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海の見える霊園」(2009/12/19 (土) 23:00:22) の最新版変更点

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海の見える霊園  焼き立てのパイからいい香りが立ち上っている。  四種類のチーズを使った食事タルトに鶏肉のパイ、白身魚のパイと野菜をたっぷりつかったキッシュ、薄紅色が綺麗な骨つきハムとローストビーフ。そして最後にイチゴのデザートパイ。  これでもかと並んだ料理を手早くバスケットに詰めていく姿を見て、【スカイブルー】星谷遠は目を瞬かせた。 「緋月、社長はピクニックにでもいくのか?」  ややあって、バスケットを用意する本人ではなく隣にいる友人に尋ねる。 「確かにビクトリア式のピクニックでも対応できそうな感じではあるが、違う」  隣で丁寧にキッシュを布で包んでいた【クリムゾンレッド】戦原緋月は冷静に答える。話をする間も手は休めない。 「遠、邪魔するなら帰れ。そもそも私は、緋月しか呼んでない」  だらだらと喋るだけの遠に、厨房から新たなパイをもって現れた【イノセントカルバニア】篭森珠月は、嫌そうな顔をした。彼女は遠の会社の上司ではあるが、今はプライベートなので言いつけを守る義務はない。遠はつまらなさそうな顔をした。 「だって、緋月が休みなのに社長の使いぱしりするとかいうし」 「お使いのバイトだよ。ちゃんと駄賃は払ってるもん。来週に口座に振り込んでおくね」 「すまない」 「休日にお手伝いをしてもらってるんだから、当たり前だよ」  大きなバスケット二つを机の上において珠月は言った。そして、ちらりと遠を見る。 「で、あんたは? バイトする気があるなら、手伝ってやって」 「手伝うって……このピクニックをか?」  遠はバスケットを見下ろした。何故か日持ちする料理ばかりが詰められたそれは、絶対に重たい。 「届け物。サウスヤードの葬儀屋。ジェレミア・ヴァレンティーニへ」  遠を無視して珠月は緋月に要件を告げた。聞き覚えのない名前と微妙に遠い場所に、遠は顔をしかめる。 「お前が行けよ」「分かった」  速攻で遠は否定した。だが、それにかぶせるように緋月が引き受ける。珠月は小さく笑った。 「私、あそこ苦手なの。量があるから、遠も手伝ってくれるならバイト料出すよ?」 「社長が行きたくねえような場所に行きたくねえよ」  遠は答えた。純白髑髏、東の魔女、“人類最狂”の愛娘、鬼の社長――――そんなどう見てもマイナスイメージしかないような人間が行くのを拒否し、かつ宅配便を使わないような場所になど好んでいく気はしない。 「どうせろくでもない場所だろ?」 「平気だ。ジェレミア殿は大変な人格者だ」  緋月は答えた。バスケットの片方を手に取って重さを確かめる。 「人格者なのに行きたくないのか?」  にこりと珠月は微笑んだ。深い笑みだった。背筋が冷たくなる。 「――――私にだって、良心くらいある」  意味深げに呟いて、珠月は明後日の方向を向いた。 「ちょっと待て。なんだ、その意味深な台詞!? 余計嫌だろうが!!」 「行けば分かることだ」  緋月は淡々としている。彼のなかに断るという選択肢はそもそも存在していないらしい。 「あ、緋月。もう一つ。これを烏にこっそり渡しておいて。くれぐれもジェレミアには見つからないようにね」 「了解」  珠月がさっと近付いて、緋月のジャケットの内ポケットに白い封筒を押し込んだ。あきらかな現金に、遠の表情はますます渋くなる。 「社長と葬儀屋なんて不吉な取り合わせじゃねえか」 「あら、それも行くのね」  文句を言いながらもバスケットを持ち上げた遠を見て、珠月は口の端を釣り上げた。遠は眉をしかめる。 「緋月だけにやらせるわけにはいかねえだろ」 「恩に着る」  淡々と緋月は答えた。遠は眉をしかめる。 「着るな、そんなもん」「仲のいいこと」  珠月はころころと笑った。邪気の欠片もない笑い方なのに、彼女がするとどこか裏がありそうに思えるから不思議だ。 「……遠、今失礼なこと考えたでしょ?」 「気のせいだ。