アンダー・ユア・スキン

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それはアッという間の出来事だった。

転んだこなたが、バランスを崩して倒れこんでくる。
とっさに支えようとするけれど、座卓に足をぶつけてしまい、うまく動けない。

こなたの軽い体重がぶつかってくる。
私たちはもつれ合って床に倒れこんだ。

その時に、ガチッという硬い音と共に、歯に強い痛み。
思わず閉じていた目を開くと、本当に鼻の先、ゼロ距離に、こなたの驚いた瞳があった。

背中の感触から察するに、私は床に仰向けに倒れた状態で。
その上にこなたが乗るように覆いかぶさっている。


それからえっと、これは……つまり。


口と口を触れ合わせた状態。






『アンダー・ユア・スキン』





夏を制するものは、受験を制す。
そんな古い言葉があるように。
受験生にとっての夏休みは、勉強するためにある。

そんなこと言うと、決まってこなたとつかさはそろって「う゛ぇ゛ー」と厭そうな声を上げる。
私はそんな彼女たちに決まって「自覚を持て」と説教をする。
しかし、つかさは真面目に聞くものの、勉強を始めるとすぐに船を漕ぎ出すし。
こなたは説教なんて飄々と受け流し、勉強は「わかんなーい」と音を上げる。

そんな調子。
要するにいつも通り。私たちは相変わらず。
夏の日差しが眩しいぜ。

夏休みに入ってから、私たちは週に二、三回程、勉強会を開くようになった。
それは主に悲鳴をあげるつかさとこなたを、私とみゆきが教えるといったものだったけれど。
普段は自分の部屋で一人で篭って勉強しているので、図書館へ出かけていったり、誰かの家に行ったりするのは、いい気分転換になっていた。
しかし八月の後半に入って、みゆきが後期夏期講習を受講する為に不参加になってしまった。
4マイナス1は、1+2。
残りの夏休み、私は一人で二人の面倒をみなくてはならなくなった。

「とゆーことでよろしくね、かがみん」
「よろしくね、お姉ちゃん」
なんて笑顔で言われて。私は大きく溜息を吐いた。
まあ人に教えるのは嫌いじゃないからいいんだけれど。自分の勉強にもなるし。

かくして今日も今日とて、柊家の居間で、私とつかさとこなたは鼻を突き合わせて問題集と戦っているのだった。


聞こえるのは、ぶーん、という扇風機の音。鉛筆の音。ページを捲る音。
そして境内から聞こえてくる、じーじー泣く元気なアブラゼミの声。
完全に開け放った縁側からは、どういうわけか全く風が吹き込んで来ず、涼を得ることは出来ない。
時折スイングする扇風機が生温く部屋の空気を定期的にかき混ぜるだけで、まったくの凪。

「………」

全員無言だったけれど、言いたいことは同じだった。

即ち暑い。
死ぬほど、暑い。

ひっきりなしに麦茶を飲んでいるけれど、それは片っ端から汗になって流れていくみたいだった。

(制汗剤使ってるけれど…汗臭くなってないよなあ…?)

私は割りとそういうことが気になる性質だ。人のは気にならないけれど、自分のは気になる。
まあこの状況ではみんな同じなので、気にすることもないのかもしれないけれど。
襟足をタオルで拭いながら、こっそりと鼻を鳴らしてみた。
部屋の中は、みんなの制汗剤のフローラルな香りと蚊取り線香の匂いがした。
それから窓から流れ込んでくる、隠しようもないはっきりとした夏の大気の匂い。


じぃ、じぃじぃじぃ、じぃぃ…。


「………」

アブラゼミの声って、何だか暑さを助長させる気がする。
それは暑い時に聞く音だからなのか、本当に聞くと暑苦しい気分になるからなのか。
(…アブラゼミって、確か油で揚げる音に鳴き声が似ているところから来ているのよね)
油で揚げる、って考えただけで体感温度が三度くらい上昇したような気がして、私は自分のコップの麦茶に勢いよく口をつけた。
飲み下したそれはすっかり温くて、少しげんなりした。

