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2006-11-20T05:42:25+09:00
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神田上水ラストまとめ
https://w.atwiki.jp/rion0601/pages/10.html
天正18年(1590年)、徳川家康の江戸入府と同時に、良質な飲料水を得るために上水が造られたと伝えられている。家康は江戸の街づくりの第一歩として、何よりもまず飲料水の確保に目を向けたのである。
家康は、江戸入城にともない上水道の整備を大久保藤五郎に命じた。藤五郎は、小石川(現在の後楽園のあたり)の流れを利用し、この水を小さな堀割で駿河台方面へと流した。 これが、江戸の上水道の始まりであり神田上水の原型と言われている。(藤五郎はこの工事の功績により、主水の名を授かった)
徳川幕府の発展と共に、江戸の街も大きくなり、三代将軍家光の頃には、江戸は数十万の人口を抱えるようになったのに対応するため、上水設備の拡張工事が行われるようになった。当時は、いくつかの自然河川が江戸の街を流れていたが、その中で最大の河川だった井の頭池を水源とする川(つまり神田川)を利用して、神田上水が作られた(寛永六年)。 江戸への供水は、目白下関口に設けられた堰で取水して、堀割を伝って小石川の水戸屋敷へ導かれ、その後地中の導水管へと続き、現在の水道橋のあたりで掛樋となって神田川を渡り、 駿河台方面へと供水された。関口に設けられた堰は、大洗堰と呼ばれた。上水の余水は江戸川となり、船河原橋(現在の飯田橋付近)より下流は神田川と呼ばれるようになった。神田上水の工事は今でいう一大公共工事だったため、多くの人間が工事に参加した。
その中の一人には松尾芭蕉もいたと言われている。 その当時芭蕉が寝食を行った家が関口芭蕉庵として残されている。
3代家光将軍の代に大名の参勤交代制度が出来、大名や家臣が江戸にも屋敷を構えるようになる。商人や職人も争って江戸に集まり人口は急増。神田上水と赤坂溜池の清水では足りなくなってしまっていた。
承応2年(1653年)4月4日から工事に着工。羽村の取水口から四谷大木戸(現在の新宿御苑前)まで約40キロを、武蔵野台地の最も高い稜線に沿って掘り進んでいる。取水口から四谷大木戸までの標高は約92メートルで、その傾斜を利用して水が流れるよう設計してある。測量は暗闇の中で束にした線香や提灯の明かりを利用したといわれる。機械のない時代にクワやツルハシなどを使ってまったく人力で掘ったにしては、43キロもの長さをたった8ヶ月、11月15日に工事は完了した。当時の水道としては世界一の規模と言われている。
幕府は庄右衛門・清衛門兄弟に玉川の苗字を名乗ることを許し、後に2百石を与えた。
玉川上水が完成した後、世界有数の100万都市江戸の人々の暮らしを支えることができた。
多摩川の羽村の堰で取水された水が、江戸中央部へと給水を行い、神田上水は、小石川地区から神田川以南の日本橋、京橋、大手町地区に供水していた。
また、本所、青山、千川、三田の4上水が整備され江戸周辺へと給水された。
玉川上水は江戸の飲料水の貴重な水源だったが、1722年(享保7年)以降の新田開発によって多くの分水が開削され武蔵野の農地へも水を供給し農業生産にも大いに貢献していった。
こうして作られた上水道も明治の時代に入ると、水質悪化などの問題が発生し、浄水施設を持つ近代水道の必要性が求められ、明治26年に工事着工。32年に改良水道工事が完成。
神田上水は、明治34年6月30日にその使命を終えた。
玉川上水は一時廃止されたりしたが市民運動や清流復活へ向けての試みが行われ
結果、今も健在で都民の生活用水として使われている。
:玉川上水の出発点である羽村:
江戸時代では羽村・五ノ神村・川崎村の3つに分かれ、幕府が直接治める天領と数人の旗本の領地になっていた。水田は多摩川に沿った所に少しある程度で、大部分は畑だった。しかも、このあたりは多摩川が武蔵野台地を削ってつくった階段状の地形(河岸段丘)のため、水田のある所以外は水に乏しく、土もやせていて、野菜や雑穀がようやくできるといった状態だったようである。
こうした村の生活に、玉川上水ができたことで大きな変化が起こります。先に述べたとおり、玉川上水は長大な土木構築物です。特に羽村の堰には、多摩川を横切っている堰本体、二つの水門と余り水の吐き口、そして上水路の土手があり、それぞれが竹・石・木・土などを組み合わせてつくられた複雑な構造をしています。これらのどこかに少しでも不具合があると、江戸まで水が送れない。ですから日ごろのちょっとした補修はもちろん、大水の後には大掛かりな修理が必要なこともたびたびだった。また、水量の管理も大切である。刻々と変わる多摩川の水量と江戸で必要な水量を考え合わせて水門の開き具合を調節した。
こうした玉川上水の管理をするために、羽村には陣屋と呼ばれる幕府の役所が置かれ、その下で実際の仕事、作業を請け負う水番人と呼ばれる人が働いていた。水番人は日常の管理の仕事のほか、大きな修理が必要なときは、工事の内容を決めた仕様書をつくる。それをもとに陣屋が入札にかけて工事の請負人を決めた。水番人はこの入札に個人として参加することが許されていた。
大水が出て緊急の時には、羽村・五ノ神・川崎の各村はもとより近隣の村々から人が集められて応急の処置にあたった。これは幕府の命令で、夜中でも、畑が忙しくてもやらなければなりません。しかし、玉川上水で大きな修理があると、経済的に余裕のある人は入札に参加し、そうでない人も人足として働いて稼ぐことができ、村人にとってはひとつ働き口が増えたといえるだろう。幕府は年間に600両という大金を堰の管理や修理のために使っていたことが記録に残っている。
水番人をはじめ、入札に参加するような農民は、いつでも必要な資材や、人手を集められるように準備するなど、現在の土木建設業に近いような仕事をしていた。玉川上水ができて以来、羽村にはこうした人が何人も出るようになり、まわりの村とはしだいに少し違った様子を持つようになった。
http://www.kanda-gawa.com/pp005.html 参考文献:神田川逍遙~江戸の暮らしと神田上水
http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/pp/rekisi/index.html 水道歴史館・東京都水道局
http://park5.wakwak.com/~toshkish/index_ie.html 江戸なんでも工房
http://ja.wikipedia.orgウィキペディア
www.city.hamura.tokyo.jp/ 羽村市ホームページ
「雑学大江戸事情」石川英輔 講談社文庫
「玉川上水 水と緑と人間の賛歌」アサヒタウンズ編 けやき出版
2006-11-20T05:42:25+09:00
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上水と江戸の発展
https://w.atwiki.jp/rion0601/pages/9.html
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><font size="2"><span style=
"COLOR: #111111; FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
天正</span><span lang="EN-US" style="COLOR: #111111"><font face=
"Century">18</font></span><span style=
"COLOR: #111111; FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年</span><span lang="EN-US"
style="COLOR: #111111"><font face="Century">(1590</font></span><span style=
"COLOR: #111111; FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年</span><span lang="EN-US"
style="COLOR: #111111"><font face="Century">)</font></span><span style=
"COLOR: #111111; FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">、徳川家康の江戸入府と同時に、良質な飲料水を得るために上水が造られたと伝えられている。家康は江戸の街づくりの第一歩として、何よりもまず飲料水の確保に目を向けたのである。</span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">家康は、江戸入城にともない上水道の整備を大久保藤五郎に命た。藤五郎は、小石川(現在の後楽園のあたり)の流れを利用し、この水を小さな堀割で駿河台方面へと流した。</span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">これが、江戸の上水道の始まりであり神田上水の原型と言われている。(藤五郎はこの工事の功績により、主水の名を授かった)</span></font></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span lang="EN-US"><font size=
