Stand by me

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「ただいま …って、誰もいねぇや。」

 201X年2月18日 P.M22:30 …ちょっと回った辺りか。 最早確認する気にもならん。
 先週試験期間を終え漸く気の抜けた処にすかさず入ってきた旧友からのライブのお誘いを2ヶ月振りに受け、
 つい先刻まで武道館2階席B列で喧騒にもみくちゃにされていた、W大大学院法務研究科在籍中の柊かがみは、
 こうして法学とは真逆の次元の論理の鯨波をしつっこい程脳天に浴び、這々の体を引き摺って、自宅まで戻ってきましたとさ。

 あのノイズの嵐の中、隣で絶叫している筈だった、竜胆の花束を背負った少女(←外見)は、
 ひと月前に出版された新作の売上報告やら事後手続きやらでそれ所ではなく、未だ新潮社から帰ってきていないようだ。
 … いや、この時間だ、打ち上げが長引いてんのかな。 既に20万部のベストセラー… だっけ? そりゃ祝うよな。

 等と勝手に納得しつつ靴の踵部に指を掛けると。


「かーがみっ! おかえり!」

 奥から無遠慮な足音を響かせ、玄関まで走り出てくる影が一つ。
 途中、あの改造ベースの響きにも勝る派手な音がしたから、またコタツの敷き布団で足を滑らせ転んだらしい。
 隣人の出迎えもまともにできんとは、流石は現世否定派。

 ガラガラ、と硝子張りの引き戸が開くと、相変わらず不自然に跳ねた頭頂辺りの毛が逐一癇に障る我が家の稼ぎ頭のお出ましだ。
 髪形を見る限り、早速次作のアイデアでも浮かんだのか自室(兼リビング)に篭ってVAIOに向かい、キーボードを打ち鳴らしていたらしい。
 首の裏側の風通しが良いように(?)高めにまとめたポニーテール。 邪魔なら切ればetc.という言葉掛けは私の中では最早無粋だ。

「ただいま。 …てーか、居るんなら鍵くらい開けとけっての。」

 恒例のツンデレシスににんまりと口を曲げ、眉を顰め上目遣いに一言、「すいませェん。」 …SBRのブラックモアか。懐かしいネタを。
 そして即座に私の愛用の皮ジャケを引っ剥ぐと、引き戸の前で恭しく会釈… これはメイちゃんの執事の… 名前が出てこない。
 まぁんな事ぁどうでもいい。 一般人の反応として、双眸の翡翠色を存分に笑わせた半ヲタに、お約束のデコピンを決めてやる。

 … 底抜けに愉快な奴だ。 ―私が見初めただけある。

 この子が押し掛け女房さながらに、バッグ四つを抱えてこの文京区千石の2DKのドアを叩いてきたのが、丁度一年前の今日。
 自作小説の為に探し当てたネタの再構成によって卒論を半ば免除された文学部生が、資金面の援助やらを名目に
 法科大学院への進学の決まっていた、この検察官志望の独り者のもとに共同生活を申し入れてきたのだ。
 余りに突然の事で正常な判断力を維持できていたのか甚だ疑問だが、あれよあれよという間に話は進み、
 最も信頼していた筈の両親から同性愛者疑惑を突きつけられたのを切欠に、私はこの子を全面的に受け容れる事に決めた。

 ― だったら、何なのか。 私が学部生時代、この子の告白を受けていたから、何なのか。

 私達マイノリティ(と言いたければ言うがいい)がどんなに努力しても、
 貴方方マジョリティは『そういう』視線を、何の躊躇いもなく真っ直ぐに向けてくる。 突き刺してくる。
 自分達の見識が絶対無謬の真理だという、数の齎す妄念に憑かれて。

 成人を過ぎた、最も近しい血縁の素性を疑い、全否定するというのなら、もう貴方方を親とは思わない。
 血統書からも、神々の庇護の枠からも除外して下さって構いません。 さようなら、もう二度と戻りません。

