Wonderwall(3)

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「『自信』とか… そういうレベルじゃないんだよ。
 “穀潰し”っていう… 一家のさ、“家計における明らかな厄介者”になって初めて実感した。」

「… 『敗者』に口なし、だ。言うなれば。 『敗者』ってのは、少なくとも勝負のついた時点では、死人と同じ。土に埋められる。
 『黙ってなきゃならない』立場に回るしかない。世間も、社会も、世界も、それを望んでる。
 『負け犬の遠吠え』っていう非難もあるしね。この国の外にだってさ。」

「『権利』ってのは、『義務』を遂行して初めて出てくる。 気付いた時には、私はどんな『義務』も果たしてなかった。
 そのツケが、回ってきたんだ。見事に。」


この子が、現実から学び取った経験。 他の誰のものでもない“自分の言葉”で、自分なりに表現する。

こうした語りだけが、「会話」の中でストレスを解消してゆく。 小学校でも、真っ先にこういう教育=訓練施せばいいのに。


「もっと動いてればなぁ。勉強に、部活に、人脈作り。 私なんかみんな行き当たりばったりだったもん。」



「…にしては、友達には恵まれたんじゃない? 信じらんない位。」

 上手く言えないけど、見ているだけで我が身に焦燥を覚える程に。


「傍から見てても気付かないうちに、色んな子が寄ってきてた。あんたの周りに。」

 つかさ、みゆき、日下部、峰岸。それに一年生組にオタク仲間、果ては先生方すら。
 この子の精神性の利に気付き、惹かれた人間は大勢居る。私とてその例外ではない。

 こなたを中心に拡大、伸張する、“居心地のいい空間”の同心円 (どちらかといえば、「球」か)。
 皆そこに吸い寄せられ、気付いた時には、その内部構造の一端を、いつの間にやらといった運びで、薦んで受け持っていたのだ。


 中学時代の友達に魔法使い志望者が居たらしいが、こう省みると、まさに「類は友を呼ぶ」。
 件の人物を笑いものにしているその時点で、既に自分自身がある種の『魔法使い』だった、という事に、
 果たしてこの子は気付けていたのだろうか。

 …無論、そのまま女一匹、胎盤を腐らせるような将来設計は…
 あらゆる意味で『魔法使い』に近付いてゆくような行く末は、私の望む所ではない、が。


 こなたはそれには応えず、ベンチの向こう側に脚を乗せだした。私の向きと、丁度直角を描くように。
 この体勢は… 膝枕か。 頭を私の腿の上空にスタンバイし、許可を求めるよう、こちらに微笑を向ける。

 どうせ辺りに人の気配はない。
 電灯がスポットライトになるのが若干気に食わなかったが、気取ったようにラフなこの格好じゃ、遠目からは誰だか分かるまい。
 そこにこの子の仕草の愛らしさも加わって、掌を上に向ける。OKのサイン。

 ニイ、と若干黄ばんだ歯を見せ
 ―『不自然に白い歯は脆い』、というかつてのこの子の口癖を思い出す。歯磨きも大概なものだったんだろう―

 喜びを目一杯弾けさせる、笑顔。


 …先述のように取り巻きは多かったが、このむずがゆさに気付いた人物はそう多くはあるまい。


 ぽふん。



 ジーンズ越しに伝わる、人肌の心地良い温度。 全身にまとう、精密機械と日溜りの匂い。

 顔を合わせなかった期間は4ヶ月に足りないが、まるで数年振りに味わうような、只管に懐かしい、感覚。

 ヴィダルを使い続けてもう長いことになるらしく、この、鼻腔をくすぐる柔らかな香りも、すっかり髪に染み付いている。
 夜気に揺蕩う竜胆の束をこうして近くから見ると、長さが意外とちぐはぐな事が判る。
 成る程、枝毛を切っているせいか。そのストレスじゃな。
 にしても、この処理の徹底振りには驚かされる。 以前にも増して、髪には過保護らしい。


