Wonderwall(4)

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「にしても、かがみはすごいよ。」

 と、こなたが突然話題を切り替える。 自分本位なのは相変わらず。 …ま、私も言える立場にはないんだが。


「今をちゃんと観察して、未来に活かそうとしてる。先を見てるんだよ。私とは大違いだ。」


 どうかな? 形だけなら何とでもなる。 秘めてるもののレベルでは、あんたの足元にも及ばない。


「考えてみたら。 …いや、見なくもか。」

 こっちの反応などお構いなしに。下の年齢の身内を慰撫するように。

「いつも、私はかがみに教えて貰ってた。
 私から教えられたことなんて、せいぜいアニメの概略とか、ゲームのあらすじとか、進め方とか、その程度。

 生きる為に必要なものは、全部かがみから貰ってる感じ。いや、実際そうだったんだよ。絶対。」



「そんな事!」

 何をかいわんや。 私の「生きる力」そのものを、わざわざ引き出して下さった当の本人が。


「私は、その逆。 教えて貰ったのは、こなたから。」

 あんたが居なければ、私は多分、ここにはいない。

 あんた、っていう、決定打がなければ。 今頃、友達を失った手前の寂しさだけでリスカでも始めてたんじゃないか。


「どんな事でも、自分が動かなきゃ、やってみなければ始まらない。
 … 何の根拠もなくよく言えたもんだ、動けたもんだ、とばかり思ってたけど、事実だった。

 さっきも言ってくれたでしょ?ダメでもともと、やるしかねぇ。」


「だからあれは受け売りだってば。ほら、かがみの嫌いなメディアからの。」

「嫌いなのはそっちだろ。でも、それに感銘受けたのはあんたで、あんたが薦めてくれたんだから、

 そのフレーズはそちらの身体性に染み付いてる、って事。 どっちにせよ、あんたのもんよ。」


 あんたの口から出てる事は、全てあんたの管理の下で世に問われてるって認識される。それが世の常人の常。


 …そう。 何故なら、「責任の持てない人間など、基本的にこの世にはいない」というのが、近代資本主義社会の大前提だから。



「分かる? あんたの嫌いな“責任”の話。社会性の『基礎』よ。 この際だから言っとくけど。」


 えー、とあからさまな不満の声が聞こえたが、今回は保留する。 忠告をあえて押すのは、親友の務め。
 現時点で何を言っても無駄かとは思ったが、この子の後生を思えば。

 明らかな挫折を経た事やこれまでの口振りから、きっぱり卒業したとばかり思っていたネトゲやらに、
 言葉の裏にはまだ後ろ髪引かれている節がある。

 あの顔の見えない仲良しクラブ内の偽りの「繋がれてる」感は、一般社会では碌な現象を引き起こさない。

 幾ら売れっ子の作家とて ―いや、だからこそか、おじさんも実の娘を三浪させるのは不本意だろう。

 この辺で、負の禍根は絶っておかないと。


「ネット上ってさ、確かに言葉はタダよ。自由な事が言える。
 だからこそ書く側は読む側がどういう気分になるのか、とか、さっぱり配慮してない訳でしょ?
 “責任”が、付いてこないから。そんなものが、何かの価値になると思う?」


 何故か。 それは、“責任”が人間を生かす糧だから。
 生身の相手との、血肉を伴った関係の中で生じる“責任”が、自分の明日を生きる理由となり、決定的な励みともなるから。

 無論、中には多分にプレッシャーを伴った“責任”も生じる。しかしそういったものは意図的に、優先して消化ておけば後生に響かない。
 かつてのこの子が実証したように、全ては、受け取り方、身のこなし方一つなのだ。

 だというのに。一切の余裕を失った今のこの子には、何を説いても暖簾に腕押しだろう。 だから、今は言わない。
 分かり易いように、インパクトが残るように、語気を強めるだけだ。 


 必修だった比較思想の授業で聞いた事だが、我々の先祖に文明を教えて「下さった」西洋では、
 「時間」の概念が、今でも何より重視されているらしい。

 即ち、現世とは、この世の終わりまでの間に超越者が与えてくれた有難い猶予期間なのであり、
 これを無為に、不道徳に費やすのは、即ち神への冒涜に値する、といった考え方だ。

 この価値観が西洋効率(功利)主義の根源であり、「物惜しみ」意識の端緒、なのだそうだな。
 また、この意識の向かう先が、“時”という形のない「概念」なのか、きちんと形の与えられた「物」なのかという点に、
 西洋と東洋の明らかな違いが顕れている、ということだ。

 分野が違うから詳細は分からない。
 しかし、「自分だけが楽園(=天国)に行ければいい」という本能が、一見スマートな効率主義の根底に確と腰を据えている事、
 そして同じ現象を、政治家や各界権力者、果てはヲタの行動、思考回路にも共通して見て取れる事を、何とはなしに思い出す。

 …『日本人』も、そんなに誇れた民族じゃない。


「私が学んでる『社会』ではね、“本音”をひけらかしたら、その時点で敗者確定。
 勝ち負けじゃない、って言われるかも知れないけど、これは『人間』が勝者、って考えた場合の話。」


 その『人間』は、どっちに向かおうとしているのか。今や絶対化して憚らない、そうした効率主義の末端に見えるものは何か。

 現行のこの国の社会体制は、既存の概念を切り崩し、残骸を寄せ集め、
 生成された腐土の山を踏み台に、漸く次の段階に足を掛けている。

 かと思えば、CO2削減だとかいうメディアの喧伝に、どいつもこいつも善人面で盲従し、
 スポンサー ― “衆愚を統括する”立場にのぼせ上がり、いまや法にすら圧力を掛け出している極少数人 ― の私腹を肥やしている。

 民主制の皮を被った寡頭制 … この明らかな矛盾率に気付けもせずに、
 一人で生きているような我関せず面を前頭葉に貼り付けている、恥知らずな国民の有様。

 一度体制が始まってしまえば、彼らにとって実態などどうでもいい。何故なら、そっちのほうが、「体制に流される」ほうが、楽だから。

 影の国策である『一元化への行進』
 ―国民に対する精神、心理面に於けるワゼクトミーは、陰湿に、しかし確実に、一刻一刻進展してきている。


「今のあんたの大事にしてる“社会性”って、そういう意味じゃないかな。 隣人が『人間』か否かを判断する、ギリギリの基準。
 これからネットが文化の当たり前になってけば、言葉に出来ない事は無駄になって、全部排除されて、
 そのうち0か1しか解らない人間とかが出てくるんじゃない? ―倫理学の教授は“機械の奴隷”とか言ってたな。」


 ネット文化もヲタ文化も、左翼意識の極北を自称してるけど、さりとて万事は∞字。
 体制が変わりゆくにつれ ―恐らくその路の権威か何かの発言やらを切欠に、態度は容易に、余りにあっけなく変遷してゆく筈だ。

 言ってしまえば、新手の宗教や原理主義団体と何ら変わりはない。
 一つの目標である『現世否定』に向かって我武者羅に渡世の荒波を掻き分ける、
 まさに冒頭のこの子の発言、ナチスドイツ初期の段階そのものだ。

 何より、頭ごなしに否定することしかできない文化圏が生み出すのはHateだけ。 
 顔が見えないから好きな事が言える、っていう甘えを下敷きにしている限り、そこには何の信用も、信憑性も、人間味も生まれない。
 結局、現実社会に抑圧されたニヒリズムの吹き溜まり程度の印象しか人心には齎さない。
 それが、現在のネット界隈の実態。

 文字列が毛穴に溜まる角栓並の値打しかないこの時代、真に人に働きかけるのは、
 相手の目を見て語り合うことの出来る、真摯さと謙虚さを併せ持つ存在だけだ。
 プレッシャーが介在しない限り、それは会話ではない。 ― 面倒な事だが、現在急務となっている“価値観の見直し”は、
 あんたの中でも、私の中でも、更には社会の中でも、まだまだ始まったばかりだ。




「かも知んない。」


 再びベンチに腰を落とし、放り投げるように呟くこなた。


 …? この子の発言にしては、慣れない響きだ。

 不満、でもなければ、軽蔑、同調、肯定、否定、中庸、何れの意図も感じられない。

 感じられるのは、シベリア氷土みたいな当て所ない温度と不毛さだけ。


「でもさ、『既にそっち側の洗礼受けてる』人間はどうしたもんかね。

 『いきなりは変われない』なんて、姑息な言い訳考えるよね。
 30秒もすれば、その当の自分は、代謝やら細胞分裂やらで全然違う人間になってる癖にさ。」


 何が言いたいんだろう。洗礼受けてるならその題目通り、破棄すればいいだけなのに。
 ―それとも、「染み付いてる」っていうニュアンスで、そういう表題を掲げる人間と自分を同類視しているのか。


「変わってないように思えるのは、自分の意識の中でだけ、なんだよ。

 どいつもこいつも、人生初のビデオ撮影で、運動会で走る息子をカメラ構えてぴったり追いかけて、
 当の主人公がただ画面の真ん中で足踏みしてるような映像、綺麗に収めてる、みたいな。

 そういう行為に文字通り“現抜かして”んだよ。」


 その声音には、向かう当てのなさそうな怒気すら孕み出している。

 …なんてこった。一般社会でいう、この子の『逆鱗』に相当する部位に触れてしまった。
 巡り合わせは別として、人間関係に於いて、今日は厄日だ。


「だからさぁ、その影響であたしみたいなのが出来る訳だ。 時代の漂流物、が。
 厭な事から逃げ続けてた報いが、遅ればせながら一まとめに …
 ヤコブさんか? Y.H.W.Hさんによってきちんと当人に届けられましたと。」

 ありありと、自分の不注意さを痛感させられる。 よもや、今さっきの失敗を繰り返すとは。
 社会人、否、人間にすら値しない、初歩的な脳内構造。



「言い過ぎた。図に乗りすぎたわ。幾らなんでも。」

「別に。怒ってないよ。今じゃ私には関係ないしね。 それに、かがみは、教えてくれただけ。」

 自嘲の表情とは明らかに違う。 病的で、不安定で。 不気味さすら伴う笑みを浮かべて。


「怒ってんのは、今まで馬鹿やってんのにも、本気で心配してくれてる人にも気付かないで、
 ただ悪い肉食い散らかして自分の糞捻り付けてた、青っこい蛆虫に、だよ。」


 遅かった。


「血の涙にでも溺れてろ、って奴だよ。 周りも見ないで。 “許されて”んのにも気付かないで。」

 自分が何より求め保ってきた、この子との“信頼”。
 どうして数年がかりで築いてきたそれを、この子が孤独に懊悩するここへきて、わざわざ目前で叩き壊すような真似をするのか。


「特にさ、生まれ持った体質とか障害とか、病気とか、大体そういうものに全責任おっ被せるよね、日本の文芸界は。
 だから「紙細工」「感動の大量消費」、って世界中から言われんだ。 まぁ、んなこたどーでもいいんだけど。」

 一人で出来る事などたかが知れている。 この子の言葉通り、誰かの支えがなければ人は生きてゆけない。
 先人中の先人(ら)が後世の為に見出してくれた“縁起”説を、一番身近に、具体的に感付かせてくれるものを、
 その実、最も疎かにしていた。


「結局、現実の人間なんて、あたしなんて、こんなもんじゃん。 何のハンデも、何の不具も、何の責任も感じてなくて。
 そのくせ至って健全な四肢とか五感とかの、本当の、本来の使い方も知らない。 親父はあんなだしね。
 人間社会でいうなら、只々ドブの底で這い回ってプランクトン漁ってる、鱗だけ真っ青の、泥臭ぇ生き物。
 『無知の涙』だよ。イスラム圏にテロ教えた、あの死刑囚の。」

 人間関係の醍醐味は「駆け引き」じゃない“ギブアンドテイク”だって。 内面的に受けるものがあれば離れられなくなるって。

 今しがた、そこから気付けたばかりなのに。


「自分の事しか考えてない。自分の幸せしか見えてない。自分の、快楽しか… 思い通りになるなら、それでいい。

 ならなきゃ“矯正”する。無理やりにでも。 身近な人のでも。」


 自分が何をしたいのか。 この子をどうしたいのか。 一番分かってないのは、私自身じゃないか。



「わざわざ傍に居てくれる… なおも、尚もだよ? “信じてくれてる”人の …」


 ― すると、息継ぎの幅は、一層狭くなって。



「… がみのっ かがみの、人生までっ …!」



 瞳が、翡翠色のぎらつきが、揺らめく。


 …


 “その通り”、だった。



「…でもダメ。頭じゃ判ってんのに。 どんなに腐ってようが、汚れてようが。変わんない。変わってくんない。

 私は、やっぱり、かがみに、頼るしかない。寄っ掛かるしかない。 散々っぱら迷惑掛けて、まだ飽き足らずに。」


 薄々感付いてはいたが、漸っと、把握できた。 この子の、深淵に隠れた、ながらも、常時張り出しっ放しだった、真実。

 穿った目が宥められ、本来の「在るがまま」が、それなりに、見えてきたらしい。


「久しぶりに、浮かない顔のかがみ見たら… 落ちに落ちたこんな身分で… かがみの… 力になりたい、とか、思うんだよ。

 また切欠作って、いいカッコして。 経験値稼ぎたいとか、まだ思うんだよ…」


 何の為の切欠か。 二人の関係の空白の期間で、相手の得たものを見抜く為、に、違いなかった。

 自分の立ち位置など眼中に入れずに、只々、ひたすらに。 あんたは、いつだって。



「自分の人生すら、まっとうにこなせてないくせにさ!」


 そのものを。 相手の人間性そのままを、肯定しようとしている。



 ― 純粋、過ぎたのだ。 ―




――


 恥ずかしながら、筆圧は可也強い方だ。 お蔭で受験以降勉強だこをそこかしこに作り、今や不恰好に変形し果てた、己が手指。
 しかし私は、何を憚る事なく、自然とそれをこなたの背に伸ばし、浮かび上がる骨の一節一節を、撫でている。

 赤ん坊の坊主頭に、触れるよう。


 小さな、背中。 頭を膝の上に投げ出し、顔を覆う姿勢は、無防備に緩やかなカーブを張り出させ、底に走る信管を、不規則に、震わせる。

 横隔膜が穏んできたのか。こなたは時折しゃくり上げながら、確かな律動を、掌の静脈に返してくる。

 ― 生きてる  私は生きてる ―

 声にならない自己主張を繰り返すように。


 …何故、当人をこんなに苦しめるまで、口が止まらなかったのか。「甘えの構造」に埋もれていたのか。

 己の『社会性』のなさに、改めて絶望させられる。



「不安なのは、私も。」


 だが、ここで言い訳に逃げるのは人間じゃない。 


「社会を俯瞰する。そんな眼、誰が持ってるっての。

 どんな人間も、判ると心底思い込めるのは、手の届く範囲だけ。 ―今の、私みたいに。 だから。」


 またしても、あんたに助けられた。 だとすれば、もう、迷っている暇はない。


「人を頼る、んじゃない? コネとか地位とか、相手の弱みとか、文字通り“駆使”して。」


 そう。 畢竟、今の彼女に必要なものなど、端から感付いていた通りだった。


「現に私は、助けてもらった。 今ここで。 …あんたのいう、汚いレベルの話。」


 自分が受け取って、心地良いものなら。



「あんたは、しっかり成長してる。 負けてらんない、って。」




 電灯の、人工的な蛍白色とは別に。 雲間から顔を覗かせた半月がこなたの顔の半面を、照らし出している。

 目を閉じ、鼻から大きく息を吐きながら、天を仰ぐこなた。 再び開いた翡翠色、が、引き立てたのは。


 消え入りかけの、薄氷細工のような、脆い、笑顔。

 あの史上の名君ダヴィデをして、ここまで率直に、自らの罪を認められただろうか。

 彼の運命に照らし合わせれば、以後のこなたは、その報いとして自らの子を喪う事は、恐らくない。

 ドゥフカを超えて(=認め)、真諦に至れり。先人は偉大だ。


 変わる事を恐れる、総ての人間にくまなく注がれるような、明晰な“空”に泳ぐ視線。
 一方で、乾いた土に乗せた足は、指の部分で、何かのアニソンの拍子だろうか、事も無げにリズムを刻んでいる。
 いつからこの子は、演劇部に席を置いていたのか。


 と、足の動きが、止まる。



「…来年は。」

「うん。」


「志望校も学年も学部も違うし、目標もそこから見つけるような立場だけど。」

「うん。」



「“権利”は『買う』から。 何でも気軽に話し合えるよな、そんな立場には、絶対になってるから。」

「― うん。」



 表情は、伺えなくなっている。

 いつの間にか自分の腿に話し掛けるような角度で顔を傾いでいた為、二種の光は、逆に肝心な部位に陰を齎してしまっている。

 …そうか。 足指の刻んでいた律動は気を紛らわす為、或いは、冷静を装う為の内心の発露だったのか。



「だから…」






「見捨てないで… っ。」




 絞り粕を、尚も絞り切る際の、腹の底から自然とひり出される、あの切迫した、呻き。

 如何にも頼りなく小刻みに震えながらも、ギリギリの身体感覚と置かれた環境を何とか自己主張する、脆弱な声音。


 それまで異教の保証する穏やかな日々のもとにあり、後日突然「侵略される自由」の名の下に現れた、
 十字軍という名の暴走列車に追い遣られ、窮地の突端に立たされた、一人の親友。
 彼女を縛り上げ、生贄として線路に打ち捨て、背後の共同体の安寧を優先するのが、資本主義社会の通例、即ち“善”だというなら。
  教義が人命に優位し、価値観の押し付けが“正義”だというなら。  私は一生キリストになったイエスに頭を下げないだろう。

 キリストになる前の、よく笑ったとされる人間イエスは、人外の力を振り翳す事なく、しかも信教の別なく、
 病に冒され膿み爛れ、路外に放擲された人々に直に触れ、本来の意味で一人一人を“癒した”実績を持っているというのに。

 マリア・マグダラという妻、サラという娘を得、誰とも変わらぬ生涯を辿ろうと一生懸命己が信念を貫いた彼の人間性の一切を、
 三位一体の言説のもとに断固否定する奇跡物語と、それを生み出し民の統一という下心を公にした教会勢力の所業こそ、
 最も悪質なイエスへの不敬に値するのではなかろうか。

 そう地球倫理学会で唱えていた、バックをどこぞの教授団で固めたミュージシャン達 ―しかも全員が女性だ― がいた。


 その大意に則れば、 ―否、則るまでもないが。


 この状況で、私に出来る事。

 ―染み付いているものに従う事で、相手の内奥に、より善い心境に近いものを産み出す、というのなら。


 身体の、言葉の、動くままに。



「じゃあ、約束。」


「う。」


 左(耳)の、サファイアを右手で外し

 コスプレ喫茶の正社員になった時にでも空けたのか、こなたの耳朶に小さく開いたピアスホールに、宛がう。


「預かっておいて。 私、左がない間は、絶対にこれ、付けないから。」

「ぇ…」


 芝居掛かってる? 周りくどい? だからなんだ。

 これが。 この至らなさが、「私らしさ」だ。



「貧乏学生だし、元々アクセサリの購入にはあんまり執着しないから、持ってるピアスでは今の所これが一番高い。

 でも、あんたが『似合う』って言ってくれたから。これは『こなた用』にする。」

「そんな… 悪いよ。私、ジュエリーショップになんて入ったことないような人種だし、それに、入学祝いなのに。しかもお姉さんからの。」


 本日二回目の、心底すまなそうな声音。

 自分には値しない、とでも言うような、はたまた片方だけ渡されても扱いに困る、といった要求を陰に添えているのか。

 何にせよ、私が差し出した碧色を捉えて一刻も放そうとしない視線からは、興味がない、といった迷惑さの類は感じられない。

 ―そんなに怖気付かんでも。


「その代わり。」


 何にせよ、だ。


「あんたもそれは付けないでおいて。あんたと会うときにだけ、両方が揃う。 …そういうものにしたい。」



「… あっ。」


「持ってる側のワガママよ。 悪かったわね、浮き足立ってて。」


 あんたの悩みも、体質も同じ。 動き出せれば、ほんの些細な突っ掛かりに過ぎないのだから。


 あんたは、そのままのペースでいい。 だけど、変わってくれてもいい。



 どっちにせよ、私はあんたが好きだから。


 あんたの“在りよう”の、ファンだから。




 こなたは、暫く呆けたような表情を浮かべたまま、私の全身を無遠慮に見回していたが、

 不意にニマッと、先出の不敵な笑みを浮かべ、一言。


「… かがみにも。」

 と思ったら、小オメガは浮かんでいない。
 何というか、実在性のあるというか… 重ねて失礼だが、“人間相応の表情”っていう言葉が真先に頭に浮かんできた。


「そういう情緒っていうか、風情があったんだね。昔っから、全か無か、白か黒か、って判断する、理系寄りの人に思えたから。」


 私の手からピアスを受け取り、掌の上で遊ばせる。
 月や電灯の光を、サファイアの髄が反射しその色合いを微妙に変えてゆく様を楽しむように。


「まさに、0か1か、っていうね。 本当に、語彙に関しては、間接的にもラノベに嵌らせてくれたあんたのお蔭。

 やっぱり、ただのオタクじゃなかった。

 あんな堅物が、ここまでグズグズにされるんだから。大したもんよ。」


 感染症が心配だから、という私の制止も聞かず、こなたはピアスのネジを外し、バーベルを左耳朶に通す。

 …似合う。ぴったりだ。 ちと古い表現だが、まさに『この子の為に生まれてきたと言わんばかりの』適合率。
 髪色と相俟って、この世の「碧」の美とは何かを、改めて世に提示し直している。 それ程までに。


「…嬉しいよ。 これがあれば、私、まだがんばれる。かがみがいてくれるって。見ててくれる、って。 … ありがとう。」


 是非とも、両耳分を揃えた姿が見たい… とはいえ、ついさっき付けるのを止めた手前、態度を覆す訳にも行くまい。

 今は無心に、こなたが私の思いを受け取ってくれた事、そして、それを励みにしてくれた事を喜び、

 この子の、純粋な笑顔を楽しむとしよう。




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