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First contact/矯邑繍&にゃんにゃん玉九朗」(2009/01/23 (金) 19:32:00) の最新版変更点

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First contact 矯邑繍&にゃんにゃん玉九朗  ここは暗い。地下なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、アンダーグランドを歩いていると本当にここがあらゆる意味で見捨てられた都市なのだと感じる。見捨てたのは、人か、企業か、それとも神か。だが、ここの住人はそんなことは気にしないようだ。もっと深くまで潜ればさらに地上の常識など通用しない修羅場が待ち受けているというから、それを考えるとこの程度の場所なんでもないのかもしれない。  アンダーヤード、ブラックバザール。アンダーヤードの中でも時折こういう経済活動の中心地となるような場所がある。周囲にはいくつもの明かりが灯り、薄闇の中、篭に入った謎の植物や檻に閉じ込められた異形の生き物が売買されている。いずれも地上で大っぴらに売ることはできないような類のものだ。  気配を殺しながら人ごみを歩いていた矯邑繍(ためむら しゅう)――のちに【スコーレ(暇人の学問)】のエイリアスで呼ばれることになる天才少女は、知人の姿を見つけてほっと溜息をついた。人込みを避けるようにして道のはじのほうに黒髪の少女が立っている。 「契ちゃん」  呼びかけると少女は深い色をたたえた瞳を繍に向けた。  【ラヴレス(愛を注ぐもの)】空多川契  本科二年目にしてまだエイリアスとして確定はしていないものの、それに近い二つ名を持ち、着実に力をつけている生徒の一人である。 「繍ちゃん」「怖かった。もう、こんな場所待ち合わせ場所にしないでよ」  アンダーヤードで安全な場所などまずない。あるとすれば、自分と友好的な住人の居住地くらいだろうか。いずれにしても戦闘能力がほとんどない人間が歩くには危険すぎる場所だ。 「平気だよ。バザールのメインストリートから離れなければ」 「そりゃあ、契ちゃんや篭森ちゃんはいいよ。強いんだから。でも、私には過酷なの」  ぴりぴりとした様子で周囲を警戒しながら、繍は言った。本科に入って二年目。アンダーヤードも地上も整備されてきてはいるが、まだまだ危険地帯のほうが多い。 「ごめんなさい。おねえちゃんが馬鹿でした。次は地上にします」 「いや、猛反省されても困るんだけどさ……まあいっか。それで何か用だった?」 「んー、就職おめでとうのお祝いなのですよ。ライザーインダストリー就職だって?」  ああ、と繍はうなづいた。先日、学者としての功績が認められ、正式にライザーインダストリーから非常勤講師として働くように依頼があった。予科生の一部と本科のスカラークラス向けの授業を行うことになる。黄道十二協会に末席も末席とはいえ関われることは名誉なことなのだろうが、正直な話、自分としては名誉がどうこうよりも収入が安定することのほうが喜ばしい。学者という職業は成功しれば一攫千金のチャンスがあるが、大部分は収入が不安定で大変なものなのだ。ついでに金がはいってもそれを研究にすべてつぎ込んでしまうという属性も持ち合わせている。 「就職というか非常勤講師だけどね。これで一応収入は安定するかなぁ」 「うんうん。おめでとう~、それでおねえちゃんは矯邑のおねえちゃんのために就職祝いを用意してきたのですよ。やっほぅ」 「お祝い?」  繍は契の足元に視線を落とした。暗がりのせいでよく見えなかったが、確かに随分と大きな包みが置かれている。あまりにも大きかったので契の荷物ではなく放棄された粗大ゴミか何かだと思っていた。高さは60センチ以上はあるだろうか。赤いリボンでぐるぐる巻きにされていて、しかも気のせいか振動している気がする。 「…………気を使わないでいいよ」  色々な思いを込めて、繍は言った。だが、伝わらなかった。 「いいから受け取って。おねえちゃん色々考えたんだけど、繍ちゃんはしっかりしてるように見えてぼんやりしてるから、身を守る手段が足りないと思うんだ」 「身を守る……」  真っ先に警備ロボや武器というのが頭に浮かぶ。だが、機械が箱詰め状態で激しく振動したりするものだろうか。 「というわけで、はい。贈り物」「これ何?」  受け取るよりも前に、反射的に繍は尋ねた。契はきょとんとした顔をする。なぜそんなことを聞くのかという顔だ。 「プレゼントは開けてからのお楽しみ」  ご丁寧にハサミまで渡してくれる。繍はおそるおそるリボンをハサミで断ち切った。気のせいか箱の動きが激しくなったような気がする。包み紙をはがすと空気穴のような穴が開いた白い箱が登場する。このあたりで繍の嫌な予感はマックスに達した。 「…………生きてる?」「生き物だもん」 「…………この生き物自体に危険性は!?」  ペットを飼っている生徒は珍しくない。自分の役に立つように訓練を積ませたり、遺伝子改造や身体の一部の機械化を行った動物を飼っている生徒も珍しくはない。友人である冷泉神無もそのようなペットを飼っている。だが、それらの中には扱いが難しいものもいるのだ。下手をすると自分が大けがを負ってしまう。 「平気だよ。猫だもん」 「ああ、猫なんだ」  繍はほっとして蓋をあけた。そして、閉めた。今、あり得ないモノがいた気がした。 「…………猫?」 「猫でしょ?」  もう一度蓋をあける。そして閉める。ぎこちなく、繍は契を振りかえった。 「……猫は二足歩行しない。服も着ない」 「たまには二足歩行で着衣の猫がいたっていいじゃん。まあ、多分どっかいじくってあるとは思うけど、北王とかが飼ってる謎の生命体どもに比べればまだまだ全然許容範囲っていうか、この学校の生徒さんの中にも実験体って混ざってるしこういうのがいても問題ないとおねえちゃんは思うわけですよ」 「私が問題あるんだけど」  見間違いでなければ、箱の中には二足歩行の身長40センチ程度の猫がいた。