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真・ひいらぎレールジャーナル中部ローカル物語編第3話

    
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※ここまでのあらすじ
ミニエコーに乗ってきたひいらぎはそのまま中央本線の上り列車で甲府まで乗車。そこで一泊する。次の路線に会うために。



甲府駅のはじっこから



甲府は武田信玄の父、信虎が元々石和にあった本拠地を川田(現・甲府市川田町)、そして今の武田神社にあたる躑躅ヶ崎館に移した時、「甲斐の国の府中」と言う意味で「甲府」と名付けたのがその歴史の始まりです。

信虎が息子の春信(信玄)に追放された後はその武田信玄の元、甲斐の国の中心地として栄えて行きます。


現在の甲府は宝石研磨産業の街であり


Jリーグではサッカーチーム「ヴァンフォーレ甲府」の本拠地であり


そしてやはり武田信玄を讃える街です。


そんな甲府の玄関口、甲府駅には7時20分過ぎに入場。


朝食として駅そばで食べたのは山菜と温玉、油揚げが入ったご当地そばです。



朝食が済んだらホームへ降ります。

1番線が中央本線の下り、2・3番線が上り、そして4・5番線が身延線となってますが、4・5番線は1番線のはるか後方にあります。

ホームの番号の振り方は南から4、5、1、2、3となりちょっと変ですね。


▲特急スーパーあずさ4号新宿行き


▲特急が12両に対して普通が3両と言うギャップがすごい・・・

▲青とクリーム色のいわゆる「スカ色」を見るのは久しぶり


▲4・5番線ホームの前の柱にこんな掲示が


そんなこんなでようやく4・5番線に到着。
5番線に停まっているのは313系3000番台の身延線普通列車、鰍沢口行きです。


ここから中央本線のホームが遠くの方に見え、なんだかここが隔離空間のように思えてきます。


ちなみに甲府駅はかつて舞鶴城(甲府城)の敷地の一部にあります。

甲斐の国は武田滅亡後、徳川氏が領したものの、小田原城の戦いで関東に領地を移された後は豊臣政権によって支配されます。
そして徳川の牽制のためにこの甲府城が築城されました。

以後、江戸時代は甲府藩の政の中心に、明治以降は官業施設と移り変わってゆきます。


身延線は有人が少ない



それでは身延線の列車に乗り込みます。
鰍沢口(かじかざわぐち)って何気に難読駅名ですね。


発車してしばらくは中央本線と併走、次の金手(かねんて)は併走区間ながら、身延線にホームがあります。
そして善光寺駅手前で中央本線と別れるのです。

▲東花輪駅

沿線はのどかそのもの。ほとんどが無人駅で乗客は一番前の運賃箱に料金を入れて降りてゆきます。


と、普通にレポートすればこうなるのですが、こんな穏やかな路線で不穏な空気につつまれた場面がありました。


それは、巻き舌でしゃべるいかにもチンピラって感じの男。

彼は切符をなくしたからタダでおろしてくれと運転士につっかかります。
話からすると新宿から乗ってきたけど甲府に着いた時に切符を捨てたようです。
無くしたとかじゃなくて明らかに捨てたと言ってました、その男。

しかもその捨てた切符がいくらぶんか運転士が尋ねると、明らかにその駅まで足りない金額、足りない分は差額として支払わないといけないし、そもそも切符を無くした場合は乗った駅からその場で全額払わないといけません。

それを運転士が説明すると男は気が狂ったように怒り出します。

この時点で発車時刻を3分くらい過ぎてました。

ふぁびょった男をしり目に時計をちらちら見る運転士、つっかかりに動じないところはさすがです。
そして、折れた風に見せて「次からは気を付けてくださいね」とその男をおろしました。

