カレンダーは八枚目から九枚目に移り変わった。
夏は終わりを告げた。
お情けで与えられた延長戦の土日も、もうすぐ終焉。
高校最後の夏は、もう戻ってこなくなる。
そう考えると、布団に入っても全然眠れなかった。
寝てしまったら、そこで私の夏が終わってしまうような気がするから。

朝なんて来なければいいのに。
せめて、最後に、夏の思い出を作りたかった。この先に持っていけるような、大切な思い出を。
それなのに、私たちの前には壁が立ちはだかっている。
受験。
高校生活最後の夏休み。恐らく人生で一番大切な時期。それを、こいつは潰していく。

受験なんてなくなればいいのに。
本当に、そう思う。今年の夏は、一体どんな思い出があったろうか。
頭に浮かんでくるのは、勉強に彩られた平凡でつまらない毎日だけ。

二年の夏が、遠い過去のように感じられる。
あのころはどれほど自由だっただろう。
自分が、どんどん大人に近づいている気がして、少し悲しくなった。
何かを楽しむ余裕も無い、時間に追われた大人にはなりたくなかった。

もう二度と、こなたたちと海に行ったりはしないかもしれない。
それぞれが新しい日常に溶け込んでいって、今の日常が過去の思い出となってしまう。
そんな未来が、来てしまうんだろうか。
みんながばらばらになってしまう未来が。
そして、こなたと離れ離れになってしまう未来が。

友達はでき、また、離れていく。
もしかしたら来年は、新しい友達と何処かに遊びに行っているのかもしれない。
そんな風には、なりたくなかった。

救いようのない絶望感が襲ってきて、気づいたら泣いていた。
いるはずのない誰かにその姿を見られないように、布団に顔をうずめる。
その時。

無音の闇の中、不意に、遠慮がちな携帯の着信音が響いた。

こなたからだった。
急いで涙を拭って、携帯を開く。

「もしもし、こなた?」
「……あ、かがみ? 遅くにごめん。今、起きてる?」
「ええ、起きてるわよ」
「眠れないんだ。……話しない?」
「……いいわよ」

ゆっくりと、上半身を起こす。
こなたも、やっぱり眠れないのか。私と同じだな。
携帯の時計を見ると、一時前だった。

「今日で夏休みも終わりだね」

呟くようなか細い声が携帯の向こうから聞こえてくる。
こなたの声は、残り少ない夏を噛み締めるようにゆっくりとしていて、どこか儚かった。

「そうね」

私は聞き役に回った。こなたが何か言いたそうだったから。
だから、それを受け止めることにした。

「あっという間だったね。何も思い出を作れないまま、二学期になっちゃって」

……そうか、こなたも、同じことで悩んでたんだ。
こう思うのも変だけど、少し、嬉しかった。

「高校最後の夏休みなのにね。受験勉強だけで終わっちゃった気がするわ」
「全くその通りだよ。私だって遊びたかったのに、かがみが勉強勉強うるさくてさ。折角の夏休みなのに」
「な、それはあんたのためを思って言ってるのよ。私達もう受験生なんだから」
「分かってるって。私のこと考えてくれてるんだよね」
「え、や、そ、それは……」

予想外の切り返しに、思わずしどろもどろになる。
電話越しに、小さな笑い声が聞こえた。

「受験生ってさ、一番疲れる職業なんじゃないの? ず~っと勉強してないといけないし、お金も出ないしさ」
「そもそも職業じゃないでしょ」
「受験生にも給料を払うべきだよ。日本の未来のために勉強してるんだからね」
「あんたが言える立場か!」

いつも通りにつっこむ。いつもと変わらぬ何気ない会話。
この会話がなくなる日も来るんだろうか。
受験生、という言葉が、心に重くのしかかる。
夏休みの幻想を払いのけ、現実を突きつけてくるリアルな言葉。