着物のような服を着ている。どこかふてくされたような顔をしているようにもみえるが、猫の表情を読み取る技術は繍にはないため、本当のところは分からない。 「これ、人形? それともトランスジェニック? 改造動物?」 「いや、実はおねえちゃんにもよく分からないのですよ。何か権利関係のごたごたというか、財産処分というかそういうものの関係で流れてきたものだからねぇ。多分、どこぞの研究施設からの流出品だと思うんだけど、下手に調べるために研究機関とかに持ちこむとほら、また面倒なことになりそうじゃない?」 「そういうものをよく贈り物にしようと思うね」 「だって、予言で回ってきたんだもん」  契の能力【デスストーカー(忍び寄る運命)】は一定条件下で契が口に出した「予言」を強制的に実現化する能力である。おそらくはそれを利用して最適なプレゼントを探し出そうとしたのだろう。繍は箱に視線を落とす。 「だから、平気。きっと最適なプレゼントになるよ」  契は自信満々で繍の肩を叩いた。  三日後。イーストヤードの矯邑繍の住む借家にて。 「……うーん」  繍は困っていた。その原因は縁側でぼんやりと空中を見つめている。  謎の猫らしき生き物がやってきてから三日。一人と一匹は常に二メートル以上の距離を取って生活していた。ちなみに食事に何を与えればいいのかよく分からなかったので、とりあえずご飯に鰹節を乗せてねこまんまにして与えたところ、食べた。お茶も飲んでいる。どうやら人語も喋れるようだが、いまだに最低限のこと以外は喋ってくれない。 「……猫ってどうすればなつくんだろ?」  猫の一匹や二匹を飼うこと自体には問題はない。家は借家とはいえ広いし、大家の許可もとった。猫を養う程度の収入もある。だが、それ以前の問題で繍は動物の飼い方を知らない。 「ここは知ってそうな奴に聞くのが定石か。流石にネットでもなんだかよく分からない生き物の飼い方までは分からないだろうし」  決意すると繍はかばんを持って立ちあがった。一応、護身用の武器の状態を確かめて上着の裏側のフォルダーにひっかける。 「猫、私出掛けてくるからおとなしくしててね」  返事はない。それは無視することにして、繍は外へと出た。  メインヤード・学園自習室  ライザー学院の生徒は予科生の間は生活も学問もすべて学校によって保護される。寮や食事は学校が容易してくれるし、最高水準の学問環境が整えられている。よって予科生の仕事は死ぬ気で勉強することのみとなる。もっともそれが一番つらいことなのだが。  そんな予科生が授業の合間や放課後に集まる自習室は学園内に数か所ある。大部分は区切られた机の上で一心不乱に勉強するようなスペースだが、中には飲食可能だったり、大勢で話し合いや討論をするためにオープンにしているところもある。そんな場所の一つに、目的の人物である篭森珠月はいた。 「……篭森ちゃん」  【イノセントカルバニア(白骨髑髏)】篭森珠月。著名人の子息が多い学園内でも特に目立つ出自の持ち主で、父親は人類最狂といわれる篭森壬無月だ。その影響で予科時代からトラブルには巻き込まれる、親の知名度のせいでエイリアスっぽいものが発生する、変な輩はよってくるとトラブルメーカーを絵にかいたような人物であった。現在のところは本人の力が強くなってきたので大分落ち着いたが、よくもあれで人間性が歪まなかったと思う。 「おや、繍ちゃん。何してるの?」 「こっちが聞きたいよ。何してるの?」 「餌付」 「もう、先輩ったら冗談がすぎますよ」「あはは、でも餌付されてるかも~」  自習室に足を踏み入れた繍の視線の先には、大量のお菓子類を机に広げている珠月と彼女からお菓子を受け取りながらおしゃべりにふけっている予科生たちの姿があった。 「篭森先輩わぁ、たま~にこうして私たちに差し入れ持ってきてくれるんですぅ」 「手作りお菓子。すごくおいしいのよ」 「へ、へえ…………」  繍は視線を泳がした。親しい人間だからこそ、分かる。珠月は特に可愛がっている相手でない限り、見知らぬ相手にお菓子を差し入れするような可愛らしい人格はしていない。そして、今現在彼女らが食べているお菓子に繍はなんとなく見覚えがあった。珠月が親しい人間、あるいは親しくなりたい人間を招いて行うお茶会でよく見るお菓子だ。  つまり、あきらかに正規のお茶会で余ったお菓子をここに持ちこんで、文字通り後輩を餌付していた。予科に上がれるのは全体のおよそ1%とはいえ、この学校にいる時点で将来のエリート候補であることに変わりはない。残りもので伝手と情報をゲットしようとしている思考回路が合理的すぎて、繍はかるくめまいを覚えた。極めつけは、楽しげに後輩にお菓子を差し出す時の表情が、家の近所の野良猫やからすに餌付しているときと酷似していることに気づいてしまい、繍の憂鬱はさらに深くなる。この後輩たちはあまりもの処理に付き合わされている上に人間扱いされていないことに気づいて――――いるわけがない。  前言撤回。ちっともまともな人格には成長していない。やはりどこか歪んでいる。むしろ歪みすぎて一回転して正常になっている。 「どうしたの? 何か用?」 「えーと、二人きりで話したいことが」  珠月は困ったように机の上を見た。まだかなりのケーキ類や食器が乗ったままだ。 「あ、先輩。なんならこれは私たちが片付けておきますよ。食べ終わった食器はあとで自宅のほうに届ければいいですよね?」 「でも、悪いよ」 「いいですよ。いっつも美味しいもの食べさせてもらってるんだから、これくらいなんでもありません。ねっ」「そうですよ、先輩」 「ならお言葉に甘えさせてもらおうかな。ありがとね」  餌付されてる!!  繍は後輩たちに危機感を覚えた。同時にこいつら絶対本科には来れない、と確信する。