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Fast contact 朝霧沙鳥&篭森珠月 「~~~~~~~♪」  通りを大声で鼻歌を歌いながら歩く少女と無表情でそれにつき従う少年という妙な光景に、時折すぎる通行人は例外なく足を止めてあるいは振り向いて二人を見やる。けれど、注目を集めている本人たちはまったく気にしていない。 「~~♪ って……あれ? さっきもこの道通った気がするよ」 「沙鳥………………また、迷った」 「そっかぁ。おかしいと思ったんだ。一時間も歩いてるのに家に着かないなんて」  もっと早く気付けと突っ込んでくれる連中はここにはいない。心の中で会話に突っ込みをいれた通行人は無数にいたが、二人の服装を見て口をつぐむ。  まっ白な軍服と姫君という言葉が似合いそうな白いドレス。顔を知らなくても、それだけで二人が何者か分かる。  世界最大級の小中企業の共同体であるレイヴンズワンダーのクイーン【ゴッドアイドル(神の偶像)】朝霧沙鳥とその従者【スクーロビナーリオ(機械仕掛けの影法師)】覇月丈之助。  童女のような無垢な笑みを浮かべる沙鳥。対して、横に控える丈之助の表情はどこか焦点があいまいで茫洋としているようにみえる。その気になれば簡単に倒せそうな二人組だが、この学園の生徒であるなら誰もがこの二人こそ学園でもっとも倒すのが難しい人間の部類に入ると知っている。だから、あえて手は出さないし無駄に関わることもしない。 「ここはどこかな?」 「さあ……?」  世界に名を轟かせる小女王とその番犬とは思えない間の抜けた会話が交わされる。だが、やはり誰も突っ込みは入れず、道を教えようにもどこに向かっているのか本人たちが把握しているかすら怪しいため、訂正できる人間はいない。  二人は顔を見合わせると、ややあって適当な方向に歩きだした。 「きっとこっちだよ。違ったらそれはその時。家に着かなくても、美味しいお菓子屋さんとか可愛い雑貨屋さんとか素敵な服屋さんとか見つけたことあるしね。何故か次はたどり着けなかったけど」 「沙鳥がいいなら……俺はいい」 「うん。きっとなにかあると思うよ。それに新しいお友達ができるかもしれないしね。さっちゃんね、友達作るのうまいんだよ」 「知ってる……」 「陽狩君とか夏羽君とかもこうやって迷ってる時にあったもんね」  校内を代表する殺人鬼の名前を出して、嬉しそうに沙鳥は言う。普通は出会ってしまった時点で死んでいる。 「あ、珠月ちゃんもそうだ。こうやって、迷った時に会ったんだよ。覚えてる?」 「……そうだったか?」 「そうだよ。あのね、さっちゃんがケーキ屋さんに行こうとしてて……」  黄道暦47年。当時、やっと十代になったばかりでまだ予科にいた沙鳥は道に迷っていた。 「……ここ、どこかな?」 「さあ…………?」 「何か、学園の施設がどこかにいちゃったね」  本科生の増加とそれに伴う経済活動の発展に伴い急速に進化したトランキ学園も、まだ本科生が少なかった当時は未開発の部分が多かった。当然治安も悪く、腕に覚えのないスカラーやインダストリアリスト系の生徒はあまり学園中枢から離れないのが常識である。二人はその例には当てはまらないし、学園が出来る前よりこの周辺に住んでいるため、土地の歩き方は知っている。  だが、二人はどうしようもなく方向感覚と記憶力に問題があった。 「むー、校舎の近くのお菓子屋さんに行くつもりだったのにね」  なぜ現代建築の技術の結晶のような学園中枢機関からスラム街に迷い込めるのか。すでにある種の才能に近いものを感じる。だが、二人は特に疑問に思わない様子で歩き続ける。 「ま、いっか。散歩だね」 「うん……散歩……」  散歩をするにはあまりにも危険な半分廃墟の街で、沙鳥は心の底から楽しそうに笑った。その時、強い風が吹いて沙鳥の長い髪を巻きあげた。風に乗って埃と―――――嫌な臭いが飛んでくる。二人の表情が変わった。 「―――――――――――血」  一瞬で沙鳥の顔からあらゆる表情が抜けおちる。代わりに茫洋としていた丈之助の瞳に、警戒するような光が宿った。 「沙鳥…………戻ろう…………」 「駄目だよ」  静かに、しかしはっきりと沙鳥は拒絶した。そして踏み出す。 「誰か……怪我をしてるかもしれないよ」「沙鳥の前で血を流すことは許されない」  まるで誰かに教え込まれたことを繰り返すかのように、丈之助は淡々と呟いた。沙鳥はしっかりと頷く。 「うん。私は私の仲間の血が流れることを許さないよ。絶対に。だから」  風が血の臭いを運んでくる。強い鉄錆の臭い。一人二人の人間が流す血の臭いではない。 「だから、誰の血なのか確かめないと」 「…………沙鳥が望むように」  これが他の従者なら何が何でも彼女の目を塞ぎ、耳を塞ぎ、その場から連れ去ったかもしれない。だが、忠実なる番犬は主人の邪魔をしない。主人を守ることだけをする。  沙鳥が歩き出す。丈之助はそれに従った。血臭は遠くない場所からしてくる。崩れた建物の破片が降り積もってできたコンクリートの丘を越えると、景色が開ける。朽ちかけたコンクリートの建物が途切れた広場のような場所。そこが赤く染まっていた。 「あ…………」  倒れているのは五人。すべて二十代以上の大人だ。服装も傷も違うが、倒れている位置が半径十数メートルの間にあるため、無関係な死体ではないと分かる。あきらかに学園の関係者ではないし、沙鳥の仲間でもない。この土地の人間でもないようにみえた。全員が武装していた形跡がある。形跡があるというのは、壊れた武器が散乱しているものの誰がどれを持っていたのかよく分からない状態だからだ。 「………………虐殺?」  