 ― こう後先も考えず大見得を切り、自分の貯金の全額を叩いて授業料等諸費に充て、法科大学院への進学を試みていた…
 のだが、流石にそこまで格好がつく程現実は甘くなく、両者の間でgdgdと議論が交わされた結果、
 結局は入学金も授業料も両親の貯金におんぶに抱っこの状態は維持される事となった。

 今振り返っても― 確かに私の中に暴走しがちな一面はあったとはいえ、人間一般としてここまで現実を見失う例も珍しいのではないか。
 こなたからも「どうするつもりだったのさ! そんな無茶通す気ならすぐに出てくから!」等と大目玉を食らう始末。
 その後案の定進学時に解消した筈の、この子のいじけた側面を再び引き出す事となり、前学期はその解消と学業を併行する事になった。
 夏期休暇時、何とか過去の呪縛から逃れたこの子の導きで両親の元に頭を下げに出向き、身内との仲違いの状態は脱せたものの、
 気まずさが先行し、あれ以来実家の面子とは一度も顔を合わせていない。 正月も、年賀状代わりに写真を添えた手紙を贈っただけだ。

 こんな感じで、現状維持までの過程には余りに多くの出来事が立て続き、
 前途に一切光明の見えない状況のもとで、不公平な二人三脚は相方の好意という足紐だけを接点に、鬱々と続いている。
 暗中模索の行程で確かなものは、相方への信頼だけだ。 それに上回るものを、今の私の立場では見出せそうにない。
 時々、かつての縁や(立場上の)幸福を投げ打ってまで、この子を傍に留めようとする努力の意義や方向性に疑問を抱く事がある。

 しかし、趣味の良い色柄の食器に遅めの夕食を盛り付け、食卓(コタツ)とキッチンをいそいそと行き来するこなたの様子は、
 さながらどこの若奥様かって雰囲気を当り一面に醸し出しており、そうしたマイナス思考(に伴う感情)を雲散霧消に導いてくれる。
 続いて、頬が忽ち熱を帯びて来、胸が粛々と痛み出す。 …きっと、この感覚の為に、私はあえてこの茨の道を選んだのだろう。
 尤も、その茨に裸足で突っ込むような無鉄砲を先に演じて見せたのは、他ならぬ自分の方だけどね…

「全く御駕籠沢は相変わらずでさー、斑鳩さんのシャウトに空気読まずに対抗して、終いにはまた弦ハジいて娘に殴られてたわ。」

「やっぱりw てかゴトちゃんもあんまり煽んなきゃいいんだよね。はるかさんは悪乗りする体質だしさ、判ってんなら、ねぇ。」

 感情を表出さないよう、私は何気なく話題を振る。 …会話中、たまにちらつくこなたの役得顔が少し気に掛かったが。


 ――


「ごちそうさま。」

「いーえぇ、お愛想なしで。」

 大学2年次に仕上げた、ユダヤ・キリスト教神秘主義の智を題材に、現実の基盤を成す人間の妄想とファナティカルな部位の
 本質を綴った怪文書が日本ファンタジーノベル大賞に選ばれ、直木賞候補にまで引っこ抜かれてからというもの、
 この子の日常はそれまでの「ゆるさ」とは無縁のものとなった。

「…ん? 何かな?」

「いや、随分御機嫌じゃん?」

 それでも、この子は愚痴一つ溢さず、日毎課されるノルマ(既に各出版社から引き手数多らしい)を着々とこなしている。
 その情熱に近いものを、私は高校時代に垣間見たこの子のアニメ、ゲーム等へのそれに見出したが、本人に即座に否定された。
 参考までに、それが何なのかを問うても意図ありげな表情を浮かべ華麗にスルーしてくれる。 「作家の血」という奴かな?

