甘いというテーマの没ネタ(後編)

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 ………


 鄙びた石段が森の中を暗渠のようにまっすぐ貫いている。長く伸びた石段は苔むして、普段は人通りがない事が明らかだった。
 鎮守の森は異様に暗く陰り、樹海のように深く繁殖して山を覆っている。まるで秘境の奥地の隠された神を祭る祭壇のように、奇妙な神聖さと下界から隔絶された雰囲気で、石段は静かに佇んでいた。
 駅からも大きく離れたこの山に、かつてこなたが産まれる事を祈願した神社はあるという。
 木々に囲まれただけの寂れた石段を、こなたは跳ねるように上っていった。
「ちょっと、待ちなさいよ」
 こなたには私の声が聞こえないのか、軽快にぴょんぴょんと石段を登っていって、こなたは止まる様子がない。
 私は苔で滑る階段に足を滑らさないか不安でしょうがないのに、こなたはまるでそんな心配などないかのようにスイスイ上っていく。こなたを見上げながら私は、おっかなびっくり暗い森の中の石段を登っていき、どこか遠くで、名も知らぬ鳥の奇妙な鳴き声が、こだまのように響き渡るのを聞いた。
 太陽がゆっくりと遠くで沈んでいき、森の木々が茜色から夜の青色に変わっていく、暗くなる石段に注意しながら、その長い長い道を登りきると、そこには赤い鳥居が幾つも並び、奥には朽ちた拝殿が見える。こなたはもう、その無数の鳥居をくぐりぬけ、拝殿の前にいた。
 立ち並ぶ赤い鳥居と、その奥に立つ青い髪の少女は、苔むした石畳と朽ちた拝殿のせいで、恐怖を煽る絵画のようにさえ見える。
「捨てられた神社、って感じね」
 と私が遠くに居るこなたに声をかけると、こなたは曖昧な表情で振り返った。そのまま無言でこなたは私を眺めて、私が来るのを待っている。私は幾つもの鳥居をくぐり、奇妙な騙し絵の中を歩いているような気分になりながらその隣に並ぶと、こなたはようやく微笑んだ。
「ここで、祈っていこう?」
 賽銭箱さえない、古びた注連縄だけが飾られた拝殿の入り口は、祈るのはここでいいのかと疑問に思うほど殺風景だった。私が手を合わせ祈ると、こなたも手を合わせて言った。
「つかさが、目覚めますように」
私も続いて言う。
「つかさが、目覚めますように」
目を閉じて祈ると、ベッドの上で眠るつかさが見えた気がした。
「はい、これで気は済んだ?」
私はいまいち、このお参りに効果がピンと来ずにこなたにそうたずねると、こなたは澄んでよく通る、水みたいに透明な声で言った。
「かがみ、ちょっとここで待っててくれる?」
「何?まだなにかあるの?」
「動いちゃ駄目だからね」
そう言うと、こなたは拝殿を開けた。
「ちょっと!こなた!」
追いかけようとする私をこなたが止めた。
「駄目!追いかけてきちゃ、絶対駄目だからね」
それだけ言うと、拝殿の中の暗闇にこなたは体を踊らせ、その入り口をぴしゃりと閉めた。周囲はもう夜で、夜の森からはひっきりなしに、名の分からぬ鳥や虫の声が聞こえていた。周囲は暗く、徐々に何も見えない暗闇が周囲に侵食してくる気がして、私は軽い恐怖を覚えて震えた。
 こなたが拝殿から出てくる気配はない。
「一体、何してるのかしら……」
 月明かりだけが周囲を照らして、赤い鳥居のふちが青白く光って見える。森の暗闇の中から視線を感じて、私は不意に振り返った。そこには何も見えない闇が広がるばかりで、誰かいるのか、誰もいないのかさえ分からない。微かに聞こえる音も、獣が草を掻き分け歩く音なのか、何者かが潜む音なのかさえ分からなかった。
 本当に恐ろしい暴力は見えない。
 見えない闇の中ならば、何が潜んでいてもおかしくはないのだ。 
 恐るべき闇は、もうすぐそこに潜んでいて、今にも私を襲おうと待ち構えているのかも知れない。私は怖くなって拝殿に近づき、こなたを呼ぼうと思った。そして私の耳には、呟くこなたの声が聞こえてきたのだった。
「……つかさを……救って」
 こなた?
「私は……かまわないから……」
 誰と話しているの?
「こなた?」
 私は恐る恐る、拝殿の中へ足を踏み入れた。