その時、正面に座るこなたが前髪をかき上げた。
今日はポニーテールに結っているけれど、それでも重ための前髪が暑いようで、さっきから何度もかき上げている。

――普段のこなたって、どちらかと言えば中性的な雰囲気なんだけれど。
でも髪をかき上げる度に見せる、うっとおしそうに顰めた眉が、妙に女っぽい顔で。
それが面白くて、私はこなたに気づかれないように参考書に目を落としながら、時折観察していた。

よく知ってる人の、よく知らない表情。
たとえばつかさの小悪魔みたいな顔とか、みゆきの笑い転げる顔だとか。
長く付き合っていれば、それだけ意外な顔を人は見せる。
私はそれを見るといつも不思議な気持ちになる。
この人の中には、私の知らないその人の心が広がっているんだ、って。

ゴト、と。

音がしてそちらを見れば、ウツロな目をしたつかさが机の上にポットごと置いてある麦茶に手を伸ばしていた。
つかさがポットを傾けると、とく、とく、と音を立てて、麦茶がコップに注がれていく。
コップ満杯になる前に、ポットの方が空になった。

「………」

最後の雫が落ちるのを、三人で見つめる。


じぃ、じぃじぃじぃ、じぃぃ…。

……。


「………おねぇちゃん」
最初に声を上げたのはつかさだった。萎れた草のようにしんなりとした弱々しい声。
それに私はぴしゃりと言い放った。
「クーラーなら、修理に来るのは三日後よ」
そうなのだ。
柊家の居間の冷房は、続く真夏日の連日稼動の所為か、いきなり壊れてしまったのだ。
すぐに電気屋に電話したものの、この時期は混んでいるらしく修理に来るのは三日後とのこと。
仕方が無いので、今日は扇風機でごまかしながら勉強することにしたのだが。
「ここのところ運動とかしてないから、暑い中にいるのもいいよね、ってことなったじゃない」
「いや…言ったけどネ……今日、ここまで暑くなるとは思ってなかったんだヨ…」
こなたが力なく言うと、つかさがそれにぶんぶんと大きく頷く。
(まあ、それは確かに)
私は寒いとか暑いことに文句を言うタイプではないのだけれど、今日の暑さは正直堪えた。
その上麦茶も無くなったとなれば……あ、眩暈がした。
「お姉ちゃんか私の部屋に移動しようよ」
つかさが提案する。
そもそも居間にいるのは、私やつかさの部屋の座卓じゃ全員分の参考書や問題集やノートを広げられなかったからなんだけれど。
(みゆきがいないし、ギリギリなんとかなるかなあ)
それでも、床を使うことになるだろうけれど……あ、一人が学習机使えばそんなでもないか。
私が考えていると、こなたが両手を上げて、「さんせー!」と言った。
2対1。日本は民主主義の国である。
私は「しょうがないわね」と言って、ノートを閉じた。




そもそもあの暑い中で、今まで集中力が保てたことが驚嘆に値するのかもしれない。
私は自分の部屋でクーラーの電源を入れた瞬間、そう思った。
つかさの部屋は私の部屋より微妙に狭いので(ぬいぐるみとかモノが多いから)、いつもどおり私の部屋を使うことになった。

しかし…。
こなたとつかさはもう集中力が完全に切れてしまって、きゃっきゃとふざけあい始めていた。
ああ…もうこれは勉強にならないかもしれない。

冷房の下で妙なポーズをつけてこなたが言う。
「ヒャダルコ!」
「わー、つかさは100回復したよ~♪」
「つかさは氷結系のモンスターだったんだネ」
「でもケアルだとダメージ食らうの」
「アンデット系!?」