ほら、緋月行こうぜ」  内心を見透かされた気がして、焦りながら遠は部屋を飛び出した。最後にちらりと振り返ると、珠月は深い笑みを浮かべて二人を見送っていた。  校内には学園や生徒が運営する電車が走っている。現代アートと時代の先をいく技術を取り込んだ奇天烈な形状の改札を抜けて、二人はサウスヤードの中でもやや西寄りの海に近い駅で降り立った。平地のほうにいくと、生徒が運営する路面電車などもあるが、この辺りまで来ると最低限の電車さえ足りないくらいになる。車かバイクで来るべきだったと遠は後悔した。 「なあ、こんな場所に葬儀屋があるのか?」 「このあたりに霊園があることは知っているだろう? そこの管理会社だ。ヴィータ葬儀社という。この学園には死体処理屋は多いが、まともに葬儀をしてくれるという点であそこはしっかりしたところだろうと思う」  緋月は答えた。ひどく淡々としているが、その言葉から彼がその葬儀屋に悪印象は持っていないことは分かる。 「でも、あの社長が懇意にしてるんだろ? 完全にまともなのか?」  『あの』という部分を強調して遠は言った。緋月は頷く。 「勿論、他の葬儀屋のように非合法な遺体の処理や現場の清掃業務もひそかに行っている」 「やっぱり……」  がっくりと遠は項垂れた。 「確かに霊園管理してるなら墓がいくつか増えても変わらねえもんな」 「いや。埋葬依頼のあった遺体以外の回収された死体は、最終的に処理され肥料になっているらしいな。この学園の土地は限りがある。死人の量を考えてもやむを得ない処置だ。だが、比較的善良なのは、そういう場合でもきちんと葬儀をしてから処理していることと、そうやってできた肥料はちゃんと自分たちで利用することだ」 「利用?」  遠は首を傾げた。だが、その意味はすぐに分かった。  歩くに従って左右に森林が増えてくる。人工的に植えられたそれらの影にあるのは墓標だ。形状も大きさも時期もまちまち。だが共通しているのはきちんと手入れされていることだ。よく見ると墓地のあちこちに花が植えられていて、それが彩りとなっている。 「あー……あの木とか花ってさ」 「眠る故人の再利用だ」  ひょっとすると今目にしている花は、珠月が返り討ちにした刺客の今の姿なのかもしれない。嫌な事実に気づいて、遠は戦慄した。 「何か……いい人なんだか悪い人なんだか」 「死者を眠らせてやりたい。だが、この学園の事情だとすべての死者を埋葬することはできない。ならば尊厳ある眠らせ方はできないか。そう考えた結果だと聞く。色々矛盾しているのは本人も自覚があるとのことだが」  整った霊園からは管理者の誠実さを感じる。確かに悪意や金目当てで事業をしているわけではないのだろう。 「難しいな」 「まあ、色々あるんだ。そういう表の仕事である葬儀を取り仕切っているのがジェレミア殿で、裏の仕事はジョンと烏がやっている」 「え? 犬と鳥が?」  遠の間抜けな返答に、緋月は頭痛をこらえるようにこめかみを押さえた。 「ジョンも烏も人名だ」 「え? だってジョンって、太郎みたいな名前見本のようなもんだろ?」 「全世界のジョンさんに土下座して謝れ、この馬鹿が」  緋月は軽く遠の頭を小突いた。遠は不満そうな顔をする。 「だって常識が通じないのがこの学園だろう?」 「ああ……だが、失礼にもほどがある。烏が聞いたら爆笑しそうだが」「烏って金包みの渡し主だよな? どんな奴?」  緋月は少し考えた。そして答える。 「予科生だ」 「この学園の生徒の大部分は予科生だ。範囲広すぎ」 「予科のくせに中々できる。将来のランカー入りの可能性は高い。まだ十三だが、抜け目のない性格だ。珠月様とはうまが合うらしい」 「将来が心配なガキだな」  緋月は否定しなかった。  そうこうしているうちに墓地が開け、奇妙に白い建物が見えてくる。近付くと入り口の門扉には『ヴィータ葬儀社』と書かれている。 「ヴィータか。イタリア語で、[life]に相当する言葉だな。命、人生、生き様、生活。中々奥深い名前だぜ」 「イタリア語、喋れたのか?」  意外そうに緋月は呟いた。現在、世界の共通語は英語である。またこの学園を運営するライザ―インダストリーが元日本系統企業であることから日本語が喋れる生徒は多い。