「そっかな? 『打ち違えたyod』の売り上げ、思った以上でさ、今月こそはしっかり“勤め”果たせそうですぜ?
 いやー、これで久し振りにかがみの「太った~(泣)」発言に与れる訳ですなぁ。役得役得。」

 打ち違えた何たらっていうのは、例の新作の題名だ。相変わらず一神教と既成概念批判のストーリーに終始しており、
 西欧(文化圏)~中東諸国で朗読したら、間違いなく5秒以内に胸に風穴が空く …類の毒を全般に孕んでいる、ものだと私は受け取った。

「あんなに過激な現世批判がよくもまぁ。 現代社会に渦巻く不満の度合いが見て取れる、って奴か。
 とも、現代人って大して考えて読まないのかもね。 こないだのあんたの福音批判の一説が日労党議員に読み上げられる位だし。」

 全体主義批判を権威主義批判に置き換える読解力。 …ある意味では才能かも知れない。
 ああいう馬鹿を議員に持ち上げるとは、昨今の有権者のレベルの低下は極限値を逸しているんじゃないか。

 因みに日労党っていうのは日本労働党の略。2014年の大増税後、増えた税収を社会福祉の完備に… まぁ、そういう新党だ。
 政治理念はイギリスのそれとほぼ同じ。なのだが、実はその基盤の宗教性すら読み取れていない党員がわんさか。 前途多難って奴だ。

「うん、いい読みだ。スプリングスティーンを絶賛するレーガンみたいな連中が大量に蔓延ってるからね、政界っていう高天原は。
 どいつもこいつも、相変わらず字面追ってるだけで作家の本位読み取れた気になる程度のレベルでさ。カート・コバーンもうかばれねェや。」

「それが世風なんだろうよ。一昨日のNHKでも九州大の教授が、目と唇と手だけが異様にデカくて頭と足腰が貧弱なエイリアンを
 『現代人のモデル』なんぞと言ってたようにさ。 取り敢えず『見えてる事しか頭にない』。 見えてても『判断する知力がない』
 言ってみりゃ、受け売りだけ。 …なんてったっけ、2000年代末のあの首相、歴史にとんでもない汚名を残してたわね。」

「あのドルに続く円の大暴落の件でしょ? 半端なヲタは社会の生ゴミだって事実があれで完璧に証明された訳でさ、
 自虐キャラと右翼が大流行する時代の発端になったんだっけか。 なんでまた極端に寄りたがるんだろうね、人間ってのは。」

 …おや、まさかあんたの口からそんな疑問が出るとは。 少々お疲れかい?

「その方が楽だからよ。 “中庸”はやっぱり頭使うからね。どっちの立場も弁えとかなきゃならない。
 かくいう私も、その考え方、あんたに習ったようなもんだけどね。 あんたと、あんたの愛読書― 『他力』から。」

「今ん所大した困難にはブチ当たってないけど、苦労な時にはいつもお世話になってたな、五木さんの本。
 経験を「腹の底に」刻み込んだ人だから、言ってる事に猛烈な説得力がある。 『諦める=明らかに極める』ってな感じで。」


「あぁ… そう、ね。 そうだった。 主体は【人の間】なんだもんね。」

 なんだ。 ちゃんと弁えてるよ。 ― ま、そりゃそっか。あんたが私に教えてくれたんだし。


 『他力』っていうのは、簡単に言えば、「運命や偶然を司るもの」。 もっと言えば、「関係」から生じる力。

 そして、村上春樹の言う、『卵を投げる意志』,『壁を作り出す意志』となるもの。

 「制度」という壁に、「個性」という卵はぶつかって中身を撒き散らす。
 だったら、そこには勿論、「制度」に向かって卵を“投げつけた”何らかの意志も存在する筈だ。

 それは卵自身の意志でも、壁の引き寄せる意志でもない。
 そもそも、壁=制度は命を持たない「概念」で、卵によって築かれた訳ではない。

 それが、『人間の力』なのだ。


 『人間の力』― 個人ではどうにもならない、大きなうねりの様なもの。
 それは、向かう方角も長さも太さも可変のベクトルで、決して末尾を一点に留めない。
 判り易く言えば、何を基準にする訳でもなく、「人の間」に交錯する無数の意志によって、方向も、強さも変わってくる力の事だ。