 その瞬間、目を開いていても閉じても変わらない濃密な闇が眼前に迫るように感じられ、私は竦んで動けなくなった。足がもつれ、拝殿の中へ倒れこみ、一瞬で何も見えなくなった。
 完全な闇。
 方向を見失い、右も左も分からず、目が開いているのか閉じているのかも分からない。まるで質量を持つように濃い闇がまとわりついて、私の体の中にまで入ってくるように感じられた。
 そのような闇の中にいると、だんだんと自我までもが闇へ溶け出して、本当に自分が存在するのかどうかさえ、分からなくなっていく。
 不意に眠っているつかさの姿が浮かび、つかさもまた、この闇に纏わりつかれ、目が開けられなくなっているのに気づく。私がつかさに手を伸ばそうとすると、闇はますます強く私をとらえ、その救いのない穴倉の中へ私を引きずり込もうとするのだ。
 それに抗うことは、誰にも出来なかった。
 私はたちまち、闇の中へと吸い込まれていき、私はその恐ろしい暴力の縦穴の中で、救いのない闇を見る。
 闇の中でつかさは犯罪者によっていたぶられた末に殺され、私は怒り狂って復讐を誓っている。犯人は心神喪失を認められ無実になり、私は刃物を持って街中を駆け出そうとする。 
 死と暴力だけがこの世界の唯一の真実なのだと確信して。
 そして遂に私が一人の犯罪者となろうとする時に、誰かが私の手を掴んで制止する、振り返った私がその邪魔者を刺し殺そうとすると、それは、他の誰でもないこなただった。
 刃物は止まることなくこなたの胸に吸い込まれ、こなたは血を流しながらも痛む様子を見せずに言った。
「かがみ、祈ろう」
「こなた……」
「怒りも、社会を変えるために必要なのかも知れない。でもかがみが誰かを殺しても、それは更なる悲劇を生むだけだよ。だから……祈ろう」
 温かい血が私に向かって流れて、私の全身は血で真っ赤に染まった。こなたの穢れ無き赤き血で。
 私の体の上を流れていく赤い血が、私の怒りまでをも押し流していく。
 だが不意に足元の影から暗闇は私を引きずりこもうと手を伸ばし、私の口は殆ど意思と関係ないようにしゃべり出すのだ。
「祈る?こなたは宗教家にでもなったつもり?お父さんは神職だけど、つかさを救えた訳?いいえ、つかさだけじゃないわ、祈りは、何も救えない、だからこの世界から暴力はなくならない、祈りなんて現実逃避に過ぎなくて、何も変えられない弱者がみる甘い夢よ。祈ればいいなんて、甘い、余りにも甘すぎる、この世界は本当は甘くない、絶対に、甘くない……!!」
 この世界には、暴力が存在する。
 一人の何の罪も無い女の子が散々にいたぶられた末にコンクリート詰めにされて沈められ、犯人は未成年でとことんまで罪が軽くなり、家族は怒りと狂気と絶望の中でもがき苦しむのだ。
 そしてこの暗闇の中で、その少女はつかさだった。
「この世界は、甘くないっっっ!!」
 殆ど絶叫するように叫ぶ私に、血まみれのこなたはどこまでも透明な視線を向けた。まるで死ぬことさえ受け入れた聖女のように。
「そうだね」
 こなたは刃物が刺さったまま前へ歩き、より深く刃物を自分の心臓に突き刺しながら進む。血は蛇口をひねったように溢れ、みるみる私を真っ赤に染めていき、こなたは血を失った青白い顔で言った。
「でも私たちは、私たちの周囲の甘い世界を知っている。その甘さを守るために祈ろう?本当はみんな、甘い世界を望んでる。かがみだってそうでしょ?本当は甘い世界がいいんだって分かってる筈だよ。私たちが過ごしてきた高校での時間は、価値のないものだった?甘いだけで無意味だった?そうじゃない筈でしょ?」
 不意に私の中に、つかさやみゆきや日下部や峰岸の笑顔が浮かぶ、父さんや母さんや姉さんの笑顔、そしてもちろん、こなたの笑顔が浮かび、私は心底から、この平和な日常を愛している自分に気づいた。私はどこまでもこの、甘い世界を守りたい。ううん、甘いだけじゃない、これが私の現実、私の生きる意味そのものなんだ、と確かに私は思い、不意に自分の体が闇の束縛から軽くなるのを感じた。
「こなた、私は……」
「祈ろう、かがみ」
 この世界の全ての暴力と、この世界の全ての甘さに。
 私は血まみれのこなたと手を取り合って、心底から祈った。

