「ドームシティ崩壊 後編」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「ドームシティ崩壊 後編」(2009/05/09 (土) 22:09:00) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
非常階段を駆け降りていた聖は、同じくこちらに走ってくる同僚の緋葬架に気づいて手を振って合図をした。
「よお、首尾は?」
「誰に聞いてますの? 完璧です。そちらこそどうですの?」
「案外口が堅くて手こずったが、ほら」
聖は片手に持ったアタッシュケースを掲げて見せた。
「薬に手を加えてた証拠と、あとは俺らの抹殺依頼の証拠。これがあればピースメーカーが出てきても正当防衛の言いわけが立つってわけだ」
「法なんてあってないような世界のくせに、けむたいユグドラシルを筆頭に妙なところだけルールが御座いますからね。企業間抗争とはいえ、こちらに非がないことはきちんと証明しなくては」
「煙たいとかいうな。あれでも世界の秩序の一角何だぞ? 下手なこというと消されるぞ」
「ともあれ、御苦労ですわ。そろそろ時間ですもの。撤退です」
聖の役目はすべてが終わった後に、対外的にこの抗争の正当性を証明できるだけの証拠を集めておくこと。緋葬架の役目は聖がその仕事をしている間と、所長がアンジュのトップと話をしている間邪魔が入らないようにすること。その役目はもう済んだ。爆破は九割方完了し、すでに生存者より死人のほうが多いだろう。万一のために都市周囲には武闘派の仲間が待機しており、万一脱出に成功した市民がいても取りこぼしがないようになっているはずだ。
退路はジョフが確保している。通信は揺蘭李が乗っ取っている。今のところ、予定に大きなずれはない。あとは所長を回収し、撤退。同時にこの都市は完全に崩壊する。
「都市破壊なんて初めてでしたが、案外簡単なものですわね」
「俺はもう二度としたくねえよ。まったく、澪漂やホーンテッドリンクの連中を尊敬するぜ。年中こんなことやってたら、俺なら神経が持たねえ」
「気弱ですこと」
弱音を吐く聖に、緋葬架はからかうような声を投げかけた。
「トランキライザーのトップランカーを目指すものなら、都市の一個や二個くらい破壊したことがなくては」
「どんだけハードル高いんだよ。あと、理由なく都市破壊とかしたら減点対象だからな」
こんな時代でも一応、殺人も器物損壊も犯罪である。度が過ぎればあちこちから制裁が下るし、成績評価も社会的評価も下がる。場合によっては退学処分も十分あり得る。
「でも、エイリアス持ちの戦闘系の先輩方はやってそうですわよ?」
「お前の想定している先輩方のレベルは、すでに世界に通用するレベルであって世間一般の『先輩』の枠には収まらないと思うんだが」
軽口をたたきながらも二人は飛ぶように階段を駆け下りていく。そして地上階まできたところで、予定外の事に気づいた。
「誰かいるな」
「まだ生存者がいたなんて……なんてしぶとい」
ロビーに人の気配を感じる。聖と緋葬架は顔を見合わせた。そして一気に飛び出す。すぐに攻撃がくると思ったが、そうではなかった。案山子のようにロビーに突っ立っていた人影はゆっくりと振り向く。相手が振り向き切る前に、緋葬架は立て続けに発砲した。鍛え抜かれた目と腕は、狙い違わずその人影に吸い込まれ――――直前で動きを止めたと思った次の瞬間、緋葬架に向かって跳ね返ってきた。
「――――!!」
だが緋葬架も並みの人間ではない。半分機械化された視力と手を加えられた反射神経で間一髪、銃弾をかわす。だが、大きく体制を崩すことは避けられない。
「能力者!!」
