第三回「EXPRESS~新幹線補完計画~」



 第二回でも述べた通り、東海道新幹線の開業によって昼間の特急達は転勤を命ぜられ各地に散り、東海道本線の特急は夜の寝台特急が残るのみとなった。

がしかし


この連絡時刻表を見るかぎり、東京発の東海道本線優等列車が昼間にもまだ残っているのがおわかりいただけよう。


そう、「急行」の存在である。


もっと言えば、急行よりも格下の「準急」も存在した。
私鉄ではいろんなところで見られる種別だが、国鉄では1968年に全ての準急が急行に格上げされる形で消えている。


今やJRは特急だらけで急行は臨時を含めても5本の指で数えられるほどという有様だが、この時代の急行は重要な役割を持っていた。


一つは、新幹線や特急より安い運賃で移動できること、そしてもう一つは新幹線や特急が止まらない準主要駅間を速達で結ぶことである。

なにしろ当時は快速というものがなかったのだ(通過駅のある普通列車は存在したが)。

そのため、主要幹線から地方交通線まできめ細かく急行・準急列車網が形成されていたのである。



さて東京発の急行列車のうち、東京~大阪を結ぶ4往復は電車で運転されていた。

(※列車番号の末尾にMがつくのが電車、Dがつくのが気動車、数字だけなのが客車と、番号を見れば車両の大別が判断できる。)

「六甲」「いこま」「なにわ」「よど」

である。
列車名の全てが関西地方にあるものに由来しているのが対大阪輸送を意識していることを感じさせる。
特急に比べて急行は地域的な名前が多い。


これらの列車はこのような全て急行型の電車12両編成で運転されていた。


※↑は後継の165系電車。当時は153系という形式。顔つきは一緒だが前面が全てオレンジ。

その時の各列車のダイヤがこちら


所要時間が大体7時間半というところであるが、これは客車時代の特急つばめに匹敵する。
客車で運転されている急行「霧島」「高千穂」「雲仙・西海」が東京~大阪間8時間前後だから急行も電車化によって大幅にスピードアップしてることが解る。


さて、当時の東海道電車急行の特徴の一つが、12両編成のうち4号車と7号車に
ビュッフェが備えてあることだった。


ビュッフェは飲みものや軽い食事を注文・飲食するためのスペースだが、あるもののおかげで乗客からは大変好評を得ていた。

それが・・・


握り寿司であった。


なんと、国鉄はわざわざ寿司職人を雇い、寿司を握らせていた。
当時ならではの豪華なサービスだった。

ただし、当時の急行はシートは1等車一部のみがリクライニングで他の1等車は回転式のクロスシート。2等車に至ってはボックスシート。さらに非冷房なので夏場は窓を開け、うちわやタオルは必須アイテムだったことだろう。


そんな急行も新幹線の増発と共に規模を縮小。準急から格上げされた急行東海が90年代前半まで残っていたが1996年に特急に格上げ、さらに2007年に廃止になった。

握り寿司のサービスも寿司職人のコストが高いことからいつの間にかそばに取って代わられていた。


現在、列車のスピードアップや合理化によってこのような景色はもはや見られなくなってしまったが、過去このようなことがあったのだと雑誌や鉄道好きの口コミなどで語り継がれていくだろう。

2012年1月27日
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