彼方へと続く未来 最終章 (後編)

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 女の子が、泣いていた。見覚えのある神社の境内で。

 ――うっ……ひっく……。
 ――あらあら、どうしたの。泥だらけじゃない。

 舞い散る桜。傷だらけのTシャツ。そして、お母さんの声。

 ――近所の……男の子たちがね、かべに……ラクガキしてたから、
やめさせようとしたら……ぐすっ。

 そうだ、この子は小さかった頃の私だ。おまけに、帰りぎわに大雨まで降ってきて、
散々な目にあったんだっけ。当然、男の子たちには勝ったんだけど。

 ――そうだったの。頑張ったわね、かがみ。
 ――うん……わたし、がんばったよ。でも、かみのけが……。

 乱れてたのよね。滅茶苦茶に引っ張られた上に大雨だもの。当然の結果ね。

 ――わたし、ちゃんとやめさせたんだよ? だけど、こわくて、さみしくて……ひっく。
 ――ほら、もう泣かないの。お母さんが、とっておきのおまじない、かけてあげるから。
 ――おま……じない?

 そう言うとお母さんは、私の髪の毛に手を伸ばすと、襟足を中心に二つに
分けて、手持ちのリボンでとめてくれた。恥ずかしい様な、くすぐったい様な感覚。

 ――はい、可愛いウサギさんの完成ね。
 ――わぁっ。ありがとう、おかあさん!
 ――うふふ。どういたしまして。
 ――ねぇ、きょうもまた、お話してくれる? 月にすんでいたウサギさんの話。
 ――ええ、いいわよ。むかしむかし、宇宙のかなたに……。

 ……それは、遠い日の記憶。いつか見た、幻想への入り口―― 


       『彼方へと続く未来』 最終章 (後編)


 夜の静けさの中に、赤い球体……改めぎょぴちゃんの
飛び跳ねる音が、波紋となって水面に広がっていく。
 ――ここは、家の庭先。暗闇が支配する、小さな池のほとりで、
私はお母さんと一緒にぎょぴちゃんに餌をあげていた。

「つかさは、もう寝ちゃったみたいね」
「そうなのよ。さっき様子を見に行った時も、『春眠暁が~』って言って、それっきり」
「はぁ~、つかさらしいわね。それじゃあ、一人暮らしなんて夢のまた夢ね」

 水面が、再び振動して……ぎょぴちゃんが、さっきよりも強く飛び跳ねた。

 ――つかさと私は、来月から新しい土地で一人暮らしを始める。
 それは、こなたから進路の話を聞くよりも前に、既に決まっていたことだった。

 最初は、心配だった。つかさは、調理師を目指す為に、県内にある
専門学校に行くことになっていた。誰も知り合いがいない土地で、
つかさがちゃんと一人で暮らしていけるのか。大きな不安。

(……ううん、つかさは、きっと一人でも大丈夫。でも――)

 なのに、都内の大学に通うために、去年から独立を決めていた私の方が、
ずっと不安に支配され続けていた。寂しがりやで、誰かと一緒にいなければ
押し潰されてしまうのに。それでも、誰かの温もりを求めてしまう。

 大切な家族、笑いあえる友達……そして、こなたの温もりを。

(最後まで変わらないな、私も)目をこすりながら、しばらく考えていると、

「どうしたの、かがみ。どこか痛い所でもあるの?」
 優しい声。横を向くと、そこにはお母さんがいた。
 どうやら、いつもの悪い癖が出てしまったらしい。

「ううん、大丈夫。何でもない」
「そう? でも、何か困ったことがあったら言ってね。
 お母さんは、そうする事が出来なかったけれど、かがみなら、きっと――」
「えっ……一体どういうことなの、お母さん?」

 頭に引っかかっていた言葉を、声に出して聞き直す。
 感じていた疑問の答えが、目の前にあったような気がしたから。

「――お母さんにもね。昔、とても大切に想っていた女の子がいたの」
「大切な……女の子?」
「そう。なのに私は、結局想いを告げることが出来なかったわ」
「……!」
 鼓動が強くなった。お母さんに、そんな過去があったなんて。

