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First contact 篭森珠月&空多川契


 私が彼女と知り合ったのは、まだ予科を卒業する前のことだった。



 学園都市トランキライザー。
 第三次世界大戦とそれに続く第一次非核戦争ののち、これまでの国家体制とエネルギー体制が一新され、黄道十二宮協会という十二宮の企業が表の世界を、九つの組織と呼ばれる秘密結社が裏の世界を束ねる世界。その黄道十二宮協会において、ふたご座の称号を持つライザーインダストリーが、次世代の人材を育成するために作った巨大学園都市である。まだ設立より数年ではあるが、すでに一部の生徒はその教育の成果を発揮し始め、各地の企業から世界最高峰の教育機関として、注目を集めていた。



 篭森珠月は走っていた。気配を殺し、闇に紛れる。その背後からかすかな足音を立てて複数の人影が追ってくる。そこは暗い。足元を冷たい地下水が流れ、影すらできないほど光がない。
 ここは学園の地下、それも学園本体から捨てられたいわゆるアンダーヤードを言われる地域だ。まだ本科生がほとんどいなかった当時、メインヤード以外の区画はまったく整備されておらず、アンダーヤードも今よりずっと危険な場所だった。もちろん、やっと十代になったばかりの予科生が歩くような場所ではない。それでも珠月は走っていた。それくらいに、追い詰められていた。
「そっちに行ったぞ! 回り込め!!」
「絶対に殺すな! ただし心臓が動いてさえいれば状態は問わん。あの【追放髑髏】の娘だ。殺しては人質に使えん」
「足を狙ってうちぬけ!」
「なんてしつこい……」
 すでに数名は倒している。しかし男たちの数は限りなく、それらを倒しきるには珠月は弱すぎた。数年後ならいざ知らず、今の状態では遠からず最悪の事態を迎えることは目に見えている。
 だからこそ、珠月はリスクを冒してもここに逃げ込んだのだ。
 どこかで悲鳴が上がった。珠月はほくそ笑む。誰かが大挙して地下に入ってきたことに気づいた地下の住人が動き出したのだ。下手を打てば自分も殺されるが、うまく逃げ切れればこれで相当な数を減らせるはずだ。すでに地下に入った時点で警戒した数名が戦線を離脱したため、多少は数も減っている。
「頼むよ……」
 学園公式機関に逃げ込むか友人たちに助力を求めるという手段もあるのだが、それでは根本的な解決にならないし、友人たちが危険だ。あくまでも単独で逃げ切ってこそ、『篭森珠月は人質にするにはリスクが高すぎる』という認識をあちらに植え込むことができるのだ。それをしなければ、何年たってもきっと自分は追いまわされているだろう。
「というか、なんでこの学校にいるのが普通にばれてるんだろ」
 本科ならともかく、珠月はまだ予科生なのに。ひょっとすると学園内にそういう、どこの子息が通っているとかいう情報を売買する者がいるのかもしれない。
「くそっ、それならもっと危険な奴がいっぱいいるじゃん。姫宮とか澪漂とか!」
 独り言をつぶやきながら、身を低くして珠月は走る。足元で銃弾がはねた。むこうも本気だ。だが、そろそろのはずだ。
 狭い空間に頭が痛くなるようなマシンガンの音が響いた。ばたばたと男たちが倒れる。
「貴様ら……ここで何をしているぅうううううううう!?」
 トーンの狂った声が響く。それに背を向けて、珠月は全力で走り去った。転べばこちらの命もない。
 振り向かない珠月の背後で絶叫が上がった。




「はあはあ……くそっ!」
 息が切れるまで走り続けて、誰も追ってきていないことを確認すると珠月はがれきの間に濡れていないところを探して座り込んだ。地下はひんやりと涼しいのに、額には汗が浮いている。
「……やばい、約束の時間間に合わない」
 ちらりと時計を見て、珠月はつぶやいた。友人である澪漂一重と侯二重――のちに澪漂二重と改名――そして紫々守兎熊と四人でお茶をする予定があったのだ。だが、下手をすると遅刻どころか永遠にお茶会に参加できなくなりそうだ。
「最悪だ。もう……襲撃するならこっちの都合ってもんも考えてよ」
 無茶を言って立ち上がろうとした珠月は気配を感じて飛びのいた。直後、つい先ほどまで珠月がいた空間を、白銀の刃が切り裂く。殺すための動きだ。さっきの連中ではない。