「…まさか当の本人の口から、そんなに無骨なアピールが聞けるとは思わなかったよ。
 この不器さも、かがみのかがみたる所以か。」

「傍から見て、って言ってるでしょ。お生憎様、そういう自惚れからは卒業したつもり。
 あんたの役に立てた思い出なんか、一つもないからね。」

「ほォう、ツン性自体を自己卑下のオブラートに包むとは、腕を上げたな。
 ポイント稼ぎの手法が、確実かつ巧妙になった、って処か。」

「相変わらずのアメリカン・マインド。 …お蔭様で。 即興で、尚且つ“とある”方の受け売りですがね。」


 これ位せっつけば、流石にどんな莫迦でも自分の発言の浮きっぷりに気付く。
 目下のこなたは遅ればせながら二の句の接ぎ穂に窮したらしく、頬骨を掻きながら、自分の喉が奏でる唸り声に併せて眼球を右往左往。

 … 可愛いもんだ。 こういう仕草は、脳下垂体にでも染み付いてるのかな。
 一部繰り返しになるが、こっちの脳幹にまで染み渡ってくる、こうしたこそばゆい実感は、
 この子との付き合いの、確かな役得の一つでもある。


 だが、この子にも臨界はあろう。過度に弄り回すのは主義に反する。というか、いたたまれない。



「でも、それは私も。」


 すぐさま本心をおおっぴらにし、自ら巻き起こした荒波に浮き輪を投げる。 仰る通り、(特に精神年齢的に)ろくに進歩してない。
 陵桜学園の入学式以来、未だに肩肘ラインの直角な、面白みのない人間です。

「変な実感があった。こいつらとなら一緒にいても、少なくとも精神的な意味で、不自由はない。
 身近なレベルで笑い合えるし、そうやって賑やかに過ごすのも悪くない、って。
 色んな価値観はあったけど、それぞれが衝突し合いながら、結局は丸く収まってた。そういう、『気が合う』っていう関係。」

 先述の、同心円の構成員達。この子の精神のグラウンド・ゼロに沿って、散漫に、けれど確実に集まり、要所要所に配置されていった。
 人間一般の何より好む“似た物”の匂いに気付かない筈はない訳で。
 ついさっき不足に悩んでいた“人脈”など、例え本人の意中になかろうが、とっくの昔に構成され、既成事実になっていたのだ。
 当人のやる気が、注意深さが、それを捉えようとしていないだけで。


 そして、それを引き出す意味でも、私が何よりこの子に… こなたに、伝えたかった事を。
 最早身辺を飾り立てる必要もなくなった今なら言える。 構えずに、常態で。さんっハイ。


「あんたともそう。
 まさにあんたの言う、『付いてけないとこ』ばっかだったけど、それこそいつの間にやら、いつでも一緒になってた。
 波長が合うっていうのか、向いてる方向は逆だったけど、あの頃の私にとって、一番身近なのが、あんただった。」


 空気、っていうのは不思議なものだ。
 作ったり壊したりは自分の働き一つで何とでも出来るけど、修復しようとすると途端に上手くいかなくなる。
 …言葉を選んだせいか、それ程盛大には滑らなかったが。


 こなたは、一瞬意外そうな表情を浮かべ、それって遅ればせながらの告白?などとすぐにおどけ出す。 かと思いきや。
 私の放つ一言一言を咀嚼するように、味わうように思い返し、逐一に頷きながら、それにしては、と言葉を繋ぐ。


「かがみは計画的だったじゃん。人付き合いの、機微は利かなかったけど、きちんと力点置く場所、判ってた。
 こういう厄介者に手ぇ焼きながら、次にどうすべきか、何を優先すべきか、って。 いつもそっちの方向に頭を回してた。回せてた。」

 今年もお世話になっているあの倫理学の教授に言わせれば、まさに「近代合理主義=西欧型個人主義」やらに基いた思考回路なんだろう。
 家庭内の誰の影響かは、言わずもがな。
 生きる上では役立つが、生かされる上ではマイナスしか生まない。 …私にも厄介な癖が染み付いてたもんだ。