転々と死体が転がる様は確かにそうと言えなくもない。だが、沙鳥は首を横に振った。 「違うよ」  軽い音を立てて沙鳥はコンクリートの山から飛び降りた。良く見ると死体はかなりお行儀よく一定の方向に連なっている。 「開始地点はここ。そこから北の方向に死体が続いてる。つまり、ここに誰かが居て囲みを突破して逃げたんだ。多分、これをした人は一人か二人で……必死になって逃げようとしてるんだと思うよ」  沙鳥はかがむと死体に突き刺さったナイフを引き抜いた。ナイフは途中から折れていて、折れた切っ先は見当たらない。折れたナイフを無理やり突き刺して相手を殺した証拠だ。 「武器も余裕がない。多分、怪我もしてる」  なにかを引きずるような痕と転々と続く血。それは途中で倒れた死体の中に紛れて消えている。 「…………探さないと」 「…………探す?」 「ほら、このナイフが刺さってる位置、急所より少し低いの。それにこの角度は変だよ」  折れたナイフを掲げて見せて、沙鳥は言った。どんなにぼんやりして見えても、元流民のリーダーで学園成績優秀者だ。かすかな痕跡からでもどんな人間が何をしたかくらい分かる。これは背の低い人間がナイフを振りあげて刺した時にできる傷だ。 「多分、私たちと同じくらいの子だよ。学園の生徒かも」 「…………それで?」 「ここに子どもの死体はないし、どこに引きずって行かれた痕跡もないもん。きっと怪我をしてどこかで苦しんでるよ。助けてあげよう」  丈之助はゆっくりと瞬きをした。沙鳥の言葉の意味するところが理解できないというように目を瞬かせる。ややあって、彼はやっと頷いた。 「どうすればいい……?」 「探して家に連れて帰って怪我の手当してあげよう!」  自分が道に迷っていたということは思考の彼方に飛んでいる沙鳥であった。しかも、知らない怪我人に対する警戒心の欠片もない。だが、丈之助は頷いた。 「分かった。見つけて…………持ち帰る」  微妙に分かっていない。だが、それを指摘してくれる人間はいない。 「よし、探すよ。あ、でもどこ探せばいいのかな? さっちゃん、隠れんぼは得意だけど……見つかるかな? よし」  桜色の唇に指を押し当てて、沙鳥は思いきり息を吐きだした。やや音程の安定しない指笛がふらふらと空に響く。何も呼び出せそうにない微妙な指笛。だが、答えるものがあった。 「呼んだか?」  純白の羽がひらりと舞い落ちる。ばさりと翼を広げて舞い降りたのは一羽の白烏だった。鳥類にも関わらず、流暢な人語が口からこぼれ落ちる。 「あのね、レジーナ。近くに怪我をしてる人がいるみたいなの。探すのを手伝って」 「いいだろう。私なら上から探せるからな」 「お願いね。私たちは下から探してみるから」  かすかな羽音とともにレジーナは空へと舞い上がる。白い羽が地面に落ちて赤くなった。血というのはとても固まりやすい。羽が赤く染まったということは、まだ惨劇からそれほど時間が立っていないということだ。  足元でなにかが音をたてた。靴をずらすと鉛の弾が地面にめり込んでいた。良く見るとあちこちに銃痕がある。 「……射撃の腕が悪い人だったのかな?」 「そうかもしれない……」  あるいは的のほうがよほど俊敏だったか、当てるつもりのない威嚇射撃か。流石にそれは分からない。  血の跡をたどって沙鳥は歩き出す。だが、数歩も行かないところでぽつぽつと垂れていた血痕は消えていた。追跡を避けるために止血したのかもしれない。足跡もコンクリートの上に上がったため消えている。草を踏んだりした気配もない。 「あー…………消えてるね」 「…………」 「困ったね。かくれんぼの達人みたい」  そういう問題ではなく、追撃を避けるために痕跡を消すのは基礎中の基礎だ。だが、分かっているのか分かっていないのか、沙鳥はずれた感想を口にする。  そんなことをしている間に、再び空に白い影が差し、白烏のレジーナが戻ってきた。ゆっくりと彼女は上空を旋回する。 「それらしいのがいたぞ。そちらの建物群ではなく、反対側のビルの間だ。ゴミの影の人目につかない場所に、子どもが座り込んでいる。怪我をしているが……行くのは勧められない」 「えー、何で?」 「怪我をしていて手負いの獣状態だ。危険だぞ」 「大丈夫」  沙鳥は笑顔で言い切った。 「さっちゃんはお友達作るのうまいんだよ。きっと話せば分かってくれるよ」 「…………そうか」  沙鳥のサイキック能力【ハニーチップ】は、相手に言葉を囁くことで相手の意識の中に自分への好意をすり込む能力だ。強くすり込めば、相手を自分のいいなりになる人形にすることもできる。それを自覚しているのかそれとも違うのか、沙鳥は自信満々で笑う。 「で、どこにいるの?」 「案内しよう」  きつく縛った布が赤く染まる。立ちあがらなくては死ぬというのに、身体がぐったりと重くて身動きができない。人間の肉体というものは何十キロもの重さがあるのだと実感する。普段は楽々動く癖に、ちょっと壊れただけでこのざまだ。 「………………っ」  小さく咳き込むと血の混じった唾液が飛び散る。息が乱れそうになるのを、少女は必至でこらえた。呼吸音というのは案外と響く。息を殺して、気配をけして、それでも血臭で気付かれる危険性が高いのだ。そして、見つかれば次は逃げられない。 「…………」  手に力なく握られた携帯電話に視線を落とす。助けを呼ぶことはできる。だが、誰を呼べばいいのか皆目見当がつかない。友人に助けを求めることは簡単だ。だが、その友人が敵と鉢合わせする可能性を考えると、とてもそれをする気にはなれない。妥当な案として思いつくのは、医者か学園の警備に連絡を入れることだ。他の企業の支配下にある都市への介入や戦闘は企業法に違反する。