「だけど、別れの日にね。私はその子から絵を貰ったの」
「……」
「とっても嬉しかったわ。けれど、お母さんは泣いてばかりで……」
 最後まで、片思いだったのよね。と言って、お母さんが俯く。

「そうだったんだ……でも、貰った絵はどうしたの?」
「――もう、手元には無いわ。お母さんは結局、過去に縛られているだけで、
 何も出来なかったのよ」

 お母さんが、濡れた瞳を人差し指で払った。指から弾き出された滴が、
水面に落ちて小さな波紋を作り、さらにそれを、赤い波が覆い隠していった。

「ごめんね、かがみ。お母さんは――」
「……そんなこと、ないよ」
 遮った私の声。否定でも、反発でもなく。肯定の意味で。

「だって、言ってくれたじゃない。『お母さんは、いつでもかがみの味方よ』って。
 それって、過去の私も、お母さん自身の過去も、縛らずに全部支えて
 くれていたってことでしょ」

 春を告げる草の匂いが、私たちの周りを覆った。
 足下の赤い波は、私とお母さんが映りこむ水面を囲い込む様にして、
一層激しく飛び跳ねている。

「だから、聞いて欲しいの。今日のお昼にあったこと。
 みゆきの家で、私とこなたに起こった出来事を」

 私は、静かに呼吸を整えた。同時に、一定のリズムを
刻んで泳いでいたぎょぴちゃんの軌道が変わり、ゆっくりと
左回転しながら、水底に沈んでいった。

 見上げる程に高い天井や、風通しのいい窓が目を引くみゆきの家。
 私は、こなたと両思いになった事をここでみんなに告白した。
 卒業パーティの会場にもなっていたこの場所で、私たちは今までの経緯の
全てを話し、一緒に招かれていた、日下部やゆたかちゃんたちに深く頭を下げた。

 最初は、みんな一様に驚いている様子だった。
 告白に至るまでの過程の一部を知っていたハズの、つかさやみゆきまでもが、
狐につままれた様な顔をしていた。

 異様な雰囲気と、静寂。ここでも、沈黙という名の敵が現れた。
 牛肉や玉ねぎがたっぷりと入ったビーフストロガノフ(つかさいわく、ビーフ
シチューではないらしい)や、焼きたてのポテトグラタンの濃厚な香り。
 卒業した私たちの門出を祝う為に用意された物なのに、手をつける人は誰も
いない。代わりに、重苦しい圧力だけが、空間を支配していた。

(間違い、だったのかな)
 小さく、そっと呟いた。同姓の人と、苦楽を共にしていくことのリスク。
 隣に座っている、蒼い髪の少女を好きになったが故に背負う宿命。
 裏切り、憎悪といった、否定的な感情を抱く人も、現れるかもしれない。

 ひとくくりではまとめきれない絶望。

 だけど、突きつけられた絶望は、今まさに希望に変わろうとしていた。

(大丈夫だよ、かがみ)
 こなたが、私の手をそっと握ってくれたから。
 屋上の時よりも、さらに温もりを増した小さな手のひら。
 誰の手よりも小さいハズなのに、こんなにも私を包み込んでくれている。

(ありがとう……こなた)

 嬉しかった。だから、力いっぱい握り返した。
 明日別れてしまう彼女に、私は沢山の幸せを貰ったから。
 呼び合い、共に過ごした、三年間の日々を。

“名前で呼んであげたい”

 出会った頃の、願い事。短冊に書けなかった言葉。
 叶った願いは、現実に。こなたから私に、私からこなたへ。
 そして――

「あ~っ、もうっ。じれってぇなぁ」

 五年間、ずっと耳に残り続けてきた、舌足らずな声の主へと。
 こなたと共に視線を移すと、テーブルの向かい側に座っていた日下部が、
峰岸の手を引いて一緒に立ち上がり、

