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真・ひいらぎレールジャーナル中部ローカル物語編第2話

    
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※ここまでのあらすじ
豊橋から7時間かけて飯田線を北上、上諏訪までたどり着いたひいらぎ。すでに夕方18時になろうとしていたがまだホテルのチェックインには時間がある。そこで久しぶりに「あの」電車に乗ろうとひいらぎは塩尻を目指す。



地元の人曰く"いつにない強風"で列車遅延

▲上諏訪ですれ違ったのはE257系特急あずさ"千葉"行き

異変に気がついたのは次の列車に乗ろうと発車案内板を見たときでした。
列車が軒並み10分かそれ以上遅れていたのです。

案内によるとどうも山梨県内での強風による遅延だとか。
前回の房総半島の時に続いて今回も風によるトラブルです。


ここで当初の予定を変更し、経路を再構築。


▲接近時、なんか昔のファミコンのような電子音が鳴る・・・

乗ってきた飯田線列車の折り返し駒ヶ根行きに乗るのが当初の予定でしたが


乗ったのは中央本線の下り、普通列車長野行きに乗車します。


東西の境界はぶどう押し「塩尻」



すっかり日も暮れたころ、降りたのはここ 塩尻駅

中央本線は東京~名古屋を結ぶ路線ですが、東京~塩尻がJR東日本で塩尻~名古屋がJR東海の管轄。


▲乗ってきた列車は特急の待ち合わせでしばらく停車

この駅を境に、JR東日本側が 中央東線 、JR東海側が 中央西線 とも呼ばれています。
塩尻駅自体はJR東日本に属してます。

▲特急スーパーあずさがやってきた

中央東線、中央西線からの列車は一部を除いて全てが塩尻から篠ノ井線に入り、松本・長野方面と直通しています。


▲篠ノ井線から中央西線に直通する普通列車

でも定期列車で東西を直通する列車は存在しません。
過去不定期で何度か直通してますが、その場合は駅南の連絡線を使用するので塩尻駅には止まらなかったりします。


ところで塩尻駅には・・・


こんなワイン樽っぽいモニュメントとか



こんな待合室とか


お土産屋さんのところにも


とどめがこれ。

季節になると ここにブドウが実を結びます

ちなみに 駅舎もぶどう色 してます。


塩尻はぶどうの名産地だそうですが、ここまで推してくる駅も珍しいんじゃないですかね。

これに対抗できる駅があるとすれば さぬきうどん駅 と呼称するようになった高松駅くらいでしょうか。


旧線の主は元・荷物電車



しばらく待っているとターゲットとなる列車が到着しました。


たった1両で来たこの電車、名前を123系と言います。
ワンツースリーってなんとなくごろが良いですね。


そしてこの電車はそのトップナンバー、クモハ123-1.

JR東日本にはこの1両だけが在籍しています。


そしてこのプレートの数々。これがこの電車が時代に翻弄されてきたことを物語ってます。



元々、この電車は旅客用ではありませんでした。


国鉄時代には荷物や郵便物を輸送する列車が存在していました。
これらの列車は単独で走ることもあれば旅客列車にくっついて走ることもあり、柔軟な運用に対応させるために1両単位での運転を可能にしていました。

しかし、国鉄末期に行われた合理化作戦の一環で荷物・郵便輸送は廃止され荷物電車達は行き場を失います。
その中には造られてまだ10年と経ってないものもありました。


一方でローカル線の合理化も押し進めたい時期でもありました。
だが国鉄時代の旅客用電車は基本的に電動車は2両1組のユニット構造をしていたため、1両単位での運転は不可能でした。

そこで国鉄が目を付けたのが当時まだ若かった荷物電車、クモハ143でした。

下から2番目のプレートにある通り、昭和61年(1986年)に長野の匠の手によって荷物から人を運ぶ列車へと 魔改造 を執行。

その結果がこの電車なのです。

外見はほぼそのままですが、 「ミニエコー」 という愛称が付けられ顔のまんなかに表示されてます。


車内に入れば端から端まで本当に長いロングシート。
これによって車内はえらく広々感を覚えます。

ワンマン設備と冷房はJRになってから増設されました。


このように荷物電車からの転身第1号となったクモハ123-1。


この電車の後、いくつかの荷物電車が同様に魔改造され、JR西日本とJR東海でも使用されましたがJR東海では既に全車引退しています。

幹線からローカル線に転落した通称「辰野線」


この 「ミニエコー」 、一日のほとんどを塩尻と辰野を行ったり来たりして過ごしています。

タイトルには「中央旧線」と書いてありますが、地元では 「辰野線」 という呼び方の方がなじみ深いようです。


元々この区間は1906年に中央本線の一部として開業したれっきとした幹線でした。


しかし1983年にみどり湖を通る新線が開通し、そちらが本線に。
辰野を経由するこちらの区間は支線となったのでした。


地図で見て明らかにショートカット出来ていることがお分かり頂けると思います。


でもなんで最初からこのルートにしなかったのか。

計画段階のとき、木曽谷を貫くルートと伊那谷を貫くルートの2つの案があって論争になっていました。

結果、伊那谷を貫くのは遠回りになるので木曽谷ルートが選択されたのですが、そこで納得いかなかったのが当時の鉄道局長、伊藤大八。

この人は伊那谷出身でした。


不服な彼は伊那谷の入り口、辰野に駅を造ることに奔走。結果この辰野経由のルートが生まれたのです。

このことから辰野経由は 大八廻り とも呼ばれています。


だが一説には当時のトンネル掘削技術では今の新線の建設は不可能だというのもあります。
岡谷駅とみどり湖駅の間にある 「塩嶺(えんれい)トンネル」 は6km近くもあり、当時の技術では困難だったという声は少なくありません。



時代に翻弄された路線に時代に翻弄された電車、なんとなくこの上ない組み合わせですね。

時代は繰り返すのか




ミニエコーは終点辰野に到着、今日二度目です。


旧線は厳密には辰野から岡谷までを含みますが既に第1回で触れているのでそこはカットしますね。



ところで辰野駅にはこんなのが


新線が開通する前、特急あずさは辰野に停車していました。
中央本線がみどり湖経由になったことで大幅なスピードアップは実現しましたが、引き換えに辰野には特急が来なくなりました。

それでも当時は急行「アルプス」と飯田線に直通する急行「こまがね」や「天竜」といった旧線経由で走る優等列車も存在していました。

しかし飯田線直通の急行は消滅し、急行アルプスも夜行は旧線経由で残っていましたが2002年に消滅し辰野に停まる優等列車が消滅しました。


今は飯田線と長野を直通する普通・快速 「みすず」 が唯一停車する愛称付き列車です。


そして取り残された辰野駅ではこのようなことが行われているのです。


▲上諏訪駅で買った「アルプスの四季」弁当


最近リニア新幹線のルートが決定しましたが、その決定に至るまでたくさんの論争が飛び交いました。

と言うのも、ここでもこの伊那地方が絡んでいたのです。

当時では南アルプスを貫通して飯田に至るルートと、伊那谷を迂回するルートの2つが最終候補として上がっていました。

リニアのメリットである速達を考えれば一直線で結んだほうが良いに決まってますが、火山帯を貫く危険性などを理由に伊那谷を経由した方が良いという意見がありました。


それはまるで中央本線のルート決めのときを彷彿させるものだったのです。



▲そしてミニエコーは塩尻へ戻っていった


今回ホテルは甲府駅前に予約してあったのでこの電車で岡谷まで行き、甲府行きに乗り換えて甲府へ行きます。



第2話終わり



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