襲ってきた連中があきらかにトランキライザーの住民票を持っていないであろう人間であることを考えると、警備への連絡は間違ってはいない。だが、問題はここが学園でもまだ開発前の地域だということだ。一応、敷地としては学園内だが今だに学園より前からいる先住人のほうが多く、こんなところまでは警備も手が回らないだろう。医者を呼び付けることは、友人を呼ぶのと同じ理由で却下だ。医者が死んでも悲しくはないが、まだまだ数が少ない学園公認の医者の数を減らすのは気が進まないし、別の機会に治療してくれる人がいなくなってしまうのは困る。そんなことを色々と考えると、結局、自力で学園中心部まで帰還するしか道はないという結論になってしまう。  貧血でくらくらする頭とだるい身体を精神力だけで突き動かして、少女は立ちあがった。携帯電話はポケットにしまい、代わりに銃を取りだす。平時であっても軽くはないそれは、護身用の小型のものとはいえずっしりとした重量を伝えてくる。その時、 「大丈夫?」  ひどく呑気な声が響いた。振り返ると、キラキラしたものが目に飛び込んできた。咄嗟にそちらに銃を向けながらも、輝きに一瞬視界が遮られる。それが太陽に当たった少女の髪の毛だと気付くのに少し時間がかかった。 「怪我してるよ」  金色の髪と純白の服の、聖性に近い無邪気さを持つ少女がそこにいた。 「誰……?」  沙鳥が足を踏み入れたところは、旧時代の崩れかけた建造物の影だった。ゴミや崩れた建物の破片でうまい具合に死角が出来ている。そこに少女がいた。沙鳥の髪とはまったく違う黒髪の少女だ。黒い髪と象牙色の肌から東洋系だとすぐに分かった。だが、沙鳥をまぶしげに見つめる瞳は、東洋人にも西洋人にもあまり見られない沈んだ血の色をしていた。 「誰……?」  問いかけながら少女は沙鳥に銃口を向ける。感じるのは殺意ではなく、極限まで研ぎ澄まされた警戒心。沙鳥の隣で丈之助が身構える。すぐに飛びかからなかったのは、殺意や悪意を感じなかったからだ。 「酷いな。人間狩りの傷だ」  ばさりと羽音を響かせて、レジーナは沙鳥の肩に止まった。 「むー…………女の子に酷いことするなんて、悪い人たちだね」  沙鳥は声をあげた。  相手の少女はかなりいい身なりをしているようにみえた。だが、スカートの裾はうち抜かれてぼろぼろで、左手と右足には引きちぎった服で作った即席の包帯がぐるぐると巻き付けられている。殴られたのだろうか、頭からも血を流している。引き裂かれた服の間からのぞく手足にはいくつも小さな傷があり、血がこびりついていた。  これが軍人ならば痛々しくはあっても同情するものではない。喧嘩や強盗に会った人間はもっとひどい傷を負っていることもある。けれど、少女の怪我はそれとは種類が違う。執拗に追い回され、じわじわと体力を削るためにわざと致命傷を外して負わされた傷というものは、独特の痛々しさを持っている。 「誰……? 生徒?」  少女が本科生ではないのは沙鳥にも分かった。本科生が付ける校章をつけていないし、年齢的にも本科に上がるには早い。だが、真っ先に沙鳥が生徒か否かを尋ねた思考回路から推測すると学園とは無関係とも考えにくい。そもそもこの近隣でそこそこ身なりのいい人間は学園の生徒以外にほとんどいない。 「さっちゃんは朝霧沙鳥。予科三年生!」 「…………一つ先輩、か」  だらりと少女は腕を下ろした。まだ十代になったばかりの少女の腕に、その鉄の塊はあまりにも重い。腕を伝った血が拳銃を一部赤く汚している。 「……頼みがあるんだけど」 「うん。お医者さん呼んでくる?」  沙鳥は尋ねた。だが、少女は首を横に振った。 「すぐにこの場を離れてほしい。余力があるなら……学園の警備にこの辺に不審者が出たと伝えてくれると助かる。あと、私のことは口外しないでくれるとたすかる」  沙鳥は不思議な言葉でも聞いたかのように目を瞬かせた。 「えーと……鬼ごっこをするの?」 「は?」  あまりにも呑気な返事に、少女の顔が凍りついた。 「違う。この者は、ここにいると危険だからすぐに立ち去れと警告しているのだ」  あきれ顔のレジーナが解説する。だが、沙鳥も丈之助もまったく理解していない。 「逃げれば……いい?」 「違う。つまりだな、ここにいるとこの者を狙う敵がまた来るかもしれないだろう? だから見なかったことにして、自分を見捨てて帰れとこの者は言っておるのだ。心根がまっすぐな子だ」 「……まっすぐかねじ曲がってるかは知らないけど……その子、こんなとこにいっていい子じゃないでしょ? お願い、説得して帰らせて」  烏が一番話が通じると判断したのか、レジーナのほうを向いて少女は言った。だが、見る限りでは見捨てていけるような状態ではない。 「見たところ、それほどの悪事をする人間には見えないが、なぜ追い回されているのだ? 浮浪児相手のマンハントでも強盗でもないようだが」 「きっと可愛いから、悪い人たちに狙われてるんだよ。お姫様だね」  レジーナの疑問に沙鳥は呑気な予想を口にする。少女は何故か疲労感を覚えたように、項垂れた。 「烏さん……この天然ボケと無邪気さの権化をすぐにここから……」 「残念だが、沙鳥は決めたら梃子でも動かない。お前が移動するほうは早い」  一連のやり取りでなんとなくそれを察していたのか、少女は頷くと足を引きずるようにして歩き出した。沙鳥たちのいるのとは反対側の方向に歩きだす。それを見た沙鳥は、普段からは考えられない俊敏な動きで少女の背後に迫った。 「え? ぎゃあ!?」  慌てて少女は身構えるが、怪我の傷みで一瞬反応が遅れる。その隙に沙鳥は少女に背後から抱きついていた。思いきり傷を掴まれて、少女は声にならない悲鳴を上げて蹲る。 