「お互いに好きになったんだから、それでいいんじゃね―の。
 それに、ちびっこはちびっこだし……かがみは、かがみだろ?」

 初めて、名字ではなくて名前で。

「みさちゃんの言うとおりよ。好きになった人との絆を引き裂くことなんて、誰にも
 出来ないわ。だから、自分の気持ちに嘘をつかないで……かがみちゃんっ」

 二人から、言葉が紡がれた。
 妙に恥ずかしかったけれど、嬉しかった。

「……うん、そうだよね。好きになった人のことは、ずっと大切にしていかなくちゃ
 いけないよね。教えてくれて、ありがとう。みさきち、あやのさん」
 こなたが、瞳を僅かに潤ませた。

『ほらっ、かがみも』小声で、こなたは私に促した。

 目の前は、いつのまにか私たちを応援する声に包まれ、
大きな拍手の音が何回もテーブルの周りに響き渡っていた。

『わかってるわよ』返事。みんなには小さくて聞こえなかったかも
しれないけれど、どうやらこなたにはちゃんと伝わっていたみたい。

「私からも、お礼を言わせてもらうわ。ありがとう、みさお、あやの……みんな」
 だって、横から見えたこなたの顔が、いつもの猫口モードに戻っていたのだから。

 その後、みんなで楽しく料理を食べながら時は過ぎていった。 
 三日月型に切られたメロンも、みかんや生クリームがたっぷりと入った
サンドイッチも、甘い香りで私たちを祝福している様にさえ、思えたくらいに。

 月が昇り、明るさを増した水面の真ん中。いつの間にか顔を出していた
ぎょぴちゃんが、庭先にいる私たちを、ずっと見つめていた。
 そんな中で。話を終えた私は、いつのまにか瞳に溜まった涙を絞り出すように、
勢いをつけて瞼を閉じた後。再びそれを開こうと、眉間の力を抜いた。

「――過去は、人の意思を縛る為にあるんじゃなくて」
 庭先が、磨き抜かれた宝石の様なお母さんの瞳が、徐々に視界に収められていく。

「遠い未来に向かうための、道しるべなんだよ? 昔に出会った人。
 味方だよって言ってくれた人。これから出会う人。みんな、時が経てば全部過去
 になっちゃうけれど、私は信じてる。お互いに、支え合っていける未来もあるって」

 昔から、私はずっと素直じゃなかった。
 明るく振る舞って、自分の中身をさらけ出ない為に虚勢を
振りまいて。だけど、変わるきっかけがあった。
 つかさたちに、お母さんに、こなたに教えてもらった道先。
 私は、絶対に忘れない。みんなが示してくれた未来を。

「ありがとう、かがみ」
 長く伸びた紺色の糸が、風に揺れていた。私の糸も、揺れていた。
 声も、仕草も、その全てが大好きで、胸が張り裂けそうになった。
 お母さんの表情は、ブレスレットを嵌めて喜んでいたこなたと、同じだった。

「信じてみるわ。お母さんも、未来への道しるべを」
 こなたから貰った絵の中と、昔話の中に出てきた寂しがりやのウサギたち。
 もしかしたら、それは私たちの、過去か未来を映し出していたものかもしれない。

 月が、丸い姿を歪ませながら、水面を漂っている。 
 今日の主役は、ウサギではなく真っ赤な金魚。
 太陽の様に、明るくは無いけれど。立派だよ、ぎょぴちゃん。

 明日は、別れの日。そして、全てが始まる日。  

 翌朝。寝ぼけ眼をこするつかさの手を引いて、私はこなたの家へと向かった。
 普段なら、電車を乗り継いで向かうこなたの家。けれど今日は、今日だけは
自分たちの足でこなたの所へ駆けて行こうと、決めていた。

 直線距離で、およそ七、八キロある目的地へと続く道路。
 朝焼けが降り注ぐ横断歩道では、スーツに身を包んで駅に向かう人や、
私たちが昨日まで身につけていた物と同じ様な制服を着た女の子たちが、
次々と通り過ぎていく。皆、それぞれの過去の経験を糧に今を生きて、
明日という名の未来へ行こうとしているのだろう。そして、私たちも――