"2"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
徳川幕府の発展と共に、江戸の街も大きくなり、三代将軍家光の頃には、江戸は数十万の人口を抱えるようになったのに対応するため、上水設備の拡張工事が行われるようになった。当時は、いくつかの自然河川が江戸の街を流れていたが、その中で最大の河川だった井の頭池を水源とする川(つまり神田川)を利用して、神田上水が作られた(寛永六年)。</span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">江戸への供水は、目白下関口に設けられた堰で取水して、堀割を伝って小石川の水戸屋敷へ導かれ、その後地中の導水管へと続き、現在の水道橋のあたりで掛樋となって神田川を渡り、</span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">駿河台方面へと供水された。関口に設けられた堰は、大洗堰と呼ばれた。上水の余水は江戸川となり、船河原橋(現在の飯田橋付近)より下流は神田川と呼ばれるようになった。神田上水の工事は今でいう一大公共工事だったため、多くの人間が工事に参加した。その中の一人には松尾芭蕉もいたと言われている</span></font></span><span lang="EN-US"><font size="2"><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">。</span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">その当時芭蕉が寝食を行った家が関口芭蕉庵として残されている。</span></font></span></p>
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<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span lang="EN-US"><font size=
"2"><font size="2"><span style=
"COLOR: #111111; FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
承応3年</span><span lang="EN-US" style="COLOR: #111111"><font face=
"Century">(1654</font></span><span style=
"COLOR: #111111; FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年</span><span lang="EN-US"
style="COLOR: #111111"><font face="Century">)</font></span><span style=
"COLOR: #111111; FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">には玉川上水が完成したことで、世界有数の100万都市江戸の人々の暮らしを支えた。</span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">多摩川の羽村の堰で取水された水が、江戸中央部へと給水を行い、神田上水は、小石川地区から神田川以南の日本橋、京橋、大手町地区に供水していた。</span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">また、本所、青山、千川、三田の4上水が整備され江戸周辺へと給水された。</span></font></font></span></p>
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"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="2"> *玉川上水が出来るまで</font></span></span>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
<font size=
"2">江戸で使う水は最初、湧き水や溜池、周囲の小さな河川のものを使っていたが、人が増え、町が広がるにつれて、それだけでは足りなくなってきていた。</font></span></p>
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"MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0">
<font size="2"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
承応元年(</span><span lang="EN-US"><font face=
"Century">1652</font></span><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年)徳川家綱が四代将軍になって早々、幕府は、清い水の豊富な多摩川から江戸に上水を引く計画を立て、工事を願い出ていた庄右衛門・清衛門兄弟に金</span><span lang="EN-US"><font face="Century">7500</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">両を払い、請け負わせた。</span></font></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><font size="2"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
承応</span><span lang="EN-US"><font face=
"Century">2</font></span><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年</span><span lang="EN-US"><font face="Century">(1653</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年</span><span lang="EN-US"><font face="Century">)4</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">月</span><span lang="EN-US"><font face="Century">4</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">日から工事に着工。羽村の取水口から四谷大木戸(現在の新宿御苑前)まで約</span><span lang="EN-US"><font face="Century">40</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">キロを、武蔵野台地の最も高い稜線に沿って掘り進んでいる。取水口から四谷大木戸までの標高は約</span><span lang="EN-US"><font face="Century">92</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">メートルで、その傾斜を利用して水が流れるよう設計してある。測量は暗闇の中で束にした線香や提灯の明かりを利用したといわれる。機械のない時代にクワやツルハシなどを使ってまったく人力で掘ったにしては、</span><span lang="EN-US"><font face="Century">43</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">キロもの長さをたった</span><span lang="EN-US"><font face="Century">8</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">ヶ月、</span><span lang="EN-US"><font face="Century">11</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">月15日に工事は完了した。当時の水道としては世界一の規模と言われている。</span></font></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><font size="2"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