和やかとまではいかないが、珠月にしては愛想よく後輩に挨拶すると二人は外へ出た。なんとなく無言で歩いて、人気のない場所へ移動する。 「…………いつもああいうことしてるの?」 「焼き菓子とかサンドイッチはスラムで配ることもあるけど」 「無差別な餌付は良くないよ。頼ってくる奴が増えるでしょ?」「私の不利益になるような連中は、適当に処分するから平気だよ」  笑顔のまま珠月は空恐ろしいことをつぶやいた。繍は自分が不利益を与えているのかどうかを思わず考え込む。 「繍ちゃんのことは好きだよ。安心して」 「……そうなんだ」  そういう繍と珠月の出会いは、南区で開かれたのみの市で一冊の古書をめぐってどっちが買うかで争いになったことだった。その時珠月の顔を知らなかった繍は、後に友人知人から「人類最狂の娘と真っ向から言い争いをした女」として尊敬を集めることになったのだが、それはまた別の話。 「で、何の用だったの? 誰かとトラブルでも起こした?」  その一言で繍は用事を思い出した。かいつまんで事態を説明する。それを聞いた珠月は小首を傾げた。 「うーん、美味しいものでも食べさせてみたらどうかな? でも身体構造が分からないんじゃ、何を食べさせていいのかも分からないよね。猫だったら、ネギとかカフェインはダメなはずだけど。あとは甲殻類とか魚でもあおぜの魚は食べさせすぎるとよくないはず」 「今朝がたお茶を飲んでいたんだけど」  珠月は渋い顔をした。 「具合悪くなってない?」「ない……と思うけど、話してくれないから」  今朝からほとんど会話らしい会話をしていない。というか、当初から話しかけてもろくな返事が返ってこないのだ。 「どこかの研究施設で一回調べて貰ったほうがいいんじゃないの?」 「でも、入手経路を考えると結構危険なんだよ。下手に調べると騒ぎになっちゃう」 「じゃあ、四十物谷宗谷を呼ぼうか」  唐突に出てきた名前に繍は首を傾げた。 「あいものや? って何?」 「四十物谷調査事務所ってリンクあるでしょ? そこの所長さん。お友達」 「篭森ちゃんって予想外の方向に伝手があるよね」 「そのためのお茶会と夜会だからね。あいつなら、変だけど口の堅さは保障するよ。レントゲンとかスキャナーとか……移動診察用の獣医が使う小型のやつ借りて簡単に調べてもらえば? 内蔵の構造が分かれば人間と猫どっちよりなのかだけでも分かるだろうし」  色々と気になる単語が聞こえたが、ひとまず無視して繍は検討する。猫は――間違いなく嫌がるだろう。だからといってここで放置して死なせるわけにはいかない。 「……痛くない?」 「血液採取とかは行わない予定だけど。動物の負担にもなるし」 「改造されてるから強いと思うんだけど」 「捕まえるのは宗谷がやるよ」  言外に「面倒くさいから宗谷に押し付けちゃえ」という意図が見え隠れする。 「……そう?」 「そうそう。ついでに食べられそうなものを買い込んで行って御機嫌とりすれば問題ないって。猫だから、魚の頭とか鳥のささみ肉とか」  そう言いながら珠月は電話をかけ始める。繍はなんでも知っているこの友人を心強く思うと同時に、なんとなく嫌な予感を覚えて空を見上げた。  再びイーストヤードの繍の家。繍と珠月が帰宅してすぐ、大きな機械を担いだ少年がにこにこしながらやってきた。 「はじめまして、四十物谷宗谷です。以後よろしくお願いします」 「どうも。矯邑繍です」  宗谷と名乗った少年は名刺を取り出して丁寧に挨拶した。背中に背負った武器が気になるが、人のよさそうな好青年に見える。 「篭森ちゃんの友達だって?」 「事務所を作る時に世話になったんだよ。資金とか人脈面で。それ抜きでも珠月のことは結構好きだけどね。面白いから」 「そいつの好きは、猟奇的で格好いいってことだからあまりいい意味じゃないからね」  買ってきた鮭のアラを早速解体しながら珠月は叫んだ。宗谷は心外そうな顔をする。 「何を言ってるんだい。珠月、死と幽霊と血しぶきは人間にとって最大の娯楽だよ」 「私は別に死も幽霊も血しぶきも纏ってないから。そういうのが好みなら、骸手とか不死コンビとかのところに行け」 「君は他人から自分がどのように見られているのか、もうちょっと考えたほうがいいよ。古い人気のない洋館に住んでいて、常に黒いドレス姿で、骸骨の従者を引き連れ、瞳は綺麗な血色。敵対者の血の海に立つ姿なんて、どきどきするほど猟奇的じゃないか!」 「それ、条件さえ満たしてれば私じゃなくてもいいよね? じゃあ、私と骸手さんならどっちが好き?」 「うーん、まだ骸手さんとは知り合いに慣れてないけど、慣れたらむこうに行っちゃうかも」 「ほら、こういう奴なの」 「…………」  変な知人が増えてしまった。繍は心の中でため息をついた。ついでに、思う。 「すげえ仲いいじゃん」 「そうでもないよ」「仲良くなるより観察してたいかな」  丁度会話に一区切りついたので、宗谷は手際よく機械を並べ始め、珠月はさっさと料理の下準備をする。念のために生のままの食品を少しだけ取っておくことも忘れない。あの猫のような生き物が本当に人間と同じ食事でいいかは分からないんだ。 「とりあえずレントゲンとって骨格調べてから、内蔵の構造を調べようか。というわけで、おいで」  猫はタンスの上に逃げ込んでしまった。宗谷はため息をついて――――畳を蹴ると跳躍した。戦闘者系統のクラスの人間は、こういうところが並みじゃない。軽く天井近くまで跳び上がると猫をひっ捕まえて着地する。引っかかれないように首根っこを掴んでぶら下げることも忘れない。 「ちょ、乱暴は」「子どもと動物は多少手荒にしないと治療も検査もできないよ」  そう言って機械に放り込もうとするが猫は激しく抵抗する。その爪が触れた瞬間、機械のコードがやすやすと切断された。 「…………レントゲン壊れた」「きゃあ! それ支払いしないといけない!?」  繍は違うところで悲鳴を上げた。宗谷は首をふる。 「コードだけですから付け替えればすみますけど……レントゲン取れなくなった」 「内蔵の様子だけスキャンすれば?」  