他にも地域言語を二三個は喋れるのが学園の常識ではあるのだが、それでもあまりお勉強ができそうには見えない遠の口からイタリア語の話を聞くのは違和感がある。 「俺、語学は得意だぜ。いろんな国の言葉喋れる。読めねえけど」 「駄目じゃないか」  緋月はため息をついた。そしてすでに大きく開かれている門扉をくぐり抜ける。その先は花園で、さらに先に建物がある。 「左が礼拝堂になっている。プロテスタントの。おそらく、ジェレミア殿はそちらだろう」 「門を開けっぱなしで不用心だな」  遠はキョロキョロと周囲を見渡す。奇妙に静謐な空気は学園では珍しい部類のものだ。ちらほらと人の姿は見えるが、今日は葬儀はないのか参列者はいない。 「不用心だ。だが、あの人はそういう人だ」 「危なくねえの?」  サウスヤードは若者の経済都市である。比較的治安はましなほうだが、それでも血の気がありあまった若者の引き起こす犯罪が少なくない。 「強い用心棒がいるから、本人は平気だろう」  意味ありげに緋月は答えた。  石畳の上に影が落ちる。木々以外は遮るものがない。その先には海が見える。 「狙撃とかあったら逃げ場がねえな」 「そうだな。だが、相手のほうも身を隠すことは難しい。暗殺向きのスポットではないな」  警備会社の社員らしいことを呟いて、二人は木製の扉の前に立った。たいしたセキュリティもなさそうな扉だ。緋月がそれを押すとあっさりと扉は開く。その向こうにはイメージする教会とはやや違う、質素な空間が広がっている。遠は知らなかったが、プロテスタントの教会はシンプルなものが多い。  その奥に人がいた。こちらに背を向けているので金色の神と黒い服しか見えない。その周辺には複数の人影が見える。一瞬信者かと思ったが、そのうち一人が金髪の男性の腕を掴んでいるのを見て違うと分かる。 「ジェレミア殿」  不穏な空気に、緋月の手が武器に伸びる。遠もバスケットをおいて臨戦態勢に入った。だが、その前に正面横の小さな扉が開いて別の人影が飛び込んできた。 「はいはい、熱心なファンの皆さん、悪いけどこの人に相手してほしいなら、まず俺を通してくれよ」  軽薄な声。だが、次の瞬間には金髪の男性の腕を掴んでいた男は中に舞っていた。面白いように人間の身体が飛び、祭壇に突っ込む。金髪の男性が悲鳴を上げて、残りの男たちが臨戦態勢に入る。 「ぶっ殺す!!」  教会という空間にはおよそ似つかわしくない怒声が響いた。相手は武器を持っている。それにたいし、飛び込んできた人物は素手。遠は加勢に入ろうとしたが、緋月の腕がそれを制す。 「待て」「何だよ!?」「巻き込まれるぞ」  何が?と言おうとした瞬間、信じられないことが目の前に起きた。 「あー……ダルい、もうこれでいいか」  謎の言葉の呟きとともに、彼は近くにあった四人掛けのベンチを持ち上げた。信者が祈りにくるときに座る席である。そして、木刀か何かのようにそれを振りまわす。咄嗟に座り込んだ金髪の男性の頭上ぎりぎりを通過して、ベンチが男たちにぶち当たる。まるで漫画か何かのように華麗な軌跡を描いて三人の身体は方々に飛び立っていった。そして、他のベンチをなぎ倒して止まる。それを確認して、彼はベンチを下ろした。 「…………」「な? 巻き込まれるところだっただろう?」  思わずしげしげと二人を眺める遠に、冷静に緋月は話しかけた。物慣れた様子が、これがただの日常茶飯事だと告げてくる。 「よ、ジェレミア。無事か?」  金髪の男性に手を差しのべながら、ベンチを振りまわした彼は微笑んだ。謎の光景に凍りつく遠とは裏はらに、慣れた様子で緋月は歩みを進める。 「ジェレミア殿、また強盗か? それともストーカーか?」 「よお、緋月。久しぶり。今回はストーカーかな。ジェレミアちゃん大人気だから」  金髪のほうではなく、乱入してきたほうが答えた。近付くとかなり筋肉質なことが分かる。傭兵や軍人にありがちな空気に、遠はわずかに緊張した。いい加減で廃退的にみえて、隙がない。教会という場所にも関わらず、彼からは煙草とかすかなアルコールと香水の香りがした。遠は顔をしかめる。 「駄目人間の香りがする」 「遠、正直すぎる」  相手に聞こえないように、小声で緋月はいさめる。