前略 母上様(独自設定 注意)

このページを編集する    
これは、こなたとかがみが高校を卒業してから、二十数年後のお話です。


この夜、少々不機嫌にとらわれたかがみを、自宅の居間で見ることができます。

ソファに身を預け、少しピリピリしながら、足を組んだり離したり、
スーツ姿でメイクも落とさずにいるのは、仕事から戻ったばかりということです。

四十代も後半というのに、その容色衰えぬどころか、年齢さえも知的な奥行きに換えて、
先ずは魅力的な、大人の女性に仕上がった彼女です。

弁護士として世の声望に応え、颯爽と日常をこなす彼女ですが、
先ほどから誰かと話をする、なにか突っかかるような、少し子供っぽい振舞いには、
日頃、職場での彼女を見慣れている人々が聞いたら、いささか驚くかもしれません。

評判の才媛をして、大人の仮面を捨てての取っ組み合いを強いる、その相手というのが、
余人にあらず、彼女の一人息子です。

母親譲りの美形との評判で、その点かがみも自尊心をくすぐられないではありませんが、
本人にしてみれば、その線の細さが気に入らないのでしょう。
言葉遣いや振る舞いには、不良気取りというのか、取って付けたような乱暴さがあります。
それでいて、どこかツンと澄ましたような行儀の良さがにじむあたり、
こうして並んでソファに腰掛けてみると、もはや誰の子か間違いようもありません。

父親を真似て、手の切れそうなくらい糊を利かせたピンストライプのシャツに、
自宅で寛いでいるというのに、ネクタイなど締めていますが、
それがまたしっくりこなくて、いかにも背伸びして見えるあたり、十八歳に至っても、
未だ「少年」と呼ぶに相応しい雰囲気の少年でした。


「こなみちゃんには、きちんとお別れしてきたんでしょうね?」
「ああ」
「大丈夫だったの?」
「あいつのことだ。分かってくれたよ」


この少年、実はこなたの娘と、将来の約束を交わしていたのです。

ほぼ生まれてからの十八年間、母親同士の因縁そのままに、
まるで分身のように、共に成長してきたふたりです。
それが今後六年間、離ればなれになります。


「最後の夜じゃないの、一緒にいてあげなくていいの?」
「これでいい。六年後オレが迎えに行くまで、あいつとは会わない」


これは彼なりの決意、というものでした。


「宇宙飛行士」

少年が小学生の時、将来の夢として作文に書いたときは、
誰もが歳相応の、子供らしい夢だと思いました。
しかし彼はどこまでも本気でした。

石油代替の決定打として、核融合エネルギーの開発が進み、彼が中学生になったころ、
ようやく今世紀半ばには実用段階に入るという、技術的な目途が立ちました。
しかしその燃料であるヘリウム3は、地上には存在しません。
採掘地として、にわかに月面の開発に注目が集まりました。

今まで遅々として進まなかった宇宙開発が、民間資本の参入を得て、
それで一気に弾みがついたのです。
すでに将来の需要を見越しての、宇宙飛行士の大量養成が、各国で競って始められていたのです。

徐々に身近になってきて、ひとたび打ち上げとなっても、
横断幕を掲げて町内を挙げて祝う習慣も無くなりましたが、
それでも一般人の認識としての宇宙飛行士は、普通の高校生の進路としては、
高校球児が、いきなりメジャーリーグを目指す程度には、まだまだ突飛な選択肢と言えました。
担任はあからさまに迷惑顔、クラスの連中とて苦笑失笑の連続でしたが、
どこ吹く風と本人だけは大真面目で、現に選抜試験を次々と突破し、夢の扉をこじ開けたのです。

高校を卒業してからのこの半年間は、相模原の施設で基礎研修を受けていたため、
時折この家にも顔を出すことができました。
それが、いよいよこの秋から、アメリカはニューメキシコ州ロズウェルに、
十六ヶ国共同運営の宇宙飛行士養成学校が開校し、彼もそこに留学することになりました。
外界から隔絶されたこの施設で、「UP or OUT (進級無くば即追放)」の、
過酷な訓練生活が始まるのです。

