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   「sheep」      黄昏も過ぎ、辺りを夜が包み込み始める時刻。学園都市東区画の道を、一人の少女が足早に歩いていた。年のころ十二、三の、癖のある銀髪と住んだ真紅の瞳が美しい娘。人通りも少なくなってきた夜道を警戒しているのか、形のいい眉を顰めている。  少女――ランキング257位、【レディポイズン(毒の小公女)】のメリー・シェリーは、傘下企業に視察に行った帰り、ブラックシープ商会本社への道を急いでいた。薄闇の中に浮かぶ本社ビルを見上げながら、近頃学園都市の界隈で囁かれる奇妙な噂を思い出す。  『夜、少女が路地を歩いていると、黒尽くめの吸血鬼に攫われる』という噂。それだけならばメリーもそこまで警戒はしないのだろうが、事実最近学園内で少女の誘拐事件が多発しているという話はそういう筋に縁がないメリーでもある程度耳にしている。なにより、そんな噂がなくともこのご時勢、若い娘の一人歩きはあまりほめられたものではないのも事実だろう。  メリーは帰りが遅くなったことを気にして僅かにため息を吐いた。最も、副社長の座に就く者として多少忙しいくらい彼女は苦にはしない。ただ、自分の保証人でもある社長のエドワード・ブラックシープが今頃社長室で「メリーが帰ってこない!あぁ、やっぱり僕が付いていくべきだったんだ!」などと大騒ぎしている様子を想像すると、ついため息が出てしまうのである。エドワードはメリーの保護者としては異常なほどの過保護ぶりを発揮し、その程度たるやしばしば社員たちからも引かれるくらいである。  「早く帰ってエドワードを安心させてあげないと……これって特別手当出るのかしら?」  そんなくだらないことを呟きつつ、正面玄関より近い裏口に通じる路地を曲がったとき。  「……ジャパニーズの古い格言にこんなのがありましたね……『急がば回れ』、でしたっけ?」  薄暗い路地の中ほどに、黒いマントのようなものを纏った人物が立っていた。  『黒尽くめ』のキーワードが頭を掠める。  メリーは黒い人物の背後に見える裏口の光を見、そしてもう一度その彼とも彼女とも分からない人物に視線を戻した。腰のポーチから香水瓶を取り出して構える。彼女のエイリアスの由来でもある猛毒が仕込まれた香水が、静謐の中チャポンと音を立てた。  「どなたか存じませんが……そこをどいてもらえますか?ウチの社長が私の帰りを羊がアルパカになるくらい首を伸ばして待ってるので」  攻撃する前に一応確認の言葉を投げかけるが、やはりと言うべきか、相手は黙ったまま微動だにしない。メリーが諦めのため息を吐いてゆっくりと瓶を掲げたとき。  黒の背後から別の人影が一つ、二つ現れた。  それはメリーと同じか、さらに年下ほどの少女。顔色は貧血かと思うほど悪く、目はうつろで開いているものの焦点は何にも定まっていないようである。  足音に振り返ると、メリーの背後にもさらに三人、同じような風体の少女が立ちふさがっていた。  「あなたたちは……行方不明になっていると噂の方々ですか?これは一体どういう……」  言いながらメリーは香水瓶をポーチに仕舞った。見るからに操られていると分かる無実の少女たちに武器を使うわけにはいかない。彼女の武器はその性質上、近くにいる人間は問答無用で巻き込んでしまうからだ。  「あぁ……エドワードが泣き叫ぶ姿が目に浮かぶようですね……。あなたも覚悟したほうがいいですよ?エドワードは思った以上に、怖い人ですから。特に私がらみとなるとね……」  未だその正体を明かさない黒い人影に向かって、無駄と思いつつもメリーは忠告した。ある種の悪あがきでもあったその言葉をやはり人影は黙殺する。  首筋に衝撃を受け、メリーはその場に崩れ落ちた。  ブラックシープ商会直属のホームセンター『黒羊』店長、ランキング158位、【レッドラム(赤い羊)】の法華堂・戒は、社長のエドワードに呼び出されて本社ビルに赴いていた。早朝から社員たちが慌しくしていたため、何が起こったのかは大体分かっている。その上エドワードが直々に戒を呼び出したとなれば、『副社長が行方不明だ』という社員たちの風聞はより現実味を帯びて彼の中に仕舞いこまれている。  「エドワード、入るぞ」  ドアの前で一応断って、社長室のドアを開ける。