「ほら、立てもしないくせに無理しちゃだめだよ」 「…………」  お前のせいだ、という瞳(涙目)で少女は沙鳥を振り仰いだが、沙鳥には通じなかった。レジーナだけが気の毒そうな視線を向ける。 「はい、肩貸して。丈は怖い人がいないか探して。レジーナは―――」 「道案内をしよう。沙鳥では無理だ」  不安な会話に少女の肩がびくりと震えた。それにも気付かず、沙鳥は手を差し出す。 「はい、捕まって」 「私は…………」  少女は振り返った。暗い独特の色をした瞳に、暗い翳が過ぎる。 「私に関わると危ないよ。ろくでもない死に方をしたくはないでしょ? 貴女は悪意ない人だから、巻き込みたくない。なかったことにしたほうがいい」  力のない声には、気遣いや優しさは感じられない。ただの事実だけを告げる。 「私も、無関係の人間が死ぬのは気分が悪いし、それで気分を悪くすることにはうんざりしている。できれば放っておいてほしいんだ」 「そっか。じゃあ、残念だったね」  明るい声で沙鳥は答えた。奇妙なものでも見る目で、少女は沙鳥を見上げる。 「……何が?」 「さっちゃんに見つかったのが運のつきだね。ほら、あれだ。年貢の納め時だよね」 「…………それだと私に止めをさすのは貴女になってしまうのだけれど」 「あれ? 違った?」  沙鳥は心底不思議そうに首を横に傾けた。少女は頭痛をこらえるように頭に手をやる。それを頭の怪我が傷むと判断した沙鳥は、心配そうに少女を覗き込んだ。 「ほら、やっぱり痛いでしょ? 怪我してる子はね、周りに助けてって言わないと。助けてって言われたら、やっぱり助けてあげないと」 「私は置いていけって言ってるんだけど……」  怪訝そうな顔で少女は沙鳥を見上げた。沙鳥は微笑みで答える。 「私には死にたくないって言ってるように見えるよ。そうでないなら、もっと前に諦めて動くの止めてるでしょう?」  驚いたような顔で少女はマジマジと沙鳥を見つめた。そして、少し悲しそうな顔をする。 「貴女、長生きできないよ……」 「大丈夫。さっちゃんは強いんだよ」 「心配することはない。この二人はこう見えても――――多分、沙鳥のほうは君より強い。純粋に一対一で戦った場合の強さではあるがね」  レジーナの言葉に、少女は目を瞬かせた。信じられないという顔をするが、ややあって頷いた。外見で中身を計ることの愚は、学園の生徒なら骨身に浸みこまされている。  あきらめたように小さく少女は息を吐いた。 「………………助かる。学園の中心部に入るまででいい。頼む」 「えー、ちゃんと病院まで連れてくよ。歩くのがやっとの子なんて、中心部にいたって危ないよ」  そう言いながら、沙鳥は差し出した手を取った少女に肩を貸す。 「私、朝霧沙鳥…………」 「…………珠月。篭森珠月だ」  その名前に沙鳥はかすかに目を見張った。どんな世間知らずでも、多少は世界の中枢に関わらんとするものならばその名字から連想するのはただ一人の人物だ。その反応を確認して、なぜか少女は少し落胆したような顔をした。沙鳥は少し間をおいて、微笑む。 「じゃあ、珠月ちゃんだ。可愛い女の子とお友達になれて嬉しいな」  篭森。非常に珍しいその名字が示す意味が分からないわけはない。だが、沙鳥はそれには一切触れずに別の感想を述べた。少女はじっと沙鳥を見つめる。なにかを見透かすような瞳は、普通の人間であったなら反射的に謝ってしまいそうなほど鋭い。だが、沙鳥は不思議そうに小首を傾げただけだった。少女は小さくため息をつく。 「…………大物だわ」 「え? 何が?」 「ありがとう。助けてくれて」  はっきりと少女はお礼を言った。受け入れられたのだと分かって、沙鳥は嬉しそうに声をあげた。 「っていう感じでね。その後、案の定、敵さんが追ってきて大乱戦になったんだよ」 「ふうん…………そう」  あきらかに記憶にありませんという顔で、丈之助は頷いた。沙鳥は気にしない。 「だからね、迷ってたらまた素敵なものを見つけられるかもしれないでしょう?」 「沙鳥が言うなら……そうかも」 「うん。だから、どんどん迷」「迷うな」  呆れかえった声がした。ぱっと沙鳥は顔をあげる。 「珠月ちゃんだ!」  いつの間に現れたのか、道のど真ん中に黒いレースの日傘を差した女性がいた。三歩後ろに大量の荷物を抱えた従僕が立っている。従僕といってもそれは生きた人間ではなく、彼女が異能で操る骸骨だ。つるりとした白骨がスーツを着込んで荷物を運んでいる光景は、なんともいえずホラーだ。場を無視したゴシック趣味と大量の買い物に、道行く人がぎょっとした顔で振り返る。 「迷ったの? 万具堂ならそっちじゃないよ?」  珠月は沙鳥が向かおうとした方向とも来た方向ともまったく違う方向を指差した。 「あれ? おっかしいな」 「おかしいのは貴女たちの方向感覚だよ……ジャングルだろうと廃墟だろうと荒野だろうと平気で進軍できるくせに、どうして日常生活で道に迷うんだ? この学園は中央を中心にそれぞれ特徴ある作りをしているから、学園の住人ならスラム街や地下街ならともかくそれ以外では迷う余地はないよ」  だが、その余地がないはずのところで迷う人間、それもランカーは一人や二人ではない。珠月は初めて会った日のように、頭痛をこらえるように頭を抱えた。一般的には、彼女もまた狂人あるいは残虐な支配階級として語られることが多い存在だ。だが、こういうときはうっかり常識人側に残ってしまう損なタイプの人間でもある。 「方向は違うけど……一緒に帰ろう。丁度、茶葉と焼き菓子を買ったところだ。家で食べる予定だったけど、変更。万具堂でみんなで食べよう」 「やった! ほらね、やっぱり良いことがあったよ」 「…………うん」  二人の読めない会話に、珠月は眉をひそめる。 「…………何の話?」 「ふふ、秘密なの!」 終わり