 額に皺を寄せながら、こなたは更に続ける。


「それに比べたら私なんか。

 ネット世代特有の、はしっこいだけが取り得の、ジャイアニズムの塊。他人の… や、仲間の事でさえ二の次にして。」



「そんな事ない。」

 あんたの自己否定はポイント稼ぎ時の“しのぎ技”だったろうが。

 即座に切り返す。 ―こういう時、自分の言動が「健全だ」って実感できる。自惚れ過ぎか。


「あんたが、どんなに目敏かったか、多分周りにいた人間はみんな気付いてた。」

 でなければ、あんな人気者ではおれまい。積み上げてこその「些細な気配り」。この子はその達人だった。


「あんたには、人をまとめる力がある。自分では、気付いてないようだけど。
 大勢を、強制力なしに、同じ方向に向かわせる。 そういう、カリスマが。」


 身近な存在に“呆れる”っていうのは、裏を返せば、当人に他の部分で“尊敬できる”面があるって事を示している。
 その“尊敬できる”レベルに余りにも不相応だから、呆れるのだ。 その場では気付けなくとも。

 だからこれも、私の本心。もともと虚飾のついた言葉は嫌いだ。


 されば、脊髄反射相応に頭を上げ、心底失望したような仕草で、肩を竦めるこなた。
 斜向かいに、まんま馬鹿を見る眼差しを容赦なく突き出して。 

「それは褒め過ぎ。っていうか、無い物ねだり。 言われた方が迷惑だよ。」

 切り刻んで唾を吐く。 冗談じゃない、媚び諂いも大概にしろ。 言外に、そんな非難をまとわせた、この子なりの、怒りの表出。

「ある訳ないじゃん、そんなスキル。 仮にあるとして、現実的に、それに行動力が伴わない奴なんて、聞いたことないよ。
 …勘違いさせて、将来恥かかせてやろうって魂胆なら、残念でした。端からないよ、そんな思い上がり。」

 良かった、色んな意味で本気には捉えていない。しかし、随分と気を悪くしたようだ。
 …在るがままを言っただけなのに。
 頭に来る反面で、的を得た励ましを旨く言葉に出来ない己が不甲斐なさに落胆し、
 更にその反面で、矢張り自分はこなたGR0に集まる、決起集会の構成員である事を再確認する。



「や、だけど…」

 と、冷やかな沈黙の侵入の手前で、唐突にこなたが思い付きを口に出す。 …掌を返すような態度の変わりよう。
 これも“相変わらず”要素の一つだが。

「そっか。 そういう、自己愛の上に余暇時間が余りあったから、
 かがみとのフラグもしっかり固められたんだよね。 性格100%発揮できて。 いやはや失念、そして役得。」

 しかも相当に、場違いなまでにずらしの効いた台詞を。
 …話を逸らしたいのか。こちらとしては願ってもない、が、あんたのこういう選択は、俗に言う「墓穴パターン」じゃないのか。
 いずれにせよ、その安易なウィットに、乗らない手はない。

「フラグかぃ。また懐かしいフレーズを。それに役得って何よ。『あんたの余興に振り回される』って仕事してたのはこっちだってのに。」

 私は今さっき受け取ったばかりだけど。


「んー、言うまでもないじゃん。 …あっ。」

 気付くのが一手 … いや二手、遅れたようだな。 『現代版ニヒリストの鑑』の、何たる体たらくか。

「それともなにか。かがみんはあえて、『あえて』言葉を欲するのかな、カナ? ヌフフー、相変わらずの乙女っぷりだこと。」

「なにおっ、対人関係の学習が、今以て足りとらんようだな!」


 以上、泉こなた流48手の一、『時折挟む軽口』でした。 ―だけど、どういう訳か。
 今のそれは場の空気に一息入れるどころか、自分の本音を常識の範囲に合わせて覆い隠す鍍金の役目すら果たしていない。
 言ってみれば、力尽くで知恵の輪を引き千切る、巨人かなにかの悲しい所業にも見えてくる。
 …同時に、『発言者』の責任が重くのし掛かる。

