好きの形はいろいろだけど

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 気の置けない友人たちに対する、好き。
 尊敬する人たちに対する、好き。
 姉さんたちに対する、好き。
 両親たちに対する、好き。
 親友に対する、好き。
 妹に対する、好き。

 私の心の中につまっている、いろいろな、好き。

 それらの好きは、形も色も香りも大きさも、少しずつ違っている。

 けど、いちばん違うのは。
 いちばん大切なのは。
 いちばん怖いのは。

 おそらくは、
 この世界にふたりといない、
 ありったけの想いをよせる人に対する、

 好き。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

『好きの形はいろいろだけど』

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 今日も朝から快晴。車の中に閉じこもっているのがもったいないくらい。ただ願わくば真夏の太陽には情けとか容赦とかいう言葉も学んでほしいものだ。下手に窓を開けたりしたら最後。たちまち渋滞した車達の排気ガスで汚染された薄汚い空気をたっぷりと吸い込んでしまうだろう。ひょっとしたら環八あたりでは今日も光化学スモッグ注意報くらい出ているかもしれない。

 ハプニングの連続だった二泊三日の海水浴。幸い今は無事埼玉への帰路についている。ゆいさんの運転するこの車にはこなたと私、黒井先生の運転する車にはつかさとみゆきで分乗した。そういう事情で、先ほどから私はもっぱらゆいさんと親睦を深めるために、あれこれと会話を重ねている。

「……というわけで、警察はおいそれと喧嘩とかの仲裁はできないわけ」
「ええと、確か『民事不介入』っていうんですよね、それ」
「わあっ、かがみちゃんってずいぶんと難しい言葉知ってるんだねぇ。あたし、未だに覚えられなくってさ~」
 へらへらとゆいさんが笑う。いやあんた警察官だろう、と主に心の中でツッコんでおく。さすがに口には出さない。今回の旅行でずいぶん親しくなったとはいえ、仮にも目上の人だし。

 特に理由もなく会話が途切れる。今までずっと響いていたはずの車のかすかなエンジン音が改めて気になる。

 やがて柔らかなブレーキの感覚。絶妙なまでのコントロール。タイヤが小さな悲鳴を上げる。信号待ちか、あるいは渋滞か。

 ふと横を見ると、となりのシートで風景を眺めていたはずのこなたが、いつの間にかすやすやと寝息を立てていた。どうりで静かだと思った。散々に人の心をかき乱しておいて自分だけ別次元に逃亡とは。まったくいい度胸じゃないか。

 行きはつかさと乗ったゆいさんの車だが、今、こうして横にいるのはこなただ。いや、いちおう帰りも同じ組み合わせになるはずだった。だけど、つかさがニコニコと笑顔で『えー、愛し合うふたりを無理やり引き裂くみたいな、そんな残酷なことできないよ~』などと言って、半ば無理やりにこなたを押し込んでしまったのだ。

 それにしてもあれから一時間と経っていないのに、こともあろうに当の相手を目の前にして眠り込んでしまうとは。

 そうなのだ。

 先ほどのこなたの言葉が、まざまざと脳裏によみがえる。

 ──『やっぱ私って、かがみのこと、どうしようもなく好きみたい』

 それは、まさかの告白。

 決してかなわぬ想いと諦めていた。
 墓まで持って行こう、そう決めていた。
 だから自分の心に、しっかりと鍵をかけていた
 二度と溢れ出さないように、幾重にも封じ込めていた。

 そのはずだった。

 だけど、こなたは言ってくれた。それもみんなの前で。

 ようやく頭が追いついても、なんと返せばいいかまるで思いつかなかった。そして追い討ちをかけるように発せられた次の言葉が決定的だった。

 ──『今まで待たせてごめん。でもこれからは同じ道を歩かせて。ううん、たとえ嫌だといってもついて行くから』

 人を食ったようなニヨニヨ顔はどこかに消え去っていた。
 ぎゅうっと両手を握りしめて、肩をブルブルと震わせていた。
 頬を朱に染めながら、それでも凛とした視線を私に向け続けてくれた。

 少し前にあの三人に泣かされ、すっかり弱りきっていた私の心は、だからひとたまりもなく崩れてしまったのだ。

「あれ、こなた寝ちゃった?」
「はい、それはもう、うらやましいくらいにぐっすりと」
「いいぞ、これはチャンスだよ、かがみちゃん」
「……は?」
「だから今なら、こなたの無防備なクチビル奪ったり、オッ○イ揉んだりし放題じゃ~ん」
 いったいなんなんだ。ひょっとしてこの人の正体はセクハラ大魔王か。
「しませんよ、そんな犯罪行為」
「心配しなくたって大丈夫だって。あたしはこうやってバックミラーで生暖かく見守ってあげるし」
「よけいにイヤです──っていうか、警察官ならここは止めるところじゃないんですか?」
「いやいや、あたしは公僕である前に一人の市民として、若い二人の行く末を祝福しようと申し出ているわけよ」
 マジか、マジなのか、この人は。
 一瞬だけ、ほんの一瞬だけだが、眠っているこなたに顔を寄せてキスをする構図を思い浮かべてしまう。あわてて頭を振り、妙な妄想を追い出す。いけない、ゆいさんのペースに乗せられてるぞ。
「と、とにかく、私はそんなことしませんから。絶対」
「んもう、かがみちゃんはお固いなぁ」
 くくっとゆいさんが笑う。それで私は、どうやら今までからかわれていたらしいと気づく。さすがは警官にして人妻。ただノリがいいだけでは勤まらない、ということらしい。なんとなく女として、いや、人としての絶対的な経験の差を見せ付けられたような気がした。
「ま、そういう娘だからこそ、安心してこなたのこと、まかせられるというものだよ」
 バックミラー越しに私のことを見つめるゆいさんの目は、どこまでも優しげで。

 いったい、どれほどの努力を積み重ねればこの人に追いつけるのか、そう思った。

 ──これがきっと、この人の好きの形。

「でも惜しい、惜しいよ。こんなチャンスはそうそうないと思うけどなぁ。だから、とりあえずキスくらいは──」
「し ま せ ん か ら」

 ……前言撤回。さっきのは気の迷いだ、多分。

 だけど。

 ちらりとこなたの方を盗み見る。

 だらりと座席に投げ出された、こなたの手のひらが眼に入った。

 その、ちょっとくらい、ちょっと触れてみるくらいなら、いいわよね。

 だってほら、お互い好きだって気持ち、確かめたんだし。

 とくん。
 とくん。
 とくん。

 慎重に。
 起こさないように。
 気づかれないように。

 私はゆっくりと手を伸ばす。

 と、その時だった。エンジン音がぐわっと高鳴り、車ががくんと揺れた。

 慌てて伸ばしかけた手を引っ込めるのと、弛緩し切ったこなたの首が不自然なくらいぐにゃりと曲がるのが、ほとんど同時だった。
「うにゅあっ……!」
 この世のものとは思えない奇妙な声を上げながら、こなたが涙目の顔をこちらに向けてくる。
「ちょ、大丈夫?」
「え、あ、うん。ちょっと首の調子が……」
 のろのろと腕を動かし、自分の首の調子を確かめはじめる。ああ、よかった。どうやら気づかれてはいないみたい。

 だがそれで、事が収まったわけではなかった。

「あれ、どったの、かがみん」
「えっ……。な、なんのこと」
 不意に、こなたが私の顔をのぞき込んで来た。口から飛び出しそうになる心臓を、総動員した理性の力でねじ伏せて、私はなるべく平静をよそおう。大丈夫だ。気づかれているはずなどないのだから。
「なんか、汗びっしょり掻いてるよ。ひょっとして具合でも悪い?」
 しまった。
「いや、別に、なんでもないわよ」
 ……気づかれ、た?

 むうっ、と、こなたが唸る。

「そっか、わかった。アレだね。オンナノコのアレ」
「……は。な、なんだそりゃ」
「だから昨日、つかさと大浴場で話してたじゃん。『今日は結構危なかった』って」
 ……ああ、そう言えば、そんな会話も交わしたような。

 ──『実は今日、結構危険だったんだよね~』
 ──『ふぇ、何が?』
 ──『いや、だから……アレが……ちょうど来そうで』
 ──『……ああ、うんうん。アレね。そっか、よかったね』

「よし、事情はわかった」
 それまで黙って車を運転していたゆいさんが、私たちの会話に参加してきた。
「もうすぐ休憩ポイントだから、我慢して。なるべく早く到着するように努力するから」
 ちょっと待て。このパターンはやばい、やばすぎる。
「いえ、大丈夫ですから、どうか……」
「いやいや。何にも心配要らないから。このゆい姉さんに任せなさい」
 耳をつんざくエンジン音。私の身体は、ものすごい勢いでシートに押し付けられる。腕を上げることもままならない。
「ちょ、ちょっとゆいさん……」
「黙ってて。舌、咬むから」
 あ、なんかスイッチはいってるっぽい。
「ちょ、姉さん。せ、せめて車道を走ってよ。車道を!」
 私たちを乗せた車は、そのまま想像を絶する速度で爆走を開始した。主に路肩や歩道を──。

  ◇

「かがみ、生きてる?」
「……うん。とりあえず息はしてると思う」
 あれは十九世紀のことだったか。『神は死んだ』と、どこかの偉い人は宣言したそうだ。でもどうやら、まだどこかに神さまは存在しているらしい。事故を起こさなかったのはまさに奇跡。無神論者の私をして、そう思わせるほどのメチャクチャな運転だった。どうしてこの人が未だ警官を営業していられるか不思議で仕方がない。いいのか、埼玉県警?

「ほら、かがみ。しっかりして」
 いつの間に車を降りたのか。こなたが外側から、私の座っている側のドアを開けてくれる。
「立てる?」
「うん、なんとか」
 そう答えながら私は車を降りる。と、いきなりこなたが私の手を引っ掴んできた。
「ほれ、トイレはこっちだから」
 そのままグイグイと引っ張られてしまう。
「ちょ、こなたっ。わかったから。一人で行けるから。そんなに引っ張んないでよ」
「ダメダメ。具合の悪い人を放って置けるわけないじゃん」
 そう言い放つと、こなたはものすごいスピードで走り出す。私のことを引きずりながら。

 駆け抜ける。
 駆け抜ける。
 駆け抜ける。

 止まっている車と間を。
 アスファルトの上を。
 人ごみの中を。

 私とこなたは駆け抜けていく。

 まるで私たちは、風の妖精。
 まるで私たちは、大気の女王。

 改めてこなたの手の感触をかみしめる。

 こなたの手って、こんなに小さいんだ。
 こなたの指って、こんなに細いんだ。
 こなたの肌って、こんなに荒れてるんだ。

 ……って、荒れてる?

 一挙に私の意識は現実へと引き戻された。
「ちょっと、ダメじゃない。こんなにガサガサな手じゃ」
「え……ああ、なんか水仕事とかすると、どうしてもねぇ」
「どうしてもねぇ、じゃないでしょ。ちょっと待ってて。今ケアしてあげるから」
 私は自分のウエストポーチから小さなハンドクリームのチューブを取り出す。キャップを開け、小豆一粒くらいの量のクリームを、人差し指の腹にそっと乗せる。

「なんかモモの香りがするね」
「まあ、名前が『ももの花』ってくらいだからね。ほら、手、出して」
「そんな大げさな。別にいいよ、大丈夫だよ」
「よくない。ちゃんと手入れしておかないと、冬場にひっどいことになるんだからね」
 そう言いきかせながら、私はこなたの右手のひらにクリームをつけ、それを指の腹でゆっくりと伸ばしていく。
「くすぐったいよ、かがみ」
「うっさい、すぐ終わるから我慢するっ」
 まるで叱られた悪戯っ子のように首をすくめると、こなたはそれ以上は何も言わなかった。ただ私のなすがままにされている。

「ほら、こんな感じ」
「ん、あんがとー」
「ほんとにもう」
 ため息をつきながら、私はこなたの両手を取り、自分の胸の前で合わせた。そのまま手をぎゅうっと抱きしめる。

 こんな小さな手で、一家の家事を切り回しているんだ。

 そう思うと、無性にこなたの手がいとおしく感じられた。

 ふと気がつくと、こなたがなんだか紅い顔をしてもじもじしている。
「どうしたのよ。ひょっとしてあんたまで車に酔ったとか」
「いやまあ、姉さんの運転だと私でもすこーしクルよ──って、そうじゃなくて」
「じゃあなんなのよ、いったい」
「なんか、すっごく言いにくいんだけど……」
 などと口ごもりながら、こなたは視線を下げ、ますます顔を紅らめる。
「もう、はっきり言いなさいよ。あんたらしくもない」
「じゃあ、言うけど。怒んない?」
「はいはい、怒んないから。ささっと白状する」
「あのさ、かがみって……意外に胸あるんだなぁ、って」
「なんだそんなことか──って、えええええっ!」
 きっと私は顔面蒼白になっていることだろう。
「そんなに太っちゃった? 私って」
「あははは、そういう発想はなかったわ」
 がっくりとこなたは肩を落とす。あれ、なんか斜め上の反応だな。
「そういう意味じゃななくてさ、なんというか、その。みゆきさんほどじゃないけど、結構かがみんのおっぱいってボリュームあるんだなぁ、と」
 その発言を認識した瞬間。私のどこかで、何かが音を立てて切れた。
「なんでそう発想がオヤジなんだよっ、あんたわっ!」
「ちょ、怒んないって約束したじゃん」
「別に。怒ってないっ」
 はあっ。なんでこんな奴、好きになっちゃったんだろうなぁ。
「ずるいよ、かがみ」
「え……?」
「かがみは、ずるい」

 なんて顔してるのよ、こいつ。

 そうか。

 私だけじゃないんだ、怖いのは。
 嫌われるのが怖いのは。
 失うのが怖いのは。

 ──『私も、成実さんも、黒井先生も、みんな泉さんのことが好きです』

 これは、みんなの好きの形。

 ──『でも、かがみさんはきっと、もっと好きなんですよね』

 これは、私の好きの形。

 そして今、目の前で小さな子どものように拗ねているこなた。
 これが、こなたの好きの形──なのだろうか。

「ほんとにもう、怒ってないから」
 苦労して笑顔を浮かべてみる。しかしこなたは、どうにも納得してくれないようだった。
「じゃあ証拠、見せて」
「証拠って……いったいどうすればいいのよ」
「んっ」
 目をつむるこなた。
「んんっ」
 胸を張り、まるで完熟したトマトのように紅くなった顔をわずかに上げ、唇を突き出す。

 えっと、これ、ひょっとして、誘われてる、私?

 ごくりっ、と私は唾を飲み込む。

「覚悟しなさいよ。あとで後悔しても知らないんだから」

 何を言ってるんだろう、私。
 何をするつもりなんだろう、私。

 胸の鼓動が一気に高まる。

 私の両手が、こなたの両肩をそっとふれる。
 わずかにこなたの身体が震えているのがわかる。

 おそらく、私も同じように震えてるに違いない。
 だめだ、まるで自分のことがわからない。
 およそ現実のこととは思えない。
 時が静止したみたい。
 何も聞こえない。
 何も見えない。

 これは、夢。
 これは、幻。
 これは、想い。

 甘やかなりし煉獄。
 完全に私は囚われた。

 もはや逃げ出す自由すらない。
 もはや目を背ける自由すらない。
 もはや身動きひとつ行う自由すらない。

 ここは私たちだけの世界。
 ふたりだけの世界。

 その時だった。
 何かが、目の端でほこりと動いた。
 渾身の力を振り絞って、私はその方向に顔を向ける。

「ちょ!」
 見てしまった。茂みに姿を隠しながら私たちの様子をうかがっている、つかさ、みゆき、ゆいさん、黒井先生の姿を。
「あ、あんた達──!」
「いや、どうぞこちらにはおかまいなく。ほらあれだ、『民事不介入』ってことで。ささっ、どうぞ続きを」
 かあっ。音を立てて、身体中の血液が頭に登り詰めていく。
「で、で、で、できるかあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~!」

 みんながわあっと、まるでクモの子を散らすように逃げ出す。
 その後を、私たちは追いかける。

 どこまでも。
 どこまでも。
 どこまでも。

 ゴールのない競争。
 私たちは駆け抜ける。

 頬が熱いのは。
 きっと気のせいでもない。
 きっと真夏の日差しのせいでもない。

 彼方に生まれたばかりの入道雲が、ぽっかりと浮かんでいるのが目に入った。

 それは夏休みのある日の出来事。
 それは決して忘れられない、夏休みのある日の出来事──。

  (Fin)


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  • おぉ、詩的ですねー。
    こういうのもいいですね。GJ! -- 名無しさん (2008-11-18 04:26:10)

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