ゆれたい・一

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   ゆれたい・一

 ある日のカラオケボックスのことだった。私はうっかりして、歌詞が英語の曲を選んでしまった。当然歌えない。
さっさと切ってしまおうとしたが、かがみは、それまで調子に乗って好き勝手歌いまくっていた私に対して
「リモコンを取り上げることで歌えるはずのない曲を最後まで歌わせる」という懲罰的な措置をとった。
晒し者になった羞恥で頭の中はパニックになり、何だか支離滅裂なことを言いながら歌っていた。
演奏が終わった。えらく息が上がったが、嫌な気分にはならなかった。
私達のやりとりを見て、奥に座っていたみゆきさんは静かに微笑んでいた。いつも通りであると考えて差支えないだろう。
つかさは、みゆきさんに対してテーブルを挟んで反対側に座っていた。
姉の行動に最初は戸惑っていたが、私の慌てふためく様子を見てだんだん愉快になってきたらしく、曲が終わる頃にはすっかり笑顔になっていた。
かがみは勿論私の様子を観察し、曲が終わりに近づいた時私がかがみにリモコンを返してくれるよう懇願する間も、ずっとニヤニヤしていた。
 私は徐々に落ち着きを取り戻した。晒し者になることで、吹っ切れた気がした。

 本当に歌ってみたい曲があった。かがみに聴かせてみたい曲があった。伝えたい言葉がその曲の中にあった。しかし、私はそれ以上に恐れていた。
歌ってしまっていいのか。かがみが私の心情を察してしまっていいのか。
その曲を歌う、ただそれだけのことが、私にとっては清水の舞台から飛び下りるくらいの覚悟を必要とするものであった。
みんなをカラオケに誘うこと位はなんてことはなかったが、それ以上は出来ずにいた。
想いに気付いてほしい欲求と、想いに気付かれてしまう恐れが拮抗していた。
だから私は適当にアニソンばかり歌い、本当に歌いたい曲を歌ってしまいたくなる気分を、必死に紛らわした。
でも、心の中で燻っていた思いはいつまでも発散していかなかった。
それでも私はあくまで封じ込めてしまいたかった。
ああ、もうこのまま終わってしまえばいい、どうせ二時間しかないのだ、もう時間はあまり残ってないのだから好きなアニソンばかり歌っていればすぐ終わってしまうじゃないか。
そう考えて心に仮面を被せ続けていた。
でも、ドタバダで仮面が剥がれてしまった。二の足が、ようやく動き出した。
こうしてみんなの気分が高揚している時でなければ、もう歌えない気がした。
逡巡している余裕はない、乾坤一擲、私は勝負に出た。

 私は、今度こそちゃんと歌うよとおどけてみせ、リモコンを手にとってその曲を入れた。
リモコンのボタンを押す手が震えていた気がした。すぐにイントロが流れ始めた。
かがみには、聞き覚えがある程度の曲だったらしい。
私が歌手名を言うと、かがみに、アニソンの次は懐メロかと突っ込まれた。懐メロなんて失礼な、と返したが最早そんなことはどうでもよかった。
脈がみるみる速くなっていくのを感じた。息は喉の奥で詰まり、額や背中から汗が一斉に噴き出てきた。
妙な選曲をした私を見て呆れた様子のかがみは、テーブルの上にあるカタログを手にとってつかさの隣に座っていたが、私とかがみの見えない戦闘は既に始まっていた。



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