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少女と推理小説」(2009/03/13 (金) 15:30:06) の最新版変更点

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少女と推理小説  伸ばした指先が別の誰かの手に触れて、少女は驚いて横を見た。そして同じようにこちらを見つめ返している瞳と視線が合って、再度驚く。  今の時代、好き好んで紙の本を読むような人間は少数派だ。しかもこの学校の予科生ともなれば、物語の本を読んでいる暇などない。なのに、そのモノ好きな少女が手を伸ばした推理小説を相手も取ろうとしている。そのことに、少女は運命めいたものを感じた。 「――って感じだったんだとおねえちゃんは記憶してるんだけど。おねえちゃんと矯邑のおねえちゃんの出会い」 「記憶のねつ造禁止!」  気だるげに、ただしかなり本気の顔で言う序列225位【ラヴレス(愛を注ぐもの)】空多川契(あくたがわ けい)に、序列189位【スコーレ(暇人の学問)】矯邑繍(ためむら しゅう)は冷静な突っ込みを返した。 「えー、間違ってないよ」 「図書館で出会ったことは事実なんじゃないでしょうか」  机の向こうから見守る、序列249位【アルヴィース(賢きもの)】冷泉神無(れいぜい かんな)と序列226位【ドクターグルメ(美食治療)】村崎ゆき子(むらさき ゆきこ)はきょとんとした顔をしている。  学園都市・トランキライザーの中にある巨大図書館ビブリオマニアスク。それを見上げるような位置にある喫茶店に四人はいた。ブルーローズやロックハート洋菓子店のような世界的な有名店ではないが、なかなか味は良い。おそらくは料理人志望の生徒が営業しているのだろう。  四人は硝子の向こうに見える図書館を見やって、それぞれ感慨深げにため息をついた。ビブリオマニアスクは世界中に図書館を作っている巨大組織である。言い方を変えるなら、そういう組織でないと今の時代、広大な紙の本を集め管理することは難しい。情報のほとんどが電子化されている現代では、好き好んで重たくてしかも見たいページを探すのに不便な紙の書籍を集めたがる人間は少ないからだ。もっとも一部のコレクターやインテリアとして本を求めている人間なら話は別だが。 「そういえば、図書館で出会ったんだよね。全員」 「当時はみんな予科生だったけど……見事に進路が分かれたことで」  神無と繍の呟きに、全員が苦笑を浮かべた。当時は同じ『学生』だった四人も、今では学者から非合法な活動を行う組織の重鎮までばらばらなことをしている。それでも縁が切れないのはどこかで気が合うためと、分野がばらばらすぎて利益の取り合いになるような事態がまずないからだろう。 「ともかく、そんな少女小説みたいな展開じゃないよ。私の記憶だと」  矯邑繍は図書館にいた。勉強のためではない。集中して勉強がしたいなら自習室にいくし、調べ物があるならインターネットか学園内部の情報システムサーバーにアクセスする。図書館にやってくるのは純粋な趣味だ。今時、紙媒体で物語を読むのが趣味なんて古臭いと言われるかもしれないが、繍にとって読書は至福の時間だ。  そして、いつも通り推理小説と呼ばれる小説の棚の前に繍はやってきていた。推理小説とは何かというと色々意見はあるだろうが、繍の中の定義では推理小説とは何らかの事件が作中で起こり、その事件の原因と仕組みを探偵役の人間が解き明かすという内容の小説だ。西暦の時代にはかなり流行ったこともあるらしい。  だが現代、わざわざ推理を楽しむ人間は少数派になりつつある。なぜなら小説の中で起こる事件より、現実世界で起こる事件のほうがよほどミステリアスでスリリングだからだ。それに科学技術の発達でどんな小さな痕跡からでも犯人を割り出せるし、捜査に適したミスティック能力やサイキック能力もある。最大の問題は、どんなに不可解なことがあろうと、死体が転がっていようと、特別な理由がない限りはその原因やそうなったトリックをわざわざ解明しようとする人間が少数派だということだ。