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   一

「住宅地に佇む廃墟にて暴力事件か?」

 早朝、ベッドから起きてきたばかりで髪がボサボサの少女の目に飛び込んできたのは新聞の大きな見出しだった。テーブルの上に無造作に置かれた新聞は今にも落ちそうである。きっと彼女の前に誰かが読んでいたのだろう。寝ぼけている彼女は新聞を落ちない位置に動かすことなく、目やにがついたままの目を擦りながら見出しの横に長々と綴られている記事を読み始めた。

 先日の午前八時頃、東京都○○区の廃墟にて、男性四人が倒れているのを、廃墟を管理している男性が発見した。四人はすぐに救急車で運ばれたもの、命に別状は無いという。四人からはいずれも刃物で切られたような傷が数箇所見つかっており、警察は連続暴行事件となんらかの関係があるのではないかと調査している。

 連続暴行事件。これは真夜中に何者かが通りすがりの人を無差別に襲っている事件だ。
襲われた人の体には必ず刃物で切られたような小さな傷が見つかっている。事件現場はいつも彼女が住んでいるこの町付近で、彼女の通う中学校の方からも注意を呼びかけている。いったい誰がこんなことをしているのだろうか。

「結架、早く顔洗って着替えなさい」
「はーい」
 母の言葉に彼女、結架は気のない返事をすると、洗面所に向かった。リビングを抜け廊下を進み、トイレの隣の部屋が洗面所になっている。裸足のまま洗面所に入ると、先客である父と弟が歯を磨いていた。結架は仕方なく二人の後ろに並ぶ。
「おはよう結架。いつもより起きるの遅いじゃないか」
「昨日夜遅くまで勉強してたの」
「普段塾でしか勉強しないお姉ちゃんが? めっずらしぃ」
「今日は学校で国語のテストがあるの。何よその言い方」

   *

 着慣れた制服に身を包み、朝食を平らげた結架は学校の指定カバンを手に持った。先程まで山姥の髪ように爆発していたショートカットの黒髪はきっちりと整えられ、桜の花を模ったピンで前髪を留めている。現在の時間は午前七時五十分。そろそろ家を出なければならない。

「じゃあお母さん。行って来るね」
「……ねぇ結架、今危ない人が出てるみたいだし、途中まで送っていこうか?」
「大丈夫だって! 登校班なんだしさ」

 母から手渡されたハンカチをポケットに詰め込みながら彼女は微笑む。そして手馴れた様子で靴を履くと、玄関の扉を開けた。涼しげな秋の風が扉の隙間から家の中に入り込んでくる。心配そうな母に結架はもう一度微笑み、いってきますと家を出た。

 夏の空よりも淡い青をしている秋空を紅く染まった木の葉が彩る。
 結架の登校班は近くのバス停が集合場所になっている。彼女はいつもよりやや遅く家を出たので、小走りしながらそこへと急いだ。
「もう皆待ってるかな」
 事件が起こる前までは自由に登校できたのに、と彼女は溜息をつく。単に地域別に登校、というだけなのだが、思春期の中学生は別の地域の友達と一緒に登校したり、一人だけで登校したい、と考えてもおかしなことではないのだ。結架もそんな一人だった。別の地域に住む友達と、事件前までは仲良くお喋りをしながら悠々と登校していた。それが今となってはずっと昔のことのように思えて懐かしい。

「結架ー。遅いよ」
「ごめんっ」
 待ち合わせ場所には結架の友達、千沙子を始めとする登校班のメンバーが勢ぞろいしていた。中学一年生から三年生まで、全部で八人……なのだが、一人だけ見知らぬ少年が加わっていた。これでは九人である。
「紹介するね結架。おととい言ってた転校生の矢吹煌月君。この近くに住んでるからあたし達の班なのよ」
「ああ、この人が」
 結架がおずおずと煌月に歩み寄る。煌月はそんなこと知らずコンクリートの壁に寄りかかりながらうとうとと眠っている。新入りなのに堂々とした人だ。結架は思い切って彼に声をかけた。
「矢吹、君」
 煌月はゆっくりと瞳を開く。透き通るような茶の瞳が結架の姿を捉えた。煌月のことは遠くから見てもカッコイイと思ったが、こうして近くで見ると彼が本当に綺麗な顔立ちをしていることがわかる。途中までストレートな黒髪は先がパサパサと撥ねており、女性が羨ましがるほど白い肌が制服の合間から見え隠れしている。男子は服装が乱れている人ばかりなのに、この煌月は驚くほどキチッと制服を着こなしていた。