幕府は庄右衛門・清衛門兄弟に玉川の苗字を名乗ることを許し、後に</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">百石を与えた。</span></font></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
<font size="2"><font color="#000080"><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">
玉川上水は江戸の飲料水の貴重な水源だったが、</span><span lang="EN-US"
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"Century">1722年</font></span><span style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">(</span><span lang="EN-US"
style="mso-bidi-font-size: 10.5pt"><span lang="EN-US" style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><span lang="EN-US">享保</span></span><font face="Century">7</font></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">年)以降の</span><span lang="EN-US"
style="mso-bidi-font-size: 10.5pt"><span lang="EN-US" style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><span lang="EN-US">新田開発</span></span></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">によって多くの分水が開削され</span><span lang="EN-US"
style="mso-bidi-font-size: 10.5pt"><span lang="EN-US" style=
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><span lang="EN-US">武蔵野</span></span></span><span style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">の農地へも水を供給し農業生産にも大いに貢献した</span></font></font></span></p>
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"FONT-FAMILY: "MS 明朝"; mso-bidi-font-size: 10.5pt; mso-bidi-font-family: "MS Pゴシック"; mso-font-kerning: 0pt">
<font size="2">:玉川上水の出発点である羽村:<span lang=
"EN-US"><br></span></font></span></p>
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"FONT-FAMILY: "MS 明朝"; mso-bidi-font-size: 10.5pt; mso-bidi-font-family: "MS Pゴシック"; mso-font-kerning: 0pt">
<font size=
"2">江戸時代では羽村・五ノ神村・川崎村の<span lang="EN-US">3</span>つに分かれ、幕府が直接治める天領と数人の旗本の領地になっていました。水田は多摩川に沿った所に少しある程度で、大部分は畑でした。しかも、このあたりは多摩川が武蔵野台地を削ってつくった階段状の地形(河岸段丘)のため、水田のある所以外は水に乏しく、土もやせていて、野菜や雑穀がようやくできるといった状態だったようです。<span lang="EN-US"><br></span></font></span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style=
"FONT-FAMILY: "MS 明朝"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">
<font size=
"2">こうした村の生活に、玉川上水ができたことで大きな変化が起こります。先に述べたとおり、玉川上水は長大な土木構築物です。特に羽村の堰には、多摩川を横切っている堰本体、二つの水門と余り水の吐き口、そして上水路の土手があり、それぞれが竹・石・木・土などを組み合わせてつくられた複雑な構造をしています。これらのどこかに少しでも不具合があると、江戸まで水が送れません。ですから日ごろのちょっとした補修はもちろん、大水の後には大掛かりな修理が必要なこともたびたびでした。また、水量の管理も大切です。刻々と変わる多摩川の水量と江戸で必要な水量を考え合わせて水門の開き具合を調節しました。</font></span><span lang="EN-US"
style="mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span><span style=
"FONT-FAMILY: "MS 明朝"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><font size="2">こうした玉川上水の管理をするために、羽村には陣屋と呼ばれる幕府の役所が置かれ、その下で実際の仕事、作業を請け負う水番人と呼ばれる人が働いていました。水番人は日常の管理の仕事のほか、大きな修理が必要なときは、工事の内容を決めた仕様書をつくります。それをもとに陣屋が入札にかけて工事の請負人を決めました。水番人はこの入札に個人として参加することを許されていました。</font></span><span lang="EN-US"
style="mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span><font size="2"><span style=
"FONT-FAMILY: "MS 明朝"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">大水が出て緊急の時には、羽村・五ノ神・川崎の各村はもとより近隣の村々から人が集められて応急の処置にあたりました。これは幕府の命令で、夜中でも、畑が忙しくてもやらなければなりません。けれども、玉川上水で大きな修理があると、経済的に余裕のある人は入札に参加し、そうでない人も人足として働いて稼ぐことができましたから、村人にとってはひとつ働き口が増えたといえるでしょう。幕府は年間に</span><span lang="EN-US"
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"Century">600</font></span><span style=
"FONT-FAMILY: "MS 明朝"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">両という大金を堰の管理や修理のために使っていたことが記録に残っています。</span></font><span lang="EN-US"
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"FONT-FAMILY: "MS 明朝"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">水番人をはじめ、入札に参加するような農民は、いつでも必要な資材や、人手を集められるように準備するなど、現在の土木建設業に近いような仕事をしていました。玉川上水ができて以来、羽村にはこうした人が何人も出るようになり、まわりの村とはしだいに少し違った様子を持つようになりました。</span><span lang="EN-US"
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<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span lang="EN-US" style=