 バックステップを踏んで距離を置きながら、珠月も袖口から格闘用のナイフを取り出す。ミスティック能力はあまり使えない。今の珠月では、リスクが大きすぎるのだ。
 返す刀で相手はナイフを振りおろす。珠月はそれを自分のナイフで受け止めた。鋭い金属音が響く。距離が近くなったことで、なんとなく相手の姿が見えた。
 白い白い肌だ。日に当たったことがないんじゃないかと思うくらい白い。なのに、髪の毛は闇に完全に溶け込んでいる。短いように見えるが、結いあげているだけかもしれない。そして目についたのは赤い服。血に染まって紅いわけではなく、元から綺麗な臙脂に染められた服――同じ年くらいの少女だ。
「何者!?」
 少女は一瞬動きを止めた。だが、すぐに攻撃を再開する。二度、三度、ナイフが交差しぶつかり合う。学校で先生とやる白兵戦ほどきつくはないが、友人たちの練習よりはやや辛い。つまりそれは、彼女がこの年齢にしてはナイフの扱いに慣れているということだ。珠月に取って幸いだったのは、彼女が気功を使う気配がないことだ。使われたら、さすがにやばかったかもしれない。
 息が上がる。すでに体力の限界まで走り回ってきた珠月にとっては、数回の打ち合いさえつらい。酸欠で頭が痛い。
「…………あなたは今すぐにナイフを取り落とす」
 唐突に相手は言った。珠月はびくりと反応するが、何も起こらない。目を瞬かせた珠月に、次の斬撃が撃ち込まれる。それをぎりぎり回避して、珠月は相手を見つめる。
 言葉で操るタイプのサイキッカーだろうか。しかし、なにも起きなかった。では発動条件があるのか、あるいは特殊なミスティックだろうか。だとしたら、条件は何なのか。
「何よ……あなた」
「お嬢さんこそ、誰なのかな?」
 珠月は困惑した。そうと知って狙ってきたわけではないのか。ならば、彼女はアンダーヤードの住人なのだろうか。色々な思考が交差する。だが、結論が出る前に相手が踏み込んできた。
「足を滑らせる」
 何も起こらない。ナイフを自分のナイフで受け流して、珠月は飛びのく。数本の髪の毛が切れて落ちた。父の真似で伸ばした髪だ。
「切れ味のいい刃物ね」
「……ありがとう」
 一番切れにくいものは堅いものではなく、柔らかいものや弾力のあるものだ。触れただけで髪の毛が切れたということは、相手のナイフはなかなかの上物だ。珠月は自分のナイフを構えなおした。その時、
「自分のナイフで自分を刺して自滅する」
 ずるりと構えたはずのナイフの軌道がずれた。その先には自分の体。自分の体なのに、右手のコントロールが効かない。咄嗟に左手で右手を抑えるが、なぜか右手はそれでも刃物を自分に付きたてようとする。
「ミスティック!?」
 相手を操作するタイプのミスティックと珠月は判断した。
 咄嗟に珠月は右手をこじ開けて刃物を手放した。そして、本能的な判断で左手で別のナイフを手に取り、右腕を浅く切り裂いた。血が飛び散る。同時に、右手のこわばりが解けた。
「痛っ」
 理屈は分からないが、間違いなくミスティック能力だ。おそらくは、一定条件下で口に出した言葉を自動的に現実に帰る能力。だが、幸いなことに細かい指定――例えば傷の具合など――はできないらしい。ならば対抗策はある。彼女が口に出し実現しそうになったことを、先回りして自分が行うことで被害を最小限に食い止めるという方法が。
「!?」
 珠月が最小限の被害で能力をかわしたことに、少女は驚いたようだった。しかし、そのころにはすでに避けようもないほど、少女は珠月に接近していた。しかも、彼女のナイフを受け止められるようなものは、珠月の手にはない。今持っているサブナイフで受け止めれば、間違いなく珠月のナイフが砕ける。仮にナイフを持っていたとしても、怪我をした手で受け止めきれるかは怪しい。少女は勝利を確信したようだった。だが、
「くそっ!」
 珠月は大きく身体を沈みこませた。みつあみにした長い髪が勢いでふわりと浮く。少女の振り下ろされた刃物は、珠月本体ではなくその髪を切り裂いた。編んだ髪の毛が根元に近い部分で切断される。
「なっ!?」