first contact 朝霧沙鳥&篭森珠月 「~~~~~~~♪」  通りを大声で鼻歌を歌いながら歩く少女と無表情でそれにつき従う少年という妙な光景に、時折すぎる通行人は例外なく足を止めてあるいは振り向いて二人を見やる。けれど、注目を集めている本人たちはまったく気にしていない。 「~~♪ って……あれ? さっきもこの道通った気がするよ」 「沙鳥………………また、迷った」 「そっかぁ。おかしいと思ったんだ。一時間も歩いてるのに家に着かないなんて」  もっと早く気付けと突っ込んでくれる連中はここにはいない。心の中で会話に突っ込みをいれた通行人は無数にいたが、二人の服装を見て口をつぐむ。  まっ白な軍服と姫君という言葉が似合いそうな白いドレス。顔を知らなくても、それだけで二人が何者か分かる。  世界最大級の小中企業の共同体であるレイヴンズワンダーのクイーン【ゴッドアイドル(神の偶像)】朝霧沙鳥とその従者【スクーロビナーリオ(機械仕掛けの影法師)】覇月丈之助。  童女のような無垢な笑みを浮かべる沙鳥。対して、横に控える丈之助の表情はどこか焦点があいまいで茫洋としているようにみえる。その気になれば簡単に倒せそうな二人組だが、この学園の生徒であるなら誰もがこの二人こそ学園でもっとも倒すのが難しい人間の部類に入ると知っている。だから、あえて手は出さないし無駄に関わることもしない。 「ここはどこかな?」 「さあ……?」  世界に名を轟かせる小女王とその番犬とは思えない間の抜けた会話が交わされる。だが、やはり誰も突っ込みは入れず、道を教えようにもどこに向かっているのか本人たちが把握しているかすら怪しいため、訂正できる人間はいない。  二人は顔を見合わせると、ややあって適当な方向に歩きだした。 「きっとこっちだよ。違ったらそれはその時。家に着かなくても、美味しいお菓子屋さんとか可愛い雑貨屋さんとか素敵な服屋さんとか見つけたことあるしね。何故か次はたどり着けなかったけど」 「沙鳥がいいなら……俺はいい」 「うん。きっとなにかあると思うよ。それに新しいお友達ができるかもしれないしね。さっちゃんね、友達作るのうまいんだよ」 「知ってる……」 「陽狩君とか夏羽君とかもこうやって迷ってる時にあったもんね」  校内を代表する殺人鬼の名前を出して、嬉しそうに沙鳥は言う。普通は出会ってしまった時点で死んでいる。 「あ、珠月ちゃんもそうだ。こうやって、迷った時に会ったんだよ。覚えてる?」 「……そうだったか?」 「そうだよ。あのね、さっちゃんがケーキ屋さんに行こうとしてて……」  黄道暦47年。当時、やっと十代になったばかりでまだ予科にいた沙鳥は道に迷っていた。 「……ここ、どこかな?」 「さあ…………?」 「何か、学園の施設がどこかにいちゃったね」  本科生の増加とそれに伴う経済活動の発展に伴い急速に進化したトランキ学園も、まだ本科生が少なかった当時は未開発の部分が多かった。当然治安も悪く、腕に覚えのないスカラーやインダストリアリスト系の生徒はあまり学園中枢から離れないのが常識である。二人はその例には当てはまらないし、学園が出来る前よりこの周辺に住んでいるため、土地の歩き方は知っている。  だが、二人はどうしようもなく方向感覚と記憶力に問題があった。 「むー、校舎の近くのお菓子屋さんに行くつもりだったのにね」  なぜ現代建築の技術の結晶のような学園中枢機関からスラム街に迷い込めるのか。すでにある種の才能に近いものを感じる。だが、二人は特に疑問に思わない様子で歩き続ける。 「ま、いっか。散歩だね」 「うん……散歩……」  散歩をするにはあまりにも危険な半分廃墟の街で、沙鳥は心の底から楽しそうに笑った。その時、強い風が吹いて沙鳥の長い髪を巻きあげた。風に乗って埃と―――――嫌な臭いが飛んでくる。二人の表情が変わった。 「―――――――――――血」  一瞬で沙鳥の顔からあらゆる表情が抜けおちる。代わりに茫洋としていた丈之助の瞳に、警戒するような光が宿った。 「沙鳥…………戻ろう…………」 「駄目だよ」  静かに、しかしはっきりと沙鳥は拒絶した。そして踏み出す。 「誰か……怪我をしてるかもしれないよ」「沙鳥の前で血を流すことは許されない」  まるで誰かに教え込まれたことを繰り返すかのように、丈之助は淡々と呟いた。沙鳥はしっかりと頷く。 「うん。私は私の仲間の血が流れることを許さないよ。絶対に。だから」  風が血の臭いを運んでくる。強い鉄錆の臭い。一人二人の人間が流す血の臭いではない。 「だから、誰の血なのか確かめないと」 「…………沙鳥が望むように」  これが他の従者なら何が何でも彼女の目を塞ぎ、耳を塞ぎ、その場から連れ去ったかもしれない。だが、忠実なる番犬は主人の邪魔をしない。主人を守ることだけをする。  沙鳥が歩き出す。丈之助はそれに従った。血臭は遠くない場所からしてくる。崩れた建物の破片が降り積もってできたコンクリートの丘を越えると、景色が開ける。朽ちかけたコンクリートの建物が途切れた広場のような場所。そこが赤く染まっていた。 「あ…………」  倒れているのは五人。すべて二十代以上の大人だ。服装も傷も違うが、倒れている位置が半径十数メートルの間にあるため、無関係な死体ではないと分かる。あきらかに学園の関係者ではないし、沙鳥の仲間でもない。この土地の人間でもないようにみえた。全員が武装していた形跡がある。形跡があるというのは、壊れた武器が散乱しているものの誰がどれを持っていたのかよく分からない状態だからだ。 「………………虐殺?」  転々と死体が転がる様は確かにそうと言えなくもない。だが、沙鳥は首を横に振った。 「違うよ」  軽い音を立てて沙鳥はコンクリートの山から飛び降りた。