安楽死の合法化

THW legalize euthanasia(安楽死を合法化する)

<安楽死について>

[1]安楽死とは
安死術またはオイタナジーEuthanasie(ドイツ語)ともいう。この語源はギリシア語のエウタナーシャeuthanasia
(「良き死」または「楽な死」の意)にある。安楽死とは、死期の切迫した不治の傷病者を死苦から解放するために死
なせることをいう。安楽死には、傷病者の自然の死期を早める場合(積極的安楽死)と、これを早めない場合(消極的
安楽死)とがあり、このうち人の生命の短縮を伴う積極的安楽死については、宗教、哲学、文学、医学、法学などさま
ざまな分野でしばしば論じられてきた。たとえば文学作品では、トマス・モアの『ユートピア』、R・マルタン・デュ
・ガールの『チボー家の人々』、D・H・ローレンスの『息子と恋人』をはじめ、日本でも森鴎外(おうがい)の『高
瀬舟』が安楽死のテーマを扱っている。

[2] 安楽死是非論の変遷
歴史的にみると、ヨーロッパでは、安楽死の是非は自殺の問題と同様に、キリスト教との密接なかかわりをもっている。
中世キリスト教社会では、生命は神のたまものであり、自殺であれ、安楽死であれ、人間が人の生命を奪うことは神の意
思に反するという考え方(これは聖アウグスティヌスに始まり、トマス・アクィナスにより集大成された)を前提として
、安楽死も殺人の一種として処罰の対象とされた。ルネサンス時代になると、個人の自由を尊重する思想がおこり、前記
トマス・モアはカトリック教徒ではあるが、1516年の『ユートピア』において、ユートピア、すなわち非キリスト教社会
では、本人の意思による安楽死(任意的安楽死)も是認されうることをアイロニックに述べている。フランシス・ベーコ
ンは『ノウム・オルガヌム』(1620)において、ユーサナジアeuthanasiaということばを用いて安楽死肯定論を展開し
ている。このような一連の安楽死肯定論にもかかわらず、やはり自殺や安楽死を罪悪視する考え方が支配しており、とく
にキリスト教的倫理観の根強い国々では、安楽死を殺人の一種とするとともに、自殺をも厳しく処罰する立法が広くみら
れた。
これに対して、近代になると、法と宗教の分離が強く叫ばれ、たとえば近代啓蒙(けいもう)思想の流れをくみ、「近代
刑法学の始祖」とも称されているC・B・ベッカリーアは『犯罪と刑罰』(1764)のなかで、自殺は神のみが裁きうると
して、自殺を処罰することに強く反対した。ここにみられるような近代的合理主義と人道主義の台頭のもとに、また近代
医学の発達が契機となって、18世紀末には死苦から解放するための積極的安楽死を是認しようとする考え方がおこってき
た。20世紀に入ると、安楽死合法化を求める動きが広がり、1930年代には、イギリスやアメリカで「安楽死協会」が相次
いで発足し、安楽死合法化法の制定を要求する運動が活発に展開されるに至った。ところが、ナチス・ドイツにおいて、
「国民の敵」「劣等者」とされた数百万にのぼる人々(ユダヤ人、同性愛者、精神障害者など)が「安楽死」の名のもと
に虐殺されるという不幸な事態が発生した。このような苦い経験を経て、第二次世界大戦後は、安楽死を安易に肯定しよ
うとする考え方は深刻な反省を迫られ、安楽死肯定論者も、ナチスによる大量虐殺に道を開いた「強制的安楽死」を否認
し、安楽死も本人の意思に合致する場合(任意的安楽死)だけに限定すべきことを主張することとなった。現在オランダ
とベルギーが国家の法律で安楽死を認めている(オランダは2001年、ベルギーは02年に制定)が、いずれも本人の自発的
な意思が容認条件にあげられている。