その調査解析にかけるコストと結果から得られる利益を計算した場合、多くの場合コストが上回ってしまう。そんな面倒くさいことをわざわざやる人間は少ない。殺されたのが要人なら事情は変わってくるが。 「夢のない時代……」  夢があろうとなかろうと人間の死で楽しむのは問題なのだが、そういう部分での倫理観は見事にずれている。繍も結局はそういう時代の人間なのだ。  本の前に立って棚を見上げ、繍はあることに気づいた。お気に入りのミステリ作品シリーズの二巻がない。誰かが借りているようだ。別にその巻がどうしても読みたかったわけではないが、なんとなく気になる。誰が借りたのかなと考えながら、繍は手を伸ばした。が、 「あ、ごめんなさい」  その手が本の背表紙に触れる前に、別の手に触れた。いったいいつの間に現れたのか、同年代くらいの少女が同じ本に向かって手を伸ばしていた。身長は繍と同じくらい。病的なまでに白い肌とそれと対照的な真っ黒の髪が、この世のものらしからぬ独特の空気を生み出している。繍は目を丸くした。 「こちらこそすみません。どうぞ」「いいえ。先にいたのはおねえちゃんだから、先にどうぞ」  本棚から抜き出した本を少女は押し付けてきた。繍は慌ててそれを押し返す。 「いや、私はもう一度読んでいるのでお先にどうぞ」 「私より前に本棚の前に来てたんだから、おねえちゃんどうぞ」 「いいや、お先にどうぞ」「おねえちゃん先に……」  しばし、二人は本棚の前で本を押し付けあった。 「――――とまあ、こんな感じだったはずだ。そんな運命的な空気はみじんもない」  腕を組んで繍は言い切った。簡単ともため息ともつかない声が上がる。 「本当にみじんもないね」 「そういう事情があったんだ」  あきれたように神無は呟いた。まさかそうやって出会った文学少女が数年後、かたや世界的に有名な学者、かたや非合法組織の重鎮になるとはだれも思わないだろう。 「本当はおねえちゃん、二巻が読みたかったのですよ。美少女が二人出てきてちょっと百合ちっく~」 「あれ? あの本の二巻ってバラバラ殺人事件じゃなかったっけ? 美少女出てくるけど、バラバラにされるじゃん」  同じ本を読んでいた神無は首をかしげて見せた。契は激しく首を横に振る。 「違うの! 匣の中には美しい少女がみつしりと詰まつてゐるのです!!」 「それって……バラバラ死体だよね?」 「死んでない! …………まだ」 「物語の最後では死ぬじゃん」 「おねえちゃんの心の中では生きている」  そう言って契は明後日の方向を向いた。二人のゆるい会話を見守っていたゆき子は、あーともはあともつかない声を出す。 「もともと生きてませんけどね」 「いいんじゃないの? 話でしか聞いたことのない実在の人物と小説の中にいる人間のどちらがリアリティがあるかって考えたとき、必ずしも実在とされる人物のほうにリアリティがあるとは限らない」  言葉遊びでしかない言葉を呟いて、繍は笑ってみせた。ゆき子は意味がよく分からなかったのか、ことんと首をかしげて見せる。 「そういえば、最近こんな感じのバラバラ事件ありましたね」 「時々起ってるよ。残念ながら」 「先月なんかどこかで、誘拐された被害者の身体の一部が順次に届くっていう猟奇事件が……まあ、関係ないけど」  弱肉強食、なんでもありのこの時代、人間の想像の及ぶ範囲の事件はだいたい起きている。この小説が書かれたのはまだ西暦が使われていた時代の日本だというが、おそらくその時代は平和だったのだろう。 「えーと、そこで私が登場するまでまだ間がありますけど、どうなったんですか? その後」「私が出てくるんだよ」  のほほんとしたゆき子の言葉に、神無が口を開いた。 「あの日は社会科学の試験に合格して少し余裕があったから、好きな本でも読もうと思って図書館に行ったんだ。電子ブックだと読んでるって感じがしないから、本が好きで。それで――――」 「…………何あれ?」  図書館を歩いていた神無は、図書館の中でも比較的人が少ない物語の棚の一角で足を止めた。