 その活用例の一つを、私達二人は確かに知っている。


 リビング(代わり。兼こなたの部屋)の壁面― カウチの背もたれの真上に飾られた、一枚の写真。
 内輪仲間だけで挙げた、模擬結婚式の時のものだ。

 発案者は、私達二人をその出会いの瞬間から常にすぐ側で支えてくれていた、つかさとみゆき。
 会場の手配や衣装の調達、料理の準備や招待状の配布等、全てを手抜かりなくこなしてくれていて、
 披露宴には高校時代の親友や恩師、更には大学の友人やAYINのメンバーまでもが挙って参加してくれた。
 多くの隣人からの祝福と励ましの中で、春の軽井沢の清澄な空気と、
 隣でそれに劣らない程心地良い笑顔を終始口元に浮かべていた、らしくないこなたが印象的だった。

 大仰な飾り枠に囲われた、満面の笑みの竜胆と、それに首を抱かれて耳まで朱に染め、ぎこちなく造り笑う菫色。

 その写真を囲む無数の寄せ書きは、私を、どう叩き直してくれたのか。


 ――


「でもさ、こなた。 それは、人生の達人の結論だと思う。」

「ん?」

 そして、一抹の不安が、心の水面を過ぎる。
 …瞬間、それは認識する暇もなく、言葉となって私の口から溢れ出ていた。


「関係が… そういう、移ろい易いものが運命を造るんなら―  私達、どこへ行くんだろう。 どっちへ行けばいいんだろう。」

 口をついて出てきた負の感情は、捻り出すより、抑止することの方が難しい。
 それが、無根拠なものであるなら尚更だ。

「『神様』みたいにさ、判り易いパトロンが無いなら、やっぱり、『不安』とは一生戦ってかなきゃならない。」

 そして、中々に尻切れが悪い。 聞き手が聞いていようがいまいがお構いなしに。

「『不安』って、人間の原罪みたいなものかな。 言葉話せて、考えられる事の代償、みたいなw」

 結局、愚痴みたいなものか。 いや、独白だったら更に始末が悪い。



「かがみ!」


 カウチに腰掛け、厭世的に、中二病患者よろしく呟く私に、こなたの声が魂を吹き込む。

「私、絶対に離れないから。 ―だって、かがみの事、親御さん方や姉妹より、よく知ってるもん。」

 そして、堰を切ったように、それまで双方の抱いていた鬱屈の全てを咀嚼するように、この子は優しく私に語り出した。

「それに、縁切ったなんて言うけど、ちゃんと月一でご両親からの入金はあるんだから。 かがみの口座に。
 つかさや、お姉さん達だって、週一回位は電話掛けてくれてるんでしょ? 誰も見限っちゃいないし、見限れる筈ないよ。

 …同性愛が社会的にどうだとか、私は判りたくもないけど、理解とまではいかなくても、受け止めてくれる人は沢山居る。
 少なくとも、ネット上の百合ヲタとかや、かがみ自身が思ってる以上には。」

 ― 『だといいけど』 の、レベルだよな。 あくまで。 

「みんな、応援してくれてるんだよ、かがみのこと。 勿論、私だって!」

 ― なのかも知れない。 私が、逃げたがってる、ってだけで。 でも、これも拠所のない「可能性」の話。


「『一生やってろ』って、直木賞候補に最後まで残ったあの本… 実は、かがみと一緒に居たいから、書いたんだよ。
 …気に食わないけど、糞親父の血ィ使ってさ。 かがみと居られるんなら、つまんないプライドとか、この際どうでも良かった。 
 絶対、作家にだけはなりたくない、とか思ってたけど。 でもその内、手っ取り早く収入得る為には、自己表現が最適だ、とも思うようになって。」

