Wonderwall(1)

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(管理人注:こちらの作品には、作者さんからの注書きがございます。
 詳しくは-こちらをご覧ください。)


「Wonderwall」




『あぁあぁそうだろうよ! お姉ちゃんは何でも知ってるしね。私の事くらい。
 なにしろ四六時中一緒に居てくれたし、人前に限って世話好きなふりして、しっかり出汁にもしてくれてたもんね!』



 つかさと喧嘩した。



 切欠は惨めなまでに些細な話。

 今通っている専門学校、即ち看護士への道を捨てて、バイト先のフランス料理店に就職しようか等という、
 あの子の何気ない発言だった。

 どこにでもあるような、学生相応の悩み、それに基く、可能性の発案。 「只それだけの」事だったのに。
 居合わせた人間(約一名)が悪かった。

 受験時の当人の労苦を隣で見続けてきた事もあるが、何より中途半端が大嫌いな私は、
 家計の窮乏を一向に省みないつかさの無神経な発言が癇に障り、端から啖呵を切ってしまう。

 しかし、家計の管理者であり本来最も腹を立てるべき立場にある筈のお父さんもお母さんも、
 慎重になれだの、本人の身の処し方自体は心配しこそすれ、それ以外には際立った反応を示さない。
 また、実際に社会の現場を知っているいのり姉さんは「やってみれば?」等と後押しすらしかねない雰囲気だし、
 大学院に進学したまつり姉さんも「そういう道もありかな。」等と囃し立てる始末。

 本人の将来設計の自由を尊重したんだろうが、その余りに手応えのない、むしろ迎合的な態度に、
 末妹の事などどうでもいい、というような大概な雰囲気が感じ取れ、そこに「一人で熱くなっていた」浮きっぷりから
 後に引けなくなった現実も加わり、(成り行きから)私は更に論調に火を注ぐ事になる。

 しまいにはつかさ本人もいわゆる“キレた”状態となり、互いにそれまで鬱積していた姉妹間の蟠りを吐き散らすように捲くし立て合い、
 結局、お茶の間で始まったつかさの進路相談は、全く収集の付かない事態となってしまった。

 そして、つかさの大泣きによって合戦がひと段落した隙に、居間に漂う自らが作り出した重苦しく冷厳な空気から逃げ出すよう、
 私は手を付けていた夕食から離れ、捨て台詞を残し、こんな処まで夜道を出てきてしまった、という訳だ。

 子供っぽい、如何にも餓鬼じみた経緯だが、この程度が現在の私、W田大学法学部2階生、柊かがみの実力だ。
 認めるしかない。認めざるを得ない。
 自らが発した空気を絶ってしまった以上、今は限界まで恥じ入り、後悔し尽くすだけだ。
 他の権利など、何一つない。少なくとも、「恥」の概念を学び得ている者には。


 一部の人 ―特に、映像より書籍の好きな方には勘違いされているようだが、私は特につかさを気に掛けている訳ではない。
 年齢を同じとする姉妹だという親近の情はある。
 しかし凡その処、身内としての義務 ―僅かながらとはいえ、年長者の責任というものを果たしていただけだ。
 (文句があるなら原作者として今や神の座に祀り上げられている某氏に直接言ってくれ。私は知らん)

 幼少時から自分の双子の妹とは思えない程に、臆病で、流され易く、決断力のない存在だったこともあり、
 気付いた時には、私はどんな過程に於いても常にあの子の一歩手前に立ち、先導するような役回りを演じていた。

 しかし、あくまで「演じていた」だけ。先刻の彼女の言葉通り、その実、妹を出汁にしていたのだ。
 …自分の“しっかりもの”性を世にばら撒く為の実演台として。 人間性の部分ではどんなに頼りない姉貴だったことやら。
 加えてその度合いが、一人暮らしを始めて自主性を身に付けだした本人にとっては、どうにも過密に ―
 より正確に言えば、“うざったく”感じられた。 発端に基く、「只それだけの」結果だ。何も大仰な事ではない。


 いや、むしろ。 そう考えれば、恐らく私の方が、高校時代の感覚のまま彼女に接していた事が原因だったということか。

 私が彼女の生きる意味、楽しさを身体で覚える機会を、「大事な妹」という思い=自分の保護欲の為に、奪ってしまっていたのだ。
 まずその後の人生にまで思慮を巡らせていれば、こうした行為が本人にとってどれだけマイナスに働くか少しでも早く気付けただろうに。


『お蔭で見てよ!私の方は何も出来ないまんま。
 学校の課題も、演習も、クラブとの両立も、新しい住民票も処理できない、ただの頭の軽いバカ女になれちゃったよ!