視線の先には一冊の本の端と端とそれぞれ持って対峙する少女が二人。本の取り合いでもしているのだろうか。  迂回しようとして、神無は二人が自分が目指す本棚の丁度前で対峙していることに気づいた。すごくすごく迷惑な位置だ。喧嘩ならどこか別の場所でやってほしい。だが、近付くと様子がおかしいことに気づいた。 「だ・か・ら、お先にどうぞって言ってるじゃん!」 「いやいや、おねえちゃんが先に読んでください。お願いします」 「いいってば。お先にどうぞ」 「いいえ。先に読んでください」 「…………」  本の取り合いではなく、本の譲り合い合戦が起きていた。どうしたものかと神無は考え込む。その時、 「あ」「え?」  思いきり本を押し付けた拍子に少女の片方――後に矯邑繍という名前だと知る――が本棚の一つに激突した。本棚自体はしっかり固定されているらしくびくともしないが、収められた本が嫌な感じに揺れた。そして、ゆっくり前倒しになる。 「ああああああああああ!!」  咄嗟に神無は走りだしていた。そして本棚から本が落下する寸前、何とか手を伸ばしてそれを受け止める。押した方の少女も同じように本を受け止めたので落下したのは数冊ですんだ。本棚に激突した方の少女は何が起こったのか分からなかったらしく、きょとんとしている。だが、徐々に状況を理解してくるにつれて、顔色が変わってくる。 「助けてくれてありが」「ダメだよ、本は大事にしないと。最近の頑丈なノートパソコンや電子ブックと違って、紙はすぐに破れたり傷んだりしちゃうんだよ!?」  少女が感謝の言葉を述べるより先に、神無は叫んでいた。本というものは人類の貴重な知恵や想像を詰め込んだ宝だ。だが、その宝である情報を保存している紙というものは案外、劣化しやすい。和紙や墨は酸性紙やらホッチキスやら劣化インクやらに比べれば幾分かましだが、それでも適切な環境で保存しなければ長くは持たない。なにより汚れが付着した場合、特殊な薬品でも使わないと簡単には取れない。  床に落ちた本をすばやく拾い上げ、神無は汚れの有無を確認する。この図書館にあるものは神無個人の所有物ではないが、公共のものとして今後も沢山の人間に知恵と想像力を与える使命を帯びている。どうしようもないほどのダメージを受けていたら大変だ。だが、神無が心配するような事態にはなっていなかった。ほっとしながら、神無はすべての本を棚に戻す。そこでやっと、唖然としてこちらを見ている二対の目に気づいた。 「本は大事に」  もう一度言うと、二人はすばやく首を縦に振った。思ったよりも素直な性格をしていたようだ。安心して神無は頷くと、さきほど読み終わった本を元の位置に返した。が、三巻がない。誰か借りているらしい。 「あ、二巻」  変な声が聞こえたので神無は振り向いた。そこには先ほどの二人の少女と、二人の間で押し付け合いになっていた――――神無が読みかけの小説シリーズの第三巻があった。 「へえ、それじゃあ三巻の争奪戦はますます複雑なことになっちゃったんですね」  ゆき子は楽しそうに身を乗り出した。乗り出し過ぎて紅茶をこぼしそうになり、慌ててカップを抑える。 「でも面白いですもんね、あれ。四巻くらいまでは」 「どんな本も二巻か三巻あたりが一番面白いんだよ。例外もあるけど」 「ああ、どこを読んでも面白くないやつね」「あるいは全部面白いやつ。でも、おねえちゃんそれは本当に少ないと思うな。シリーズが長くなれば、一冊二冊は全然面白くない巻もあるよ。うにー」  真っ赤なカシスティを嬉しそうにすすって、契は言った。 「でもこの昔話の肝はそこじゃないと思うんだ」 「だね。問題なのは冷ちゃんがそこで、本を落とした人の心配じゃなくて、本そのものの心配をしたほうだ」 「職業病だよ。つい希少価値のあるものに反応しちゃうの」  神無は古物商である。価値ある古いものを守り、治し、売買するのが仕事だ。 「当時はまだだたの学生だったはずでしょうが」 「溢れる才能がそういう行動を取らせちゃったんだよ。きっと」  するどいツッコミを神無は笑顔でやり過ごす。何にも打ち破れぬ笑顔はある種の武器だ。 