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夫婦茶碗と同居人  町家というものはもともと店家と書き、店舗と住居が一体化したものだ。おもに京都の商家にみられたという。  だが黄道暦現在、そんなものは博物館の中くらいにしか残っていない。代わりにここトランキライザーイーストヤードではその復刻版が日本風の街並みに彩りを添えている。狭い戸口や格子戸など一般的にイメージしやすい町家もあれば、仕舞屋や掘付などとよばれる商家部分のない町家も混在している。外見こそ当時を忠実に表現してあるが、見えないところではインターネット回線や電気が通っているし、トイレは水洗式、台所もシステムキッチンになっていたりする。けれども雅な外観はそれだけで心が和む。  石畳の道をゆるりと歩く人影がある。西洋人形のような出で立ちの少女だ。レースが垂れ下がる豪華な日傘に、烏のように黒い髪。少女趣味を全面に押し出したような洋服は、和風の町とあまりにも合わない。  革靴が石畳を蹴る。だが音はしない。ひどく気取った仕草の少女を見て、すれ違った住人が振り返り、慌てて見なかったふりをした。 「――――相変わらず、町家のくせに生活感がないことだね」  しばらく歩いて、その人物は一件の町家の前で足を止めた。総二階と呼ばれる二階建てで二階の窓にガラスと格子を採用した作りは、明治から大正にかけて流行した町家のスタイルだ。少女は家の前に立つと、目立たないように木でできているインターフォンを押した。涼やかな鈴の音が響き、ややあって格子戸が開く。奇妙に落ち着いた青年と、くせ毛が動物の耳のように跳ねた青年が出迎える。 「ようこそ、珠月様」  にこりともせずに片方が言った。珠月――篭森珠月は気にせずに手に持った包みを差し出す。 「こんにちは、緋月に遠。今日は夕飯御馳走になります。これ、お土産」 「ありがとうございます。でも、珠月様にはたびたび夕食に招いてもらっているのだから、気にしなくてもよかったのに」 「気持ちよ、気持ち」  緋月――戦原緋月は慇懃に手土産を受け取る。対象的に後ろの星谷遠は、大きく身を乗り出した。 「中身何だ?」 「抹茶のババロアと黒ゴマプリン、黒蜜カステラ、九条ネギの飴よ」 「プリン!?」「食後にいただきます」  今にも土産の袋をもぎ取りそうな遠から、さりげなく袋を遠ざけつつ緋月は言った。がくりと遠が項垂れる。珠月は苦笑した。 「相変わらずねぇ。じゃ、お邪魔します」  中に入ると町家は気温が変わる。一般的な家宅と違い玄関に当たるものはない。代わりに通り庭と呼ばれる細長い土間が続いており、ここが廊下になる。そこに面して並んでいるのが部屋だ。一番表に近いのが『見店』で、ここは商売を行うところである。商家ではない二人は、ここを応接間にしている。次にあるのが『中の間』あるいは『玄関』と呼ばれる部屋。本来はここに客が通されるのだが、半分身内に近い珠月はさらに奥に進む。ちなみに何か用事があって人が止まる場合、この家では中の間で寝かせていたりする。  奥の間から先が本来ならプライベートスペースになる領域だ。 「いい香りがする。お味噌汁?」 「蕪の味噌汁です」  キッチンに当たる部分は走り庭と呼ばれる、通り庭の奥の部分にある。本来はかまどがあるものだが、流石にシステムキッチンになっている。土間に見える部分も、土の形状を残した特殊タイルで、学内で開発された建築素材だ。見えないところではセキュリティシステムだって作動しているのだろう。  そしてキッチンに面するようにある『台所』と呼ばれる部屋が、食堂兼団欒空間になる。この家の場合はなぜかそこに掘りごたつが用意されている。理由は、町家に住みたがったくせに遠が正座を拒んだからだ。  ちなみにさらに奥に行くと『奥の間』と呼ばれる主人の部屋、風呂屋洗面所手洗い、そして坪庭と倉がある。倉は完全にウォークインクローゼットになっているようだが、珠月は入ったことがない。ちなみに二階は二人の私室だという。縁側もあり、夏は花火をしたりする。流石に現代らしく縁側にはガラス戸や雨戸が付いているし、土間と庭の間にはかぎ付きの扉がある。あちこちに鍵がかかる部屋だってある。それでもプライバシーからは遠い作りだと思う。 「…………彼女できないよ?」 「唐突だな」 「不吉な予言するんじゃねえよ」  珠月の言葉に緋月は不思議そうな顔をし、遠は嫌そうな顔をした。あえて説明はせず、珠月はさっさと靴を脱いで台所に上がる。 「わーい、緋月のご飯久しぶり」 「楽しみにしてもらって悪いが、だいたい普通だ」 「普通が一番。ここ最近、パーティと会食が多くてさ。美味しくてもうんざりするよね」  うきうきした表情で珠月は当然のように上座に座る。  