台所にひっこんでいた珠月がお玉をもって現れる。猫の爪が丈夫なコードを切断したというのに顔色一つ変えない。 「そうだねぇ。構わないかい?」 「私はいいけど……猫が」「は~な~せ~!!」「喋った!?」  宗谷はびっくりしたような顔をした。そして考え込む。 「人間の言葉が喋れるということは、人とほぼおなじ構造の声帯と脳があるということになるから、内蔵機能なども人間のものに酷似している可能性が高いね。興味深い。調べてもいいですか?」 「何で何度も聞くの?」 「内蔵の様子を見るためには、腹の毛を刈り取らないといけないからだけど?」  猫は今度こそ死ぬ物狂いで抵抗を始めた。しかし、宗谷も珠月も繍より前から学園にいる比較的古株。遺伝子改造された猫程度に遅れはとらない。 「珠月、ちょっと抑えるの手伝って。それか毛刈りやって」 「バリカンで飼っていいんだよね? どこを」 「このあたりの消化器官見たいから、ここからここまで全面刈る方針で」「了解」 「やめろ!! 無礼者共!!」  無駄に出際よく、二人は作業を進めていく。猫の声は全面無視だ。 「……あ、でもここで刈ると毛が飛び散るな。繍ちゃん、新聞紙とかない?」 「えーと、本当にやるの? 猫が滅茶苦茶怯えてるんだけど」  心なしか涙ぐんでいるようにも見える。 「うん、そうだね」「速く済ませて上げないと可哀想だ」 「あんたら…………」  やめるという選択肢はないらしい。ダメだ。根本的な思考回路にずれがある。繍は頭を抱えた。その間にも着々と作業は進んでいく。 「は~な~せ~!!」「宗谷、しっかり押さえてくれないと毛が刈れないよ」「そんなこと言っても相手は生き物だしねぇ」「うぎゃあ!?」 「…………」  こちらを見ている猫と目が合った瞬間、何かが繍の中で臨界点に達した。 「いい加減にしろ!!」  きょとんとした顔で珠月と宗谷は作業の手を止める。その手から繍は猫を取り上げた。 「ああ!」「危ないよ」 「危ないのはあんたたちだよ! 嫌がってるでしょう!?」 「……だって」「調べないと何食べられるのか分からないし」「病気になると困るし」「あらかじめ身体構造は調べておいたほうが……食中毒起こすと困るし」 「吾輩は普通に人間と同じような構造だ!!」  抱えられたままの猫が叫んだ。珠月と宗谷は顔を見合わせる。 「ダウト」「嘘はいけないよ」 「何故決めつける!?」 「人間に毛皮や肉球はないし、あきらかにキメラ構造だと思う」  宗谷の言葉に珠月はうんうんと頷く。 「調べないと……」「触るな!!」「っていうか自己申告できるならさっさとしろよ。紛らわしいね」  珠月はじろりと猫をにらんだ。慌てて猫は繍の背後に隠れる。繍はため息をついた。 「もういい。もういいから、帰れ」「え、まだ調べてないのに」「夕飯食べてないのに」 「篭森ちゃん、うちで食べてく気だったんだね」 「せっかく作ったのに」  繍はため息をつくと、二人の荷物を玄関から押し出した。 「ああ!」「何をするんだ」「はいはい、今日はお疲れ様でした。これあげるから、夕食でもどこかで食べて帰りなさい」  二万WCを押し付けながら玄関から追い出す。二人は不平を言うが、案外とあっさり追い出されてくれた。正直な話、戦闘能力の高い本科生に駄々をこねられたらどうしようもないので、出てくれてよかった。  振り返ると猫がぽつんと立っている。 「…………ご飯にしようか。人間と同じでいいんだよね」  こっくりと猫は頷く。嵐のような二人組が去って緊張が解けたのか、そのままへたりと床に崩れ落ちた。 「そういえば、名前も聞いてなかったね。私は繍。姓は矯邑。学生で学者」 「ななじゅうはちごう」 「それ、名前じゃないじゃん」  台所からは珠月が作っていった魚の煮つけや揚げ物の香りが漂ってくる。繍は家事が苦手なので、正直助かった。 「名前もつけなきゃね。それから、徐々に仲良くなればいいよね。喋れるんだからそうするべきだった。すまん」  猫はこっくりと頷いた。 おまけ  翌日、メインヤードのカフェテリアにて。 「そんなことがあったんだ」  繍と珠月共通の知人である古物商の冷泉神無は、紅茶を片手にため息をついた。向かいには繍と昨日家から追い出されてふてくされている珠月がいる。 「で、篭森ちゃんは二人が仲良くなることを見越して騒いだの? それとも騒ぎ立てたかったの?」 「どっちでもいいかな、と。可能性としては考えてたけど、何も追い出さなくてもいいじゃん。あの後、宗谷と二人きりで晩御飯が嫌だったからエドワードたちの夕食に乱入してたんだよ?」 「楽しそうじゃねえか。っていうか、友達なんでしょ?」 「あいつと二人でご飯食べると、血みどろの話しかしないんだもん。肉がまずくなる」  真っ赤なイチゴのジャムを詰めたタルトをフォークで崩しながら、珠月は言った。何かが納得できない。 「で、結局猫の名前、繍ちゃんはどうするの?」 「……うーん、タマとかスズとか?」  実はまだ決めていない。二人を呼んだのはそのことを相談するためでもあるのだ。 「いっそのこと、日本風にしちゃえば? 姓もつけてさ。山田太郎みたいな」 「それ格好いいね」 「なんとか左衛門とか、なんとか助とかそういう武家っぽいのは?」  神無は楽しそうだ。次々と名前案を出す。 「篭森ちゃんは何がいいと思う?」「……昔」  謎の呟きに、繍と神無は首を傾げた。 「はい?」 「西暦時代に実在した人物でね、すごく変な名前の人間がいたの。すごく猫っぽい名前の」 「????」  意味が分からない。珠月はすっと手帳を開くとペンを走らせた。 「ニャンニャンタマクロウっていうんだけど、それを和名にして」 『にゃんにゃん玉九朗』  手帳にはそう書かれていた。ぶっちゃけ、センスがいいとか悪いとかいうレベルを通り越した次元の名づけセンスだった。 「にゃんにゃんまでは名字」 「…………一言言う。篭森ちゃんに子どもが出来たら、名づけは他の人にやらせたほうがいい」  だがその後、なぜかその名前が正式決定してしまう当たり、三人は友達だった。類はともを呼ぶ。 おわり
