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 ある男と女の会話。 「いいかね。女というのは悪の属性をもつものなのだ。だから、私は女というものが大嫌いなのだ」 「まあ、ムッシュ。どうしてそのようなことをいいなさるの? それは貴方の思いこみではなくて?」 「そんなことはない。なんなら、それを証明してみせよう。まず、女というものには金と時間がかかるものだ」 「当たり前ですわ。なぜなら、女だって金と時間をかけておりますもの。一度のデートのお洒落のために女性がどれだけお金をかけているかご存知?」 「知らぬし、興味もないな。ともかく、金と時間がかかることに異論はないわけだ」 「一般論ではそうですわね」 「よろしい。では、次はこうだ。時は金なり。それは正しいね?」 「そのようですわね」 「となると、女=金+時 かつ時=金 が成り立つことになる。つまり、女=金+金だ」 「そう言えないことも御座いませんわね」 「そして、金は諸悪の根源ともいうだろう?」 「ええ」 「では、女=悪+悪となる。よって、女が悪であることが証明できるわけだ」 「一応筋は通りますわ。でも、ムッシュ。貴方はとても大切なことをお忘れよ?」 「なんだというんだ?」 「女が邪悪なる存在だったとして、その女の胎から生まれる男はどれだけ邪悪なのかしら? ムッシュ」 「…………」 ** 「あー、もうまったく面白くありませんわ」 「…………うん、そうだね」 「折角、あれこれ理由をつけておねえさまのところに上がり込もうと思っていましたのに、すでに契様と不死コンビの馬鹿のほうが上がり込んでいやがりまして……契様は、おねえさまの古いご友人でいらっしゃいますし、美貌気品実力申し分のないお方ですから仕方ないとして……なぜあの地の底を這いずりまわるのがお似合いのムカデのような男におねえさまはかまうのでございましょう。ああ、本当に腹が立ちますわ」 「そうだね。緋葬架。君の気持はとてもよく分かるよ。分かるからそろそろ解いて」「お兄様のような部屋のすみの綿埃にも劣る存在が私の深い苛立ちを理解しようなど百年はやいですわ!!」「酷いっ!!」  自室の床にガムテープでぐるぐる巻きにされて転がっている兄、朧寺守希生を見下ろして、妹の朧寺緋葬架は身体をソファに沈めた。 「しかもお兄様は珍しく妹である私が声をかけてあげたというのに、いきなり逃げ出して。反射的に追ってしまったではございませんの」 「ごめんよ、可愛い妹。てっきりまたなにか怖いことをさせられるのかと思って」 「その怖いことってまさか、おねえさまのことじゃ御座いませんわよね?」  緋葬架は、学校の先輩の一人である篭森珠月のことをおねえさまと呼んで慕っている。しかし、実兄である守希生の扱いはあねと慕う珠月と真逆でこれ以上ないくらい悪い。むしろドメスティックバイオレンスの領域に入るが、なぜか介入しようとするひとはいない。虐げられているのが兄のほうなのと、背景に複雑な家庭事情が垣間見えるせいかもしれない。 「僕だっていろいろ大変だったんだよ、今日は。陽狩君は斬りかかってくるし、知り合いは狙撃してくるし」 「なにをしましたの? お兄様」 「一瞬のためらいもなく僕のほうを加害者認定するのやめて!!」  守希生は悲鳴のような声を上げた。ふんと緋葬架はそっぽをむく。そして、なにかに気づいたように視線を戻す。 「知り合いに狙撃って……この学園に、私以外にお兄様を狙撃なさるような方がいまして? こんなのでも教師なのですから、生徒に襲われているようでは問題がありましてよ?」 「……その言葉には色々と言いたいことがあるけれど、彼女は生徒じゃないんだよ」  緋葬架は無言で兄を蹴りとばした。潰された小動物のような悲鳴があがる。 「お、お兄様の分際でそんな親しい女性を作るなんて、身の程をわきまえない真似をっ!!」 「違うよ。違うよ!! 何を想像したのか分からないけど、多分違うよっ!! それと今のやり取りのどこかで親しい認定したの? 君の親しいって狙撃し合う関係のことなの!?」 「やかしいですわ。さあ、とっとと吐きなさいな。どういうお相手ですの?」 「か、顔見知り……頭踏まないでっ!!」  泣きそうな顔でじたばたと守希生は暴れる。授業中の教師としての彼の顔しか知らない相手がみたら、一気に幻滅しそうな姿だ。 「社長令嬢で、狩猟が趣味なものだから保護区問題で昔もめたことがあるんだよ。