それが私の中に暗い影を落として、どうしようもない焦燥感が生まれた。
何も言えない、僅かな沈黙の間が流れる。

「……ねぇ、かがみ」

突然、消え入りそうな声が聞こえた。
それは、いつも通りではなくて、私は思わず聞き返す。

「どうしたの? こなた」
「私、寂しいよ」
「え?」
「……やり残したことはいっぱいあるのに、もうすぐ夏はいなくなっちゃう」

こなたの声のトーンは更に落ちていた。
落ち込んだ表情で電話しているこなたの表情が脳裏に浮かんだ。

「それが、凄く怖いんだよ……」

……こなた。
こなたもこなたなりに、思い出が作れないまま消えていく夏に焦りを感じてるんだ。


夏休みが、高校の思い出を作る最後のチャンスかもしれない。
秋になったら本格的に受験勉強をするようになるだろう。冬は受験本番だ。
多分、時間が私たちの周りを緩やかに流れるのは今日までだろう。
だからこそ、思い出を作ればよかったという後悔が沸き起こってくる。

「かがみ、お願いがあるんだけど……」
「何?」

遠慮がちにこなたが尋ねてくる。あのね、と前置きして、

「……私のうちに来てくれない? 私、かがみに逢いたい……」


こなたの家まではかなりの距離があったが、嫌だとは思わなかった。
急いで服を着替えて、そっと家の外に出る。
自転車に乗ろうとして、ふと、タイヤのそばに落ちている何かが目に入った。
セミの死骸だった。

自分の役割を果たしたアブラゼミが、その生涯に満足したように、こてんと倒れていた。
夏はもはや僅かな残滓だけとなっていた。

反射的に携帯の時計を見る。一時半。
焦りが沸き起こる。早くしないと。早く行かないと。
夏が完全に去ってしまわぬ前に。
こなたとの思い出を作るために。

ペダルを必死で漕いだ。自分でも信じられないほどの速度で、自転車は大気を切って道路を滑走する。
ひんやりとした風が体に吹きつけてくる。
夏一色だと思っていた世界は、いつの間にか秋に侵食されていた。

このペースだと、十五分で行けるだろう。いや、行ってみせる。
ライトが照らす暗い道の先へ。夏休み最後の思い出を作りに。
更にスピードを上げる。
去っていこうとする夏に、少しでも追いつきたかった。


汗が噴出してくるあたり、さすがにまだ夏なんだと思った。
こなたの家が見えてくるころにはさすがに体力も減ってきて、速度はずいぶん落ちていた。
それでも、心地よい熱気を帯びた体に鞭打って、走り続ける。

家の前には、人影があった。
すぐに分かった。こなただ。
こなたが、家の前で立っていた。

最後の加速だと脚に最大限の力を込め、家の前、こなたの前に降り立つ。
こなたは驚いたような、それでいて寂しそうな表情だった。

「かがみ? ……来てくれたんだ」
「まあね。私も……寂しかったから」

近くにいないと輪郭しか分からない暗い世界。
その中で、こなたは少し道路の先に目をやって、それからまた私に視線を戻した。

「家の中はマズイから……ちょっと散歩しない?」
「え? ええ、いいわよ」


自転車を置いて、二人で並んで歩く。
誰もいない世界。虫の声以外は何も聞こえない世界。
私たちも、何も喋らなかった。
ただ、夏の最期を感じていた。

公園があった。
何となく中に入って、どちらともなくベンチに座る。
そこでようやく口を開いた。
聞こうと思って聞けなかったことが、するりと喉から出てきた。

「ねぇ、こなた。こなたは、大学に行ったら、どうするの?」
「え?」
「その……新しい友達とか作るの?」
「……うん。多分、作ると、思う」

こなたはばつが悪そうに答える。
……作るの、か。
それなら、私たちは高校までの付き合いかな。
やがて新しい生活に慣れていくんだろう。
終わる夏への焦りと、同じようなものを感じた。

「じゃあ、大学に入ったら、私たちが集まることもなくなるわね」
「そ、それは……」
「友達はできて、また、離れていく。場所が変わるごとに新しい友達が出来て、古い友達とは付き合わなくなっていくものなのよ」

自分の不安を、そのままこなたにぶつけた。
こなたに知ってもらいたかったから。この気持ちを分かち合いたかったから。

沈黙が続く。
私はこなたを見ることが出来なかった。
代わりに、真っ暗な空を見つめていた。

はるか遠方に欠けた月がある。
入試も、あの月のように、届きそうもないほど遠くにあるように思える。
でも、それはまやかしにしか過ぎないんだろう。
かつて人々が月に達したように、入試もいつか必ず目の前にやってくる。
その先に何があるのかは、全然分からない。
いつまでも、この夜が続いて欲しかった。