 獲物を見失って一瞬、相手の動きに空白ができる。それを見逃さず、珠月は少女の手首を叩いた。刃物が手から落ちる。そのまま、ナイフを相手の頸動脈に押し当てて――珠月は止まった。自分の首筋に冷たい感触を感じて。
「…………」
 横目で確認すると、それは紅い飾りのついた簪だった。つい先ほどまで少女の髪を結いあげていたそれが、今はするどい凶器となっている。
 どちらも動かないまま、珠月と少女は見つめあった。
「…………いい腕してるね」
「おねえちゃんもね」
 たがいに武器をつきつけ合っているのに、互いにほとんど殺気を感じない。それはそうだ。互いは互いに、自分の障害物を排除しているだけであって殺人をする気はないのだから。排除の結果、相手が死ぬ可能性は十分に考慮しているが、それはそれだ。
「なぜ私を狙うの?」
「こっちの台詞。おねえちゃん、さっきの茶羽ゴキブリの仲間だよね?」
「はあ!?」
「茶色のスーツの集団のこと!」
 言われて珠月は、自分を追っていた男がダークブラウンのスーツ姿だったことを思い出した。そしてやっと珠月は真相に気づく。二人はたがいに、相手を自分の敵の仲間と勘違いしていたのだ。
「……ごめん。違った?」
「はい?」
「私、あいつの仲間じゃない。あれに追われてたの。多分、貴方は私と間違えられたんだ」
 白い肌と長い黒髪――つい先ほど、珠月の髪は短くなってしまったが。今日の珠月の服は赤と黒を基調としたワンピースだ。なんとなく服装も背格好も似ている。顔こそまったく違うし、相手の少女のほうが若干色が白いが、暗い所で後姿なら分からない。おそらく、あまり夜目の利かなかった一部の連中が、偶然歩いていた彼女を珠月と混同したのだろう。
「……どういうこと?」
「悪かった。私も、貴方はあいつらと同じ刺客かと思った。勘違いだった」
「え? きゃあ! おねえちゃんってば、見知らぬお嬢さんに怪我させた!?」
 どうやら、彼女は一人称が『おねえちゃん』で、二人称が相手が女の場合『お嬢さん』あるいは『あねえちゃん』らしい。なんとも分かりにくい。相手が簪を引いたので、珠月もナイフをひっこめた。
「ごめんなさいごめんなさい……ああ、こんな無能な私なんて蠍に好かれるわけないわ。ごめん、死んで詫びます」
「死なんでいい! 腕は薄皮一枚だし、髪は……最近邪魔になってきてぼちぼち着る予定だったから」
 ざっくり切れて、肩までのざんばら髪――落ち武者のようになってしまった髪をなでて、珠月は苦笑した。
「だって負けちゃったし……」
「無傷のアナタと流血沙汰の私で、なぜあなたの負けになるのよ!?」
 どちらかというと珠月のほうが勝負に勝って試合に負けた形だ。
「えーとえーと、手当! 手当!!」
 少女は珠月の言葉など聞いちゃいない。いったいどこに収納されていたのか、包帯を取り出しててきぱきを手当てを始める。予想外にいい人だ。
「……あなた、ここの住人?」
「んにゃ? 違うよ。上にあるライザー学院っていうとこの予科生。名前は空多川です。空多川契」
「同級生かよ!!」
 繰り返すが、アンダーヤードという場所は予科生がうろちょろしていいような治安のいい場所ではない。死んでも仕方がないほど、やばい場所だ。
「私も予科三年目の篭森珠月よ。色々申し訳なかったね」
「こちらこそ。このお詫びは必ず」
 どちらともなく手を差し出して、二人は握手した。殺し合いをしていた二人が手を取り合うなど、冷静に考えると変な光景だ。
「それにしても、ここで何をしていたの? えーと、契ちゃん?」
「本科に入る前にいろいろやっておきたかったのですよ。愛しい愛しい人に近付くために」
「へえ、好きなひといるんだ」
 予科生のうちから本科のことを考える余裕があるということは、かなりの成績優秀者の証しだ。普通は日々の課題に手いっぱいで、そんなことをする余裕はない。
「それはもう、蠍大好きだから。蠍……ああ、可愛いよ蠍。あなたに近付き、貴方が私のことしか考えられなくなるためなら、本当になんでもする。表から近づくよりは裏から近づいて、私なしなんて考えられないくらい大切な相手になってやると決めているの。そして最後は、完膚なきまでに追い詰めて、死んでも私しか考えられないように」
「ちょ……なんかおかしくない?」
「蠍……可愛いよ、蠍。あなたのためなら死ねる。むしろ殺してください」