引きつった叫び声を上げながら、聖も武器を抜く。本来はミスティッククラスという異能者のクラスだが、戦闘訓練はきっちりと受けている。緋葬架の攻撃が防がれたと感じた瞬間、聖は天井に向けて立て続けに銃弾を撃ち込んだ。会社の顔であるロビーを彩る、繊細な作りの証明が次々と割れて、硝子の破片が雨のように降り注ぐ。それは大雑把ではあるが広範囲へのいっせい攻撃となり、同時に視界と相手からの攻撃を防ぐ盾になるはずだった。だが、またも物理法則は裏切られる。降り注ぐガラス片は、相手を傷つけるその前に時間が巻き戻ったかのように逆方向に向かって飛んでいった。いくつかは天井に突き刺さる。
「物体操作かっ!?」
舌打ちして聖は走りだした。人影のほうではなく、裏口へ。緋葬架もそれに続く。小回りが利くようなタイプの能力者と狭いくせに隠れるものは少ないようなロビーで戦うのは、自分で自分を追い込むようなものだ。それに、この状況下なら無理に倒す必要もない。たとえ優れた異能者だとしても、ドームシティの崩壊に巻き込まれれば助かる確率は低いからだ。無理に倒そうとはせず、適当に足止めして回避するのが一番無難と聖は判断した。
「しっかし、なんだあの能力は。ただの物体操作じゃねえな」
サイキックなら弾き飛ばされた銃弾やガラス片はもっと柔軟な動きをしてもよかったはずだ。しかし、それらは愚直に元きた位置へと還っていった。そこから逆算すると、相手がサイキックである確率よりも、ミスティックである確率が高くなる。
「飛んできたものを弾き返す……周辺に見えない盾を作り出す能力か、部分的に時間を逆にする能力か――引力や重力操作でも似たことができるな。あるいは起こった特定事象を無効化する能力とか」
ぶつぶつと聖は可能性を口にするが結論は出ない。そもそもミスティックという異能は、現代の魔術だ。それ故、人工的に未覚醒の人体の力を引き出しているサイキックと違い、明確な型というものが存在しない。似た能力を持つ者同士なら沢山あるが、まったく同一の能力を持つミスティックはまずいないだろう。あえて区別するなら、能力の方向性や発動条件で操作系だの具現化系だの運命干渉系だのと、起こる現象の方向性でなんとなく区別することになる。それでもカテゴリに入りきらない『その他』枠が大量発生するし、複数のカテゴリにまたがる能力も多い。つまり、結論から言うと一撃でミスティックの能力を見抜くのは百戦錬磨の戦士でもかなり難しいのだ。
「あまり自在に操れている風には見えませんわね。単純な操作系ではないと思いますわ」
後から走りだしたくせにすでに聖を追い越している緋葬架が答える。
「私の敬愛するおねえさまは操作系らしいが、おねえさまは本当に滑らかに、それこそ生きているように物体を操りますもの。あの人は弾き飛ばしているだけです」
「おねえさまねぇ」
同じ学園に在籍する性格の悪い知人を思い出して、聖は緋葬架に分からないように顔をしかめた。しかし、性格はともかくとして能力に関しては緋葬架のいう通りである。彼女が操る物体はまるで意志があるかのような動きをする。それに比べれば跳ね返ってきた銃弾は直線的な動きだった。もし彼女があの銃弾を操っていたなら、避けたところで銃弾がさらにリターンしてくるくらいのことはしただろう。
「っていうと、障壁とか時間操作とか」
「時間操作や事象干渉なんて高度で稀有な能力持ちなら、もっとスマートに戦ってきそうですけどね。私は、自動迎撃か何かの能力だと思いますわ。常時発動型の」
後ろからはどたばたと音がする。振り向くと、一直線にこちらに向かってくる人影が見えた。
「何て力ずくな動き」「でも速いですわね」
ほとんど蹴り破るようにして二人は裏口から転がり出た。同時に、聖はこっそり拾っておいたガラス片を地面に振りまく。
「【オストラキスモス(陶片追放)】発動」
聖の能力はガラスや陶器の破片で囲った空間を、周囲の人間から察知されない隔離空間に変えるというものだ。その中にいる聖やその仲間も知覚外に置かれる。
裏口から飛び出してきた追手は二人の姿が見えないのに気づいて足を止めた。実際はすぐ近くにいるのだが、聖の能力のため見えていないのだ。
「げっ」
初めて明かりのあるところで追手の姿を見て、聖は下品な声を出した。緋葬架も目を瞬かせる。