そしてその旅立ちを、翌日に控えていたのが、この夜だったのです。

「まったく、まだまだ地上にだって、いくらでも働き場があるってのに、
 なんでわざわざ、宇宙にまで行きたがるわけ?」
「その話なら、とっくに決着がついたはずだ。今ごろ蒸し返すな」


無難に自分と同じ道を勧めて、最後までこの進路に反対していたのは母親、かがみでした。

普段から理屈っぽく、ロマンやメルヘンにはいつも冷ややかな息子が、
この期に及んで何故に宇宙飛行士などと、進路相談の時には不審にさえ思ったものです。

しかし、やがて気付きました。
息子はロマンの嫌いなリアリストなのではなく、ただ半端なロマンが許せないだけの、
それは付ける薬のない、ハイパーロマンティストだったのです。
そしてその性質は腹が立つほどに、かがみ自身にもよく当てはまりました。


「こなみちゃんを独りぼっちにして、男のケジメってやつは無いの?ちゃんと籍を入れるとかさ」
「留守中の浮気が怖くて、女房を鎖につなぐような、そんな弱っちい亭主じゃないんだ、オレは」
「・・・あんた、バカ?」
「バカとは何だ。オレは本気だ」
「あんたひょっとしてホントは、こなみちゃんとの結婚がイヤなの?
 だから宇宙へ行くなんて言ってるじゃないの?」
「さっきから聞いてれば、こなみの心配ばっかりだな」
「誰があんたの心配なんか!
 何もかも独りで決めちゃって、私の言うことなんか、全然聞かなかったくせに。
 それで“母からの優しい励まし”を期待するなんて、虫が良すぎだぞ!」
「フン、とっくにヘソの緒は、ぶった切ってんだ。いらねぇよ、そんなもん」


いつもと違う特別な夜とはいえ、進路のことで散々やりあった経緯のせいで、
お互い、どうしても言葉尻にトゲが立つのは、自然の勢いというものです。

かがみも昔は、お父さん子と言われるほどに、母とは対等に張り合ったつもりで、
幾度となく反抗したことは確かにありました。

してみれば今の息子との関係は、その時の自分の行いに祟られたとも言えますが、
あの時の母に比べての、今の自分の余裕の無さに、母よあなたは偉かったと、
今更ながらに思うのです。


「だいたい、甘ったれのあんたが、寮生活なんか出来るわけ?」
「うるさいな。やってるだろ、もう半年も」
「こなみちゃんが一緒じゃなくても、ちゃんと眠れるの?」
「い、いつの話だよ、それは・・・」
「一緒におフロ入ってもらったり、添い寝してもらったり、
 こなみちゃんには小さい頃から、世話焼かせっぱなしで。
 ま、丁度良かったのかもね。いいかげん独り立ちしないと、あんたオトコになれないわよ?」
「男のケジメがある。だから、あいつとはまだ・・・

 ・・・って、何言わすんだよ!! 何だよオトコになるって? 余計なコト言うな!」


かがみも、苦笑いを禁じ得ません。
ツリ目で細面の、一見クールに見える端整な顔が、耳まで真っ赤になる。
そういうところも、誰でもない、自分から受け継いでしまった息子です。
こなたが何かと自分をからかうのも、この子を見ていると、その気持ちがわかる気がするのです。

ただ、昔の私はここまでひどくなかったと思うにつけ、
いちいち自分と似ているのが歯痒いやら腹立たしいやらで、母親の立場を忘れて突っかかる、
この調子で何度、良人に叱られたか分かりません。


「こなみちゃんのこともそうだけど、まあずいぶんと、こなたの家にばかり馴染んでくれたわね。
 実の母親というものがありながら」
「フン、実の母親が聞いて呆れるよ。昔は仕事仕事であんたロクに家に居なかったじゃないか? 
 ガキの頃なんか、こなたさんがメシ食わしてくれなかったら、さて、マトモに育ったかどうか」


売り言葉に買い言葉。辛辣にやり返せば、
せっかく母親からもらった美貌も、小面憎さばかり目立って始末に負えません。

少年にとって、父親は年齢が離れているせいか、
子供っぽい反抗心を向けるのを躊躇するような、少し成熟しすぎた大人でした。
その分、気質が似ていて絡みやすい母親に矛先が向いてしまい、
ふたりは昔から、子供じみたケンカを繰り返していたのです。