 世界よ、甘くあれ、と。

 瞬間、闇が吹き払われ、全ての光景は吹き飛び、私とこなたは完全な闇の中で手を取り合う二人の少女だった。そしてこなたは私から手を離し、暗い、より暗い闇の方へ歩き出した。
「こなた!」
「来ちゃ駄目って言ったのに、かがみ……」
 何かおぞましい、この世界の暴力、闇そのものが、こなたの向かおうとする方向から眠れる巨人のように立ち上がろうとしているのを感じて、私は余りの恐怖に涙を流し震えながら、こなたを引きとめようと立ち上がった。
「来ちゃ駄目!かがみ!」
「何でよ!!」
「つかさは、これで助かるから」
 私はまったくの直感に従って叫んだ。
「こなたはどうなるのよ!」
 闇に飲まれたこなたの表情は見えない。
「ここで私が無事に産まれるようお母さんは祈って……私は産まれて、お母さんは死んだんだよ」
「駄目よ!それじゃ、それじゃ意味がないじゃない!」
 余りに凄まじい闇の気配に、私は足が震え逃げ出したくなる。まるで自分がコンクリートに詰められる少女になろうとしているかのように、本当におぞましい暴力の気配がありありと感じられるのだ。こなたがなぜその暴力を恐れないのかが、理解できないほどに私は怯えていた。
「かがみに聞いたじゃん、つかさが大事だよね?って……産まれて今までずっと一緒だったんだもん。つかさを助けてあげなきゃね」
「ばかっ!」
 私は泣きながら、前に進もうとする、足がおかしいほどに震えて、上手く進めない。
「あのねかがみ、私やっぱり、私がお母さんを殺したと思うんだ。そういう事を言うとナルシストっぽくて嫌だったから言わなかったけど、心の中では引っかかってた。だからね、いつかこんな風に、誰かを助けるために死ななきゃいけないのかも、って思ってたんだ」
「馬鹿!馬鹿!馬鹿!」
 私は怒りに目がくらみ、恐怖を踏み潰して前へ進んだ。闇がまるでゴムで出来た壁のように私を押し戻そうとしても、必死に押し切って退かずに前に進む、絶対に絶対に引かない。そしてこなたに向かって全力で手を伸ばす。
「かがみ!来ちゃ駄目って言ってるじゃん!かがみまで、闇に呑まれちゃう!」
 私は自分があらゆる闇の被害者となる恐怖の中で、確かに叫んだ。

「あんたを見殺しにするくらいなら、死んだ方がマシだ!!」

 その瞬間、私の手は、こなたに届いた。
「かがみ……」
 私たちの手は、もうどんな闇が来ようと切り離せないほど、しっかりと結ばれている。私たちはついに抱き合い、そこへ物凄い勢いで闇が殺到した。
 狂気。
 犯罪。
 暴力。
 死。
 戦争。
 あらゆる人間のあらゆる罪深い行為が私たちに押し寄せ、その全ての被害者となり、同時にその全ての加害者となる私たちの、弱弱しく無力な人間の祈りが、陵辱され、蹂躙されようとする。
 圧倒的なこの世界の闇の前で、私たちの祈りは全く無力な甘い幻想なのだろうか?
 あらゆる加害者、あらゆる被害者が、一度も祈ったことがないなどありえるのだろうか?
 そこで私たちが甘さを祈ること……皆が皆甘い世界を望んでいるということが、歴史を、世界を変えてきたと信じるのは無力だろうか?
 しかし暴力の有無を言わせぬ力が私たちに押し寄せ、遂に全てがその餌食になろうとした時に、不意に時間が止まるように全ての流れが止まった。