「あらあら、女性でしたのね。って、聖。この方を御存じですの?」
聖の反応に、緋葬架は小首をかしげてみせる。苦い顔で、聖は口を開いた。
「御存じというか、一方的に顔を知ってるというか……うちの学校の五年生だぞ」
この場合、五年生とはトランキライザー本科五年目の生徒を指す。
「先輩ですの? なぜこんなところに?」
「フリーの用心棒だから、まあいてもおかしくない。ミスティッククラス単独履修で、階級はマスタークラスだったか? 相河アイラ。日米ハーフで、エイリアスは【アキレス(死なない化け物)】だったか? 250から260位あたりのはずだ。あの辺はわりと変動激しいから正確に今何位からは分からない」
「あいが、あいら……詳しいですわね」
「まあな。成績上位者の顔と名前はできるだけ把握しておくことにしている」
戦闘能力がずば抜けて高いわけではない聖にとって、強者との距離や関係性を調節することは生き残る上で欠かせないことだ。当然、情報には敏感になる。
「…………聞いたことがありますわね。能力はよく分かっていませんけど、どんな戦場でも絶対に怪我をしない奇跡の人とか。しぶとさでは定評がございますわ」
緋葬架は肩をすくめて見せた。
「まあ、なんとなくタネは分かりましたわ。あの方、自分に対して向かってくるものを反射させる能力の持ちぬしなのですわね」
「多分な。強力ではないし稀有でもないが、厄介な能力だ」
怪我をしないということは、なんらかの方法で攻撃を防ぐ能力を持っているということだ。相手に向かっていった攻撃が見事に直線的に跳ね返ってきた経過を考えると、相手の能力は自分の近くに来たものを弾き返すという能力の可能性が高いということになる。しかも弾き返すだけで自分の攻撃を放ってきたりはしないところから、外部からの干渉によってはじめて発動する能力と考えられる。
「厄介だな。あの手の迎撃系能力は攻撃には不利だが、防御に強い奴が多い。放っておいたら生き残ってしまう」
なんと言っても向かってくるものをすべて弾き返す能力なのだ。瓦礫で押しつぶそうとしても、その瓦礫を弾き返してくるだろう。ちらりと視線をやると、アイラは慎重に周囲を探っていた。
ミスティックは、同じミスティック同士の戦闘に慣れていることが多い。不可解なことがあればすぐにミスティックと結びつけ警戒する。やりにくい。
「不意打ち……は無駄でしょうか」
「発動条件は知らねえが、今まで不死身と呼ばれるほど損傷が少ない人間ってことを考えると無駄だと思うぜ。負けはしないだろうが、勝つ手段が思いつかない。所長たちと合流するのは?」
「無理ですわ」
ちらりと時計に目をやって、緋葬架は首を横に振った。
「すぐにでも片をつけないと私たちも崩壊に巻き込まれます。所長がどこにいるのか正確に分からないのに、合流するのは難しいでしょうね。それに待ち合わせ場所まで逃げれば、最悪、脱出手段を破壊されてしまいます」
「タイムリミットもあるのかよ……神様、俺が何をしたっていうんだ」
「しているでしょう、色々と」
「このタイミングで制裁に乗り出すことねえじゃねえかよ!!」
絶叫してもこの隔離された領域にいるかぎり、彼の声は外へ届かない。一通り不平不満を叫んだあと、ため息とともに聖は武器を握りなおした。
「仕方ない。やるぞ」
「彼女の能力を考えると飛び道具は厳禁ですわね。でも接近戦のつばぜり合いなら弾かれないかもしれませんわ。聖、白兵戦は?」
「授業で単位は取れてるぜ。本職に適うかは謎だけどな」
「十分です」
緋葬架は両手に持った二丁の自動拳銃を軽く振った。どういう仕組みになっているのか、その拳銃の銃口のすぐわきから仕込み刃が現れる。聖は銃火器が使えない状態での戦闘用に常備している軍用ナイフを引き抜く。ナイフと言っても刃渡りは三十センチ近くある。本来は殺人専用ではなく、様々な作業によって刃の部分を使い分ける作業ナイフだ。だが、人が殺せないわけではない。
「……俺、これが終わったらマジで休暇取る」