「はあ? なんてこと言うの! そんなこと言うなら、あんたみたいな不孝者、
 宇宙でも何処へでも行って、二度と戻ってこなくていいからね!」


仕事にかまけて家に居なかったと、何度となくこんなセリフをぶつけてきたのですが、
実は、これを言えば母が何より傷つくと、知っていたはずの少年でした。

いつもなら、このあたりで捨て台詞の一つでも吐いて家を飛び出して、こなたの家に転がり込む。
翌日、こなたに背中を押されて、渋々と頭を下げる。
こんなことを、今まで何度繰り返したか分からない少年でした。

しかし今夜の彼は溜息とともに、ひとりで母に頭を下げました。言い過ぎて悪かった。
かがみの方といえば、そんな珍しく素直な息子を見て、面食らったような、
却って何か物足りなげな顔をしています。

いつまでもこなたさんには、迷惑を掛けられないからな、母の問いたげな目付きに、
少年は呟きます。なべて今夜は特別でした。


「オレ、昔家出したときに、あんな奴の家に戻りたくないから、
 オレをこなたさんの子供にしてくれないかって頼んだことがある」
「な ん で す って!?」
「・・・頼むから、おしまいまで聞けよ? ・・・・って、イテッ!」
「あー、聞いてやろうじゃないの、この薄情者!」

「・・・あの時は、こなたさんに、本気で怒られたんだ」


その時のこなたの言葉は、思いきり張られた頬の痛みとともに、
少年の耳に、今でもはっきりと残っていました。


-「アンタ、なんてこと言うのさ! いいかい? かがみはね、
  仕事もアンタもどっちも大事だから、どっちも言い訳にしたくないって言ってね、
  どんなに辛い時でも、どっちにも手抜きしないで一生懸命、頑張ってるんだ。
  アンタがそんなこと言ったら、かがみが・・・ かがみが泣いちゃうじゃないか!」-

-「アンタにはまだ、わかんないだろうけどネ、
  お母さんなんて、いつまでも一緒に居てくれるわけじゃないんだよ。
  それを・・・
  亡くして初めて有難味が分かったなんて、アンタにだけは、言って欲しくないんだよ!」-


もとより当時の少年に、その言葉の意味の、全てが理解できたわけではありません。
その時、何より少年に堪えたのは、こなたの涙でした。
少年は初めて、言葉が人を傷つけることを教えられたのです。
その時の彼は、泣いて母に詫びたものです。


-「わかってる。アンタも淋しかったんだよね。いいよ、今度からね、
  淋しくなったら、いつでもウチにおいで。でもさっきみたいな事、言ったらダメだかんね」-


ひとしきり泣いたあと、優しく抱き締めながらそう言ってくれた、
その言葉に何度となく甘えながら、
この約束をさっぱり守れなかったことを、少年は今にして思うのです。


「そんなことが、ね・・・・・・・・・・・・・・」


最後には許されると分った上での、甘えた反抗は、誰しもいずれ卒業しなければならないのです。
だれもが通るべきこの関門を、息子が無事抜けることが出来たのも、
こなたが惜しみない愛情を注いでくれたお陰だと、かがみも認めないではありません。


「悔しいけど、あいつの方がよっぽどいいお母さんしてるわね。

 こなたは昔ね、子供はたくさん欲しいって言ってたんだけど、無理だったから、
 本当はあんたが、あいつの子になりたいって言った時、すごく喜んだと思うよ。
 なのにね・・・ 素直じゃないからね、あいつ」


こなたのことが話題に上った途端、ふたりの間の空気がしんみり落ち着くのに、
どちらも気づきません。こなたは永年、ふたりの良き仲裁役だったのです。

こなたを語る母の優しげな横顔に、少年は語りかけます。


「こなたさんとは、もう長い付き合いなんだろ?」
「高校のときからね。友達らしい友達って、初めてだったかな」
「ふ~ん」
「わたしね、それまで友達って、ほとんどいなかったんだ。
 優等生だとか言われて、自分は頑張ってもっと先に進まなきゃいけない、って思って、
 気がついたら、誰も私に近寄らなくなっちゃった。私、ホントに独りぼっちだったんだ」