"mso-bidi-font-size: 10.5pt"><a href=
"http://park5.wakwak.com/~toshkish/index_ie.html"><font face="Century" size=
"3">http://park5.wakwak.com/~toshkish/index_ie.html</font></a></span><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: "MS 明朝"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt"> 江戸なんでも工房</span><span lang="EN-US"
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<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><em><span lang="EN-US" style=
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"mso-bidi-font-style: normal">ja.wikipedia.org</span></font></a>
</span></em><font size="3"><em><span style=
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"3"><em><span style="FONT-STYLE: normal; FONT-FAMILY: "MS 明朝"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-style: italic">
「雑学大江戸事情」石川英輔 講談社文庫</span></em><em><span lang="EN-US"
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"FONT-STYLE: normal; FONT-FAMILY: "MS 明朝"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-style: italic">
<font size=
"3">「玉川上水 水と緑と人間の賛歌」アサヒタウンズ編 けやき出版</font></span></em><span lang="EN-US"
style="mso-bidi-font-style: italic"><br></span></p>
<p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"></p>
2006-11-20T04:45:39+09:00
1163965539
-
会話ログ
https://w.atwiki.jp/rion0601/pages/8.html
yukari08072001: 遅くなってしまってすみません()
yuuka_tsukishimo: おお、お帰りー
yuuka_tsukishimo: ちょっと今ご飯食べてるのでもう少し離れます;
yukari08072001: 了解です
yuuka_tsukishimo: お待たせしました( ̄▽ ̄;)
yukari08072001: おかえりなさいです
yuuka_tsukishimo: 乾期と飢餓の記事どうしようね…orz
yukari08072001: インド特集の雑誌発見したんですが、飢餓の記事はゼロですたorz
yuuka_tsukishimo: うはぁorz
yuuka_tsukishimo: どちらかっていうとインドは飢餓よりも洪水の方が深刻なのかな;
yukari08072001: 洪水と干ばつの影響で飢餓・・かなぁ
yukari08072001: うぉぉぉ(ry
yuuka_tsukishimo: おろろーーーーん( ̄□ ̄;)
yuuka_tsukishimo: ぶぶww
yukari08072001: すません(何やってんの!
yuuka_tsukishimo: いや、気持ちはよく分かるww
yukari08072001: ↑↑↑モチベーション↑↑↑
yuuka_tsukishimo: ww
yukari08072001: 失礼しました
yuuka_tsukishimo: うん?
yukari08072001: ファイル送信の機能を使ってみたんですけど、うまくいきませんですたorz
yuuka_tsukishimo: ああ
yuuka_tsukishimo: なんか渡辺さんの方の
yuuka_tsukishimo: メッセのバージョンが古くてファイルシステムが使えない状態みたい。
yuuka_tsukishimo: アップデートすれば使えるかも
yukari08072001: ありがとうございます。 因みにβ版らしいので ウチの古いパソではアップデートできませんでした(
yuuka_tsukishimo: そうなのか;
yukari08072001: 90年代前半にインドの飢餓人口はかなり減ったらしいです。
yukari08072001: そうなった理由を探してみるのもいいかもです
yuuka_tsukishimo: ふむふむ
yuuka_tsukishimo: なんか飢餓と乾期の関係性があまり浮かんでこない気がorz
yuuka_tsukishimo: どちらかというと
yuuka_tsukishimo: 洪水でおきた飢餓に対しての援助活動とかの記事が多いや;
yukari08072001: 確かに
yukari08072001: PCが不安定なのでいったん落ちます
yuuka_tsukishimo: お帰りー
yukari08072001: ただいまであります
yuuka_tsukishimo: 何か凄い背景だねw
yukari08072001: そっちにも反映されるんですねっ
yuuka_tsukishimo: うんw
yukari08072001: IMテーマで変更できるのでお好きなのどうぞ・・
yukari08072001: おおおっ
yuuka_tsukishimo: <桜を見ると選ばずには入られないワタクの悲しい習性ですw
yukari08072001: ワタク!(初耳!ステキな響きです
yukari08072001: ガノタみたいな
yuuka_tsukishimo: ワタルオタク略してワタクw
yukari08072001: ガンヲタ→gunota→ガノタ
yuuka_tsukishimo: あ、それでガ「ノ」タだったのかー
yukari08072001: 英語の I wanna→ アイワナ みたいな
yukari08072001: 脱線 イクナイ o.....................rz
yuuka_tsukishimo: ww
yuuka_tsukishimo: そっち何か収穫ありますか?
yuuka_tsukishimo: さっきから検索してるけどいまいちいいのが見つからないorz
yukari08072001: ユニセフのページでインド人の生活が画像付きで見れました
yuuka_tsukishimo: どのページか教えてもらってもいい?^^;
yukari08072001: 世界のこどもたち→写真・映像で見る 飢餓というより村人の過酷な暮らし・・ですなぁ
yuuka_tsukishimo: 確かに
yukari08072001: http://img147.auctions.yahoo.co.jp/users/5/7/9/2/katuyosimukai-img513x287-114387866805.jpg モチベーションage
yuuka_tsukishimo: シャア貴方何サービスしてるんですか…(爆
yukari08072001: 表情がサイコウです(大笑
yukari08072001: 昔の雑誌はよーわかりません
yuuka_tsukishimo: もうね、突っ込みどころありすぎて言う言葉が…w
yukari08072001: http://img201.auctions.yahoo.co.jp/users/4/5/9/7/ku2cchi-img600x450-1147245067sha_3.jpg なんだこのカセットレーベルはー てかなんだこの無機質なギュネたん
yukari08072001: なんて書いてあるのか気になるんですけどー
yuuka_tsukishimo: 無機質ってどんなんですかw
yukari08072001: 3DCGっぽいというか・・
yukari08072001: http://www.ni-japan.com/topic354.htm この記事はチェック済みでしたっけ
yuuka_tsukishimo: あー、まだ見てないかも
yukari08072001: 無機質→無機物 (アフォ (今更
yuuka_tsukishimo: w
yuuka_tsukishimo: 取りあえず状況確認ー
yuuka_tsukishimo: 乾期、雨期の期間と気候の特色(これはほぼ出来てるかな?)
