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ひいらぎレールジャーナル第一回

    

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第一回「ひかりと一緒にデビューするつもりだったのに」



昭和39年(1964年)10月1日に行われたダイヤ改正によってデビューしたのは夢の超特急「ひかり」だけではなかった。


北陸地方に目をやると、この改正の2か月前の8月に北陸本線が富山まで電化され、また複線区間も順次拡大している。
国鉄はこの機に名古屋と大阪からそれぞれ富山まで、電車の特急を走らせようと考えた。


その特急は今の、

名古屋・米原~金沢・富山・和倉温泉を結ぶ

特急しらさぎ

大阪~金沢・富山・和倉温泉・魚津を結ぶ

特急サンダーバード

である。

だが、サンダーバードという名前は1995年に登場した名前である。
デビュー当初の名前は

特急雷鳥

だった。

特急雷鳥は車両が新型に置き換わった時から順次名前をサンダーバードに改称されていき、2010年にはついに1日1往復のみに・・・
そして2011年3月12日のダイヤ改正で惜しまれつつもその名が消滅したのだった。
今後、関西対北陸の特急はサンダーバードが担ってゆくことになる。


現在1日の本数がしらさぎ16往復、サンダーバード23往復と大所帯だが、登場当初はしらさぎ・雷鳥ともに1日1往復のみであった。

しらさぎは石川県の山中温泉の伝説に登場する「白鷺」に、雷鳥は富山県の県鳥にもなっている特別記念物「ライチョウ」に由来している。

その時の時刻は次の通り

※金津は現在の芦原温泉駅

列車はしらさぎ・雷鳥とも 新型電車 による11両編成で、6号車が食堂車、4号車と5号車が1等車(今のグリーン車)。それ以外が2等車(今の普通車)という編成内容だった。
ちなみにこの時代の特急は全車指定席であり、自由席は存在しなかった。


さて、当時の概要をさらっと説明したが改めて時刻表を見てみよう。

見えるだろうか、下の方に書かれている 運休中 の3文字が。
これはしらさぎのものだが、雷鳥にも同じように運休中の記載がある。


いよいよデビューしようと言う時にお休みとは入学式や入社式を欠席するようなものだが、その理由は 新型電車 の完成が間に合わなかったことだった。


そもそもなぜ新型電車を造る必要があったのか。
それは従来の電化が直流1500Vであるのに対し、北陸本線は交流20000V60Hzで電化されていたため、従来の電車では対応ができなかったためだ。

そのため交流と直流の両方に対応した電車を造らなければならなかったわけだが・・・
国鉄は1958年に国鉄初の電車特急となった「こだま」は何度も故障を起こして格の低い急行型電車で代走させたために 「かえだま」 と呼ばれ、1960年に今度は初めてディーゼルの特急となった「はつかり」はやはり初期故障が頻発し 「がっかり」 と新聞で晒されるという憂き目にあった。
特に「はつかり」の場合はデビューを急ぐあまり十分な試験運転が行われていなかった。

そんな失敗経験から今度こそは!という意気込みがあったのかどうかは不明だが、十分納得するまでは完成とは呼ばないと言わんばかりにどんどんデビューが遠のいていった。


そして実際にしらさぎと雷鳥が走り始めたのはそれからずれ込むこと約3ヶ月、12月25日のことだった。


ちなみになぜ交流にしたのか詳しい話をし出すと長くなるが、要点をかいつまんで話すと交流の方がたくさん電気を流せるうえ、設備を低コストで整えられる利点があったためである。


そんな、「ヒーローは遅れてやってくる」の如く北陸路に舞い降りた雷鳥としらさぎだったが、その後は好調で年を経るごとに数を増やしていき、北陸本線の二大看板として今日も走り続けている。
雷鳥は既にその名を無くしたが、サンダーバードによって系譜は守られていくのだった。




        • とここで終わっていれば良いのだが、北陸新幹線の開業がいよいよ迫ってきた。
開業と同時にサンダーバード・しらさぎ共、金沢~富山は廃止になる予定である。

その先はどうなるか・・・・それはまだ知りようもないのだ・・・。

2012年1月16日
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