本格的な和食では女性が下座にいるものだが、内輪のあつまりでそこまで気にする人間はまずいない。ついでにイギリスはレディファーストの国なので、常に女性が優先だったりするがそれもまた関係ない。上座にいるのは、単に珠月の人格で故である。 「今日のメニューはなに?」 「蕪の味噌汁、キュウリと白菜の浅漬け、鮭とイクラの親子炊き込みご飯、小松菜と油揚げの煮びたし、エビときのこの炒め物」  すらすらと緋月が答える。この家の家事全般は彼の仕事だ。 「わー、美味しそう。あれ? でもこれに肉を与えなくていいの?」  遠を指差して不思議そうに珠月は首を傾げた。遠は現代っ子らしく、肉好きのジャンクフード好きである。彼のいる食事で肉がないことは珍しい。こくりと緋月は頷く。 「昼間に……昼間から焼き肉食い放題の店に入っていくのを正午に見かけて、これ以上肉は必要なかろうと」「なんで同居人の栄養管理までしてるのかしらね、この子は」  やれやれと珠月は天を仰いだ。梁を生かした町家は、天井すら美しい。流石に電気が通っているが、伝統も町家の風情を壊さない、木と和紙でできた独特のものだ。  珠月と遠が座っている間に、緋月はてきぱきと料理を運び、箸や皿を並べる。箸置きが動物の形をしているのに気付いて、珠月は頬を緩ませた。珠月は猫、遠は犬、緋月はうさぎだ。彼らの仕事中の風景しか見たことがない人間がこんな様子を見たら、速攻で眼科か脳外科に駆け込むに違いない。  心の中で笑いながら、おひつと茶碗を持って現れた緋月を見て、珠月は動きを止めた。 「…………」  客を招いての夕食では、礼儀として家人も客と同じ客用食器を使う。日常で使う食器を見せるのは失礼だからだ。だが、よく遊びにくる珠月の場合は普通に普段使いの使いなれた食器が出てくる。それはいい。それはよく知っている。だが、その茶碗は珠月が前に来た時に見たものとは違っていた。 「…………茶碗変えたの?」  色々突っ込みたいところはあったが、ぐっとこらえて慎重に珠月は尋ねた。藍色に桜の花びらが散っている客用茶碗に炊き込みご飯を盛りながら、緋月は頷く。 「前のは遠が割った」 「落しちゃったの?」  ご飯茶わんを受け取りながら珠月は尋ねた。肝心なところが抜けている遠は、よくうっかりものを壊す。だが、緋月は首を横に振った。 「紙飛行機を飛ばしていて、それを捕まえようとして食器棚に激突した。そのとき、たまたま食器棚の戸が空いていて」「はいはい、お馬鹿な理由なのは分かったよ」  できの悪い教え子を見る目で、珠月は遠を見た。遠は頬を膨らませる。 「だって町家ってせまいんだぜ!? 棚くらいぶつかる」 「漫画の影響受けて『町家格好いい!!』とか言って無理やり住居を町家にしたのはお前だ。緋月はマンションに住みたがっていたのに」 「いいんだ、珠月様」  茶碗にごはんを盛りながら緋月は言った。 「マンションを選んだのは攻めにくく守りやすい構造だからで、この家も町家に見えて耐火と耐震はしっかりしてるし、セキュリティも問題ない。梁を使った立体移動も可能だし、悪くない」  色々と家選びの基準が間違っている。珠月は頭を抱えた。 「緋月……遠をかばい続けなくてもいいんだよ?」 「別に。俺にこだわりがないだけだ」  小さな音を立てて茶碗が並べられる。珠月はこめかみに手を当てた。頭痛がする。 「こだわりがないのはいい。けどね、その茶碗……」 「セットで売ってたんだ。いいだろ?」  けろりとした顔で遠は言った。そわそわしていてすぐにでも食べ始めたいのが目に見えている。その前には藍色の大きな茶わんがある。そして対になるようなやや小ぶりの赤い茶碗が緋月の前に置かれている。 「なぜ、その茶碗?」 「え? だって俺は【スカイブルー】だし、緋月は【クリムゾンレッド】だろう? 青と赤でぴったりだと思って」  悪意など欠片もない顔で遠は笑った。分かっていない。珠月は頭痛がひどくなるのを感じる。 「その茶碗、なんていうか知ってる?」 「え? なんとか焼みたいな高い奴なのか?」 「いや、普通の大量生産品だけど……そういう大きさの違う対の茶碗はね、『夫婦茶碗』っていって夫婦が使うものなの。大きいのが男性、小さいのが女性用ね。日系のくせにそんなことも知らないの?」  遠は口をあけたまま凍りついた。本当に知らなかったらしい。珠月は緋月を振りかえった。黙々とお茶を入れている。 「緋月は当然知ってたよね?」 「無論。だが、さほど気にすることでもないだろう。セット商品は安いし、そもそも誰かが見るものでもない」 「いや、私が見てるよ? 普通に見てるよ」  珠月はため息をついた。遠の馬鹿さと緋月の無関心さは、上司としてたまに心配になる。  