…最近、こなたの変な影響を受けている気がする。妹よ。
それにケアルはFFだ。
でもそれを突っ込んだら負けな気がするので、何も言わなかった。

しかしこいつら小学生みたいだな。
つかさとこなたは一緒にいると、とても楽しそうだ。
ゾンビの真似をして「あーあー」言ってるつかさを、こなたが想像の銃で「パン!パン!」と言いながら撃っている。
いつのまにかバイオハザードになっていたらしい。
見てるとちょっとほのぼのするんだけれど、今日は勉強会なのだ。
私はきゅっと眉を吊り上げて言ってみる。
「ちょっと、ほら、勉強会でしょ!」
しかし、恐らく効果はあまりないだろうことはわかっていた。
案の定、こなたがひらひらと手を振る。
「結構今まで頑張ってたしさ、ちょっと休憩しよーよ」
つかさが、うんうん、と大きく頷く。
ホラ、やっぱり。
「飲み物もなくなっちゃったしねー」
つかさとこなたは顔を見合わせると、「ネー」と顔を傾けた。
時々こいつらが見せる協調性ってすごい。申し合わせたように息が合うことがある。
つかさと実の姉妹である私はちょっと複雑な気持ちなんだけれど。
それはこなたに嫉妬してるのか、つかさに嫉妬してるのか…。
いや、つかさに嫉妬するのは変だ。
こなたと仲がいいからってどうして私が嫉妬しなきゃならないのよ。

私が頭を振っていると、こなたがタンクトップの首元をバタバタさせながら言った。
「ていうかホント体がベタベタするヨ~。一回ウチ帰ってシャワー浴びてこようかな…」
「あ、こなちゃん、それだったらウチのおフロつかいなよ。わざわざ戻るの大変でしょ」
私もちょっとおフロ入りたいし、とつかさもノースリーブパーカーの裾をパタパタさせながら言った。
シャワーか…。確かにいいかも。
こんな暑い日に冷たいシャワーを頭から浴びたら、さぞかし気持ちがいいに違いない。
「へ、いいの? 悪くないかな?」
「全然だよー。ね、おねぇちゃん、いいでしょ?」
「そうね、悪くないわね」
どうせもう気が散っちゃってるし。
一回サッパリした方が勉強にも身が入るだろう。
「それじゃ行こー!」
と、つかさが私の背を押して、こなたが「はいご案内~」とか言いながら扉を開けた。

ちょ、待て。

「何でみんなで行くのよ」
「え? みんなで入るんじゃないの?」
「バカ言ってんじゃないわよ! ひとりずつに決まってるでしょうが!」
「ふふーん♪ かがみんは恥ずかしいのかなー?」
こなたが猫のような口を作ってにんまり笑う。
それに私は顔にかっと血が集まる。ああ、いつものパターン。
「ちがっ…! アンタ、ウチのフロ知ってるだろ! 三人で入れるか! 狭いだろ!」
「うんうん、いい反応だネ。勿論解ってるヨ。ささ、かがみんからどーぞ」
こなたは満足げに頷いて、ばいばいと手を振った。
あ、謀りやがったな。
私が怒りで口をぱくぱくさせていると、つかさがキョロキョロと首を振った。
「え? みんなで入るんじゃないの?」
つかさだけは本気だったようだ。

場の流れ(……)で私からシャワーを浴びて戻って来ると、こなたが立ち上がってポーズをとった。
「俺、参上!」
「……」
こなたはつかさが渡したと思われる、ふかふかのベビーイエローのバスタオルを小脇に抱えていた。
私がいない間に順番を決めたらしい。つかさはこなたに「いってらっしゃ~い」と手を振っていた。
「私のシャワーは最初から最後までクライマックスだヨ!」
「どんなシャワーだよ。ほら早く行け」
扉の前まで追い立てると、こなたは仰々しく振り返った。
「俺……この戦争が終わったら結婚するんだ…」
「いいからとっとと行って来い!!」
ナイス突っ込み~と言いながら、こなたが扉の向こうへ消える。

