明を運び続ける絹の道の果てにある、山に囲まれた麗しい島国。他へ追従しているように見せかけて独自の進化を遂げ続けた、運命のガラパゴス諸島。なるほど、なるほど。貴女のその、夜の闇よりも深い美しさは、彼の国の歴史が育んだものなのですね。そのような東の果てからいらした貴女と、西の終わりのこの場所で出会えたこと、運命の歯車を回す神々に感謝しましょう」
「………………」
 珠月は答えず、ずりずりと後ずさった。この人は変だ。言っていることの半分も理解できない。
 だが、珠月が下がった分、ジェイルは前に出る。
「ミヅキとはどういう字を書かれるのですか? 東に住まう賢く誇り高い方々の文字――漢字には、音とは別に意味があると伺いましたが」
「珠月。珠は真珠。月は空に浮かぶ衛星」
「なるほど。真珠の月の姫ですね。なんとも貴女にふさわしい。どこだったかの民族の神話によると、真珠というものは月の涙といいますから、貴女は月の娘なんですね」
 なぜかジェイルは感動したようだった。珠月はさらに下がる。
 ジェイルはキラキラしている。格好いい。とても綺麗な声をしている。上流階級のしゃべり方で、優雅な身のこなしだ。囁く言葉は甘い。そして、それがおかしくない外見と知性を持っている。
 完璧だ。完璧に乙女がイメージする王子様だ。だが、珠月はそれが嫌だった。珠月の世界にはそんな人間は存在しない。というか、存在してはいけない。
「……随分変わった言い回しをするんですね」
「そうでしょうか。僕は自分が思ったことを、水が高き場所から低き所に流れるように、ただ自然に口にしているだけですよ」
 天衣無縫という言葉がある。一説によると、天人が着る衣には縫い目がないのだという。その衣のように、縫い目がない自然な態度のことを天衣無縫と呼ぶ。でも、それはそれで妙だ。縫い目のない服など、どう考えても自然のものではないのだから。
 彼はそれと同じような感じがする。とてつもなく不自然なのに、とても自然。気持が悪い。
「…………」
「貴女のような白い大地に咲く一輪の黒薔薇のような麗しい淑女と、黄昏の乙女が駆け抜ける大倫敦の黄昏をともに過ごせるなんて、時と運命の女神も粋な計らいをしてくれるものですね」
 悪寒がした。
 そもそも、珠月は甘い言葉が嫌いだ。少女趣味も嫌いだ。『赤毛のアン』とか『小公女』とか、夢見る乙女や健気にも強く生きる少女の姿を見ると、踏みつけたくなるくらい嫌いだ。夢幻や偽善をそれと知って楽しむことは否定しないが、それは現実に持ちこんでいいものではない。現実はそんなに甘くない。甘い夢に浸れるのは、強者の特権だ。夢を見続けている幸せなお姫様たちを見ると、甘い甘い幻想と夢の砂糖のせいで、こちらの刃が鈍ってしまいそうな気がする。
「……そういえば、貴方のほうこそ何故冬の公園に?」
 珠月は、必死で話をそらす。
「家が近くでして……夜の女王の時間が来る前に、少しだけ雪の精の舞を楽しもうと思ってのですよ」
 ほら、とジェイルは空を見上げた。鉛色の空から、白いものが舞い降りる。
「貴女の黒檀の髪にも、雪の花が咲いていますよ」
「本当だ」
 速攻で珠月は髪に付着した雪を手で払い落した。ジェイルは残念そうな顔をする。
「黒い髪と白い雪が、まるで童話の白雪姫のようだったのに……」
「白雪姫は、黒檀・雪・血でしょう? 今すぐにここで私に血まみれになれとでも?」
「赤はもうありますよ」
 にこりと笑って、ジェイルは珠月の顔を覗き込んだ。
「貴女の目。一瞬夜の深淵のような濡れた黒に見えましたが、良く見ると限りなく深くて暗い赤なのですね。まるで女神の血を固めて作った石のようだ」
「その例えってどうなのかしら?」
 血の色、というのはあまり良い比喩表現ではない。
「おや。血の色はこの世でもっとも苛烈な――生命そのものの色ではありませんか」
「そういうもの?」