 ――!  じゃあ、あんたは…

「今回のでもう4作目になるけど、全部がベストセラーだった。
 全部、かがみのお蔭だし、それに、今だって、かがみの為に書いてるんだよ、私は。
 だって、行の逐一に感想くれる読者なんて、公正以外ではかがみくらいだもん。 “ちゃんと”読んでくれてる人。
 かがみがいるから、居てくれるから、私は作家稼業続けられてる訳で。 …もし、私が作家辞めるとしたら。」



「…かがみに振られた時 …だろうな。 それは、やっぱ。」


 ― ―



 私は。

 この子が捉えている像以上に、冷徹、冷酷で。


「…あんたは、それでいいの? …私なんかのパペットで。」

「そういう意図はないんでしょ? 意のままに私を操ってやろう、とかいう。
 だったら、むしろそうなりたい。 それに近い立場に。 言葉は悪いけど、かがみの金蔓に。 かがみの、支援役に。」

 人間を「真心」の位相で見ていない人種なのだと、殊に最近は ―無論今も、そう思う。

「今までずっと、私は、かがみに支えられてきた。 柊かがみっていう、面白い― 素敵だな、って素で思える人に会えてから。」

 更に、悪辣さに輪を掛ける、自分以外には徹底的にシビアで、そのくせ自分には甘い性根。

「だから、形は違うけど、ちゃんとその恩は返したいな、って。
 …出来るなら、それ以上に。 今度は、私が支える立場になれたら、って。」

 そこには、どんな効率も、価値も、独自性も見出し得ない。 人類の究極目標、「共和」の対極に位置する性質。 

 しかし。


「私、かがみ好きだもん。」


 それでも、この子は。


「それ以外に、理由なんかない。」


 かまわない。 むしろ、それがいい。  そう、言ってくれているのだ。


 『それが、かがみだから』、と。


 ――


「かがみ~んv 元気出しなよォ。」

 その翡翠色の光沢に暫く無言で魅入っていた為か、不安になったんだろう。
 態と冗談めかした風情で、こなたが肩を抱いてくる。

「くぉれ、引っ付くな。(ハロゲン)ヒーターは点いてんだろ。」

「素直じゃないのは相変わらずだなぁ、ツンデレさんめーv 嬉しいんならそう言え~w」

 軽口もここまで来ると憎々しく感じるというもの。 ちょっとは考える暇をよこせっての


 ― でも。


 そうだな。
 あんた自身が、くれた機会だ。

 … 思いっきり甘えるのも、ひとつの愛情表現かも、な。


 ――



 カウチに膝を乗せ、私の肩に擦り寄ってくるこなたを、徐に正面から抱きしめる。

 こなたはちょっと驚いたようだが、いつものように、優しく背中に腕を廻してくれる。


「… ありがとう。」

「ん。」


 私は、私でしかない。
 不器用で不効率で不健全で、真っ直ぐものを見ることすら忘れた既成概念の垢達磨。

 でも、あんたがいつものように、その全てを受け容れてくれるなら。 望みがそれだ、って言ってくれるなら…


 私も、前を向かなきゃならない。


「… これからも、よろしく、ね。」

「おぅよ!」


 一際元気よく、弾むような声を腹の底から絞り出すこなた。
 きっと、自分自身にも向けられているに違いない。


 不安は生涯付きまとう。 漆黒の闇の中、見えているのは自分の足元だけ。


 だが。



「こなた… 好き。」

「… 私も ― 愛してるよ、かがみ。」



 ― この感情は、本物だ。


 いずれかがこれを裏切るようでは、多分、私は人では居られなくなる。

 この子が私を肯定してくれるのなら。 見返りを求めず、一方的な支援を約束してくれるのなら。
 私は、この子が私に与えてくれた分を、先ずは、感覚の位相で支払うのだ。

 例えるなら、母と子の前提的な契約関係のように。 切っても、切り離せないものとして。

 だから。



「 … chu 」


 水より濃い、血の契りの証として、唇を重ね合う。


 今は、これでいいのだ。 前が見えないなら、腕を伸ばすしかない。 それでも不安なら、這いずり回って進めばいい。
 この子は作家として、「卵の立場」から。 私は検察官 …候補として、「壁の立場」から。
 その空間を無限に取り巻く、「人の力」=「縁起」の諸相を解析し、手前に提示された問題の解決法を探求してゆく。
 今のまま順調に事が運べば、私達は、恐らくそういう人生を辿る筈だ。 ―そう願いたい。


 そして、こうした人生の下地は、私達の出会う高校時代からそれ以前に、既に“他力”によって敷かれていた。

 向かう方向は真逆で、それに相応しい人格形成すらも、凡その所、そうした概念の指示の元に成されていたのだ。

 それは生まれた頃に齎された、ごく限られた選択肢の中の一つで、
 例え時を遡る事が可能になっても、その選択をなかった事には出来ない程に、人の根本を為すものの筈だ。


 だけど。

 マッカートニーが言ったように、表現の形態に距離があればある程、二者の本質は似通ってくるもの、なのだ。 ―今の私達のように。

 如何様にも説明はできない。 天地が逆転する程の経験を以ってしても、現代人には「自分意識」を払拭する事は適わないだろうから。

 だが、これは実際に得た「直感」の位相の話だ。 理論など足元に及ばない程の的確さ、指示範囲の広さを持つことは疑いない。


 現に。


 知識と建前レベルの体験ばかりを身に積んできた私は、片時もこの子から離れられずに、今日までを生きている。

 そして、明日以降も。

 それは、自分の主成分を占める要素そのものが擬人化した存在として、この子が、私の傍で生きていてくれるから。


 今、この子を失う事は、小脳ごと、己の脊髄を引っこ抜かれる事とどんな違いもない。

 明らかに、私の世界の全ては、この子を中心に回っている。


 その事実が、堪らなくいとおしいのだ。



 いつの間にやら、絡めた舌は互いの歯茎を辿り出し、歯の根を刺激し出していた。
 あらゆる意味での「舌戦」の幕開けだ。
                                       ト キ
 次第に双方の息は上がり、相手の唾液の味の他に、互いの吐気をも舌の裏に甘美さを残すまでになる。

「ぇ… れぇ… からみ…」

「ころへん、ぃい?」

 こなたは八重歯の先端が特に敏感らしい。 れろれろ塩味担当の味蕾を押し付けるだけで、息が荒くなる事を最近発見した。
 ほぼ顔を密着させた状態でどうして判るのか自分でも疑問だが、こなたの翡翠色の視線は物欲しさを一段と強めてきている。

 ― もう一歩。

 私はこなたの唇を舌で撫で回し、右口端から頬をもみあげまで舐めとって、この子の耳朶に噛み付いた。
 即刻肩が上がるのを見計らい、この子の最大のウィークポイントである、耳の裏の緩やかな凹凸に舌を這わせる。


「ぅ … ひっ!」


 一説によると。

 この「一体となった感覚」が心地良いのは、生理的に当然の事なのだそうだ。

 下世話な話にはなるが、古細菌から哺乳類に至るまで、あらゆる生物の「合体」は、最も原始的で魅力的な“快感”を伴う。
 子孫繁栄― それが生物の本能であり、遺伝情報の最底辺に位置する部位。

 だからこそ、生命は皆一様に“快”に向かい、
 雌雄には、対象の都合などお構い無しに相方を求める、“発情”なる表現技法、身体性が存在するのだ。


 だとすれば。

 例え物質的には何も生み出すものがなくても。 形だけの快を求め合い、妄想し合うだけの縁でも。
 その関係によって、人間にのみ許された「概念」の位相で、生み出せるものがあるとすれば。