yuuka_tsukishimo: 乾期による飢餓の状況(まだお互い調査中)
yukari08072001: 雨季の影響はさっきの使えますかね
yuuka_tsukishimo: かな。
yuuka_tsukishimo: で、問題対策(やっぱり飢餓に関してはなかなか資料見つからず)
yuuka_tsukishimo: こんな感じ?
yukari08072001: ハイ
yuuka_tsukishimo: やっぱ当面の問題は乾期と飢餓についてかorz
yukari08072001: memoの方に見つけたものちょこちょこupしてます。 なかなかいいの見つかりませんねぇ
yuuka_tsukishimo: これだ!っていう記事が無いんだよね;
yukari08072001: 寄せ集めでどーにかつなげて どうにかしましょう
yuuka_tsukishimo: だねぇ。
yuuka_tsukishimo: とりあえず私もまとめたものからあっぷしていきます。
yukari08072001: ありがとうございますー!
yuuka_tsukishimo: おー!お互いがんばろうv
yukari08072001: ! パソ子復帰おめでとうございます
yuuka_tsukishimo: ありがとー!中身消えちゃったのでこれからはアスラン改になります(笑)。よろしくw
yukari08072001: http://nankyoku.sakura.ne.jp/yaoi/data/yaoi_001106.jpg モチベーションage
yuuka_tsukishimo: この絵素敵だよね!!
yukari08072001: http://appassionato.under.jp/diary/d-img/IMG_000050.gif もいっちょ(違反行為)
yuuka_tsukishimo: うわぁああ!かっ可愛いというか和むというか切ないというか…!!
yuuka_tsukishimo: orz
yukari08072001: ああああ!
yukari08072001: こっち睨まないでキャハv
yuuka_tsukishimo: 個人的今の最大モチベーションアップ(大笑
yuuka_tsukishimo: ←ちなみに作業中BGMはFlying the Sky(爆
yuuka_tsukishimo: おおー!
yukari08072001: カコイイギュネタソハケーン
yuuka_tsukishimo: Σb
yukari08072001: 私はBEYOND THE TIMEを
yuuka_tsukishimo: いいねぇw
yuuka_tsukishimo: www
yuuka_tsukishimo: お風呂入りにしばらくPCから離れますー;
yukari08072001: 了解です。私も行ってきますー
yuuka_tsukishimo: はいv
yukari08072001: 「私は帰ってきたー」
yuuka_tsukishimo: おおお遅くなってごめん><
yukari08072001: おかえりなさいまへ
yuuka_tsukishimo: ただいまです
yukari08072001: レジュメ用の編集始めました
yuuka_tsukishimo: 了解ー!
yukari08072001: PCがメモリ不足でいったん落ちました。すみません
yuuka_tsukishimo: いえいえ^^
yuuka_tsukishimo: 長い間動かしてるとたまにそうなるよね。
yukari08072001: とくにウチのはボロパソなので げふ
yuuka_tsukishimo: 新しいPCげっとまでがんばれ!!(ところで絵がXに変わってるねw
yukari08072001: おかしいところがあったら直してください
yuuka_tsukishimo: 了解~。少し時間ください。
yuuka_tsukishimo: うん、悪くないと思う^^。というかまかせちゃってごめんね;あと、洪水の被害っていう文字の下の*って何か書く?
yukari08072001: 必要ならば・・・です
yukari08072001: なんだか色々足りなさそうです
yuuka_tsukishimo: うーむ…
yuuka_tsukishimo: んじゃ、洪水の面だけにしぼってもう一度探してみます。
yuuka_tsukishimo: 生活への影響というより事例だけどこんなもの見つけたよhttp://www.maff.go.jp/kaigai/2005/20050815india01a.htm
yukari08072001: おおー
yukari08072001: 最終段階いきましょう
yuuka_tsukishimo: OK♪
yukari08072001: とりあえず口頭で言うことを書きましょう
yuuka_tsukishimo: だいたいお互いがまとめたものを項目ごとに整理すれば大丈夫じゃないかな?
yukari08072001: はい
yukari08072001: ページ作りました
yuuka_tsukishimo: 早っ!
yukari08072001: 新規ページのことです
yuuka_tsukishimo: うん、みつけたー
yuuka_tsukishimo: どういう分担で書く?
yuuka_tsukishimo: <多分それぞれが一気に書き込むと衝突する恐れがあるので
yukari08072001: 書き込むときはここで宣言するのはどうですか
yuuka_tsukishimo: 了解^^
yukari08072001: 基本はメモ帳に書いて、
yuuka_tsukishimo: とりあえず私はさっきの記事をまとめてからにするつもりです。
yukari08072001: お願いします。先に気候の方を書き込みます
yuuka_tsukishimo: はい。こちらこそよろしくー
yukari08072001: 天気終わりますた
yuuka_tsukishimo: 了解!じゃあ洪水、干ばつのところをまとめに入ります。
yukari08072001: 原因と対策まとめます
yuuka_tsukishimo: 洪水、干ばつ終わりましたー
yukari08072001: こちらも急ぎますー。
yuuka_tsukishimo: あい♪
yukari08072001: あと洪水対策と干ばつ対策ですが、どちらかお願いしていいですか・・スミマセン
yuuka_tsukishimo: 対策…は干ばつ洪水両方への対策になっちゃってるきがするなぁ;
yukari08072001: あ、ですね!