高殿宮珠希。赤毛で巻き毛の女性で、エンゼルフィッシュっていう」「ああ、あの缶詰会社。そう言えば娘がいましたわね」  納得したように頷いて、緋葬架は兄の頭の上から足を退けた。そして、小首を傾げる。 「最近どこかでその話題を聞いたような……」 **  ホテルの、正確にいうならばホテルのオーナーの派手すぎる存在感に隠れて意外と知られていないが、タイラントホテル内の飲食店のレベルは高い。ロビーにあるレストランはもちろんのこと、最上階の夜景の見えるレストランともなれば、イベントシーズンは恋人たちで予約がいっぱいになるほどだ。  その一角に一組の男女が座っていた。はたから見る分にはよくあるカップル客に見える。だが、近付けば分かる。そこには甘い空気ではなく、気を抜けば斬られるような殺伐とした空気のみがある。 「まさかあっさり同席してくださるとは思いませんでした」 「あらあら、わたくしも企業家のはしくれ。真っ向からの御招待は基本的に受けて立ちますわ。たとえ、相手がどのような腹積もりであれ」  絶妙にスーツを着崩した男性――不死川陽狩と、赤毛の髪を綺麗に巻いた女性――高殿宮珠希は笑顔を浮かべた。笑顔というのはときに威嚇に似ている。そう感じさせる笑顔だった。 「それにしても、出て来られるとしたら篭森の御令嬢だと思いましたのに、なぜ赤の他人である貴方がしゃり出ていらっしゃるのかしら?」 「はは、カルバニアだって他人じゃないですか」 「あらあら? わたくしはてっきり、夏羽様の後見的立場にはご令嬢がいらっしゃるのかと思っていたのですけれど、違いますの?」 「カルバニアがあの馬鹿のような分かりやすいリスクを身内に抱え込むわけがないじゃないですか。夏羽は、カルバニアのファミリアではありませんよ」  学園のトップランカーの多くは学園内外に自分の息のかかった手駒や私兵集団を抱えている。例えば、北王夜の組織ニュクスとそれに付随する複数の組織はすべて、学園のリンクのひとつであると同時に夜の配下の側面も持つ。中央の沙鳥率いる渡り鳥は、彼女の仲間であると同時に彼女を守護するための騎士団だ。 たいして、珠月は少なくとも表向きは東のナンバー2であり、学内に配下組織はない。しかし、非公式に彼女と繋がりをもつ個人や彼女の強い影響下にある組織はいくつもある。それらを総称して『使い魔(ファミリア)』と呼びだしたのは、どこぞの三文雑誌だっただろうか。それが魔女の異名を持つ彼女に妙に嵌っていたため、今ではなんとなく定着している。もっともその定義はあいまいで、どこまでがファミリアなのかは本人たちすらよく分かっていない。 「あれは誰かに首輪をつけられるほど、おとなしくはありませんよ」 「まあ、ではなぜあの御方が間に割って入ったのでしょうね」 「あくまで友人として、泣きつかれたので仲裁に入っただけでしょう。一応はカルバニアも学園の治安維持の一端を担う立場ではありますから」 「ご友人。便利な言葉ですわ」  クスクスと高殿宮は笑った。しかし目は少しも笑っていない。 「まあ、篭森の御令嬢のことはどうでもいいですわ。どうやら、あの人は彼を隠してはいるようですけれど、積極的にこちらに介入しては来なさそうですもの。喧嘩を売るには厄介な相手と思っていましたけれど、後見でないなら安心です。何の権利もないってことですものね」  丁寧に作られた食器の上で、適度に脂ののった最高級の肉が細切れにされていく。だが、それをしている本人は一向に肉を口に運ぼうとはしない。ただ、細かく切り分け続ける。 「それで、誰も彼もが傍観の姿勢に入った中、貴方は一体全体どういうつもりで私の前に現れたのかしら?」  高殿宮は壮絶な笑みを浮かべた。陽狩は軽くそれを受け流す。微笑む人間にのまれる程度ではこの学園のトップランカーは務まらない。 「まずは夕方のお礼参りに」 「避けられると思ったんですけど。貴方の実績は報告に上がっていますし……レッドラインはアレですもの。忌々しい」  最後の一言だけは小声で高殿宮は呟いた。しかし、陽狩には完全に聞こえている。仲が悪いのだろうかと、陽狩は内心首を傾げた。そもそも面識があるらしいことに驚く。学者のくせに、あの教師はやはりどこか変だ。だが、害がある感じでもないのですぐに陽狩は思考を切り替える。陽狩は他人の頭の中身になど興味はない。興味があるのは、相手の行動が自分にとって有益か不利益かだけだ。 