 どこぞの弁護士志望の御方とは違ってね!』


 八つ当たりなのは冷静になれた今でも ―もとい、だからこそよりよく― 判る。 それは止むを得まい。
 脳の回転の勢いに身を委ね引くに引けなくなってしまった。私にもよくあった事だし、今さっきもその向かいで体現していた。

 そしてお約束通り、最も肝心な、自分が何を言ったかをすっかり忘れている。
 幼い頃、苛められたときの記憶は鮮明に残るけど、苛めたときの記憶は都合よく忘れてるのと同じ。

 理由は簡単。自分の言ってる事に責任を感じないからだ。
 その更なる理由としては、自分の発言に自信がない場合と、逆に、(身勝手な)自信に満ち充ちている場合とが考えられる。
 大学の心理学概説の授業でそう習ったが、私にはどう考えても後者の立場が当てはまる。


 親戚からの進学祝とバイトの稼ぎから私も昨年ノートパソコンを一台購入しているが、
 一人暮らしの慰めに繋げたインターネットの(恐らく)深層で目にした惨状に、人間社会の不健康さを具体的に思い知らされた。
 トラウマから当初は暫くパソコン自体にも触れられなくなっていたが、有りあまる余暇時間に手持ち無沙汰になった際、
 暇潰しの名目でちょくちょく動画ブログにアクセスするのがいつの間にやら癖になっており、お蔭で今ではすっかり慣れてしまった。
 所謂「嘘を嘘と見抜ける=端から何も信用しない」人間性が構築or発現、伸張された訳だ。根拠など欠片もない。
 ただ自分が生きている事だけを理由に、発言する権利ばかりを振り翳しては好き放題。末期のナルシストだ。

 キーボードで打ち込まれた文字に重みを感じなくなったのは、その辺りからだろうか。何しろ言葉というものが、只の記号になっている。
 例え印刷されたとて、それは紙代と、単語を構成する文字の印刷に使われたインク代以外の、どんな価値も含んでいない。
 つまり、何でも言える奔放な環境が、自分の中の(そして恐らくこの国、否、世界全体の)言葉の価値を著しく低下させているのだ。
 何を言ったって許される。その単語郡を意味に繋げて読み取り、傷ついた人、憤る人、自殺する人、憂さ晴らしに他人を殺す人、
 全てを「自己責任」の名の下に嘲笑し、否定し、蔑み、貶め、自分達だけの新たな共同体を守り抜く。

 人間の意固地な部位だけを煮詰めて煮詰めて2週間程放置し路上に叩き付けたような、
 醜悪さ以外の何も感じられない、本音の領域の実態。
 極限の素直さは逆の極端に通じる。即ち矢張り、ヒンドゥィズムの奥儀の示すよう万事は∞字なのか。

 そして成る程、そこを生活拠点としている人間の素性が曲がらない筈がない。
 あの整った馬鹿毛を振り振り歩くチビのニーチェが、史上の当人とは大きく異なり、度を越えて斜に構えがちな精神構造だったのも頷ける。


 そう、こなた。


 陵桜学園高等部卒業後、私達は皆が皆、それぞれ違う道を歩む事となった。

 みゆきは医学の道を志しK大医学部へ進学、つかさは暫く進路に迷った挙句、みゆきのそれと同系列の看護専門学校へ。
 みゆきはともかく、つかさは高2初頭から続けていた一日5ぺージ学習が功を奏したらしい。
 そして私は先述の法学部へ。何の因果か全員が都内私立校を合格している。
 …勿論、否、予想通り、の方が響きが良いか(私達にとっては逆だが)。一人を除いて。