だが、否定はしない。 「で、こいつは?」 「ジョン」 「犬か」 「人だ」  ぼそぼそと呟いてる間に、座り込んでいた男性が顔をあげる。 「…………ありがとうございます」  座り込んでいた男性は、彼の手は借りずに楚々とした仕草で立ち上がった。品のある人だと遠は思う。金色の髪がさらさらとこぼれ落ちる。男性にしては随分と線がほそく、ゆったりした服を着ているせいで背の高い女性にも見える。人の良さが滲むような美貌で、聖職者というイメージにこれ以上合う人は早々いないだろう。遠は目を丸くした。 「すごい、正統派な美人だな」  緋月に囁くと、緋月も囁き返す。 「ああ、この学園には珍しい毒気の一切ない美形だ。貴重種だな。おかげでよく男女問わず強引に迫られて、たまに拉致されかかる」 「それはそれでどうなんだろうな」 「体力ない。すぐにへたばる」 「ああ、それはただの餌食だぜ」 「そのためのジョンと烏だ」  遠はもう一度彼を見た。次の瞬間、その楚々とした美人は両手で聖書を握りしめると、それを軍人系の男に向かって振り下ろした。いい音がした。軍人は頭を押さえる。 「――――っ、助けてやった俺にこの仕打ち!?」 「なんてことをするんですか!? あれほど教会の備品を壊さないでくださいと言っているでしょう!? 祭壇も椅子も滅茶苦茶です!!」  顔に似合わない過激な行動に、三度遠は動きを止める。  ジョンは、慌ててジェレミアと呼んだ男性から距離をとりつつ弁解する。 「いや、俺はジェレミアが襲われてたから助けようとだな」 「ジョン! あなたならもっとおとなしい解決方法があるでしょう!?」  拳を握りしめて、金髪――ジェレミアは叫んだ。軍人――ジョンは降参とばかりに両手をあげる。だが、繰り出される聖書の打撃は最初以外すべて避ける。ジェレミアが学園の生徒にしてはとろいのを抜きにしてもかなりの反射神経だ。へらへらと笑いながら、すべて避ける。 「あー、悪い悪い。ほら、お姫様のピンチに頭に血が上ってな。あれだ。『かっとなってやった。今は反省している』ってやつだ」 「犯罪者の台詞じゃないですか!!」  まるで教師か保護者のようにカンカンになって怒るジェレミア。のらりくらりと追及をかわそうとするジョン。完全に置いてきぼりになった緋月と遠は静かに沈黙した。 「だいたいわたしは男です! 体力はそりゃあ少しばかり足りないかもしれませんが、あなたがそんなことしなくても大丈夫です!!」  ジョンは無言で自分よりやや低いジェレミアの頭部に手をおいた。 「月に一度は強盗に遭うか、横恋慕した奴に襲われる奴の台詞じゃねえな」 「わたしのせいではありません!!」  ジェレミアは言い切った。あまりにも適当な言い分に、一瞬ジョンは黙る。そしてため息をついた。 「毎度懲りずにモンスターにさらわれる姫の心理状態もそんな感じだと思うぜ」 「姫じゃありません! 人の話を聞きなさい!」 「いや、これだけ美人なら姫でいいよ。ほんと、惜しいよな。女だったらかっさらっても嫁にしたい美形なのに」 「ジョン!!」  ジェレミアの白い頬に朱が混じる。もう一度、ジェレミアは聖書を構え直した。だが、すでに息切れしていて絶対に当たらないことが軽く推測できる。 「殴りますよ?」 「すでに聖書振りあげてるやつが言うな。しかも当たらな」  台詞は途中で途切れた。凄まじい勢いで飛来した謎の飛行物体がジョンの後頭部を直撃する。 「…………当たりましたね。烏、おかえりなさい」 「俺には厳しいぜ、烏ちゃん」  殺意がないためまったく気づかなかった攻撃に緋月と遠が振り向くと、いつの間に現れたのかベンチの一つの上に少年が仁王立ちになっていた。  ジェレミアとジョンが二十歳前後に見えるのに比べ、こちらは随分と若い。まだ十代になったばかりだろう。長めのオカッパとつり上がった瞳が特徴的だ。彼も中々端正な顔立ちをしている。短パンに素足でアーミーブーツという奇妙な出で立ちで、ショルダーバックを肩からかけている。はみ出しているノートPCや大量の書籍が勉学に励む予科生であることを示していた。 「六万八千」  唐突に少年は言った。ジェレミアは天を仰ぎ、ジョンは『案外安いな』と呟く。