視線の先、誰が座っても不釣合いであろう大きな机に両肘を突き、組んだ手の上に額を押し付けるようにして、ランキング201位、【ファンタスティックキャラバン(幻想暗黒商人)】エドワード・ブラックシープは座っていた。  「急に呼び出してどうした?一応俺も店長の座に着かせてもらってるんでな。あまり店を開けるわけにもいかないんだが……」  戒は分かっていてあえて軽口を叩いた。エドワード自身の口から事情を聴くまでは、確率は百ではない。彼の言葉に項垂れていたエドワードはゆっくりと顔を上げた。まるで三日三晩働き通したときのように、エメラルドグリーンの瞳の下には大きな隈ができている。  「あぁ、今日は店は結構だよ。その代わり、君に頼みたいことがあって呼んだんだ」  エドワードは僅かに躊躇して、しかしはっきりと口にした。  「メリーが……攫われた」  戒は少し意外そうな顔をした。もちろん『攫われた』という新たな事実についてもそうだが、存外エドワードが冷静だったからだ。少なくとも戒は、泣き喚くか暴れるかしているかと思っていたのだ。  「大丈夫か?」  「あぁ……大丈夫なんかじゃ断じてないんだが……理解が追いつかなくてね。自分でもなんでこんなに冷静なのか分からないよ」  無理に笑おうとするエドワードが不憫になり、戒は早々に本題を切り出した。  「さっき攫われたとか言っていたが……確証はあるのか?身代金でも要求されたか?」  するとエドワードは黙って部屋の隅を指差した。その人差し指を視線でたどると、椅子の上に小さなポーチが置いてあるのが目に入った。そのデザインには見覚えがある。エドワードが前にメリーに買い与えた、高級ブランドのポーチだ。彼女はそれに、戦闘用の香水を入れて後生大事に持ち歩いてた。  「あれが会社の裏手に落ちてるのを、夕べ見つけたんだ。メリーがそう簡単にあれを手放すことなんてないし、そう考えたら攫われたと考えるのが妥当だよ。確認をとったら、彼女は夕べ全ての得意先を回っていた。つまり、ここに戻る途中、裏の路地で何らかのトラブルに巻き込まれたんだ」  話しているうちに感情が高ぶってきたのか、エドワードは顔を伏せ僅かに震えた。無理もないだろう。彼にとっては命より大切な『運命の人』である。そんな彼の姿を見ながら、戒はおぼろげに考える。『攫われた』よりさらに現実味を帯びる可能性、『殺された』という仮説を。もちろん、そんなことを口にするような戒ではない。可能性はあくまで可能性。それを断言することは彼の性質には合わないし、何より彼の前でそんなことを言うのも本意ではない。  「それで、副社長を探すために俺を呼んだのか?人探しなら俺なんかよりも、四十物谷や藤堂の方が適任だろうし、何より俺より仕事も速いぞ」  戒は学園都市きっての調査屋と探偵の名を挙げる。エドワードを突き放すような物言いだったが、彼なりにベストなやり方を提示したにすぎない。もちろんそれを良く分かっているエドワードだが、今は彼は首を横に振った。  「いいや。できれば、内密に済ませたいんだ。別段彼らを信用しないわけじゃないんだけど……まぁ、あれだ。あまり関係を広げて余計な恩を売られるのは本位じゃないし。副社長とまでなれば、その恩にだってそれ相応の箔がつくしね」  なにやら歯切れが悪いエドワードを、戒は少しの間じっと見つめていた。彼の本心を見透かすように。彼の真意を問いただすように。  やがて戒は不意に視線を外し、社長室のドアへと向かう。自らの背に視線を注ぐエドワードに片手を上げ、彼は告げた。  「承ったよ、社長殿。あんたの望む通り、必ず副社長を助け出してみせる。『黒羊』店長、【レッドラム】の名に賭けてな」  ドアを閉める直前、エドワードが呟いた言葉に、戒は僅かに苦笑した。曰く、  「ありがとう」 と。  ブラックシープ商会本社を出た戒は、頭上に霞む社長室を見上げ憎々しげに呟いた。  「全く、エドワードの奴……人が悪いにも程がある」  エドワードが調査屋や探偵に頼りたくないと言った理由は、おそらく先の言い訳ばかりではないだろう。おそらく彼は、戒だからこそ頼んだのだ。  「愛しの副社長に手を出すような不貞な輩は生かしてはおけない、か。なんでもかんでも遠まわしに言ってきやがって。だからあいつは腹黒の黒羊なんだよ」  散々悪態を吐いて、不意に彼は振り返る。背中のケースには愛用の武器。敬愛する社長の命を完遂せんと、かつて学園の夜を彩った殺人鬼【レッドラム】は歩き出す。

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