 景気付けに。あるいは八つ当たりか。膝の上で恒例の小文字オメガを口元に浮かべ、くすぐったそうに微笑むこなたの、
 ほっぺをつまんで上下(本人にとっては左右)に引っ張る。 ―我ながら、懐かしい行為が出てきたもんだ。

 当の被害者は目頭を窄め、やめれやめれよ、なんぞと私の肩を叩きながら騒いではいるが、まんざらでもなさそう。
 目尻の方は、笑っている。 完全にあの頃のノリだもんな。 幾らかでも、気分がほぐれたならいいんだけど。


 手を離すと、けれどこなたは再び小オメガを一曲線に均し、眉根を下げる。
 素の目が何を考えてるか分からないような、少々キツさを印象付けるぎらつきを湛えている為か、
 一層郷愁というか、喪失感を際立たせる表情だ。


「でも、さ。やっぱりかがみやみんな… 私の傍にいてくれた人達が、何となくだけど、気付かせてくれたんだよ。

 あの頃の、私が向かってる方向を。」


 何も、言えなくなる。 確かに、当時のこの子の行動に将来性を保証するものは、何一つと言っていい程、見当たらなかった。



 こなたは私の態度に味を占めたか、高校時代には聞いたことのないような、極個人的で、みすぼらしい程狭小な視座に基いた…

 恐らく“本音”の領域の言葉を、帳を上げ切った上で、紡ぎ出した。


「確かに面倒って事はあるよ?小さい頃から合気とか骨法とかやらされてたお蔭で体力だけはあるから、それなりに動けはするんだけど…

 アスペルガーっての?自分の興味のあることにしか意識が向かないから、結局何を誘われても腰重かったし、
 ほら、陵桜祭のチアの練習もすっぽかした事何度かあったし。」


 と言っても、実際は練習を休む時、この子なりに気を利かせて、メールやら人伝にきちんと理由を知らせてきていた。
 普段のグータラ振りから考えれば、異様に思える程確実に。 ―握手会のチケットっていう餌は確かにあったが。

 人が当然にできることが自分にはできない。逆に、人が目に付けない部分にばかり執着しがち。
 そういう生来の性質を、この子は幼少時の発達診断の結果から“軽度自閉症”と決め付けているようだが、
 仮に「だったら」何だというのか。

 一側面を理由に、当人の全人間性を否定するような極端が齎す無駄の多さは、
 幾ら自分至上主義の私でもとっくの昔に見極められている 。第一、そうでなければ、この子との縁などひと月も持たなかったろう。
 それに、現代では別段珍しくもない症状だ、と、社会心理学を専攻する先輩は話していた。


「だけど、何というか… 見てるだけの世界より、
 自分で構成する、実際に動かせる世界に、
 こんなに面白み感じたのは、具体的にはそれが生まれて初めてだったね。」


 そう。この眼差しがあれ以来のこの子の変化。
 実際に自分が踏み締める現実に立ち返る勇気を、こなたは実質的には、学園祭への参加を通じて見出したのだ。

 共に何かを創り上げる、やり遂げる事。私を誘った際の台詞と事後の態度のギャップから伺うに、
 どうやら言葉の上で理解していた部位の“確信”を、実践を経る事で得られたんだろう。

 結果的にはあの持ってけチアが、本人の想定以上に、自身の具体的な未来への大きな推進力となっていた事は想像に難くない。
 無論、私だってそこから得られた励みに何度救われた事か。


「アニメやゲームはシナリオが決まってるから、作者側が何を思おうと、どんな意図を込めようが、
 結局登場人物達は画面上でライターのこさえた筋書きに併せて踊り続けるパペットでしかない。