 公立を落とした私は、バイトと毎年の奨学金獲得を条件に、受験科目が得意分野に絞られている私大の受験許可を両親に貰い、合格。
 この時以降の負担は、一生掛けて返してゆこうと思っている。

 みゆきは高2辺りに読んだ成育医療関連の論文―詳細は難解極まりなく、
 説明を受けていたこっちの頭には一片の単語も残らなかったが― に惹かれ、その権威が教授を務めているK大を志したという。

 つかさの場合、迷いを断ち切った直接の切欠は、あの最後の学園祭の直後に起こした、ちょっとした事故だった。

 その日私は図書館に缶詰していた為居合わせていなかったのだが、学校から駅までの帰路のもと、不意に飛び出した車と接触し、
 ボンネットを跳ね上がり、ルーフを一直線に転がり落ちたのだという。
 車はそのまま走り過ぎていったから、所謂轢き逃げという奴だ。加害者の罪過は自白した場合とでは比較にならない。
 ―最も、裁判となったら私が(精神的に)生かしておく筈はないけど。

 幸い尻餅をつく形で落下した為、症状的には軽い打撲程度で済んだのだが、
 その際の看護士の、陰日向のない対応に憧れ(恐らく新人だったんだろう)、それまでの進路候補の一であった同道を志したとか。
 救急車の手配は勿論、病院で診察や警察の事情聴取を受けている間長々とつかさに付き添い、
 果ては家の方向は逆なのにタクシー代を工面してわざわざ送り届けまでしてくれた、みゆきの影響もあっただろうけどね。


 そして。


 こなたは、実質2浪する事となった。


 最初は私と同じ、W大文学部を志していた様子だったが、無論たった半年の努力などたかが知れている。
 陵桜にもPS2等という不純な動機からたまたま合格できた程度の意識だったようだが、
 ここへ来てついに現実に足を引っかけられたらしい。 受験を舐めるなとあれほど言ったのに。

 その後、一旦はバイト先のコスプレ喫茶への就職が決まり、そっちの方面ではそれなりに名を上げたらしい。
 が、何とも因果な話、それから僅か半年かそこらで職場が経営破綻。
 嵩んでいた負債の取立てに柄の悪い連中に押しかけられ、従業員は文字通りクモの子を散らす状態だったらしい。
 スポンサーにもなし崩し的に見限られ、結局閉店に追い込まれたとか。

 以降就職先を求め職安通いを続けたが、なにぶん時代が余りに変わってしまった。
 性根っからのひねくれ者で、そのくせ高卒の頭の軽い(加えて身なりも貧相な)小娘を積極的に雇おう等という
 奇特な企業は殆ど見当たらず、その年の11月頃から一念発起、受験戦争に復帰した。

 …ものの、一端就職という流れの上で失われた身体性はそう容易に取り返せるものではなく、
 再びスベり、失意のまま(あの子のことと言っても、今回ばかりはそれなりに堪えたらしい)現在に至る。


 全く、それまでの人生の悪運のツケを一挙に払わされているようで、気の毒にすらなってくる経緯だが、
 自業自得、というのが現実的な判定か。 ― 矢張り、神様はちゃんと見ている訳だ。各々の中で。

 あの子の頭上のLuckyStarも、漸く正常な、人に相応しい方向を指し示しだしたらしい。
 先述の某氏は現実化され得ない自分の理想像を、それに対して平然と過ぎ去る時の無常さと、両者の齟齬のもとに生じる鬱憤を滲ませた
 皮肉と共に、それらの根源を成す自らの独占欲を交えて漫画というカンバスに描き出していたというだけ。
 万事を“なんとなく”で済ませられる、人生そのものを悪運に庇護されたような人間は存在しないのだ。
 “自我”と“他”の織り成す「縁起」がこの世の根本にある限り。


 とくれば、現実に立ち戻り、今成すべきを成すのが、その定理のもとに生身の人間が構成する「社会」の一員(志望者)というもの。

 本人も、“良い経験だ”等と自分の現状を受け入れ出せてはいるらしいし。
 今はだ、人の心配より先に、自分の身の処し方を考えるべきかな。 切羽詰り方の次元が違う、とはいえ。大切なのは明日なのだから。