意味が分からない遠と緋月は、互いに顔を見合わせた。少年はベンチから飛び降りると歩き出す。 「やすい? キミがそういうならそうかもね。でも今までの破損分天引きすると、今月もキミの給料消えるけどね」 「申し訳ありませんでした。大目に見てください」 「嫌だね」  順当にみて彼が烏だろうと遠は辺りをつける。そのとき、振り返った少年と目があった。途端に、少年はにこりと笑う。 「お客様をお待たせしてごめんなさい。ボクは烏。よろしく。緋月は久しぶり」 「ああ。こっちは同僚の星谷遠だ。お使いの手伝いに来てもらった」  緋月が遠を紹介した。気を取り直したように、ジェレミアとジョンもこちらに向き直る。 「おやおや。見苦しいところをお見せしました。当社、ヴィータ葬儀社の代表を務めておりますジェレミア・ヴァレンティーニと申します。こちらは社員のジョン・ドゥと黒羽烏です」  ふわりと彼は微笑んだ。穏やかさと善良さが滲むような笑みに、つられて遠も笑顔になる。だが、次の瞬間、そこに割り込むようにダメ軍人っぽいジョンのほうが前に出る。 「ジョンだ。よろしくな」 「ジョン・ドゥ(名無しの権兵衛)?」  あきらかな偽名に、遠は怪訝そうな顔をする。だが、説明の言葉はかえってこない。 「ああ、ジョンだ」  にやにや笑いながら、彼は手を差し出した。一瞬警戒したが、すぐに遠もその手を取る。だが、五秒で離した。 「よろしく」 「黒い魔女さんは元気か?」  にやにや笑いながら、ジョンは問いかける。彼女になにかあるなんて可能性は信じていない顔だ。緋月は無表情で答える。 「珠月様のことなら、いつも通り。中々こちらに来られなくてすまないと。ジェレミアにはこれを」  緋月はそう言ってバスケットを渡した。一つ受け取ってその重さにジェレミアはよろめく。 「どうも。いつもありがとう御座いますとお伝えください。毎回お礼をしたいと思うのですが、中々お会いする機会がなく」 「珠月様も多忙だから、気にしなくて良いと言っていた。それに烏にいつも世話になっているからと」 「そうですか。こちらこそ、烏が御世話になって」  そう言いながらもジェレミアはふらふらしている。本気で体力も腕力もない。遠は自分の手の中にある二つ目のバスケットに視線を落した。これを渡せばきっと倒れてしまうだろう。どうしたものか。だが、遠が口に出すより前にジョンがそれを受け取る。 「ありがとよ。魔女さんはいっつも美味い物をくれるからうちの社員は喜んでるぜ」 「中々ご本人が遊びに来ていただけないのが残念ですが。祈りはきらいだと言って。信仰抜きで遊びに来てもらえればいいんですけれどね。うちは別に異教徒立ち入り禁止でも御座いませんし」  憂いの表情でジェレミアは小首を傾げた。丁度いいタイミングで雲が途切れ、差し込んだ光が教会の硝子を通して礼拝堂を照らし出す。金色の髪が日を反射して羽のように見えて、遠は思わず感心した。実に神々しい。 「……珠月様には無理だろう」  ぼそりと呟かれた声は遠にだけ聞こえた。遠はそっと囁く。 「無理なのか?」 「珠月様はここにくると浄化されそうで嫌らしい」「悪魔かよ」  遠は思わず突っ込んだ。緋月は苦笑する。 「仕方がない。あの人は東の魔女だから」「個人的には東の愉快犯にしか見えねえけどな」「口がすぎるぞ」  だが、理屈は分かる。ジェレミアという人物はあ邪気がない故に、なんとなく対面していると申し訳ない気分になってくるのだ。 「それでお使い……」 「縁は繋げておきたいからな」  そんな会話になどまったく気づかない様子で、にこにことジェレミアは微笑んでいる。 「よろしければお茶でもいかがでしょうか? 篭森さんほどのものはお出しできませんが」 「ありがとう御座います」 「では、こちらへ」  先頭に立ってジェレミアが歩き出す。彼の死角に入った瞬間、緋月はそっと封筒を烏に渡した。烏も当たり前のようにそれを受け取る。 「珠月様より」 「お、ありがと。珠月のお姉ちゃんって本当、こういうところ大好き」  心底嬉しそうに烏は封筒を受け取った。あまりにも子供らしくない笑みに、遠は顔をしかめる。 「ほの暗い」 「えー、でも代わりに僕はお姉ちゃんの深夜や早朝の呼び出しに答えてるんだよ? あの人、殺人鬼でもないくせに死体を量産しすぎだと思うんだ。