 暗闇の中に、ぼんやりと一人の少女の姿が浮かんでいる。

 その姿はこなたにそっくりで、長く青い髪をしていた。

 彼女はゆっくりと私たちに向かって降りてきて、小さく微笑みを浮かべると、やがて跪いて祈った。

 闇は彼女と私たちに等しく降り注ぎ、そして私たちは意識を失った。



 ………



 目が覚めるとそこはただの古びた神社で、私たちは抱き合ったまま眠っていた。こなたの寝顔が幼くて、私はもう少し見ていたい気がしたけど、こなたはすぐに起きてしまった。
「あ、かがみん、おはよう」
「おはようじゃないわよ、無断で外泊しちゃって、ほんと、どうしたらいいのよ。ああ、きっとお父さんもお母さんも滅茶苦茶心配してるよ」
「私と二人きりでの無断外泊……こりゃ誤解されるね!」
「やかましい!」
 私は昨日見たものの話を、上手くこなたに振る事が出来なかった。まるで、夢みたいに思えたから。実際、夢だったんじゃないだろうか?
 拝殿の中は何もないただの板間で、昨日感じた禍々しさは全くない。拝殿から外に出ると朝で、そこには寂れた神社があるだけだった。
 私たち二人は朝の清清しい空気の中、森の中の石段を下っていく、澄んだ空気が気持ちよく、朝日は眩しかった。石段を降りるとすぐに携帯が圏内になって、待ち構えていたように家から電話がかかってきた。
「げ……凄く状況を説明しづらい」
「かがみん、がんば!」
「ひとごとだと思いやがって……」
 私が電話に出ると、聞こえてきたのはお母さんの声で、その声は驚きに満ちていたが、決して単純に怒っている声ではなかった。
「かがみ、聞いて、つかさが、目を覚ましたの」
「え?」
「それで貴方、どこに居るの?」
 私は正直に、つかさの目が覚めるように神社にお祈りに行ったこと、そこの拝殿で何故か眠ってしまった事を説明した。つかさが目を覚ました時間は、丁度私たちが眠った時間と重なるようでもあった。
 お母さんはとてもとても怒って、私はただ謝り続けるしかなかったが、当然、最後には許してくれた。一方こなたは……。
「いやー、お父さん、例の神社につかさのこと願掛けにいってさー、ごめんごめん」
 で、電話が済んでいた。
 これで通話終了だと……?
「納得いかねえええええええ!!!」
「いやまあ、家庭の事情は人それぞれって事でさ、あはは」
 なんだか損した気分になってしまう。
 ともあれ、私たちは石段を降りきって街に入り、駅へ向かう。その途中で、こなたは不意に真顔になって言った。
「あのさ」
「ん?」
「お母さんが言ってた。私の分まで幸せに生きて、って」
「そっか……」
 夢じゃ、なかったのかな。
 ふと見れば、私の服に小さな血の跡が一滴。
 どこかでひっかけて切ったり、怪我をした覚えはないのだけれど……。
「行こ、かがみ」
 私はそういうこなたの手を握った、あの拝殿で手を伸ばした時みたいに。
 たとえこの人生の先に、無数の見えない縦穴が開いているとしても、手をつないで歩けば乗り越えていける気がした。
 それがどんなに甘いと非難される発想でもかまわない。
 私はその甘さが守られるように祈る。守られるように努力する。
「かがみ?」
「行きましょ」
 私たちは手と手を取り合って、駅に向かって歩き出した。


