皆さんはこの事実を知っていますか?

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4月9日の目撃情報の謎

4月9日、被告が長女を殺害したとされる現場(橋)をたまたま車で通りがかった人物が親子を目撃したという話はご存知だろう。
目撃の直後、被告は長女を殺害、または既に殺害しており遺体を遺棄したとされている。
ここではこの目撃情報を批判的立場から考察してみたい。
4月9日、橋の上での被告と女児の目撃情報が警察に寄せられたのが、なんと一ヶ月以上後の5月18日。
目撃者(女性)は1人。女児不明の当日、その目撃者宅を捜査員が訪ねているが、つい先ほど目撃した、決定的事実を彼女は話していないのだ。
その記憶を一ヶ月以上悶々と一人抱えてついに被告の姿と確信したのだろうか。

何故?

何故目撃者は1ヶ月以上もの間黙っていたのだろうか。推論してみよう。
  • 1.関わりたくなかった
  • 2.車を被告に目撃されているので、証言する事により報復されるのが怖かった。
  • 3.被告と知り合いであり、証言する事により報復されるのが怖かった。
  • 4.見たような感覚があっただけで、確かな記憶があるわけではなかった。

2.と3.の「報復されるのが怖かった」説であるが、これは成立しないだろうと考えている。
最悪のケースを考えてみよう。被告と目撃者は知り合いであり、被告は目撃者を特定できているとしよう。
その場合、目撃者の心情は「報復されるのが怖かった」となっても不思議ではないのだが、これには重大な誤りがある。
「目撃情報を寄せた女性の家に彩香さんが行方不明になった当日、捜査員が訪れていたが、肝心の「目撃」について聞き出せなかった。(朝日新聞 2006/8/10朝刊2面)」
4月9日の時点では、単に女児不明というだけなのである。
夕刻より不明、それだけだ。
被告が長女を殺害し、その目撃者をも狙っていると想像するには、あまりにも飛躍しすぎているのだ。
次に1.を考えてみよう。関わりたくなかった。社会に暮らす人間として、女児不明で緊急捜査が行われているとき、
関わりたくなかったとして自分の見たことすら言わないものだろうか。人命に関わることくらい承知しているはずだ。
しかしながら、近年ではそのような人が少なくないかもしれない。
そういう非協力的または非社会的な人間であった場合にはその人の証言の信憑性はどのように考えればよいのだろうか。
男児が殺害されたのが5月17日。遺体発見は翌18日。既に女児は事故死として処理されていたが、連続殺害をも匂わせる展開に、目撃者は驚いたに違いない。
そして、自分の目撃情報が、内容によっては極めて興味を惹く劇場的な事件に発展するであろうことに愕然としただろう。
これは大変危険なことである。感情に刺激された古い記憶がどのように再構成されるのか、慎重に判断する必要があるのだ。
目撃者の夫の話を確認しておこう。
「本当に畠山親子だったのかはっきりせず、あの段階で「母親が犯人だ」みたいなことは言えなかった(朝日新聞 2006/8/10朝刊2面)」
あの段階というのは4月9日のことである。
曖昧な記憶が、強い興味を伴いつつ再構築されるとしたら、それはどのようなものになるのだろうか。
5月18日にこの人物は目撃情報を警察に入れている。

結論

女児殺害の根拠とされる大沢橋での目撃情報。事件全体を理解する上でも極めて重要な事実関係 であるが、目撃そのものの信憑性に疑問が残るのも確かなのだ。
目撃者は何かを見たのだろうが、夫の話のよればそれは確かな認識ではなかった。 それが結果としては、サスペンスドラマ風のストーリーとして成立するような形として 目撃情報に昇格したのだ。
目撃情報自体に恣意的な操作は無かったと考えているが、事件のドラマ性が深層意識に作用した可能性は否定できない。
目撃の状況、女児不明の当日ではなく、一ヶ月後にそれを語った理由、被告を見たという確信の根拠が裁判の過程で明らかになるだろう。本サイトではこの件を特に注目していきたい。

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最終更新:2022年12月31日 17:16