「なぜ自ら死亡フラグを立てるんですの? 馬鹿ですの? 死ぬんですの?」
「今は洒落にならねえだろ、それ」
力なく聖は呟いた。そしてゆっくりと息を吐く。次の瞬間、その表情が入れ替わる。気だるげな少年から、仕事の顔に。
「俺が正面からまっすぐ。お前が後ろからゆっくりでいいか?」
「ええ。私も同じことを考えていましたの」
澄ました顔で緋葬架は答えた。同僚が囮役を買って出たというのに顔色一つ変えない。苦笑をすると、ためらうことなく聖は飛び出した。何もない空間(に相手には見える)から飛び出してきた聖に、アイラは驚いた顔をした。しかし、すぐに迎撃体制に入る。鋭い音がして刃物と刃物がぶつかり合った。
思ったよりも重い感触に、聖は内心舌打ちする。能力の厄介さを抜きにしてもアイラは強い。ナイフを受けるときの力の流し方でそれが分かる。しかし、聖もプロだ。それで怯むレベルではない。受け流されたように見せかけて、死角から刃をつきあげるように動かす。普通の相手なら切り傷くらいはつけられる速さだ。だが、刃がアイラの肌を切り裂くよりも前に聖の手からすさまじい力でナイフがもぎ取られる。
「――――っ!?」
突き出したナイフは、その勢いと同じくらいの勢いで逆方向にはじけ飛んだ。同時に聖の身体も走ってきた方向へ吹き飛ばされる。目の前には相手の刃。咄嗟に聖は腕を上げて急所をかばおうとした。
「このっ!!」
その前に逆方向から緋葬架が襲いかかる。だが、刃が届くよりも前に同じように振り下ろした仕込み銃はあらぬ方向に吹き飛んだ。咄嗟に後ろに跳んで緋葬架自身は吹き飛ばされるのを免れる。一方の聖は受け身は取ったものの無様に地面に叩きつけられた。
「緋葬架!」
「分かっていますわ! この方は自分に対して向かってくるものを元の方向に同じだけの力で弾き返す能力者!!」
最悪だった。あちらはこちらを攻撃できるのに、こちらの攻撃はすべて弾かれる。そんな相手をどうやって倒せばいいのか。平素ならば答えは簡単だ。倒しにいくことをやめて回避することに専念すればいい。しかし今回は勝手が違う。確実に殲滅しなければならない。たとえそれがあきらかに雇われの用心棒でも。
「はっ、用心棒というのはいつからそこまで義理堅くなったんですの? さっさと逃げれば、貴女なら逃げ切れたでしょうに」
わざと過去形にして挑発的に緋葬架は言った。アイラはかすかに顔をしかめる。こうしてみると悪くない顔立ちをしている。少なくとも厄介な能力者には見えない。
「逃げる必要はない。依頼主は死んだようだが、こちらにも矜持はある。敵の首の一つ持って帰れなければ、立場がない」
「なるほど」
フリーというのは働いた報酬のすべてが自分に入ってくる代わりに、フォローが一切ない。一度でも無様な姿をさらしてしまえば評価はおどろくほどに下がる。それを食い止めることは職業生命がかかってくる。向こうも命がけなのだ。
「ですが、こちらも退くわけにはいきませんわ」
緋葬架は残っている方の銃剣を持ち直した。先ほどの攻撃で吹き飛ばされたのは、彼女に向かって振り下ろした武器と彼女に向かっていった聖だけだ。手に持っていただけの武器や、彼女から逃れるように跳んだ緋葬架はなんともなかった。それが相手の能力の制限を示している。つまり、こちらから向かっていかなければあの能力は発動されないのだ。
「まあ、それが分かったからってなんともなりませんけど」
ぽつりと緋葬架は呟いた。そう、なんともならない。緋葬架の能力では、向かっていかずに敵を倒すことはできないのだから。異能者や特定の特殊技術を持つ人間なら彼女を倒す方法があるが、緋葬架にそれは使えない。使えない手段は意味がない。
「さあ、かかっていらっしゃいなさいな」
緋葬架の言葉に相手も身構える。だが、予想通り突っ込んでくるようなことはない。互いに間合いを計りつつ、円を描くように動く。
緋葬架が相手の気を引いている間に大勢を立てなおした聖は、やや後方に下がって様子をうかがっている。
