死刑廃止

THW ban death penalty.


Reseached by Jodoi

【Gov.】
  • 冤罪(false charge)である場合に取り返しがつかない。

 本人が,自分が犯人で死刑を望んでいると言っている場合においても,それが検察官(prosecutor)の誘導尋問(leading question)によるものである可能性も否定できない。いずれにしろ,冤罪の可能性をゼロにすることができない以上,死刑制度は非常に危険なものである。(DNA鑑定などの科学技術が進歩した今日ではその可能性は極めて低いという反論)

  • 人を殺したから殺すべき,という理論は成り立たない。

 もしその理論が成り立つのならば,例えばイラク戦争で相手兵士を殺した兵士を連れてきて,全員を死刑にしなければならない。そういう事態になれば,それは平和から遠ざかることになり,死刑を執行したものはイラク戦争の第3の当事者になってしまう。また,日本の裁判では1人殺したから死刑ということはほとんどないことを考えてもこの理論は成り立たない。

  • 遺族が人を殺してしまったという後悔の念を抱く。

 遺族は事件が起きた直後は感情的な気持ちから犯人に極刑を望んだとしてもそれは一時的な感情である可能性がある。仮に犯人に死刑が言い渡されて執行されたとしてもそれは解決したかのような「幻想」に過ぎずそれは錯覚(illusion)に過ぎない。それに後に気付いても後の祭りなので死刑制度は廃止されるべきである。

  • 基準が非常に曖昧。

 死刑を望む人は「犯人は人を殺したから自分も死を持って償う(atone)べきだ」という理論をよく使うが,「死」に直面しない限り死刑が執行されないのであれば,例えば両目を失明させて,両手を切り落とすなどの凶行に及んだものは死刑に当たらないのだろうか。そこには死と同等程度の問題があるはずである。

  • 裁判官に人を殺す権利はなし。刑を執行すると裁判官が殺人者になる。

 法律が「人の生きる権利を侵害(invade)してはならない」と規定している以上,裁判官といえども被告人に死刑を命じ,死刑執行命令を出すことは殺人者になることと同じではないだろうか。更に,法律で認めている「人の生きる権利」を法律が侵害すると法律に自己矛盾(self-contradiction)を生む可能性がある。

  • 死刑執行までには時間がかかり,それまでには更正している可能性が高い。

 犯人が犯罪を犯すのは大部分が一時的な衝動によるものである。それによって犯人は被告人となり,一般的には3審を経た後に死刑が言い渡される。それには長い時間がかかり,その長い時間の中で犯人は自分に向き合い更正する可能性がある。死刑はその可能性を否定するものであり認められない。

【Opp.】
  • 受刑者は更正する可能性が低い。

 受刑者は犯罪を犯した後,刑務所で一定の期間を過ごすが,無期懲役(life[unlimited] imprisonment)であっても永遠に社会復帰できないという場合は少ない。つまり,何年か経てば死刑にならない限り社会復帰できる可能性が高いということである。更に,刑務所にいるのは犯罪を犯した人ばかりなのでそのような人々の中にいても更正する可能性は極めて低い(環境の重要性)。新潮新書『死刑絶対肯定論』によれば,刑務所にいる人々はほとんどが「罪を犯した事」は認めているが「自分が間違ったことをした」という認識はないという。つまり,彼らの心理としては「自分にも事情があった(金欠など)」という理由により自分が犯罪を犯したことは全く悪いと思っていないそうである。郷に入りては郷に従えという諺もあるように,そのような環境にいれば自分もどうしてもそういう考えになり,犯罪を悔い改め,社会に貢献しようという意識が芽生える可能性はほとんどない。よって,本当に犯罪者を裁くためには極刑は必要である。

  • 更に犯罪が増える可能性がある。(少年法(the Juvenile Act)との関係性)

 現在,少年法により未成年の場合は死刑は科せられず,死刑相当の刑は無期懲役にすることが法律で定められている。つまり,死刑を廃止するということはある種,少年法をすべての人々に適応することに似ている。しかし,犯罪を犯した少年の中には「僕は未成年だから死刑にはならない」と述べている者もいる(1審で異例の死刑判決,後に2審で無期懲役となり刑確定)。そのように考える者も少なからずいる事を考えれば,死刑を廃止した場合に犯罪が増える可能性を否定することはできず死刑廃止は健全な社会を維持するためにも認められない。

  • 宗教観の違い(このargumentは世論調査の日本と欧米の違いの背景の説明について使える

 今日のグローバル化した世界の中で,多くの国(EU,韓国,オーストラリアなど)が死刑を廃止している為,日本も廃止すべきだ,という理論は全く成り立たない。根拠として,1つには現在も多くの国(中国,インド,アメリカの一部など)が死刑を存続させていることがあり,もう一つには宗教観の違いがある。死刑を廃止した国々の多くはキリスト教信者が多い国である(韓国もプロテスタント系の住民が多い)。キリスト教の世界観は「罪を憎んで人を憎まず」つまり「赦し」であり,人を裁くことができるのは唯一神(キリスト)のみであり,現世の悪行については神が必ず審判を下し,死後地獄に落ちて永遠に苦しむ,という考え方であるということを忘れてはならない。日本にはキリスト教がEU圏の国々のように浸透していないことを考えると,日本とそのようなキリスト教国家を同じような前提で考えることには無理がある。(臓器移植法の問題についても同じことが言える。キリスト教では死ねば魂は神に召され,肉体は無意味なものになるという世界観があるが,仏教的な考え方は輪廻転生であるから肉体は健全なままに残すべきという世界観であるのでこれらを同等な前提のもとで扱うのは難しい。)

  • 世論は死刑廃止に反対している

 内閣府が4年に一度行っている死刑制度についての世論調査は最初の1956年から一貫して死刑廃止反対が賛成を上回っており,最新の調査(2009年)では賛成5.7%に対して反対85.6%(わからない8.6%)と反対が大きく賛成を上回っており,国民は死刑制度存続を望んでいることが伺える。





_

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2010年08月31日 12:30
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。