「それで、その後どうなったんだっけ?」 「私です」  にこにこ笑いながらゆき子は口を開いた。  図書館にやってきたゆき子は、料理の本を見た後、奥の物語の棚を目指していた。世界最高峰・最大級の学校なだけあって、紙の本には困らない。今ではほとんど読まれないような類の書籍までが、データベースではなく活字の形で残っている。 「この学校入ってよかったです」  最高の教育環境、最高の教師陣、最高の生徒たち――――学ぶ努力と学園が求める水準の才能さえあるならば、ここは最高の環境だろう。学ぼうとする意志とそれに見合う能力があるならば、どこまでもそれを伸ばしていける。それに好奇心を刺激するもので溢れている。  鼻歌でも歌いそうなほど機嫌よく本棚の森を歩いていたゆき子は、ある棚のところを曲がった瞬間、奇妙な光景に出くわした。 「…………」  目的の本棚の前で、三人もの人間が顔を突き合わせている。この学園に生徒は多いが、紙の本を――しかもマイナーなジャンルの旧時代の小説を読みたがる人間は少ない。こんな場所に三人も人間がいるのをゆき子は初めて見た。 「…………こんにちは」  だからといって無視するわけにはいかない。なぜならその三人は目的の棚の前で立ち話をしていたのだから。ゆき子が声をかけると、三人は驚いたように顔を上げて会釈をした。その脇を通りぬけて、ゆき子は本棚に手を伸ばした。知人からの口コミで聞いた小説を探し手に取る。シリーズの二巻と三巻はなかったが、幸いにも一巻は残っていた。ほっとしてそれを手にした瞬間、 「今度は一巻」「なんかこれが流行るようなきっかけあったっけ?」  振り返るとその三人組が、シリーズの二巻と三巻を握りしめていた。 「それでその場でミステリ談義に花が咲いて、仲よしになったんでしたね」 「この学園にしては珍しいほのぼのした出会いだ」  うんうんと繍は頷いた。ちなみにこの後ここに篭森珠月が加わり、予科生時代の仲よしグループの一つを形成することになる。さらにいうとこの図書館通いで、契は後に保証人になってもらう序列503位峨家下神楽(がけした かぐら)とも知り合いになる。人生、どこにどんな縁が落ちているか分からない。 「みんな、何であの小説読んでたの?」 「繍ちゃんこそ」  ふうと繍はため息をついた。 「気分で西暦1990年代から2000年代にかけての日本文学を調べていた時に行き当たったんだよ。あの時代は日本って国が平和だったせいか、サブカルチャーが盛んだった時代でかなり文化史的に面白い」 「流石は学者……」  神無は頬杖をついて繍を見上げた。 「私はあれ。あの頃の空想小説全般が割と好きなの。あり得ない展開ばかりのくせに、微妙に現代社会とリンクしててさ」 「おねえちゃんは、作家同士の繋がりで新ジャンルをどんどん開拓してる途中で出会ったのですよ。古い小説なのに妙に斬新なところがあって、あれは大好きですよ」 「私は古い映画のフィルムを色々見る機会がありまして、その時にその小説の映画版を見たんです。それで原作はどうなのかなと思って」 「つまり」「偶然」「だね」  全員がお茶に口をつけた。一瞬だけ沈黙が訪れる。 「……天文学的数値であれ、確率として存在するならばそれは奇跡ではない」 「へえ、誰の言葉ですか?」  ゆき子の声に、発言者の神無は小首をかしげる。 「さあ、誰だったかな。思い出せないから、私の言葉ってことにしておいて」 「さりげなくいい根性してるよね、おねえちゃんは」  契は軽く息を吐きだした。そして心地よい紅茶の香りを鼻孔いっぱいに吸い込む。 「いいブレンド……」 「今度また、ゆき子ちゃんの店か篭森ちゃんの家でお茶会しようね」 「久しぶりにあの小説の映画版をみんなで見るのも楽しそうですねぇ。当時にしてはかなり綺麗な映像で――――」「それならお泊りで映画鑑賞会をしようよ。都合のつく日にさ」  話題は思い出話から今後の予定へと移り変わっていく。  本が結んだ縁はまだ解けていない。 おわり

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