そして、私の半分以下の所要時間で戻ってきた。

「早ッ!」
つかさと雑談していた私は、戻ってきたこなたの姿を見て思わず声を上げた。
まだ十分も経っていない。私が時計と見比べるようにしていると、こなた誇らしげに胸をそらした。
「後ろにつかさがいるからネ~、急いでみたヨ」
「気にしなくてもいいのに~」
タオルを頭から被ったこなたに、つかさがハイタッチして出て行った。

(…本当、こいつらって仲がいいよな)
同じクラスだっていうこともあるだろうけれど、つかさとこなたはよく見ると本当に仲がいい。
性格の相性がいいっていうか。
盛り上がる感じっていうより、馴染む感じで仲がいいっていうか。
距離が近いのかな、って思う。
たぶん、心の。
……。
別に、だからどうだっていうわけじゃないけれど。

つかさを見送った後、私はさっき表に出て買ってきたペットボトルの烏龍茶をこなたのコップに注いでやった。
「飲むよね?」
「おお、かがみん気が利くねー、ありがたやありがたや」
注がれた烏龍茶を、こなたは健康的な勢いで一気に飲み干す。
ごくり、ごくり、と冗談みたいな音を立てて、コップをあっという間に空にした。
「ぷはーっ、生き返る~」
私は「オヤジくさいわね」と言いながら、自分のコップにも烏龍茶を注ぐ。
そしてその冷えた烏龍茶を一気にあおった。冷たくて美味しい。

おとがいを反らせた弾みで、耳にかけていた生乾きの髪が落ちる。
ごくん、と飲んだ後に、私はそれを再び耳にかけた。
もっときちんとドライヤーをかけようかな、とは考えなくも無かった。
しかし風呂上りの洗面所でのドライヤーの熱気に耐えられなかったのと、濡れた髪が風で冷やりとするのとが心地よくて、乾かしを甘くしてしまった。

(まあでもこんなに暑い日だし、すぐ乾くよね)

こなたも同じ考えのようで、濡れた髪をそのままにしている。
まあ彼女の場合、ドライヤーである程度乾かすこともせず、最初から自然乾燥させるつもりだったようだけれど。
こなたはコップを座卓に置くと、床に座ってわっしゃわっしゃとタオルで頭を拭き始めた。
小柄なこなたを覆うようにバスタオルが忙しなく動く。
それはベビーイエローのタオルの所為か。
なんだかヒヨコが震えてるみたいに見えた。

私が吹き出すと、こなたがそのベビーイエローの間から「んん?」っと大きな瞳を覗かせた。


「何?」
「なんでもないわよ」

私は笑いを噛み潰しながら、そっぽを向いた。
すると笑われてることには気付いたようで、こなたが頬を膨らませた。
「何さ」
「なんでもないって」
しかしそう言いながら、私は笑い出してしまった。

「も~、だから何なのさ~?」

こなたが不満そうな顔をして声を上げた。
私は軽く手を振った。

「ごめんごめん……あんたがタオルで頭拭いてるのが何か可愛くって」

笑いながら言うと、こなたは棒でも飲み込んだような顔をした。
何だろ?と思う間もなく、こなたはタオルを頭から被り直して顔を隠してしまう。
タオルの向こうからこなたの声がする。

「……別に、普通だよ、ただ拭いてるだけじゃん…」

それが消え入りそうな声だったので、私はまた笑ってしまった。
コイツでも恥ずかしがることがあるんだ。
そう思うとまた笑いがこみ上げてきて、私はさらに笑った。
こなたは堪らなかったらしく、立ち上がって言った。

「もー! 照れるのはかがみの役割だよっ!」
「何だそれ」
なおも私が笑い続けると、こなたは口をへの字にして、「外行って髪乾かしてくる!」と行って歩き出した。
「あっ、ちょっ」
流石に笑いすぎたかと思って引きとめようと、こなたの服の裾を掴むと、不意打ちだった所為もあり、体重の軽いこなたはあっさりバランスを崩した。
「わわっ、ちょ、かがみ!」