良く見ると死体はかなりお行儀よく一定の方向に連なっている。 「開始地点はここ。そこから北の方向に死体が続いてる。つまり、ここに誰かが居て囲みを突破して逃げたんだ。多分、これをした人は一人か二人で……必死になって逃げようとしてるんだと思うよ」  沙鳥はかがむと死体に突き刺さったナイフを引き抜いた。ナイフは途中から折れていて、折れた切っ先は見当たらない。折れたナイフを無理やり突き刺して相手を殺した証拠だ。 「武器も余裕がない。多分、怪我もしてる」  なにかを引きずるような痕と転々と続く血。それは途中で倒れた死体の中に紛れて消えている。 「…………探さないと」 「…………探す?」 「ほら、このナイフが刺さってる位置、急所より少し低いの。それにこの角度は変だよ」  折れたナイフを掲げて見せて、沙鳥は言った。どんなにぼんやりして見えても、元流民のリーダーで学園成績優秀者だ。かすかな痕跡からでもどんな人間が何をしたかくらい分かる。これは背の低い人間がナイフを振りあげて刺した時にできる傷だ。 「多分、私たちと同じくらいの子だよ。学園の生徒かも」 「…………それで?」 「ここに子どもの死体はないし、どこに引きずって行かれた痕跡もないもん。きっと怪我をしてどこかで苦しんでるよ。助けてあげよう」  丈之助はゆっくりと瞬きをした。沙鳥の言葉の意味するところが理解できないというように目を瞬かせる。ややあって、彼はやっと頷いた。 「どうすればいい……?」 「探して家に連れて帰って怪我の手当してあげよう!」  自分が道に迷っていたということは思考の彼方に飛んでいる沙鳥であった。しかも、知らない怪我人に対する警戒心の欠片もない。だが、丈之助は頷いた。 「分かった。見つけて…………持ち帰る」  微妙に分かっていない。だが、それを指摘してくれる人間はいない。 「よし、探すよ。あ、でもどこ探せばいいのかな? さっちゃん、隠れんぼは得意だけど……見つかるかな? よし」  桜色の唇に指を押し当てて、沙鳥は思いきり息を吐きだした。やや音程の安定しない指笛がふらふらと空に響く。何も呼び出せそうにない微妙な指笛。だが、答えるものがあった。 「呼んだか?」  純白の羽がひらりと舞い落ちる。ばさりと翼を広げて舞い降りたのは一羽の白烏だった。鳥類にも関わらず、流暢な人語が口からこぼれ落ちる。 「あのね、レジーナ。近くに怪我をしてる人がいるみたいなの。探すのを手伝って」 「いいだろう。私なら上から探せるからな」 「お願いね。私たちは下から探してみるから」  かすかな羽音とともにレジーナは空へと舞い上がる。白い羽が地面に落ちて赤くなった。血というのはとても固まりやすい。羽が赤く染まったということは、まだ惨劇からそれほど時間が立っていないということだ。  足元でなにかが音をたてた。靴をずらすと鉛の弾が地面にめり込んでいた。良く見るとあちこちに銃痕がある。 「……射撃の腕が悪い人だったのかな?」 「そうかもしれない……」  あるいは的のほうがよほど俊敏だったか、当てるつもりのない威嚇射撃か。流石にそれは分からない。  血の跡をたどって沙鳥は歩き出す。だが、数歩も行かないところでぽつぽつと垂れていた血痕は消えていた。追跡を避けるために止血したのかもしれない。足跡もコンクリートの上に上がったため消えている。草を踏んだりした気配もない。 「あー…………消えてるね」 「…………」 「困ったね。かくれんぼの達人みたい」  そういう問題ではなく、追撃を避けるために痕跡を消すのは基礎中の基礎だ。だが、分かっているのか分かっていないのか、沙鳥はずれた感想を口にする。  そんなことをしている間に、再び空に白い影が差し、白烏のレジーナが戻ってきた。ゆっくりと彼女は上空を旋回する。 「それらしいのがいたぞ。そちらの建物群ではなく、反対側のビルの間だ。ゴミの影の人目につかない場所に、子どもが座り込んでいる。怪我をしているが……行くのは勧められない」 「えー、何で?」 「怪我をしていて手負いの獣状態だ。危険だぞ」 「大丈夫」  沙鳥は笑顔で言い切った。 「さっちゃんはお友達作るのうまいんだよ。きっと話せば分かってくれるよ」 「…………そうか」  沙鳥のサイキック能力【ハニーチップ】は、相手に言葉を囁くことで相手の意識の中に自分への好意をすり込む能力だ。強くすり込めば、相手を自分のいいなりになる人形にすることもできる。それを自覚しているのかそれとも違うのか、沙鳥は自信満々で笑う。 「で、どこにいるの?」 「案内しよう」  きつく縛った布が赤く染まる。立ちあがらなくては死ぬというのに、身体がぐったりと重くて身動きができない。人間の肉体というものは何十キロもの重さがあるのだと実感する。普段は楽々動く癖に、ちょっと壊れただけでこのざまだ。 「………………っ」  小さく咳き込むと血の混じった唾液が飛び散る。息が乱れそうになるのを、少女は必至でこらえた。呼吸音というのは案外と響く。息を殺して、気配をけして、それでも血臭で気付かれる危険性が高いのだ。そして、見つかれば次は逃げられない。 「…………」  手に力なく握られた携帯電話に視線を落とす。助けを呼ぶことはできる。だが、誰を呼べばいいのか皆目見当がつかない。友人に助けを求めることは簡単だ。だが、その友人が敵と鉢合わせする可能性を考えると、とてもそれをする気にはなれない。妥当な案として思いつくのは、医者か学園の警備に連絡を入れることだ。他の企業の支配下にある都市への介入や戦闘は企業法に違反する。襲ってきた連中があきらかにトランキライザーの住民票を持っていないであろう人間であることを考えると、警備への連絡は間違ってはいない。