 別の可能性は、ゼロ。色んな分岐があっても、それはプログラム上での話。
 人に飼われてるインコが鳥篭の中で一生終えるのと何の違いもない。

 それにそういう、選択肢絶無の薄っぺらな世界観は、端末がイカれない限り、永遠に同じことが続く。
 スイッチ入れる度。ページめくる度。」


 この程度の認識は大分前から持っていた筈だ。
 結局、何の躊躇いもなく、さも当然の権利の如くヲタ文化に邁進していた一方で、己の自堕落さを自覚してはいたのだから。

 それを復唱するって事は、つまりそれだけ身に染みて実感できたって訳だ。

 アニメやゲームの登場人物が編集者やクリエイター達の掌中で踊らされているのと同様に、
 それらに魅入っている画面外の視聴者・プレイヤーも、いつの間にやらその輪に組み入れられていて、
 製作側を仕切る企業やスポンサー、原作者等権利保持者らに無駄金を貢がせられる運びとなる(しかも嬉々として)。

 大概自分がその輪の中に埋もれていると、そこに逆巻く刺激の強さに気を取られ、こうした極当然の因果律すら見過ごしてしまう。
 本当に、現代表象界の怠慢ばかりが際立って見えてならない。
 “刺激に満ちた情報”という餌さえ撒いていれば、暇を持て余した豚共は一斉に鼻面を砂地に突っ込んで這い回り、
 ぶくぶくと肥え太ってくれるのだから。 


「だから“同人”文化が生まれるんだよ。
 お国もさ、マスメディアの著作権心配すんなら、情報受け取る側の権利とかメディアの変革とかを先に考えろっての。
 製作側に自己陶酔&自己完結野郎が多過ぎるから、日本文化じゃここまでヲタが幅効かせんだよ。
 原作じゃ社会性とかメディア倫理、ひいては収入の概念に阻まれて、そこまでに留められざるを得なかった世界観を、
 俺が安価で開放してやるぜー、っていう、職業救世主が。」

 だろうな。 法学部でありながら私もそれは実感している。“権利”っていうのは、人間性に停滞しか齎さない。

 一定の地位、状態を保つ鍵にはなる。しかしそれは同時に、「そこから動かなくなる」危険性が生じるという事だ。
 確かに、結果は結果だし、当人の存在証明の一端として真っ先に認められるべき重要事ではある。
 だがそれは「発現されたもの」それ自体にのみ向けられるもの。根本にある、発現した当人の人間性を認める意図はない。
 しかしそれをどう縦読みするのか、含まれる事のない意図を現象から妄想しのぼせ上がる人間がどれ程いる事か。
 何故この国の「権利」意識は当人をお山の大将にさせる以外の可能性を引き出さないのか。


「それはホントは良い事だと思うよ? 同じ考えの誰かが楽しめるんだし、新しい可能性の発端にもなるから。
 問題は、原作者を神に祀り上げて、自分が作り上げた世界観ならどうとでもできるとか思い込ませちゃう、
 この国の『創始者絶対主義』の体質にあんの。勿論始点開拓も大切かもしれないけど、
 肝心なのは“受け手”側がそこからどういう感想を得て、本来の意味で世界観を広げていけるか、発展させていけるか、なのに。」

 表現者=表象者とは、常に謙虚である事が前提とされる。でなければ、自己表現を最優先し奇を衒い果てたが故に自滅した、
 某有名アニメ映画監督の弟子さながらに、作品の世界観そのものを叩き潰してしまう。
 所謂芸能人(同じ表現者)が川原乞食と呼ばれていた時代と現代では、表象者の境遇に天地程の差が出ている。
 最早現在の芸能人らには、人に楽しんで貰うという一念の為に、死力を尽くして演技する、などという気概は欠片もあるまい。

 ならば、現代表象界が基本的に同人文化の潮流を既存の安寧を崩すものとして非難し排斥するのは当然至極。
 素人が自分のぶちまけたソースの海から新たに素材を拾い上げ表現する世界観に対抗し、それに勝るものを築き上げる能力がない為だ。
 「権利」という温室は、即ち表象者を去勢する。牙を抜き取る。
 例外はあるだろうが、収益や名声が高まれば途端に既得権への固執に転じる。人間とは凡そその程度のものだ。