First contact 矯邑繍&にゃんにゃん玉九朗  ここは暗い。地下なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、アンダーグランドを歩いていると本当にここがあらゆる意味で見捨てられた都市なのだと感じる。見捨てたのは、人か、企業か、それとも神か。だが、ここの住人はそんなことは気にしないようだ。もっと深くまで潜ればさらに地上の常識など通用しない修羅場が待ち受けているというから、それを考えるとこの程度の場所なんでもないのかもしれない。  アンダーヤード、ブラックバザール。アンダーヤードの中でも時折こういう経済活動の中心地となるような場所がある。周囲にはいくつもの明かりが灯り、薄闇の中、篭に入った謎の植物や檻に閉じ込められた異形の生き物が売買されている。いずれも地上で大っぴらに売ることはできないような類のものだ。  気配を殺しながら人ごみを歩いていた矯邑繍(ためむら しゅう)――のちに【スコーレ(暇人の学問)】のエイリアスで呼ばれることになる天才少女は、知人の姿を見つけてほっと溜息をついた。人込みを避けるようにして道のはじのほうに黒髪の少女が立っている。 「契ちゃん」  呼びかけると少女は深い色をたたえた瞳を繍に向けた。  【ラヴレス(愛を注ぐもの)】空多川契  本科二年目にしてまだエイリアスとして確定はしていないものの、それに近い二つ名を持ち、着実に力をつけている生徒の一人である。 「繍ちゃん」「怖かった。もう、こんな場所待ち合わせ場所にしないでよ」  アンダーヤードで安全な場所などまずない。あるとすれば、自分と友好的な住人の居住地くらいだろうか。いずれにしても戦闘能力がほとんどない人間が歩くには危険すぎる場所だ。 「平気だよ。バザールのメインストリートから離れなければ」 「そりゃあ、契ちゃんや篭森ちゃんはいいよ。強いんだから。でも、私には過酷なの」  ぴりぴりとした様子で周囲を警戒しながら、繍は言った。本科に入って二年目。アンダーヤードも地上も整備されてきてはいるが、まだまだ危険地帯のほうが多い。 「ごめんなさい。おねえちゃんが馬鹿でした。次は地上にします」 「いや、猛反省されても困るんだけどさ……まあいっか。それで何か用だった?」 「んー、就職おめでとうのお祝いなのですよ。ライザーインダストリー就職だって?」  ああ、と繍はうなづいた。先日、学者としての功績が認められ、正式にライザーインダストリーから非常勤講師として働くように依頼があった。予科生の一部と本科のスカラークラス向けの授業を行うことになる。黄道十二協会に末席も末席とはいえ関われることは名誉なことなのだろうが、正直な話、自分としては名誉がどうこうよりも収入が安定することのほうが喜ばしい。学者という職業は成功しれば一攫千金のチャンスがあるが、大部分は収入が不安定で大変なものなのだ。ついでに金がはいってもそれを研究にすべてつぎ込んでしまうという属性も持ち合わせている。 「就職というか非常勤講師だけどね。これで一応収入は安定するかなぁ」 「うんうん。おめでとう~、それでおねえちゃんは矯邑のおねえちゃんのために就職祝いを用意してきたのですよ。やっほぅ」 「お祝い?」  繍は契の足元に視線を落とした。暗がりのせいでよく見えなかったが、確かに随分と大きな包みが置かれている。あまりにも大きかったので契の荷物ではなく放棄された粗大ゴミか何かだと思っていた。高さは60センチ以上はあるだろうか。赤いリボンでぐるぐる巻きにされていて、しかも気のせいか振動している気がする。 「…………気を使わないでいいよ」  色々な思いを込めて、繍は言った。だが、伝わらなかった。 「いいから受け取って。おねえちゃん色々考えたんだけど、繍ちゃんはしっかりしてるように見えてぼんやりしてるから、身を守る手段が足りないと思うんだ」 「身を守る……」  真っ先に警備ロボや武器というのが頭に浮かぶ。だが、機械が箱詰め状態で激しく振動したりするものだろうか。 「というわけで、はい。贈り物」「これ何?」  受け取るよりも前に、反射的に繍は尋ねた。契はきょとんとした顔をする。なぜそんなことを聞くのかという顔だ。 「プレゼントは開けてからのお楽しみ」  ご丁寧にハサミまで渡してくれる。繍はおそるおそるリボンをハサミで断ち切った。気のせいか箱の動きが激しくなったような気がする。包み紙をはがすと空気穴のような穴が開いた白い箱が登場する。このあたりで繍の嫌な予感はマックスに達した。 「…………生きてる?」「生き物だもん」 「…………この生き物自体に危険性は!?」  ペットを飼っている生徒は珍しくない。自分の役に立つように訓練を積ませたり、遺伝子改造や身体の一部の機械化を行った動物を飼っている生徒も珍しくはない。友人である冷泉神無もそのようなペットを飼っている。だが、それらの中には扱いが難しいものもいるのだ。下手をすると自分が大けがを負ってしまう。 「平気だよ。猫だもん」 「ああ、猫なんだ」  繍はほっとして蓋をあけた。そして、閉めた。今、あり得ないモノがいた気がした。 「…………猫?」 「猫でしょ?」  もう一度蓋をあける。そして閉める。ぎこちなく、繍は契を振りかえった。 「……猫は二足歩行しない。服も着ない」 「たまには二足歩行で着衣の猫がいたっていいじゃん。まあ、多分どっかいじくってあるとは思うけど、北王とかが飼ってる謎の生命体どもに比べればまだまだ全然許容範囲っていうか、この学校の生徒さんの中にも実験体って混ざってるしこういうのがいても問題ないとおねえちゃんは思うわけですよ」 「私が問題あるんだけど」  見間違いでなければ、箱の中には二足歩行の身長40センチ程度の猫がいた。着物のような服を着ている。