 いつもの道路と、一八年間見続けてきた信号機の青。
 見慣れているハズなのに、今日だけは何故か、特別なものに見えた。



 こなたの家の前には、既に人だかりが出来ていた。
 昨日の昼間、あれだけ長くパーティをしたのにもかかわらず、
みさおやあやの達、はたまた顔も知らない近所の人達まで。
 総勢二十人は超えようかという人達が集まっていた。

「あっ、かがみぃ~! こっちだってヴぁ」

 その人だかりの中から、一際甲高くて、朝方のテンションとは
とても思えない様な声が聞こえてきた……にしても、ここだって
立派な住宅街なのに、声が大きいんじゃないかしら。
 ……ここは、拳で教育が必要ね。

「アンタねぇ~。近所迷惑でしょっ」
 昨日よりもやや力を込めて、今日はみさおにデコピンを放つ。
 いくら親友とはいえ、言うべき事はちゃんと言わなきゃダメよね。

「みゅう~。かがみに怒られたぁ~」
 一転、今度は間の抜けた声。赤みがかった額をさすりながら、
半泣きになっているみさおを見て、私は大きくため息をついた。

「かがみもひでーよなぁ。せっかく名前で呼べる様になったから、
 嬉しかっただけなのにさ」
 口を尖らせながら、ジト目で抗議してくる。

「だからって、周りに迷惑かけていいって訳じゃないでしょ。自業自得よ」
「ヴぁ~、あやの~。かがみが真冬の北風みたいに冷てえよぉ~」

 対して、私はいつも通りのパターンで抗議を一掃した。
 『みゅう~……』という意味不明な声を再び発しながら落ち込んでいる
みさおを、あやのが慰めていたのは言うまでもなかった。
 ……それにしても、本当に最後まで元気だったわね、こいつは。

(まっ、みさおはこれで落ち着くとして)
 人が入り交じる泉家の前へ、私は近づいていった。
 が、しかし――

「こなた……?」
 つかさやみゆき達がいる玄関の前や、成実さん達がいる、色々な
意味でお世話になった青いヴィヴィオの周りにも、肝心のこなたの姿が
見当たらなかった……どうしたのかしら。まだ、家の中にいるのかな。
 小さな悩みが、地表に出た竹の子の様に飛び出していく。

 このまま、悩んでいてもしょうがない。とりあえず成実さんに話を聞こうと、
車が停まっている道路脇に向かって歩みを進めたのだけれど。

「あの、成実さ――」
 私が今まさに 、話しかけようとしたその時。
『お義母さんは、やっぱり来られないってさ』成実さんの車のドアが開き、
中から携帯電話を手に持った若い男の人が出てきていた。

「う~ん。どうしても来られないって?」
「ああ、やっぱり仕事が忙しいみたいでね。しばらくは棚卸しで動けないってさ」

 年は、結構若いわよね。それに、あの車の鍵を持っているみたいだから、
きっと、こなたを石川県まで送っていってくれる人に間違いないんだろうけど……。

「――あの人の名前は成実きよたか大佐。通称きー兄さん。
 奇襲帰京と連絡の名人。きー兄さんのような天才策略家でなくちゃ
 百戦錬磨のゆい姉さんの夫は務まらない……ってね」

 突然聞こえてきた、何かのネタ風に改変された怪しげな解説。
 驚いて振り向いた先には、通学用だった紺色のコートを着た、こなたの姿があった。
 背中に旅行用のバッグを背負い込み、右手の先には、漫画や
ラノベや同人誌が大量に詰め込まれた紙袋をぶら下げて。

「大漁大漁♪ まさかこんな大荷物になるとはネ」

 一方、左手には、携帯電話と蒼いブレスレット。
 私たちを繋ぐ二つの道具を、こなたは大事そうに持っていた。

「アンタ……大丈夫なの? そんなに抱えて」
「心配ご無用っ。こんなのコミケの三日目に比べたら、全然余裕だヨ」

 悪びれた様子なんて全く見せないまま、こなたは、踵を返して
荷物を持ち替えると『ちょっと、挨拶してくるね』と言って、
成実さん達の方に向かっていった。

「それじゃー行ってくるから、姉さんも元気でね」
「うん、気を付けていってきてね。あ、何だったら私が途中まで運転――」
「ええっ!? いや~、姉さんが無理することなんてないんじゃないかなぁ。
 ねっ、ねぇ、きー兄さん?」
「そ……そうだよなぁ。ゆいに何かあったら、僕も困るしさ」