「……かがみ、それは違うよ」

こなたがやっと口を開いた。
ちらりと横を見ると、こなたも空を見ていた。
視線を戻す。

「私達、ずっと友達だよ」
「そんなこと、誰でも言えるわよ」

不意にそんな言葉が零れた。
こなたのありきたりな返事に感じた憤りのようなものが、無意識のうちに流れ出していた。

そんなのじゃ、安心できない。
もっとこの寂しさを鎮めてくれるような言葉が欲しかった。
それなのに……。


生温い風が肌を舐めるように吹き抜けていく。
僅かな肌寒さを覚えた。
その風に乗って、灰色の雲が流れてくる。
月はその雲に阻まれ、姿を消した。
途端に、周囲は暗闇に包まれる。

秋を告げる虫の音だけが、やけにはっきりと聞こえてくる。

この暗さなら、表情も分からないかな。
何も見えないんだから、これは独り言だ。
誰も聞いてないんだから、本当の気持ちを呟こう。

どこかもの寂しい感じのする音に、乗せるように。

「私、嫌なの。みんなと会わないようになるのが。それに、新しい友達を作っていく未来の自分も……」

声は闇に吸い込まれるように消えていく。
でも、返事は来た。
すぐ隣から。息遣いが聞こえるほどの近くから。

「かがみは不安なんだね。将来のことが」
「……そ、そうよ、怖いわよ。今の日常がずっと続いていけばいいのに、
後半年もしたら、何も分からない世界に投げ込まれるなんて」
「新しい生活が怖いのか~。かがみんは寂しがりなんだから」
「う、うるさい。……あんたは寂しくないの?」
「私だって、寂しいよ」
「え?」

闇に向かって思わず聞き返す。
風が吹いて、止んで、答えが返ってきた。

「今までずっと一緒だったのに、離れ離れになるんだよ? 寂しいに決まってるじゃん」
「……それなら」
「かがみ。……確かに、新しい日常で、新しい友達が出来るかもしれないよ。
でも、それはいいことだと思う。友達は多い方がいいでしょ。……違う?」
「そ、それは……」

思わず言葉に詰まる。
友達を作るのが悪いこと。そんなはずがない。
それだけは言い切れる。
でも、はっきりと頷けないのは……。

「違わない。だけど……でも、こなた達を失ってまで作りたくない!」
「失わないよ」

その言葉に、反射的に振り向く。
闇に慣れた目に、空を見上げ、微笑を浮かべたこなたの顔が映った。綺麗だった。

「さっきも言ったでしょ。一度出来た友達は、ずっと友達のままなんだよ。
新しい友達が出来るごとに一番下から消えてくわけじゃない。
私とかがみだって、これからもず~っと、友達なんだよ」

私は、何も言えなかった。
ただ、ぼやけたこなたの顔だけを、ぼんやりと眺めていた。
緩やかな風が頬を撫で、こなたの髪は宙を舞う。
そして私の視線を知ってか知らずか、こなたは風に似た穏やかな声で言葉を続けた。

「だから、未来は、かがみが思ってるほど寂しいものじゃないと思うよ。
 もっと、かがみが思ってる以上に楽しいもののはずだよ、きっと」
「……本当?」
「もちろん。だってね、離れ離れになっちゃうかもしれないけど、私とかがみの繋がりは、絶対にほどけないんだから」

こなたがゆったりとした動作で、私に振り向く。
こなたの視線が私の目を射抜くように見据えてくる。
暗闇の中で、その瞳だけが輝いて見えた。

「……ほどけないし、私も絶対に離さないから。だから、かがみが離さない限り
、私たちは一緒なんだよ」
「こなた……」

こなたの言葉が、私の心に開いた穴を、柔らかく埋めていく。
でも、その台詞は何処か、こなた自身に対して言っているようにも感じられて……。
気づいた時には漠然とした使命感というか、よく分からない何かが私の中で私自身を突き動かしていて、

「……わ、私も、離さないから」

思わず、口を開いていた。
こなたが驚いた様子で私を見る。
何故だか視線を合わせることが出来なくて、私は斜め上の空に顔を逸らした。
未だに空一面には灰色の雲が広がっていて、でもそれは少しずつ、流れ始めていた。