こなたが慌てた声を上げたので、私も慌ててすぐに手を離したんだけれど。

遅かった。
こなたは足を滑らせて転倒してきた。
とっさに支えようとするけれど、座卓に足をぶつけてしまい、うまく動けない。

私たちはもつれ合って床に倒れこんでしまった。

その時に、ガチッという硬い音と共に、歯に強い痛みが走って。
思わず閉じてしまっていた目を開く。
すると、本当に鼻の先。ゼロ距離に。
こなたの驚いた瞳があった。


背中の感触から察するに、私は床に仰向けに倒れた状態で。
その上にこなたが乗るように覆いかぶさっていて。

そして、お互いの口と口が触れ合わさった状態。



えっと、これは……つまり。








私たちは同時にそれを認識したらしい。
私の顔に血が上るのと、こなたの顔が朱に染まるのはほぼ同時だった。

こなたは「うわっ!」と叫んで跳ね上がるようにして起き上がった。
そして慌てて口を腕でごしごしと擦る。

何だか私はそのこなたの仕草に、妙にグサッときて、思わず叫んでしまった。

「べ、別に私がしたかったわけじゃないわよ!」

すると、こなたが、くっ、と喉の奥で音を立てて、止まる。
それからしばらく腕で顔を押さえて、何かを抑え込むような表情をして、「わかってるよ」と言った。

そのこなたの表情に、私の胸がさらに痛くなった。

こなただって、したくてしたわけじゃない。むしろ私が引っ張った所為でこうなったのに。
私は自分の非に気がついて、慌ててこなたに謝った。

「ご、ごめん、こなた」

私が肘をついて起き上がると、こなたはそれに合わせて私の上から退く。
しかしその顔は俯いている。
やばい、と思った私は、慌てて謝罪を繰り返した。

「わ、私が無理に引っ張っちゃった所為よね。ごめん。こなたは悪くないよね。わ、私も悪気は無かったのよ。まさかこうなるとは…」
そう言って、苦笑いを作ってみせるんだけれど、こなたは黙ったままだった。
普段なら軽口のひとつでも返ってくるのに。
返ってくると思ったのに。

こなたは黙りこくって、じっと床を見つめている。

「あの…こなたさん?」
思わずさん付けしてしまったのは、ちょっとこなたが怖かったから。
いつもと違う様子に、私はどうしていいかわからない。
あんまり返事をしないからわざとチャカして、「おーい」と言いながら目の前で手をひらひらさせてみる。
それでもこなたはじっと黙っていた。

なんだかそれは、傷ついているようで。

そう考えてハッとなった。
私も今の事故で判断力がどっか行っていたらしい。
私はすぐにひとつのことに気がついた。

「こなた、も、もしかしてファーストキス……だった?」

そう言うと、こなたは少しだけ肩をぴくりと震わせた。
やっぱり。
私は慌てて言葉を重ねた。

「あーほら、ねっ、でも今のは事故だから! ノーカンだって! 友達だし、女同士だし!」

フォローをしたつもりだった。
けれど、それを聞いたこなたは火がついたように大声を出した。


「ノーカンじゃないよ!!」


今度は私が黙る番だった。

こなたも自分が大声を出したことに驚いているようで、私の顔を見て少し呆然とした。
それから、ひどく傷ついたように、弱々しく言うのだった。

「ノー、カンじゃ、ない…」

私は酷く動揺した。
今の一連の台詞のどこにこなたが反応して怒ったのか解らない。

それは事故とは言え、ファーストキスを奪ってしまった私に怒っているのだろうか。
たぶん、そうなんだろうけれど。
それのはずなんだけれど。それ以外に理由があるはずが無いんだけれど。
しかし、三年間付き合ってきた友人の直感が「違う」と声を上げる。
こなたは、私を責めていない。


――じゃあ、何で、そんなに傷ついているのよ?