どこかふてくされたような顔をしているようにもみえるが、猫の表情を読み取る技術は繍にはないため、本当のところは分からない。 「これ、人形? それともトランスジェニック? 改造動物?」 「いや、実はおねえちゃんにもよく分からないのですよ。何か権利関係のごたごたというか、財産処分というかそういうものの関係で流れてきたものだからねぇ。多分、どこぞの研究施設からの流出品だと思うんだけど、下手に調べるために研究機関とかに持ちこむとほら、また面倒なことになりそうじゃない?」 「そういうものをよく贈り物にしようと思うね」 「だって、予言で回ってきたんだもん」  契の能力【デスストーカー(忍び寄る運命)】は一定条件下で契が口に出した「予言」を強制的に実現化する能力である。おそらくはそれを利用して最適なプレゼントを探し出そうとしたのだろう。繍は箱に視線を落とす。 「だから、平気。きっと最適なプレゼントになるよ」  契は自信満々で繍の肩を叩いた。  三日後。イーストヤードの矯邑繍の住む借家にて。 「……うーん」  繍は困っていた。その原因は縁側でぼんやりと空中を見つめている。  謎の猫らしき生き物がやってきてから三日。一人と一匹は常に二メートル以上の距離を取って生活していた。ちなみに食事に何を与えればいいのかよく分からなかったので、とりあえずご飯に鰹節を乗せてねこまんまにして与えたところ、食べた。お茶も飲んでいる。どうやら人語も喋れるようだが、いまだに最低限のこと以外は喋ってくれない。 「……猫ってどうすればなつくんだろ?」  猫の一匹や二匹を飼うこと自体には問題はない。家は借家とはいえ広いし、大家の許可もとった。猫を養う程度の収入もある。だが、それ以前の問題で繍は動物の飼い方を知らない。 「ここは知ってそうな奴に聞くのが定石か。流石にネットでもなんだかよく分からない生き物の飼い方までは分からないだろうし」  決意すると繍はかばんを持って立ちあがった。一応、護身用の武器の状態を確かめて上着の裏側のフォルダーにひっかける。 「猫、私出掛けてくるからおとなしくしててね」  返事はない。それは無視することにして、繍は外へと出た。  メインヤード・学園自習室  ライザー学院の生徒は予科生の間は生活も学問もすべて学校によって保護される。寮や食事は学校が容易してくれるし、最高水準の学問環境が整えられている。よって予科生の仕事は死ぬ気で勉強することのみとなる。もっともそれが一番つらいことなのだが。  そんな予科生が授業の合間や放課後に集まる自習室は学園内に数か所ある。大部分は区切られた机の上で一心不乱に勉強するようなスペースだが、中には飲食可能だったり、大勢で話し合いや討論をするためにオープンにしているところもある。そんな場所の一つに、目的の人物である篭森珠月はいた。 「……篭森ちゃん」  【イノセントカルバニア(白骨髑髏)】篭森珠月。著名人の子息が多い学園内でも特に目立つ出自の持ち主で、父親は人類最狂といわれる篭森壬無月だ。その影響で予科時代からトラブルには巻き込まれる、親の知名度のせいでエイリアスっぽいものが発生する、変な輩はよってくるとトラブルメーカーを絵にかいたような人物であった。現在のところは本人の力が強くなってきたので大分落ち着いたが、よくもあれで人間性が歪まなかったと思う。 「おや、繍ちゃん。何してるの?」 「こっちが聞きたいよ。何してるの?」 「餌付」 「もう、先輩ったら冗談がすぎますよ」「あはは、でも餌付されてるかも~」  自習室に足を踏み入れた繍の視線の先には、大量のお菓子類を机に広げている珠月と彼女からお菓子を受け取りながらおしゃべりにふけっている予科生たちの姿があった。 「篭森先輩わぁ、たま~にこうして私たちに差し入れ持ってきてくれるんですぅ」 「手作りお菓子。すごくおいしいのよ」 「へ、へえ…………」  繍は視線を泳がした。親しい人間だからこそ、分かる。珠月は特に可愛がっている相手でない限り、見知らぬ相手にお菓子を差し入れするような可愛らしい人格はしていない。そして、今現在彼女らが食べているお菓子に繍はなんとなく見覚えがあった。珠月が親しい人間、あるいは親しくなりたい人間を招いて行うお茶会でよく見るお菓子だ。  つまり、あきらかに正規のお茶会で余ったお菓子をここに持ちこんで、文字通り後輩を餌付していた。予科に上がれるのは全体のおよそ1%とはいえ、この学校にいる時点で将来のエリート候補であることに変わりはない。残りもので伝手と情報をゲットしようとしている思考回路が合理的すぎて、繍はかるくめまいを覚えた。極めつけは、楽しげに後輩にお菓子を差し出す時の表情が、家の近所の野良猫やからすに餌付しているときと酷似していることに気づいてしまい、繍の憂鬱はさらに深くなる。この後輩たちはあまりもの処理に付き合わされている上に人間扱いされていないことに気づいて――――いるわけがない。  前言撤回。ちっともまともな人格には成長していない。やはりどこか歪んでいる。むしろ歪みすぎて一回転して正常になっている。 「どうしたの? 何か用?」 「えーと、二人きりで話したいことが」  珠月は困ったように机の上を見た。まだかなりのケーキ類や食器が乗ったままだ。 「あ、先輩。なんならこれは私たちが片付けておきますよ。食べ終わった食器はあとで自宅のほうに届ければいいですよね?」 「でも、悪いよ」 「いいですよ。いっつも美味しいもの食べさせてもらってるんだから、これくらいなんでもありません。ねっ」「そうですよ、先輩」 「ならお言葉に甘えさせてもらおうかな。ありがとね」  餌付されてる!!  繍は後輩たちに危機感を覚えた。同時にこいつら絶対本科には来れない、と確信する。和やかとまではいかないが、珠月にしては愛想よく後輩に挨拶すると二人は外へ出た。なんとなく無言で歩いて、人気のない場所へ移動する。 「…………いつもああいうことしてるの?」 「焼き菓子とかサンドイッチはスラムで配ることもあるけど」 「無差別な餌付は良くないよ。