yuuka_tsukishimo: とりあえずまとめるのであとでチェックお願いします
yukari08072001: あぁ お願いします。まかせてばっかりで申し訳ないです・・
yuuka_tsukishimo: いえいえ^^私もさっきあまり手伝えなかったしね^^;
yuuka_tsukishimo: まとめ完了~。全体のチェックお願いしていい?
yukari08072001: はい
yukari08072001: おおおお だいどーぶです。 ではでは レジュメの方を印刷用にしちゃいましょう
yuuka_tsukishimo: OK!あ、でもレジュメ配布ってどうすればいいんだろう?
yukari08072001: コピー代はやはり自腹なんですかねぇ
yuuka_tsukishimo: う~ん、厳しいなぁ;授業前に先生に頼んで準備してもらえないかな?
yuuka_tsukishimo: ちょっとギリギリすぎるか;
yukari08072001: 印刷室って早くから開いてましたっけ
yuuka_tsukishimo: 分からないです( ̄▽ ̄;
yukari08072001: マンケンの部h ゲフゲgフゲフgヘウgフエフ
yuuka_tsukishimo: wwwうぇwwwww
yukari08072001: ぬぇっ
yukari08072001: 授業の人数40人とかでしたっけ コピーでなんとかしますか
yukari08072001: 日本語おかしい orz
yuuka_tsukishimo: あはは。じゃ、そうしますか^^;
yukari08072001: 大佐、それでいいと思います
yuuka_tsukishimo: ww
yuuka_tsukishimo: ごめん大佐の絵が手元に無かったw
yukari08072001: 大尉がそう言うなら・・・
yuuka_tsukishimo: ぶw
yuuka_tsukishimo: あとは発表の分担だけかな?
yukari08072001: ですね、警部
yuuka_tsukishimo: よし、ではどこか発表したい箇所の希望はあるかね?(目暮口調
yukari08072001: ww
yuuka_tsukishimo: w
yuuka_tsukishimo: どうしますー?
yukari08072001: なり茶ー(待て) それは置いといて
yukari08072001: インドの干ばつ被害の上まで出半分ですね
yukari08072001: 出→で
yuuka_tsukishimo: じゃあ無難に前半と後半かな。どっちがいい?w
yukari08072001: どちらでもいいです
yuuka_tsukishimo: じゃあ私前半でOK?
yukari08072001: 後半、担当させていただきます、大佐。(もういいよ
yuuka_tsukishimo: よし、お前に任せ。た(笑
yuuka_tsukishimo: た。
yukari08072001: (フフっこれでクェスは俺のものだ)
yuuka_tsukishimo: Σむっ? (←よからぬ思考受信/笑
yukari08072001: (NTのなりそこないの大尉が・・)←ひでぇ
yuuka_tsukishimo: 何か言いたげだね、カミーユ。
yukari08072001: そんなことより、レジュメを・・うゎーーーーー誰だ、ジェリド!?
yukari08072001: もうダメポ
yuuka_tsukishimo: ww
yukari08072001: これログ残しておきますね
yuuka_tsukishimo: すてきw
yuuka_tsukishimo: ともあれお互いお疲れ様^^
yukari08072001: 本当に、遅い時間までありがとうございました
yukari08072001: お疲れ様です(_ _)
yuuka_tsukishimo: いえいえv最後に発表が無事に終わることを祈って一言
yuuka_tsukishimo: 二人のこの手が真っ赤に燃える!
yuuka_tsukishimo: 幸せつかめと轟き叫ぶ!!
yuuka_tsukishimo: ばぁあくねぇええつっっ!!
yuuka_tsukishimo: せっぱ!ラブラブてんsh(ry
yuuka_tsukishimo: おそまつ。
yukari08072001: 来たなプレッシャー
yuuka_tsukishimo: ww
yuuka_tsukishimo: だめだ頭が廃になってる;
yukari08072001: 灰になってます
yukari08072001: 明日は少し早めにどこかに集まりましょう。部室でいいですかね
yuuka_tsukishimo: そうだね。
yukari08072001: あ、今日か(変換一発目”強化”)
yuuka_tsukishimo: w
yuuka_tsukishimo: 15分前くらいで大丈夫かな。
yukari08072001: はい
yuuka_tsukishimo: 了解ー
yuuka_tsukishimo: 遅れないようにがんばります;
yukari08072001: レジュメは向こうでいったん印刷しますか?
yukari08072001: あ、ログインめんどくさそうなんで こっちでやっちゃいますね
yuuka_tsukishimo: おねがいしますー;
yukari08072001: タイトルが仮になってるんですがどうしましょう 飢餓メインちゃう
yuuka_tsukishimo: だねぇ;
yukari08072001: ちょっとぐらいテーマから外れていても許してくれるでしょう、ええ
yuuka_tsukishimo: 「インドの気候による災害」とかに変えたら駄目かな?;
yukari08072001: いいと思います、反映しました
yuuka_tsukishimo: ありがとうー!
yukari08072001: あとは学籍番号と名前を書きます
yuuka_tsukishimo: だね。
yuuka_tsukishimo: レジュメの元原稿はそっちでプリントアウトでいいんだっけ?