原因は自分自身の狷介さにあった。現在のかがみなら、素直にそう認めることが出来ます。
ところが当時の彼女にしてみれば、人を助けられるような立派な人間になりたいと、
真摯に努力した結果、それゆえ人から煙たがられ、嫌われる。それは悲劇でした。

それでも自分のためより他人のため、何くれと尽くすのですが、些細な行き違いから
他人との溝を深め、不器用にもそれを修復できないとあって、
他人と接するほどに、彼女は深く傷ついていたのです。
そんなとき、かがみはこなたに出会ったのです。


「こなたのお陰でね、他人とも、もっと肩の力を抜いて付き合えるようになったんだ」


あるいは、いつもギリギリに張りつめて、身構えていなくとも、
人とは付き合っていけるのだと、教わったということでしょうか。

のっけの初対面から、からかい口調での無遠慮なその指摘は、一歩間違えれば
かがみのこれまでの努力を、全否定しかねないものでしたが、これと言って反感は湧かず、
その時のかがみにとって、その感慨は何故か爽やかなものでした。

何かが吹っ切れたそのあとは、みゆきや、妹のつかさは勿論のこと、
中学から一緒だった、みさおやあやのとも、その時から本当の友達になれた気がしたのです。


「こなたはね、私のダメなところを、正直に笑い飛ばしてくれた。
 そして、ホンネの私と付き合ってくれた。
 でも何より、嬉しいときも、辛いときも、いつも傍にいてくれたんだ」


アニメやら、ゲームやら、なんやかや、自分勝手に好きなことを捲し立てるようでいて、
それでも言辞を弄して無理に慰めようとせず、かといって正論を並べて突き放しもせず、
こなたは傷ついたかがみの心に、ただ、寄り添ってくれたのです。

高校時代の三年間は、のちに振り返ればほんの僅かな期間でしたが、
あの時、二度とない青春を確かに生きていたという実感は、二十数年を経た今も、
決して消えることのない、出来ればそのまま浸っていたい、それは心地よい記憶でした。
息子がこう切り出すまでは。


「こなたさんが結婚したとき、あんたはどう思った?」


一瞬、時が凍りついたように感じ、かがみは傍らの息子を見ました。

少年の、ややもすると女性的な風貌に、軟弱な印象を一切与えず、
ときに暑苦しさすら感じさせるのが、いつも意思の力の籠ったその目です。
それが今は彼の横顔に、ひんやりと光っていました。

母親たちの関係について、何も気付かぬほどには、少年も幼くはありませんでした。
ただ彼はそのことで、手垢にまみれた倫理を振りまわして母を責めるほど、
愚かでもありませんでした。

何故なら、彼の今までの幸福な生い立ちは、何よりも
母がいままで良き妻であり、良き母でいてくれたことによって、成り立っていたことを、
口では認めずとも、彼はよく知っていたのです。

いつの頃からか、そのことを思うにつけ、少年は、自身の出生の意味に悩んできました。
母が想いを遂げられなかった、そのお陰で自身が存在するのではないかという皮肉に。
そうであれば、半端な生き方は絶対許されない。彼は常に全力で走り続けていたのです。

それ故、事実は事実として、少年はその時の母の、本当の気持ちを知りたかったのです。

もしも、母がひたすら自分を押し殺す自己犠牲の上に、今までの彼の人生の全てが
築かれていたのだとすれば、彼にとって、それは覚めない悪夢でした。
くれぐれも、あの時は仕方なかった、なんて言い訳してくれるな。負け犬顔で言ってくれるな。
さもなければオレは、一生を呪われる・・・・・・

意図して避けてきた話題ではありませんが、誰かに語るには、やはり重すぎました。
しかし、息子の懸念とて、かがみも意識しないではありませんでした。
思えば人生も半ばを過ぎ、これまでの生き方を問われてもおかしくない、
あるいは今がその時なのかと。
なればと、臆することなくかがみは、息子の問いを正面から受け止めます。

「あいつが結婚した時はね、少し淋しかった。でも、それ以上に嬉しかったんだよ」
「好きな相手が誰かのものになるんだぞ、そんな気持ちになれるのか?」
「・・・・そうよ」