 …

 さし当たって、どうするか。

 夕食は途中で放り出してきたから、後で戻ってからちゃんと片付けよう。家族としての義務だ。時間帯の関係もあって太りはするだろうが。

 かといってあれだけ騒いだ手前、時間を空けない訳にはいくまい。でもちょっと空腹感はある。
 …その流れで買って食べたりしたら、間違いなく 風呂場の前で新たな惨劇と向き合う事になる。 ―何か飲んで繋げるか。



 ――


 今では最早珍しくなった、自販機の設えられた公園。 暇つぶしによく仲間と屯してたもんだ。
 といっても、いつもの四人組の誰かという事に大体変わりはなかったがね。

 9月上旬の爽やかな夜気が、若干の気だるさ孕んだ湿気を伴い辺りを覆う。
 自販機の隣に広がる芝生や、手入の込んだ植え込みでは、気の早い虫たちが一斉に求愛の鳴き声を上げている。
 どれが何の声かはさっぱり分からない。幼い頃飼った経験がある為か、鈴虫は辛うじて判別できるが。

 午後の紅茶ロイヤルミルクティのボタンを押しつつ、懐かしの風景を見渡す。
 丁度背後にはヤマボウシの枝が頭上に伸びる、脇に電灯を構えたベンチ。キメの細かい芝は、夜だというのにその緑色を明々と主張する。

 何もかもがあの頃のままだ。

 当時の私の所定位置に腰掛け、去りし日々に再び思いを寄せる。



 一年とちょっとで身辺の事情は大きく動いた。
 つかさは念入りな化粧を始め、みゆきは何かの例を出すとき、哲学や倫理学の定理を用いた、
 所謂カントかベンサム的な“大きな視点での対比”を癖にしている。(お蔭でお得意の豆知識講義が以前より分かり辛くなった感はあるが)
 そして、笑顔の固くなった、こなた。

 逐一が変化するのが万世万物の理といっても、矢張り人は安定を望む性質の動物らしい。
 過ぎ去った時に対しては、いつだってもの惜しさを感じる。
 誰かさんのように、常に新しい刺激を求めている場合でも、自分の生きる権利や個性にかけては一切譲ることはない。
 万人が普段気づかないから「真理」とかいう大仰な名を冠されるのか。


 そういえば、あの子の行動には特に物惜しみする気質があちこちに見られたが、
 その起点となる「入手」の段階に於いてはいよいよ常軌を逸した凄みを感じたものだ。

 あの子は当然のごとく、欲するものを要求する。
 アニメやゲームやらを現実以上に重視する、今やこの国の社会現象とも成り果てている「ヲタ」という人種と寸分違わずに。
 ―コレクションや限定グッズに、その入手時の苦労からより一層の価値を感じ、結果手放せなくなる、という
 人間の普遍的な心理が際立って働いているかは定かではないだが。
 それが己にできる唯一の生き方であり、暗中模索の未来における新たな希望への道標であると、あの子は暫し誇らしげに語っていた。

 アンチリアリズムというか。
 まさに私が理想とする生き方の相反を、あたかも不変の道理の如く自信満々に提示する、小さな竜胆。
 正直な所、傍から見ていて一挙手一投足に冷や冷やさせられっ放しだったものだが、
 一方で、こうした理屈抜きの感性に基いた行動を、人間の本来あるべき姿とでも言うように平然と取れるようなその判断基準に、
 羨ましさというか、一種の清々しさを覚えていた部分も確かにあった。


 だからこそ、あの子から目が離せなかったのだ。


 極端な話、あれは性別を超えた“慕情”に近い感情だったのかも知れない。 …疎遠となった今だから言える事だが。

 私自身、本格的な恋愛など未経験だし、
 共同体の秩序を乱す元凶でしかない、さりとて別の商品価値も見出せない、頭の3/4が下半身にまつわる妄想で埋め尽くされている
 現在の男(比較級的に言えば、縄紋人等より余っ程お盛んなのではないか)風情に惹かれる事は、例外でもない限り難しいと思う。