これで話は終わりとばかりに、珠月以外の二人は手を合わせて食べ始める。夫婦茶碗の一件は無視することに決めたらしい。珠月も箸を取って食べ始めた。 「――――美味しい」  だが、茶碗が気になって集中できない。 「あのさ、見てるのが私だからいいけど、某広報部女性に見られたりしたら翌日には学園中に噂が広まってるよ?」 「大した問題ではない」「いや、割と大した問題だよ」  彼女ができなくなるという意味で。 「弓印の同人誌が出回っても知らないよ?」  ブラックシープ商会広報部に所属する弓納持有華は、学園でもっとも有名な腐女子である。腐女子とは男同士の恋愛物語に萌える女性のことで、特に弓納持は実在する生徒や先生をモデルに書いたBL漫画や小説で有名だったりする。 「――――手遅れだ」 「マジで!?」  珠月はお茶を吐きだしそうになった。緋月は淡々としている。遠は多分意味が分かっていない。 「まあ、基本的にランカーになったことがあるすべての男は餌食だから、驚くべきことではあるまい」 「そんなにあるの!?」  珠月は驚愕した。珠月の情報網は細かいが、そんな部分までは伸びていない。こくりと緋月は頷いた。 「人間の発想力というのはすごいものだな」 「感心してる場合じゃないし、なんでそんなこと知ってるの?」 「珠月様と同じことを調べても仕方ないと思い、珠月様が関知しない情報を中心に情報網を張っているから」  私のせいなのだろうか。珠月は一瞬だけ本気で悩んだ。 「……とりあえず夫婦茶碗はやめようよ。私が新しいの買ってあげるし。清水焼なんてどうかな?」  気を取り直して、味噌汁に口をつけながら珠月は言った。緋月は軽く首を振る。 「平気だ。次に壊れたらお願いする」 「いや、そういうものを大事に精神の問題じゃなくてさ。ほら、その茶碗は副菜盛るのに使うとか色々扱い道はあるし」 「これでいい」  もう一度緋月は首を横に振った。珠月はため息をつく。 「あのね、だからそれは夫婦茶碗でさ」「珠月様が変えろというなら変える。けれど、そうでないならこれがいい」  きっぱりと緋月は言った。珠月は胡乱な視線を向ける。 「まさか、気に入ってるの?」 「珠月様」  諭すように緋月は言った。 「遠が悩んで選んできたものだ。それを簡単に買い替えるなんて、失礼だろう」  真っ当だった。非のうちどころもなく真っ当だった。珠月はがっくりとうなだれる。 「いい子……本当にいい子に育ったね。緋月」 「? お褒めに預かりまして」  あまり褒めていない。 「そう……それでいいの? 夫婦茶碗で? それにここの客用食器は結構いいものなのに、普段使いはそんな大量生産品で……器だって料理の一部なんだよ? 見栄えが違えば食欲だって変わるのに」 「こだわるなぁ、社長。緋月は良いって言ってるぜ?」 「お前はもう少し悩め、駄犬」  ぼそりと珠月は呟いた。普通の人間では聞こえない程度の呟きだが、狼のトランスジェニックである遠にははっきりと聞き取れる声量だ。 「え? なんだよ、その言い方!!」 「珠月様」  茶碗とおくと緋月は片手を伸ばした。そして自分より年下で小柄な主の頭を撫でる。 「心配してくれてありがとう。だが、平気だ。俺は気にしていないし、遠も気にしていない。遠が選んだものなら、相棒である俺は喜んで使うべきだろうと思う。いい茶碗を贈ってくれるというのは嬉しいが、それはまた次の機会。もし、今のものが使えなくなったラ送ってくれればいい」  珠月は緋月を見上げた。そして、最後に心の底から染みでるようなため息をつく。 「もういい。この熟年夫婦め」 「? 同居人だが」 「一々反応しなくてよろしい。もういい、食べてやる」  無言で珠月は食べ始めた。機嫌が悪いことは分かるがなぜ機嫌が悪いのか分からず、緋月はうろたえる。遠は機嫌の悪さにそもそも気づいていない。 「はあ、美味い! 緋月、おかわり」 「あ……ああ」  珠月のほうを窺いながら緋月は茶碗に炊き込みご飯を乗せて返す。  びくびくしながら窺ってくるくらいなら、初めから黙って茶碗を変えればいいのに。珠月は内心呆れかえった。それでも前言撤回しないのはまあ、きっといいことなのだろう。昔に比べればずっと丸くなったし、自分で考えて行動するようになった。いい傾向だ。だが、 「――――――あんたら、結婚できないよ」 「また何だ一体?」 「さっきから不吉な予言してるんじゃねえよ!!」  自覚がないところが結婚できない一番の理由だよ。珠月は言いかけたがやめた。そして声にならなかった言葉を炊き込みご飯と一緒に深く飲み込んだ。 終わり

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