かがみは静かに続けます。


「最初のうちは私も、あいつに恋をしていた。だから、独り占めにしたかったんだ。
 あいつのほかは、家族も友達も何も要らない、そう思ってた時期もあるわ。

 でもね、それじゃダメなんだ。
 恋は盲目って言うけど、自分も周りも見えなくなっているから、
 好きな相手のことも、本当のところは何も理解できていなくってね・・・」


それは明日の見えない日々でした。
道ならぬ恋と言い、世間の冷たい視線と言っても、
今思えば、それさえも便利な言い訳と思えるほどでした。
世界中を敵に回す覚悟など、とうに決めていたはずなのに、
肝心のふたりの関係が、行き詰まっていました。

恋愛感情は三、四年しか持続しない。
心理学者の野暮な分析を、初めかがみは気にも留めませんでしたが、
それが不吉な予言として思い出されるほどに、
想えどすれ違い、相手の本当の気持ちが分からない。溝は深まるばかりでした。

そんなある日のこと、かがみは耐えかねて、こなたを掻き口説きました。

一緒に暮らそう。

このままじゃふたりはバラバラになる。もう放したくない。
何もかも焦っていたのです。

そんなかがみに、こなたは長い長い逡巡のすえ、やはり耐えかねて、こう告げたのです。


-「私はね、いつか“お母さん”になりたいんだ」-


お父さんとお母さんと子供がいる、そんな普通の家族が欲しい。
こんな私には似合わないって、分かってるけどサ。
こなたは俯いて、消え入るようにそう言いました。


-「命がけで産んでくれたお母さんには、もう、何もしてあげられないけどさ、
  せめて、私がいいお母さんになれば、少しは恩返しが出来るかナ・・・」-


かがみはこの意味を、直ちに理解しました。
そう言われてみれば、支離滅裂で非常識のようでいて、こなたにはいつも抜き難く、
堅実で、家庭的な一面があったのです。


-「学校じゃ、普通と違う家の子は、みんなイジメられるからね。
  お父さんには感謝してるけどさ、やっぱり小さい頃は、それでいろいろ辛かったよ。
  なんでウチにはお父さんしかいないのって駄々こねて、お父さんをいっぱい傷つけた・・・
  ・・・それでも、私の時は仕方がないよ。
  お母さんだって、悪気があって居なくなったわけじゃないんだし。

  私のことはいいんだ。世間が何て言ったって、いくらでも我慢できる。
  でもね、もし私の勝手な生き方のせいで、私の子供を同じ目に遭わせたりしたら・・・」-


かがみのこと、大好きだよ。けど私には、それだけは出来ないんだ。ごめんね、ごめんね・・・ 
こなたの嗚咽さえも遠くに聞くほどの、底なしの絶望感の中で、
なお認めなければならなかったのは、幼いころに母を亡くしたこなたにとっては、
一見何の価値もない、ともすれば辛気臭い幻想にすぎない「普通」の家族こそが、
望んでも、決して叶わなかった夢だったのです。

そしてそれだけは、かがみが決して与えることの出来ないものだったのです。

いつもギリギリのところで避けてしまう、ふたりのすれ違いの正体がそれだったにせよ、
その時、かがみの想いを受け入れるか、母への想いを貫くか、こなた自身迷いに迷っていました。

強く求めればこなたは拒まない。実感として、かがみにはそう思えました。
あるいは無理やり奪って、こなたを自分のものに出来たかもしれない。
白状すれば、後年になってそう思わないこともありませんでした。
しかし、やはりそれは許されないことだったと、現在のかがみは思うのです。

生を享けてさえもいない、まだ見ぬ我が子へ愛を注ぐ、その姿は滑稽にも見えましたが、
そうまでして亡き母への想いを紡ぐ、そんなこなたを、いとおしく思えばなおのこと、
かがみには、このちっぽけな夢を奪い去ることは出来ませんでした。
それは、いくら愛しているからと言って、否、こなたを真に愛していればこそ、
それだけは、絶対に壊してはいけないものだったのです。

その晩、かがみは泣きました。

何より悔やまれたのは、恋人だと云い、一番大切な人だと云いながら、
恋の激情に任せて、相手をひたすら貪り倒すばかりで、
こなたの願いに何一つ気付いてやれなかったことでした。