 ………


 つかさの退院は速やかに行われた。もともと健康体だったのだ。入院する理由はない。目が覚めたつかさは訳が分からないみたいにぽやぽやした顔をして困惑していた。
「こらつかさ、幾らねぼすけだからって、一週間は寝すぎだぞ」
 と私がからかうと、つかさはひえぇ、と悲鳴をあげながら困った顔をした。
「ごめんおねえちゃん、心配かけちゃって」
「もういいわよ、起きたんだし」
 お父さんやお母さんや姉さんたちもつかさの退院を喜んで、その日は特別豪華な夕食となった。そのほのぼのとした家族だけの宴会のような空気の中で、お手洗いにちょっとだけ抜けた時に、つかさが私に耳打ちした。
 居間とお手洗いの間の廊下で、明るい談笑の聞こえてくる居間を背に、つかさは私に言ったのだ。
「あのね、眠っているとき、凄く怖い夢を見た気がしたんだけど、その夢におねえちゃんとこなちゃんも出てきたよ」
 電気のついてない廊下は少し薄暗い、私は横目で、少し開いている居間のドアの隙間から、笑っているお父さんを見た。
「へえ、そうなの?」
「うん!」
 つかさは凄く感動した映画を見た時みたいに、熱心に私に説明する。
「あのねあのね、夢の中のこなちゃんとお姉ちゃんは、凄く愛し合ってて、強い強い絆で結ばれててね、悲しくなるくらい勇敢なの。私はね、琥珀みたいなものに閉じ込められてそこから出られないんだけど、お姉ちゃんとこなちゃんは必死に頑張って、悪い怪物を倒して、その琥珀を割って私を助け出してくれたんだよ」
「まるでお伽話みたいね」
つかさは大きく頷く。
「そうだね、だからきっとこの先は、めでたしめでたし、だね」
そう言ってつかさは笑った。
もちろん、私も笑った。
そうして、私は私の現実に帰ってきた。


  ………


何もかもが元に戻ったのだが、私はなんとなくあの体験を忘れられないところがあって、放課後に少しぼうっと考え込んでしまった。
つかさの退院でバタバタして、こなたにあの時の出来事を深くたずねる機会もなく、そうして時間が過ぎれば過ぎるほどあの時のことが夢に思えて、どんどん尋ねにくくなっていった。いつか記憶も風化して、あの時のことなんて忘れてしまう、そんな風になった方がいいのかも知れないけれど、やはり私は一度、こなたにあの時の事を尋ねてみたかった。