心付けくらいもらわないと。いいよね、あのお姉ちゃん。話が分かる人で」 「社長と話が合うお前の将来が心配だ」  珠月の忠実な部下である緋月も、今の遠の台詞は否定しなかった。代わりに明後日の方向をむいて聞こえなかったふりをする。 「お金は良いよ。何でも買えるしためておくこともできるし。使ってもためても素敵なんて最高だよ。でも死んだら持っていけないのが残念だよね」 「残念なのはお前の思考回路だ」  遠は答えた。だが、烏は気にした様子もない。 「珠月さんもお金は大事だってことにはすごく同意してくれたよ? お金は大事だよ?」 「まあ、金は大事だが人生他にも大事なものはあるだろう」  珍しくまともなことを言ったつもりなのに、烏は同意しかねるとばかりに頬を膨らませた。 「でもお金でだいたいのことは解決できちゃうよ? 場合によっては命だってお金でどうにかなっちゃうのが人生だよ」 「お前、社長とどんな会話をしてるんだよ……」  本気で子どもの将来が心配になって、遠は呟いた。烏はにやりと笑う。 「いいよね、あの人。いいとこのお嬢のくせに妙にすれてて、割と寛容だし、偉そうだし、いい香りがする」 「いい香り? 香水か?」  遠は首を傾げた。珠月は仕事中以外は薄く香水をつけている。だが、烏は笑って首を横に振った。 「ううん。いい香りっていうのは金のにおい」 「お前、本当に最低だな」 「遠」  しずかに緋月が窘める。 「大人気ない」 「いや、こいつも十分に子ども気ないぞ?」 「失礼だな。ボクは十分にかわいらしい子どもだよ」  烏は自分で断言した。自分で言ってしまうあたりがすでに子どもらしさの欠片もない。 「それにお金が好きでなにが悪いのさ。お金があったら色々なことができるんだよ? 場合によっては命だってお金で買えるんだ。珠月さんはその辺いいよね。命の売買に躊躇いがないし、手段を選ばない。何より偉そうにふんぞり返るのが自然ってすごいと思うんだ」 「お前、一切褒めてねえぞ? 怒られるぞ?」  珠月の怖さを知っている遠は青ざめた。だが、さらに珠月の本性を知っているはずの緋月は妙に落ち着いている。 「まあ、一理はある」 「緋月、認めるな」 「いやいや、すごいことだよ? だって考えてもみなよ。その辺の往来で通行人が誰かを蹴りとばしたら、みんなすごい嫌な気分になるだろ? でも珠月さんとか空多川さんとかが誰かを蹴りとばしたら、みんな『いつも通り』か『格好いい』って思うと思うんだ。人徳だよね。ああいう風になってこそだよ、人間」 「やっぱ、お前の将来不安だよ、俺」  健全な青少年が憧れるべき対象としては激しく間違っている。 「えー、ジェレミアや馬鹿ジョンみたいになったほうが困るじゃん。ジェレミアは自分に必要な分まで人に譲っちゃう性格だから、ボクがしっかりお金管理しないとあっという間にこの会社潰れちゃうよ。それにジョンはアレだし」 「…………お前には、五十歩百歩って言葉を贈ってやるよ」 「それって間には確実に五十歩の差があるってことだよね?」 「違えよ」  コントのような会話を続ける一行の前方では、説教が始まっていた。 「ですから、もっと周囲に配慮してきちんとした武器を使えばものは壊れないはずです。貴方がいつもお金に困っているのは使い方を間違えているからですよ? ジョン、聞いていますか?」 「聞いてる聞いてる。それは美味そうだ」 「何も聞いてないじゃないですか!!」 「怒るなって、せっかくのいつまでも見とれていたくなる美貌が台無しだぜ」 「顎を掴まないでください。腰に手を回すのもやめてください」 「いやぁ、美人美人。男なのがマジで惜しい」 「聞け」  だが、説教になりきっていない。馴れ馴れしく肩に手をまわしてじゃれつくジョンはどこまでも余裕で、それに対してジェレミアは真っ赤になって怒っている。微妙な力関係が透けて見えて、遠は複雑な気分になった。 「もう、いい加減にしなよ、ジョン。しつこい男は嫌われるよ。ジェレミアも、そいつにはその程度じゃ効かないよ。もっと折るとか砕くとかしないと」  不吉な言葉にジョンの顔が引きつる。 「折る? 砕く? 何を!? 