「もちろん。気に入らないとおっしゃるのでしたら、鳩血色の紅玉にたとえましょうか? あるいは香り高い葡萄酒や凛とたたずむ大輪に薔薇、大地の燃えるリコリスに喩えましょうか。いずれも美しい月の姫にふさわしい。雪の花も貴女を彩ることができて嬉しそうです」
「いや、溶けるから。冷たいから。というか、姫じゃないし」
 珠月はゴスロリ衣装の外見に似合わず、現実主義者でシニカルだった。
「私、知らない人と話をしちゃいけないって言われてるんで、もうさようなら」
「何を言っているのですか。すでに僕たちは、雪の精霊の見守る中で名乗りあったでしょう? 知らない人ではありませんよ。ふふ、月の姫君は謙虚ですね」
 話したくないからどっかいけって意味なのに、自分に都合よく全部解釈しやがった。しかも素で。
 珠月は驚愕した。
「えーと、何の話だったでしょうか――――」
「……………………」
 お父さん、早く帰ってきて。
 珠月は心の底から願った。




 一時間後。珠月の苦悩はまだ続いていた。
「雪が強くなってきましたね。氷の粒が咲かす花も、白い乙女が舞い散る様も見ていて美しくはありますが、油断すると雪の女王は私たちの心臓までも凍てつかせてしまう。本当に、美しいものほど怖いとはよく言ったものです」
「…………」
「その例に漏れないならば、月の姫もやはり、本当は怖いのでしょうか?」
 意識的に珠月はジェイルの言葉を知覚から締め出した。
 甘ったるい。
 綺麗で甘ったるくて意味なんてないのに、話す本人は楽しげで言葉は物語のように美しい。この時代にはまったく合わない。
「聞こえない。聞こえない」
 珠月は自分に言い聞かす。甘い言葉に感覚が麻痺しそうだ。そのくせに背筋はぞわぞわする。耳から思いがけず飛び込んできた異物を、身体が排除しようとしているようだ。
「君の髪は黒檀のようだ。それに肌は冬の妖精さんたちが降らしたばかりの雪みたい。この雪の中に黒い服で佇む君は何にも侵食されない夜の女王なんだ。すべてのものをその愛で包み込んで」「だああああ!! いや、無理! 聞こえないとか無理!!」
 珠月は目をつぶって耳をふさいだまま両手を振りまわした。それが何かに当たった感触がした。
「あ」
「おや」
 振り回した手はジェイルに当たっていた。バランスを崩してジェイルは倒れる。冬の池へ向かって。
 水柱が上がり、その姿は水中に消えた。
「…………」
 助けるべきか、助けを呼びに行くべきか。珠月は迷った。そして、すぐに選んだ。
 全力でその場から逃走するという道を。
一度も振り返ることなく、珠月は走りだす。背後から声が聞こえた気がするが無視だ。もう彼が生きて池から上がってこようと、心臓麻痺でも起こそうと、どうでもいい。
 丁度道の向こうから歩いてくる、目立つ紅い髪を見つけて珠月は心底ほっとした。
「お父さん! お母さん!!」
「珠月?」
「まあ、どうしたの?」
 すごい形相で走ってくる娘を見て、両親は身構えた。刺客に追われていると勘違いしたのかもしれない。それを無視して珠月は父親の腕に飛び込む。
「どうした? 何があった!?」
「…………なんでもない」
 父親はいぶかしげな顔をした。母も困惑した顔をする。
「なんでもないわけないだろう? 怒らないから話しなさい」
「そうよ、珠月。大丈夫なの?」
「ちょっと変な人に会ったの。でも、池にちゃんと突き落としたから平気」
 両親は渋い顔をした。怒られるかと珠月は身をすくめる。
「駄目じゃないか、珠月」
 父の言葉に珠月はうなだれた。やはり、これから戻ってあれを助けにいかなくてはいけないのだろう。すごく憂鬱になった。
「でも」「きちんと止めを刺さなかったのか!?」
「駄目よ。きちんと呼吸と鼓動を止めるか、致命傷を与えないと。今日はもういいとして、次に同じ目にあったらそうしなさいね」
 厳しい声で両親は珠月に注意した。