 異性愛こそ神の定めた正道、凸と凹は一体になるが道理等といった男性性を擁護&裏付ける世界的な理論をよそに、
 自分自身にとっての「誰かと出会い、共に日々を送ることで“感動”を得られた初めての人物」として、
 あの子は確かに、私の脳内に碑を刻んでいる。


 あの子が喜ぶと、気分が良い。 あの子がうなだれると、こっちまで落ち込む。
 いつの間にやら、一片の興味から始まった文化人類学的観測は、主客相互の予想を遥かに上回る段階にまで進展していたらしい。


 無論、私の中でのみの話だが。



 “安定した社会”をその突拍子もない行動の大前提としている本人が、
 いい年をしてまで同性とベタベタしているような、そんな非合理を望むまい。

 あの子の望みが、即ち私の行動に何らかの影響を与えているのなら、それに従うまでだ。 情けは人の為ならず、か。


 …


 ― やれやれ。 “情け”か。


 何かというと、すぐに思考があの子の元へと向かってしまう。 ストレスがほぐれでもするのだろうか。

 結局、気軽に会う機会を持てなくなった今でも鬱憤の捌け口として利用しているだけ。 身勝手な友情もあったもんだ。




“ガショッ”



 自販機のドリンクが取り出し口に落ちる音だろう、手前で響いた生活音に現実に引き戻される。

 この時間帯に、公園に人が来るとは。 気ままな一人者か、家庭のつまはじき者か。 ―いや、現時点の私も同じ穴の狢だろうが。

 膝を屈めると、後ろ髪が砂を掬うような格好になった。 おや、随分髪の長い人だ。にしては不相応な程背丈が… !



――



「… こな、た。」



 先述の、“縁起”。 しかし本当に、どこで、どのタイミングで巡ってくるのか判らない。

 1ヵ月前、あれ以来私達の間では年中行事となった、先生 ―今となっては「恩師」か― や近親者を巻き込んでの
 海水浴への参加を一人拒み (ゆたかちゃんやゆいさんはそのお蔭で常時寂しげだった)

 今年私が帰郷してからというもの、一度も顔を合わせる事のなかった

 それでいて、今しがたまで私の前頭葉に居座っていた、再会を心待ちにしていた無二の親友。が。


 個人の欲求と直結した超理論技術に基く物質転送装置にでも掛けられたかの如く、 何とまぁ、まさに今、私の目の前に居るではないか。



 しかし、そんな感慨とは無縁の処で、私は絶望に程近い驚きに身を打たれていた。




 全く、気付けなかった。


 何しろ、今年の春に顔を合わせ、半端な笑みと共に、先述の、卒業後のあの子の波乱万丈な経緯を、
 改めて本人の口から直接聞いたばかりだし、あれだけ親密だったのだ。

 引きずるような長髪を彩る竜胆色は勿論の事、この子の抱き、捉え、発する空気の色を一刻たりとも忘れる筈がない。
 今でもきっちりと身体性に刷り込まれており、目にした際の反応は恐らく誰よりも過敏、の筈なのに。


 雰囲気が、余りに違う。

 若干こけた頬に、下瞼に深々と刻み込まれた隈。 瞳のぎらつきはかつての様だが、何分、生気が全く感じられない。


 例えるなら、換気の悪い個室に年中入り浸りのネカフェ難民を同ビル同階のトイレで見かけた時のような、
 悔しいが、嫌悪の念の方が先に出てくる類の、社会人(志望者)とは余りに異質のそれ。

 発する空気も、車の排ガスさながらに澱み切っている。

 そして、余りに様にならない咥え煙草に、人間の否定性そのものを現出するような、歪み崩れた表情。


 人は、4ヶ月でここまで変われるものなのか。 変わってしまう、ものなのか。



「よ。」

 ゼンマイ仕掛けの人形さながらに、緩慢な動作で掌をこちらに返す。

「見つかっちゃったよ。 予備校の合宿あったんだけどね。バックレて、ゲーセン寄ってたとこ。」

 これ見よがしという程の露骨なアピールに、しかし私は反応できずにいた。
 何しろ、突っ込む前の時点で ―即ちは外見の有様だけで既にそれを拒否されている手前、次の行動に目星が着かない。