「でさ、それを深めてくには、やっぱ横の繋がりが大事な訳だ。
 ヲタはつるみたがらない、とか、そういう思い込み結構あるけど、実はそうでもない。
 作品の品質、ひいては個人の人間性を鍛えるには、身の回りの人達、つまりは社会からの批判しかソースがないからね。
 叩かれずに受け入れられる為には、「社会が何を求めてるのか?」っていう概念というか、方向性を ―つまりはニーズってものを、
 確認できるようになる必要が出てくる。
 繰り返すけど、それに沿った方が、主張とか世界観がより現実味を帯びてくる…
 つまりは、自分も高まるし、結局は、収入増にも繋がるんだから。 例え同人作家っつっても、社会性とは無縁ではいられない訳だ。」

 重要なのは“驕らない事”、“初心を忘れない事”。それには、「満足」とは無縁でなくてはならない。
 常にその先を目指し続ける、格闘漫画やらの言う「修羅の道」と如何様な違いもない。
 即ち表象者・表現者とは、この世の生が尽きた後も、永久に孤独な存在なのだ(自分の生みの苦しみは、畢竟何者とも共有され得ない)。

 この子の父親そうじろうさんは、処女作が直木賞受賞という類稀な栄誉の持ち主だが、一方で現実世界での奇行が度々問題視されている。
 これは即ち、その満たされ得ぬ孤独の満足の為に及ぶ(少々変質的な)行為であった事がここで判明する。
 ―かといって、おじさんの奔放振りの全容を肯定する訳ではないが。


「だから、その為にも、身近な社会への『観察力』を養わなきゃなんない。
 ちゃんと社会と歩調を併せて、自己主張を謹んで、波風を立てないように、生のままを味わう。観察する。そういう姿勢が肝要な訳。
 これはさ、言ってみれば外の世界も同じだと思うんだ。社会の要求に沿って、自分を変えてかなきゃならない。
 社会に『生かして貰ってる』んなら、ね?  少なくとも、みんなと会えて、私はそう考えるようになった。

 もっと根本的に考えても、例えばヲタって呼ばれる人達はみんな、この日本社会っていうものの保守性、同族意識のお蔭で、
 アニメとかゲームっていう趣味娯楽を心行くまで楽しめて、独自のアイデンティティ築いてけるんだから。」

 ヲタが悪い訳ではない。悪いのは、現代社会の上辺から底流に至るまでに蔓延る「閉鎖性」だ。
 「こうあらねばならない」「こう動くべきだ」… 日本社会には高度経済成長期の、マニュアル人間養成法の名残が根強く残っている。
 ヲタが最も嫌うのは、そういう無個性化、非人間化の風潮なのだ。
 …高校時代、この子が声高に主張していた、自らが挑もうとしている現実への忌憚のない不満、批判の内容を髣髴させる。

 論調は同じ。異なるのは、その「受け止め方」、そして、「多角化した視点」 …
 つまりは、この子の中で、「社会」の価値の“逆転”が起こっている事だ。
 何の為に生きるのか、ひいては、生きる為には何が必要か。 その解の一つが、今のこの子には見え掛けている。



「だから。」


 立ち上がり、腰に手を当て伸び上がるこなた。 … 行動の方はどうにも老い成してるんだよな。
 当人の性格からしてまず有り得ないが、演劇等見世物に出演した場合、お婆ちゃん役辺りも容易にこなせるんじゃないか。
 人生の初歩の初歩で。 その年で。