足元で砕けた硝子が音を立てた。それが合図になったかのように、両者は同時に飛び出す。音を立てて刃物がぶつかり合った。緋葬架よりもアイラのほうが半歩ほど前に出ていたため、銃剣は弾かれることなくアイラのナイフを受け止める。同時に逆方向から聖が切りかかる。聖のアイラに向けられた刃は届くことなく弾かれるが、それに気を取られてアイラの体勢が変わる。それを見越して緋葬架は予備のナイフを、彼女の動きの軌道上に差し出した。
血が飛び散った。予想通り、彼女のほうから向かった場合攻撃は弾かれない。ナイフの切っ先がアイラの頬と右手を浅く切り裂く。舌打ちしてアイラは後ろに跳ぶと、首に巻いていたスカーフをほどいて視界を塞ぎそうになった血を拭った。水色の布が赤く染まる。服としては使えなくなったそれを、アイラは投げ捨てた。
「このっ!!」
「死なない化け物でも傷はつくようですわね」
せせら笑いながらも、緋葬架の首を冷や汗が伝う。本当は今の一撃で片がつく予定だった。しかし、思った以上に相手の反射速度が速い。致命傷を与えることができなかった。同じ手は二度と通用しない。冷静な顔の裏で、緋葬架の思考は目まぐるしく変化する。時間はもう残っていない。最悪、一度退いて戦場を変えてから決着をつけた方がいいかもしれない。そこまで考えた時、アイラが動いた。先ほどまでのナイフ術ではない。銃だ。
「聖! お退きなさい!」
叫んで緋葬架自身も物陰に跳び込む。アイラの能力と遠距離攻撃手段は相性がいい。アイラが攻撃を受ける可能性があるのは、先ほどのように軌道上に敵の武器が存在した場合とほとんどあり得ないがアイラが攻撃を弾き損ねた場合くらいだ。そして前者は、周囲に敵を寄せ付けなければ起こり得ない。
髪を銃弾がかすった。ただでさえ足場が悪い上に、あちこちで爆破と倒壊が起きているため地面が揺れる。それは向こうも同じだが、腕だけを動かせばいいのと全身で逃げ回らなくてはならないこちらとではまったく違う。
「退こう、時間がない!」
「貴方が先に逃げてくださいな。私より足が遅いのですから」
聖は言葉に詰まった。標準からすると聖の足は速い方だ。学園の戦闘系生徒からみてもけして遅くはない。しかし、サイボークでありかつもともと非常に優れた身体能力を持つ緋葬架と比べると確かに遅い。
「なおのことだ。お前には一度命を救われてる。二度も三度も救わせるわけにいくか」
「どちらも死んではそれこそ無意味でしょうが!」
爆風がここにまで噴きつけてくる。足元の瓦礫が崩れ、足場がなくなる。
「――――っ」
体勢が崩れる。緋葬架は自分に向く銃口を自覚しながら、体をひねって急所を隠しつつ、腕で頭をかばう。しかし、この状況では頭を守っても足が動かなくなれば死は確実なこともどこかで自覚している。
銃声が響いた。その直前に、緋葬架の身体を誰かが突き飛ばす。華奢な体は思ったより飛んで瓦礫の上に着地した。代わりにぱっと緋色が飛び散る。
「くそっ!」
腕に二か所被弾して聖は悪態をついた。痛みに耐える訓練をしていようと、怪我をすれば痛いものは痛い。
「生存率考えるなら、お前だけが逃げたほうが確実だろう、この場合! 俺は情報操作や謀ならともかく、戦闘能力だけならお前の方が上だ! 先に行って所長と合流しろ」
「こ、このくそ馬鹿っ! 下っ端のくせに!!」
「たまには上級生で年上の言うことを聞け!」
「私はおねえさまの言うことしか聞きませんわ!」
「それは駄目だろう!? せめて所長の言うことくらい聞けよ!」
「…………仲がよろしくて羨ましいこと」
鬱陶しげにアイラは髪をかきあげた。つまらない言い争いをしていた二人は、ほぼ同時に口を閉ざす。
「なら、一緒に死ねばいいんじゃないの?」
銃弾を当てるすべはなくとも、こちらに飛んでくるものを弾くことならできる。聖は軌道を見極めようと、手に持ったナイフを握りしめた。緋葬架も身構えているが、下手に動いて聖が標的にされることを恐れて大きく動くことはできない。