「当てようとしても貴方程度では当てられるとは思いませんが、銃口を向けられて喜ぶ人間も少数派だということは自覚しておいたほうがよろしいと思いますよ」 「ご忠告、痛み入りますわ」  すました様子で高殿宮は答えた。 「それだけなら、心から謝罪申し上げますわ。気に入らないなら、相応の金銭に変えてもよろしくてよ」 「別にそこまで器が小さくはありませんよ。あの程度の些事、どうでもいいことです」 「ではなぜ?」 「個人的に興味がありまして」  笑顔の裏で互いの腹のうちを探り合う。皿の上では食べられることのない料理がどんどん細切れになっていく。それでも食事をするふりをやめようとしないのは、和やかに会談が進んでいるというスタンスを崩さないためだけだ。 「あらあら、貴方ほどの方がエイリアスももたない小娘にいったい何の御用なのかしら?」 「ふふ、エイリアスも持たない小娘の自覚があるならば、なぜこんなところを未練がましくウロウロしているんでしょうね」  殺伐とした空気と進まない食事に、普通ならそろそろ次の料理を持ってくるはずの店員もやってこない。他の客は異変に気づいているのかいないのか、どこのテーブルも平然と食事を続けている。まれに視線をむけるものもいるが、ほとんどはすぐにまた視線を別の方向に向ける。  その時、入口のほうから店員に案内されて新たな客が入ってきた。革靴が磨き上げられた床を踏みつける。何気なくそちらをむいた客の何人かがぎょっとした様子で目をむいた。そして慌てて目をそらす。  気配を感じ取って視線を向けた陽狩と、それにつられた高殿宮もそのまま動きを止めた。その間に彼は二人のすぐ横に立つ。 「なにしてんだよ、お前ら」 「…………それはこちらの台詞ですが、夏羽。カルバニアのところに逃げ込んでいたんじゃなかったんですか? というか、その格好は……」  陽狩はしげしげと夏羽を靴先から頭の先まで見つめた。 「おかしな格好をしていますね。どうしたんですか?」 「ここのレストランは正装じゃねえと入れないのお前らも知ってるだろうが。なんでこんなややこしい所にいるんだよ?」  スーツのネクタイを鬱陶しげにつかんで、夏羽は呟いた。普通、基本的にチンピラっぽい夏羽がスーツをきてもチンピラがヤクザになるだけなのだが、彼の体格を意識した着痩せするデザインのジャケットとよく見ないと分からない絶妙な色合いおかげでそれなりに普通っぽくみえている。コーディネートした人間をほめたたえたくなる格好だった。 「はっ、私がどこにいようと私の勝手でしょう? で、そのスーツはカルバニアにでも用意してもらったんですか?」 「誰が篭森に頼むか。面白がって奇天烈な格好させられるに決まってるだろうがっ! これは四十物谷にやらせたんだ」 「………………予想外すぎる相手にとても驚きました。とても驚きました。あの怪奇趣味にまともなセンスがあったとは」  実は相談(という名の脅し。ただし四十物谷には通用していない)をうけた四十物谷が普通にダークスーツを用意しようとしたのを見た四十物谷調査事務所職員が、『所長、それではただのマフィアです』と言って話し合いの結果用意したのがそれだったのだが、当然そんなことは陽狩も夏羽も知る由もない。 「というか、貴方、カルバニアとアックス以外に友達いないんですか?」 「仕方ねえだろう。やつらしか生き残らなかったんだから」 「なんで片っ端から友達を殺害してるんですか、馬鹿なんですね貴方は」 「うるせえよ。そんなもん、ライオンに何で肉を食うのかって聞いてるようなもんじゃねえか」 「ライオンは可愛い。貴方は可愛くない。よって、ライオンと貴方を一緒にしないでください」 「意味が分からねえよ」  挨拶のような意味のないやり取りを一通り終えたところで、もっとも騒ぐはずの高殿宮の反応がないことに気づく。夏羽と陽狩が同時に高殿宮に視線をやると、彼女はドレスの胸元を両手で押さえたまま、顔を赤くして硬直していた。  恋する乙女の反応だった。二人はほぼ同時に嫌そうな顔をする。 「…………気持ち悪い」 「夏羽、なにしに来たんですか? 本当に」 「あああああ、あの」  唐突に正気に戻った高殿宮が勢いよく立ち上がった。グラスの中でワインが揺れる。 「お久しぶりです、夏羽様。高殿宮の、珠希です」「あー、覚えてる。覚えてる。っていうかこの状況で流石に忘れねえよ」  言いかけた高殿宮の言葉をさえぎって、夏羽は言った。高殿宮は言葉をさえぎられても気にしない。 「なぜこんなところに? 