こなたは俯いたまま、私に訊いた。


「かがみは……?」
「えっ、何?」
消え入りそうな声だったので、私は思わずこなたに顔を近づける。
こなたは少し息を飲んでから、続きを口にした。
「かがみも、はじめて、だった?」

そう聞かれると、やっぱり恥ずかしかったけれど。
嘘をついていい空気じゃないと思ったので正直に答えた。

「ん、まあ、一応……で、でも気にしないでいいわよ、事故なんだから」

またそれが一体どうして引き金になったのか、全く解らない。

こなたの目からきらりとしたものが落ちた。
えっ、と思う間に、それはぽろぽろと零れ落ちて。
こなたの頬を濡らし始める。
その大きな瞳が、大きく潤んで、あの日の雨みたいに涙を降らし始めた。

これにはかなりぎょっとした。
私はこれまで、そう、この瞬間まで、こんな風にこなたが泣いたところを一度も見たことが無かったのだ。

「ちょ、ちょっと、こなた」
私は思わずこなたの肩に手を伸ばして触れた。
こなたは目をそらして俯いて、右の手のひらで目を押さえるようにした。
それでもその小さな手では抑えきれるはずもなく、指の間から、涙が落ちていく。


「ごめん、かがみ、ホンットごめん、ごめんじゃすまないかもしれないけれど、ごめん、ごめん…」


こなたから、涙と言葉が零れ落ちていく

その謝罪は、まるで身を切るように聞こえた。

胸がぎゅうっと痛くなって、鼻がつんとなって。
私まで泣きそうになってしまう。

私はこなたに、そんなふうに謝って欲しくないと思った。

「こなたっ」

だから私は両手でこなたの肩をつかんで、目を覗き込んだ。
そして有無を言わせないように、強く言った。

「今のは事故よ。それもどっちかっていうと私が悪い。だからアンタは泣かなくていいの」

こなたの大きな瞳がまたたいて、きらきら光る涙が弾けて落ちる。
その表情を見て、私はどうしてか「ああ、こいつ、女の子なんだ」って思った。
でも。

「おあいこでしょ? だからもう、泣くなっ!!」

私はこなたの肩を掴んだ手を、そのままこなたの顔に持って行って、その目を両手のひらでごしごし擦ってやった。

女の子っぽいこなたはちょっと可愛かったけれど、私はいつものこなたがよかった。
猫みたいな顔して、飄々として、私のことからかってくる。
いつものこなたが好きだ。

「わぷっ! ひょっ…かがみ!?」
こなたが変な声を上げるのもかまわず涙を拭う。

手のひらにこなたの瞼と、睫と、涙の感触。
その下には、きっとこなたの心があって……私にはよくわからないけれど、それが揺れてこなたは泣いたのだ、と思った。

こなたのその心は。
私にはよく、わからないけれど。

泣いて欲しくない、って思ったから。




「……かがみ、もういいよ……わかったヨ、ははっ」

強引な私の行動に、こなたはやっとかすかに笑ってくれた。
私はその声を聞いて、ゆっくりと手を離した。

「おあいこ、なんだネ?」
涙を拭いながら、いつもの調子で言う。
私はほっとした。
「そうよ」
私は転んだときに床に落ちた、ベビーイエローのタオルをこなたに差し出した。
こなたは黙って受け取って、それで顔を拭う。
少しだけ舞い降りた沈黙。それに冷静さが戻ってきて、ついでに事故とはいえ唇を重ねた事実に恥ずかしさも戻ってくる。
落ち着かなくなった私は、黙っているこなたに向かって言葉を重ねた。

「て、ていうか大体、事故なんだから。そうそう、お互い忘れちゃえばいいのよ。無かったことにして。カウントしなければ」
「んーん」
言葉を重ねていた私を、こなたの穏やかな、でもはっきりとした声が遮った。
こなたは最後にもう一度ごしごしと目を擦ってから、顔を上げて私の目を見た。