音を立てて近くの建物の硝子がはじけ飛んだ。時間が迫っている。このままではたとえ銃弾に当たることがなくとも建物の倒壊に巻き込まれて圧死する。それに気づいているのか、アイラは爆破の揺れがおさまった瞬間、動いた。同時に聖と緋葬架も動く。銃弾の軌道をかわし、あるいはナイフではじいて軌道をそらし、距離を詰める。だが、向かっているという行為そのものが能力の発動条件にもなる。伸ばした手がすさまじい力で逆に弾かれる。その時、
「え?」
衣ずれの音がした。同時に、絶対に触れることなどできないと思っていたアイラの首筋に細い布がかかる。赤黒い色をしたそれは、アイラがその存在に気づくよりも前に斜め上へと引き上げられた。
「――――――」
人間の首には動脈が通っている。そこを絞めあげられればものの数秒で気絶、一分断たずに死に至る場合もある。無防備に首をつらされたアイラは速やかに気絶した。その細い布を掴んでいる手が伸びて、ごく自然な動作で聖のナイフを取り上げる。そして、それが決まったことでもあるかのように、その手はナイフをアイラの胸に沈めた。
血が飛び散る。
咄嗟に我に返って飛びのいた聖の鼻先を赤いしぶきがかすめた。
「………………所長?」
「無事でよかった。二人とも」
片手にまだ温かい死体を持って、所長――四十物谷宗谷はにこりと笑った。邪気の欠片もない安心したような笑みに、背筋が冷える。
「所長……ですよね?」
いつ現れたのか、事がすべて終わるまで分からなかった。こんなことは久しぶりだ。危険はないと分かっていても、本能が警鐘を鳴らし、理性のほうは現状についていけていない。
「え……? 倒した……んですか?」
「そうだよ。ナイフを汚した。ごめんね」
「安物だからいいです。いいから抜いて返そうとしないでください。捨てていいです」
「そう?」
宗谷が手を離すと、首に布を巻いたままの少女の死体が崩れ落ちる。よくみるとその布には見覚えがある。戦闘中に彼女が脱ぎ捨てたスカーフだ。
「上から苦戦してるのが見えたから急いで降りてきたんだけど、すっかり遅くなってしまったよ。ごめんね、聖」
そういう宗谷の服の端々は紅い。その色があきらかに今の死体から流れ出たものだけではないことに、聖は気づいた。何があったか聞こうとして、聖はやめた。代わりに別のことをいう。
「……所長って強かったんですね」
「運がよかったんだよ」
宗谷は手を伸ばすと、アイラの髪を簡単に整えた。少しだけ死に顔が安らかにみえるようになる。実際は何が起こったかも分からずに死んだのだろうが。
「服ってさ、よほど身体にフィットしてない限り、肌の上でこすれたり跳ねたり肌に当たったりするよね? 彼女の能力が周囲にあるものを無差別に弾き返す能力なら、服も弾かれるはず。でも、そうじゃないってことは彼女は自分の服と周囲の大気だけは、寄せ付けないものの対象から外してるんじゃないかなと思って」
だから彼女が捨てた服の一部で首を絞めたのだと、平然とした顔で宗谷は言った。罪悪感の欠片もなければ、他人の死に興奮した様子もなく、淡々と言う。その気持ち悪さが宗谷という人間をよく示している。すべての人間に興味を持ち、人間でありながら人間でない残虐さに憧れ、人間と化け物の境界を探って悦ぶ。あまりいい趣味ではない。
「さて、時間がない。緋葬架」
宗谷が放り投げた宗谷自身と聖の荷物を緋葬架は片手で受け止めた。
「それを頼むよ。僕はこっちを運ぶから」
「当然ですわ。重いものを運ぶのは男の仕事です」
「あの、すごく嫌な予感ってうおっ!?」
宗谷は軽々と聖を肩に担ぎあげた。傍からみると誘拐風景である。
「ちょっ、どこにそんな力があるんですか!? 所長!」
「それは戦斧なんて重量武器を主力武器にしているお方に言う言葉ではないですわ。所長は見た目は、うざい長髪の根暗悪趣味男ですが、筋力と体力はその辺のマッチョには劣りません」
「はは、酷い言われようだ」
あきらかに悪口を言われているのに、宗谷は笑っている。器がでかいわけではない。自分に対する対外的評価に関心がないだけだ。