 うわぁ。あからさまに運転拒否してるわね。二人の息がぴったりな所を見ると、
今までこういう状況は結構あったみたいね。まあ、殆ど成実さんの車に乗ったことの
ない私まで変な汗かいてるくらいだから、こなた達はもっとなんだろうけど。

「きよたかさん、こなた……そこまで私のことを……久しぶりに、びっくりだぁ」
「あ~あ~、お姉ちゃん。そんなに泣かないで~」

 そして何故か大泣きする成実さんと、小さな手で頭を撫でて彼女を
慰めてあげているゆたかちゃん。その手が緑色の髪に触れるたびに、
ゆたかちゃんの頭に付いている、星形の髪飾りが大きく揺れた。

「あ~あ。これじゃあ、どっちがお姉さんなんだか」
 いつの間にか、車の中に乗り込んで荷物を降ろしていた
こなたが、苦笑いを浮かべていた。成実さんの夫――のお兄さんも、
運転席に座って、ワイパーの動きをチェックするフリをしながらほっと一息。
 どうやら、心底安心したみたい。二人とも大変ね……。

「か~がみん」
 と、私が妙な感傷に浸っていると、突然こなたに呼びかけられた。
 車のドアは、まだ開いたまま。当然、こなたにもまだ触れていられる距離。

「しばらくは会えないけど、サヨナラなんて言わないからね」
「――もちろん、私だって」
「約束……だよ」

 交わす言葉と、自然に絡まった小指。重ねた絆は解かれることなく、
車の中に身を降ろしたこなたと、ギリギリの時間まで繋がり続けていた。
 しばらくの間。周りに人がいることも忘れて、二人で見つめ合っていると、後ろから、

「……取り込み中で悪いんだけど、そろそろ出発した方が、いいんじゃないかな?」

 申し訳ないような、焦っているような。大きな段ボール箱を持って、
両肩で呼吸を繰り返しながら、こなたのおじさんが車の近くまでやって来ていた。
 額には、玉のように光る汗。中身はおそらくこなたの荷物だろう。

「大丈夫ですか!? 言ってくれれば、一緒に持ちましたのに」
「いや……いいんだよ、きよたか君。娘の最後の荷物くらい、親の私が
 持ちたいと思うのが信条だよっ……こいしょっとっ!」

 何かを押しつぶすような鈍い音を立てて、段ボールは開きっぱなしになっていた
車のトランクの中に慌ただしく着地した。その音を合図に、車のエンジンが鈍い音
をたてて、私たちの鼓膜を揺らした。

「ほらっ、もう時間よ」
 戻ってきた感覚を頼りに、絡めていた指を離す。
「あっ……」
 どこか切なげな余韻を残しながら、こなたの小指が頭を垂れた。

 前方と後方、両方のドアとトランクが閉まり、出発の支度が整っていく。
 近くにいた人たちも、静かに道路から移動して、両脇に列を作ってくれた。

 準備は出来た。あとは、無事にこなたの出発を見送るだけだったのだけれど――
『かがみっ!』そうは問屋が卸さなかった。こなたは、シートベルトをしたまま窓を
開けると、迷いも無く私の名前を呼んだ。

「もうっ、そんな声出さなくてもちゃんと聞こえてるわよ」
 感情が、爆発しないように。努めて冷静にこなたを見やる。

「ごめんごめん。でもさ、やっぱり私……」
 こなたの瞳に、卒業式の時でさえ流していなかった、透明な滴が見えた。

「ほらっ、元気出しなさいよ。最後は笑顔でお別れしなきゃ」
「かがみぃ……えぐっ」
「あ~もう、言った側から泣いちゃダメじゃない。そんな恋人には――」
「……えっ?」

 そう言って私は、開いた窓越しに、こなたの頬に唇を重ねた。
 暖かい肌の温もりと、こなたの髪から漂ってくるシャンプーの残り香。
 重ねたのは、ほんの数秒。だけど、感じた時間は数千秒。