「……蠍」
 まさか黄道十二宮協会の蠍座に位置するロートシルトエンタープライズのことじゃないだろうな。珠月は嫌な予感を覚えた。だとすると、この発言は十二企業の一角をぶち倒すという宣言の可能性がある。しかも、憎しみや復讐心からではなく、愛から。
「蠍って……誰?」
「可愛い可愛い、私の蠍」
 何の返答にもなっていない。
「…………おーい、帰ってきて」
 面白いが怖い人と関わってしまった。珠月はそう思った。
 ちなみに、珠月はお茶会に大遅刻した。しかし、髪が短くなって包帯を巻いた姿に事情を察した一重、二重、兎熊の三人は何も言わなかった。




 白い首筋から胸元にかけて、はっとするような鮮やかな赤色がある。その赤色は肌に直接刻み込まれた刺青の色だ。
 真紅の蠍。
 契が焦がれてやまないもの。本科に入ってまもなく、自分の意思で契が己の肌に刻み込んだものだ。
 序列225位【ラヴレス(愛を注ぐもの)】空多川契
 9年前に暗闇であった少女は成長し、デスインランドという組織の重鎮のひとりとなっている。だが、本質的な部分は変わっていない。
「……契ちゃん、夢は叶いそう?」
 テーブルに乗ったティーセットの向こう側、今日も尽きぬ愛の言葉をつぶやく契に珠月は声をかけた。今日のケーキはたっぷりのベルギーチョコを使ったチョコレートケーキだ。もちろん、アフタヌーンティの定番、スコーンやサンドイッチも用意されている。
 頭を振ると肩程度で切りそろえられた髪が揺れた。9年前の一件で髪を短くし、その際に髪が短いことの戦闘時におけるメリットに気づいた珠月は、結局腰までのお下げにしていた髪を切った。
「ねえ、どうなの?」
「ん…………夢は叶えるもの」
 端的に契は答えた。それだけで、着々と彼女が準備をしていることが分かる。なんにせよ、目標があるのは良いことだ。だらだらと生きている珠月に比べれば。
「それはいいことだね。とても」
 甘い香りがする。それにかすかに混じるのは血と消炎。だが、珠月は気にしない。
「お茶が美味しいねぇ」
「うん。幸せ~」
 嬉しそうな顔で、契はお茶を飲む。行儀悪く頬杖をついてそれを見やりながら、さりげなく珠月は尋ねた。
「ねえ、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないの? あなたが恋い焦がれる蠍は誰なの? みんなが噂するように、本当にロートシルトエンタープライズのこと? それとも」
 珠月は言葉を切る。契の表情は変わらない。
「誰も姿を見たことがないロートシルトエンタープライズの幻のボス、ルヴァルディ・ロスチャイルドなの?」
 返事は帰ってこない。ゆっくりと契はお茶をすすった。
「蠍はねぇ……可愛いんだよ」
「………………………………………………私はマイペースだといわれるけど、契ちゃんを見てるとまだまだだと思うよ。紅茶のおかわりは?」
「ありがとう」
 そして珠月は今日も考えないことにする。
 もし蠍がロートシルトエンタープライズそのものか、あるいはルヴァルディ・ロスチャイルド、そうでなくてもロートシルトエンタープライズの幹部だとするならば、彼女は退学候補――あるいは世界的な指名手配犯になる――人物だ。黄道十二宮協会に刃をむけるものを、ライザー学院ひいてはその母体であるライザーインダストリーは許さないだろう。保身を考えるなら、付き合うべき人物ではないのかもしれない。だが、
「面白いのよね。それにどうせ、ランカーなんて卒業後は十二宮のトップか挑戦者になる人間ばっかりだし、それ考えたら、まあ、普通。許容範囲」
「何の話?」
「独り言」
 陶器の皿にスコーンをとりわけつつ、珠月は答えた。
 まあ、急ぐ必要はない。続く友情ならば、続けてみようじゃないか。せっかく、殺しあわずに済んだ縁なのだから。
「そういえば、珠月おねえちゃんは料理上手だよね」
「それが? ケーキでも焼いてほしいの?」
「別のものが焼いてほしいな」
 契は妙なことを言った。彼女の台詞が要領を得ないのは、出会ったときからのことなので珠月も特には気にしない。
「別にいいよ。なんでも焼いてあげる。食べ物ならね」
「うん、約束」
 焦点のあいまいな不思議な笑顔で、契はほほ笑んだ。


おわり