「所長、たまには怒ったほうがいいですよ。あと、自分で歩けます」
「この出血で全力疾走は無理だね。君はちょっと黙っていたほうがいいよ。舌噛むから」
そう言うと、宗谷は全力で走りだした。緋葬架もそれに続く。直後、つい先ほどまで下にいた本社ビルがとうとう崩壊を始める。それに合わせるように、残っていたすべてのビルが火を噴いた。
「!?」
「緋葬架、全力疾走」「してますわ!!」
まるでシューティングゲームのような動きで二人は瓦礫をかわし疾走する。しかし、担いでいる怪我人のことは二の次のようだ。振りまわされて、聖はちょっと意識が遠のきかけた。完全に遠退かなかったのは、平素の訓練のおかげだろう。その良しあしはともかくとして。
ふいに視界が開けた。建物と瓦礫の山がなくなり、広い道路が出現する。その道路もひび割れだらけであちこちに壊れた車が止まっているが、少なくとも頭上からの落下物は今はない。
「所長! こっちだ!!」
「飛び、乗、る……がんば、って」
声がした。音源でゆっくりとジープが動きだす。なぜか扉は全開だ。そこにはすでに撤退していたジョフと揺蘭李が乗っている。
「まったく、まるでアクション映画ですわ」
文句を言いつつ、緋葬架は飛びあがった。そのまま、車の屋根に着地する。しかし、聖を担いでいる宗谷はそうはいかない。
嫌な予感がした。聖は早々に自分の運命を予感し、身体を固くする。
「ジョフ、ハンドル離すなよ?」
そう叫んで、宗谷は聖を車内に向かって投げいれた。
「うそぉおおおおおおおおお!?」
成人男性(怪我人)が軽々と中を舞、そして狙い違わずあけ放たれたドアから内部に突っ込む。反動でずり落ちそうになったが、そこは揺蘭李が退きいれ事なきを得た。そして宗谷自身は地面を蹴ると、窓枠を掴んで車の側面に取りつく。次の瞬間、加速したジープはドームシティの入り口を飛び出した。背後でひときわ大きな爆発音が起こる。爆風で車が煽られた。
「うわぁ! しょ、所長!?」
「はいはい、止まったら死ぬよ?」
脅しでもなんでもない事実に、ジョフは振り向くことなくアクセルを踏み込んだ。みるみるうちに、近隣唯一の都市だったアンジュが遠ざかっていく。夜空が赤い。
「全員、首尾はどう?」
「書類は死守しましたわ」
聖の荷物の中から書類ケースを取りだして、緋葬架は胸を張った。他の所員は笑みを浮かべて見せることで答える。
「そっか。そっか。これだけやって怪我人一人なら、たいしたものだ」
「一応……私、と、ジョフ……も、怪、我したけど、緋葬架……も?」
「まあ、無傷では御座いませんが、業務に差し支えるほどでも御座いませんわ」
全員の無事を確認して、そこでやっと5人は肩の力を抜いた。
「きつ……この人数で城攻めはきつい…………」
「あはは、無事で何よりだよ」
ぐったりと椅子に身体を投げ出したのは、聖と揺蘭李。まだ余裕が残っているのが宗谷と緋葬架。運転のため力を抜けないのがジョフだ。
「眠……早、く、帰る」
「そうだね。帰ろうか。学園都市へ」
その日、東南アジアの地図から一つの都市が消滅した。この事件は瞬く間に世界を駆け巡り、しかし一部の人間をのぞいてはすぐに忘れられた。これだけ規模の違う組織同士の紛争でこの結果は珍しいが、そうでないならありふれたものだからだ。ただし、これ以降、四十物谷調査事務所は油断できない調査機関として業界内でのみ飛躍的に知名度を上げることになる。
* *
「うわぁ、凶悪」
本音全開の一言が、パート社員の口からこぼれた。うんうんと周囲のアルバイターや契約社員たちも頷く。
「うちの事務所は、戦争屋でも傭兵でも殲滅屋でも掃除人でもないんですよ?」
「爆破なら本社ビルだけで十分じゃありませんか」
「資料だけ盗んで脅迫するとかもっと平和的な手もあると思うんっすけど」
微妙に不穏な台詞もまざっているが、概ね否定的な意見が相次ぐ。緋葬架は宗谷に代わって答えた。
「昔の人は良いことをいいました。根から断つ、と」