[3] 安楽死と刑事責任
1907年(明治40)に制定された現行刑法は、殺人の罪について、被害者の意思に反するか否かを区別して、殺人罪(199条
)のほか自殺関与及び同意殺人罪(202条)を規定している(なお、自殺は不可罰)。したがって、強制的安楽死は被害者
の意思に反する場合であるから、殺人罪に該当しうることは疑問の余地がない。これに対して、任意的安楽死は被害者の意
思に反しない場合であるから、202条の罪が成立するか否かが問題となる。かつては任意的安楽死であっても人命を短縮す
る以上202条として処罰すべきであるとする見解があったが、今日では、202条には該当するが一定の要件をみたせば違法
または責任が阻却され、犯罪とはならないと解されている。
ところで、安楽死として違法阻却となるための一般的要件を示したリーディング・ケースとして、1962年(昭和37)の名古
屋高裁判決がある。これによれば、安楽死として違法阻却となるためには、(1)不治の病であり、死が目前に迫っていること
、(2)苦痛が甚だしく、何人(なんぴと)も見るに忍びないこと、(3)死苦緩和の目的があること、(4)意思表明ができる場
合には、患者からの真摯(しんし)な嘱託または承諾があること、(5)医師の手によるか、医師によりえない特別の事情があ
ること、(6)方法が倫理的に容認しうることの6要件をみたす必要がある(なお、本件には違法阻却が認められなかった)。
これ以降の安楽死に関する判決は、行為者と被害者が近親関係にある場合がほとんどであるが、医師の行為が裁かれたケー
スとしていわゆる東海大学安楽死事件に関する1995年(平成7)3月の横浜地裁判決がある。この判決では、医師による安楽
死の要件として「苦痛の除去・緩和のためほかに医療上の代替手段がない」ことを要求するが、本件については肉体的苦痛
および患者の意思表示がいずれも認められないとして有罪とした。このように日本の判例には、安楽死として無罪としたケ
ースは存在しない。

[4]安楽死と医療
リーディング・ケースである1962年の名古屋高裁判決に関連して、安楽死について医療現場では次のような点がとくに問題
となる。(1)生命の短縮を伴わなければ、医療行為として適法である。(2)死期に影響するとしても、患者の死苦を長引かせ
ないため延命措置をとらない場合(消極的安楽死)や鎮痛剤などの使用による副作用として結果的に生命が短縮される場合
(間接的安楽死)でも、患者の承諾があれば適法となろう。(3)「安楽死から尊厳死へ」といわれるように、今日におけるペ
イン・クリニックの発達によって、モルヒネなどの鎮痛剤を使用すればほとんどの死苦が解消されうるし、植物状態の患者は
肉体的苦痛は存在しないから、医療現場では安楽死より尊厳死がより重要である。(4)患者自身の明示的な意思に基づくこと
を要するから、患者の推定的承諾で足りるとする見解もあるが妥当ではない。(5)安楽死は濫用の危険が大きいから、特別の
事情がないかぎり医師の手によるべきである。したがって、医師以外の者は医師に依頼して安楽死をしてもらうことが要求さ
れるが、再三の懇願にもかかわらず医師が安楽死を拒否したため、看護をしていた夫が末期癌(がん)の妻を包丁で刺殺した
という事案について、1977年の大阪地裁判決は、医師によりえない特別の事情には当たらないとした。(6)末期患者には、死
苦とはいえないとしても、さまざまな肉体的苦痛や精神的苦悩を伴うのが一般的であるから、このような末期患者の希望によ
って、温かく看護し、安らかな臨終に導くためのホスピスや緩和ケア病棟を普及するとともに、これを保障するための医療制
度を確立することが急務であろう。


<EXAMPLE>
[1]過去に日本で起こった「安楽死事件」についていくつかの例

1.昭和37年名古屋高裁判決
脳溢血で倒れて全身不随になり激痛を訴える父親を、息子が牛乳に農薬を混入するという方法で殺害した事件。判決では、
違法性阻却事由としての安楽死の要件、不治の病で死期が迫っていること(2)苦痛が激しく見るに忍びないこと(3)苦痛の緩和
を目的とすること(4)意識がある場合、本人の真摯な嘱託があること(5)特別な事情がない限り医師の手によること(6)方法が
倫理的に妥当であること[6要件・趣意] を示しました。
そして、本件はその(5)(6)が満たされていないとして違法性を阻却することはできないとの判決を下しました。

2.昭和50年鹿児島地裁判決
肺結核などを患って不眠や全身の疼痛に苦悶する妻から哀願され、これ以上苦しませるのは見るに忍びないと絞殺した事件。
鹿児島地裁は被告人の心情は十分に察し得るところではあるが、妻の病は現代の医学上かならずしも不治というわけでもなく
、死期が目前という状況でもなかったとして有罪の判決を下しました。