何で俺にはそんなに容赦ないんだ?」 「やだなぁ、そんなの決まってるじゃないか」  早足で前方二人に追いついた烏はにやりと笑った。子どもらしい邪気のない笑みが顔全体に広がる。 「嫌いだからだよ」 「いい笑顔でなんという鬼畜発言……」 「死ね、変態」  烏はますます笑みを深くした。この年頃の子ども特有の中性的な魅力を湛えた笑みは、それだけなら天使のように美しい。だが、吐きだす言葉は辛辣だ。ジョンはため息をついた。 「それが同僚に向ける言葉か? 俺は野郎に罵られて喜ぶ趣味はねえぞ」 「気の置けない仲間だからこそ、本音をあますことなく伝えるんだよ」 「親しき仲にも礼儀ありだぜ」「そうですね」  にこりとジェレミアが笑った。だが、目が笑っていない。 「では、ジョン。あとで早速礼儀のなんたるかについて解説して差し上げます」 「あはは、墓穴」  嬉しくてたまらない様子で烏は跳び跳ねる。仕草だけは年相応に可愛らしいが、発言は全然可愛くない。だが、ジョンはにやりと笑い返した。 「いやぁ、ジェレミアが二人っきりでみっちりお説教してくれるのかぁ。嬉しいな」 「殴りますよ?」「死ねばいいのに」  ジェレミアが聖書を振りかざし、烏がショルダーバックを振りまわす。だが、ジョンはどちらも笑いながら避けた。 「…………仲よしだな」  ある種、ほほえましいとすら言える光景を眺めて遠は呟いた。 「なんだっけああいう関係。えーと、三すくみじゃなくて……」「すくんでどうする」  冷静に緋月が突っ込みを入れる。遠は首を傾げた。 「…………トライアングラー?」 「それでは意味が違う。遠、もっと語彙を増やせ」 「じゃあ、あれは一言で言うと何になるんだ? あの絶妙な力関係」  緋月は無言で三人を眺めた。少し考え込む。 「腐れ縁?」 「お前の評価もわりと散々じゃねえか」  ちらほらと社員らしい喪服姿の人影が通り過ぎるが、慣れているのか軽く会釈をするだけで誰もぎゃあぎゃあ騒ぐ三人を止めようとはしない。今こっそり遠と緋月が立ち去ったとしても三人はしばらく気づかないだろうと、遠は思った。  お茶を御馳走になり、引きとめるジェレミアに礼を言って辞してからしばらく。墓地を抜けたところで、遠は大きく息を吐きだした。 「どうした? 疲れたか?」 「いや、世界が大分違うんだなと思い知ってさ。あーゆー人もいるよな、そりゃあ」  遠は空を仰いだ。 「建物があちこち傷んでるんだよ。あまり良くない素材でできてるから。でもすげえ丁寧に手入れされてるの。あと、茶葉がすごい安物でさ、陶器もその辺で売ってるような大量生産品なの。それを大事に使ってるじゃん」 「そうだな」 「うちのオフィスって最先端機器を惜しげもなく使ってるし、客用食器とかどっかの窯で焼いたような一品だろ? 会長の器とかアンティークだし、社長の茶器っていくらするんだよって話じゃん。いや、分かるよ? 名前に箔をつけるためにはいいもの使って威圧する必要があるっていうの。でもなんかさぁ……」  がっくりと遠は項垂れる。 「変な人たちだ……」 「仕方がない。立場上、俺たちの周囲にいるのは学園の裕福層がほとんどだ。中流階級かつボランティア活動に熱心な団体なんて見慣れてないだろ。違和感を覚えるのは当然のことだ」 「ボランティア……」  遠は微妙な顔をした。 「ぶっちゃけ、ボランティアっていうのもしっくりこねえんだけど。奴らを見てると」 「まあそうだな」  緋月はあっさりと同意した。 「実際のところ、あのタイプが全然違う三人組が頭だからこそ、危ういバランスで組織関係が成り立っているんだろうな。ジェレミア殿だけでは経理が回らず、烏では求心力が足りず、ジョンでは組織が成り立たない」 「おい、一人だけ評価が酷いぞ」 「だが、ジェレミア殿がいれば人が集まり、烏がいるから経済的に安定し、ジョンの存在が組織を守る。なるほど、ものは使いようだ」  遠の突っ込みを緋月は華麗に無視した。 「んー、でも他もそうだろ? うちがって会長が真面目に表の看板背負って頑張って社長が不真面目に裏で手回ししてるし、北はトップがカリスマ性の塊で実質的な細々したことはそれぞれの幹部がやってるし、渡り鳥だって――――」 「人間って本当に社会的な生き物だな。