「ごめんね、こなた。今の私にはこんなことしか」
「……ううん、ありがとう。さすがは私の嫁だね」
「ふふっ。こんな時にまで冗談だなんて、やっぱりアンタらしいわね」

 微かな吐息と、感じる鼓動。二つの異なる音が、新しいメロディを紡いで
私の中に響き渡る。それは、こなたから身体を離した今でも消えてなくて。

「そろそろ出発するけど、いいかな」
 運転席から聞こえてきた確認の声と、
『はい、もう大丈夫です』
 重なった私たちの声。と同時に、周りは騒がしさを取り戻し、
出発の時間はやって来た。一センチ、二センチと窓が鈍い音を
立てて私たちの間に境界線を作り、低く唸るエンジン音によって微かに振動して……

 こなたを乗せた車が、動き出していた。
 四本のタイヤが少しずつ回転して、慎重に、ゆっくりと。
 人の波を避けるように、車は道路を走り出した。

――こなちゃん。私、こなちゃんのこと絶対に忘れないよ。
――私も。泉さんのことは、絶対に忘れませんから。

 私たちは、支えられていた。

――ちびっ子~、元気でなー。
――向こうでも頑張ってね、こなたちゃん。

 妹に、友達に、何年も前から。

――お姉ちゃ~ん。私、お姉ちゃんの分までしっかりするからねー。
――……先輩なら、きっと大丈夫です。

 一年間だけ、彼女たちの先輩でいられた。
 思い出も、たくさん出来た。

――センパーイ! 今度こっちに帰ってきたら、今度は私がお薦めの漫画、
  選んであげまスからねー。
――コナター。またいつかイッショに、歌いましょうネー。

 ちょっぴり騒がしい後輩もいたけれど、絶えない笑顔が励みになった。
 そうだ、みんなは太陽なんだ。一人一人の声が、感情が、まばゆい光となって
月と地球に降り注いで。黄色い宝石。いつも私たちを見守ってくれていた、宝物。

 遠ざかる車の影。 
 後部座席にいるこなたの姿は、朧気にしか見えなくなった。

 新着メールの着信を知らせる為に、ポケットの中の携帯電話が震えたのは、
こなたを乗せた車が道路の向こう側に消えた直後のことだった。

(こなたからだ……内容は……?)

 開いた受信画面の中心に、本来あるハズの本文の表示はなく、
ただひと言。件名の方に文字が添えられていた。

――また『いつか』二人で遊びにいこうね、と――

 零れる涙が、止まらなかった。こなたから自立しようって決めたのに。
 それでも涙は溢れ続けた。だけど、今なら胸を張って言える。
 秘めたひと言を、こなたに届ける為に。私は大きく息を吸った。

「今度、会うことが出来たら――」

 私の声、届いてるかな? ううん、届いてなくてもいい。
 この想いを、声に出せるだけでいいの。だから――

「いっぱい、い~っぱいデートしようねー。こなたぁ~!」

 精一杯、叫んだ。いつまでも、手を振り続けた。
 今は彼方にいる蒼いウサギと、青い空のキャンパスに描かれた、もう一羽のウサギ。 
 二羽のウサギが示してくれた未来へと。私たちは歩き始めた。



 この空は、どこまでも続いている。
 どんなに遠くに離れていても、私たちは同じ空の下にいる。
 だから、一人だけで何でも抱え込まないで。
 例え、いつか別れる事になっても、私たちはずっと一緒だよ。

 “彼方へと続く未来”へ向かって――


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  • 切なくなってきた… -- 名無しさん (2010-08-23 18:22:24)
  • 両親揃って百合ッスか。熱いッスねぇ・・フフ                     いやぁ、泣けたっスなぁ・・フフ -- 名無しさん (2010-08-13 23:42:42)
  • アクセサリー店員
    柊みきの片(両?)思いの相手

    この二人って・・・・・かなた? -- 白夜 (2009-10-15 00:01:19)
  • 感動した! -- 名無しさん (2008-12-27 09:11:24)

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