如何にして我々が「私」という存在を認識し得るのか。
物が見える事や音が聞こえる事。何かを触って触感を感じる事等の五感を感じる事によって私という存在は認識し得る。
恐らく大部分の人はそう考えている。今の俺にはそれ以外には説明出来ません。
物が見える事や音が聞こえる事。何かを触って触感を感じる事等の五感を感じる事によって私という存在は認識し得る。
恐らく大部分の人はそう考えている。今の俺にはそれ以外には説明出来ません。
そして「私自身は世界に1人しか存在しない。」とも暗黙のうちに了解している。
しかし本当に1人しか存在しないのか?
五感を知覚する事で私自身の存在を認識しているならば、
それは「認識され得る私」であって、
もしかしたらどこかに五感を知覚していない・出来ない私が存在してもおかしくはない。
言い換えるならば「認識され得ない私」だ。
それは「認識され得る私」であって、
もしかしたらどこかに五感を知覚していない・出来ない私が存在してもおかしくはない。
言い換えるならば「認識され得ない私」だ。
ただそれが今認識し得る私自身と同じ様な姿形で存在しているという保証はないのだが。