それが救いのない自責となって、彼女の身も心もズタズタに引き裂いたのです。
終には、声も涙も枯れ果てて、彼女は空っぽになりました。

しかし、かがみが失った恋に泣いたのは、その一度きりだったのです。

自責の念と正面から向き合い、あげくボロボロになり、何もかも失ったかがみでしたが、
それゆえに、唯ひたすらこなたの幸せを願う気持ちが、より純度の高い結晶となって、
彼女の心にしっかりと焼結しました。

こなたの夢は、私の夢。夢も丸ごと愛してやろう。

空っぽの心に天啓が下りれば、新たな力が湧いてきました。
たとえ想いが叶わなくとも、こなたを大切に思う気持ちに偽りがないとしたら、
かがみにも、未だ出来ることがありました。


「そうやって、いつまでもダラダラしてたら、いい相手が見つかんないでしょ!」


こなたとの、新たな生活が始まりました。
デートをすると聞けば、着ていく服、プレゼント、食事する店、何軒もハシゴして選びました。
当日のおめかしも付きっ切りで詰め、心配になってこっそり付いて行ったことも一再ならず。
グチもノロケも呑みこんで、がんばりなさいよ!と背中を叩いてやりました。
そして失恋のヤケ酒も、110と119のどちらかの赤灯がチラつくまで、徹底的に付き合いました。

尽くしても叶わぬ想いに、たとえ虚しさを覚えるときがあっても、
かがみぃ~ どうしよぅ?どうしよぅ? 泣きべそ顔で頼られるたび、
彼女の心に眠る、与えることでしか安らげない魂に、カッと火が灯るなら、
もう居ても立ってもいられませんでした。

そうして駆け抜けた人生どたばた二人三脚、転んでは起き上がりつつ、ふたりが学んだのは、
それぞれ自分なりの、人の愛し方でした。


「・・・あんたは、それで納得できたのか?
 相手の幸せのために恋を諦めたなんて、まるで言い訳じゃないか。
 一旦この相手と決めたら、どんな障害も乗り越えて奪い取る。
 恋ってのは、そういうもんじゃないのか?」

「そうね。でも、一番大事なことは、相手をずっと大切に思い続けるってことじゃないの?」


動揺で少し興奮気味の息子を諭すかがみの眼差しは、
まるで、かつての自分に語りかけるようでした。


「何もかも、丸ごと受け入れた上で、その人のことを、本当に大切に思えるなら、
 もう、その人がその人でいてくれるだけで、なにもかも幸せなんだ。
 そこまでとことん人を愛せるなら、もう、自分だけを愛して欲しいなんて思わなくなる。

 私はあいつだけじゃない、あいつの夢も、みんな愛してるんだ。
 こなたにとっての大切な人は、私にとっても大切な人なんだ。
 だからあいつが結婚する時、決めたんだ。
 これからは、ふたりまとめて愛してやろうって」


これが負け惜しみの類でないことを、少年は知っていました。
職業柄、家庭を疎かにしがちなこなたの良人を、いつも本気で叱っていたのも、
そのくせ、同じ職業人として、彼の悩みを誰よりも理解しているのも、この母でした。
そして向こうも、まるで姉のようにこの母を慕っていることも。


「本物の愛は寛容なんだ。
 分け隔てなく周りの人も、みんな愛せるようになるわ。
 そうすれば、ふたりだけの世界より、もっともっと大きな世界がつくれる。
 そうやってみんなで助け合っていけば、きっと幸せになれる。

 だから今の私はね、みんなみんな、愛してるんだ。
 あのふたりも。こなみちゃんも。
 つかさやみゆきや、そのダンナさんや子供たち。みんなみんな愛してる」

相手ばかりでなく、相手を囲む人の輪を、母は丸ごと愛している。
そのために彼女がこれまで、どれほど心を配り、力を尽くしてきたか。
記憶を手繰るほどに、少年には、いちいち憶えがありました。