「そういうところが凶悪なんですよ」
しかし残念ながら、その凶悪な考え方のほうが学園内では多数派だったりする。
「っていうか、その一件。当時の契約社員とかは何してたんです?」
「ああ、武闘派の人は都市への道を封鎖したり、取りこぼしの対処に当たったり。学者は留守番」「当たり前です」
腕を組んで宗谷は椅子にもたれた。負荷にぎしりと椅子が音を立てる。
「ま、そんな感じで昔話終了。案外とつまらない話だったろう?」
「つまらないというか、予想通りというか、ある意味予想の斜め下というか――――四十物谷所長って強かったんですね。後、正月さんって案外役に立ってなかったんですね」
「ちょっとまて。今の話で何故その結論に至る?」
バイトの言葉に、立ち去りかけていた聖は戻ってきた。えーともあーともつかない声がアルバイターの間から上がる。
「だって強敵出ると役立たずじゃないですか」
「俺は一応非戦闘員。潜入と撤退専門」
「格好悪い……」
「うるせえよ」
「まあまあ、そういうものではないですよ」
珍しくファヒマが口をはさんだ。聖はほっとする。が、
「ミミズやオケラ以下の働きしかしていないとはいえ、彼だって好き好んで無能なわけじゃないんですからね」
「フォローしてるように見えるが……誰もそこまでは言ってないからな、ファヒマ。お前が一番貶してるじゃねえか」
澄ました顔で、ファヒマは明後日の方向を向いた。緋葬架と宗谷は聞こえなかったふりをして聞き流す。微妙な空気が流れた所内を小さな足音を立ててプレーリードックが走り去っていった。所員の一人が飼育しているものだ。
「……で、その後マジでおとがめなしだったんですか?」
「んー、一応ね。それにあってもまあ、どうにかなるものだよ?」
普通はどうにもならない。一体どんなやり取りがあったのかを想像して、その場の空気が冷えた。
「まあ、その辺は冗談として君たちだって手段と理由さえあればこれくらいのことはできてしまうものだよ?」
「出来てしまったら大変だと思いますよ?」
少なくとも都市の数が激減することは間違いない。ただでさえ、この学園の生徒は方々で騒動を引き起こしているというのに、そうなったら学園全体の評価にも関わらってしまう。渋い顔を浮かべるアルバイターを見て、宗谷は爆笑した。
「そんなに真剣に悩まないでくれよ? できるかできないかの話で、やれとは言ってないんだから。うちは調査会社だよ? 相手が牙をむかない限りは、刃を突きつけ合う必要なんてないんだよ」
「の割には凶暴ですけどね」
「仕方がないさ」
くすくすと宗谷は笑った。
「動物でさえ、機会があれば敵を殲滅しようとする。人間はなおさらだ。死にたくないなら殺すしかないし、殺したなら殺し続けるしかない。ま、その業をどこで食い止めるかというので真の能力が問われるわけだけど、と」
宗谷は顔を上げた。同時に緋葬架が銃を抜く。それを見て、大慌てでアルバイターたちは机の下にもぐりこんだ。直後、マシンガンを持ったスーツの男がドアから現れる。待ち構えていた緋葬架と聖の手によって、男はマシンガンをぶっ放すよりも前に額と胴に穴を開けてぶっ倒れた。後続がいないことを確認して、聖は銃の安全装置をかけ直す。
「物騒なお客さんだね。誰か手を貸してくれ。あそこに落ちてると他の客が入れない」
「聖、男なんだからやりなさい」
ためらいなくファヒマは聖を指名した。聖も特に反発することなく、半ば予想していたらしい動きで死体を撤去し始める。死にたてのそれはまだ血も塊切っていない。
「誰か洗剤持ってこい。あと、死体袋」
「ちょっと、硝子割れてるよ。ドア蹴りとばして入ってきたな、こいつ」
速やかに掃除を始める所員を見ながら、そろそろとアルバイターたちは机の下から這い出す。そして、ため息をついて顔を見合わせた。
「…………やっぱり、凶悪だ」
おわり
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: