静かな夜に

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「お疲れ様でーす」

 アルバイトを終えた私は、軽く一礼して外へと出た。
 吹き抜ける風に身を縮こまらせながら、私は秋葉の街を闊歩する。
 クリスマス・イヴというだけあって、この街もカップルや家族連れがいつもと比べて格段に多い。
 みんな、幸せそうだなぁ…。
 すれ違う人々の笑顔を眺めながら、私はそう思った。
 …運命の日だと言うのに、妙に落ち着いている自分がそこにいた。


    「ふとしたことで~静かな夜に~」


 奇しくも、かがみがあの人と再会を果たした時と全く同じルートで、私は運命の場所へと向かう。
 地下鉄に乗り、北千寿駅のホームに辿りついた時、私の脳裏にふとした考えがかすめる。

 …もしも、あの日、あの乗り遅れた区間急行に乗れていて、かがみとあの人が出会わなかったら――私達の運命はどうなっていたのだろうか?
 私は思う。
 きっと、私はかがみにキスをせず、かがみも誰とも付き合わないまま、ずっと私達の傍にいて――。
 あの夏の日に私が望んでいた「幸福」がずっと続いていたのだろう、と……。
 それでも私は、もう過去に戻りたい等とは思わない。
 お父さん、つかさ、みゆきさん。
 色んな人の助けを借りて、ようやく私は自分の気持ちをかがみに打ち明ける事が出来たのだ。

 ――自分の気持ちを伝えられなかったら、いつかきっと後悔する。

 かがみに自分の想いを告げた後、お父さんが言ったあの言葉が、身に沁みるほど良く分かる。
 例え、この恋が実を結ばないまま終わってしまったとしても、私はこれからも前を向いて生きていける――そう思っている。

 電車がホームに滑り込んで来た。
 あの日、乗り損ねた区間急行だ。
 私は思わず苦笑いをしながら、開かれた扉の前に立った。

§

 時々窓から流れるクリスマスツリーのイルミネーションを眺めながら、私は電車が糟日部駅に到着するのを待ち続ける。
 その間、私の頭の中では、もしも私とかがみが付き合い始めたら――という、愚にも付かない妄想が延々と展開されていた。

 まずは、手を繋ぎながら二人でデートがしたい。
 アキバとかそういう所じゃなくて、ベタなデートスポットに行って、私がボケて、かがみがそれにツッコミを入れて――。
 お昼には、私がお弁当を作って来てあげるのも良い。
 何度も何度も食べさせ合いっこをやりながら、さり気無く、かがみの好きな味付けを聞いてみたりして――。
 夕方になったら、見晴らしの良い高台にでも行きたいな。
 「今日はどうだった?」「楽しかったわよ」なんて言いながら、ちょっと良い雰囲気になって、付き合い始めて最初のキスをしてみたりして――。
 あ、でも、この時期に付き合い始めるとなると、私達の初デートは冬のコミケになりそうだ。
 …まぁ、それもそれで私達らしくて良いかもね。

 そこまで考えて、ようやく私の理性が、「そんなの叶いっこ無いのに」とツッコミを入れてくる。
 すぐさま、自分の欲望に「別にそれぐらい良いじゃんか。まだどうなるのか決まって無いんだし」と反論させながらも、私は自嘲気味に窓ガラスに映る自分自身に微笑みかけた。

§

 宵の口の糟日部駅は、街中がクリスマスムードに包まれているにも関わらず、人々の雰囲気はいつもと変わらない。
 私はそこに一種の寂しさと安堵感を含ませながら、駅から徒歩数分の中央公園へと辿りついた。
 すぐ近くの繁華街の喧騒とは裏腹に、その場所は何も無いくらいに落ち着いていた。
 私は公園のベンチに腰を下ろすと、腕時計で時間を確認する。
 …今日は携帯電話を持ってきていない。
 折角、私なりのけじめを付けようと思ってこの場所を選んだのに、その前にメールで「ごめん。私はそこに行けない」等と送られては堪ったものじゃないと思ったからだ。
 時刻は午後7時半を過ぎた所。
 私にとっての最後の戦いが幕を開けようとしていた――。

 ………………

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …

 強風によって擦られる葉と葉の音。
 繁華街から聞こえる明るい音。
 時々鳴り響く、自動車のけたたましいエンジン音。

 私はもう一度腕時計を確認した。
 午後8時14分。
 かがみはまだ姿を見せない。
 小さな雪の結晶が落ちてきた。
 どおりで寒いわけだよ……。
 私は傍に置いていた鞄から紺色のマフラーを取り出した。
 バイト先のプレゼント交換で貰った物だ。
 私はそれを口元から襟首までを覆うようにして、マフラーを巻いた。
 午後8時はまだ終わってはいない。
 溜め息を吐くにはまだ早い――。

 …………………

 ………………

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …

 コートの膝元に付いた雪を払い落とす。
 雪は降り始めの頃と比べて格段に大きくなっていて、既に公園の樹木には、綿のような白いデコレーションが施され始めている。
 この分だと、今日の雪は積もりそうだなぁ…。
 時計は午後9時3分と表示されている。
 公園中、どこを探しても私以外には誰の姿も見当たらない。
 ……お腹空いたな……。
 それでも私はこの場を離れる事が出来ない。
 離れてしまえば、その時点で私の初恋は終わりを告げる。
 それ以上、私は何も考えないようにした。

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …

§

 午後10時――。
 私の周囲には雪で薄化粧をした地面が広がっている。
 私は一人でベンチにずっと座り続けている。
 静かな世界だ。
 もう、人々の喧騒も、車のクラクションも気にならない。
 これは、幻聴なんだろうか? それとも、奇特な誰かがどこかでCDでも掛けて聴いているのだろうか?
 先ほどから、私の耳に誰もが知ってる切ないクリスマス・ソングが奏でられている――。

<雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう>
<Silent Night Holy Night>

 一面の銀世界。
 静かでいて、そして、奇跡の起こる聖なる夜。
 その曲は、今の私の全てを見透かしているかのようで、私の冷たくなった心に沁み込んで行く。

<きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ>
<Silent Night Holy Night>

 凍え切った私の顔に、暖かい何かがこぼれ落ちていく。
 ――涙だと気付くまでに、それほどの時間は掛からなかった。

<心深く秘めた想い 叶えられそうにない>

 ……解っていた……。解っていた……。
 かがみが私を選ばない事なんて……。
 でも、ほんの少しぐらい、私に夢を見させてくれても良かったじゃないか……。

<必ず今夜なら 言えそうな気がした>
<Silent Night Holy Night>

 ずっとかがみと一緒に居たかった。
 何度も好きって言いたかった。
 何度も口付けを交わしたかった
 何度も愛してるって言いたかった…。
 一度で良いから、この冷たくなった体を抱きしめて欲しかった……。

<雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう>
<Silent Night Holy Night>

 雪は何も言わず、静かにこの街に降り注ぐ。
 あるカップルは愛の奇跡だと喜び、子供達はサンタクロースの到来に夢を抱き、くたびれたサラリーマンは明日の通勤が大変そうだと顔をしかめながら、人々は聖なる夜の白い奇跡に酔いしれる。
 そんな広大な世界の中で、ちっぽけな存在である私は、マフラーを濡らし、声を押し殺して、涙を流し続ける。
 誰も居ない、静かな夜に――。

<きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ>
<Silent Night Holy Night>



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