篭森の御令嬢の家にいらっしゃったのでは?」 「二三時間前まではな。でも、こそこそ隠れるのはやっぱ性に合わねえから出てきた」  間違っても乱闘になった上、半分追い出されたとは言わない。 「お前さ、もう家帰れよ」  続けて夏羽が吐いた言葉に、高殿宮どこかか陽狩まで目を丸くした。 「見逃してやるから、とっとと俺の目の届く範囲から立ち去れ。篭森のとこで色々考えたが、やっぱ無理だ。俺、お前に興味がわかないし、うろうろされると殺しそうで迷惑だ」 「嫌です」  思ったよりもきっぱりと高殿宮は拒絶した。予想通りの反応に、夏羽はため息をつく。 「殺すぞ」 「目に入ったものを全部殺すような狂人ならともかく、貴方はには友達も相棒もいるじゃありませんか。なら、妻くらい大丈夫です。貴方の経歴は知っています。それでもわたくしは貴方が好きです。結婚したいと思っています。大丈夫。私は確かに貴方ほど強くないかもしれませんが、簡単に殺されるほど弱くもないつもりです」  早口で高殿宮は言った。 「過去は過去でいいじゃないですか。人殺しをしないと駄目だっていうなら、合法的にヒトゴロシをできる機会を提供します。爆弾魔に狙われているそうですが、彼は無関係の人間を巻き込むことを極端に嫌うそうですから、家族ができればきっともう滅多に狙ってこなくなります。私の実家が背後に付けば、気まぐれで残虐な篭森の御令嬢や凶暴な調査会社の所長なんかに頼らなくてもよくなります。悪い話じゃないはずです」 「そりゃあ、人間にとってはそうかもしれねえけどよ」  夏羽は乱暴に頭をかいた。 「俺は、『ひとでなし』の殺人鬼だしなぁ。悪い。全然魅力感じねえわ。お前にも、お前がくれるって言うものにも」 「っ」 「深紅が爆弾送りつけてくるのはムカつくけど、最近だとあっちのほうも殺意なんか大分前に通り越してただの習慣になりつつあるし、過去の事後悔したことなんて俺はねえし、篭森も四十物谷もかなりアレな人間だし友達だなんて思ったことねえし、別に支援がほしくてあいつらと付き合ってるわけでもねえし、そもそもただの腐れ縁ついでに役に立つから相互に利用してるだけだ」 「で、でも」  高殿宮は喰い下がる。そもそもこれで退く女なら、ここまで追ってはこない。 「今はいいとして、何年か立てばどうせその人たちもいなくなりますよ? でも妻である私ならいなくなったりしません」 「あー」  興味なさそうに夏羽は答えた。 「その辺も考えたんだけど」「じゃあ」「考えたけど」  夏羽は肩をすくめた。 「よく考えたら、何十年か後に俺が生きてるとも限らねえし、そもそも『ひとでなし』にそういう生活が合うとも思わねえし、それ以前にその頃には流石にお前はもう殺してると思うし、意味ねえよ」 「ふむ。馬鹿が馬鹿なりに考えたんですね」  感心したように陽狩は呟いた。夏羽の眉間にしわが寄る。 「なんだその言い方」 「単純な脳の作りをしていますから、てっきりしばらくはつまらないことを考えて引きこもっていると思いましたが、まあ、ある程度は考える脳があったのかと安心しているところです。もしも貴方がそういう安寧な生活に焦がれる程度に人間らしいところが残っていたとしたら、かなり失望していましたよ」 「……まあ、この件に関しては俺も理解の範疇外の現象に意外と弱かったと思い知ったけどよ」  そういう意味では篭森と四十物谷をまだ殺していなかったことは幸いだった。夏羽は呟いた。陽狩は馬鹿にしたように笑う。 「ふふ、やっぱり馬鹿ですね」 「何がだよ?」 「他人に頼る殺人鬼なんて聞いたことがありませんよ? 他人は利用して解体して食いつぶすものです。世話になるなんて馬鹿なんですか?」 「世話になってねえよ。殺せねえから縁が続いてるだけだ。今日も殺すのに失敗してきたところだよ」  ぎょっとした顔で高殿宮は目をむいた。普通の感覚からすれば、あの『篭森』の後継ぎである珠月や、過去に紛争相手を都市そのものごと抹殺した経歴のある四十物谷に対して日常的に殺害を試みるということもそれが許されている状況というのも通常ありえないことだ。だが、夏羽もこの学園都市という空間もあらゆる意味で普通ではない。 「やりすぎると殺されますよ。私が殺す前に魔女程度にやられると困ります。殺せないなら適度な距離を保つべきです。それが人でなしのあり方ですよ?」 「手前こそ、職人連中とつるむのやめたらどうだ? 壊す専門のお前に職人なんて似合わねえよ」  ぴくりと陽狩が反応した。凄味のある笑みを浮かべて、彼は夏羽とむきあう。 「私の玩具に関して口をはさまないでほしいものですね」 「手前こそ俺と他人の関係性に口出してんじゃねえか」  沈黙が下りた。  ただならぬ空気を察してレストランの従業員たちが臨戦態勢に入ったのが分かった。それを見て、陽狩は舌打ちをして立ち上がる。すでに向かいにいる高殿宮など眼中にない。 「出ますよ。ここは流石にまずい」 「さっさと出ようぜ。こういう場所は俺の肌に合わねえ」  陽狩は十分すぎる現金を叩きつけるようにテーブルに置いた。置いて行かれる形になった高殿宮は抗議の声をあげるが、陽狩も夏羽も生返事しか返さない。 「夏羽様、陽狩様っ!!」 「お前との話は終わりだ。さっさと帰れ」  視線を向けようともせずに夏羽は答えた。そしてそのまま背を向ける。陽狩は一瞬だけ高殿宮に視線を向けた。その唇が笑みのかたちを作る。 「ということですので、お気の毒さま。ま、若いんですから次がいくらでもありますよ。男は星の数です」  すこしもそんなこと思っていないような顔で告げると、陽狩もさっさと歩きだした。あとには高殿宮が残される。彼女は静かにドレスのすそを握りしめた。あまりの屈辱に目眩がする。拒絶ならともかく、後半は完全に無視されていた。 「…………お客様」  なりゆきを見守っていた従業員が戸惑ったような様子で声をかけてくる。首を振ってそれを追い払うと、高殿宮もまた立ち上がった。 **  金属音が鳴り響く。  実際にはどこからともなく響くにぎやかな歓声や店先から流れ出す音楽に紛れてそれほど大きくは聞こえない。それでも妙に重たく聞こえるのは、それが人体に当たれば致命傷となるはずの一撃だからだ。  同時に踏み込み、互いの武器が絡まり合う。互いが互いの武器を弾き飛ばそうとする均衡は夏羽が後ろに飛びのいたことで破れる。ぶつけ合っていた武器を放棄し、次の武器を手に取る。武器にこだわりがなく、しかもだいたいの武器は自在に仕える夏羽の執着のなさと格闘センスがあればこそだ。普通は自分の大事な武器をそう簡単に手放したりはしない。  跳びのいた夏羽を追うように陽狩は続けて踏み込む。鮮やかな交戦は舞に似ていると評する人間は多いが、この二人の争いにそういう優美さは微塵もない。獣が転げ回るように、もつれ合い絡み合いしのぎを削る。 「――――あー、またやってる。飽きないなぁ」  そして、そういうストリートファイトを見物するのが趣味という人間も、この学園には一定数存在する。なにしろ実力があり武器を携帯している十代から二十代が住人の大部分を占める都市だ。喧嘩は多いし、またそれらは下手な格闘技戦よりはるかに見ごたえがある。 「久しぶりだよね、あの二人が騒いでるの」 「んー、確かここしばらく学園留守にしてたもんね。ほんと、仲よしだね、あの二人」  雑多な街並みに似つかわしくない白い白い衣が夜風に揺れる。  中央区の権力者の一人にして、この学園でも最高峰の組織力を持つリンク『レイヴンズワンダー』の女王である学園序列15位【ゴットアイドル(神の偶像)】朝霧沙鳥。  その忠実なる従者であり、女王を守る女王騎士団の美しい騎士、序列65位【アトローチェドルチェッツァ(私の愛しい人)】光月藤司朗。  おどろくほどの純白の服は、見る人が見れば遠目でも女王とその騎士団だと分かる。彼らは並んでカフェの窓際の席から遠くを見ていた。注視しないと分からないような建物の影を飛び回る二つの人影がその視線の先にはある。 「西区だし、二重ちゃんに連絡しといたほうがいいかな?」 「平気でしょう。沙鳥。それよりケーキがきたよ」 「わーい」  愛らしい女王はあっさりと窓の向こうの景色から視線をはずし、目の前のたっぷりのクリームを讃えたケーキに目を輝かせた。その向かいで藤司朗はにっこりととろけそうな笑みを浮かべる。その視線もまた、殺し合いの光景からは完全にそれている。 「召し上がれ」 「いただきますっ!!」 **  同時刻、彼女らがいる場所とは反対側でも死闘を見学している一団がいた。こちらは崩れそうな違法建築群の屋上に陣取って、暗闇の中暴れる二匹の獣を見物している。 「しかし妙ですね。私が光の速さで駈ける運命の馬を射ぬいた所によりますと、確かあの夏羽君は外で愛の女神の気まぐれに悩まされ、私の愛しい月の姫君にかくまわれていたはずなのですが。黒雫君たち、どう思いますか?」 