「初めまして。副班長の林原結架です。遅くなってすみません」
「別に。その間寝ることできたから」
「貴方も夜遅くまで起きてたんですか?」
「まぁな」

 良かった。意外と彼とは話しやすい。一番苦手とする不良タイプではまずないだろう。結架はホッと胸を撫で下ろした。
 班長の佐々木がバラバラになっているメンバーを呼び集める。副班長の結架もそれを手伝った。そんな光景を煌月はぼうっと見つめていた。まだ眠気が取れないのだろう。
「佐々木君。阿須君と峰君が来ないんだけど」
 一年生の仲良し男子二人組がなかなか来ないので、最終的には佐々木がやや怒り混じりの声を張り上げた。

「いくぞ」

 黒と白の制服を着た男女九人が塊になって中学校へと向かう。遠くから見るとまるで葬式に行く人たちみたいだ。
 結架と千沙子は道路に出ないように並んで歩いていた。そのすぐ前を転校生の煌月が歩いている。どうやら彼はそんなに背が高くないらしい。結架より少し高いので、大体百六十四センチメートルといったところだろうか。まだ汚れの一つも付いていない新品の制服に身を包んだ彼の後姿を見ながら、千沙子はヒソヒソ声で結架に話し掛けてきた。
「煌月君ってカッコイイよね」
「たしかに。すらりとした体系で私も羨ましくなっちゃう」
 何故あんなに痩せているのか聞きたいくらいだ。
「ねぇ結架。彼に話し掛けてみよっか」
「ええっ。そんな恥ずかしいよ」
「大丈夫。だって彼あたし達と同じ三年生なのよ」
 にこにこと笑ってみせる千沙子。彼女は常にテンションが高い。それに良い男には目がないと来たもんだ。流石の結架にも止めることはできなかった。
 千沙子は煌月の右肩を優しくポンポンと叩く。煌月は「?」という顔をしてこちらを振り向いた。こう見えて人見知りの激しい結架は彼から僅かに顔を背ける。

「煌月君、三年生だったよね。何部に入るつもりなの?」
「帰宅部。前の学校でも部活やってなかったし」
 ああ、だから運動部の男子のようにがっちりとした体つきでないのか。二人は納得する。
 一方煌月はやや困ったような顔をしていた。彼女のようなタイプはなかなか逃がしてもらえないと悟ったのだろう。素直に質問に答える。
「簡単なプロフィール教えてくれない?」
「五月二十四日生まれの双子座。趣味は読書。育ちはこう見えてアメリカだから英語は一応喋ることができる」
「すごーい! 英語ペラペラなんだっ」
 千沙子の瞳がよりキラキラと輝く。隣にいる結架もその事実には驚いた。英語がペラペラ、と聞くとどんな中学生だってときめくものである。
 そんな話を交わしている内に中学校に到着した。煌月はやっと千沙子の質問攻めから解放され、ホッと安堵の溜息をつく。その様子を見た結架が心の中で「お疲れ様」と呟いたのは言うまでもない。

 学校の時計は八時十五分。あと五分で鐘が鳴ってしまう。九人は急いでそれぞれの教室へと走っていった。
 三年生のフロアは一番上の四階である。学校自体が丘の上にあるのでとても見晴らしが良い。だが今となってはそんな四階への道筋は遅刻寸前の三年生にとって最後の難関だった。
 結架と千沙子は息を切らせながら階段を一気に駆け上る。転校生煌月は先生に挨拶するため、二階の職員室へ行ったようだった。いいなぁと思いながらとにかく二人は走り続ける。
 三階と四階の途中で一年生担当の先生とすれ違った。「ほらほら遅刻するわよ」と鋭い瞳で睨まれる。この先生はどうも苦手だ。二人して先生に気づかれないよう苦笑する。