「私としては、こういう“社会に順応する”っていう行動方針を『社会性の奴隷』だとか抜かしてる、

 作家にあるまじき自惚れ屋の馬鹿親父とは、早々に縁が切れるような、そういう方向目指してる。今のところ。」


 ― 成る程。 さっきから妙におじさんへの態度が刺々しいと思ったら、
 ここへきて、相当遅ればせながらに、この子の第二次反抗期が始まっていたという訳か。

 この子は全般的(=心身共)に、発達、発展の度合いが極めて遅い。
 通常なら、男親への反感などとっくに乗り越えている年齢だというのに。


「誰もが、誰かに支えられながら、やっとのことで生き抜いてる。…何というか、“実感”できたのはたった今なんだけど。」

 そのくせ、社会の上で(実利的には)役に立たない分野の認識だけ妙に大人びている、というか、達観している。
 …ああ、これも父親から受け継いだ、「ヲタ性」の一部か。 そう考えると全く重みが失せてくるが。


「それが『当たり前』なんだよ。『当たり前』で社会は構成されてる。

 何度だって繰り返すし、しかも使い古しの台詞だけど、人は一人じゃ生きて行けない。
 沢山の“誰か”と協力し合って… 言ってみれば、支えて貰う為に支えてあげて、漸く今日を生きてられる。平穏に。 ボランティアと同じ。

 奇麗事だとか言ってくれてもいいよ。奇麗事ってのは言ってみりゃ、“最終目標”だから。
 実例が乏しくなると、人は結局、吠え面かきながらそこに立ち返る… いや、“目指す”しかない。そういう「先にあるもの」。

 いずれにせよそこからあぶれた人間は、身を以って体得しなきゃならない。自分が、どうして生きてられるのか。どう生きるべきなのか。」


 所謂「理屈詰め」と言うやつか。言葉にしなくていい部分を、既存の言葉に無理矢理こじつけて置き換えている。
 しかし、若い内はそれ位でいいのかも知れない。

 何でも言葉にすればいいって訳じゃないけど、言葉にしないことで有耶無耶にされる事もある。

 ― 成る程、あの日本一うさんくさい新聞社のいう「言葉の力」ってのはこういう事か。

 自分の納得ばかりを相手方に要求するのは幼児以外の何者でもないが、こういう代替手法は外部に働きかけない分、平和的だ。
 自分の為にも、共同体の為にもなる。


「いい年こいてヲタ性ヲタ文化なんていう気休めにうつつ抜かしてる、あの馬鹿親父みたいな、ちょっと前の私みたいな、ね。

 「自由」を『放免』と結び付けてる人間。「誇り」を『見栄』とはき違えてる人間。
 「愛」を『ゴール』だ、『満足』だ、『合体』だ、とかと同列に並べてる人間。 …『変わらないこと』が「幸せ」だって思える人間。

 「規律」っていう安心を破りたがるそういう人種に、社会は、ときに手っ厳しいやり方で、文字通り『当たり前』を“叩き込む”。

 何より本人が、その先を“生き易い”ように。 …それが、本当の『優しさ』なんだ、社会の役目なんだって。

 これも、気付けたのはつい最近だよ。」


 そう、そうなんだよ。漸く判ったか。 あんたがそう言うのを待っていた。

 だから人間は、自分を“生かしてくれている”共同体に、その恩返しをしなきゃならない。 それが、人間が働く本当の理由、意味。

 現代は“権利”の時代だから、そういう“義務”の類は二の次に置かれがちだ。
 でも、“義務”を果たす人間がいなくなれば、途端に共同体、ひいては構成する個人を破滅に追い遣る。