 実はその後も数回にわたって、珠月は駅のホームや飲食店でジェイルと顔を合わせることになる。ストーカーという可能性に思い当たったのは、それから数年後のことだった。だがそのころには、度重なるジェイルの出現で、珠月はすっかり彼が苦手になっていた。




「うわあああああああ!!」
 珠月は跳び起きた。そして、そこが自分の住んでいる予科生の学生寮だと気づく。
 随分と昔の夢を見ていた。あれからもう何年もたっているのに、妙に生々しい夢だった。いまだにあれ以上苦手な相手に珠月はあったことがない。冷静に考えると何が苦手なのかよくわからないが、苦手というのはそういうものだ。ごきぶり嫌いのひとが嫌いな理由を考えないのと同じ。言ってしまえば、脊髄反射だ。
「…………縁起が悪い。悪すぎる」
 眠ったのに寝た気がしない。それでも授業はある。珠月はのろのろと着替えると、学校に行く準備を始めた。今日は社会科学の試験の予定がある。確か最近知り合いになったエドワードと同じ授業だ。
 どんよりした気分のまま学校に向かう。周囲から見れば、いつも通りのクールな姿にみえるのかもしれないが。
 授業教室にいくと、エドワードがいた。なぜか妙な顔をしている。
「おはよう。エドワード」
 声をかけると、エドワードは硬直した。だが、すぐに返事を返す。ファーストコンタクトが互いに最悪だったせいで、いまだにエドワードとの間には溝がある。
「おはようございます。珠月」
「試験の自信のほどは?」
「君と同じくらいかな」
 のんびりとエドワードは答えた。それから、思い出したように言う。
「そういえば、この前、知らない男の子に君のことを聞かれたよ。適当に誤魔化しておいたけど」
「私のこと?」
「うん。名前と出身地。向こうは君を知ってるみたいだった。君は有名人だから、よくあることだとは思うけど、一応報告しておこうと思って」
「誰だろ?」
 言いながら珠月も席に着く。
「どういう人?」
「白人。すっごい金髪で青い目の超美少年。久しぶりに聞いたよ。なまりのかけらもない。本当の英国語ってやつ」
「エドワードも綺麗な英語じゃない」
「僕は少しだけどアメリカなまりがあるんだよ。それに、所詮はミドル階級だからね。本物の英国語とは違うよ。あれは貴族の言葉だ」
「英国語ねぇ」
 嫌な予感がした。今朝がた見た夢が脳裏をちらつく。だが、そんなことがあるわけがない。あれはもう、何年も前の話なのだ。
 話し込んでいる珠月とエドワードを遠巻きに他の生徒が見ている。両親の知名度が並みではない珠月も、成績がよいエドワードもクラスでは目立つ存在だ。
「そいつの名前聞いた?」
「名前は知らないけど同じ予科生……授業進度は、僕らよりは遅いくらいかな? 教科書とか見た感じでは。あー、でも科目によってはかなり進んでる感じだった」
 ふと視界の隅を金色がよぎった。嫌な予感とともに、珠月はゆっくりと視線を移動させる。つられて隣のエドワードも珠月の視線の先を追った。その先には、教室の後ろのほうの入り口。そこを束ねた本と合皮のカバンを持った白人系の生徒が歩いている。
「あれ…………」
「あ、あれだ。あの金髪。同じ試験受けるのかな?」
 エドワードの言葉は、珠月の耳には届かなかった。
 黄金の色の髪。海と同じコバルトブルーの瞳。貴族のような優美なしぐさの美少年。めまいがした。だが、まだ希望は残っている。別人、あるいはこちらを忘れているという希望が。
「おや」
 珠月が見ているのに気づいて、少年はぱっと顔を輝かせた。慌てて眼をそらそうとする寸前、
「真珠の月の姫君! やっぱり、貴女だったんですね。ああ、感動です。たくさんの季節が生まれては死んでいくのを繰り返し、どれほど経ったか……いつか再び、運命の交差路で会えると信じていましたよ」
「いやぁああああああああああああああああ!!」
「珠月!?」
 悪夢の再来に、珠月は悲鳴を上げた。


おわり