yukari08072001: はいー
yuuka_tsukishimo: おねがいしまーす
yuuka_tsukishimo: あ、学籍番号とか言ったほうがいい?それとも自分で編集する?
yukari08072001: 大丈夫ですー
yuuka_tsukishimo: わかったー!何かほかに今やることある?
yukari08072001: まとめの方を印刷して終了です。
yukari08072001: ではこれですべて終了です。お疲れ様です
yuuka_tsukishimo: 本当にお疲れ様!うちらよく戦ったよ!!w
yukari08072001: 宇宙世紀0080地球連邦とジオン(以下略 (波平ボイス
yuuka_tsukishimo: ww
yukari08072001: 会話ログが残せません・・お願いしていいですかorz wikiに書き込んでいただけますか?
2006-05-15T05:10:36+09:00
1147637436
-
レジュメ用
https://w.atwiki.jp/rion0601/pages/6.html
<p>乾季と雨季のある地域<br>
インドの気候による災害</p>
<br>
<p>□乾季、雨季の期間と気候の特色</p>
<p>*インドの季節は大きく分けて3つ<br>
・酷暑季(4~5月)<br>
・雨季(6~10月)<br>
・乾季(11~3月)<br>
モンスーンの影響を受け、雨季になる</p>
<br>
<p>□乾季による飢餓</p>
<p>*乾季に干ばつが発生し各地に被害が出る</p>
<p><br></p>
<p>□雨季による生活への影響</p>
<p>*洪水の被害</p>
<p><br></p>
<p>□原因と対策</p>
<p>*干ばつ対策<br>
・河川を水路でつなぐ<br>
・水の貯蔵</p>
<p>*洪水の原因<br>
・森林伐採<br>
*洪水対策</p>
<br>
<p><br></p>
<p>C02882小柳理恵子 C04913渡辺沙織</p>
2006-05-15T04:59:55+09:00
1147636795
-
まとめ
https://w.atwiki.jp/rion0601/pages/7.html
□乾季、雨季の期間と気候の特色
インドの季節は大きく分けて3つに分かれています。
ここでは乾季を2つに分けています。
雨季は6~10月で、大量の雨が降ります。南西風が吹き、西海岸から徐々にインド全域に降雨地域が広がっていきます。
11~5月までが乾季で ほぼ毎日快晴で過ごしやすい季節です。山岳地帯では雪も降るようですが、大部分ではほとんど「寒い冬」はありません。
乾季のうち4~5月は酷暑季と呼ばれ、一番暑い時期で摂氏50度を超えます。
乾季と雨季の移り変わりにはモンスーンが深く関係しています。モンスーンが海側から吹くと湿った空気が内陸にもたらされ、強い雨期となります。逆に大陸側から吹き込むと乾燥した空気がもたらされるため乾期となる。この働きで、モンスーンは乾季・雨季のある気候を形成します。インドでは海から来るモンスーンの影響を受けて雨季が来るようです。
□インドの洪水災害(2005年度)
インドの雨季はたいてい9月中旬になると収まってくるのですが、2005年度の雨季は9月下旬になっても雨季が終わらず、一部の地域では豪雨が続くという異常事態が起こりました。
そしてそれに伴う疾病、特にマラリア、コレラの発生も確認されています。同時期にウットラプラデッシュ州では日本脳炎が発生、数百人が発症し二百人以上が死亡しています。
同じく、マハラシュトラ州でも州内全域で豪雨とそれにともなう大洪水が発生し、大洪水によって農村に多数の死傷者と農作物への大きな被害が出ました。被害者の数は900人以上に及び、産業および財産に対する被害総額は2億3,000万米ドル以上に達したそうです。
□インドの干ばつ被害
飢餓の多くは季節的なもので、世界人口の4分の1が雨季と乾季の分かれた熱帯性の地域に住んでいます。そして、飢餓の大部分はこの熱帯で発生しています。
インドでは国土の80%でいつでも干ばつが起こりうる状態になっています。
インドは国土面積の50%以上を農地が占めており、就業人口の約6 割が農業に従事している農業大国です。しかし、灌漑などが普及していない地域も多く、毎年の穀物収穫高はその年の気象、つまり乾季に大きく影響されます。特に深刻なのは干ばつで、大規模な干ばつに見舞われると農家の収入は大幅に減少し、家畜・土地等の資産を手放す必要に迫られるなど、生活上の大きな不安要素となっています。
最近の例を挙げると、2000年に6州だった干ばつが、2001年は11州に拡大。100年に一度という深刻な被害になりました。前年の干ばつで収穫がなかった地域も多く、飢餓は広がりました。水や家畜の飼料を求めて、村人がさまよう「干ばつ難民」が続出しました。
□原因と対策
干ばつと洪水、両方の被害を受けてしまうインドですが、単に乾季と雨季が存在する以外に原因があるそうです。
ヒマラヤ山脈の水源地帯の森林が広範囲に伐採された結果、雨季に保水力を失った山から一度に水が溢れ出して洪水を起こし、また大量の土砂が流れ出して河川の水かさを増やして広範囲を水浸しにする。一方モンスーンが低調だと今度は干ばつに見舞われるからと言われています。
その他には温暖化が原因でヒマラヤ山脈の氷が解けることにより、河川の水かさが場所によっては増え、もしくは減り、変化することで洪水や干ばつが起こりやすくなると言われています。
□インドの災害に対する対策案