頼ってくる奴が増えるでしょ?」「私の不利益になるような連中は、適当に処分するから平気だよ」  笑顔のまま珠月は空恐ろしいことをつぶやいた。繍は自分が不利益を与えているのかどうかを思わず考え込む。 「繍ちゃんのことは好きだよ。安心して」 「……そうなんだ」  そういう繍と珠月の出会いは、南区で開かれたのみの市で一冊の古書をめぐってどっちが買うかで争いになったことだった。その時珠月の顔を知らなかった繍は、後に友人知人から「人類最狂の娘と真っ向から言い争いをした女」として尊敬を集めることになったのだが、それはまた別の話。 「で、何の用だったの? 誰かとトラブルでも起こした?」  その一言で繍は用事を思い出した。かいつまんで事態を説明する。それを聞いた珠月は小首を傾げた。 「うーん、美味しいものでも食べさせてみたらどうかな? でも身体構造が分からないんじゃ、何を食べさせていいのかも分からないよね。猫だったら、ネギとかカフェインはダメなはずだけど。あとは甲殻類とか魚でもあおぜの魚は食べさせすぎるとよくないはず」 「今朝がたお茶を飲んでいたんだけど」  珠月は渋い顔をした。 「具合悪くなってない?」「ない……と思うけど、話してくれないから」  今朝からほとんど会話らしい会話をしていない。というか、当初から話しかけてもろくな返事が返ってこないのだ。 「どこかの研究施設で一回調べて貰ったほうがいいんじゃないの?」 「でも、入手経路を考えると結構危険なんだよ。下手に調べると騒ぎになっちゃう」 「じゃあ、四十物谷宗谷を呼ぼうか」  唐突に出てきた名前に繍は首を傾げた。 「あいものや? って何?」 「四十物谷調査事務所ってリンクあるでしょ? そこの所長さん。お友達」 「篭森ちゃんって予想外の方向に伝手があるよね」 「そのためのお茶会と夜会だからね。あいつなら、変だけど口の堅さは保障するよ。レントゲンとかスキャナーとか……移動診察用の獣医が使う小型のやつ借りて簡単に調べてもらえば? 内蔵の構造が分かれば人間と猫どっちよりなのかだけでも分かるだろうし」  色々と気になる単語が聞こえたが、ひとまず無視して繍は検討する。猫は――間違いなく嫌がるだろう。だからといってここで放置して死なせるわけにはいかない。 「……痛くない?」 「血液採取とかは行わない予定だけど。動物の負担にもなるし」 「改造されてるから強いと思うんだけど」 「捕まえるのは宗谷がやるよ」  言外に「面倒くさいから宗谷に押し付けちゃえ」という意図が見え隠れする。 「……そう?」 「そうそう。ついでに食べられそうなものを買い込んで行って御機嫌とりすれば問題ないって。猫だから、魚の頭とか鳥のささみ肉とか」  そう言いながら珠月は電話をかけ始める。繍はなんでも知っているこの友人を心強く思うと同時に、なんとなく嫌な予感を覚えて空を見上げた。  再びイーストヤードの繍の家。繍と珠月が帰宅してすぐ、大きな機械を担いだ少年がにこにこしながらやってきた。 「はじめまして、四十物谷宗谷です。以後よろしくお願いします」 「どうも。矯邑繍です」  宗谷と名乗った少年は名刺を取り出して丁寧に挨拶した。背中に背負った武器が気になるが、人のよさそうな好青年に見える。 「篭森ちゃんの友達だって?」 「事務所を作る時に世話になったんだよ。資金とか人脈面で。それ抜きでも珠月のことは結構好きだけどね。面白いから」 「そいつの好きは、猟奇的で格好いいってことだからあまりいい意味じゃないからね」  買ってきた鮭のアラを早速解体しながら珠月は叫んだ。宗谷は心外そうな顔をする。 「何を言ってるんだい。珠月、死と幽霊と血しぶきは人間にとって最大の娯楽だよ」 「私は別に死も幽霊も血しぶきも纏ってないから。そういうのが好みなら、骸手とか不死コンビとかのところに行け」 「君は他人から自分がどのように見られているのか、もうちょっと考えたほうがいいよ。古い人気のない洋館に住んでいて、常に黒いドレス姿で、骸骨の従者を引き連れ、瞳は綺麗な血色。敵対者の血の海に立つ姿なんて、どきどきするほど猟奇的じゃないか!」 「それ、条件さえ満たしてれば私じゃなくてもいいよね? じゃあ、私と骸手さんならどっちが好き?」 「うーん、まだ骸手さんとは知り合いになれてないけど、慣れたらむこうに行っちゃうかも」 「ほら、こういう奴なの」 「…………」  変な知人が増えてしまった。繍は心の中でため息をついた。ついでに、思う。 「すげえ仲いいじゃん」 「そうでもないよ」 「仲良くなるより観察してたいかな」  丁度会話に一区切りついたので、宗谷は手際よく機械を並べ始め、珠月はさっさと料理の下準備をする。念のために生のままの食品を少しだけ取っておくことも忘れない。あの猫のような生き物が本当に人間と同じ食事でいいかは分からないからだ。 「とりあえずレントゲンとって骨格調べてから、内蔵の構造を調べようか。というわけで、おいで」  猫はタンスの上に逃げ込んでしまった。宗谷はため息をついて――――畳を蹴ると跳躍した。戦闘者系統のクラスの人間は、こういうところが並みじゃない。軽く天井近くまで跳び上がると猫をひっ捕まえて着地する。引っかかれないように首根っこを掴んでぶら下げることも忘れない。 「ちょ、乱暴は」「子どもと動物は多少手荒にしないと治療も検査もできないよ」  そう言って機械に放り込もうとするが猫は激しく抵抗する。その爪が触れた瞬間、機械のコードがやすやすと切断された。 「…………レントゲン壊れた」「きゃあ! それ支払いしないといけない!?」  繍は違うところで悲鳴を上げた。宗谷は首をふる。 「コードだけですから付け替えればすみますけど……レントゲン取れなくなった」 「内蔵の様子だけスキャンすれば?」  台所にひっこんでいた珠月がお玉をもって現れる。猫の爪が丈夫なコードを切断したというのに顔色一つ変えない。 「そうだねぇ。構わないかい?」 「私はいいけど……猫が」「は~な~せ~!!」