「どうもこうも、先輩の発言が半分くらい理解できません」  学園序列218位、学園でおそらくもっとも有名な多重人格者【マルウェス・べーロ(夢幻の星影)】黒雫は、自分の先輩であり二桁代のランカーすら時に凌駕する実力者でありながら性格があらゆるものを台無しにしている序列102位【ワンダフルポエマー(凍れる詩人)】ジェイル・クロムウェルに冷たい声を返した。ジェイルは気にした様子もなく、真鍮のオペラ・グラスを覗き込んでいる。 「興味なさそうですね。黒雫君たち」 「ないですよ。珍しいものでもないでしょうが、不死コンビなんて」  そう言いながらも立ち去らないのは、先輩に対する敬意故だ。 「いえいえ、そうも言わずに。煌びやかな装丁に気を取られ深淵なる知識の泉を見落とすも、枯れた樹木と思いこみ芽吹く新芽を見落とすも、こぼれる時の砂を惜しんで享楽の一切を切り捨てるもひどくつまらないことです」 「意味が分かりません」  無駄な装飾のせいでもはやどの部分が重要なのか分からなくなったジェイルの言葉を、黒雫は解読を試みるよりも前にぶった切った。しかし、ジェイルに気を悪くした様子はない。むしろ嬉しそうに笑う。 「ふむ、我が麗しの姫ならばこう言うでしょう。『面白くなるのはこれからだ』と」 「そうならそうとはやく言ってください」  黒雫はジェイルの手からオペラ・グラスをもぎ取った。ジェイルは大げさに悲しそうな顔をしたが、黒雫は無視する。 「で」 「で? 「介入しなくていいんですか? あのコンビのことなら、貴方の姫君こと篭森さんが気にしていたんじゃなかったでしたっけ?」  レトロなオペラ・グラスに見せかけた最新鋭のスコープを調節しながら、黒雫は尋ねた。ジェイルはにこりと笑う。 「そうですね。確かに彼らは愛しいの月の姫君が庭さきに咲く名も知れぬ花を愛でるように、妖精のこぼす涙のようにささやかにしかし蜘蛛の紡ぐ糸のように細やかに心を配っていた人物です。さればこそ、僕が無駄に手を差し伸べたとすればきっと月の姫は燃え盛る煉獄の炎のごとく怒るでしょう」 「先輩が存在するだけで十分怒って怯えてますから、大丈夫ですよ。これ以上なにをしても結果はあまり変わりません」  黒雫の冷静な返答をジェイルは完全に無視した。 **  まるで申し合わせでもあったかのように、次々と繰り出される攻撃は互いの武器によってぎりぎりのバランスで受け止められ、相手の肉へとは届かない。普通の人間なら数十回は死に至る攻防を経て、夏羽と陽狩はやや距離を置いて立ち止まった。気候はすでに冬に向かっているというのにうっすらとその顔には汗がにじんでいる。 「まったく往生際の悪い。さっさと死んでくれませんか?」 「はっ、傷ひとつつけられねえくせによく言う」 「それはお互い様でしょう。ああ、なんで死なないんでしょうね。貴方は。私は殺さずにいる人間なら何人もいますが、殺そうとして殺せていないのは貴方くらいですよ」 「手前の都合なんぞ知るか」  二人の殺人鬼はにらみ合い、そしてほぼ同時に大きくため息をついた。 「あー……誰か知らねえがギャラリーが増えてきたな」 「場所を移動しないと西の治安維持が発動しますね。困ったこまった」  そこかしこから感じる視線の方向をふりかえって、さして困った様子もなく陽狩は呟いた。集まる視線の多くは好奇心によるもので、排除しようとする意図は感じられない。だがそれも時間の問題だ。 「他人の喧嘩などなにが面白いのやら」 「ふふ、そうですか? 他人の不幸は蜜の味、の延長でしょう。物見高いことだ」  もっとも近場の視線――おそらくは付近の住人――がこそこそと逃げ出す気配がする。しかし、それ以外の視線は気づかれたと分かっていてなお微動だにしない。たとえ喧嘩に巻き込まれたとしてもどうにかする自信がある証拠だ。おそらくはランカーも多数混ざっているのだろうと陽狩は推測する。不死コンビの日常茶飯的な殺し合いは学園内において不定期に発生するイベントごとのようなものだ。誰も本気で介入したり観察しようとは思っていない。感覚としては近所の猫の喧嘩を見物するようなものだ。 「白けた。俺、帰るわ」  建物壁やアスファルトの地面が抉れるほどの激しい攻防を繰り返したとは思えないさらりとした口調で、夏羽は言った。熱しやすいが飽きやすく怒りも悲しみも長続きしないのは夏羽の特徴だ。一言で言うと、なにもかもが粗い。  強いて引きとめる理由もなく、陽狩も武器を持った手を下した。すでに何百回になるかも分からない殺し合いはいつも引きわけで終わる。