インド政府は、干ばつや水害対策のため、ガンジス川など国内の主要河川を30の水路でつなぐ構想を固めています。水量に過不足がある河川を連結して水量を調節し、潅漑(かんがい)や水力発電を効率よく進めようというアイデアです。しかし、1200億ドル(約14兆4千億円)ともいわれる巨額の資金調達や、周辺国、環境団体との調整など課題は多く先行きは不透明なようです。
また、いくつかの農村では雨水を自主的にダムや池を作ることで貯蓄して干ばつを乗り切っているという例もあります。雨水を貯蓄する施設を作ることはそこまで資金のかかる問題でもなく、どんな建設社会でもほぼ可能といえます。政府による財政的な持続性の危ぶまれる水供給に頼りきってしまうよりは村の一つ一つで結束した水供給のネットワークを作ることが大切ということもいわれています。
2006-05-15T04:13:36+09:00
1147634016
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インドの乾季と雨季について
https://w.atwiki.jp/rion0601/pages/5.html
◇季節の移り変わりと乾期、雨季◇
インドの季節は大きく分けて3つに分かれています。
酷暑季(4~5月) 一番暑い時期で摂氏50度を超えます。
雨季(6~10月) 大量の雨が降ります。南西風が吹き、西海岸から徐々にインド全域に降雨地域が広がっていきます。
乾季(3~11月) ほぼ毎日快晴で過ごしやすい季節です。山岳地帯では雪も降るようですが、大部分ではほとんど「寒い冬」はありません。
乾季の中で被害が多いのは厳密には酷暑季のようです。
逆に、雨季の被害はやはり水の被害が多いです。雨季にはまとまって雨が一気に降りますが、インドの建物は雨漏りが激しく、床下浸水などが日常茶飯事。もちろん道路も川のような状態になってしまう為、渋滞が起こります。ちなみに雨季だからといって一日中雨が降り続いているわけではなく、1,2時間でまとまって滝のような雨が降るそうです。
乾季と雨季の移り変わりにはモンスーンが深く関係しています。モンスーンが海側から吹くと湿った空気が内陸にもたらされ、強い雨期となります。逆に大陸側から吹き込むと乾燥した空気がもたらされるため乾期となる。この働きで、モンスーンは乾季・雨季のある気候を形成します。インドでは海から来るモンスーンの影響を受けて雨季が来るようです。
◇インドの洪水災害(2005年度)◇
インドの雨季はたいてい9月中旬になると収まってくるのですが、2005年度の雨季は9月下旬になっても雨季が終わらず、一部の地域では豪雨が続くという異常事態が起こりました。
そしてそれに伴う疾病、特にマラリア、コレラの発生も確認されています。同時期にウットラプラデッシュ州では日本脳炎が発生、数百人が発症し二百人以上が死亡しています。
同じく、マハラシュトラ州でも州内全域で豪雨とそれにともなう大洪水が発生し、大洪水によって農村に多数の死傷者と農作物への大きな被害が出ました。被害者の数は900人以上に及び、産業および財産に対する被害総額は2億3,000万米ドル以上に達したそうです。
◇インドの災害に対する対策案◇
インド政府は、干ばつや水害対策のため、ガンジス川など国内の主要河川を30の水路でつなぐ構想を固めています。水量に過不足がある河川を連結して水量を調節し、潅漑(かんがい)や水力発電を効率よく進めようというアイデア。しかし、1200億ドル(約14兆4千億円)ともいわれる巨額の資金調達や、周辺国、環境団体との調整など課題は多く先行きは不透明なようです。
また、いくつかの農村では雨水を自主的にダムや池を作ることで貯蓄して干ばつを乗り切っているという例もあります。雨水を貯蓄する施設を作ることはそこまで資金のかかる問題でもなく、どんな建設社会でも可能といえます。政府による財政的な持続性の危ぶまれる水供給に頼りきってしまうよりは村の一つ一つで結束した水供給のネットワークを作ることが大切ということもいわれています。
2006-05-15T03:28:13+09:00
1147631293
-
memo
https://w.atwiki.jp/rion0601/pages/4.html
test
インドの飢餓の原因はたくさんある
飢餓の多くは季節的なもので、世界人口の4分の1が雨季と乾季の分かれた熱帯性の地域に住んでいる
そして、飢餓の大部分はこの熱帯で発生しているのである。
・インドでは国土の80%がいつでも干ばつが起こりうる
補足↓
インドは国土面積の50%以上を農地が占めており、就業人口の約6 割が農業に従事している農業大国です。しかしながら、灌漑などが普及していない地域も多く、毎年の穀物収穫高はその年の気象に大きく影響されます。特に深刻なのは干ばつであり、大規模な干ばつに見舞われると農家の収入は大幅に減少し、家畜・土地等の資産を手放す必要に迫られるなど、生活上の大きな不安要素となっています。
・原因→ヒマラヤ山脈の水源地帯の森林が広範囲に伐採された結果、雨季に保水力を失った山から一度に水が溢れ出して洪水を起こし、また大量の土砂が流れ出して河川の水かさを増やして広範囲を水浸しにする。一方モンスーンが低調だと今度は干ばつに見舞われる。
・インドでは2000年に6州だった干ばつが、2001年は11州に拡大。
100年に一度という深刻な被害になりました。
前年の干ばつで収穫がなかった地域も多く、飢餓は広がりました。
水や家畜の飼料を求めて、村人がさまよう「干ばつ難民」が続出しました。
2006-05-15T01:00:26+09:00
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