その大きなキャンバスに、私の未来を思い描く。
何処に住んでいて、何をしていて、そして傍に誰がいるのか……。

「……だから、私たちは、ずっと一緒」

呟いた言葉が、空に向かって飛んでいく。
あの雲にまで届いただろうか。そして、もっと大事なところにも。

虫の音は聞こえなくなり、風は吹かなくなり、何もかもが止まったようにすら思えた。
私は何も言わず、こなたも何も言わない。
そんな時間がどれくらい経っただろうか。
沈黙が破られ、声が聞こえた。

「……かがみ、ありがとう。……約束、だからね」
「ええ、約束。でも、お礼を言うのは私の方よ。ありがとう、こなた」

振り向いて、ふと、自分の周りに夏の暑さが蘇っていることに気がついた。
さっき自転車で走っていた時のように体が熱を持っていて、それがとても気持ちいい。
私の夏はまだ、終わっていなかった。
姿を消す直前に少しだけ立ち止まって、私たちを待っていてくれている。
そんな気がした。
……でももう、その時間は長くは残されていないだろう。

高校最後の夏という、今の私にとって一番大事で、きっと私の人生の中でも何番目かに大事な時間。
そのラスト数時間をどう使うかは、もう決めてある。

「こなた」

二人の思い出を作るって。
だから、私は立ち上がって、こなたに手を差し出した。

「ほら、早くしないと、夏が終わっちゃうよ」
「……うん」

こなたは遠慮がちに私の手に触れて、それから強く握って勢いよく立ち上がった。

少し強い風が私とこなたの周りを突き抜けていく。
虫の音は徐々にぼやけて聞こえるようになった。
空を不気味に覆っていた灰色の雲が流れ、また、欠けた月が顔を出す。
それは、消える瞬間に見た月そのもので、まるで今まで時が止まっていたかのような錯覚さえ感じた。

そして、最期の夏のカウントダウンが始まる。
制限時間まで、後どれくらいだろうか。
とにかく、もう止まっている暇はなかった。

この間にも、着実に私たちの夏は最後のかけら一つまで削られていっている。
そして跡形もなく消えた時、私たちは月に向かって、戻ることの出来ない旅に出なければならない。
時間はもう立ち止まってくれない。

……でも、私たちももう立ち止まらないから、きっともう、大丈夫なはずだ。
迷うことも、不安になることもない。
未来へと続く約束が、道しるべのようにずっと先まで伸びているから。
離れていてもお互いの楔を手繰り寄せていつでも会えるから。
だからもう、大丈夫だ。

「もうすぐ、夏もいなくなっちゃうね」
「……そうね。ちょっと寂しいけど、でも、大丈夫でしょ? こなた」

そう言うと、こなたは大きく頷いて、笑みを浮かべて、

「うん、大丈夫だよ、かがみ。……だから、ちゃんと二人で見送ろう」

また、どちらともなく歩き始める。
公園の空気はもう暑いのか涼しいのか、よく分からなかった。
でも、私たちは分かっている。
この夜が明けたら、そこがどんなに暑くても、もう夏ではないのだと。

「これからどうする?」

私は言った。
これは、通過儀礼なんだと思う。私たちが満月を浮かべる秋に進んでいく為の。
だから精一杯、今のこの時間を大切にしよう。
こなたと一緒に、ずっと先まで持っていく思い出を作っている今を。

「うーん、どうしよう。そう言われると思いつかなくなるよね」

こなたはしばらく視線を泳がせて考え込み、それから、いかにもいいことを思いついたという感じの表情で、

「あ、そうだ!」

トーンの上がった声が、空へと響いていく。
そしてそれは風に流され、辺り一面に染み込んでいく。
私は思わず、空を見た。

大きな月が、夏の太陽を思わせるほどに輝いていた。




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  • 過ぎ去った大切な時間。
    もう戻れないと思うと、胸が苦しいです( ; ; ) -- 26歳 (2010-10-03 18:09:03)
  • 私は今年で36歳。
    だからこそ、こなかがのSSで泣くんだと思う。

    私は、時間が待ってくれない事にどれだけ気付けたのかな……。
    -- 名無しさん (2010-03-30 01:16:21)
  • 自分も4月から高3だから寂しくなってきた… -- 名無しさん (2010-03-30 00:10:08)

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