「喋った!?」  宗谷はびっくりしたような顔をした。そして考え込む。 「人間の言葉が喋れるということは、人とほぼおなじ構造の声帯と脳があるということになるから、内蔵機能なども人間のものに酷似している可能性が高いね。興味深い。調べてもいいですか?」 「何で何度も聞くの?」 「内蔵の様子を見るためには、腹の毛を刈り取らないといけないからだけど?」  猫は今度こそ死ぬ物狂いで抵抗を始めた。しかし、宗谷も珠月も繍より前から学園にいる比較的古株。遺伝子改造された猫程度に遅れはとらない。 「珠月、ちょっと抑えるの手伝って。それか毛刈りやって」 「バリカンで飼っていいんだよね? どこを」 「このあたりの消化器官見たいから、ここからここまで全面刈る方針で」「了解」 「やめろ!! 無礼者共!!」  無駄に出際よく、二人は作業を進めていく。猫の声は全面無視だ。 「……あ、でもここで刈ると毛が飛び散るな。繍ちゃん、新聞紙とかない?」 「えーと、本当にやるの? 猫が滅茶苦茶怯えてるんだけど」  心なしか涙ぐんでいるようにも見える。 「うん、そうだね」「速く済ませて上げないと可哀想だ」 「あんたら…………」  やめるという選択肢はないらしい。ダメだ。根本的な思考回路にずれがある。繍は頭を抱えた。その間にも着々と作業は進んでいく。 「は~な~せ~!!」「宗谷、しっかり押さえてくれないと毛が刈れないよ」「そんなこと言っても相手は生き物だしねぇ」「うぎゃあ!?」 「…………」  こちらを見ている猫と目が合った瞬間、何かが繍の中で臨界点に達した。 「いい加減にしろ!!」  きょとんとした顔で珠月と宗谷は作業の手を止める。その手から繍は猫を取り上げた。 「ああ!」「危ないよ」 「危ないのはあんたたちだよ! 嫌がってるでしょう!?」 「……だって」「調べないと何食べられるのか分からないし」「病気になると困るし」「あらかじめ身体構造は調べておいたほうが……食中毒起こすと困るし」 「吾輩は普通に人間と同じような構造だ!!」  抱えられたままの猫が叫んだ。珠月と宗谷は顔を見合わせる。 「ダウト」「嘘はいけないよ」 「何故決めつける!?」 「人間に毛皮や肉球はないし、あきらかにキメラ構造だと思う」  宗谷の言葉に珠月はうんうんと頷く。 「調べないと……」「触るな!!」「っていうか自己申告できるならさっさとしろよ。紛らわしいね」  珠月はじろりと猫をにらんだ。慌てて猫は繍の背後に隠れる。繍はため息をついた。 「もういい。もういいから、帰れ」「え、まだ調べてないのに」「夕飯食べてないのに」 「篭森ちゃん、うちで食べてく気だったんだね」 「せっかく作ったのに」  繍はため息をつくと、二人の荷物を玄関から押し出した。 「ああ!」「何をするんだ」「はいはい、今日はお疲れ様でした。これあげるから、夕食でもどこかで食べて帰りなさい」  二万WCを押し付けながら玄関から追い出す。二人は不平を言うが、案外とあっさり追い出されてくれた。正直な話、戦闘能力の高い本科生に駄々をこねられたらどうしようもないので、出てくれてよかった。  振り返ると猫がぽつんと立っている。 「…………ご飯にしようか。人間と同じでいいんだよね」  こっくりと猫は頷く。嵐のような二人組が去って緊張が解けたのか、そのままへたりと床に崩れ落ちた。 「そういえば、名前も聞いてなかったね。私は繍。姓は矯邑。学生で学者」 「ななじゅうはちごう」 「それ、名前じゃないじゃん」  台所からは珠月が作っていった魚の煮つけや揚げ物の香りが漂ってくる。繍は家事が苦手なので、正直助かった。 「名前もつけなきゃね。それから、徐々に仲良くなればいいよね。喋れるんだからそうするべきだった。すまん」  猫はこっくりと頷いた。 おまけ  翌日、メインヤードのカフェテリアにて。 「そんなことがあったんだ」  繍と珠月共通の知人である古物商の冷泉神無は、紅茶を片手にため息をついた。向かいには繍と昨日家から追い出されてふてくされている珠月がいる。 「で、篭森ちゃんは二人が仲良くなることを見越して騒いだの? それとも騒ぎ立てたかったの?」 「どっちでもいいかな、と。可能性としては考えてたけど、何も追い出さなくてもいいじゃん。あの後、宗谷と二人きりで晩御飯が嫌だったからエドワードたちの夕食に乱入してたんだよ?」 「楽しそうじゃねえか。っていうか、友達なんでしょ?」 「あいつと二人でご飯食べると、血みどろの話しかしないんだもん。肉がまずくなる」  真っ赤なイチゴのジャムを詰めたタルトをフォークで崩しながら、珠月は言った。何かが納得できない。 「で、結局猫の名前、繍ちゃんはどうするの?」 「……うーん、タマとかスズとか?」  実はまだ決めていない。二人を呼んだのはそのことを相談するためでもあるのだ。 「いっそのこと、日本風にしちゃえば? 姓もつけてさ。山田太郎みたいな」 「それ格好いいね」 「なんとか左衛門とか、なんとか助とかそういう武家っぽいのは?」  神無は楽しそうだ。次々と名前案を出す。 「篭森ちゃんは何がいいと思う?」「……昔」  謎の呟きに、繍と神無は首を傾げた。 「はい?」 「西暦時代に実在した人物でね、すごく変な名前の人間がいたの。すごく猫っぽい名前の」 「????」  意味が分からない。珠月はすっと手帳を開くとペンを走らせた。 「ニャンニャンタマクロウっていうんだけど、それを和名にして」 『にゃんにゃん玉九朗』  手帳にはそう書かれていた。ぶっちゃけ、センスがいいとか悪いとかいうレベルを通り越した次元の名づけセンスだった。 「にゃんにゃんまでは名字」 「…………一言言う。篭森ちゃんに子どもが出来たら、名づけは他の人にやらせたほうがいい」  だがその後、なぜかその名前が正式決定してしまう当たり、三人は友達だった。類はともを呼ぶ。 おわり

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