そのこと自体は慣れ切ったことだ。べつに今回の決着にこだわる理由はない。気が向いた時にまた殺し合えばいいだけの話だ。 「ま、いいでしょう。見世物になるのは私も趣味じゃありませんし」  流れが完全に解散に傾いた丁度その時、戦闘者としての本能のようなものが夜気に混ざるかすかな殺気を感じとった。そこかしこから感じる見物人のものではない。ほとんど反射的に陽狩が愛用の武器を顔の前に――正確には右の眼球をさえぎるように――かざしたまさにそこに銃弾がめり込んだ。 「っ」  グラップラーである陽狩は剣で銃弾を弾くことくらい造作もない。だが油断と相まって腕にかすかにしびれが走る。その間に夏羽が地面を蹴った。逃走のための一歩ではなく、銃弾の動きから読んだ軌道の先、狙撃者のいる方向に向かって跳躍する。数秒遅れて陽狩もそれを追った。  狙撃手とは見えない場所から敵をこっそり撃ち抜いてこその狙撃手だ。見つけるのは簡単ではない。だが、この学園の生徒にとっては狙撃の軌道から相手のおよその方向と高さ、距離を導き出すのはさほど難しいことではない。  二撃、三撃目と攻撃は続く。もはや位置を隠そうとする意図すら感じない。どれもこれもその辺の雑魚兵なら一撃で仕留められたであろう攻撃だ。だが、この学園のランカーからすれば児戯にも等しい。軌道を予想して最小限の動きで交わし、ビルとビルの間のせまい空間を飛び越える。ある程度距離がせまったところで、逃げると思った相手は逆に堂々と姿を現した。豪奢なドレスが風になびく。夏羽は嫌そうな顔をした。 「しつこいな、ストーカー」  高殿宮は無言で銃を構えた。だが、そこから銃弾が発射されるよりも先にたどり着いた夏羽がそれを蹴りとばす。決して安くはないであろう狙撃銃は勢いよく転がって闇に消えた。そのまま、逃げる暇を与えずに顔ごとつかむように相手の口を塞ぐ。普段ならそのまま喉を刃物で撫でれば終了だ。だが、その直前で夏羽は我に返った。  殺してしまってはわざわざ今までしてきたことが無駄になる。  動きを止めたのと同時に追いついた陽狩が武器をもつ夏羽の手をつかんだ。 「なにしてるんですか!? 殺す気ですか?」 「そこまで馬鹿じゃねえよ!」  思わず夏羽は大声を出した。陽狩は疑わしそうな視線を返す。だが、なにも言わずに夏羽の腕の先に視線を向けた。 「まあ、それは置いておくとして、この自殺志願者はなにがしたいんですか?」 「それが分かったらこんなに苦労してねえよ、俺は」  この状況下でもじたばたと抵抗を続ける高殿宮を見下ろして、二人の殺人鬼は心底鬱陶しそうな顔をした。 「おい、今から手を離すから暴れるなよ? 叫んだら殴る」  宣言して手を離した瞬間、高殿宮の手元で刃物が光った。夏羽は無言で腕をひねりあげて再度拘束する。 「警告しがいのないやつだな」  暴れる彼女の口から悲鳴のような絶叫がこぼれる。 「なんで……何で無視するの!? 私、真剣なのにそんな返答で納得できるわけないでしょう!?」 「…………」  夏羽と陽狩は顔を見合わせた。 「……陽狩、俺、この女を無視したっけ?」 「レストランに置き去りは立派な無視になるんじゃありませんか? まあ、無視されるような矮小な存在であることに気づかないで怒り狂うほうが馬鹿なんですよ」  さらりと陽狩は毒を吐く。高殿宮は射殺しそうな視線を彼にむけた。だが、陽狩は右から左に受け流す。 「で、どうするんですか? 納得できないそうですけど?」 「知るか。なにを言われようと、俺はこいつに興味わかねえし」 「何で? なんでその男やあの篭森の後継ぎや斧男はよくてわたくしは駄目なの!?」  夏羽はきょっとんとした顔をした。そして、告げる。 「だってお前は人間だし」  平然と、それこそ当たり前のことのように言う。 「あいつらは『ひとでなし』だからなぁ。同じではないけど、ただの人間よりは脆くないから、まだ死んでない」 「…………」 「陽狩に至っては殺人『鬼』だからな。俺も殺『人』鬼だから、ひとでないものはそんなに殺す気しねえし、うろうろしていても我慢ができる」  まるで太陽は東から昇ると言うのと同じように、それこそ自然の摂理であるかのように、夏羽は言い切った。 「俺の隣に人間はいらねえよ」 「な、ならわたくしも殺人鬼に」「いや、それは無理だろ」  夏羽は首を傾げた。陽狩は頷く。 「だって殺人『鬼』は初めからひとでないから鬼なんだから」 「…………」 「人間やめたやつも『化け物』っていうけど、それは人が『化』けた『物』だろう? 