隣の教室で帰り支度をしているこなたに、私は声をかけた。
「今日はつかさは用事で、みゆきは委員会だし、久しぶりじゃない?二人だけで帰るのって」
「お、そういえばそうだね、かがみん、じゃあ、一緒に帰ろっか」
 こなたが鞄を持って立ち上がる。私はこなたと一緒に廊下へ出た。
 私たちは平和にのんきに並んで歩く、いつものようにこなたがゲームや漫画の話題を私に振って、私がそれに突っ込んだり、たしなめたり、のどかで平和ないつもの私たちの日常。私はそれがかけがえの無いものだと知っている。
 ふと廊下で立ち止まり、初夏から夏に変わった強い日差しが作る長い校舎の影の下で、私はこなたに尋ねた。
「ねえこなた、あんた今でも、自分が母親を殺したとか思ってんの?」
「まさか」
 そう言って首を振るこなたに、嘘を言っている様子はなかった。
「死んだ人の想いを勝手に決め付けちゃ駄目な気もするけど、今は、お母さんはそう考えること、望んでないって分かるよ」
 その言葉を聞き、私はあの神社からの帰り以来、初めてこなたの手を握る。
「かがみ?」
 無邪気であどけない、子供のような瞳が見上げてくる。
「あんたあの時、私が振り回した刃物にわざと刺さらなかった?」
「あははは、夢でも見たんじゃないの?」
「自分が犠牲になってつかさを助けようとか考えてたでしょ?」
「なんのことやら」
 私はこなたの頭を、えい、とチョップで叩いた。
「痛いよ!かがみ!」
「あんたね、私があんたのこと、大事に思ってないとでも思ってる訳?つかさと同じくらい、私にとっては……あんたのことも大事なの!こんなこと、わざわざ言わせないでよね!」
 なんだか自分の言った言葉が恥ずかしい気がして、私はこなたからプイと目を逸らした。こなたはそんな私を特にからかわず、素直に「ごめん」と謝った。だから
「しょうがないわね」
 と言って私は、こなたにしか見せないとびきりの笑顔を見せて許してあげる事にした。仕方ないから、今回だけは許してあげるわ。ただ、そう、私の質問には答えてよね。
「ねえ、結局、あれってなんだったの?」
「さあ……」
 こなたは首をかしげるばかりで、何も言わない。
「さあって、こなたが連れて行ったんじゃない」
 うーん、と唸ってから、こなたは答えた。
「お父さんに聞いても、そんな神社あったっけ、って感じで、あんまり要領を得ないし、今思えば、私も何であんなに強くあの神社に行こうと思ったのやら分からなくて……」
 ああ、結局、世の中にはよく分からないことが、見えない暗闇があるのだな、と思って私は納得することにした。
 なんだかよく分からないけど、人間の力では、世の中のことが全て分かったりはしないのだろう。
 人生ってやつは不思議だな、とか分かったような事を思ってみたりして、私はあの時みたことを忘れることにした。結局、それが一番いいと思う。
 やれやれ、これでようやく、心残りなく日常に帰れる。
 いや、まだ一つ、心残りがあるな。
 私はあのとき、つかさの事が気になって、聞き流していたことをこなたに尋ねた。
「あんた、高校に入ってから、ずっと私を見てた、ってあのとき言わなかったっけ?」
「え、言ったっけなあ、そんなこと」
「誤魔化さないで」
 心臓がどきどきしてくる。でも、もしも人生の先に闇が潜んでいるなら、どうしても私は、好きな人と手を繋いで歩きたい。そうすればきっと、その闇の中でも勇気を持って進んでいけるから。
 緊張を吹き飛ばすために気合を入れて、必死な気持ちで私は尋ねた。
「つかさも夢をみたらしくてね、その夢の中では私とあんたは愛し合ってて、それで二人で頑張ってつかさを助けたんだって。あの時、寂れた神社で見た夢の全てが嘘だったとしても、その、どうなのよ……」
 だんだん、語尾が小さくなってくる。あの闇の中で、こなたに手を伸ばした時に匹敵する勇気を振り絞って、遂に私は言った。
「つかさの夢の中の、私とあんたの様子は、嘘だと思う?」
 こなたは呆然とショックを受けたように沈黙して、かなーりの間を空けてから、途切れがちな声で何とか答えた。
「嘘じゃない……と思う」
「へえ、奇遇ね、私もそう思うのよ」
「ほんとに?」
「もちろん」
 私はこなたと繋いだ手にぎゅっと力を込めた。私の思いが伝わるように。
 こなたもまた、強く強く手を握り返してくる。
「信じられない……とても、信じられないよ」
 震えている、こなたの声、声だけじゃない、体全体が震えている。
「じゃあ、信じさせてあげようか」
「え?」
 私はどきどきする胸の鼓動に任せるまま、もう自分の行動を制御するのをやめた。
「目を閉じて」
 こなたが目を閉じて、私はその震える体を抱きしめて、私も目を閉じる。
 瞼の下の闇が訪れて何も見えなくなったけど、そこにはもう、何も恐ろしいものは潜んでいない。それどころか、暖かく、すばらしいものがそこにあるのがはっきりと分かる。
 私はありったけの勇気で、唇を暖かい感覚で満たした。
 外では暖かい夏の日差しが待っている。
 光に満ちた外は、蝉の声が満ちているだろう。
 目を開けた私たちは、互いに照れるようにはにかんだ。


 これからの人生にたとえどれだけ多くの闇が待っているとしても、私たちはきっと歩いていける。
 この世界の中には無数の祈りがあって、人々は闇よりも光を願っていて、何よりも甘い世界を求めて祈っているから。
 だから私とこなたは繋がって、確かな足取りで人生を歩いていくだろう。


 私はこれから訪れる何よりも熱い夏を思って、こなたと手を繋いで、光差す外へ向けて歩き出した。



    了


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  • うおぉぉ重い!!?こな×かがってゆーかむしろ教訓だなぁ -- 名無しさん (2010-04-05 02:01:07)
  • こなかがの枠を超えた傑作ですね
    貴方のSSはどれも何か考えさせられるものがあって、読み応えがあるように感じます
    素晴らしい作品を有難う
    -- 名無しさん (2010-03-23 00:30:55)
  • 凄い。

    なんかもう、色々深い。
    暗い話から告白に繋がる流れが素晴らしい。

    告白シーンがかっこいい。何て言うんだろう、嫌な臭さが全く無い。

    傑作です。ありがとう。 -- 名無しさん (2009-04-01 01:58:53)


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