「お蔭様で、勉強には『精』が出てます。フヒヒw どいつもこいつも、脇目も振らずに、せかせかもぞもぞ。
 あれ、一緒にいる人間に不快感しか与えないよね。
 最近資料集で読んだのはナチの政策やらだけど、現代日本も大して変わらんと見た。実質、影の支配政t… おっと誰かが来たようだw」

 目を閉じ耳を塞ぎ、身体だけは現実にほっぽり出されている ―現代風に言うなら“ニート上がり”相応の態度。
 立て板に水どころか、今のこの子には飛沫すらかかるまい。 現実との距離が、以前とは比べ物にならない程広がっている。


 ― Is this the real life ? ―



  不意に、耳元に響く、鈴虫の声。 云重奏の中でも際立つのは、唯一、主の判別の効く音だからだろうか。 途端に、意識が覚醒する。

 目の前には、生意気にも両眉を上げ、怪訝そうにこちらを伺う、変わり果てた親友。



― しかし、何だか。 一方では。



「あれ? 突っ込み、来ないね?」


 それも現実か。この子相応か。 ―そんな思いが声となって内耳に反響してもいる。



 この子の言葉にすぐさま甘い歯応えを覚え、身体の芯をくすぐる懐かしさを感じているのも、確かな事実。

 人は変化するもの。そして、第二者的には変化しないもの。


 … これが、地に足を付けての、“素での付き合い”の醍醐味、って奴か。



「人間の幅は経験に準拠する ―あんたのは未だに、あの頃のまんまのようだけど。」

 やっと出てきた言葉には、方向性の伴わない憎しみすら滲んでいた。

 … 何を苛立って、否、焦っているのやら。



「冒頭から随分失礼な言い草だな。 …かといって、こっちも否定できるような立場にないけど。」


 自嘲気味、という表現がこれ程までにしっくりくる表情を、今だかつて私は見たことがない。
 ―だというのに、しっかりおどけた仕草も忘れない辺り。 如何にも、この子らしい。


 口に引っ掛けた煙草の吸殻を胸から取り出した携帯灰皿にしまい、私の隣 ―これもかつてのこの子の“所定位置”― に腰掛ける。
 冷静に考えたら、こいつ今のご時世歩き煙草してる。 ま、時間帯が時間帯だしな。
 はしっこいこの子の事だ、人前でわざわざそんなリスクの伴う行動は取るまい。
 その証拠に、こうしていつでも吸殻処理に備えている。 昔から、人前でのマナーだけはちゃんと弁えてるんだよな。

 そのくせ大人買いやら、「観賞用・保存用・布教用」やら、根本的な部分での見落としが目立ったが。

 …お、よく見ると、この子も午後の紅茶だ。レモンティーだけど。 私は甘い方が好きなもんで。
 タブを立て、んぐ、んぐ、ぷはーっ。 何だその風呂上りのおっさん的(リ)アクションは。



「そっか。忙しそうだね。」

「それなりに。一月前はレポートやら試験やらで流石に首が回らなかったけど、
 クラブには入ってないし、向こうでのバイトも2週間でお休み貰ったから、こうやって、実家でゆっくりしてる、って訳。
 去年のコネもあって、ちゃんと仕事はこっちにも来てるけどね。別の社からだけど。」

「成る程、生活費の捻出という訳ですか。奨学金とか貰ってんでしょ?」

「なけりゃやってけないわよ。 …ま、否定はすまい。いい加減テレビを地デジ対応のに切り替えないと。」

「おやおや、そんな古いの持ってったんだ。えっと、居間にあった奴じゃないよね?」

「ヤマダの一部屋パックとかいうので丸々買ったのよ。限界まで切り詰めて。あんなでかいの一人暮らしには邪魔でしょうがない。
 でも、バイトするようになって余裕出てきたら、だんだんみじめったらしくなってきて。」