 かつてより、私がこの子に抱き続けてきた悲願を、この身を以って現出する事は。

 多分に生産的、なのかも知れない。



「かがみぃ… いきなり耳から、は… いぅっ」

「… 可愛い子。」



 そう、正当化してみる。

 きっと、それが私の― 否、人間という矛盾に満ちた生物が、
 この荒涼たる自然界に、その素性を淘汰されずに、ここまで展開できた理由なのだろう。 …多分。



「… でもねぇ。」


 ― と、一瞬の隙を得たようにこなたは声音を強め、
 私の肺の裏を撫でていた両手を瞬時に腰元に移し、指をこれでもかという程に縦横無尽に蠢かす。

 背骨と骨盤の付け根辺りを直にくすぐられ、背筋に鋭い電撃が走り、一点に向けられていた自意識が散逸する。
 一方で、再び絡んできた舌は私の上顎の裏… 口内の急所を的確に捉えてくる。

 次第にこの子を抱く腕に力が入らなくなり、意識が朦朧としてくる。 … 私の弱点は全部弁えてる、とでも言わんばかりだな。


「残念でした。 かがみが思ってるほど、私の攻略は甘くないよ?」

 ちゃぽん、という音と共に距離を置く両の唇を、飴色の筋が繋ぐ。
 歯茎より明らかに脆い材質の凹凸を舌先で執拗に穿られ、私の心臓は未だに剣舞を踊っている。

 だが言葉とは裏腹に、既にこなたの方も、半開きの目蓋にうっすらと涙を浮かべている。
 頬は上気して茹で上がったように赤味を帯び、熱い。 洩らす吐息は、空気を桃色の靄に変えてゆく。


「― ん、フフ。 そうこなきゃ。 」

 きっと、私のそれも大差あるまい。前頭葉が早くも痺れ出し、考えている事が端から両耳の穴を抜けてゆく。
 だらしなく垂れ流していた涎を拭い、淫靡なぬめりを湛え出したこなたの唇を、親指でじっくりと弄り回す。


「このままベッド直行?」

「…の前に、シャワー浴びない?」


 すると、こなたは私の鳩尾に軽く掌底を当てて、カウチの上に芸術的に組み伏せてきた。 見上げるこなたの額に汗が煌く。
 ここいらで一区切り入れて体制を立て直さないと、本格的に(一般に言う)総受け状態になってしまう。
 が、そこは柊かがみ末梢神経開発課主任のこの子の事、艶事における私の思考パターンなど手に取るようであるらしく。


「んー… やだ。 そう簡単にリード譲ってたまるか。1Rはこの場でオトす。」

 故意に勿体ぶって私の心理面を弄ぶ。 …これはチトこめかみに来たかな。


 何とはなしに、これで、いつも通りの二人。 手を取り合い、『社会』、そして『関係』という名の変化の獣道を辿り行く二人。



 ― 言ってみれば。

 この、身体に染み付いた摂理の維持の為に、後数十年を共にする、最愛のパートナーとなら。


 足りないくらいで、丁度良い。

 不満なくらいで、丁度良い。

 困難なくらいで、丁度良い。

 正反対なくらいで― 一生涯、背中合わせなくらいでも、丁度良い。


 人が一人でない限り、不安は、分かち合うことが出来るから。


 そして、そこから得られるものの方が、実は「未完成」だし、飽きが来ない。

 そっちの方が、難易度が高いし、楽しめる。



「よし買った。 ―後悔させてやる。」

 … あぁ、またこれだよ。 つまんない意地張って別の新たな弱みを晒す。 私も成長できてないな。


 だけど、そう。 これが―


 この未熟さが、甘ったるさが、私達だ。



 少なくとも、このコンビが生きている間は、決して失ってはならない感覚。

 失う筈もない、感覚。


 カウチの縁で、こなたの唇を首筋に感じつつ、近年頓に形の整い出したこの子のヒップラインを撫でながら。

 私は、塩をぶっ掛けられた西瓜の断面のようなものを想起していた。



 Reference Songs : Stand by me/John Lennon , I won't Last a Day without You/Carpenters , Keep Yourself Alive/Queen


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