 あんたの認識通り、誰も一人じゃ生きてけないんだからね。

 そう考えれば、無駄な仕事をしている人間なんか一人としていない。同じように、無駄な人間、なんていうのも。

 ―可能性は、誰もが秘めている。


 現に、あんたは、こうやって、現実逃避から目覚め出してるんだから。



「ん、そこ。まさに私が悩んでるのは。

 社会性は、敵か味方か、そんなに単純に二分出来るような概念じゃない。というか、概念ですらない。」


 気が付いたら、言葉の方が先に出ていた。 流れに関連して、今度は私のターン。


「結局弁護士って立場上、明らかに罪を負っている人間も要請があれば弁護しなきゃならない。

 商売だから、ね。仕事を選べる立場にはない。

 自分の生活の為に、只管嘘だとはっきり判る供述を被告に代わって垂れ続ける。

 それで救われる人間、救える人間、って、どういう人種よ。」


 なんか愚痴っぽくなってしまったか。言葉を詰まらすと、しかしこなたは先を促す。通じているのかいないのか、微妙な表情ではあるが。


「逆に検察は、揚げ足取りとか冷酷とか悪いイメージばっか先行するけど、それは実質社会の生命線、『法』に徹してものを言っているだけ。

 罪を明確にして、不当に打ちひしがれた人々を助ける。 それこそ、『人を護る』仕事だと思わない?」


 こんなこと、司法に携わる人間には口が裂けても言えない。かといって、関わらない人間に言ったって何の意味もない。
 自分の中で処理するしかない、例えるなら、幼児の抱く「周囲に誰もいない不安」みたいなもの。

 だけど、こなたはうんうん頷いている。 「話してもいい」という空気を、引き続き発していてくれる。

 …なんだよ私、この子を励まそうとして、逆にこの上甘えようとしてる。


「第一、今の日本って“個”の尊重意識やらが先行して、罪人が護られ過ぎてんのよ。

 だから犯罪が軽いものになって、手口がどんどんエスカレートしてく。きっとバレない、って意識が蔓延ってく。

 法って、勉強すればする程、この国に、共同体として生活してる人間に、なくてはならないものだって事がはっきり分かってくる。

 やっとメディアの影響から逃れられたみたい。」


 結局、メディアってのもスポンサーありきだもんな。 判官贔屓になるのも当然か。
 しかし問題は、公共の電波での放送故に、「それが真実だ」と思い込んでしまう人間の多いことだ。
 矢張り、知らずに得られる幸福は「幸運」でしかない。地に足が着かず、大概長続きしない。
 “知る”ことでしか分かり合えない、か。結構、人間ってのは厄介だな。


 対するこなたは、片眉を吊り上げつつ暫し唸った後、ふ、と鼻から息を吹き出し、小オメガを際立てる。

 ― お約束通り、からかわれるのか。


「成る程。順調にSっ気が表出てきたという訳だね。」

「はぁっ、やっぱりそう来るか。」

「やや、真面目な話。不当に虐げられてるのは冤罪着せられる方も同じだろうし。
 …法曹界がどんなもんか知らない、メディアの印象操作に直に化かされてる側は、率直そう思んだけど。」

 必死に言葉を選びながら、それでもこの子らしく、感じたままを、弁えたままを、遠慮も虚飾もなしにストレートに表象する。
 成る程、振り返って見れば、現代作家の子だ。

 今まで散々馬鹿にしてきた日本の表象界だが、この子のお父さんの作品はどうだろうか。少し読んでみる気になった。


「でも、実際にその入り口に立ってる、未来の法曹三者候補生かがみの経験からそういう結論が出るんなら、
 進路とか、そっちに向き換えても良いかも知れない。ほら、いずれにせよ『人を守る』仕事ってことには変わりない訳でしょ?」

 そう考えて、本当に良いのだろうか。確かに判例を比率的に整理すると … やめた。堂々巡りだ。

 よく考えたら、「裁判」そのものも、何ということはない、「あれかこれか」の理論に基く仲介行 …
 “社会性”を維持する為の一手段に過ぎないのだから。


「即ち、思ったように、か。 あんたの言うよう、“自分以外にはどうにもならない事”ね。」

「Yeah. お判りかな? これが“知る”って事。 アリストテレスは偉大だねぇ。」


 実践哲学とくればソクラテスじゃないのか。あ、その孫弟子だから影響はあって当然か。中々勉強してんじゃないの。
 ―まあいい、私は哲学科じゃないしな。

 発言内容から察するに、この子は未だに文学部が目標らしい。無論、学校が18の頃の志望と同じかどうかは分からないが。
 父親の後を継ぐか、それとも企業のデスクか。 いずれにせよ、この調子なら、将来性はすぐにでも開きだす筈。




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