 なんとか教室に入った時には、時計の針は八時十九分を指していた。ギリギリセーフである。二人は額の汗を拭いながら疲労混じりの溜息をついた。そして覚束ない足取りで自らの席に着く。
 その時、千沙子はあまりにもよろよろしていたので椅子に足の一部を思い切りぶつけ甲高い声で叫んだ。クラスメイトが耳を塞ぐ。
 女子特有の甲高い声、どうにかならないのだろうか、と男子はいつも思う。その声と同時にお決まりのチャイムが学校全体に響き渡った。
「大丈夫? 結架」
 結架の隣に座っている少年、朔月透がぐったりとしている結架に話し掛ける。透は結架と幼稚園以来の幼馴染だ。
「どうしたんだよ。お前が遅刻ギリギリなんて」
「ね、寝坊しちゃって」
「国語のテストの勉強をやってたってとこだろ。お前らしいや」
 ハハハと笑う透を結架は恨めしそうに睨みつけた。
「どうせ私はあんたと違って馬鹿だもの」
「悪ぃ、そういう意味で言ったわけじゃ――」

 ガララ、という扉を開ける音が透の声を遮る。綺麗に染められた長い茶髪に白いスーツを着た女性が入ってきた。結架達の担任、牧嶋愛美先生である。中学校では美人で優しく、時に厳しいと評判の先生で生徒からの信頼も厚い。
 先生は名簿帳などを教卓の上に置くと、廊下に向かって「入ってらっしゃい」と声をかけた。ためらいがちにあの煌月が教室に入ってくる。数名の女子がキャアッ、と声を上げた。

「紹介しますね。転校生の矢吹煌月君よ」
「矢吹煌月です。宜しくお願いします」
 女子の反応が男子は気に食わないらしい。いつも自分達のことなど目にもくれない女子が転校生を見た途端声を上げるのだから。
 だが透はそれをなんとも思っていなかった。透も煌月同様、所謂もてる人なのだ。しつこく付きまとう女子が別の人に移ってくれたほうが有り難い。そのため透は煌月を見ながらにこにこと笑っていた。
 結架は戸惑い気味の煌月と上機嫌の透を交互に見てまた苦笑いをした。

「じゃあ煌月君は林原さんと朔月さんの後ろに座ってくれるかしら」

 結架と透は同時に顔を見合わせる。二人は列の一番後ろに座っている。転校生がその後ろに来たって別に不思議なことではないのだ。透は愛想よく「仲間が増えて嬉しいや。仲良くしようぜ」と言い、笑ってみせた。煌月もそれに笑い返し、小さく頷いた。
 これで結架は二人の人気少年に囲まれていることになる。一部の女子が「結架羨ましいぃ」と呟く声が聞こえたとか聞こえなかったとか。
「じゃあ朝の伝達事項を伝えますね」
 先生の明るい声が再び教室を支配した。
   *
「煌月。煌月ってば!」
「えっ」
 あっという間に時間が過ぎ、今は給食の時間。給食は班になって食べるので、結架、透、煌月、千沙子、透の友達の祐樹が机を合わせ食べていた。透がパンを頬張りながら煌月に問い掛ける。
「なぁ、煌月は兄弟とかいるのか?」
 突然の質問。全員の視線が煌月へと注がれる。煌月は食べかけのパンをポイと口に放り入れた後、牛乳を飲みながら答えた。
「いるよ」
「いるんだ。何年生?」
「……中三だ」
 透と祐樹が目を見開いた。二人とも口に食べ物が入っているらしく声が出ないので、千沙子が話を続けた。
「そのぅ、双子ってこと?」
「ああ」
 やっと食べ物を飲み込むことができた祐樹が尋ねる。彼のかけている眼鏡が蛍光灯の光を反射してきらりと光った。
「え、でも転校生は君だけだよね。その双子の人って別の学校なの?」
「いや、違うんだ」
 煌月の顔から生気が消えていく。結架は嫌な予感がし、「無理に答えなくていいよ」と言ったが、彼は首を横に振った。持っていたスプーンを置き、近くにいる人しか聞こえないくらいの小さな声でこう答える。

「死んだんだ。数ヶ月前に」

 小さな沈黙が訪れる。皆何か言おうとするのだが、その場に合った言葉がなかなか思いつかない。煌月はぼそりぼそりと話を続けた。
「父さんに口止めされてるから、それ以上は言えないけど。まあ兄弟の死で俺はこっちに引っ越してきたんだ」
「……ごめんね。そんなこと」
 結架が頭を下げる。それを見た煌月以外の三人も頭を下げた。煌月は「別にいいんだ」と笑ってみせる。

「現実は全て受け止めなくちゃいけないことだからさ」

 辛い過去を持つ少年。自分とは違う生活を送る彼の笑顔が、結架の目にしっかりと焼きついた。