だが、問題はここが学園でもまだ開発前の地域だということだ。一応、敷地としては学園内だが今だに学園より前からいる先住人のほうが多く、こんなところまでは警備も手が回らないだろう。医者を呼び付けることは、友人を呼ぶのと同じ理由で却下だ。医者が死んでも悲しくはないが、まだまだ数が少ない学園公認の医者の数を減らすのは気が進まないし、別の機会に治療してくれる人がいなくなってしまうのは困る。そんなことを色々と考えると、結局、自力で学園中心部まで帰還するしか道はないという結論になってしまう。  貧血でくらくらする頭とだるい身体を精神力だけで突き動かして、少女は立ちあがった。携帯電話はポケットにしまい、代わりに銃を取りだす。平時であっても軽くはないそれは、護身用の小型のものとはいえずっしりとした重量を伝えてくる。その時、 「大丈夫?」  ひどく呑気な声が響いた。振り返ると、キラキラしたものが目に飛び込んできた。咄嗟にそちらに銃を向けながらも、輝きに一瞬視界が遮られる。それが太陽に当たった少女の髪の毛だと気付くのに少し時間がかかった。 「怪我してるよ」  金色の髪と純白の服の、聖性に近い無邪気さを持つ少女がそこにいた。 「誰……?」  沙鳥が足を踏み入れたところは、旧時代の崩れかけた建造物の影だった。ゴミや崩れた建物の破片でうまい具合に死角が出来ている。そこに少女がいた。沙鳥の髪とはまったく違う黒髪の少女だ。黒い髪と象牙色の肌から東洋系だとすぐに分かった。だが、沙鳥をまぶしげに見つめる瞳は、東洋人にも西洋人にもあまり見られない沈んだ血の色をしていた。 「誰……?」  問いかけながら少女は沙鳥に銃口を向ける。感じるのは殺意ではなく、極限まで研ぎ澄まされた警戒心。沙鳥の隣で丈之助が身構える。すぐに飛びかからなかったのは、殺意や悪意を感じなかったからだ。 「酷いな。人間狩りの傷だ」  ばさりと羽音を響かせて、レジーナは沙鳥の肩に止まった。 「むー…………女の子に酷いことするなんて、悪い人たちだね」  沙鳥は声をあげた。  相手の少女はかなりいい身なりをしているようにみえた。だが、スカートの裾はうち抜かれてぼろぼろで、左手と右足には引きちぎった服で作った即席の包帯がぐるぐると巻き付けられている。殴られたのだろうか、頭からも血を流している。引き裂かれた服の間からのぞく手足にはいくつも小さな傷があり、血がこびりついていた。  これが軍人ならば痛々しくはあっても同情するものではない。喧嘩や強盗に会った人間はもっとひどい傷を負っていることもある。けれど、少女の怪我はそれとは種類が違う。執拗に追い回され、じわじわと体力を削るためにわざと致命傷を外して負わされた傷というものは、独特の痛々しさを持っている。 「誰……? 生徒?」  少女が本科生ではないのは沙鳥にも分かった。本科生が付ける校章をつけていないし、年齢的にも本科に上がるには早い。だが、真っ先に沙鳥が生徒か否かを尋ねた思考回路から推測すると学園とは無関係とも考えにくい。そもそもこの近隣でそこそこ身なりのいい人間は学園の生徒以外にほとんどいない。 「さっちゃんは朝霧沙鳥。予科三年生!」 「…………一つ先輩、か」  だらりと少女は腕を下ろした。まだ十代になったばかりの少女の腕に、その鉄の塊はあまりにも重い。腕を伝った血が拳銃を一部赤く汚している。 「……頼みがあるんだけど」 「うん。お医者さん呼んでくる?」  沙鳥は尋ねた。だが、少女は首を横に振った。 「すぐにこの場を離れてほしい。余力があるなら……学園の警備にこの辺に不審者が出たと伝えてくれると助かる。あと、私のことは口外しないでくれるとたすかる」  沙鳥は不思議な言葉でも聞いたかのように目を瞬かせた。 「えーと……鬼ごっこをするの?」 「は?」  あまりにも呑気な返事に、少女の顔が凍りついた。 「違う。この者は、ここにいると危険だからすぐに立ち去れと警告しているのだ」  あきれ顔のレジーナが解説する。だが、沙鳥も丈之助もまったく理解していない。 「逃げれば……いい?」 「違う。つまりだな、ここにいるとこの者を狙う敵がまた来るかもしれないだろう? だから見なかったことにして、自分を見捨てて帰れとこの者は言っておるのだ。心根がまっすぐな子だ」 「……まっすぐかねじ曲がってるかは知らないけど……その子、こんなとこにいっていい子じゃないでしょ? お願い、説得して帰らせて」  烏が一番話が通じると判断したのか、レジーナのほうを向いて少女は言った。だが、見る限りでは見捨てていけるような状態ではない。 「見たところ、それほどの悪事をする人間には見えないが、なぜ追い回されているのだ? 浮浪児相手のマンハントでも強盗でもないようだが」 「きっと可愛いから、悪い人たちに狙われてるんだよ。お姫様だね」  レジーナの疑問に沙鳥は呑気な予想を口にする。少女は何故か疲労感を覚えたように、項垂れた。 「烏さん……この天然ボケと無邪気さの権化をすぐにここから……」 「残念だが、沙鳥は決めたら梃子でも動かない。お前が移動するほうは早い」  一連のやり取りでなんとなくそれを察していたのか、少女は頷くと足を引きずるようにして歩き出した。沙鳥たちのいるのとは反対側の方向に歩きだす。それを見た沙鳥は、普段からは考えられない俊敏な動きで少女の背後に迫った。 「え? ぎゃあ!?」  慌てて少女は身構えるが、怪我の傷みで一瞬反応が遅れる。その隙に沙鳥は少女に背後から抱きついていた。思いきり傷を掴まれて、少女は声にならない悲鳴を上げて蹲る。 「ほら、立てもしないくせに無理しちゃだめだよ」 「…………」  お前のせいだ、という瞳(涙目)で少女は沙鳥を振り仰いだが、沙鳥には通じなかった。レジーナだけが気の毒そうな視線を向ける。 