「もちろんあんたのことも、ちゃんと愛してるんだからね」
「物のついでみたいに言うなよ」


不意の温かな感触に、ちょっぴり赤面させられては、
少年は口を尖らせて、もう大人しく負けを認めるしかありません。


「・・・そうか、大切な人が増えていくのは、幸せなことなんだな」
「そういうこと。わかった?」
「う~ん」
「ちょっと難しかったかな」
「オレだったら、こなみが他の男と、なんて考えただけでハラワタ煮えくりかえってくる。
 そんなんで、本物の愛というやつが、分かるようになるのかな?」
「それはあんたたちが、いつか男と女になるからだよ。
 男と女にはね、愛とはまた違う引力が働くから、ちょっと分かりにくいのかもね。
 実際、世間じゃそれを愛と勘違いしてる風もあるからね。

 でもね、時間をかければ、きっと分かるようになるわ。
 じっくり見つけるといいよ。あんたたちなりの愛し方をね。

 私もね、確かにあいつを独り占め出来なかったけど、
 それでも、大切に思い続けることは出来るし、一緒にいることもできる。
 これからも、私なりに、こなたを愛し続けるつもり。

 こなたと付き合うようになって、そんな風に人を愛せるってわかって、
 そのお陰で、私の世界が何倍も大きくなったんだ。
 そう導いてくれたって意味で、あいつは私の恩人なんだ。ホントに感謝してる。

 見返りなんて、何もいらないけど、 
 こなたも、同じように思って居てくれると、嬉しいんだけどね」


事実は事実として、恋をしていた頃の自分が夢見ていた、男女の婚姻のような関係は、
結局のところ叶わなかったのです。

振り返れば、決してすべてが思い通りの人生ではありませんでした。

それでも、共に妻として母として、同じ悩みを共有し、お互いに助け合って生きてきた
これまでの明け暮れには、男女の婚姻にも負けない価値があった。
かがみには、そういう自負がありました。
いつまでもウジウジと悩むの禁止。そうでしょ、こなた。


「大丈夫、きっとこなたさんも、あんたを心から大切に思っているはずだ」


決して話し易いことばかりではなかったはずです。
それでも、抱きしめるよりも強い優しさで、率直に、堂々と、母は答えてくれました。
その凛とした横顔は、少年の密かな尊敬の対象でした。


「こなたさんに怒られる時に、決まって出てくるのが、あんたの話さ。
 これもかがみのお陰なんだよ、って、何度聞かされたか知れやしない。
 こなたさんが言うには、オレ、本当にいい母親を持ったらしいぞ?」
「バカね、何言ってんのよ・・・」
「こなたさんは本当に尊敬してるんだよ。あんたのこと。

 結局、ホレたのハレたの言っているうちに、お互い尊敬できる関係に
 ならなきゃダメだってことなんだよな。

 だからオレも、こなみとは・・・ そういう関係になりたいんだよ。
 正直あいつとは、あんまり長い間一緒に居過ぎて、
 もうホレたとかハレたとか、そんなの通り過ぎちゃったからな」


照れ隠しだということは、かがみには手に取るように分かります。
それでも息子の優しげな眼差しに、あえて訊いてみたいことがありました。


「あんた、こなたの娘だからとか、そういうの抜きで、
 こなみちゃんのこと、本当に愛してあげられる?」


自分たちの代わりに子供たちが結ばれて、
かつてのふたりの想いが一つの命となって、未来へ受け継がれる。
そうなったら、きっと素敵だろう。
これは、最後に残された、かがみの夢でした。
ただ、それを子供たちに背負わせることに、引け目もありました。

問題はそれなんだ・・・
 こなみは、オレの良いところも、ダメなところも、何でも丸ごと受け入れてくれる。
 今度のこともそうだ。何も訊かずに賛成してくれた。
 あいつが一番、辛い思いをするのにな・・・」


大切な人を置き去りにしていく引け目は、少年にも無いわけではありません。


「そんなあいつだから、オレは一生背負ってやりたいんだ」
「・・・・・・・・」
「でも、今のままじゃダメだ。
 このまま行くとオレは、こなみに甘えて、あいつのこと、何も受け入れてやれない、
 何もしてやれない、そういう情けない男になっちまう。