「私はするヨ」
「え?」
何を、と思わず聞いてしまう。

こなたは私が今まで見たことが無いような、きれいな笑顔で笑った。

「カウント。かがみは?」

澄んだ瞳に射抜かれる。
それはどこかに突き落とされたような感覚で。

私の思考を置き去りにして、私の口が勝手に動き出す。


しかし、それは言葉にならなかった。
ドアが開く音で、それは私の喉に留まって空気に放たれることはなかった。


「お待たせー。わー、すずしーっ」

頭を濡らしたつかさが、たんぽぽのような笑顔を浮かべて部屋に入ってきた。

「つかさ、おかえりー。おーリボンが無い! あかりはどこだ!」
こなたが何事もなかったように声を上げた。
それで私は今度は取り残されたような感覚を味わうことになった。
こなたの隣に座ったちょこんとつかさが、流石に気がついて言う。
「あれっ、こなちゃん目が赤くない?」
「目にゴミが入っちゃってネ、さっきまで泣き叫んでいたところだったのだよ。ねっ、かがみん」
「へ!? う、うん、そう」
思わず追従する。
つかさは何の疑問も抱かず信じたようで、「あんまりこすっちゃ駄目だよ~」と言った。


その後は、勉強会を一応再開した。
まあ大方の予想通り、ほとんど集中は散っちゃって、喋ってばかりいたんだけれど。
クーラーが直るまで泉家を会場にしようとか、ゆたかちゃんはみなみちゃんとよく遊んでるんだよとか、あれって本当に臭いよねとか。
そんなことを話している間にすっかり外は夕暮れになっていた。

「んじゃ、そろそろ帰ろうかね」
結局お風呂を出てから二問くらいしか解いてない問題集を鞄に押し込めながら、こなたが腰を上げる。
時計の針は七時近くを回っていた。
「今日は結局全然集中できなかったなー」
私も普段に比べて全然進んでいない問題集をため息をつきながら閉じた。
「まあまあ、こういう日もあるヨ」
「そうそう、お姉ちゃんめげないで」
「主にあんたらがくっちゃべってたんだろうが! っていうか他人事みたいに言うな!」


こなたはあれからもう、さっきまでの様子を微塵も感じさせず、いつもの調子だった。
勿論、その話をすることも無かった。


でも帰り際。
つかさと玄関でこなたを見送るとき、玄関の門のところで一瞬だけこなたがこっちに視線を向けた。

そして少しだけ申し訳なさそうに。
でもいたずらっぽく笑って。

こなたは私を見ながら、立てた人差し指を自分の唇に触れさせた。


それを見て、私は石でも飲み込んだように、身動きがとれなくなってしまった。




「ばいばい、こなちゃん~」
「またネ~」

つかさが元気に手を振る。
こなたはやけに楽しそうに夕暮れの街へ駆け出して行った。

こなたの心なんてわからないけれど。
わからないはずなんだけれど。

でも指を唇に当てたこなたの顔を見た時、どうしてか直にこなたの声が聞こえた気がした。



――かがみの、ファーストキス、もらい。



まさか、と私は首を振る。
でも、あいつなら、言いかねないかも。

「お姉ちゃん、どうしたの? わっ!顔赤っ!」

つかさが私の顔を覗き込んでくる。
でも私はさらにぶんぶんと頭を振った。

「つかさっ、家の中入るわよ!」
「う、うん!」

私は肩をいからせて、そこから踵を返した。

蝉の声が私の背中を叩く。
残暑の香りをはらんだ風が、すっかり乾いた私の髪を揺らした。



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コメント:
  • 痛そう....お大事に.. -- 名無しさん (2014-08-26 01:53:55)
  • 心が揺れて泣いた、なんてなぁ一体何食ってたらこんな表現思いつくんだ?
    チックショーめ! -- 名無しさん (2011-01-04 07:58:26)
  • 文章ウメェ!作家か、って -- 名無しさん (2010-11-16 22:14:02)
  • 初キスキタァァァァァァァァ!!!! -- konakaga (2009-04-12 23:40:00)
  • うぉぉ…続き気になる…!! -- 名無しさん (2008-06-19 01:57:32)
  • さりげない心の描写が秀逸ですGJ! -- 名無しさん (2008-06-12 02:15:23)
  • GJ!!!! -- 名無しさん (2008-06-11 03:05:03)

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