3.昭和52年大阪地裁判決
 胃がんの激痛に苦しみ自殺未遂まで起こすようになった妻の哀願を受け入れて、夫が刺身包丁で刺殺した事件。弁護人はこ
れを正当な安楽死であるとして無罪を主張しましたが、大阪地裁は前掲の名古屋高裁の判断と同じように、医者の手によらな
い安楽死は濫用の危険が大きい、刺殺という方法は倫理的に問題があるなどとして有罪の判決を下しました。

4.東海大安楽死事件判決(横浜地裁H7.3.28判決)  
本件は、東海大学医学部の助手で、医師であった被告人が、同大学医学部付属病院に多発性骨髄腫で入院していた男性患者の
長男等から、「苦しむ姿を見ていられない。」などとして治療行為の中止を求められ、迷った末、点滴やフォ-リ-カテ-テ
ル等を外して治療行為を中止したが、その後も、荒い苦しそうな呼吸をしている患者を診ていた長男から「楽にしてやってほ
しい。早く家につれて帰りたい。」などと再三言われたことから、末期状態にあり死が迫っていたこの男性患者に息を引き取
らせることを決意し、殺意をもって、塩化カリウム製剤等の薬物を同人に注射して死亡させたという事案において、安楽死の
成否が争われたものである。 
本件で起訴された訴因は、被告人が患者に薬物を注射したと言う点であり、いわゆる積極的安楽死の成否が問題となっている
。この事例で注目すべきは以下の点である。
1、医師による積極的安楽死の要件
①耐え難い肉体的苦痛があること
②死が避けられずその死期が迫っていること
③肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと 
④生命の短縮を承諾する明示の意思表示があること
2、治療行為の中止が許されるためには、患者の医師が推定できる家族の意思表示でも足りるとした点
3、被告人の行為は、許容される「治療行為の中止」および「積極的安楽死」にはあたらないとした点

[2]海外における積極的安楽死について

1.オランダ
 オランダでは93年には埋葬法が改正され実質的に安楽死が容認されていました。その後2000年11月28日に安楽死法が制定さ
れ、国家として世界で初めて安楽死が正式に合法化されました。可決された刑法改正案は(1)患者の苦痛が耐えがたく、改善の
見込みがない(2)患者本人の意思による自発的な要求がある(3)1人の医師の判断ではなく、他の医師と相談されたなどの要件を
満たしてしていれば、医師は刑法違反とならないとされています。

2.ベルギー
 オランダの隣国であるベルギーはオランダの安楽死合法化の影響を受け、2002年5月16日に安楽死を合法化する法案を可決し
ました。安楽死認定の要件はオランダとほぼおなじですが、対象者は18歳以上に限定するなど、オランダより厳しい基準を設けています。

3.オーストラリア
 95年5月25日、オーストラリア北部準州で、「末期患者の権利法」が可決、患者が18歳以上であること、患者に肉体的苦痛ま
たは精神的苦痛があること、患者が末期状態であること、二人の医師が末期状態の診断をしていること、患者の要請から7日間
の考え直す期間と実施前の2日間の冷却期間があること、患者の要請と医師の宣告は文書によってなされることなどの要件のも
とで医師がそれを実施することが法的に認められました。しかし、96年8月、意図的に他者を殺す行為を医師に許すような法律
を議会が作る権限などないとし「終末期患者の権利法を無効とする法案」が議会に提出され、97年3月24日、同法案は可決され
ました。オーストラリアの安楽死法はわずか2年足らずで消滅したのです。
<DIFINITION>
・日本において
・ベルギーと同様な法案により安楽死を合法化する
         
<ARGUMENT>
[GOV.]
・患者の「自己決定権」(治療行為について患者の同意を求める前提として医師の説明義務を重視する)   
・社会的相当性(自己決定の尊重は人道主義にそうもので、厳格な要件の下に社会的相当性を有する)
[OPP.]
・現在の医療倫理との根本的な矛盾(医療は、患者の生命の回復ないし伸長にあり、医療倫理の中心は患者の生命の存続を前提
 とするため、一見無益と思われる懸命な治療行為が医療技術の進展をもたらすことも否定できない)
・宗教的理由(人の死は神の手のみに委ねられていて、生命を創造することができないのと同様に死期を支配することはできな
 い)

参考   http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%AE%89%E6%A5%BD%E6%AD%BB/
     http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/8692/anrakushi.html
     http://mm.nade.jp/back/1/2003high.html

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最終更新:2010年02月12日 13:49
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