鬼じゃない。初めから人間なら時点で、お前と俺たちは違うんだ。まあ確かにお前が化け物ならいまよりはましかもしれねえけど、そもそも化け物っていうのは才能だからお前には無理だろ」  口を半開きにしたまま、ぽかんとした顔で高殿宮は夏羽を見上げた。 「人間は餌だ。餌に食物以上の興味はねえ。しかもお前は食べられない餌だから、視界の端をうろうろされると迷惑だ。失せろ」  高殿宮の身体から力が抜けたのを確認して夏羽は手を離した。闇にも鮮やかなドレスを纏った彼女はその場に座り込む。安くはないであろうドレスがひどく汚れた。 「違ってもわたくしは構わない。それでも、駄目ですか?」 「無理」  きっぱりと夏羽は言った。 「仮にお前が殺人鬼だったとしても、ひとでなしだったとしても、やっぱり興味ねえよ。まして人間じゃな」 「…………貴方を好きになる人間なんて、きっとわたくししかいませんよ?」 「お前すらいなくて結構」  きっぱりと夏羽は答えて犬でも追い払うかのように手を振った。 「俺の周りはひとでなしだけだ」  ひどく愉快そうに夏羽は笑った。ふっきれたような笑みが彼方と此方の距離を示している。ひどく、遠い。 「――――――――やだ」  それでもあきらめの悪い人間というものはいる。 「絶対嫌。あきらめない」 「……………………………………しつこいな」  心底煩わしそうに夏羽は呟いた。無言で陽狩は一歩前に出る。不穏なものを感じて、夏羽は視線を座りこんだ高殿宮から陽狩にうつした。 「おい……」 「聞きわけのない方ですね」  ふわりと陽狩は微笑んだ。形だけみれば笑みのはずなのに、目は少しも細くならない。それどころか見開いている。感じるのは怒気だ。本来かたちなどないはずの感情の波動が、背後に色つきでみえる気がした。慣れているはずの夏羽さえ、一瞬たじろぐ。  まずいな。  直観的に夏羽は思った。なにが彼の機嫌をここまで損ねているのかはよく分からないが、笑っている陽狩はまずい。ただ笑っているならそれほどでもないが、笑いながら怒っている時が一番まずい。あれは大型の肉食獣が空腹で怒り狂っているようなものだ。 「…………」  まあ、いいか。  数秒おいて夏羽は冷静な結論を出した。今のところ、その怒りの矛先は夏羽をむいていない。なら、どこでどんな被害が出ようと夏羽の知ったことではない。たとえその結果が、今目の前で狂ったように夏羽への愛を訴えかける女の惨殺死体になったとしても、だ。別に困らない。  そんな血も涙もない夏羽の判断を知ってか知らずか、陽狩の怒気にさらされている高殿宮はすがるような視線を夏羽に投げかけてくる。当然のように夏羽は視線をそらした。彼女の顔に絶望がうかぶが知ったことではない。 「小娘」  あくまでも優しく理知的な声で、笑顔のまま陽狩は高殿宮の真正面に立った。身長差に加えて高殿宮が座りこんでいるせいで、完全に上から見下すような姿勢になる。小さく悲鳴をあげて後ずさろうとした高殿宮の襟首をつかむと、陽狩は片手でやすやすと持ちあげる。 「」  一言二言、すぐ近くにいる夏羽ですらも聞きとれない声で囁く。同時に高殿宮の表情が変わった。はためにもわかるくらい青ざめてがたがたと震えている。それを確認して、陽狩は手を離した。再び彼女は冷たい屋上に座りこむ。 「身の程を知っておいてくださいね。女」  声だけは優しげに、表情は悪鬼よりもおそろしく、陽狩は言った。ほとんど反射的に何度も高殿宮は頷く。展開が理解できない夏羽は目を瞬かせた。 「…………おい」 「さて、帰りましょうか」  今度こそ本当の笑顔を浮かべて、陽狩は爽やかにふりかえった。夏羽は座り込んだ高殿宮と陽狩に交互に目をやる。そして、ぎくしゃくと首を傾げた。 「お前……なにしたの?」 「貴方の説得の仕方があまりにも生ぬるかったので、これはもう私がやるしかないと思いまして」 「なにしたんだ!?」 「企業秘密というやつです」  唇に人差し指を押し当てて、茶目っけたっぷりに陽狩は笑った。怖い。陽狩を知るものなら誰でもわかる。機嫌の悪い陽狩は厄介だが、それ以上に機嫌がよすぎる彼は危険なのだ。 「…………一人で帰れ」  夏羽は逃げた。戦略的撤退を選択した。  それ以降、不思議と高殿宮のストーカー活動はぴたりとおさまった。 (つづく)

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