「はい、肩貸して。丈は怖い人がいないか探して。レジーナは―――」 「道案内をしよう。沙鳥では無理だ」  不安な会話に少女の肩がびくりと震えた。それにも気付かず、沙鳥は手を差し出す。 「はい、捕まって」 「私は…………」  少女は振り返った。暗い独特の色をした瞳に、暗い翳が過ぎる。 「私に関わると危ないよ。ろくでもない死に方をしたくはないでしょ? 貴女は悪意ない人だから、巻き込みたくない。なかったことにしたほうがいい」  力のない声には、気遣いや優しさは感じられない。ただの事実だけを告げる。 「私も、無関係の人間が死ぬのは気分が悪いし、それで気分を悪くすることにはうんざりしている。できれば放っておいてほしいんだ」 「そっか。じゃあ、残念だったね」  明るい声で沙鳥は答えた。奇妙なものでも見る目で、少女は沙鳥を見上げる。 「……何が?」 「さっちゃんに見つかったのが運のつきだね。ほら、あれだ。年貢の納め時だよね」 「…………それだと私に止めをさすのは貴女になってしまうのだけれど」 「あれ? 違った?」  沙鳥は心底不思議そうに首を横に傾けた。少女は頭痛をこらえるように頭に手をやる。それを頭の怪我が傷むと判断した沙鳥は、心配そうに少女を覗き込んだ。 「ほら、やっぱり痛いでしょ? 怪我してる子はね、周りに助けてって言わないと。助けてって言われたら、やっぱり助けてあげないと」 「私は置いていけって言ってるんだけど……」  怪訝そうな顔で少女は沙鳥を見上げた。沙鳥は微笑みで答える。 「私には死にたくないって言ってるように見えるよ。そうでないなら、もっと前に諦めて動くの止めてるでしょう?」  驚いたような顔で少女はマジマジと沙鳥を見つめた。そして、少し悲しそうな顔をする。 「貴女、長生きできないよ……」 「大丈夫。さっちゃんは強いんだよ」 「心配することはない。この二人はこう見えても――――多分、沙鳥のほうは君より強い。純粋に一対一で戦った場合の強さではあるがね」  レジーナの言葉に、少女は目を瞬かせた。信じられないという顔をするが、ややあって頷いた。外見で中身を計ることの愚は、学園の生徒なら骨身に浸みこまされている。  あきらめたように小さく少女は息を吐いた。 「………………助かる。学園の中心部に入るまででいい。頼む」 「えー、ちゃんと病院まで連れてくよ。歩くのがやっとの子なんて、中心部にいたって危ないよ」  そう言いながら、沙鳥は差し出した手を取った少女に肩を貸す。 「私、朝霧沙鳥…………」 「…………珠月。篭森珠月だ」  その名前に沙鳥はかすかに目を見張った。どんな世間知らずでも、多少は世界の中枢に関わらんとするものならばその名字から連想するのはただ一人の人物だ。その反応を確認して、なぜか少女は少し落胆したような顔をした。沙鳥は少し間をおいて、微笑む。 「じゃあ、珠月ちゃんだ。可愛い女の子とお友達になれて嬉しいな」  篭森。非常に珍しいその名字が示す意味が分からないわけはない。だが、沙鳥はそれには一切触れずに別の感想を述べた。少女はじっと沙鳥を見つめる。なにかを見透かすような瞳は、普通の人間であったなら反射的に謝ってしまいそうなほど鋭い。だが、沙鳥は不思議そうに小首を傾げただけだった。少女は小さくため息をつく。 「…………大物だわ」 「え? 何が?」 「ありがとう。助けてくれて」  はっきりと少女はお礼を言った。受け入れられたのだと分かって、沙鳥は嬉しそうに声をあげた。 「っていう感じでね。その後、案の定、敵さんが追ってきて大乱戦になったんだよ」 「ふうん…………そう」  あきらかに記憶にありませんという顔で、丈之助は頷いた。沙鳥は気にしない。 「だからね、迷ってたらまた素敵なものを見つけられるかもしれないでしょう?」 「沙鳥が言うなら……そうかも」 「うん。だから、どんどん迷」「迷うな」  呆れかえった声がした。ぱっと沙鳥は顔をあげる。 「珠月ちゃんだ!」  いつの間に現れたのか、道のど真ん中に黒いレースの日傘を差した女性がいた。三歩後ろに大量の荷物を抱えた従僕が立っている。従僕といってもそれは生きた人間ではなく、彼女が異能で操る骸骨だ。つるりとした白骨がスーツを着込んで荷物を運んでいる光景は、なんともいえずホラーだ。場を無視したゴシック趣味と大量の買い物に、道行く人がぎょっとした顔で振り返る。 「迷ったの? 万具堂ならそっちじゃないよ?」  珠月は沙鳥が向かおうとした方向とも来た方向ともまったく違う方向を指差した。 「あれ? おっかしいな」 「おかしいのは貴女たちの方向感覚だよ……ジャングルだろうと廃墟だろうと荒野だろうと平気で進軍できるくせに、どうして日常生活で道に迷うんだ? この学園は中央を中心にそれぞれ特徴ある作りをしているから、学園の住人ならスラム街や地下街ならともかくそれ以外では迷う余地はないよ」  だが、その余地がないはずのところで迷う人間、それもランカーは一人や二人ではない。珠月は初めて会った日のように、頭痛をこらえるように頭を抱えた。一般的には、彼女もまた狂人あるいは残虐な支配階級として語られることが多い存在だ。だが、こういうときはうっかり常識人側に残ってしまう損なタイプの人間でもある。 「方向は違うけど……一緒に帰ろう。丁度、茶葉と焼き菓子を買ったところだ。家で食べる予定だったけど、変更。万具堂でみんなで食べよう」 「やった! ほらね、やっぱり良いことがあったよ」 「…………うん」  二人の読めない会話に、珠月は眉をひそめる。 「…………何の話?」 「ふふ、秘密なの!」 終わり

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