有人駅なら駅員に突き出してあれこれできたのでしょうが、これで遅延発生すれば多くのお客さんに迷惑がかかると判断したのでしょう。


切符は目的地まで正しく購入し、なおかつ無くさないようにしましょう



ちょっと後味の悪い出来事はありましたが、良い景色は続くので前向きに続きを楽しもうという気になりました。


列車は市川大門に到着。
なかなかド派手な駅舎ですね。

これは近くにある中国の陝西省の西安碑林や山東省の曲阜碑林の名碑の名碑を集めた「大門碑林公園」に合わせたものらしいです。


この駅で反対列車を待ちます。


東花輪を過ぎて富士川を渡ったあと、全線に渡って富士川の左沿いを走ることになりますが、市川大門を過ぎたあたりでちょっと近くに来ます。


そして列車は終点の鰍沢口に到着です。

甲府から鰍沢口までの列車は多く設定されていて、乗ってきた列車も甲府行きに変わりました。


ここで次の電車を待ちます・

終点だけどダレモイナイ鰍沢口駅



区間列車の終点の鰍沢口駅。

ホームは1面2線、屋根は2両分にかかってるのみで空が開けた感じがします。


甲府駅がJR東日本の所属でJR東海車の留置場所がないのでここで昼寝してる電車もいます。



駅舎は一段低いところにあり、地下通路を通ってゆきます。


鰍沢口に到着してしばらくすると後続の列車が


静岡行きの特急ふじかわです。

鰍沢口には特急も止まるのです。


そして駅舎はこんな感じ。

とても閑散としてます、人の姿もほんとまばらです。


駅の入り口付近にはこんな貼り紙が・・・・大事なことなので2回言ってるようです。


そう、この鰍沢口駅は無人駅。


厳密に言えば2012年3月16日までは有人駅だったのが同年3月17日より無人駅になってしまったということです。

ちなみに有人駅時代は子会社の東海交通事業に業務を委託していました。
今度の無人駅化は利用者の低迷によるものだそうです・・・・。


とは言ってもこの1年で利用者が少なくなるのは当然の結果ではあります。



手動のポイント切り替えスイッチが懐かしい


身延線にとって不運な1年



後続の普通列車富士行きが来たので乗ります。
車両は313系2600番台

先のワンマン列車と同じ顔ですがワンマン非対応、3両編成でオールロングシートであるなどの違いがあります。

この列車で残りの区間を乗りとおします、



列車は身延に到着。

身延線の駅名にもなっている中心的な駅で、多くの観光客が乗り降りしてゆきます。
また乗務員の交代もこの駅で行っています。


さて、この身延から2駅先の内船(うつぶね)までの区間は今年(2012年)の3月17日に運転再開されるまで不通状態でした。




身延線の不運の始まりは去年2011年3月の東日本大震災。

この未曽有の大災害で電力が不足した東京電力は輪番停電を行うことになるわけですが、意外にも身延線がそのあおりを受けます。
なぜなら、身延線は東京電力から電気を貰っていたからです。

この影響で一部列車を運休させることになったのです。



そしてその半年後の9月22日、台風15号が静岡県に上陸。
戦後最大級の勢力と言われる台風が猛威をふるいます。


それによってまともに打撃をくらったのが身延線でした。

盛り土は流れ出し、土砂や倒木で線路は塞がれ、西富士宮~甲府は完全に運転不可能な状態になりました。


台風上陸から4日後、身延~甲府は運転を再開。
西富士宮~内船は2カ月遅れで11月14日に運転再開しました。


しかし内船~身延は最もダメージが深刻な区間でなかなか復旧しきれず、結果半年間列車が動かせず代行バスを走らせるという事態になりました。


そんな最後の復旧区間である身延から内船までの区間を先頭から撮影をしました。


って、なんじゃこりゃ!!

身延駅を出て合流のポイントを通過した衝撃で乗務員扉が開いてきたではないですか!


乗務員交代の時にちゃんと閉めなかったな・・・・


内側に開くので危険はないですけどね、運転士さんは席を離れて閉めるわけもいかずしばらくそのまま。
次の甲斐大島に停まる時、検札・切符回収のために前まで来た車掌さんの手によってようやく閉められました。

それにしても崖っぷちをゆっくり走るこの区間。
盛り土が流れ出したら復旧するのは確かに難しそうです。

しかし今まで崩れたのを思わせない光景に復旧させた人々のすごさがうかがえます。


内船に到着、反対列車を待ってから発車します。

静岡県に入ると景色は富士川から富士山へ


内船を出て3駅目、十島(とおしま)が山梨県内最後の駅です。
次の稲子(いなこ)から静岡県に入ります。
厳密には富士宮市になります。



身延から内船の間でも見えてましたけど、この区間は富士川とかなり近いところを走るので、進行方向右側には常に富士川が並んでいます。



列車は芝川に到着。
ここで15分と長めに停車します。


自分を含め、結構多くの人が身体を伸ばしにホームに出てきました。
富士川の風景を眺めたり、電車や側線に停まってる事業用車両を撮ったりする人もいました。

自分はここで今まで乗ってきた先頭部から、最後尾に移動します。
これから見られるであろう景色に備えて・・・


列車は芝川を発車すると、次の沼久保に到着する寸前に方向を変え、富士川と別れてゆきます。



それから数分。
代わりにみえてきたのは・・・



これが現れたとたん、車内の空気が一気に沸きました。


多くの人が窓にカメラを押しつけ、シャッターを切るのです。
自分もその例にもれず撮影。


ただし、結構沿線の林や住宅にさえぎられることもあるので一発では上手くいきません。
10回位はシャッター切ってようやくこれがベストショットと言った次第です。


にしても晴れてて本当に良かったと思いました。
身延線は富士山に最も近い路線などと言われてますが、曇ってたらどの道見えないですからね。

自分自身、ここしばらくずっと静岡県内を通りすぎる時に富士山を見てないので嬉しい限りです。





以後、この終盤では富士山を横に後ろに見ながら終点を目指すことになります。

富士宮から富士までは複線化され、かつ高架なので急に近代化された感じになります。



列車はついに終点の富士に到着。

変化に富んだ身延線の旅はこれで終わりです。

ここから東海道本線に乗り換え西に進みます。

第2話終わり



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