まあ、幹部が全員男性という組織は珍しいが、あれはあ」  非常に中途半端なところで緋月の台詞は途切れた。代わりに大きなため息が緋月の口からこぼれ落ちる。その視線を追って、遠も顔を引きつらせた。 「やっぱり、生がいいわぁ。三次元萌え!!」  木の上に女がいた。両手でオペラグラスを握りしめ、あまり聞きたくもない台詞を一人でぶつぶつと呟いている。完全にこちらには気づいていない。 「…………弓納持有華……東区のやつが何でここに……」 「あれに関しては所在の意味を尋ねるなど愚問だろう」  ブラックシープ商会広報部所属、弓納持有華。世界的に評価の高いプロデューサーであるが、中身は真正腐女子。つまり、男同士の恋愛に萌える困った女である。しかも彼女の場合身近にいる男性同士を勝手に脳内でカップルに認定し、それを元に同人誌を書くという学園男性陣にとって非常に迷惑な存在である。 「ああ、なんというトライアングラー。ジョン×ジェレミアが王道だと思うけど、やっぱり私はジェレミア×ジョン推奨! 聖職者という身分でありながら生まれる禁断の思い。けれど、相手は女好きで軽い男。抑圧された思いはやがて……きゃああああ!!」  有華は嬉しそうな悲鳴を上げてばたばたと暴れた。木の枝が大きく揺れて、鳥たちが逃げ惑う。きっと自分の妄想に自分で感激しているのだろう。  げんなりした顔で、遠は天を仰いだ。 「ああ……そりゃあ、仲のいい男が三人いれば……餌食だよな」 「ああ、考える間でもないな」  すぐ近くでかわされる会話も有華の耳には届いていない。まるでこの世には自分しか存在しないとばかりの態度で、有華は目をキラキラさせて妄言を続ける。 「烏×ジェレミア、鬼畜ショタ攻めも個人的には美味しい。幼いころから兄と慕っていたジェレミアへの下剋上。いや待て。それよりも――――きゃあ、ジェレミアってば両手に花! ああ、もうどうしよう」 「どうしようもねえのはお前の頭だ」  ぼそりと緋月は呟いた。そこでやっと自分以外の人間の存在に気づいたのか、有華の動きが止まる。ゆっくりとぎこちない動きで有華は振り向いた。そして、 「ぐはぁ!!」  謎の叫びをあげて鼻を押さえた。本能的に二人は後ずさって距離を取る。 「……も」「も?」  鼻を押さえたまま、有華は枝の上で勢いよく立ちあがった。 「萌えがネギ背負ってやってきた!!」  意味が分からない。静かに二人は有華から距離を置く。 「この不器用無愛想受けと天然わんこ受けめ!! 受け同士でホモ百合をやれというの!?」 「お前の言っていることが分子の大きさほども理解できねえし、理解したくもねえよ!」  だが、とても嫌なことを言われているのは分かる。 「古屋敷に言いつけるぞ!?」 「ふふふ、権力や暴力に屈するようでは真のエンターテイメントは生まれないのよ!!」  誰も求めていない。遠と緋月は顔を見合わせて疲れたため息をついた。それをどう受け取ったのか、勝ち誇った顔で有華は木の上でふんぞり返る。と、次の瞬間不自然に木が揺れて有華は枝から転げ落ちた。だが、そこは学園の生徒らしく見事に着地を決める。 「ふふ、着地成功」 「それはおめでとう御座います」  空気が凍った。とっくに『それ』の気配に気づいていた遠と緋月はほっとした顔をするが、有華の表情は引きつる。 「あう……ええっと……古屋敷さん?」 「仕事をさぼって何をしている、この腐れ」  そこには仁王立ちの有華の上司がいた。手には細い棒のようなものを持っている。 「警策だな」 「なんだ、それ?」 「禅宗で修行に使う棒だ。座禅に集中できていない修行者を軽く叩いて諭すための棒」 「煩悩を払うってことか?」 「それもあるだろうな」「無理だろ、あれは」  緋月は否定しなかった。  警策をゆっくりと上段に構えて、にこりと古屋敷は微笑む。 「煩悩を少し払って差し上げましょう」 「ちょ、いらない! いらないから!! ごめん、仕事さぼってハアハアしててごめんなさい!!」「死んでこい」  死者の眠る静かな丘に、生者のあわただしい悲鳴が響き渡った。 おわり

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