原因なんてよく覚えてない。
私の記憶にはっきり残っているのは、教室に響いた乾いた音とこなたの唖然とした顔と、左手の痺れた感触だけだった。
それだけしかないのに、その記憶は私の心に楔となって打ち込まれたまま今も抜けずにいる。
そして、毎夜の如く思い出してはIFに考えをめぐらせるのだ。
もし、あの時・・・
『楔』
何時もの時間、何時ものように何時ものメンバーで何時ものように会話していたはずだった。
つかさが天然なボケを出し、こなたがマニアックな例えで場を凍らせ、そんな二人に私が突っ込みを入れ、みゆきがフォローをいれる。
それが私たち4人の立ち位置。
この絶妙なバランスは私たちの会話を盛り上げ、底のない話題を提供してくれる。
日常でありつつも決して怠惰にならない時。
まるで砂糖菓子のように甘い、甘美な一時。
私たち4人の誰もがその事実に確信を持ち、大切にしていた。
たまたまだったのかもしれない。
前日は勉強に行き詰ってかなり就寝時間がずれた。
寝坊したために朝食も取らずに家を出た。
月のものも重なっていた。
私の機嫌を悪化させる条件は、そろっていたのだ。
その日の会話、何故かこなたの冗談が耳に付いた。
何時もならもっと軽く流せる事さえ、頭に響いていた。
そのせいか、何度かきつめの言葉をこなたに投げつけていた。
私の様子に気づいたみゆきが色々フォローを入れてくれていたようだけど、私の中の天秤は傾いたまま錆付いたように動かなかった。
そして、こなたの言葉に、私は一瞬だけ爆発した。
ほんの一瞬、一秒にも満たない時間。
『パン』と乾いた音が教室に響き、私の左手に嫌な痺れが疼いて。
右頬を赤く腫らせたこなたが、唖然と虚空を見ていた。
「・・・ごめんね、こなた」
枕を抱きしめながら、呟く。
私は何をしているのか。
ベットの中で一人で呟いたって、彼女に届くわけがないのに。
あの時、私は自分が何をしたのか分からなかった。
自分の左手に残る痺れとこなたの腫れた右頬が雄弁に物語っている事実を、私は理解できなかった。
怒る事も、謝る事も、逃げることもできない私に、こなたはゆっくりと謝ってきた。
言い過ぎてごめん、気遣えなくてごめん、調子に乗ってごめん。
そんなこなたに、私は生返事しか返せなかった。
まともな返事をする余裕がなかった。
ゆっくりと、確実に、自分の起した事態を認識し始めて軽いパニックになっていた。
その時のこなたの表情は覚えていないが、後でつかさが教えてくれた。
泣くのを必死で堪えていたそうだ。
次の日、私はこなたに精一杯謝った。
昨日はごめん。悪いのは私。調子は悪かったけど、私がやり過ぎた。
そんな私の謝罪をこなたは優しく受け入れてくれた。
お互い悪かったんだよね。だから、これでこの話は終わろう?
そう言ってくれたこなたに、私は感謝して何時もの私たちに戻った。
つもりだった。
「こなたぁ・・・ごめんね、ごめんね、ごめんねぇ」
何を泣いているんだ。
何で涙なんか流す。
ここで一人でいじけるくらいなら、さっさとこなたの所にいってこい。
自分で自分に叱咤して挫けた心を立たせようとしても、流れる涙が止まらない。
役割が変わった。
私たちのなかで永久不変だと思っていたお互いの立ち位置が、少しずれたのだ。
つかさが天然な言葉を出し、私が突っ込んで、みゆきがフォローをいれて。
ただ、こなたが合わせるようになった。
以前の妙にマニアックな言葉は変わらない。
振り出すネタは変わらずオタクっぽいものばかり。
ただ、人を弄ることがなくなった。
つかさに天然と言わなくなった。
みゆきにドジっ娘だとかスタイルにどうこう言わなくなった。
私にツンデレと言わなくなった。
そのことに私たちが気づかないわけがない。
そして、理由さえ、直ぐ思い当たる。
私のせいだ。
こなたは凄く気遣いのできる女の子だ。
ちゃんと相手の心情を汲み取りながら会話をしていける。
でも、それは相手に心を開くのが怖いからだと、こなたは言っていた。
自分がここまで自由に話せるのは家族以外では私たちだけなのだと、こなたは自慢げに私たちに話していた。
私はそれがとても誇らしかった。
こんなに相手を気遣える女の子が、気遣いをしなくなるほど親しく話してくれる相手に選んでくれているということ。
それだけ私たちを信頼してくれているのだと、私はそれが特別な勲章に思えてしかたなかった。
そんなこなたが、私たちに気遣いをしている。
私の誇り、特別な勲章。
とても大切なそれを、私は割ってしまった。
つかさもみゆきも、私のせいじゃないと言ってくれたが納得できない。
できるわけがない。
こなたに、元に戻ってと説得した。
また、以前のように皆で話そうと懇願した。
でも、そう話した時のこなたの顔に浮かぶ表情が、私たちにそれ以上の説得を断念させる。
ほんの少しの恐怖が浮かぶ、こなたの顔が。
あれから、もう、一月。
こなたは優しく私たちに触れてくる。
以前のように、体当たりで抱きついてきてはこない。
そんなこなたに何も言えないまま、私たちは、苦いカカオのような会話を交わしていく。
もしあの時、私が堪えきれていれば。
そんな意味のないIFがずっと頭から離れない。
「もう、朝・・・」
黒から薄紫へと衣替えを始めた空を見て、今日もちゃんと寝れなかったとため息をつく。
顔を洗おうと洗面所に立つ私の顔。
目が真っ赤だった。
まるでウサギのようだと。
いつか聞いたこなたの言葉が頭を過ぎり、私はまた涙が流れるのだった。