「分かる分かる。“一億総臣民化”の波には乗っとかないとね。何しろ『乗れないクズは人間じゃない、故に切り捨て』、だもんね。」


 にやっ。


 互いに、漸く表情が崩れる。


 こういう、笑いのツボとかの一致となると、無条件に、心の底から嬉しくなるもんだ。

 自分と似通った感性の仲間。所謂、話の合うヤツ。
 立場やら雰囲気やらが変わったとはいえ、未だに、確と息づいている、私との繋がり。共通項。
 人の変化にも、順序のパターンなんかがあるのだろうか。

 そういえばこの子は、週一回メールを欠かさず送ってきていた。
 時折、電話で声を聞きたくなる時もあったが、その度、“漸くやる気になったあの子の勉強 ―将来模索― の邪魔をしてはいけない”
 …等という意識が先行し、今年になってからは、休日以外に声を聞いた事はない。


 人間、手前の雑事に捕われると、存外大切なものを見失うもんだ。高等教育過程2年目の、現在の私がまさにその通り。
 大学生活では友達付き合いもゼミもそれなりにこなし、寂しさより倦怠感の方が先に来る此の頃だった為か、連絡を怠っていた部分がある。

 この子が意中にない時期があったなんて、色んな意味で随分と時間を無駄にしていた気がする。
 何しろ、この子は人を飽きさせる事を知らない。自分と仲間、双方の立場をさりげなく両立させるっていうのは、中々出来る事じゃない。
 恐らくこれは、この子の才能だろう。 昔から、特にこういう処は真似できる自信がない。
 ―というか私自身、元来この子の真似が勤まるような器用さは持ち合わせてないが。

 翡翠色 ―とでも言うのか。 エメラルド程清澄ではない、さりとて輝かない訳でもない、どこか控えめな深緑の瞳は、
 いつ、どこに向けられるのか、全く予測が付かない。



「綺麗だね、それ。」


 ほらね、今だってそうだ。 早速、感傷に浸る私の耳朶に、深い碧色の光を見つけたらしい。
 …そういやバイトから帰って取るの忘れてた。

 あ゙、ってことは、これしたまま喧嘩したって事か。 贈り主の真ん前で… やっちまったな。 女は黙って、平謝り。


「確か去年に …あっ、春に会ったときにもしてたと思うんだけど。
 宝石には詳しくないからなー、えぇっと… アズライト?アクら…ア、マリン?」

「… サファイア。姉さんが入学祝にってくれた。私、昔からこの透明感が好きだったから。
 付けてんのは、今日のバイトが受付業務だったから。ほら、派遣の。」


 給料日には受け取った額の1/3余りを柊家の家計に回している、それなりに羽振りの良い、いのり姉さん。
 …経済的にも自立してるって事のアピールか。
 去年のW大入学式の後、「安物だけど記念に」、と小さなジュエリーケースを手渡してくれた。
 その「おずおず」という擬音を伴ったような仕草が、年齢不相応というか、らしくない茶目っ気と、
 中から出てきたこれ(が齎す嬉しさ)との対比も相俟って、今でも深く印象に残っている。


「おおっ、Heaven's Stone! いいなぁ、そういう気の利く身内がいて。うちなんかさぁ… って。」

 掌を上に向け、また何やら卑下するような空気を放つ、かと思いきや、露骨に肩を落として。


「―そうか。結果出してない方が悪いんだもんね。」

 吐く息と共に、力なく呟く。


 就職先の閉店が決まった頃に聞いた、店長や従業員らに向けられた愚痴(というか悪態)等からは窺い知れなかったが、
 矢張り、恐らく人生初の大きな挫折から受けたものは、本人の想定以上に、相当深刻に心の外殻を傷付けていたようだ。


 親友の好だ。何か励ましでも― 等と言葉を選んでいた矢先。



「似合ってる。流石はかがみ。 もう社会進出なんか楽勝だろうね?」


 向こうから、とびっきりの言葉の繋げ方をしてくれた。 …どういうセンスで出来てんだ、この子の感性は。



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コメント:
  • オアシスファン? -- 名無しさん (2008-12-27 21:55:58)

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