 あいつはそれでも、オレの傍にいてくれると思う。
 でもそうなったら、ダメなままのオレは、いつかあいつを大切に思えなくなる気がする・・・

 だからオレは誰のためでもない、自分で自分に胸張って生きていくために、宇宙へ行くんだ。
 宇宙は、何かをやり遂げようとする人間を、今一番必要としている場所なんだ。
 やり遂げてみせる。この試練は、必ず乗り越えてみせる」


与えることでしか安らげない魂を、息子は受け継いでしまいました。
彼の気負いには、記憶の端がヒリヒリするくらい、かがみにも憶えがありました。
弁護士を志したとき、こなたを支えてやれる、強い人間にならねばと、
うまくいかないことがある度、そうやって自分を鼓舞してきたのです。


「・・・本当に、行っちゃうんだね」
「ああオレは行く。絶対行ってやる。そして、何もかも背負って行ける人間になってみせる。

 そうでなきゃ、こなたさんへの想いを振り切って、
 オレを産んでくれたあんたに、顔向けできない」


叶わなかった想いは、オレが必ず未来につなぐ。それは少年なりの、母への誓いでした。

そんな少年に、母がくれたのは、とっておきの熱いエール・・・
ではなく、渾身の一撃でした。


「痛ってぇぇーーーーーーーーーーーーーっ!! なにすんだよ!」
「利いたふうなコトいうなッ!
 あんたを産んで後悔したなんて、誰が言った?
 言っとくけど、私は一度たりとも、ないからね!

 こなたと私の関係はね、私たちだけの問題なんだ。
 あんたが変な風に背負い込んで、悩むようなコトじゃないんだからね!」
「・・・わかってるよ。ウジウジ悩むのは性に合わん」
「そうそう、悩んだって無駄。あんた、バカなんだから」
「前向きと言ってくれ」

「そんなことより、あんた御夕飯まだでしょ?用意してあげるから、待ってなさい」
「うむ」


まあ、こういう母だからと、諦めがないではありません。、
それでも、少し機嫌を直したような、母の刻む包丁のリズムを聞いて、
少年はそれで満足することにしました。

夕餉の気配に包まれて、少年はふと、今までにない物淋しさを覚えます。
思えば、こうして母が食事の用意をするのを待っている時間が、彼は大好きだったのです。


「きょうは先生も早く戻るから、久しぶりに家族水入らずね」
「あのなあ・・・」
「なによ?」
「あんたもさ、いいかげん父さんのこと、先生って呼ぶの止めにしないか」
「な・・・・・・・!? い、いいでしょ、別に・・・・・」
「良くない。変だぞ、あれは」
「いいのよ。あの人は仕事でも人生でも、私にとっての『先生』なの。尊敬してるんだよ?」
「・・・いつもそんな調子で、お互い敬語でしか話さないし、この家にいると、
 なんかオレまで法律事務所で働いてるみたいで、居心地悪いったらないんだよ。
 なにかもっと別の夫婦のカタチをだな・・・・」

「なに言ってんの、あんただって、あの人の前だと、かしこまって敬語で話すくせに」
「そ、それは・・・ おかしくないだろ?目上に対しては」
「私だってあんたの目上でしょ、ちゃんと敬語で話しなさいよ」
「イヤだね。オレがいない時には、子供みたいに父さんに甘えるくせに。
 アレを見せられちゃ、とてもじゃないが母上様なんて呼べたもんじゃない」

「あんた・・・  見たのね?」
「なにを今さら赤くな・・・ って、何だよ?」
「み  た  の  ね!」
「げッ、鬼婆ッ」
「誰がオニババじゃ! あ、コラッ、逃げるな! 待ちなさい、このクソガキ!」
「わーーーッ 待て!待て! 包丁は反則!!」

六年経てばこの少年も、たくましい青年に成長しているはずです。
そうなればこの親子もお互いに、今とはまた違った付き合い方が必要になります。

今日の何気ない日常も、いずれ変わらざるを得なくなります。
それを知ってか知らずか、お互い、いつもどおりの夜は、更けていったのです。



|新しいページ|検索|ページ一覧|RSS|@ウィキご利用ガイド | 管理者にお問合せ
|ログイン|
  



★Counter

TOTAL: -
TODAY: -
YESTERDAY: -

★更新履歴

取得中です。